ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

富良野の秋

2013年08月31日 18時44分42秒 | 酒の話
相変わらず新製品のビール類が出るとすぐに買ってしまう。
悪い癖だ。
ビール会社もやたらと新製品を出して余分な経費をかけるのでなく、
自信のある製品を数点に搾ればいいと思う、もっと安く出来るだろう。

というわけで「富良野の秋」
ちょっと変わったネーミング。
味もちょっと変わっている。
ホップの苦味が程よくきいてて、わりといいと思う。
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山羊石鹸

2013年08月31日 18時23分48秒 | 山羊の話
山羊ミルク石鹸と山羊ホエー石鹸が出来た!
種付けに失敗して山羊のミルクが取れなかったので、1年半ほど生産できなかった。
ほんと久しぶり!!
でもまだラッピングなどに時間がかかるので、
製品になるのは9月下旬から10月上旬かな・・・?
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旅~幻の軍艦島

2013年08月30日 12時21分24秒 | 長崎
旅~幻の軍艦島

この軍艦島上陸クルーズでとっても見ごたえのある時を過ごした。
2つの世界遺産候補地をめぐる旅でもあったからだ。
ひとつは長崎の教会群。
もうひとつは軍艦島を含む、九州から山口県にかけての産業遺跡群
そして船内での案内もとっても丁寧でわかりやすく聞き取りやすかった。
島の案内もとっても端島が好きそうな4人(?)の親切なガイド。
それが不思議なことに皆男!?
船内放送は若い男性。アナウンサーの経験でもあるのだろうか?
島のガイドはシルバーさん。ボランティアだろうか?そしてかって端島に住んでいたのだろうか?
船の中でも客に話しかける。
端島のことを話すのがとても楽しいらしい。
というわけでとても好感がもてた。
他の会社の船には乗っていないので比較は出来ないけど、この会社の船のツアーでよかったと思った。
そう思うと最初は「高~~~い!」と思った料金も、
まあこんなもんじゃない?と思えてきた。
端島の手前、高島までの定期船の料金が片道1000円。
端島はその先で島の1週もするのでプラス500円くらい。
と言うことは端島まで往復で3000円。
それに船内の案内と島のガイドでプラス1000円。
まあ妥当じゃない?
麦茶に忍ばせていた焼酎ですっかりいい気分になりながら
・・・とっても、せこ~~~い(!)計算をして、一人で納得した。

船は長崎の港に着いた。
船を降りぎらぎら晴れた真夏の街を駅に向かって歩くいていると、
もうあの廃墟の島、軍艦島が幻のように思えてきた。

かって、「緑無き島」と言われた島のあちこちに、草が生えていた!
トンビが廃墟の上を廻っていた。
やがて軍艦島は昔の岩礁、端島に戻っていく。
それって悲しみ?
自然からお借りしていた島を自然にお返しすることって、
それってとってもいいことじゃない?
ありがとうの言葉とともに。
たくさんの思い出とともに。
自然にお返しすることって。


最後に端島で生まれ、そして若くで亡くなったシンガーソングライター・岡崎律子さんの歌を聞きながら、
1泊2日の長~い長~いこの旅を終ることにしよう。

http://www.youtube.com/watch?v=v5UkJ1IOJbw
  
      for フルーツバスケットより

 とてもうれしかったよ 君が笑いかけてた すべてを溶かす微笑みで
 春はまだ遠くて つめたい土の中で 芽吹く瞬間を待ってたんだ

 たとえば苦しい今日だとしても 昨日の傷を残していても
 信じたい 心 ほどいてゆけると

 生まれ変わることはできないよ だけど変わってはいけるから
 Let's stay together いつも

 僕だけに笑って その指で ねえ触って 望みばかりが果てしなく
 やさしくしたいよ もう悔やまぬように 嘆きの海も越えていこう

 たとえ苦しい今日だとしても いつかあたたかな思い出になる
 心ごとすべてなげだせたなら

 ここに生きてる意味がわかるよ 生まれおちた歓びを知る
 Let's stay together いつも

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旅~軍艦島(8)

2013年08月29日 01時36分04秒 | 長崎
船はスピードを上げぐんぐん軍艦島から遠ざかる。



きっともう2度と来ることは無いだろう。
そして自然崩壊はますますすすむ。
今の状態を見ることは今しかできない。
これから来る人はまたどこか違った軍艦島を見ることだろう。
永久保存なんてする必要は無い。
みんなが見たいのは崩壊しつつある島。
化石の島ではなく生きていた島そして死につつある島なのだ。



