ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

西遊記

2024年05月04日 20時09分35秒 | 本の中から
西遊記を読んだ。
テレビドラマや子供向けの本などでよく知ってる話であり、
今更読むのも・・・と避けてきたけど、
「三国志」「水滸伝」「金瓶梅」を読んで「西遊記」だけ読んでないのも、なんだかなぁ~、と思い読むことにしたのだった。
ところが読んでみるととっても面白い、面白いけど、やっぱり、なんだかなぁ~と思う。
中国の小説ってならず者の小説だ。
それに比べて日本の小説は、特に時代小説は妙にかたぐるしい、気取り人間の小説だ。
どちらが面白いかと言うと・・・どちらも面白い!
本性丸出しをそのまんま楽しむ小説と気取り人間の裏を探ってその本音を楽しむ小説と。

西遊記ではやくざな猿・孫悟空と小心な男・三蔵法師と根っから卑しい・猪八戒となんとも存在感のないもっぱら荷物運びの沙悟浄の天竺への旅を描くドラマ。
いつも活躍する孫悟空を内心苦々しく思い、まったくあてにならぬ猪八戒に頼ってはいつも失敗ばかりして最後はやっぱり孫悟空!というお決まりのドラマ。

ところでこんなことでなく、旅の小説の話。
古代ギリシャの「オデュセイア」や古代ローマの「サチュリコン」あるいはスペインの「ドン・キホーテ」あるいはイギリスの「ガリバー旅行記」「トム・ジョウンズ」などなど、旅の冒険やエピソードをつなげて小説にする、
これは西洋文学の主流の一つになっているし、多くの旅の小説がある。
でも不思議なことに日本ではとっても少ない。
「東海道中膝栗毛」などあるにはあるけど、出版された当時とっても評判になって類似の本がたくさん出版されたけど、すぐに飽きられてしまった。
「義経記」の後半、義経一行が平泉に落ち延びていくまでの話は旅の話と言えないこともないけど、でもまあ(知ってる限りでは)旅の話は少ないね。
もっとあってもいいと思うのだよ。

 

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漢詩

2024年05月03日 00時54分16秒 | 本の中から
漢字がやたら多い文章は読む人にはとっても難しく感じられる。
それで漢字ばかりの、それもやたら難しい漢字が多い漢詩はついつい敬遠したくなる。
でもこんな詩などどうだろう?
意味が分かっても分からなくても、声に出して読むだけで楽しくならない?
 
   春夜
                蘇軾

 春宵(しゅんしょう) 一刻 値(あたい)千金
 花に清香(せいこう) 月に影
 花管(かかん) 楼台 声 細細(さいさい)
 鞦韆(しゅうせん) 院楽 夜 沈沈(ちんちん)

とっても調子がいいので変に訳すより、そのまま読むのがいい。
でもどうせなら漢詩も分かりやすく訳してその意味を知りたい、
と思うのも当然のこと。
そこで次の詩とその意訳。
きっともとの詩よりも意訳のほうがをずっといいと思われるだろう。

   勸酒 
                               宇武陵

 君に勸む 金屈卮
 満酌 辞するを須いず
 花発けば 風雨多し
 人生 別離足る

なんかよくわからぬ詩だけど、それがこんな訳だととっても親しく感じられる。

 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガセテクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ 
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

      (井伏鱒二・訳)

漢詩は自分なりに意訳して親しみたいものだ。
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陰陽師

2024年03月23日 15時58分22秒 | 本の中から
先月からふと「陰陽師」夢枕獏・作を読んでいる。
なんか評判らしいので・・・
そしてもう16冊目。
なんせ短いかい会話、短い文章ごとに段落を変えているのですいすい読める。
これって枚数稼ぎじゃない?
漫画の台本にもなってるらしいからかな・・・
これが新人の作家だったら、出版社に嫌な顔をされて、
「却下!書き直し!!」
なんて言われるところだろう。
でもそこはそれ、(きっと)売れっ子作家なので出版社も何にも言えないのだろう。
でもおかげですいすい読める。

