ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

紅白

2017年12月31日 22時25分06秒 | テレビの中から
年末というと紅白歌合戦。
もうずっと一応見ることは見るけど、途中で退屈になって寝てしまう。
今まだやってるけど、もういいや!
でも日頃歌番組なんて全然見ないので、たまに見ると「へぇ~~~、今こんな歌が流行っているんだんあぁ~」なんて興味を持たないこともない。
今見た中では、平井堅の「ノンフィクション」と福山雅治の「トモエ学園」が印象に残った。
「ノンフィクション」とてもいい歌だと思った。

福山雅治の歌の時、稲佐小学校がテレビに出た。
稲佐小学校は今ではこのぐうたら百姓の母校として有名(?)だけどそういえば福山雅治の母校でもある。
それで出たのだろう。
確か福山雅治とは高校はどうだか知らないけど中学も同じだと思う。

まあそんなことはどうでもいいけど、長崎の大晦日というと、
紅白が終わると「ご~~~ん、ご~~~ん」と寺の鐘がなると同時に港からは一斉に船の汽笛が鳴りだす。
そんな光景が目に浮かぶ。

でも今ここでは寺の鐘さえならない。
夕暮れになると寺の鐘が「ご~~~ん、ご~~~ん」と鳴り、カラスがか~~~か~~~とねぐらに帰っていく、
そんな里山の光景はもうマンガ日本昔話でしか見ることはできないのだろうか?

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門松

2017年12月31日 17時52分18秒 | 田舎暮らし


門松を作った。
今年はや~~~めた!
・・・と思ってたけど、
やっぱり作ってしまった。
松以外はこの農園で手に入るし、松も近くで手に入る。
その気になったらすぐにできるので、
やっぱり今年も作ってしまった。

というわけで毎年毎年いい加減な門松を作っている。
今度の門松はちょっと竹の背が高すぎ。
でも短くするのが面倒になって・・・
まっ、いいか!

それでは皆さん
良いお年を!!



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茶の伐採

2017年12月30日 18時34分32秒 | 田舎暮らし
今日は茶の木を数十本伐採した。
ここに来た時、茶ノ木がいっぱいだった。
前いた人が茶を栽培してたらしい。
でもでもこちらは茶を作る技術もなくすっかり持て余していた。
でも毎日のむお茶。
そのうちこの茶の葉をお茶にしようね、と伐らずにそのままにしておいたのだ。
でもここにきて15年も過ぎた。
仏の顔も3度まで、ぐうたら百姓も15年!
もういいか!!

それで、今日、ばさ、ばさ、ばさっと数十本伐った。
ざまぁみろ!
おかげで果樹園の隅の一角がとっても広くなった。
ここは本当はカタクリの集落を作りたいと思っていたのだけど、
この数年間カタクリは2本だけ!
全然増えない。
隣の町ではいくつかカタクリの群落があってそれ相当に賑わっているのだけど、ここではなぜか、少しも増えない。
それでもう我慢も限度!
この一角も水仙畑にすることにしたのだった。

それでカタクリの群落は難しいだろうけど、
その分水仙群落はいっぱいできるよ!
そんな農園にしたい!!
きっとそんな農園に、ここはきっとなるだろう。
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梅の剪定

2017年12月30日 18時09分51秒 | 田舎暮らし
昨日、梅の剪定をした。
ばさっ、ばさっ、ばさっ!
今までは木の都合ばかり考えてたので剪定が全然進まない。
とっても苦手だった。
どの枝を切ったら木は喜んでくれるかなぁ~~~
・・・なんて、そんなことわかるかい!

でも、ただ実がよくなることを、実をとるときの都合だけを考えると、簡単だ。
木は高く伸びようとする。
すると低い枝は日が当たらなくなりそのうち枯れる。
でも高いところに実がなってもとれない。
それで高い枝は容赦なく伐る。
そうそう出る杭は打たねばならぬ。
ばさっ、ばさっ、ばさっ!

