ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

最後の決戦~従軍写真集

2008年01月31日 06時50分40秒 | 田舎暮らし
いよいよ最後の決戦。
まずかって仕掛けておいた「蜂の甘い罠」をチェックした。



中にはスズメバチだけでなくハエも入っていた。
確かにたくさん入っているけど、何千という蜂に対しては全く無力だった。

">

「蜂の甘い罠」の中身を取り出した。
う~んさすがに獰猛な顔をしている!
これれは動物界のワル。
さしずめ相撲界なら朝青龍、ボクシング界なら亀田親子。
政治家なら(  )、官僚なら(  )、実業家なら(  )
・・・といったところか。
*(  )には好きな名前を入れてください。



さて、いいいよ決戦の時。

築城のときの土砂の後。
この上に敵の隠し砦がある。



敵の根城はこの大きな穴の奥。(少し見える)



まず煙攻めを挑んだ。
竿の先に布をつけ焼いて煙をだして燻す。
もうもうたる煙に「ごほんごほん」とびっくりして何匹かの敵が飛び出してくるはずであった。
でも実際はちょろちょろとした煙に敵は侮ったのか、油断したのか、隠れているのか姿を現さない。



よし、それならば、とここでいよいよ秘密兵器のジェット噴霧器の登場。
どうだまいったか!
あんまりなめんなよ!!



念のためさらにしつこくいやらしく何度も煙攻めやジェット噴霧器攻めのあとで、
いよいよ百姓の究極の武器、鍬を取り出して穴を広げると城の全貌が明らかになってきた。



さらに用心深くかつ大胆に鍬で城を攻撃する。
そしてついに落城。
しかし敵は・・・?
いない。
う~ん、恐れをなして退却したか。
卑怯なヤツバラ、こうしてくれるわ。
と、城を破壊する。



それは40センチもあろうかという大城であった。
やぐらは4つ。



(表から見たところ)



こうして戦は終わった。
ほっとしつつ空城攻撃にむなしさを残して。
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決戦の時

2008年01月29日 06時43分47秒 | 田舎暮らし
ついに決戦のときがやってきた。
スズメバチ城の総攻撃の時が。
敵は極悪非道なスズメバチ軍団。
このところ寒くなり姿を見せなくなったとはいえ油断ならない。
どこに潜んでいるかもわからないから。
これはまさに秀吉の三木の干殺し・鳥取城の飢え殺し・高松城の水攻めに匹敵する戦い・・・とまでは言わないけど、
この農園始まって以来の最大の戦い。
きっと「みぎた農園の寒殺し」として後世まで代々語り継がれることだろう。

というわけで重装備で城攻めに向かった。
武器は・・・:
・ジェット式殺虫剤
・先に布をくくりつけた竹(これで布に火をつけいぶす)
・プラスチックのトレイ(これで飛びかかってきた蜂を払いのける)
・鍬(なんてったって百姓の武器はこれ。これだけは手放せない)
・鎌(これはどれくらい役に立つかわからないけど武器は多いほうがいい)
・デジタルカメラ(これは武器ではないけど戦いにはやはり従軍記者が必要だろう)

城は敵に占領されえてすっかり荒れ果てた南の畑の端、
築城で出来た土砂がうずたかく詰まれた奥にある。
まず偵察隊を指し向けてじっくりと様子を見る。
大きな穴の奥にハチの城らしきものが見える。
どうやらまで敵は油断しているらしく、こちらに気づいていないようだ。
よし、いざとなればすぐにも退却できる準備もして、攻撃開始!

竹の先の布に火をつけて蜂の巣に差し込む。
煙がもうもうと立ち込める・・・といいたいところだけど、ちょろちょろと心細げにたち込める。
でもハチは出てこない。
これは城に潜み篭城戦を挑むつもりだな、と見た。
そこでいよいよ秘密兵器、ジェット式殺虫剤の登場。
どうだ、まいったか!!~とばかりかけまくる。
しかし敵は姿を現さない。
う~む、しぶといやつめ。
さらにいぶし、さらにかけまくる。
しかし襲ってくる気はない。
はて?
それでは、とここで鍬の登場。
くわで恐る恐る、穴を広げていく。
そしてちょっとでも動くものがあったら、うっ、いかん!とばかり退却する。
こんなことを繰り返しながら、最初は慎重に、次第に大胆に広げて行き、蜂の巣城の全貌が明らかになってきた。
そして30センチくらいの巣が現れた!
表面はうろこ状、そして内側に巣が、全部で4枚!!
敵は・・・いなかった。
とっくに城を見捨てて逃亡してたらしい。
卑怯な奴だ。