読む前は陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満の戦いを書いた歴史小説かなと思っていたけど、そんなではなくて、晴明を中心に時々道満も登場するオリジナル短編集だった。
平安時代はなにやら魑魅魍魎が徘徊する怪しげな時代で、当時の人は本当に鬼の存在を信じていたらしい。
源氏物語や枕草子、蜻蛉日記、更級日記などを通してみる雅やかな平安貴族の暮らしではなく、今昔物語りを通して垣間見る庶民の貧しい、おどろおどろした暮らし、それが平安時代の世界なのだろう。
そこは怨霊、呪詛、鬼、そして陰陽師の世界。
今の感覚だと盗賊・強盗が蔓延るものすごく治安が悪い世界だと思えけど、
当時の人はこれを鬼のせいにしたのだろう。

でもまあそれはそれ、もう充分に楽しんだので次はもっと他の世界の旅をしよう。

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ながい坂

2023年11月02日 17時55分33秒 | 本の中から
昼真はもっぱらぐうたら暮らし、夜はもっぱら読書で過ごす。
晩の8時ころにはもう寝て朝の7時には起きる。
その間、寝ては起きたり、起きたり寝たり・・・
浅い浅い眠りの中で夜を過ごし本を読む。
そのため長い睡眠時間の割には睡眠不足。
それで昼食後は1時間ほど昼寝をする。
なんともなんとも、どうしようもないぐうたら暮らしだ。
でもまあこんな暮らしこそ最も自分に向いた生き方。
そうそう子供のころから、まったくどうしようないぐうたら人間だったのだから。
子供のころにあこがれていた職業は灯台守。
暗くなったら灯をつけて、明るくなったら灯を消す。
あとは小屋にこもって本を読んだり、飽きたら釣りをしたり、ぼけ~っと海を眺めたり・・・そんなことして暮らしをしたいなぁ~なんて小学生のころから思っていた。
そうそう子供のころから、まったくどうしようないぐうたら人間だったのだ。

いえいえこんな話じゃなくて読書の話。
今、色々ある趣味の中できっと最後に残るのは読書だろう。
なんせ寝転んでてもできる。
うつらうつら・・・居眠りしながらでも・・・時空の旅を楽しむことができる。
これほど自分に合った楽しみはない。

本はなんでも読むけど、好きなのは西洋の古典。
現実の日本とかけ離れれば離れる話ほど時空の旅の楽しみが増す。
その一方で時代小説や戦争物やミステリーは避けてきた。
なんせ根が平和主義者なので人を殺して喜ぶ、人の殺し方を楽しむ・・・そんな趣味は到底持ち合わせていないから。
時代小説はなんとも殺伐とした世界、仇討ち、お家騒動、捕物帳、斬ったはったの任侠の世界・・・こんなものには到底馴染ない。
戦争小説・・・これはまったくひどい。
時代小説も推理小説も所詮、一人、あるいは数人、あるいはせいぜい十数人殺すだけの話だ。
赤穂浪士だって、見方によっては、一人の老人を47人が寄ってたかって惨殺した・・・まあ他にも巻き添えになった人は何人かいただろうけど、それだけの話だ。
ところが戦争ものとなると何百何千何万という人が死んでいく・・・到底読むに堪えない殺伐とした世界だ。
殺伐とした世界というと、時代小説も殺伐とはしているけれど、それなりに仁義がある
 お控えなすって、お控えなすって、手前生国と発しますところ・・・
なんてそれなりの挨拶をしてから殺し合いに参加するとか、
戦の時には、
 やあ~やあ~我こそは坂東一の剛の者、熊谷次郎直実なるぞ、
 いざいざお立会いあれ~!
なんて風にお互いに名乗り、今ではサラリーマンが初対面の折、名刺を交換して、「わたくしこういう者です」、なんて名乗りあうようにいきたいもの。
もっともこの最低限のマナーも蒙古相手にはまったく通用しなかった。
 「やあ~やあ~我こそは・・・」なんて言ってる間に取り囲まれて矢を射かけられたちまち殺されてしまった。
そうそう、だって相手は日本語をまるで分らない人たちだったのだから。
そこでまずは、日本語教育をして、せめて「やあ~やあ~我こそは・・・」なんて言葉の意味が理解できる人たちだけに入国を許し、まずはそんな人達とだけ戦をすべきだった。
これは今でもいえる。
今多くの事実上の移民がやってきている。
その移民にまずは日本語教育を受けることを勧めている。
でもそんなこと無駄なこと、日本語教育は強制ではないので、日本語がまるで分らなくとも外国人だけで通用するコミュニティー社会でもきていける、
そこでは日本の法律を守らなくても生きている。
それなら最初から日本に来てから日本教育をさせるのでなく、最低限の日本語ができる人だけ受け入れたらいい。
せめて「やあ~やあ~我こそは・・・」と自己紹介できる人間だけでも受け入れるべきではないか?

