ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

猿、現る

2018年11月30日 17時30分50秒 | 田舎暮らし
猿の目撃情報、近所のうわさでは聞いてたけど、
まさか我が家に出現するとは!
しかも倉庫の屋根の上!
「あっ、猿!」という叫び声に外に出てみたら、いない、どこにもいない。
すると猿は竹林の方に歩いていた。
大きな猿だった。

ここには鹿や猪は普通にいるけど猿は珍しい、熊も珍しい。
何年か前・・・確か8年ほど前、竹林で猿を見かけた。
猿は鹿や猪以上に厄介で電気柵では防止できない。
でも幸いすぐにいなくなった。

そうそう、わかったんだよね。
ここにきても、な~んにもない、ということに。
ここは、貧しい貧しい、農家なんだからね、
まんが昔話に出てくる小作人のような暮らしをしているのだからね。
楽しみと言えば毎晩ビールや焼酎を・・・がぼがぼ・・・じゃない!
ちびりちびり・・・
せこく、貧しく、みみっちく
焼酎だったら3日で1本、ウィスキーだったら2日で1本あけるのが唯一の楽しみ、
こんなに、みみっちく呑みながら、暮らしているんだからね。
それでここには来ないでね!
そしてもっともっと豊かな、金持ちの農家の所に行ってね。

この願いの功があったのか、その後猿は現れなかった。
ところが今日、猿が!
それも倉庫の上に!!

すぐに思ったことは写真に撮ろう!
ところがこちらは、とっくに時代遅れ人間。
時代に取り残されてる人間なので携帯はもちろんスマホも持ったことはない。
持ってるのは1眼レフのカメラだけ。
あわててカメラを取りに戻って、望遠レンズに代えて、戻ったら・・・
うむ?猿は?
気づいたら、ちょっと離れた竹林のそばにいた。
慌ててシャッターを何枚か切ったけど、
再現してみたら焦点が的外れ。

・・・というわけで写真は1枚もない。
でもまたきっと来るだろう。
おそらく柿を食べに来たのだろう。
まだまだ柿はいっぱいある。
きっと来るだろう。
その時に備えて、「ゴキブリほいほい」でなく「猿ほいほい」でも仕掛けられないものか?

8年前の最初の目撃情報の記事、リンクしておきます。
よかったら見てください。

8年ほど前の猿の記事
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ルバイヤート(3)

2018年11月29日 18時14分02秒 | 本の中から
ルバイヤートをさらに意訳してみた。
黒柳恒男訳の原詩を。
(最初のは意訳、次は原詩)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
酒を呑め
心の悲しみを打ち払え
素面が何の役に立つ
行く末案じて何になる

 酒飲めば、おのれを忘れさせ、
 心の敵も打ち取れよう。
 素面が何の役に立つ。
 行く末案じて悩むだけ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いったいこの世に何をしに来たのか
去っても誰も気づくまい
いったいこの世で何の役に立ったのか
去っても誰も悲しむまい

 わしが来てこの世にどんな益もなかった
 去ったとて、その栄光ますことはない。
 わが耳はだれからも聞いたことがない、
 わしが来て去るのはなんのため。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一滴の水が海に消え
一握の埃が土に消える
この世に何をしに来たのか
蠅が生まれて消えただけ

 一滴の水、大洋に注ぎ、
 一粒の土、大地に合す。
 お前がこの地に来て去るとてなんだ、
 一匹の蠅が現れて、消えるだけ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 (まだ続く)
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初卵

2018年11月29日 16時34分41秒 | 鶏の話
昨日と一昨日、鶏が初卵を産んだ。
ヒヨコが大きくなって半年以上過ぎたころ初めて生む卵。
それはとっても小さくて、チャボの卵ほど。
おまけに中は白身だけ、黄身がない。
こんな卵、市場価値がないため出回ることはない。
それで養鶏家以外で食べたことのある人はまずいないだろう。
でも初卵、とってもうれしい。
きっと苦労して、苦しんで産んだのだろう。
それでとっても貴重に思えるし、
卵を産んでくれる鶏が2羽増えたことがとっても嬉しい!
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ハリー・ポッター