産業遺跡は遠い歴史の話ではなくごく最近の話。
同じ年代の、あるいはお父さんやお母さんの、あるいはおじいさんやおばあさんのころの話。
それだけに訪れた人に強く何かを訴える。
その何かは見る人によって皆違うだろう。
この長崎で生まれ育った人間には産業遺跡としてだけでなく、
幼い頃の思い出がよみがえってくる。

端島は端島だけで生きていた。
生活は厳しかったけど豊かだった。
それで長崎市との交流はあまり無く、
行く機会もなかった。
端島から転校してきたかわいい女の子に端島の話を聞いて、
行きたいなぁ・・・と、とってもあこがれていた島。
今その島が崩壊している。
夢を残し、夢を閉じ込めて、このままそっと眠ってほしい。



船は高島を通る。
かっては人工は1万人以上、端島以上に賑わっていた島。
今では学校は小学校と中学校がいっしょになり、小学生は10人、中学生は1人。
廃校間近だ。



そして伊王島を過ぎる。
端島・高島・伊王島
このかっては同じ炭鉱で賑わった3つの島を見ると、今の里山とダブって見えてくる。
端島は廃村になった村、ジャングルになり自然に戻っていくように、
崩壊は進み、堤防は壊れ、やがてもとの岩礁に戻っていく。

伊王島は再生中の村。
田舎暮らし派の人がきたり、ペンションや民宿ができて、都会の人がリゾートや体験農園にやって来るような、そんな感じの村。
橋で陸続きになりそれなりに生きていけるだろう。

しかし高島は・・・廃村間近の限界集落。
過疎と高齢化。
将来無人島になるのだろうか。
それとも細々と生き残るのだろうか。
でもそれだからこそ何とか再生してほしいなぁ、と思う。
それでついついいろんなことを考える。
今は長崎港が端島観光の基地になっている。
これを高島にしよう。
端島見物客はまず高島に行く。
そして高島を見物しよう。
高島の歴史は端島よりももっと古い。
長崎の観光地グラバー邸のあのグラバーが開発に関わった高島炭鉱。
これを売り出そう。
そして道の駅ならぬ海の駅を作りみやげ物や新鮮な海産物を売る。
端島は無人島。
端島の土産は何にも無い。
船の中で端島のTシャツなどを売ってたけど、買ってる人はあまりいなかった。
ありきたりだけど、軍艦島饅頭、軍艦島煎餅、軍艦島弁当、軍艦島焼酎・・・なんでも売ったらいい。
端島に上陸できるのは年間の3分の1。
高島は人が住んでるのでもう少し上陸機会は多いだろう。
それで高島に宿泊して端島上陸を待つ。
そんな施設もほしい。
端島は廃村になったけど高島は何とか生き延びてほしい。
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3・2・1・・・あれっ?

2013年08月27日 19時38分07秒 | ニュースの中から
3・2・1・・・
あれっ?

1・2・3・・・
(ロケットは発射しないまま今度はプラスカウント)
ん?

あらら。
わくわくしながら見てたのに・・・

泊りがけで見に来てた人もいっぱいいたのに・・・
(ちょっとかっこ悪い!)

なんか放送でよくわからない言い訳をしてたけど、
テレビではよくわからなかった。
せめて
「あっ、ごめん!今の冗談!!」
とか、
「今のマイクのテストでした、打ち上げは後日」
とか、
なんか言い訳を工夫したらよかったのにね。

でも打ち上げってもうひとつ盛り上がりに欠けていた。
せっかく人も集まりテレビも中継してたのだから、
AKB48とかいうのを呼んで盛大に歌ってもらうとか、
でもこの事業団あんまり予算なさそうだから、
暇そうな演歌歌手を呼んで、
「よせばいいのに」を歌ってもらうとか、
(歌手の名前は忘れた)
いやいやよせばいいのには不味いか、
「わたし祈ってます」を歌ってもらうとか
あるいは菅原洋一を呼んで「今日でお別れねもう会えない・・・」を歌ってもらうとか・・・
あるいはもっとギャラが安そうな円広志をよんで「飛んで飛んで飛んで、廻って廻って廻る~」を歌ってもらうとか・・・
それも無理ならせめて花火のひとつでも上げるとか・・・
打ち上げ花火の予算が無かったら、ロケットの前で線香花火をつけるとか・・・
それに船の進水式のときは船首でシャンペンを割るように、
ロケットの打ち上げのときも、シャンペン・・・は無理だろうから、せめてワンカップをぶつけるとか・・・
もっとも「あっ、いかん!へこんだ!!」
なんてことになるかも知れないけど・・・
でももうちょっとなんかほしい!
でもまあそんなパフォーマンスよりもやっぱり成功!
念には念を。
次のロケットの発射を期待しよう。
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アクアきらめきコンサート