いえいえこんな話じゃなくて時代小説の話。
最近時代小説も読んでいる。
戦国時代やそれ以前のあるいは幕末・明治維新前後の歴史小説の話ではなく、江戸時代の話。
 印籠をとりだして、「これが目に入らぬか~!」「ははぁ~~~!!」
なんて話や、
 酒を飲みながら~越後屋や越前屋に「おぬしも悪よの~」なんて言いながら底が重い菓子箱を受けとるシーンや、
「あれぇ~~~!」と叫ぶ町娘の帯といてくるくる回しながら楽しむおなじみの名シーン。
そんな時代小説の話。
こんな小説にうんざりして今までほとんど読んでこなかったけど、ふとした機会に、ふとしたきっかけで読み始めた。
それは西條奈加、梶よう子という作家の作品を読んで、これなら読めると思ったからだ。
どちらもホームドラマ風時代小説。
そんなにおどろおどろした場面は少ない。
それでこの2~3年、2人の作家の作品を中心に時代小説を読んできた。
その一方で同様に今までほとんど読まなかったミステリーにも手を出した。
ミステリー小説に特に欠けているのはユーモア。
ところが東川篤哉のユーモア・ミステリーともいうべき本を読んで、これなら読める、これなら書けると、と思った。
実際には書けるわけないのだけど、そんな感じのする作品だ。
でもまあミステリーの話は置いといて、時代小説の話。
二人の作家の小説をいろいろ読んだ後、今度はもっと本格的な時代小説を読んでみようと思った。
代表的な時代小説家というとやっぱり山本周五郎や藤沢周平・・・かな?
なんかそんなイメージがある。 
どちらも初めてだけど代表作を2~3本読んだらいいかと・・・
そこでまず山本周五郎「ながい坂」を読んでみた。
ながいながい小説でもう少し短くできたのではないか?
3分の2くらいの長さだったらもっとしまったのでは?
それに週刊誌に連載されてた小説だとか、
連載の場合だと連載ごとに小さなピークをもっていくことだけでなく、
連載の継ぎ目を気づかせないことがポイントだと思うけど、そこらへんがどうだろう?
なんか継ぎ目が気になった。
そのてんアレクサンドル・デューマの「三銃士」、これも連載小説だったそうだけど、見事だと思う。
まっそんなことは置いといて、お決まりのお家騒動などもあり楽しく読めた。
これからはあんまり毛嫌いしないで時代小説も読んでいこうね。
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一期一会

2023年09月21日 06時59分03秒 | 本の中から
一期一会は人との出会いだけでなく、本との出会いもまたあるのかもしれない。
もちろん人とは再会できるかもしれないし、本も再読できる、
でも読んでる自分自身すでに昔の自分ではない。
本も人も出会うべき時期というものがある。
「若きウェルテルの悩み」など今ではきっと読むのに耐えないだろう。
「チボー家の人々」は中高時代に読んでなくて、それがずっと気がかりだったので、数年前に読んでみた。
するとやっぱりたいして心に響かない。
一方、モンテーニュの「エセー」は学生時代に読んだときはたいして面白くは思わなかったけど、数年前に再読した時はとても面白く読めた。
やっぱり本には読む時期というものがある。
特に古典は、その大部分は若い時に読むに限る。
もしも読む時期を逃したら一生後悔することになるだろう。

