ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

出る杭大会

2009年04月30日 06時39分24秒 | 田舎暮らし
暖かくなったとはいえ、毎朝ストーブは欠かせない。
もう5月になるのにまだストーブ!
都会では考えられない生活。

昨日はちょっと「出る杭大会」というのに顔を出した。
これは西播磨の出る杭を育てようというイベントで、NPOやいろんながグループが参加している。
数年前一度、みぎた農園も参加してブースに展示したけど一回でやめてしまった。

昨日行ってみてあのころよりも随分参加者も入場者も少なくなってるようでがっかりした。この西播磨地区やたらとイベントがあるので、イベントどおしで足の引っ張り合いをしているような感じ、イベント疲れって所だろうか。
役人の仕事といえば、金を使うことと、天下り先を確保することの2つしかないのだからイベントが増えるのもわかるのだけどね。

アトラクションではよさこいソーランや太極拳などやっていた。グループでこのような踊りなどをすると上手な人や下手な人がはっきりわかる。グループの中でやると目立たないだろうと思うけど、実際は逆なんだね。上手な人と下手な人は良く目立つ。
「ひょこむ」という兵庫の地域SNSのグループも「ひょこむ踊り」というのを踊っていた。この踊りを見てたら「やっぱりやめよう・・・」とつくづく思った。
というのも「ひょこむ」にもはいっているのだ。
今ホームページだけでなく、ブログ3つ、SNS3つやっててかなり疲れ気味なのだ。更新も怠りがち・・・。
「ひょこむ踊り」なるものを見てたら、まずこれかなぁ・・・なんて。

とテンションの低いことばかり書いてるけど、イベントそのものは別に悪いことではない。
地域おこしのために必要なのは地道な村おこしの活動なのだけど、そのためにも時々はイベントをして人を集めなければ!・・・と思うのだけど、やっぱり難しいね。

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軍艦島

2009年04月28日 18時50分53秒 | 雑感
閉鎖されていた端島が一般公開されたらしい。
長崎で生まれ育ったのにまだ一度も行ったことがないが、
対岸の高島海水浴場から見える軍艦のような形の島がとても好きだった。
ここには炭鉱があった。
最盛期にはたくさんの人がここに住み世界一人口密度が高かった。
そして石炭を掘りつくして閉山になった。
以来無人島となって、島は廃墟となった。

廃墟は郷愁を誘う。
住民の生活の跡が胸を打つ。
日本のいたるところに廃村はあるけど
端島はそれが最も高度に凝縮された島。
来月長崎に用があって行くので、
端島に行ってこようかと思う。
予約でいっぱいらしいので切符が取れるかどうかわからないけど・・・。
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山羊には完敗

2009年04月27日 05時39分52秒 | 山羊の話
もう山羊には完敗。
タケノコの期間が終わるまで柵の外に繋ぐことにした。
タケノコが終わるのはいつも連休明け。

そのころには苺がぽつぽつ赤くなり、
桑やキイチゴの実も熟す。

芽を出しては掘られてすっかり疲れた竹は葉を黄色く色づかせて、落葉を始める。
そして柵に戻った山羊のそばにはきっと子山羊たちがぴょんぴょん跳ねてるだろう。

草木は勢いよく伸び、新緑が目に痛い、一年で最もみずみずしい季節がすぐにやってくる。

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初ヒル

2009年04月25日 17時46分37秒 | 田舎暮らし
終日雨がまじめに降り続いた。
少しは休んだら?
といいたいのだけど、まぁ、いつもサボってばかりいる雨にも少しはまじめに働いてもらわないとね。

おかげで裏の沢は水がいっぱいあふれている。
タケノコもシイタケもにょこにょこ・・・と言いたいけどこちらの方はいつもと変わりない。
雨後のタケノコというから、雨が上がってからたくさん生えてくるのだろうか?