2013年08月26日 15時00分13秒 | 音楽の話
きのう「アクアきらめきコンサート」に行ってきた。
これは今住んでる市にゆかりの9人の音楽家と一人の作曲家によるコンサート。
お目当ては2人、
ヴァイオリニスト、伊藤さくら。
ソプラノ歌手、長谷川萌子。
それに作曲家の薮田翔一のピアノ曲。

伊藤さくらさんはここのすぐ近くの幼稚園に通っていた。
実家も近くの科学技術公園都市・テクノポリス。
あの指揮者の佐渡裕に見出されスーパーキッズオーケストラのリーダーをやってた。
曲はプロコフィエフのヴァイオリンソナタ2番、
堂々とした聞き応えのある演奏だった。

長谷川萌子さんは田舎暮らし仲間の娘さん。
圧倒的な声量で全演奏家の中で一番輝いていた。
ドニゼッティのオペラ「ランメルモールのルチア」のなかの「あたりは沈黙に閉ざされ」のアリアは、
ピアノ伴奏が終るのを待ちきれず拍手がいっぱい起こり、全演奏家の中で唯一客の「ブラヴォー!」を浴びた。
それともこのブラヴォー!、父親が叫んでいたのかな?

それから岩崎宇紀さんの「月の光」も印象深かったし(本人は参加してなかったけど)薮田翔一のピアノ曲「Glitter」(初演)もとってもわくわくする曲・演奏だった。

「アクアきらめきコンサート」はこれで3回目、聞きに行ったのは初めてだ。
根がぐうたらなので、コンサートに行くのはなんとも億劫で、
家で寝転んでCDで済ませておこうと思うタイプの人間。
でもやっぱり生演奏は違うよね。
いつも同じなCDとちがって
どんな演奏するのかな・・・?
うまく演奏するのかな・・・?
という期待感と不安感、そこがなんともいい。
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久しぶりに雨

2013年08月25日 11時48分55秒 | 田舎暮らし
久しぶりに雨が降った。
2日連続雨が降った。
今まで怠けた分を取り返そうと
とってもまじめに雨が降った。

あんなに雨がほしかったのに、
もういいや!という気分。
二日も続くととたんに山羊の餌やりに困る。
雨の中草刈なんかしたくない。

そしてやっと晴れ間が見えてきた。

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旅~軍艦島(7)

2013年08月24日 18時45分50秒 | 長崎


船は端島を出た。
すると入れ違いに他の船がやってきた。
高島海上交通と書いてるので隣の高島からも出てるらしい。
高島を見物してから端島に来ることが出来るのだろうか?
それもいいプランかもしれない。



なんてことはおいといて船はこれから端島を1周する。
一番左は上陸した桟橋。
その隣に二つ見えるのはかって石炭を積み出した桟橋の跡。



右は小中学校の跡、一番左に先ほどの船が接岸しようとしている。



これから外海、堤防が高くなる。
(10メートルの堤防、そして瓦礫、ついつい東日本大震災とだぶって見えてくる)
手前は病院跡。
その裏の炭鉱住宅の屋上には保育園があった。



船は軍艦の船尾(?)部分を廻る。
これからは炭鉱住宅の高層アパートが林立する。
島の西部分はもっとも波が荒いところ。
大事な炭鉱を守るために高層住宅が防波堤代わりになってたらしい。
木枠の窓を高波が襲う。
台風はとっても怖かっただろう。





住宅は鉄筋コンクリートだけでなく木造もあった。
今ではみな瓦礫になって残骸をさらしている。



これから端島が最も軍艦に見えるところ。
戦艦「土佐」に似ていると言うので軍艦島といわれるようになった。
「土佐」の写真はこちらを・・・
http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51312393.html
昔の端島に似てるらしい。











船はぐるっと廻って船首?に来る。
右手にちょっと見える赤いレンガの建物は炭鉱の浴場。
中には浴槽が3つあって地下からあがってきた工夫はまず服を着たままで最初の浴槽に入り石炭のくずがいっぱい着いた服や体を洗う。
浴槽は真っ黒だったらしい。
それから第二の浴槽で体を洗う。
最後に掛かり湯を浴びる。
掛かり湯だけが水で、第1、第2の浴槽は海水だったらしい。