2018年11月29日 09時34分08秒 | 本の中から
「ハリー・ポッター」を読んでいる。
ハリー・ポッターは10数年前だったか、「賢者の石」を映画で見ただけ。
面白かったけど、その後、本はもちろん、映画も見ていない。
それで本を読んでみようか、とは思ってても、なんか借りるのも照れ臭い。
いつも図書館の本箱の「ハリー・ポッター」をちらっと横目に通り過ぎる。
でもふと借りてみようかという気になった。
そしてとりあえず、最初の3冊をを、他に借りた2冊の下にそっと忍ばせて、さりげなくカウンターにだすと、
「ハリー・ポッター!」と係の人が声をだす。
(何も声に出すこともないのに・・・)
隣の係の人も「たまには息抜きにいいですね」
なんていう。
いつも実用書以外は地味な、人があまり借りない本ばかり借りてるので、意外だったのかもしれない。
こっそり借りようと思ってたのにな・・・

そして「ハリー・ポッター・賢者の石」を読み終え、今「秘密の部屋」を読んでる。
「賢者の石」は映画を見ただけに映画のシーンが思い出されそれはそれで楽しい。
「秘密の部屋」も面白い。

「ハリー・ポッター」シリーズは静山社というあまり聞いたことのない出版社からでている。
ところが、読んだ「賢者の石」(2001年8月刷、初版第1刷から1年半くらいで)はなんと245刷!
245刷!なんて聞いたことない。
この出版社物凄く儲かったのだろうなぁ~~
まして社長が翻訳者なのだから・・・

まあそんな余計な勘繰りは置いといて、まだまだ続編があるのでしばらく楽しめそうだ。
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陶芸

2018年11月28日 16時14分59秒 | 陶芸


久しぶりに陶芸作品。
瑠璃釉は苦手だったけど、
これはきれいな瑠璃色が出た。
これだったら瑠璃はもっと使えるな。



あとはまたも植木鉢。



2月の公民館祭りで販売しようかなと思っているので、
しこしこ作っている。
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ルバイヤート(2)

2018年11月27日 17時39分01秒 | 本の中から
芭蕉の句の英訳をさらに日本語訳した詩を読んだことがある。
それは芭蕉の句とはまったく違う別の詩だった。
日本語訳のルバイヤートもきっとそうなのだろう。
外国の詩にはやっぱり言葉の壁を感じる。
せめてペルシャ語での朗読を聞きながら訳詩を読んだら、少しは原詩の雰囲気を感じることができるかもしれないけど、
そんなCD持ってない。
それでやっぱり想像の世界を広げるほかない。
そして日本の詩を勝手に変えるのは許されないだろうけど、
翻訳された詩を自分なりに、自分の言葉に置き換えて、原詩を想像するのはきっと許されるだろう。
それで黒柳恒男訳の詩をさらに自分なりにいくつか意訳してみた。
(最初のは意訳、次のは黒柳恒男訳の源詩)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
楽しもう青春の喜びを
つかの間の喜びを
若草に降りる露のよう
すぐにはかなく消えていく

 さあ、世の楽しみをすべて味わおう、
 歓喜(よろこび)の園は青春に飾られているが、
 若草におりる夜霧に似て、
 はかなく明け方消えてゆく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
60過ぎたらあとはおまけ
おまけの人生、楽しく過ごそう
どこに行くにも酔わずに行くな
肩には瓢箪、手には杯

 人生を六十以上と思うなよ、
 どこへ行くにも酔わずに行くな。
 頭(こうべ)で酒杯が作られぬうちは、
 放すなよ、肩より酒壺、手より酒杯。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
去るのは少しも怖くない
きっとあの世は楽しかろう
どうせ借りもののこの命
いつでもさっさと返してやる