そしてとりやすいところの枝を残す。
その枝の上に日当たりを邪魔いている平行枝があったならそれも容赦なく伐る。
垂直に伸びてる枝があったなら、そんな枝そのうち実が取りにくくなる。
これも容赦なく伐る。
通る道の邪魔になる枝も、邪魔だ!どけどけ!とばかり容赦なく伐る。

果樹園をしようと思ったら我儘でないといけない。
木の都合なんて聞いていられるかい!

というわけで昨日は梅退治、いえいえ梅の剪定をした。


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正月ムード

2017年12月29日 18時33分22秒 | 田舎暮らし
クリスマスが終わり、世の中すっかり正月ムード。
スーパーもホームセンターも正月の飾りや花やおせち料理にあふれている。
客も多くこれから年末まで賑わう。

それで今日は買い物。
日頃はおよそ買う気にもなれない金粉入りの日本酒。
なんで金粉なんか入れるのだろう?
味なんかしないのに。
単に無駄なだけ。
ただ菊正宗の「樽酒」は好きなので買ったのだった。
燗にするならこの程度でよい。
それからいつもの「頂」
そして博多の華の芋焼酎。
あ~あ、今年もデフレ人間で終わったか。

車の中はバッハの「クリスマスオラトリオ」に代わってヘンデルの「メサイア」が流れている。
もう一回くらいは買い物に行くので、しかたなく「第9」でもかけるかな。

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キクイモの収穫

2017年12月28日 17時45分47秒 | 田舎暮らし
雲が重く立ち込めて一日冬の天気。
今日もキクイモの収穫をした。
なまった体には堪えた。
あさって当たり体の節々が痛くなるだろうな。
でもおかげで果樹園のそばのキクイモ畑はこれで全部掘ってしまったので、これをミョウガ畑にする。
それから果樹園の水仙畑も広げている。
来年こそきっと水仙が1万本になるだろう。
それからユリ・アジサイ・ツワブキ・芍薬・・・この農園を花いっぱいの農園にしたい。

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クリアアサヒ・関西仕立て

2017年12月28日 17時36分21秒 | 酒の話
クリアアサヒは嫌いだ。
でも「関西仕立て」というのが気になって呑んでみた。
しかし、どこが、いったい、関西仕立てやねん!
さっぱりわからない。
さてはネーミングだけでいろうという魂胆だな?
とにかく訳の分からぬビール類が多すぎる。
新しいビールが出るとついつい気になって買ってしまうけど、
決まってがっかりさせられる。
ビール会社は自信のあるビールだけに絞って売ったらどうだろう?
そのほうが余計なコストもかからずに絶対にいい!と思う。
買うほうだって迷わなくて済む。
とにかくもう新しいネーミングのビール類やめてほしい。
面倒臭くてかなわない。
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山菜

2017年12月27日 18時09分51秒 | 田舎暮らし
風が強くてとっても寒い一日。
夕方には雪がちらついていた。
こんな日はこたつに入ってゆったりまったりするに限る!
・・・なんて思ってても、やっぱり外に出て何か何かして、役にも立たないことをしてすごした。

畑や果樹園があるとついつい気になって、外に出てしまう。
昨日は久しぶりに野良仕事、キクイモほりをした。
キクイモ畑はほかにあるけど果樹園のそば、勝手に生えてるキクイモがとっても気になっていたので昨日収穫したのだ。
でもまだ3分の1も収穫していない。
これを早く収穫してしまってミョウガ畑に変えようと思っている。
ミョウガは今では何百本あるのかなぁ~
でもこんな役にも立たない、無くても少しも困らない野菜大好き人間!
それでミョウガを増やしたいと思っている。
そしてほったらかしでもできる山菜畑の仲間にしようと思っている。
フキ、ミョウガ、ウド(これはちょっと落ち葉集めに手はかかるけど・・・)、ツワブキ、タラ・・・
果樹園の周りをこんな山菜畑にしようと思っている。
(もちろんキクイモもほったらかしでできるので大好きだけど、別の所に息子夫婦が作っているのでこれはパス!)