こんなことを書くのも実は最近セリーヌを読み痛感したからだ。
セリーヌの「夜の果ての旅」を読んだのは学生時代。
とっても衝撃を受けた。
当時セリーヌは日本ではあまり知られていなくてこの本が初の邦訳。
筋はほとんど覚えていないけど(筋なんてあったのかな?)第一次大戦後の不安な世情が伝わってくる、悪意に満ちた作品だった。
その後、ほかに翻訳作品がなかったこともあって、セリーヌから遠ざかりほとんど忘れてかけていた。
ところが最近図書館で世界文学全集の中にセリーヌを見つけて、躊躇しながらも借りた。
きっと読み終えることはできないだろうな、と思いながら。
納められている作品は、セリーヌ最晩年の作品、「城から城」「北」「リゴドン」の3編。
「夜の果ての旅」がセリーヌのデビュー作なのでこれで最初から(途中を端折って)最後まで読むことになる。
内容はいずれも第二次世界大戦の末期から大戦後の不安な時代。
その上セリーヌはナチス協力者とされ敗戦間近のドイツに亡命し、さらにドイツからデンマークに脱出してそこで逮捕される。
そして1500人に上るナチス協力者の一人と次々と死刑になる中、何とか特赦で生き延びてフランスに帰ると、家の中のものはほとんど略奪されて、無残な姿になっていた。
そこで医院の看板だけは上げたものの、患者はほとんど誰も寄り付かない・・・
そんな状況で書かれた3部作。
「城から城」はなんとか読んだものの、「北」は途中で読むのを放棄して、「リゴドン」は、あったく読んでいない。
昔だったらこの3作品はもっと面白く読めただろう・・・
とこあれこの作品からはやっぱり「不安」を感じる。
そして「今」を感じる。
ロシアと中国の影を
そして日本の卑しい「サヨク」の影を
日本が奈落に落ちていく姿を。


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読書の楽しみ

2022年06月30日 18時03分13秒 | 本の中から
 讀書之楽楽如何
 緑満窓前草不除
      (朱熹)

読書の楽しみって?
読書の楽しみのためならば、
草刈りなんてしてられるかい。

きっといろいろある趣味の中で最後に残るのは読書だろう。
読書は部屋の中で寝転んでても広大な時空の旅ができる。
まさにぐうたら人間向けの趣味だ。
今、2~3日に1冊、月に10数冊は読んでいる。
夜中はもっぱら読書タイム。
7時~8時ころには眠り、夜中に起きて最初はうつらうつら・・・
2~3ページ読んでは眠り、また起きては数ページ読む。
そのうち次第に目が冴えてきて夜明けまで読む。

そのため昼間はうつらうつら・・・そうそう今までだって、もっぱらうつらうつらの人生を過ごしてきた。
だからこそ今まで生きてこれたんだよ。

まあそれはそれとして、今まで主に読書は実用書は別として古典を中心に読んできた。
だって新刊書なんて、特にベストセラーなんて、5年10年もすると時の流れに消えていく。
今日本で作家という職業だけで暮らしていける人は10人もいないらしい。
たいていの作家は講演などの副業で暮らしているらしい。
毎年2~3人は出てくる芥川賞受賞作家、そのうち5年後10年後、いったい何人の人が作家として生き残っている?
それに昔は乏しい小遣いをはたいてしこしこしこしこ本を買ってたけど、
今ではこのため込んだ本が古本屋では紙くず同然。
あんなに大切にしてきた本が紙くず!
それでもうすっかり本を買い自分の書棚に並べる楽しみを亡くしてしまった。
それからはもっぱら図書館を利用した。
でも作者と読者は共存共栄の関係にある。
もし読者が本を買わなくなったら作者も暮らしていけなくなる。
それで少なくとも新刊書だけはみんな図書館でなく本屋で買ったらいい。
と思う。
もっともこちらはもっぱら古典を読んできたけど・・・
でも去年からふとミステリー小説をふと新刊を読みだした。
新刊と言っても10~20年前の作品。
ミステリー小説は今までほとんど読んでこなかった分野。
作家もほとんど初めての人。
ミステリー小説なんてほんの数か月もあったらよみつくしてしまうだろう・・・
と高をくくってたら、読んでも読んでもきりがない。
すっかり泥沼にはまっている。
それに江戸川乱歩や横溝正史などのおどろおどろしい探偵小説や、
何とも重苦しい松本清張などの推理小説、
ロッカーの死体から始まって最後は観光地の断崖絶壁に犯人を追い詰めるテレビドラマ風サスペンス、
こんなお決まりのパターンにうんざりしてたけど、最近のミステリー小説は実に面白い。
というわけですっかりはまっている。
ミステリー小説だけでなく時代小説にも外国の作家の小説にもはまっている。
最近の小説も、と言っても10~30年前の小説だけど・・・、とっても面白いし、この1年で新しい作家にたくさん出会えた。
読書の楽しみって、やっぱりまずは楽しむこと、教養なんてそんなんじゃなく、まずは楽しむことなんだよね。