 わたしは去るのが怖くない。
 あの世はこの世より楽しかろう。
 わが命は神からの借りものだ、
 返すときがきたら、いさぎよく返そう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
役人よわれらは酔ってはいても正気だぞ。
われらが吸うのは葡萄の血
お前らが吸うのは人民の血
いったいどっちが吸血鬼か
 
 おお、法官よ、われらはお前たちより忙しい、
 酔ってはいても、おまえより正気だぞ。
 われらは葡萄の血、お前は人の血を吸う、
 いずれが吸血鬼か裁いてくれ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(まだまだ、続く)
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ルバイヤート

2018年11月26日 18時05分15秒 | 本の中から
ルバイヤートを読んだ。
古代ペルシャの詩人オマルハイヤームのルバイヤートを。
黒柳恒男訳のルバイヤートで。

ルバイヤートは愛読書だった。
昔々何度も何度も読んだ。
岩波文庫版、小川亮作訳のルバイヤートを。

そのうちのいくつかを歌にもした。
シューベルト真っ青の歌に。
でも作曲の才能はあるものの残念ながら楽譜に移す技術がない。
というわけで今でもこれらの(世紀の!)名曲はただこの頭の中にあるだけ・・・
(紹介できないのが残念です!)

まあそんなことはさておいて、ルバイヤートの話。
このまえ久々に読んだ。
黒柳恒男訳のルバイヤートを。
小川亮作訳とはずいぶん違う。
多分黒柳恒男訳の方が原作に忠実なのだろう。
小川亮作訳は珍しく韻を踏んでいて、読んでとっても心地よい。
黒柳恒男訳ではそんな心地よさはあまり感じられなかった。

 川の岸辺に生え出でたあの草の葉は
 美女の唇から芽を吹いた溜め息か。
 一茎の草でも蔑んで踏んではならぬ、
 そのかみの乙女の身から咲いた花。

これが黒柳恒男訳では次のようになっている。

 小川のほとりに生えた若草
 天女の唇から生えたよう。
 心なくその若草を踏みつけるな、
 それこそ美女の土から生えた若草。

この二つの訳詩を比べると、小川亮作訳の方がとっても心地よい。
原詩に忠実かどうか、そんなことはどうでもいい。
ただ原詩の心を伝えているかどうかが大切なのだ。
もう一詩をあげよう

 若き日の絵巻は早も閉じてしまった。
 命の春はいつのまにか暮れてしまった。
 青春いう命の季節は、いつ来て
 いつ去るともなしに、過ぎてしまった。

黒柳恒男訳では

 ああ、青春の書(ふみ)は閉じた、
 人生の愉しい春も過ぎてしまった。
 青春という歓びの鳥よ、
 ああ、いつ来て、いつ飛び去たったのか。

きっと黒柳恒男訳詩が原詩に忠実なのだろう。
でもそれがいい訳とは言えない。
いかに原詩の心を伝えるか・・・それを伝えることができたのがきっと名訳なのだろう。

昔は訳詩というと、きまって七五調だった。
あのハイネの名詩を七五調で読まされて、まったくうんざりさせられた!
少しもハイネの心が伝わってこないのだ。
でもハイネの詩はシューベルトやとりわえシューマンを通して、あの詩のすばらしさを感じることはできる。
でも万国共通語の歌を通して聞くことができなかったら、どうして他国の言語の詩を理解できるだろうか?