これから出てくるのが田舎暮らしの厄介者、ヘビ・ムカデ・ヒル・・・。
今日初めてヒルに刺された。
幸いすぐに気づいたので血はほとんど吸われなかったけど・・・。
ムカデももう出てきたらしい。

これから虫たちとの闘いが始まる。
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山羊の出産

2009年04月24日 08時56分05秒 | 山羊の話
山羊はやっぱり子供を産みそうだ。
ユキもねねも。
乳も張ってきた。
予定は5月5日と8日。

相変わらずユキはねねをいじめ
ねねは逃げ回る。
でもどちらも動きが前ほどすばやくなく
座ってじっとしてることが多い。

子山羊は雌山羊だったら2頭は我が家で飼い、
雄やぎ1頭はもらい先が決まっている。
もう1頭もほぼ決まってる。
以前はもらい先を探すのに苦労したのだけど、
最近は山羊を飼いたい人が増えたのだろう。
山羊牧場では予約待ちでいっぱいらしい。
それもペットとして室内で飼う人が増えてきたようだ。
大量の食事と糞尿の始末はどうするのだろう?
もてあまして野良山羊になり、数が増えて鹿のように害獣にならなければいいのだけど。

ところで我が家の害獣はタケノコを食べまくっている。
ここだけは食べないでくれと!、杭で囲んでも
舌を伸ばして食べてしまう。
カメレオンのような奴だ。
それでせっかく柵のそばに生えてきたタケノコも
半分以上はたべられてしまった。
鹿以上に、猪以上に、タケノコ泥棒以上に始末に終えない。
もっともタケノコ畑の中で山羊を飼ってるほうが悪いのだけど。
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春の嵐

2009年04月22日 09時01分50秒 | 山羊の話
夜じゅう嵐のような強い風が吹いた。
そして山羊小屋が柵が次々に倒れていくさまを想像してなかなか眠れなかった。

朝起きると物干し台も倒れ、野菜を収穫する容器も散乱していた。
山羊小屋は?山羊柵は?
・・・無事だった!
これはもう奇跡といってよい。
この小屋や柵はきっと相当名のある匠の作にちがいない。
・・・とさえ思った。
一番弱い屋根の波板も無事だった。
山羊たちももちろん無事だった。
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安酒道

2009年04月18日 12時44分42秒 | 酒の話
酒は値段が高いほど旨い・・・とは限らない。
高くてもまずい酒もあるし、安くても旨い酒はある。
この安くて旨い酒を極めるのが安酒道というものだ。

酒はまず酔うためにある。
味わうのはその次のこと。
この本質を忘れてはいけない。

でもただ安ければいいというものではない。
安くてうまい酒を求め続ける。
これは難しい道かもしれない。
一般的には高い酒は旨いし安い酒はまずい。
それで安酒ほどはずれが多いのは当然のこと。
それにもめげず精進して安酒を求め続ける。
こうなるとまさに求道者というべきだろう。

先日たまたま純米酒(!)で2リットル(!!)で1000円未満(!!!)で売られている酒を見つけた。
もちろん買った。
そして呑んだ。
味は?
まずい水道水だった。
たとえどんな安酒であっても、作る人間にはそれなりのプライドを持つべきだ。
それはまったくプライドも何もない単なる安酒だった。
こんな酒を作って恥ずかしくないのだろうか?
これだったら500円でも高いと思う。

・・・このように安酒道を極めるのはなかなか報われない厳しい道のりだ。
でもたまに安くてうまい酒に巡り会えると至上の喜び。
得した!、と思う。

これからも精進して安酒道を極めるつもりだ。
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タラの木

2009年04月17日 06時17分37秒 | 田舎暮らし
今、山菜真っ盛り。
我が家の今どきの山菜というと、タラ、ウド、フキ、そいしてタケノコ。
というわけで昨日タラの芽を取った後の木を切った。
節ごとに小さく切って水につけておく。
すると不思議なことにそれぞれに芽が出てくる。

これはタラの木にとってはまったく迷惑な話で
せっかく出した芽を切り取られた挙句、
木までもばらばらに切られてしまう。
棘で抵抗をしようとするけど無駄なこと。
こうして切り刻まれて水責めに会う。
やがて芽が出てくる。
その芽をとって天婦羅にして食べる。
普通だと一本の木にひとつの芽しか出てこないけど、こうするとたくさん芽を食べることが出来る。
水につけてた木を土にさすと根付くかなぁ・・・と思ってさしてみたけどこれはだめだった。

木を切るのは他にも意味がある。
タラの木の成長は早くてほっといたらどんどん高くなり手に負えなくなる。
それで毎年切ってあまり高くならないようにする。
それだけではない。
木を切ると回りに、あっちにもこっちにも新しい芽が出てくるのでタラの木を増やすことが出来る。
こうやって最初5本植えたのに今では100本に増えて、家族からすっかり迷惑がられている。
もう増やさないでよ!
どこかに移植して!
タラの木はすっかり邪魔者にしまった。
確かに今の新芽の時期以外はまったく何の役にも立たない。
それでそのうちどこか目立たないところに移そうと思っている。
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雨後のタケノコ