こうして当農園の世紀に残る戦いは終わった。
たくさんの武器ともぬけの殻の城の取り合わせがむなしい。
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カレイの手紙

2008年01月28日 06時54分09秒 | ニュースの中から
新聞はとってないのでそんなに見ることはない。
でもたまたま見た新聞に、「15年前の手紙をカレイが配達」したという記事が載っていた。
15年前小学校の校庭から風船で飛ばした手紙がカレイにくっついて見つかったらしい。
文字もはっきりと読めるし紙も傷んでないようだ。
いったい15年間も海水にさらされて、このように原型のままに保つことが出来るのだろうか?
学識経験者などのコメント~
・紙質や水流など好条件があれば十分可能
・手紙は陸上にあって水中の期間は長くないのではないか?
・カレイに付着していたのは海中を漂っていた手紙が網にかかるときにたまたま付着したのでは?

いずれも、そうかなぁ・・・と思えるけど不思議な気もした。
そしてついつい余計なことを考えてしまう。
・もし水中で15年間も分解されないでそのまま保存できるのなら、紙はプラスチック同様自然に優しいとはいえないのではないだろうか?
・役所などの不要な書類の山を海中で保存したらどうだろう?捨てられないで維持費ばかりかかるのならそのほうがずっと有効ではないだろうか?
 きっと社保庁などは特定できない年金記録を大喜びで捨てるだろう。そして捨てたのでなく保存したのだということができるし、
 誰からも二度と見られる心配もないので好都合だ。
・それとも発禁書専門の海中図書館なんか作ったらどうだろう?子供は見ることは出来ないだろうから。
・陸上にあって水中の期間は長くないのではないか?・・・という見解は常識的だけど、陸上だとさらに傷むのではないだろうか?
 土の上だとすぐに分解されてしまう。日や雨に当たってもすぐにぼろぼろになる。

そこで一番考えやすいのは・・・、
15年前にある人が木に引っかかってていた紙を見つけた。それは子供の手紙。風船で運ばれてきたらしい。
返事を書いてあげようと家に持ち帰った。でもこの人、根がぐうたらなので返事を出そうと思いつつも、ついつい面倒になりそのまま机の引き出しの奥にほったらかしにしていた。
そしてそのまま15年が過ぎてしまった。ところが最近心境の変化か、それとも奥さんからあまりにうるさく言われたからか、急に掃除をしようという気になった。
そして机や押入れややたらと開けたり閉めたり取り出したり戻したり・・・部屋中ごちゃ混ぜにしている時にこの15年前の手紙が出てきた。
そうか、そういえば返事出してなかったなぁ・・・。でも今さらねぁ・・・とちょっぴり気になりながらもゴミ出すことにしたのだった。
こうして手紙はゴミ回収者に運ばれて、さらに埋立地へと船で運ばれていった。ところがそのとき一陣の風が・・・。そして手紙は飛ばされて海に落ちていく。
そして海中を漂ってたときに網にかかり網の中のカレイにくっついて水揚げされたのだった。
それは手紙を捨ててからちょうど1週間後のことだった。
その後このことがニュースになりマスコミに大きく取り上げられた。これには本人もびっくり!
でも今さらいえないよね。15年間もほったらかしにしてたことを。最近ゴミとして捨ててしまったことを。
うん、やっぱり黙っていよう!