黒柳恒男訳詩を自分なりに意訳してみた。

(続く)
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ヤギオフ会(5)

2018年11月25日 17時31分46秒 | 山羊の話


さて次は本番の呑み会!
場所は大山ペンション村。
実は第1回の山羊の会もこのペンション村で開かれたのだった。
ちょうど10年前に。
たしかカルロスランチというペンションで。

もう10年たつのかぁ~~~
でも本当はもっと経ってるという気がしてたのだけど・・・
まだ10年かぁ~~~

近畿中国ブロック山羊サミット(1)
今読み返すと懐かしい。

今回は同じペンション村。
展望台駐車場に車を泊めて、ペンションまで歩いて行った。

大山のペンション村はとっても魅力的だ。
予算に応じて選択肢が広い。
今回は、安い!とっても安い!
夕食は無し!
晩はオーナーは自宅に帰る。
朝食はパンとか牛乳とかヨーグルトとかコーヒーとか卵とか用意されているので、自分たちで作る。
最初は戸惑ったけど、これ合宿などや社員研修などにもいい。
3000円ちょっとで、とっても気楽に泊まれる。
というわけで夜が更けるまで、大いに呑み、大いに語ったのだった。

さて翌日はというと・・・
いつものことながらこんな会の時は決まって朝一人で早起きして散歩する。





昨日見えなかった大山くっきり.
車を止めてある展望台駐車場まで歩いて行ったけど、なんか変・・・
なんか見覚えがあるような・・・
昔来たような・・・
そこでやっと気づいた。
最初の山羊の会の時、早朝ここを散歩したことに。
そうか、そうだったんだ・・・と、一人で納得したのだった。

そして朝食を終え、車で次の目的地に行く途中、
あれ?ここ前行ったことがあるような・・・
確か前回・・・だったかな?・・・そこを通り過ぎた。
そうそうきっとそう!たらふく呑んだなぁ~!!滅茶苦茶呑んだなぁ~
山中鹿之助が便所から糞まみれになって逃げだした城跡に作られた飲み屋・・・じゃない!ホテル。
懐かしさに浸る間もなく通り過ぎたのだった。

ともあれ、次の目的地にたどり着けなくて行方不明になった迷惑な人間が一人いたようだけど、
まあそんな人間はパス!
そして全工程を終えて無事にここ兵庫のはずれにたどり着いたのだった。

今度の会、今度の山羊の旅、
もしかしたらこれが最後かもしれないなぁ~~~
だんだんしんどくなってきた。

大山のペンション村で始まり、
大山のペンション村で終わる。
それでいいんじゃない?

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ヤギオフ会(4)

2018年11月24日 18時27分52秒 | 山羊の話


さてカレーの後に、自己紹介とかとっても有益な真面目な山羊の話などの講演のあと、同じ集落にある山羊牧場に行った。
「やぎのいえ」ここには10頭くらいだったかな~ヤギがいた。
あいにくの雨のため山羊は雨宿り。
ちょっぴり距離を置いてのヤギとの体面だった。
なんせ山羊は雨が大嫌い!
雨が降ってきそうになるとすぐに小屋に引きこもる。
でもここには個性あふれる山羊たちがいてみてるだけで楽しかった。

古い民家の中にとっても立派なミルク加工施設があった。
ずいぶん金がかかったんだろうね。
でも今年は乳脂肪分が2.5%に達しなくて売れなかったらしい。
う~~~~ん、これ何とかならないのかね。
健康食品として売るとか・・・
脂肪分控えめのヤギミルク・・・とか
牛乳だって売っているよね、低脂肪の加工乳として。
そんな販売できないのかな?

しかしやっぱり思う。
ヤギを飼うって職業として果たしてなりたつのか?
昔の田舎ではどこも山羊を飼っていた。
ところそれが牛に移り、農耕牛と肉牛・乳牛に2分化し、
トラクターの出現とともに、農耕牛もすたれ、
今では大規模化した肉牛・乳牛が残るばかり。

もちろん希少価値としての商売としての山羊は残るものの・・・
山羊ミルクや山羊チーズや山羊石鹸や・・・そんな仕事は細々と残るものの・・・
ほとんどのヤギ飼いは仕事としては消えていくだろう。

