ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

柚子

2019年10月31日 18時20分32秒 | 田舎暮らし
柚子をやっと収穫した。
もうそろそろ収穫かな?
でもまあ・・・いいか、様子を見よう。
でも自然は待ってくれない。
一個をだけが青く、他は黄色っぽくなっていた。

我が家には柚子の木は1本しかない。
それも竹藪の奥なので日当たりが悪く、木の上の方に何十個かなってるだけなのだ。

「桃栗三年」・・・なんていうけどそのあとに続く言葉が、いろいろある。
「桃栗三年、柿八年、柚子のおおぼけ17年」とか
「桃栗三年、柿八年、柚子は9年でなりさがる」とか
「桃栗三年、柿八年、梅は酸いとて13年」とか
「桃栗三年、柿八年、梨の大馬鹿18年」とか
種をまいて実がなるまでに柚子はとっても時間がかかるらしい。

でもまあ多少収穫時期を逃したとはいえ今年も柚子の香りを味わうことができた。
春の山椒と秋の柚子、これこそ日本人の味覚。
日本に生まれてよかった!とちょっぴり感じるひと時でありました。
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首里城焼失

2019年10月31日 17時39分44秒 | ニュースの中から
首里城焼失~とっても残念だ。
沖縄には一度も行ったことがない。
それで首里城も見たことはない。
一度は見たいと思ってたのだけど・・・

首里城は戦争で焼失して再建されている。
それで再建は可能だろうけど、きっと中に展示されていただろう展示品は永久に失われてしまった。
木造建築物は火事に弱い。
それで多くの貴重な建造物が失われてきた。
まして城は真っ先に攻撃の目標になる。
大東亜戦争で多くの貴重な建造物が失われた。
とりわけ超国宝だった名古屋城が消失したのはとっても悔やまれる。
愚かな戦をしたものだ。
奇跡的に生き残った姫路城、この姫路城を見るにつけ、
やっぱり反戦になる。
敗戦でなく終戦。
もう戦争は懲り懲り!
「負けた、悔しい!」
ではなく、
「もう戦争は懲り懲り!」
こんな戦後の気持をいつまでも持っていたいものだ。

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古生物食堂

2019年10月30日 18時29分41秒 | 本の中から
今日は午前中は竹細工教室と陶芸の本焼き。
それなりに適当に二つとも掛け持ちでこなし、
昼前に終わって図書館に行った。
と言っても今図書館は耐震構造の改造工事中。
それで工事が終わるまで同じ公民館の一室で細々と営業(?)を始めている。
でもこちらにとっては都合がいい。
半日で陶芸と竹細工と図書館をこなしたのだから。

毎日一番時間を割いている趣味は読書。
昼間はほとんど読まないけど、晩の8時~9時ころには寝て、3時間~6時間後には目を覚まして(この時間の差は酔い方による、たくさん飲んだらやっぱり目覚めは遅い)
夜中から夜明けまで毎日、本を読み、疲れたら、転寝をして、また目覚めたら本を読む。
こんなしょうもない暮らしを毎日送っている。

趣味はいろいろあるけど、きっと、やっぱり、最後まで残るのは、読書と酒だけだろう。
飲酒はもはやここまでくると職業と言うべきだろう。
あるいは慈善事業ともボランティアともいえるだろう。
だって今まで人一倍飲酒税を払ってきたのだから。
諸費税が2%上がったからと言って、お国のためには、2%なんてどうってことはない。
それどころか、この金が福祉に回るのならこんなにうれしいことはない。
2%分の残額が、いえいえ全額が回るのならこんなにうれしいことはない。

一方、読書はと言うと(飲酒はお国のためだけど)個人のため。
根がぐうたらな人間なので竹細工も陶芸も園芸も写真も音楽鑑賞さえも、体を動かさないとできない、これが何とも面倒だ。
えっ、音楽鑑賞は読書と同じじゃない?
なんていう人がいるかもしれないけど、
ステレオは壊れてとっくに処分した。
今、パソコンで聞くか車で聞くか、コンサートに行くか、それ以外には選択肢はない。
車とコンサートは別としても寝転んでパソコンなんて気楽にできるわけはない。
えっ、そんじゃ酒は?
うむ!つくなぁ~。
でも酒は別。
昔は酒のためなら、自分の時間も心も命までも売る!と思ってたけど・・・
最近とっても軟弱になった。
呑みに外に出るのもなんとも煩わしい。
そんな時間があるのなら、往復する時間があるのなら、その間呑んでた方がずっといい。
でもやっぱり酒は別。
確かに寝転んで酒は飲めない。
消費税が上がって、それに耐え、ひたすら耐え続けて、お国のために尽くす。
これこそ愛国者!
死んだら靖国に祭ってほしい!