・・・と、常識的には考えられるのだけど、或いはもっと別の解もあるかもしれない。

15年前、男の子が公園で遊んでいた。
友達は誰もいなかったのでいつも一人遊んでいるのだった。
でも一人で遊ぶのは嫌いじゃない。
だって小さな虫たちがいる。
小鳥もいるよ、花も咲いている。
それに小鳥や虫たちは意地悪しないからね。

そのとき風に運ばれて一枚の紙が足元に・・・。
それは一人の少女からの手紙だった。
少年はそれを読みわくわくして家に持ち帰った。
そして返事を書こうと思った。
でもなかなか勇気が出ない。
返事くれるかなぁ・・・。
きっと僕のこと嫌いになるだろうなぁ。
僕いつもみんなから嫌われてるから。
こうして返事を出そう出そうと思いながら日は過ぎていった。
ちょっぴり今までと違った日が。
それからはどんなに学校でみんなからいじめられても、我慢できた。
だって僕にはあの子がいるから・・・。
きっとあの子なら僕のことわかってくれるだろう。
そして、学校が終わると急いで家に帰って、何度も何度もあの手紙を読み返した。

こうして時は過ぎていった。
さすがにもうあの手紙を読み返すことはなかったけど、でも机の奥に大切にしまっていた。
ひんやりとして殺風景な部屋の中でそこだけがいつも暖かく感じられたから。

少年は大人になった。
そして小さな町の役場に勤めた。
町に似合わないりっぱな庁舎の中で毎日寒々と働いた。
でもそのうちまるであの机の中のように暖かい一角があることに気づいた。
そこには一人の女の子がいた。
そしてちょっと言葉を交わしただけでもとても暖かく感じるのだった。
それから、なんとなく、どちらからともなく、付き合いが始まった。
少年は、というか、(昔)少年は信じられなかった。
もう一人じゃないんだね。
だって僕にはあの子がいるから・・・。
それからは職場の意地悪な上司の言葉にも我慢できた。
だって僕にはあの子がいるから!

新婚旅行のとき(昔)少年はあの大切な手紙をバックに潜ませていた。
とっても大切な手紙、でも今ではそれ以上に大切なものが手に入った。
それで、あの手紙を他の人に届けようと思ったから。
とっても大きな海が見える丘の上で、こっそり手紙を取り出した。
そして空のポストに手紙を入れた。
「えっ、どうしたの?」
と怪訝そうに聞く彼女に、何か気のきいた答えをしようと思ったけど何も思い浮かばなくて、
「ううん、何でもないよ」と答えて。
ありがとう。また誰か一人ぼっちの子に届けてね。

そして手紙は風に飛ばされ海に落ち、海中を漂ってたときに網にかかり網の中のカレイにくっついて水揚げされたのだった。
それは手紙を捨ててからちょうど1週間後のことだった。
その後このことがニュースになりマスコミに大きく取り上げられた。これには本人もびっくり!
だって彼女の名前「華麗」って言うのだから。
あの手紙、実はカレイを届けてくれた手紙だったんだね。
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「食・地の座」

2008年01月27日 07時30分54秒 | 田舎暮らし
姫路で開催されている「食・地の座」に行ってきた。
酒造の中で中播磨の食や農にかかわる人たちが集まって模擬店などを
出している。
客も多く盛況だった。
前回は6000人集まったという。
酒造をつかうというのもいいアイデアだ。
このようなイベントは姫路だから出来るのだろうか?
西播磨でして人が集まるだろうか?
と、つい考えてしまう・・・。

とはいえ、もうひとつなにかのらなかった。
単にバザーで食べるだけ?
何か欠けてる。
皆が集まる広場が・・・。
音楽や講演会や・・・。
そして姫路の文化が。

でも何か足りないと感じた原因はもっと単純なことだったのかもしれない。
車だったので酒の試飲できなかった。
これはものすごく不愉快なことだった。
たまたま食べた味噌煮込みうどん。
地元の小麦粉を使いきしめん風で旨かったのだけど、
半分しか入っていなくて500円!高かった!
・・・とまあこんなことなのかもしれない。
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2008年01月25日 05時35分06秒 | 田舎暮らし
冬の雨は重く暗い。
じとじとと大地にしみこんでいく。
この数日、外での仕事がほとんど出来なくてダルマストーブの前で種採りに時間をつぶしている。
莢のままでほったらかしにしていた大豆やインゲン、モロヘイヤ・・・などの種を採り豆はいいものだけを選別するという面倒な作業。
でもこんな単純作業が長い冬には向いている。
一人さびしくいじけて(?)やってるけど、こんな作業こそ家族でやりたい。