このぐうたら百姓、
何にも役に立たない人間だけど、少しは役に立っているんだよ!というところを見せつけたい!!
とりわけ春、山菜のころ、フキノトウやウドやタラの芽やタケノコや・・・

それから初夏・フキやミョウガやツワブキや・・・
晩秋には干し柿なんか送れたらいいなぁ~なんて思っている。
それで喜んでくれたら嬉しいな。

里山の宅配の魅力というと季節感ではないだろうか?
普通の野菜の間にちょびっと、ちょびっと、季節の山菜があったら・・・
みんな喜んでくれるかな?
なんて思っているのだけどねぇ~・・・

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2017年12月26日 18時18分23秒 | 陶芸
昨日は久しぶりに真面目に雨が降った。
でも冬の雨、身も心も侘しくなる。
これが春・夏・秋の渇水のあとの雨だったらどんなにうれしかっただろう。

今日は素焼きの日。
10数枚小皿と竹のざる風の中皿を焼いた。
みな公民館祭りの即売会に出すつもり。
これがみな売れて純米酒に化けてくれたら嬉しいな。
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2017年12月26日 05時57分28秒 | 田舎暮らし
千年住宅の先にダムがある、さらに先に行くと人形の村がある。
きっとここは集落の人よりも人形の数の方が多いだろう。
この人形の里、何年か前にも何度か行った。これはその時のブログ
最初見たときとっても感激した。
なんでこんな山奥に?!・・・
でも、今見たら、なんかみんなすすけて見えた。
新しい人形が目に付かなかった。
この人形の製作者たちは今どうしているんだろうね?
・・・と、侘しく想像した。

ここは雪彦山の登山口。
登山シーズンは賑わうのだけど今はオフシーズン。
売店や宿泊施設などが備わった駐車場には車が1台しか停まっていなかった。

でもまあ、ここは雪彦山の登山口、これからも生き残れるだろうけど、
そうでない普通の里山はどうしたら生き残っていけるのだろう?
イベントをして人を集めても賑わうのはそのイベントの時だけ。
税金を使って、街の人を集め街の人が喜んで帰っるだけ。
それが集落の再生になる・・・と思うのは単なる幻想。
あとに残るのは現地のスタッフの疲労と元通りの侘しい田舎。
そして現地のスタッフもすぐに老いてそんなイベントも維持できなくなって、
集落の死を迎える。
そんなイベントを無駄だとは思うけど悪いとは思わない。
人は死ぬ瞬間とっても輝く。
それと同じように集落もそのまま寿命を迎えて死ぬよりも、
最後は輝いて死ぬ方がいい・・・と思う。

いえいえそんな話ではない、水の話。
この集落をもうちょっと山道に入ると、水が湧き出ているところがある。
せっかく近くまで来たのだから、水を汲んで帰ろうと思った。
けっこう有名なところでよく人がやってくる。
特に食堂・喫茶店など水を扱ってる人が多い。
着いたら大阪ナンバーの車が何十本もペットボトルに水を汲んでいる。
もう1台待ってる車の人に聞いたら、もう30分も待っている、とうんざりしながら言っていた。
さすが大阪人、ほんのちょっと「お先にどうぞ!」と譲ってあげる気はないらしい。
ともあれ何とかポリ袋に水をくんで帰って来た。
この水で正月、コーヒーや紅茶を沸かして飲みたいなと思ったのだ。


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寿命

2017年12月25日 18時01分49秒 | 雑感
人に寿命があるように、きっと会社にも店にも寿命があるのだろう。
昨日隣の町に千年住宅を見に行ったのだけどそれは実はついで。
本当はそばを食べに行った。

もう10年くらい前になるかなぁ~
感じのいいころだったし、それなりにはやっていた。
それでもう一度行ってみたいと思っていたのだ。
待たされるのは嫌だからと11時半ちょっと前についた。
ところが駐車場には車は止まっていなかった。
中に入ると誰もいなかった。
犬が一匹床にいるだけだった。
靴を脱いで床に上がったけど、同じ床に犬が暮らしている・・・
衛生上とっても気になった。
もっともとってもおとなしい、まるでぬいぐるみのような犬だったので、
それはそれでいいのだけど、犬嫌いの客だったらどう感じただろう?