2009年04月14日 12時26分46秒 | 田舎暮らし
久し振りに本格的に雨が降った。
からからだった山も野原も畑も・・・これで一息。
タケノコもうじゃうじゃ・・・とまでは行かないけどあちこちで芽を出した。
これでやっと本格的にタケノコ堀の季節が始まる、
そしてタケノコ泥棒の季節が・・・?
タケノコの天敵は猪、鹿、そしてタケノコ泥棒。
鹿、猪は柵の中には遠慮して入ってこない。
でもタケノコ泥棒はかまわず入ってくる。
しかし今年はそんなわけには行かない。
柵の中には山羊がいるからね。
それも恐ろしいユキが!

これでタケノコは安泰・・・というわけではない。
今度はさらに強敵の山羊が相手。
山羊は鹿と同じくタケノコは掘らないけど出てきた芽を齧る。
というわけで山羊を小屋から出す前にタケノコをさがして掘らないといけない。
といってもべつにタケノコがそれほど好きなわけでもなく、
たべられたってどうってことないのだけど、
ただ柵のところに生えてくるタケノコはそのまま生やして柵に利用したいだけなのだ。
そのためには鹿や山羊や猪やタケノコ泥棒よりも先に気づいて食べられないように周りを木や竹で覆う。
これがなかなか面倒で、はやくタケノコの季節がおわらないかなぁ、と思う。
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嫌いなもの

2009年04月13日 04時10分36秒 | 雑感
好き嫌いはいけませんよ。何でも食べなさい。

~もし自然の中で何でも食べたらどうなるだろう?
トリカブトやドクウツギを食べてたちまち死んでしまうだろう。
何でも食べるということは人に自分の命を預けることでもある。
どうしてそんな無謀なことをするのだろう。
どうして自分の命を自分で守ろうとしないのだろう。
食べれるかどうかを自分で判断しないために、賞味期限切れという理由だけでまだ食べれるのに捨てたりする。
まったく無断なことじゃないか。
人を信じるのでなくまず自分を、自分の目を鼻を舌を信じよう。

というわけで好き嫌いはあるのが自然なのだ。
あの旺盛な食欲の山羊だって鹿だって好き嫌いはある。
・・・なんてながい前書き、あるいは言い訳の後、嫌いなものは・・・。

ひじき、おから、キンピラ、高野豆腐、野菜の煮物。
でも年とともに次第に食べれるようになってきた。

・ひじきは海藻の中では最低の部類に属する。いかにも見るからに卑しい。よほど空腹で他に何もないときしか食べる気にはなれない。

・おからは動物の餌。なんの因果で人間が豆腐の搾りかすを食べないといけないのだろう。でもたまに我が家で作る豆腐の搾りかすは意外とうまい。きっと手作りなので充分に絞れていないのでうまみがいっぱい残っているのだろう。

・キンピラはいかにも貧しい。そもそも材料のごぼう自体がいけない。あの土臭い色からしていけない。木の根っこのような味もいけない。あれは昔の野菜が何もないころの日本の貧しさの象徴みたいなもの。キンピラをちょっと齧るたびに思う。昔の日本の食生活を。貧しい貧しい食生活を。

・高野豆腐はあの海綿のような食感がいけない。でも最近食べてみたら、食べられないこともないと言うことに気づいた。非常食として餓死寸前に食べるものとしてはいいかも知れない。

・葉物野菜の煮物は今でもいけない。サラダは好きだけど、どうしてわざわざ手間隙かけてまずくして食べるのか理解できない。しかし家内に強制されて無理やり食べさせられる。それでしかたなくちょっとだけ口に入れて、ごくっと飲み込む。
葉物野菜の煮物は忍耐を養う薬みたいなもの。食べさせられるたびに、この言葉が強制的に迫ってくる。

好き嫌いはいけません。何でも食べなさい!
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田舎暮らし

2009年04月12日 12時12分04秒 | 田舎暮らし
今日で田舎暮らし8年目を向かえた。
ここで人間3人、鶏15羽、山羊2頭・・・それから招かれざる客、鹿と猪といっしょに暮らしている。