そしてペット山羊だけは生き残る。
今でもきっとそうだろうけど、山羊牧場の最大の収益は子ヤギの販売。
きっとそれしか生き残る道はないだろう。

田舎暮らしを始めて1年目に山羊を2頭飼った。
山羊に草刈りをしてもらったり、糞を堆肥にしたりして、とっても役だった。
その上、山羊ミルクを絞り、飲み、バターにし、チーズにし、石鹸にし、
ヤギライフをとっても楽しんだ。
でもそのうちすっかり面倒になって、山羊はペットになった。
でもそれでも山羊の存在価値はある。
山羊は人を呼ぶ。
それだけで充分に山羊は自分の仕事を果たしている。
そうきっと山羊は家畜ではなくペット。
人を集めるだけでいいじゃない?
それだけで充分に山羊たちは自分の仕事をしているんだよ。


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大阪万博

2018年11月24日 18時15分17秒 | ニュースの中から
大阪万博が決まったらしい。
よかったね。
昔々を思いだす。
東京オリンピック、そして次に大阪万博。
まさに日出ずる国・日本!って感じだった。
高度成長、物価上昇に悩まれつつも、みんなやけにあわただしくあくせく動き回っていた。
でもこちらはバブルになんの恩恵もあずかることなく、
たあみんなの後をのこのこのこの、勘弁してよ!なんていいながら、何とかついて行った人間だけど・・・
それでも未来に希望を持てた時代だった。

それから何10年たったかなぁ~~~
再び、今度の東京オリンピック、そしてまた大阪万博。
日はまた昇る・・・
それはいいけど、今度はゆっくりゆっくり登ろうね。
バブルのころはみんな卑しかったよ。
過去の経験を振り返りながら、
ゆっくりゆっくり登ろうね。
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「シャクンタラ」

2018年11月23日 18時36分37秒 | 本の中から
歴史も文学も音楽もあまりに欧米中心じゃない?
世界はもっともっと広いのだよ。
それなのにみんな西洋人の目で、狭いで目で、世界を歴史を見ていない?
と、今、たまたま筑摩世界文学大系「インド・アラビア・ペルシャ集」を読んでてつくづく思った。

カーリダーサの「シャクンタラ」を読んだ。
とってもしっかりした戯曲で現在でも十分通用する。
事実今もよく上演されているらしい。
カーリダーサは4世紀から5世紀にかけて生きた人。
そのころこんな立派な戯曲を書いた。
これって時代を超越した天才だと思う。

そんな天才めったに現れない、でもたまに現れる。
音楽ではバッハやモーツアルトやベートーベンはもちろんのことそれよりも古いモンテベルディ。
モンテベルディのオペラは今でも上演されている。
ヘンデルのオペラがまず上演されることはないのとは大違い。
カーリダーサの劇が今でも演じられる。
カーリダーサは時代を超えた超天才だと思うのだよ。

さらにペルシャの「王書」の著者フェルドゥスイー。
今回は残念ながら部分訳でしか読めなかったけど、
これはホメロスの「イーリアス」に匹敵する作品、叙事詩。
しかも「イーリアス」よりもはるかに壮大だ。
フェルドゥスイーは紀元1000前後に生きた人。
きっとイーリアスも意識してたのだろうね。
そしてイーリアスよりもはるかに長い壮大な叙事詩を作った。
読んでてもイーリアスと同じくらい面白い。
近いうちに全編を読もうと思っている。

それからペルシャのオマルハイヤームの「ルバイヤート」
これは愛読者だったので昔何度も何度も読んだ。
「ルバイヤート」話は尽きないので次回に回そう。
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木枯らし

2018年11月23日 17時57分24秒 | 田舎暮らし
今日もとっても寒かった。
昨日はもっと寒かった。
おまけに風も強かった。

昨日は木枯らし1号だとか。
庭にはいっぱい杉の枯れ葉が散乱していた。

杉の枯れ葉、とっても重宝している。
七輪や薪ストーブの焚き付けに使う。
普通のうちだったら多分紙を使うだろうね。
でもね紙って、雑誌、チラシ、特に新聞紙は気になってならない。
黒インキのだけのころの新聞紙はきっと安全だったのだろう。
でもカラーインクは?どうなんだろうね?
なんか有害なような気がする。
とりわけ朝日・毎日の新聞紙は、さらに有害な気がする。
もちろん単にそんな気がしてるだけなのだけど・・・

