ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

長崎(14)~伊王島

2016年09月26日 03時25分26秒 | 長崎


さて、再び伊王島に着いた。
ここは高島よりもずっと大きい島で、自転車で1周するにはちょっと時間ないかなぁ~

ここは昔は高島や端島と同じく炭鉱の島。
でも今ではリゾートの島に生まれ変わっている。
端島は炭鉱の化石、高島は炭鉱の影を残すもののリゾートの島として何とか生まれ変わろうとしている。
そしてこの伊王島はもう炭鉱の面影はない。
帰りのここに寄ったのは風呂に入って、休憩所でビールを飲んで帰ろうと思ったから。



船が伊王島に近づくとまず目に入るのが教会とリゾート施設、昔と今、そしてその対比。
長崎港外の島々にはこのようなゴシック風な作りの教会がよく目につく。
他所ではあまり見かけない風景だ。
この教会もいいけど、島の北には昔もっと古いいい感じの教会があったけど、今はない、愛知の明治村に移された。
明治村には魅力的な建物がいっぱいあるけど、1~2度行くもういいや!という気になる。
古い建物はその地にあって、人が暮らして生きるもの。
建物の化石を見ても少しも面白くない。
子供のころは南山手にはかなり荒れてはいたものの洋館がそのまま残っていて外国人も住んでいた。
日本人と欧米人と中国人が一緒に暮らしていた町、それが長崎の魅力だった。
でも今ではたくさんの洋館が壊されて一部の洋館が移されて一か所にまとめられた。
それがグラバー園。
昔の長崎を知ってる人間には今のグラバー園は明治村と同じく建物の墓場だとしか思えない。
なんの魅力も感じない。
愚かな市長たちによって破壊された町。
それが今の長崎・今の南山手なのだよ。



伊王島には俊寛伝説がある。
平家打倒の陰謀がばれて俊寛は鬼界ヶ島に流される。
同じく流された藤原成経と平康頼はやがて許されて、都に戻る。
でも俊寛は謀議の張本人とみなされて鬼界ヶ島で怨念をもちつつ朽ち果てる。
能に小説に数多く取り上げられた俊寛伝説。
その鬼界ヶ島と言われているところ。
他にも鬼界ヶ島の候補地は鹿児島の喜界島や硫黄島などいろいろある。
でも今じゃそんなことわかりはしない。
墓を掘ったら「ここが本当の俊寛終焉の地鬼界ヶ島である」なんて墓碑銘が出てくるわけないし、
そんな墓碑銘が出てきたら、逆にこれは怪しい、と思われるだろう。
まあこんなもの、言った方が勝ち、言い続けたほうが勝ち。

*領土問題だってただ言い続けたらいい。
 国境の線引きなんて力関係で決まるのだからね。
 だから過去の歴史なんてどうでもいい。
 軍事力、経済力で圧倒したらいい。
 竹島や北方4島でも逆カードを使えばいい。
 こちらに都合の悪い話になったら、すぐに領土問題を持ち出して話をもどして、
 わずかな島を不法に占拠してどれほど損をしているかわからせたらいいだけだ。
 過去の歴史資料を持ち出してその正当性を主張しても何の解決にもならない。
 そんなものいくらでも改竄できるのだから、
 相手はずっと改竄してきたのだから。

いやいやこんな話ではなくて伊王島の話。
ここには噂のリゾート施設ができていると聞いたので、
温泉に入り、休憩所でビールを飲んで帰ろうと思ったのだ。
風呂は思ったほど大きくはなかったけど、それなりに満足して入り、
さて・・・次はビールで休憩・・・と思ったけど、
休憩所は3時まで!
普通のレストランはあったけど、湯上り気分で寝転んで、そんなところで飲みたかった。
でも3時まで!
どうやらここは午前中にきてゆったり釣りをしたり自転車で島めぐりをして、
昼食をとり風呂に入ってビールを飲み3時ころには帰る、
そんなパターンの施設らしい。

というわけで湯上り後の長い時間をむなしく過ごした。
そして家族で来てる外国人の釣り客が目立つ。
でも釣り上げてる姿はほとんど見ない。
わざとつれない竿を貸してるのかな?
でもまあそんなことないだろう。
ついた時にはほとんど見なかった魚の影も、
日が落ちるころ桟橋からたくさん見えた。
肴が、いえいえイカもいっぱい泳いでた。
釣りたいなぁ~
底にはウニもいっぱい!
とりたいなぁ~
とっても気になったので、桟橋で働てれる人に、このウニ食べれないの?と聞いたら、
たまにとる人もいるという話。
地元の人はあまり食べないんだ~
きっと中の実が少ないのだろうなぁ~

やがて、そのうち、やっと、船は来たので乗った。


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