いえいえそんなことじゃない!
ますます酔いが回ってきた。
いえいえそんなことじゃない!!
ほんの話だった。
毎日毎晩夜中から明け方まで、ずっ~と、うつらうつら読書をしている。
いつも数冊同時に読んでいる、蔵書や図書館で借りた本を読みまくっている。
そして(実は蔵書の肩苦しい本よりも)たまたま借りた図書館の本の方がずっと面白い。
そして今日たまたま借りた本、「古生物食堂」(技術評論社)
古生物の料理のレシピ。
これがとっても面白い!
この本を読むと古生物を食べたくなる。
カンブリア紀のアノマロカリスのしんじょう揚げから始まって、
今読んでるのはペルム紀のヘリコプリオンの中華風餡かけ。
そして間もなく中世代の恐竜やその巨大な卵を食べられる。
さらには巨大な哺乳類の祖先たち。
とっても丁寧なレシピ、料理法。
今では、とってもぐうたら、とってもものぐさになったけど、こんな食堂があったら、
今すぐにでも食べに行きたい!
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ザクロ

2019年10月28日 18時18分11秒 | 花便り


毎年ザクロはむなしく実を付け、むなしく落ちていく。
口をいっぱい大きく開けて、「ねぇ~あたしを食べて~~~」
なんて迫ってくるけど、でもねぇ~、たしかに一見いかにも甘そうだけど、酸っぱいのがわかっているだけに、食べる気にはなれない。
昔は、子供のころは齧ってたけどね・・・


ざくろって果物なのだろうか?
果物屋で見たことない。
きっと花屋では売っているのだろう。
そうきっと花なのだろう、そういうことにしておこう。
そう思うと、果実としては問題があるけど、
花なら十分に秋を楽しませてくれる。

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ポポー

2019年10月27日 17時51分13秒 | 田舎暮らし
今年はポポーの出来が悪いね、実がとっても少ない、と思ってたら、
もうほとんど落ちてしまったあとだった。
かろうじて20個ほど収穫して、残りは僅か。
単に怠けて収穫しなかっただけだった。
正直ポポーはあまり好きじゃない。
最初の1~2個食べるととっても甘いので調子に乗ってさらに食べると、
その癖のある甘さにうんざりさせられる。
実は多くの人は同じように感じるらしい。
でも中にはとってもポポー好きの人もいる。
感じからいうと5人に一人くらいはポポー大好き人間で、すっかりポポーにはまってしまう。
ともあれ我が家にはポポーが6本もある。
何の手入れもしてないのに勝手に実がなる。
我が家のすべての果樹園の木はポポーを見習ってほしい。
なんせ柿や栗や枇杷以外はほとんど実がならないのだから。

というわけで今年はポポーはもう終わり。
来年はもうちょっと真面目に収穫しよう。
そして農園に来た人に無理やり押し付けるという楽しみを味わおう。
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時代祭り

2019年10月26日 17時33分15秒 | ニュースの中から
たまたまニュースで時代祭りをやっていた。

京都の3大祭りと言うと、祇園祭と葵祭と時代祭り。
祇園祭は普通の祭りと違い歴史の重みを感じる。
葵祭は(見たことないけど)まあそれなりに趣はあるのだろう。
ところが時代祭りはと言うと、これは単なる仮装行列。
葵祭の平安時代に絞った仮装行列でなく、縄文から明治まで、
だらだら歩く学生アルバイトなどが扮する装束にすっかりうんざりして、
1度見ただけで、2度と見る気にはなれなかった。
祇園祭みたいな伝統的な祭りはいいとしても、にわか仕立てのカーニバル、
市長などが扮する大名行列、いい加減にしてよ!
単なる恥さらし。
こんなのを見て喜ぶ人いるの?
今住んでるこの市にも祭りのイベントに確か大名行列がある。
隣の赤穂市には12月14日だったかな、赤穂浪士の討ち入りの行列がある(見たことないけど)。
ねえねえ、こんな情けない、恥しらずなイベントやめたらどう?