そのてん杉の枯れ葉は安心できる。
この灰を畑に投入するのだからね。

そうそうここら辺をとってもこだわっているのだよ。
朝日・毎日の灰で畑を汚染されてたまるか!
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ヤギオフ会(3)

2018年11月22日 16時54分05秒 | 山羊の話


さて分校に入る。
この分校は今は学校としては使われてない。
でもイベントに時々使われているらしい。
古い校舎はお宝の山。
いくらでも使い道はある。
ところがどこも廃屋になっている。
ここの隣の町にも木造の廃校があるけどもはや廃屋。
別の隣の町にも木造の廃校があるけどここも廃屋。
どうしてもっと有効利用しないのか。
学校には運動場がある。
それは駐車場として使える。
教室は机も椅子もあるのでそのいままでイベント会場や会議室に使える。
講堂ではミニコンサートができる。
大きな学校だと維持が大変だろうけど、
小さな学校やとりわけ分校はまさにお宝。
ちょっと改造したら宿泊施設にもなる。
教室は店にもなる工房にもなる、パン屋さんにも喫茶店にもなる。
この会のスタッフの人たちはなぜかとってもこんな廃校を見つけるのが得意。
岡山の柵原(やなはら)・・・だったかな?
そこでは学校を宿泊施設にしててそこで、確か第3回の山羊の会をした。
とってもいい感じだったので今でも鮮明に覚えている。
あの頃がこの会、一番盛り上がっていたなぁ~
全国ヤギサミットを意識して、中身も充実!
全国ヤギサミットよりも良かった!といううれしいコメントも頂いた。
それにずいぶん遠い所からも人が集まったよ。
福島、栃木、千葉、愛知、大分・・・
それもそれも、今は昔・・・

それからそれから、次は前回だったかな?
同じ大山周辺での会。
廃校の後に手作りの店や工房などが作られててとってもいい感じだった。
あの会も良かったね。

こんな古い校舎を会場にするのでなく、普通の鉄筋の施設、なんかとっても味気ない。



なんてことは置いといて、廊下。
ここは教室は1つしかないのかな?
一つの教室で1年から6年まで学んでいたのかな?
うんうん、そうそう、それそれ。
塾の雰囲気でとってもいいね。
廊下も掲示板もいいね。



さて教室の中。
まずとってもせまく感じた。
でももしかしたら昔学んだ教室と同じ大きさだったのかもしれない。
なんせ子供の目、もっと大きく感じたのかもしれない。

ここでまずは昼食。
カレーとサラダ。
昔の給食を思い出す。
カレーもとっても懐かしい味。
米は地元の米。
日頃は一杯しか食べないのに、なんとお代わりしてしまった!
廃校でカレーを食べられるなんて、とっても幸せろ思わない?

さてあとはペンションに行って呑んで寝るだけ・・・
と、普通の人だったら絶対思うよね。
ところがこの山羊の会、これからが本番。
でもまあ本番は置いといて、
(とっても充実してた本番の話は・・・面倒臭いのでパス!
本番の話を聞きたかったら、次回参加して下さい!)



さてところで山羊グッズの販売。
今までこんなことあったかなあ~
きっとあったんだろうなぁ~
たしか1回だけ参加した栃木の、全国ヤギサミットでも有名なあの栃木のHさん。
あの人に無理やり(?)山羊カレンダーを売りつけられたような気が・・・
東のH西のI!
そうそうH・Iは永遠に不滅です!!