上陸した桟橋には高島海上交通の船が止まっていた。
乗客は上陸して見物しているのだろう。

さてこれから端島を後にして長崎港へと向かう。
もう来ることは無いかも知れない。
これからもどんどん端島の崩壊は進むだろう。
いつまでこんなこの島を見ることが、そして上陸することが出来るのだろう。
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雨!雨!!雨・・・

2013年08月23日 18時27分36秒 | 田舎暮らし
昼から雨の予報だったのに・・・
昼過ぎても・・・
それらしい雲は出てるのに・・・
少しも降る気が無い・・・

日も落ちたのに・・・
少しも・・・

この嘘つき!!!
・・・とよくテレビの出てくる気象予報師の顔が思い浮かべていう。

ところが・・・
うん?
なんか・・・
来たぁ!!!・・・

激しい雷といっしょに
すごい雨!
(雷はいらんけどね)

うん、いかん!
とあわててパソコンとファックスの電源を抜き、
テレビの電源も抜き、
ついでに扇風機の電源も抜き、
さぁ、いつまでも降っていいよ、
どんどん降っていいよ。

でもまもなく激しい雨はやんだ。
えっ、これで終り?
この根性なしめ!
これじゃ豪雨というんじゃなく、単なる夕立。
明日昼間晴れたら夕方にはまた畑はからからになるだろう。
この根性なしめ!!



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日照り

2013年08月22日 17時02分01秒 | 田舎暮らし
晴天と猛暑続きで、柿の木もしおれてきた。
去年も雨不足で柿は大不作。
今年は今までとっても順調だったけど、どうやら怪しくなってきた。
車で走るとあちこち枯れ木が目立つ
明日は久々の雨・・・らしい。
期待しよう!
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旅~軍艦島(6)上陸

2013年08月20日 19時17分45秒 | 長崎
端島に上陸した!
目に付くのは瓦礫、瓦礫、瓦礫・・・
そして高い堤防に囲まれて海が見えない!

これからはガイドの人に案内されての見学が始まった。



正面の建物は小中学校。
7階建ての鉄筋造りで1~4階が小学校、5階・7回が中学校、6階は講堂・図書館・音楽室などがあったらしい。

丘の上にあるのは貯水槽。
対岸の長崎半島から引いていた。
でも最初は海水を真水に変えて使っていたそうだ。
雨水は利用しなかったのだろうか?



かろうじて残っている坑口。
左端に階段が見える。
ここから1000メートル以上も降りて石炭を掘った。

丘の上の灯台は無人島になってから作られた。
それまでは工場は24時間稼動していたため、
その灯りで灯台は必要なかったらしい。



正面の鉄筋コンクリートのアパートは大正5年に作られた日本で一番古い7階建ての高層アパート。



ここはプールの跡。
25メートルの海水プールがあった。
冬眠が集まって、水泳大会でにぎわった・・そんな光景が目に浮かぶ。



窓枠は木製だったためみんな落ちてしまっている。
アパートは7階建てだけでなく8階建て、9階建て、10階建てまであり、しかもエレベーターがなかった。
風呂も幹部用のアパート以外は共同浴場。
10階から1階まで降りていって、風呂に入りまた10階まで歩いて帰る。
せっかく風呂に入ったのに家に着いたときは汗まみれ・・・になったんだろうな。



動物は、狸やヘビはいますか?と言うしょうもない質問をガイドの人にしたら、
見たこと無いという、いるのは羽のある鳥だけだというごく当然の答えが返ってきた。
さすがに鹿や猪はいますか?とは聞かなかった。
聞かなくて良かった。



こうして上陸は終った。
大して長い時間ではなかったかもしれない。
3箇所の広場でガイドの人の説明を受けた。
でもとっても長く、重く感じた。

そして再び乗船。
船は島1周へ出発した。
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旅~軍艦島(5)

2013年08月19日 19時13分21秒 | 長崎
天気晴朗波静か。
絶好の端島上陸日和
普通だと伊王島を出たあたりから波が荒くなる。
ところがとっても静か。
年に1/3日くらいしか上陸できないらしいこの端島。
ところがとっても静か。
これもひとえにこのぐうたら百姓の日ごろ心がけがいいためだろう。
でも乗客の誰もそのことに気づかない。
でもそれでも全然かまわない。
根が謙虚な人間なのだ。



伊王島を見ても高島を見ても、大して感動はしなかったのに、
同じ閉山した炭鉱の島。
それなのにどうして端島を見ると感動するのだろう?
この「軍艦島上陸クルーズ」、客は関東からが一番多いらしい。
都会の人ほどこの島を見て感動する・・・
この島に自分たちの近未来を見ているのだろうか?