でもまあ、そんなことよりも、今多くの田舎の祭りは衰退して消えようとしている。
でもそれは仕方ないことではないか?
いったい、神のために人はあるのだろうか?
それとも、人のために神はあるのだろうか?
神のために人があるのなら、そこに殉教がある、宗教戦争がある。
人のために神があるのなら、そこには現世利益の神がある。
交通安全、無病息災・・・
交通事故を起こした車に「交通安全」の張り紙があると、まったくうんざりさせられるけど、でもまあ、それはそれとして、こんな張り紙の前にはきっと自然崇拝があるのだろう。
自然の中に八百万の神々がいてそこに「交通安全」の神もいるのだろう。
そうそう、この方がよほど人類のためになっているのではないだろうか?
そうそう、殉教を強いる神でなく、困ったときに助けてくれる神々の方がどれほど有難いか。
有神論のように自然を闘いの相手としてしか見ないのでなく、
自然とともに暮らし、自然の実りも自然の災害もともに受け入れる、
それこそ、本当の宗教ではないだろうか?
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網代編み

2019年10月25日 18時09分28秒 | 竹細工
昨日から激しい雨、昼からやっと止んだ。
それで今日は久しぶりに家で竹細工・網代編みをした。
網代編みのお盆はいくつか作ったけど、3年前、とっても凝った網代編みのお盆を作り、そのあまりの面倒くささに、すっかりうんざりして、もうや~~~めた!!
それ以来作っていない、とうてい作る気になれない。
でも久しぶりに始めると面倒くさいけど、意外と楽しい。
網代編みは縦ひごと横ひごの組み合わせ。
色はというと、黒竹や焼竹や黒竹の黒色、竹の身の白色、そして青竹。
青竹はやがて色が褪せて黄土色になる。
この3種類のうちの2色だけの組み合わせ。
もちろん塗料を塗ったら他の色も出るけど、それでも2色の組み合わせになる。
そして直線は得意だけど滑らかな斜線はにがて。
ごつごつとした斜線になる。
これを滑らかにしようとすると、とっても細い竹ひごをたくさん作らないといけない。
それは何とも面倒だ。
それでいいから加減に妥協した幅の竹ひごで作ることになる。
今、やや細めの4ミリ幅の竹ひごで網代編みを作っている。
まあ、何とか、これで、誤魔化せるかな?

そしてしばらくは竹の網代編み作りで時間を過ごし、
その間にぐい呑みと徳利を作り、
冬に薪ストーブのお湯で自前の徳利で燗をして、自前の網代編みのお盆に乗せて、自前の器に肴を入れて、自前のぐい呑みでちびりちびりと純米酒を呑もうと思っているのでありますよ。
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豪雨

2019年10月25日 17時54分36秒 | 田舎暮らし
昨日から激しく雨が降った。
そして昼からようやく止んだ。
終わってみたら程よい雨だった。
しかし東日本とりわけ千葉は大変だっただろう。
2度続けて大きな水害にあったのだから。
首都圏は地震には強いのだろうけど、台風はあまり来ないので、きっと弱いのだろう。
そのてん沖縄はしょっちゅう強い台風が来るのに、被害のニュースはあまり聞かない。
よほど台風の防備が万全なのだろうか?
でも土砂崩れや川の氾濫などはもっとおきてもよさそうなのだけど、ニュースにならない。
それともマスコミは首都圏や関西圏の災害はニュースにしても地方の災害は知らんふり!なのだろうか?
まあ、そんなこともないだろうけど、それなら沖縄の人の台風への防備をもっと参考にしたらどうだろうか?
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「即位礼正殿の儀」(3)

2019年10月23日 18時57分33秒 | 田舎暮らし
「賢所大前の儀」が終わって昼からは「即位礼正殿の儀」
十二単に覆われた皇女たちの姿、いいものだ。
ただ皇太子妃を除いてみな同じデザインなのはどうしてだろう?
もっといろいろここぞとばかり、変わったデザインの衣装があっても良かったのでは?
それに十二単、聞くところによると、重さが20キロもあるらしい。
今はまだしも、これが真夏だったら熱中症で倒れる人続出!ってことになったかもしれない。
東京オリンピックのマラソンと競歩がいきなり札幌に変更になったように、
次の即位の時は朝6時にスタートするとか、あるいは札幌に変更するとか、そんな事態もありえると思ったのだった。