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「ウィグル大虐殺からの生還」

2022年02月10日 19時27分54秒 | 本の中から
「ウィグル大虐殺からの生還」(再教育収容所・.地獄の2年間)グラバハール・ハイティワジ・著・・・を読んだ。
この話は収容所群島のソ連時代の話ではない。
1000万~2000万人を殺戮したという毛沢東時代の話でもない。
今現在にウィグルで起きている中国の話なのだ。
著者はフランスに家族で政治亡命したウィグル人の普通の主婦。
事務上の手続きの必要があるという理由で騙されて新疆ウィグルに戻って、そのまま収容所送りとなった。
そして収容所と職業訓練所と言う名の再教育収容所に2017年1月から2019年8月まで、何の罪もなくまともな裁判を受けることもなく3年近く拘束された。
劣悪な収容所の環境、「職業訓練」などまったく行われず、毎日毎日、洗脳教育、そしてウィグル民族絶滅を図る避妊処置、避妊注射。

グラバハールさんはまだ良かった。
フランスの亡命してたのでフランス大使館が動き奇蹟的に解放されることができたから。
ところが多くの収容者はさらに悲惨な刑務所送りとなる。
隣の部屋で自分の子供が拷問され、やむなく身の覚えもない罪を認めさせられて15年の刑務所送りとなった人もいる。
グラバハールさんは幸い刑務所には行っていない。
刑務所ではさらに悲惨な状況が、おぞましい生体臓器移植も行われているのだから。

さてこんな状況を読んで皆さんどう思います?
中共政府が考えていることはただ一つ、ウィグル民族の殺戮、消滅。
チベットでの成功を今ウィグルに向けられている。
そして次は台湾、次は沖縄と北海道、次は日本全土。

今こんなジェノサイドに反対するのは当たり前のこと。
ところが国会のジェノサイド決議にさえ反対する国会議員がいる。
中身を全く骨抜きにして「中国」という国名を入れることさえ妨害する国会議員、
自民のあのシェーシェー官房長をはじめとする媚中・親中の国会議員、そして公明党の議員、中国のセクシーやマネーにすっかり汚染されて日本を売る売国奴たち。
こんな議員たちに1票を投じた有権者たち、恥ずかしくないのか。
「清き1票」どころかあんたたちが投じた1票はけがれたとっても汚らしい1票なのだよ。
そう、公明党に投じたあんたたち、イスラム教徒の命なんか人権なんかどうでもいい!と思っているの?

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読書

2022年01月28日 17時31分45秒 | 本の中から
昨日はシイタケの菌打ち作業。
真面目に真面目に働いた。
まぁ~、たま~に重労働もいいよねぇ~
月に数回、いえいえ年に数回、自分がこの世に存在していることを知るいいチャンス。
そう、そうなんだ、まだこの世にいたんだよね!
体の疲労が自分の存在を納得させる。
我思うゆえに我あり、じゃなくて
我疲れたゆえに我あり、だよ。
・・・しかしデカルトのこの言葉、なんか滅茶苦茶気取ってない?
なんか胡散臭いと思わない?
この世を統べているのは自分かい?デカルトかい?
・・・いえいえそんなことじゃなくて、まだこの世にいたのだという話。
そうそう、まだこの世にいたんだよ。
しつこくしつこくいたんだよ。
毎晩毎晩酔いどれて・・・酔って酔って酔いどれて・・・あとは朝まで読書に明け暮れる・・・こんな暮らし、きっと自分なりの理想的な暮らし。
読みたい本をみんな読んだらあとはいつ死んでもいい。
でも読みたい本はいっぱい!
読めば読むほど、この泥沼にはまる。
焦熱地獄や飢餓地獄、阿鼻叫喚地獄や無間地獄こんなおぞましい地獄の中に、きっと読書地獄もあるんだろうね。
怖~~~い鬼が金槌を振りかざし、「読め~読め~読め~!」と読書を強いる。
そんな脅迫に屈して毎日毎日読書に明け暮れている。
でもこんな暮らし自分なりに楽しんでいる。

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小川洋子さん紫綬褒章受章

2021年11月02日 18時00分35秒 | 本の中から
「博士の愛した数式」は数年前に読み、面白くて作者にもとっても興味を持ったけど、
でも他の人の本を読むのに忙しくてずっ~と読んでなかった。
でもたまたま今年になって、たちまち10数冊読んだ。
今ではすっかり小川洋子さんファン。
長編はもちろん好きだけど、短編集がいい。
まったく別の話でなく一つの町裏で各々の短編が繋がって一つの作品になっているって、とってもユニークとっても独創的。
文章も素直で読みやすい。
すっかり気にっている。
その小川洋子さんが紫綬褒章受章。
勲章にはまったく興味ないので紫綬褒章がどんな勲章か知らないけど、
ともあれ受賞されたのはうれしい!