種採りをしながら、時々思い出したようにポツリと会話が続く。
「お茶でも入れようか」
「うん・・・」

長い長い冬の夜はかくありたい。

雨が続き用意していた薪も残りわずか。
雨のために薪拾いにもいけない。
ダルマストーブが消えると寒さは一段と増す。

長い長い冬はまだまだ続く。
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暫定税率廃止

2008年01月24日 09時35分02秒 | ニュースの中から
ガソリン値下げか道路かで国会がもめている・・・らしい。
特に地方で暫定税率廃止反対だとか。
それなら地方の住民一人ひとりに聞いてみたらいい。
あなたは道路建設で儲かりましたか?
すると儲かった人間はほんの一握りで、大部分の人間は高いガソリン税を払った上に不要な道路工事のための渋滞でいらいらさせられていることがわかるだろう。
ガソリン値下げだと一部の人は損をするだろうが、ほとんどすべての住民が得をする。
確かにどんな道路でも道路が出来ると便利にはなるだろう。
それなら道路のほうを選ぶのなら自分たちの金で作ればいい。
少なくともガソリン値下げ分くらいの金は負担すべきだ。
どうせ人の金という意識があるから安易に道路を作ろうとする。
無駄な道路建設を止めさせるには兵糧攻めに限る。
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駄菓子

2008年01月22日 03時50分53秒 | 雑感
たまにスーパーなどでお菓子を買う時、たいてい駄菓子を選んでしまう。
カリントウ、黒棒、白棒、芋ケンピ・・・。
こんな菓子類を見るとなんかわくわくしてくる。

でも駄菓子のコーナーで立ち止まる人は少なく、ここはなんとも場違いな異次元の空間らしい。菓子の世界ではそれなりの地位を持ちいつも日の当たるところにいる羊羹や最中でさえもここではなんとも居心地が悪く隅っこに縮こまって収まっている。

駄菓子は大きなスーパーには似合わない。立ち止まる客も少ない。たまにチラッと見る人がいてもたいてい「あれっ、あんたたちまだいたの?」と、ばかりすぐに視線をそらして通り過ぎていく。

昔はこれでも駄菓子はみんなから脚光を浴びていたのだ。街の角はたいていタバコ屋か駄菓子屋。子供たちが毎日、目を輝かして5円玉や10円玉を握り締めて買いに来た。そしてガラスの瓶に入っている駄菓子を長い長い時間をかけて1個ずつ選んでは買っていった。

でももう今ではそんな住家をなくしてしまい、スーパーの片隅に居候している。ガラスの瓶ではなく透明の袋に詰め込まれて・・・。
どうしてこんなところにいるのかなぁ・・・、
あの角っこの家に帰りたいなぁ・・・、
ときっと駄菓子たちは思っていることだろう。

というわけでそんな駄菓子を見るとついつい買ってあげたくなる。
そんなに落ち込まなくても良いんだよ。
そのうちきっといいこともあるからね。
と言って。
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駄山羊

2008年01月22日 03時45分20秒 | 山羊の話
「駄」という文字、
この太った馬といういかにも役にたたなそうな文字が何となく気になる。
駄馬、駄犬、駄菓子、駄賃、駄文、駄作、駄洒落。
駄馬、駄犬・・・と聞くとしょうもない馬や犬だけど、なんとなく憎めない気がするし、はした金でも駄賃をもらうと嬉しい。
駄文、駄作は毎日のようにこのようにブログで書いているし、菓子というとついつい駄菓子を食べたくなる。
どうも「駄」というのがこのぐうたら百姓の性に合っているらしい。それはきっとこのぐうたら百姓が駄人間だからだろう。

ところで「駄」は普通犬や馬には使うけど猫には使わない。山羊にも使わない。猫には駄猫はいないのだろうか?山羊にも駄山羊はいないのだろうか?
きっといないのだろうね。
山羊はとっても可愛くて人懐っこいもんね。
といいつつ、ついつい我が家の山羊ユキを見てしまう。
うん駄山羊なんていないよね。
「め~~~」とユキは不安そうに鳴く。
うん絶対駄山羊なんていないよ!
「め~~~、め~~~」
するとユキが壊したやぎ小屋の戸がいやでも目に入る。
「うんうん、ぜったい駄山羊なんていないよ!!」
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食の達人

2008年01月21日 12時21分33秒 | 田舎暮らし
初めての本格的な雪。
といってもほんの数センチ積もっただけだけど・・・。
とはいってもノーマルタイヤには厳しい。
のろのろ走る。