いえいえ、そんなことではなく、
山羊グッズ、ほぼすべて売られたようでよかったね。
こんなことなら自作の山羊の皿を売ったらよかったのにね~
山羊の絵をつけた皿。
一皿300円で売ったら、20皿で6000円。
安い焼酎だったら5本は呑める。
う~~~ん、もっと早く知ってたら!
でも正直、一皿も売れなくて、惨めにとぼとぼ帰る・・・なんてこといになっただろう。







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ヤギオフ会(2)

2018年11月22日 05時45分32秒 | 山羊の話


伯耆町添谷という集落。
里山の常、廃屋が目立つけど、意外と大きな集落で30軒ほどあるという。
いい感じの里山だった。
もっと写真を撮りたかったけど、あいにくの雨。
(この会は雨女がいるので、よく雨になる。
そうそうあんたのことだよ、わかっているんだからね。)



いったいここでどうやって暮らしているのだろう?
大山の観光客が来るとは思えない。
集落の中からは大きな畑も田んぼも見えなかった。
でも調べて見たらやっぱり米作りらしい。
そしてたまにイベントで人が集まる。
ごく普通の里山の光景がここにはありそこが魅力的だ。



校庭にはいかにもとってつけたようにイチョウの木。
イチョウの実が散乱して独特の臭いを放っていた。
どうしてみんな拾わないのだろう?
それにそもそもイチョウって何を考えているのだろう?
普通の木だったら甘い実をつけて鳥に運んでもらってより遠い所で繁殖し仲間を増やしていこうと考える。
だってこんなに木の下に実が落ちたら、そしてそれが育ったら、お互いに土の栄養分や日光を奪い合って同士討ちになる。
それで普通の木なら種を拡散しようと考える。
でもイチョウはそんな気はさらさらないらしい。
イチョウの身になって考えたら・・・結局甘い実を作るのが面倒くさかっただけ、努力しなかっただけなのではないか。
でもまあ普通に考えたら、イチョウは古い古い種でまだ甘い実を作るようには進化していなかった、ということなのだろうけど・・・
でもそれでも不思議。
こんなにたくさん実を落しているのに、イチョウはいつも孤独。
いつも一人でたたずんでいる。
イチョウの自然の群生なんて、イチョウの森なんて見たことない。
としたらこの種、ほとんど芽生えることはないのだろう。
ただ臭いにおいをまき散らしただけの生涯。
なんとむなしい生き方だろう。

・・・なんてしょうもないこと、どうでもいいことを考えた。



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ヤギオフ会(1)

2018年11月21日 18時34分26秒 | 山羊の話




伯耆町立日光小学校添谷分校!
この響きとってもいいと思わない?
分校!それも木造!!

今回の山羊オフ会(近畿中国山羊と暮らす会)のオフ会はここで始まった。
集合場所は米子道の溝口インターを降りてすぐのとってもわかりやすい所。
ところがそれでも間違える人間がいるのだよね。
こちらは間違えることもなく、すんなり着いたよ。
間違えた人間に(内心)とっても優越。
なんせ前回までは間違えて馬鹿にされる立場の人間だったのだから。
そしてしばらく待って、時間までぎりぎり待って、
あとは知らなぁ~い、自己責任!
でもスタッフの人たちは間に合わなかった人たちにもちゃんと連絡を取ってたらしく。
いざ、出発!

これで安心だね、先導車の後をついていったらいい。
ところが、ところが、その先導者が問題。
かって同じところで山羊の会ではなかったけど、同じようなおかしなメンバーが集まって、
滅茶苦茶こだわりのある、確か「唐変木」という蕎麦屋のツアーに参加したことがあったけど、
その時のリーダー、Iさん、そうそうあんたのことだよ!
下道をなんと80キロで飛ばす!
普通、先導者はバックミラーを見ながらゆっくりゆっくり走るものだよ。
ところがこの先導者は後に続く車のことをまるで考えていない!
誰とは言はないよ、Iさんとは言わないよ。

そんな恐怖の体験をしたので、今回もかなりビビっていた。
でも今回は別のスタッフ。
運転だけは安心できる。
(他は変だけど・・)
やっぱりIさん、そうそうあんたは最後がいいよ。

というわけで今回はすんなり目的地にたどりついたのだった。
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