床はほこりまみれだった。
客がたくさん来た後だったら汚れていても納得はできるけど、多分初めての客。
掃除をしていないのだろう。
これはもはやそば屋以前の問題ではないだろうか?

しばらくしばらく待ったあと、そばセットとかけそばが来た。
そばセットはこちら、かけそばは家内。
十割そばはうまいと思う、かやくご飯もうまいと思った。
でも、あとは汁物でこれだけで1300円くらい、だった。
家内が頼んだもりそばは確か800円くらい。
問題は値段ではなく、値段相当の味があるかということ。
前食べたときは、確か同じそばセットを食べたと思うけどその時はとっても満足した。
それで家内を案内したのだった。
ところがもりそばを食べた家内はとっても不機嫌になってしまった。
出汁がまずい!という。
確かにそれは感じた。
前感じた感激が少しもない。

そこで思ったのは店の寿命なのだ。
人には寿命があるように、きっと店にも寿命があるのだろう。
店主が老いたら店も老いる。
それは仕方ないことじゃない?
とっても寂しいけど、それはそれであきらめよう。
そう、人には寿命があるように店にも寿命がある。
それは仕方ないことではないだろうか?
12時過ぎてもほかに客は誰も来なかった。

この店には二度と行くことはないけど、
とっても残念な気がしながら、
とっても心残りながら、
そんな気になりながら、
この店を後にしたのだった。

人に寿命があるように、
店にも寿命があるのだろう。
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隣の町~1000年住宅

2017年12月25日 06時31分07秒 | 田舎暮らし
ふと隣の町に行ってきた。
ここには1000年住宅というものが残っている。
室町時代に建てられたという古民家。
寺社だったら残っていることはあるけど民家が残っていることはまずない。
とっても貴重な建物なのだ。
前一度来たことはあるけど、その時はあいにく平日、ここは土日でないと中に入れない。
それで今日初めて中も見た。



江戸時代に大分改装されてるということだけど、でも室町時代の雰囲気がたくさん残っている。
普通の古民家に比べて屋根がとっても低い。
弥生の竪穴式住宅と江戸時代以降の古民家の間の中間的な住宅という気がした。



中は田の字型の間取り。
南側の部屋は手斧で削った板張りで奥の部屋は仏壇ではなく神を祭っていた。
北側の床は板ではなく竹を敷き詰めてた粗末な床だった。
板がとっても貴重だったことがよくわかる。
江戸以降の田の字型の家だと、南側は客用に大切にして普段は使わない。
家族は最も条件の悪い北西の部屋を使っていたという。
ここでも家族はこの竹製の床にむしろを敷いて暮らしていたのだろうか?
その寒さを考えるととっても信じられない気がする。





屋根は天井板はなく剥き出し。
もちろん普通の古民家でも屋根裏部屋はみなこうだけど、土間や囲炉裏は別として普通の部屋にはたいてい天井板が敷かれている。



これが竹張りの部屋。
我が家でも竹張りってとってもいい感じだったので囲炉裏と台所兼居間には残した。
ところがこれは大きな失敗だった。
毎朝毎朝天井からほこりが落ちて来る。
ほこりだけならまだしもムカデまでもどさどさっと落ちて来る、これには参った!
きっとここに住んでる人も毎日毎日そんな悩むを持ちながら暮らしていたのだろう。





これは竈。かまどってなんか侘しいなぁ~なんて思っている人がいたらそうれは大間違い!
それは富の象徴だった。
竈を持てる家なんてそうそうはなかった。
竈を作るなんて大変な工数がいった。
炊くだけだったら石を組み合わせて竈の代用は簡単に作ることができる。
それをこんなに作ることは当時この集落ではとっても豊かな家だったことがわかる。

我が家にも竈があった。
田舎ではそれが当たり前のことだと思っていた。
でもあとで集落の人に話を聞いたら、なんとこの集落で竈があったのは3軒だけだという!
まるで江戸時代。
強欲な庄屋にいじめられる貧しい貧しい小作人の世界、まんが日本昔話のようで、
そんな世界が身近にあったようでとっても不思議だった。