先日、はりま食の達人の研修会に行った。
これはただ話を2~3時間聞くだけで達人になれるという便利なもの。
もうすでに1000にくらいの達人がいるという。
達人になるとJAの旬采蔵などに野菜などを出すことが出来る。
というわけで受けにいって終了証をもらってきた。
あとは作付け計画表などを出すと「達人」として認定される。
それで、苦節(?)6年、ついに達人の域に達したのだけど、
さすがにこんなものに充実感はない。

とはいえもはや達人。
これからは「ぐうたら百姓様」ではなく「食の達人様」と呼んでもらうことにしよう。
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ブログ

2008年01月18日 17時34分49秒 | 雑感
この一週間めずらしく外に出ることが多かった。
ほんとうは寒いときは家の中で縮こまって半冬眠状態でいるのがすきなのだけど・・・。
動き回るのはどうも性に合わない。
昔から出不精で、人が来るのはいいのだけど自分からはわざわざ出かける気にはなれない。
出かけるだけでなく電話するのもメールをするのも人のホームページやブログを見るのも億劫になり、
ついついコメントやメールの返事も後回しにしてしまう。
それでも気を使う人には何とか早く返事をするようにしているけど、
親しくなりそんなに気を使わなくてもよくなると、返事をだすのも遅くなり、数ヵ月後になることもよくある。
(返事が遅い人ほどそれだけ親しみを感じているのだよ)
というわけで人のブログもそんなにこまめに見ているわけではない。
それにいいわけみたいだけど、毎日でもみたいなと思えるブログは多くはない。
とりわけ、20代の人のブログはたいてい面白くない。
内面の輝きがあまり感じられない退屈なものが多いから。
もちろん例外はあるけど・・・。
「今日は・・・に行きました。面白かったです」
「今日は・・・で、・・・を食べました。おいしかったです。」
なんて記事を読んでも少しも楽しくない。

ブログで見る限り人が輝くのは、独断的に言うと、
女は35から~子供が学校へ行くようになり、子育ても一段落し自分を見直す時間が出来てきたとき、
男は45から~会社で、もうあんたはいらないよ、とばかり先も見えてきて、第二の人生を考え始めるとき、
人は初めて自分に向き合うことが出来る。
20代で独創的な人は一部の天才は別としてまずいない。
たいていの人は自分は独創的だと思っていても、その実、人の頭で考えて人の言葉でしゃべっているに過ぎない。
それで20代の人とはあまり話をする気にはなれない。退屈だし、無理に相手に合わせて話をするのは疲れるだけだから。

もっともたまに我が家に来る20代の人はわりと輝いている人が多い。
というか、変わっている人が多い。
いまどき農業をやりたいなんて、変人に決まっている!
そして変わっている人にあうと、自分がまともなことがわかって嬉しくなる。
じゃなくって、とても刺激されて楽しい。

というわけで一般的には20代の人のブログはたいてい面白くない。
グルメ雑誌のような、旅行のパンフレットのような記事を書くのでなく、
せっかく出かけるなら、心の中の旅もしてきてほしい。
非日常の中で自分を見直すいいチャンスなのだから。

でも結局それでいいのかもしれない。
山羊や牛のように人の心にも胃が4っあって、
20代は第一の胃でただがむしゃらに食べるだけ。
30代は第二の胃で、40代は第三の胃で、50代は第四の胃でそれをじっくり反芻して、
60すぎてからやっとそれを吸収できるのかもしれない。
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とんど

2008年01月16日 19時10分17秒 | 田舎暮らし
先日(日曜と月曜)、町のあちこちでとんどの煙があがりポンポンポンと威勢よく爆竹の音がなった。
同じとんどでも集落によって違いがある。
不思議なことに町の中心部に行くほど丁寧に作っている。
過疎になるほど人手が足りなくなるのだろう。
昔はこの集落でももっと丁寧に作っていたらしい。

とんどは本来正月が終わる14日にするものらしい。
そして餅飾りなどを焼いてその火で鏡餅を焼いて食べる。
でも他の行事と同じように、次第に日曜日にするようになっていった。
やっぱり今では皆会社務め。
休みの日でないと人が集まらない。
まあこちらとしてもそのほうが良いけどね。