さていよいよ高御座のシーン。
高御座に天皇が、その隣の御藏に皇后が登場する本日の儀式の最もメーンになるシーン。
このとっても荘重なシーン、そして荘重であればあるほど、ついついいつものことながら、
ついついいつもの癖でまったく別のことを想像する、夢想する。
(そう、まったくどうしようもない人間なのだ)

まず登場のシーン、もっと効果的な方法があったのではないだろうか?
ギリシャ劇のように天井から現れるとか、歌舞伎のように床からそり上げってくるような、そんな演出があっても良かったのではないだろうか?

そして、参列者一同が見守る中、あのカーテン(?)をちらっと開けて「ちょっとだけよ」といってすぐに閉める。
せめてそんなストリップ小屋のような参列者を焦らすような演出があっても・・・
そう、せめて、これくらいのファンサービスは欲しかった。
それにあの高御座を見るとついついかくれんぼを想像する。
カーテンを開けたとたん、そこには誰もいない。
おつきの人は慌てふためき、床から天井から、天皇を探しまくる。
「もう、いいか~い」
すると舞台裏から
「まあだだよ~」

しかしあの高御座、奇術のトリックにうってつけ。
そう、このままでは終わらない、なんて、なんかそんな演出が欲しい。

次にカーテンを開けたら、なんと天皇と皇后が入れ替わっている!
慌てて奥に退いてもらい、入れ替わってもらって、
恐る恐るカーテンを開けたら、今度は・・・
天皇と皇后が元に戻っていることを願いつつカーテンを開けると・・・

なんと!高御座と隣の御座にあの韓国の玉ねぎ男夫婦が現れる。
「いかん!いかん!!」慌てて閉める。
心の動揺をなんども抑えて、この悪夢がすっかり覚めたのを願いつつ、カーテンを開けると、
なんと今度はあの韓国の国会の議長が、天皇を戦犯の孫と言ったあの議長が座っている、よく見たら愛知のあの県知事、慰安婦像や昭和天皇の写真を焼いて踏みつけているあの像の展示に補助金をだしたあの県知事もそばに侍っている!

もうすっかい慌てふためいている宮内庁の役員をしり目に、参列者は大喜び。
この退屈な儀式の余興に大喜び。
ただ喜ばなかったのはテレビで見てた吉本の社長。
うむ、いかん!これはパクられるかもしれない。
なんせパクるのが得意の韓国のこと。
吉本だけは日本のそれも関西のこの吉本の芸だけは盗まれることはないとばかり思って安心していたのに・・・
あらためて韓国の政界の人材を見ると今の吉本の人材以上に受けるキャラ満載!
いかん!危うい!!
そう思い真っ青になったのだった。
でもまあそれはともあれ、つっこみどころ満載でこの儀式は終わったのでありました。

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「即位礼正殿の儀」(2)

2019年10月23日 17時48分41秒 | 田舎暮らし
午前中の「賢所大前の儀」は厳かに行われた。
皇居にあのような社があるとは知らなかった。
真ん中に天照大神、左右に天皇の先祖と他の神々を祭る社。
そこに参拝して天皇を継ぐことを告げる。
いかにも皇室の伝統を感じさせる儀式だったけど、
ただこの社、もちろん明治以後に作られたもので、あまり重みを感じられない。
やっぱり京都の御所か伊勢神宮でやってほしかった。
それから3種の神器のこと、
勾玉と剣だけで、鏡がなかった。
鏡は伊勢神宮にあると思うけど、取り寄せられないのだろうか?
せめて即位の礼の時だけでも3種の神器が集まってほしかった。
しかし正直、3種の神器って怪しい。
剣は安徳天皇とともに関門海峡に消えたはず。
それなら今の剣はきっとまがい物?
それに剣は名古屋の熱田神宮にあるはず。
それなら熱田神宮の剣と皇室の剣とどちらかが本当のまがい物で、もう一つはまがい物のまがい物?
南北朝時代、南朝は北朝に3種の神器を渡した。
でもそのあとであれは偽物だと言った。
そうそう、3種の神器はなんとも怪しいのだ。
でもまあ、そんなことはどうでもいい。
そもそも須佐能の尊が退治した大蛇の尻尾から出てきたという剣や日本武尊が使った草薙剣が本物かどうか鑑定できる人がいるか?
そんなことまったく意味のないこと。
ただ3種の神器の神話を信じればいいことなのだから。
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「即位礼正殿の儀」