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「日の名残り」

2021年09月12日 18時19分18秒 | 本の中から
「日の名残り」(カズオ・イシグロ著)を読んだ。
ヨーロッパの古いモノクロの名作映画を見てるよう。
もう今ではいないのかな貴族の屋敷の執事。
でもきっと今でも生きているのだろう一流ホテルの支配人として。
そんなイギリスの貴族の暮らしと終焉、
そして女中頭の思い・・・を淡々として描写で語っていく。
ただひたすらモノクロの世界、カズオ・イシグロならではの世界。
まだしばらくはカズオ・イシグロの本に浸りそう。


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「私を離さないで」

2021年09月04日 07時47分50秒 | 本の中から
「私を離さないで」カズオ・イシグロ(著)を読んだ。
施設での普通な子供たちの暮らし。
それが普通であればあるほど、結末は重い。
子どもを産めない体で生まれ、臓器移植のためだけに生かされている人たち・・・
クローン人間と言っても普通の人と何の違いもない。
そんな人たちの臓器を生体移植する。

そして、ついつい新疆ウィグルのことを想像する。
いったいウィグル人とどれほどの違いがあるのだろう?
そして普通の人間であることに目をそらし、その臓器の移植を受ける金持ちの中国人、世界各地の金持ちたち。
はるかに悲惨な状態に置かれているウィグル人たちのこととだぶって見えてくる。

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「カルトの子」

2021年08月22日 18時16分31秒 | 本の中から
「カルトの子」(米本和広・著)を読んだ。
オウム真理教・エホバの証人・統一教会・ヤマギシ会の子どもたちのレポートを本にしたもの。
そのおぞましい内容はここでは書かないけど、
ただ言えるのは子供にとってやっぱり家庭は必要だということ。
子どもを親から引き離す・・・
それだけではっきり「NO!」と言おう。
はっきり「カルト!」と言おう。
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推理小説

2021年08月14日 17時18分45秒 | 本の中から
今日も一日降り続いた。
沢はあふれている。
でもまだ豪雨と言うほどの雨ではなく、
なんとか「晴耕雨読」を楽しんでいる。
最近、推理小説・・・というかミステリー小説を楽しんでいる。
(推理小説とミステリー小説に何か違いがあるのだろうか?
自分ではかってに昔ながらの推理中心の本格的な小説を「推理小説」
もっと軽いビジュアル的な、あるいはテレビの2時間ドラマみたいなものを「ミステリー小説」の区別しているのだけど・・・)
もともと推理小説はあまり好きではなかった。
推理を追うのが面倒くさい、何よりユーモアがないのが面白くない。
古典的な江戸川乱歩や横溝正史の探偵小説、
面白くはあるのだけど何か物足りない。
本格的な推理小説の立場にたつと「変装」はルール違反だと思う。
これだったら密室殺人の謎解きなどを無視して話を進めることができる。
「江戸川乱歩全集」もあと最後の一冊で完読、と言うところで、とうとううんざりして読むのを止めてしまった。
どちらかと言うと乱歩より横溝正史の方が土着的な味があって好きだけど、
でも数冊しか、5~6冊しか読んでいない、あとはテレビドラマで満足している。
探偵小説の後は推理小説。
松本清張の社会派推理小説~確か2~3冊しか読んでいない。
何とも重い、重っ苦しい~
それ以外日本の推理小説を読んだ記憶はない。
西村・・・とか、内田・・とか、1冊も読んでない・
自分では人の価値を決めるのは「優しさ」、
小説の価値を決めるのは「ユーモア」だと思っている。
ユーモアのない小説には魅力を感じない。
そのてん従来の推理小説にはユーモアが欠けている。
それで魅力を感じなかった。
でも最近、ふとしたきっかけで推理小説、いえいえミステリー小
そして今はまっているのは、東川篤哉氏の作品。
推理に関しては最初はかなり無理筋を感じたけど、巻を重ねるごとにとってもくなっている。
何よりも楽しいのはユーモア感覚。
もう10数冊読んだけど少しも飽きない。
新しい感覚のミステリー小説として、まだしばらく読み続けるだろう。