船は岸壁に近づく。
まもなく接岸する。
この廃墟に、麦茶に焼酎を混ぜてぐいぐい呑んでるこの酔っ払いも、
あんたはダメ!と言われることもなく、まもなく上陸する!



端島はもともと島と言うよりも岩礁。
岩礁の周りを石炭を選別したあとのボタで埋め立てて出来た島。
それで「緑無き島」なんていわれてたけど、意外と緑が目についた。



船はますます近づく。
正面上に祠の跡。
昔はりっぱな神社があったところ。



そしていよいよ接岸。
手前の防波堤は去年の台風で壊れた跡。
こちらは陸側なので波はそんなに強くは無いはずなのにこの破壊力。
島に人が住んでた頃はさぞかし台風が恐ろしかったことだろう。
高波は島の一番高いところを越えたという。

そしていよいよ上陸!
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旅~軍艦島(4)

2013年08月18日 18時43分21秒 | 長崎
船は端島(軍艦島)を目指して軽快に進む。
ところがこのブログはあっちにふらふらこっちにふらふら・・・なかなか端島にはたどり着かない。
というわけでやっと伊王島にやってきた。



伊王島の次が高島、そして高島の先に端島。
この3つの島はかっては炭鉱の島。
そして皆閉山し端島は無人島に、高島は細々と生き残り、伊王島はリゾートの島として生まれ変わった。
今では橋も出来て陸続きになっている。

この島は俊寛が流された島で墓まである・・・
とうけど、でもこれって、ちょっと、なんか、怪しいと言うか、どうなんだろうね。
橋が架かっているくらいだから泳ぎの得意な人ならば泳いで逃げ出すことも出来ただろう。
こんなところに島流しするだろうか?
やっぱり鹿児島の硫黄島か喜界島の方が俊寛伝説にふさわしい・・・と、思うんだけどね。



伊王島を出るとすぐに高島。
ここの炭鉱の歴史は古く、3つの島のうち一番最後まで採掘をしていた。
閉山が決まったとき、長崎市に「入れて~」と陳情したけど、長崎市は「入れてやらな~い」
端島も伊王島もそうだけど、石炭全盛の頃は豊かな島だったので、いくら長崎市が誘っても「いやだ、入ってやらな~い!」と拒み続けたためだ。
そしてかって1万人以上いた人も大幅に減り今では400人くらい。
けど何とか無人島ならないで、今では長崎市に編入されている。

高島を出るとすぐに端島。
やっと端島についた!



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旅~軍艦島(3)

2013年08月18日 05時08分32秒 | 長崎
かって幕末から明治にかけて多くの外国人が日本にやってきた。
そしてみんな讃えたのが長崎の港の美しさだった。
港町は陸からでなく海から入るのがいい。



ここは神の島。
昔は島だったけどずいぶん前から陸続きになっている。
島や岬のあちこちにキリスト教会が点在するのは長崎ならではの光景だ。
(手前がマリア象、後ろに教会)



ここは高鉾。
この崖から宣教師が突き落とされた。

下の写真の島が高鉾島。



長崎の郊外に出るとキリスト教受難の碑を、よく見かける。
(遠藤周作の「沈黙」の舞台ともなった出津(しつ)も長崎ではごくありふれた所だ。
ここには遠藤周作記念館や重要文化財の出津教会がある。
ちょっと遠いので観光客はあまり行かないけどお勧めのところだ)

どこまでも青い海、
どこまでも青い空、
ここで昔、悲惨な殺戮が行われていた。

長崎駅のすぐ近くに西坂の丘がある。
ここで26人の外国の宣教師や子供を含む日本人の初の処刑が行われた。
どうして殺されたのか?
それは長崎の町が殖民地化され、その上日本人が奴隷として外国に売られていったのを知った秀吉の怒りをかったからだ。

長崎の実家のすぐ近くに悟真寺という寺がある。
この寺が長崎市の神社仏閣では一番古い寺だ。
一番古いと言っても1598年に建てられた寺、それより古い神社仏閣はない。
すべてキリスト教徒によって破壊されている。

日本のキリスト教徒は受難の歴史、
しかしその前に他の宗教を弾圧した歴史がある。

黄禍と白禍・・・どちらが人類にとって大きな禍だったのだろうか?
モンゴル人は人を殺すのを楽しんだ。
西洋人は(サラセン人も)正義のために人を殺した。
趣味よりも正義の方がずっとたちが悪い。