さてこの1000年住宅、いわれを説明するのはめんどうなので興味がある人はこの掲示板を拡大して読んでくださいね。
入場無料!
ただし土日でないと中には入れません。



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ススキ

2017年12月23日 09時11分31秒 | 花便り

昨日は冬至。
これから寒さは厳しくなるけど陽は長く明るくなる。
間もなく日本水仙も咲き始める。
梅のつぼみも春を待ちわびている。

秋の名残のススキの写真です。





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「お寺さん崩壊」(3)

2017年12月22日 18時24分44秒 | 田舎暮らし
寺の収入は
・葬儀や法事・法要
・護持費(檀家の会費みたいなもの)
・その他の収入(駐車料とか幼稚園・保育園・介護施設・・・など)

このうち・葬儀や法事・法要・護持費(檀家の会費みたいなもの)の収入は宗教法人に入る。
お布施などがそのまま坊さんの懐に入るのではなく、
檀家など代表のもとまずは宗教法人にはいり、そこから給与として坊さんに支給されるらしい。
宗教法人は無課税だけど給与として支給されたらそこには普通に税金がかかる。
もちろん・その他の収入(駐車料とか幼稚園・保育園・介護施設・・・など)にも普通に税金がかかる。
そうなると、それほど寺とはぼろい商売でもないようだ。

寺の採算分岐点は檀家・門徒が300世帯だそうだ。
そして今では日本のほとんどの寺がこの300世帯を割ってる。
つまり寺だけでは食っていけない状態なのだ。
そこで副業の方が主、寺の方が副業ということになる。
でも都会だったら駐車場や幼稚園で食っていけるかもしれない。
でも田舎だったら、駐車場なんてただが当たりまえ、
小さな子供なんてほとんどいない。
檀家も年ごとに減っていく。
介護施設は?
年を取ると都会の子供たちの所に去っていく。
そうなるともう寺を維持することなんて到底できない。
木造の寺だとどんな小さな寺でも建て替えするには1億かかるという。
300世帯だと1世帯当たり33万、こんな金出せるだろうか?

実はこの地域の寺も最近跡継ぎがいなくなって廃寺になった。
小さな寺だけどとても趣があり、門は隣の町三日月藩の陣屋のとっても由緒のある門だった。
(今その門は最近復元された三日月藩の陣屋後に移設された)
こうしてまた一つ寺が消えた。
住職には息子がいたもだけどこの集落の門徒はみんなでこの跡継ぎに仏教系の大学に授業料などもなども負担したのだけど、
結局あとをつがななっか。
そのために廃寺になってしまった。
でもそれも仕方ないこと、門徒はは300をとっくに割っている。
さらにこれからは減るばかり。
これではここで暮らしていけるわけはない。

もう今では自分たちの寺を持つのは贅沢なこと。
これからは里山はつぶれていく。
里の寺や神社がつぶれるのも当たりまえのこと。
とっても寂しいことだけどこれは仕方ないことではないだろうか?
ただただ寺や神社がつぶれていくのを見守るほかはない。
こちらは移住者、地元の寺とは何のかかわりもないけど、
宮の方は、こちらはまるで当然かのように氏子になっているので、
集落の人が減るにつけてそれだけ負担が増している。
もう今の集落だけで維持するのも無理な状態になっている。
間もなくいくつかの集落が統合して何とか宮を維持し、そのあとは廃宮ということになるだろう。
なんともこれは仕方ないこと。
昔懐かしい里山の情景は消えていくだろう。
光は見えない。

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木の実・草の実

2017年12月22日 08時41分11秒 | 花便り
枯草色になってきた野原に木の実・草の実が輝いている。

これはヤブランの実





こちらはおなじみのナンテンの実



これは何だったかな?
何かのつる性の草の実だけど・・・





これも何だったかな?
いかにも雑草のような木なので切ろうと思ってたけど、
実がとてもきれいなので切るのはやめました。

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