2019年10月22日 17時54分01秒 | ニュースの中から
雨の中行われた午後1時からの「即位礼正殿の儀」と午前中の「賢所大前の儀」
をテレビで見た。
午前中のイベント、白装束で臨まれた「賢所大前の儀」これこそ即位礼だと思った。
天皇や王と大統領や首相との違いは何か?
それは宗教ではないか?
宗教の裏付けがあってこそ人は天皇や王を尊いと思うのだ。
天皇は神道の長だ。
そこに宗教色が出るのは当然のこと。
ヨーロッパの王国での国王の就任式ではキリスト教が顔を出す。
だからとって誰もそれを憲法違反だと問題にはしない。
ヨーロッパの王はキリスト教の裏付けがあってこそ権威をもつ。
日本の天皇も神道の裏付けがあってこその天皇だ。
ただ天皇と王との違いは、王は政治にもろに口を出す、
でも天皇は昔、飛鳥時代や建武の中興~後醍醐天皇~などを例外として、ずっと政教分離を続けてきた、それが世界最古の王政、天皇制が続いた理由だ。
とにかく天皇が政治に口出すとろくなことはない。
それは超懐古主義者、後醍醐天皇を見ればわかること。
建武の中興、というか建武の悪政は3年で終わった。
それ以後天皇が政治に口出しされたことはない。
明治以後は単に利用されただけなのだ。
それは明治以後の歴史書を見たらすぐにわかる。
そこには西郷とか大久保とか伊藤とか・・・
日清・日露・第一次世界大戦、そして大東亜戦争。
それを起こしたのは天皇ではない、当時の政治家だ。
昭和天皇は誰よりも立憲民主制を理解し守ろうとした。
そのために政治に関与することはなかった。
ただ2つの例外を除いて。
一つは2・2・6事件。
このクーデターに民主制の危機を感じてそれを抑えた。
これは民主政を維持するためには必要なことだったかもしれないけど、
はたして立憲民主制に対して、はたして正しかったか、違反してなかったかどうか?
そのため・・・・
そのため・・・・
いえいえ、だんだん酔いが回ってきた。
まだ言いたいことはいっぱいあるけど、
続きは明日にしよう。
うぃ~~~~


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枝豆

2019年10月19日 17時39分34秒 | 食の話
枝豆と言うとビールのお友達で真夏のビヤガーデンの定番。
でも本当は今が旬。
普通に露地栽培すると、今頃できる。
というわけで今、毎晩毎晩枝豆を食べている。
若い大豆を塩ゆでしただけ・・・
料理ともいえない粗末な料理で、たいして美味いとも思えないのだけど、
それでもなんか癖になって、毎晩食べている。
個人的には枝豆よりも塩ゆでしたピーナツの方が好きなのだけど・・・

そもそも酒の肴には卑しいものや手抜き料理が多い。
キュウリにもろみをつけただけのモロキュウ。
ただ切って皿に盛っただけの、かまぼこやチーズ、ソーセージ。
炙って割いてマヨネーズをかけただけのスルメ。
腐った大豆・・・納豆。
まあ手がかかっているにはおでん、焼き鳥、串カツ・・・でもこんなのが出るのは一杯飲み屋で家庭で出ることはまずない。

でもまあ枝豆の話。
ビールの友として、これくらい気楽に、値段の心配をすることもなく、食べられるものはない。
大豆だからきっと栄養もある。
そうそう今日もまた気楽に枝豆を食べているのでありました。
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晴耕雨読

2019年10月18日 16時58分29秒 | 田舎暮らし
久ぶりに雨。
豪雨は困るけど、程よい雨なら、時々雨なら、大歓迎。

田舎暮らしの目的の一つは晴耕雨読だった。
晴れの日は畑を耕し、雨の日は本を読む。
でも田舎暮らしを始めてもう17年も過ぎたけど、晴耕雨読をしたことはほとんどない。
雨の日は畑が気になり、やり残した仕事が気になり、ただただ、そわそわ、そわそわするだけだった。
でも今では畑仕事は、碌な畑仕事はしていない。
本人はしてるつもりだけど、傍から見るときっと遊んでるとしか思えないだろう。
花を植えたり、役にも立たぬ山菜や、全然実がならぬ果樹を育てたり、なかなか卵を産まない鶏の世話をしたり・・・
「何やってるの?」と聞かれたら、「う~~~~ん」と、とっても悩んでしまう。
そうそう、何やってるんだろうね。