正月はとんどで終わる。
とんどが終わると寒さは一段と厳しくなる。
この冬はまだ本格的な雪はふってない。
でももう春の気配が・・・。
蝋梅がちらほら咲き出した。
まもなく水仙も咲くだろう。
チューリップもクロッカスも芽を伸ばしている。
山羊も鶏も春が待ちどおしそう。
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新年会

2008年01月12日 09時48分14秒 | 雑感
ある新年会に出た。
場所は地元では有名なホテル。
早く着きすぎたので久し振りに駅前の立ち呑み屋に入った。
でもキャベツはなかった。二度づけお断わりのソースもなかった。
あれって大阪だけなのかな?
たち呑み屋というと、やっぱりキャベツと二度づけお断わりのソースは欠かせないのだけど・・・。

新年会では予定通りたくさん食べてそれ以上にたくさん呑んだ。
中華料理でもないのにぐるぐる回るテーブル。
あれを見ると平静を装いつつもついついあせる。
ちゃんとこっちまで回ってくるだろうか?
誰か2つ取らないだろうな?
ここはよ~く監視しとかないとね・・・。
そしてようやくこちらの番に回ってくるとほっとする。
うんうん、良く無事にきたね・・・。
するとその料理がとってもいとおしく感じられてくる。
よしよしご褒美にちょっぴり多く食べてあげるからね。

呑むのはもちろんまずビール。
発泡酒ではない。第三のビールでもない。
本当のビール!
そのうち隣の人がワインを飲みだしたら、なんかとても気になって、同じくワインを呑みだす。
別の人が焼酎を飲みだすと、いかん、後れを取った!とばかり慌てて焼酎を注文する。それも日ごろはあまり呑まない芋焼酎を。
でも、やっぱりここは定番の日本酒、とばかり注文すると、なんとない!
う~ん、許せん!!
仕方がないので、またビールに戻り、ワイン、焼酎・・・と繰り返す。

そのうち定番のビンゴ大会が始まる。
これがどうも苦手で、いつも最後近くになってようやく当たる。
以前なんかひとりだけ取り残されて、しかもいつまで経っても当たらない。
そしてとうとう途中で打ち切られてしまった。
その上からくじなし・・・のはずがもう何も残っていない。
このような実に惨めな状況に立たされたことさえある。
というわけでビンゴは苦手だ。
それでも最初はまだ余裕。
なかなか当たらなくても、うんうん、かまわないよ・・・とおおらかでいられる。
でもそのうち他の人がどんどん当たりだすと、次第に顔が引きつってくる。
う~ん。
そして同じテーブルのほかの人は皆もらい、そろそろビンゴに飽きてきてあちこちで雑談が始まった頃、
隣の人がこちらのカード見て、「あれっ、それ当たっているよ。」
どうやらとっくに当たっているのを気づかなかったらしい。
いかん、後れを取った!
慌てて景品を替えに行く。
最後ではなかったけど、テーブルの上に残された景品はもうあとわずかだった。
当たったのは「夕張メロンキャラメル」というものだった。
「夕張」という言葉がとても説得力をもって胸に迫ってくる。
「夕張」かぁ、やっぱりなぁ・・・。

ともあれ食べるものも食べそれ以上に呑めるものは呑んで、十分に義務を果たしたので、後はさっさと帰るだけ。
久し振りにJRの列車に乗ってごとごと揺られて帰ってきたのだった。
「夕張」を大事に抱えて。

駅からの帰り道は真っ暗。
それにとっても寒そうなのでここは健康のために素通りできないな。
自動販売機に挨拶しないとね。
というわけでこれまた久し振りに、自動販売機で日本酒を買って道々飲んだ。
生ぬるい醸造酒が胃にしみこむ。
星がとってもきれいだった・・・といいたいところだけど、雨模様のどんよりした空に星さえも出ていなかった。
でもどんよりした空にはよどんだ醸造酒がよく似合う。
急にすぐそばで鹿のなき声がした。
ここは夜は動物たちの世界。そっとしといてやろう。

家にたどり着き玄関を開けるとダルマストーブがとっても暖かく迎えてくれた。
ダルマストーブには「夕張」がよく似合う。
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いい男おるで。