西洋人が行くとたちまちその土地の支配者になり住民を奴隷化する。
それが西洋人の正義だ。
アメリカでは原住民を殺しまくり絶滅寸前まで追い詰めた。
タヒチなどの島々では人口が1割に減ってしまった。
インカも滅び住民は奴隷化した。

アメリカ人は今でも広島長崎に原爆を落としていいことをしたと思っている。
戦争を早く終らせるために核兵器を使ったのはいいことだったと教えている。
非戦闘員を女・子供・老人を大量殺戮するのはいいことだと。
事実アメリカの輝かしい歴史は有色人種大量殺戮の歴史だった。
アメリカの原住民を殺しまくり、
広島、長崎だけでなく東京や大阪をはじめ日本のほとんどの都市を無差別爆撃して非戦闘員を殺しまくった。
ベトナムでも女子供を殺しまくった。
これがアメリカ人の正義だ。
戦争を早く終らせるために核兵器を使うのはいいことだとなると、
これはこれからもすべての戦争に核兵器を使ういいわけになるだろう。
非戦闘員の無差別殺戮・・・いったいアメリカのやったことはドイツのやったこととどれほどの違いがあるのだろうか?
と言うよりもユダヤ人の殺戮を狙ったドイツよりも全有色人種の殺戮を狙ったアメリカの方がさらに悪質ではないか。

なんてことはおいといて、
船はハイスピードで間違いなく端島に近づいている。
途中、ひょこりひょうたん島見たいな島を見つけた。
こんな島を見るとなんかほっとする。





後ろは三菱重工の香焼ドック。
このドックのために香焼島は埋め立てられて陸続きになった。
でもこの100万トンドックが完成した時はもう超大型タンカー時代は終っていた。
他にも埋め立てられた島がある。
海水浴場だったネズミ島という小さい島も今ではない。
かってあの「オブローモフ」の作者、ゴンチャロフがプーチャーチンの一行とともに長崎に来たとき、
「世界一美しい港!」と絶賛した港の光景が・・・今では見る影もない。
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旅~軍艦島(2)

2013年08月17日 06時49分45秒 | 長崎


端島(はしま)は長崎の外港の島々の中でもっとも遠い端にある島
軍艦に似てるので軍艦島ともいわれている。
乗客はそこそこ多かった。
それでも多分定員の半分もいないだろう。
遠いところから来た人が多かったようだ。



船が港を出るとすぐに東山手、南山手が見えてくる。
(写真の右手の丘が南山手)
ここは外国人居留地だったところ。
こどもの頃は荒れてはいたけどまだちらほら人が住んでいた。
今はグラバー苑として一箇所に集められた死んだ町。
死んだ町を見ても少しも楽しくない。
それに観光客でごった返す南山手よりはしっとりした東山手の方が好きだ。
写真左に大きなとんがり屋根が見えるけどこれは洋館でもなんでもない、
東京の電鉄系のホテル。
景観を乱すまいとしてこんな形にしたのだろうけど、隣に小さく見える国宝・大浦天主堂にまるで「勝った!」と言ってるようだ。
普通のビルだったらそれほど違和感はなかったのに、変に細工をしたばかりに景観をまったく台無しにしている。
それに大浦天主堂から見る長崎港は昔は絵葉書などになる絶好の景観だったのだけど、今ではこのホテルに邪魔されて見ることが出来ない。
このホテルが出来てからもう40年近く経つ。
愚劣さの象徴としてこのホテルを永久保存してほしいものだ。

長崎港は鶴の港と言われてきた。
その形が鶴にそっくりだったからだ。
でも今では誰も港を見ても鶴を連想する人はいないだろう。
埋め立てられて港はずいぶん狭くなった。
もうこれ以上埋め立てて港を破壊しないでほしい。

南山手の対岸は三菱重工の造船所。
長崎は三菱の城下町。
三菱造船・三菱電機・三菱製鋼の3社でもっていた。
でも造船の凋落とともに長崎の町も凋落していった。

造船所にはタンカーと自衛隊のイージス艦が修理の為に入っていた。
イージス艦の写真を撮ったけど、軍事上の機密保持の為にあえてここには載せない。
(本当は手振れで撮るのを失敗しただけなのだけど)



まもなく最近出来た女神大橋をくぐる。
この橋を過ぎると外港。
美しい島々が現れる。

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