でもこんな暮らしが実は自分に一番向いてるのかもしれない。
昼間は仮の姿。
畑仕事や園芸をしたり、陶芸や竹細工をしたり、車ではクラシック音楽を楽しんだり、写真を撮ったり・・・
こんなのは仮の姿、そして午後の5時以後、本当の自分の暮らしが始まる。
風呂に入り、酒を呑みながらパソコンをして、ほろ酔い気分で食事をして、そのあとは転寝と読書の時間。
時々読んでは時々寝て・・・それが朝まで続く。
この長い長い時間が、ぐだぐだ過ごす時間が、最高の時!
だってそれは時空を旅する時間なんだよ、
思いっきり時空を乗り越え羽ばたけるときなんだよ。

昔からイカロスにあこがれていた。
そう、現状を乗り越えて思いっきり羽ばたきたいと思っていた。
でも現実の壁は大きく重い。
でも今でも思っている、イカロスになりたいと。
ダイダロスの言葉を、現実を忘れ、思いっきり羽ばたき墜落する、そんなイカロスになりたいと思っていた。

そして今、昼間の現実のひと時を過ごした後、
毎晩、酔いを通して本を通して時空の旅を楽しんでいる。

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今日は陶芸、今日も無事

2019年10月17日 17時34分13秒 | 田舎暮らし
毎朝寒い日が続いている。
昨日は竹細工、今日は陶芸。
毎日それなりに忙しく過ごしている。
そう、少なくとも週に1~2日は。
えっ、週に1~2日?あとは?

いえいえそんなことは、まあ置いといて、
それなりに毎日を過ごしている。
今日もよく働いたねぇ~、と無理やり自分に納得させて、
毎日晩酌をしている。

今日は素焼き。
もっと作ろうと思ってたのあけど、家で作るのもなんか面倒で・・・
焼いたのは先週陶芸教室で作った、多目的グラス(?)1個だけだった。
でもこのグラス(?)、ビールのジョッキにもなるし、お湯割りの焼酎入れにもなる優れもの。
多々益々弁ず。
そのうち、丼ほどの大きさの猪口を、
ジョロほどの大きさの徳利を作ろうかと思ってる。

それはともあれ、窯にみんなで作品を入れた後、珍しく一人残って、
しこしこ作陶した。
と言うのも急激に温度を上げると割れてしまうので、まず隙間を作り、徐々に温度をあげて300度くらいになったとき蓋をしないといけない。
そこでそれまで人がついていないといけないのだ。
それで誰かが残らないといけない。
いつもは人任せ、ごめん!といってさっさと帰るのだけど、
やっぱり、たまには・・・
今日は一人残ってしこしこ作陶しようと思ったのだった。
そして徳利と猪口を作ろうかなと思ってたけど、ここは簡単にマグカップにした。
といってもマグカップはそんなに簡単じゃない。
でも型紙を作っているので、たたら作りだと割と簡単にできる。
そしてマグカップを2個作った。
その後、まだ時間はあったけど・・・もういいかぁ~
そうそう、もういいんですよ。
そうそう、適当に温度も上がったので、蓋を閉じ帰ってきたのだった。
そうそう、今日もまた忙しく時を過ごしたのでありました。
今日無事。
そうそう、今日もいい日でありました。


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花盛りの農園

2019年10月16日 18時23分03秒 | 花便り
今日も寒かったけど、竹細工教室があるので早起きして鶏の餌やりをした。
そして午前中はしこしこ竹ひごつくり。
昼からは残ってた鉄砲ユリの移植をした。
これで移植した百合は多分全部で50本くらいはあるので、うまく行ったら来年はミニ百合園ができるだろう。
これでいずれはこの農園は水仙園、紫陽花園、芍薬園、菖蒲園になるだろう。
そうそう花いっぱいの農園に・・・
そう、花いっぱいの農園にしたいのだよ。
そして年中花を愛でながら呑んで暮らす、そんな暮らしをおくりたいと思っているのでありますよ。

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