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書物戦争

2021年07月21日 17時53分54秒 | 本の中から
古典と現代の文学とどちらが優れているか?
このばかばかしい議論がしばしば登場する。
スウィフトの時代にもこの論争があった。
夜中に書棚の本が戦争を始める。
古典と現代(スウィフトの時代)の本が一騎打ちの戦いを始める。
古典派のスウィフトのこと、圧倒的に古典の勝利になるかと思いきや・・・
それがなかなか決着がつかない。
そして結果はどうなったか?
それが「書物戦争」昔々読んだ本なので、覚えていない。
スウィフト自身、くだらない議論だとわかってるだけに、いい加減なところで終わったのかもしれない。

アリストファネスの喜劇の中にも出てくる。
エウリピデスの本とアイスキュロスやソフォクレスの本を測りに乗せて重さで価値を決めようという、いかにもアリストファネスならではの場面。
もちろんエウリピデス嫌い、アイスキュロスやソフォクレス好きの保守的なアリストファネスのこと、すぐにエウリピデスの負け!と、決着がつくか思いきや、これがなかなか難しい。
アリストファネスはさんざんエウリピデスをこき下ろしているけど、実はエウリピデスを評価もしていたのだろう。
あっちにゆらゆら、こっちにゆらゆら、なかなか決着がつかない。
ところが、あれれ、突然エウリピデスが重くなる。
うむ?変だなあぁ???
よく見たら、こっそりエウリピデスが現れて自分の本の上に足を乗せている。
こらぁ~~~いんちきだ!!
・・・と、まあ、かように、書物の勝をいえいえ価値を決めるのは難しい。
まして古典と現代文学とどちらが優れているかなんて決められるわけはない。
そもそも比較するなら物差しを統一しないといけない。
高々何十年、せいぜい100年くらいの現代文学と何百年かの時の流れに生き残った古典とを比較するのがおかしい。
自分自身はきっと古典派だろうけど、最近今どきの小説を読んでとっても面白いと思っている。
古典か現代文学か・・・どちらも面白いしどちらもくだらないものもある。
ただ古典の場合は時の選択によって良い物だけが残る。
そのてん古典が有利なのかな?
でも現代文学は古典を参考にできるもで、古典以上のものもできる。
まあどちらにしてもくだらない議論だ。

今どちらも楽しんでいる。
でもあえて言えば、若いときは古典をより多く読んでほしい。
若いときに読み、そして時を経て再読したとき、きっと古典の良さがわかるだろう。
一方現代文学はとりわけベストセラーの作品はすぐ読むのでなく発売されて10年後くらいに読んでほしい。
ほとんどの作品はすでに廃刊されていい物だけが何とか生き残っているだろう。
そのとき読んでも遅くはない。
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推理小説

2021年07月08日 17時12分01秒 | 本の中から
推理小説まだ読んでいる。
そしてふと気づいた。
今どき「推理小説」とは言わないんだね。
ミステリー小説と言うらしい。
でもミステリー小説と言うと、確か月曜や金曜の晩の8時57分頃から始まるテレビドラマ。
ロッカーの中に死体が!・・・から始まって、最後は海岸の絶壁に犯人を追い詰めるシーン。
そんなテレビドラマをついつい想像する。
そう、その一方推理小説と言うと、なんか重~~~い、何ともやりきれない・・・そんな感じがして今まで避けてきた。
でも最近の、今どきの推理小説を、いえいえミステリー小説を読むと、もっと軽~い気持ちで殺人が起きる、人を殺す、そしてさらに軽ーい謎解きが始まる。
そうそうこれはこれでいいんじゃない?
この前読んだのはそんな軽~い小説。
「謎解きはディナーのあとで」(東川篤哉・著)
この手の作品大好きだ。
ユーモアがなければ小説じゃない!といつも思ってる。
そして日本の小説、とりわけ「純文学」という手合いの小説。
ユーモアのひとかけらもないような小説。
芥川賞作品などにしばしばみられる病根・弊害・くず!
そんな小説には何の魅力も感じない。
作家はすべからず売文家である。
売れない小説を書くな!
面白くない小説を書くな!

ところでその一方で本格的な推理小説も読んでいる。
今読んでいるのは「カササギ殺人事件」(ホロヴィツ著)
ホームズ物やエラリ・クイーンなどの伝統を踏まえた本格的な推理小説。
これはこれで楽しめる。

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