2008年01月10日 07時54分22秒 | 山羊の話
突然見知らぬ客がブログを見てきてくれた。
自宅はここから車で1時間くらいのところ。
手作りのログハウスにご夫婦で住まわれているらしい。
そして嬉しいことに山羊を飼っているという。
それだけでとてもいい人のような気がしてくる。
しかも6頭も!
そのうちなんと4頭が雄山羊だとか・・・
しかも去勢していない!!
うんうん、これはぜったいいい人だよ。

どや、ユキ、ねね、いい男おるで。
選りどり見どりだよ。
すっかりホストクラブのポン引きになった気分。
相手はトカラ系らしい。
どうもユキもねねも弥生系のザーネンよりも縄文系のトカラのほうが好みのようだ。
どや、ユキ、ねね、いい男おるで。
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少々の問題

2008年01月08日 04時53分08秒 | 雑感
料理番組でよく少々という言葉を使う。
あれを聞くと少々疑問に思う。
少々ってどれくらいなのだろう?
小さじ一杯や小さじ半分くらいならちゃんと小さじであらわすだろうから、きっとそれよりも少ないのだろう。
でも少々・・・。
少々は少しよりも多いのだろうか、少ないのだろうか?

日本語では複数形はあまり使わないけど、たまに言葉を重ねることで複数形を現す。
山々、我々・・・。
山々は山がいくつもある、我は一人だけど、我々は何人もいる。
とすると「少々」はきっと「少し」よりも多いのだろう。

では「ちょっと」はどうだろう?
これは少しよりも多いのだろうか?
おばさんから「ねえ、ちょっと、あんた!」と、いってさんざん苦情を聞かされた人も多いだろう。そして、なんだ、ちょっとじゃなかったのか、とうんざりさせられる。
とするとちょっとは、ちょっとじゃないのだ。

では「ちょっとだけ」はどうだろう?
わざわざ「ちょっと」に「だけ」を入れて強調するところを見ると、「ちょっと」よりも少なそうだけど、そうだろうか?
会議の席などで「ちょっとだけ言わせてくれ!」といって、延々と発言する人がいる。とすると、どうも、「ちょっとだけ」は「ちょっと」よりはかなり長そうだ。

「ちょっとだけ」に「よ」がつくと、また違ってくる。
聞くところによるとストリップショーでは「ちょっとだけよ」といって濃厚なサービスをしてくれる(らしい)。
もちろん時間的には「ちょっとだけ」のほうが長そうだけど大切なのは中身だ。ここは時間よりも中身を重視にしたい。
もっとも、「ちょっとだけよ」といって、本当にちょっとだけしか見せてくれない悪徳ダンサーもいる(らしい)ので油断ならない。

というわけで、厳密な定義は無く、多少の例外はあるけど、これらの言葉を少ないあるいは短い順に並べると次のようになると思うのだけど、どうだろう?

少し ・・・ 少々 ・・・ ちょっと ・・・ちょっとだけ ・・・ ちょっとだけよ
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もうひとつの地球温暖化

2008年01月06日 18時53分06秒 | 雑感
地球温暖化についてマイナス面だけを強調されると、いつものくせで逆にプラス面を考えてしまう。

いったいシベリアと熱帯地方とどちらが豊かだろう?
答えは明らかだ。つまり温暖化するということは地球が豊かになるということでもある。確かに氷が解けると海水面が上昇し陸地は減るかもしれない。でも大気中の水分が増えて雨が多くなり砂漠が減るだろう。それに凍土が溶けて耕作面積も増えるだろう。
暖かくなると米も年二回はとれるようになる。野菜もハウス栽培など必要なくなるし、冬も収穫できる。
確かにクーラーの使用は増えるかもしれないけど、その分暖房の使用は減る。

・・・なんて考えると地球温暖化はマイナス面だけではない。
地球が温暖化したらそれにあった生活をしたら良いだけではないだろうか。
今の生活パターンを変えないことを前提に考えるからマイナス面しか見えなくなるのだ。
都会が海の中になるなら田舎で暮らせばいい。1反の田んぼと2反の畑で自給自足生活をすればいい。今よりずっと豊かな暮らしが出来るよ。
それとも都会にしがみついて首まで塩水に浸かって暮らす?
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