ここに来て知り合いも随分増えたし、畑も2倍なった。
サラリーマンは月で暮らし、農家は年で暮らす。
年毎に忙しくなってきたとはいえ、1年の緩やかな時間が心を落ち着かせてくれる。

毎年毎年同じように花が咲き同じように鳥が鳴く。
このまんねりな自然の繰り返しにどっぷり浸って暮らしている。

今日で田舎暮らし8年目を向かえた。
8年後にはどこにいて何をしているのだろう?
そのときにはもう今の鶏も山羊もいないだろう。
でも子や孫の山羊や鶏たちといっしょに、
きっとあいかわらずこのまんねりな自然にどっぷりとつかって
まんねりに暮らしているのだろうな。
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引越し

2009年04月11日 03時13分22秒 | 山羊の話
山羊の引越し。
ついにやぎを新しい小屋にいれた。
どうだ、新しい家、新しい部屋。
ふんわりしたあったかい落ち葉いっぱいの床。
今日からここが君たちの家なんだよ。

でもユキもネネも不安そうに、
「め~~」
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鬼ごっこ

2009年04月10日 09時03分01秒 | 山羊の話
おおかみおとこは満月の夜凶暴になり、
ユキは空腹になると凶暴になる。
そして夕方決まってねねをいじめだす。
ねねも恐れてユキには5メートル以内には近づかない。
ユキが追いかけてくると、必死に逃げ回る。
まっすぐ逃げると追いつかれるので
小屋をぐるぐる回って逃げる。
ユキも考えて時々止まって待ち伏せしたり、逆に回ったりする。
ねねはそうっ~と角から顔を出してユキがいないか確かめてから回る。
でも時々は鉢合わせ。
「め~~~!!」
あわてて逃げ出す。
傍目には鬼ごっこをしているようでも、ねねにとっては恐怖の時間。
見るに見かねて竹の棒をふって
「こら~っ!」
ユキは逃げ出して遠くからこちらの顔色を伺う。
ねねはぴったりくっついてきて離れない。

これは毎度の夕方の我が家の山羊牧場の光景。
これがいつまで続くのだろう・・・?
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山羊柵

2009年04月09日 02時36分12秒 | 山羊の話
ついに覚悟を決めて山羊を柵に入れた。
入れてみると意外なことにのどかに時は過ぎていった。
ユキは頭突きをする事もなく・・・
退屈するとユキはねねをいじめようとするけど、
ねねはユキに5メートル以内に近づくこともなく・・・
追いかけられると小屋の周りをぐるぐる逃げ回り、
傍目には鬼ごっこをしてるようにしか見えないし・・・。

ところでユキのこと、
もしかしたらユキも妊娠してるかもしれない。
常識的に見れば種付けに行って依頼、発情が止まっているので妊娠してるのだけど、
あの性格の悪さから母親になるということが想像できなかったのだ。
もちろん性格と妊娠とは何の関係もないのだけど・・・。
それにねねを産み育てたのだから母親になれないこともないのだけど・・・。
でもねねをいじめる今の姿からはとうてい想像できない。
ともあれ予定日はそれぞれ5月5日と8日。
計4頭の子山羊が生まれることになるだろう。
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時の流れ

2009年04月07日 09時19分30秒 | 雑感
時間はどうして一方向にしか動かないのだろうか?
未来だけではなく過去に向かう時間があってもいいのではないだろうか?
ボルツマンという人はこの一方向にしか動かない「時間の矢」をエントロピーという理論で説明した。
コーヒーにミルクを入れると最初は表面に浮かんだミルクが時間とともに次第に混ざっていく。
これは秩序から無秩序に移っていくこと、時間とはこのようなもので、混ざったミルクコーヒーは二度とコーヒーとミルクに自然に別れることはない。
これを「エントロピーは低い状態から高い状態に移っていき、逆はない」と表現した。
これが時間の流れであり、時間の不加逆性であると。

掃除を例にとると、きれいに掃除した部屋も時間とともに散らかっていく。
これをまたきれいにするには余分なエネルギーが必要になってくる。
つまり掃除するのは自然の流れに逆らうことでもあるのだ。
しかし家内はここら辺がどうもよくわかっていないようだ。
「ちゃんと片付けてよ!」
「また散らかしてる!」
といつも言われる。
もっと自然の法則を理解して欲しいと思う。
もっと自然に謙虚な気持ちになってほしいと思う。
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