イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

大晦日

2015年12月31日 | Weblog
毎年の大晦日恒例、出勤前の大晦日詣出(こんな言葉があるのかどうかは知らないが・・・)
大体、元旦に初詣をする人はあまりにも多く、さすがの神様も誰がどんな願い事をしていたなんてすべて記憶することができないんじゃないか?覚えていたとしても誰かの願いを誰かの願いと間違えて叶えちゃったりしてしまうかもしれない。それなら人の少ない時を狙ってお願いするというのもひとつの作戦としてはいいのではないだろうか・・・。

参詣場所を谷町界隈から地元に移して2年目は名草戸部にまつわる場所を訪ねてみた。

名草山の麓には中言神社という同じ名前を持った神社がいくつか存在する。ご祭神は名草姫命と名草彦命で真実はわからないらしいが、名草戸部と関係ある神様として祀られている。
一社は吉原、もう一社は神前、そして今日は参ることができなかったが、年末に訪ねた黒江の中言神社。

    

そして名草戸部は神武天皇の東征の際にこの地で討ち取られた部族の領袖だった。神武天皇の兄を祀る竈山神社と天照大神にまつわる日前宮は云わば勝者の側の神様だ。

 

日前宮の境内にも中言神社をみつけた。



これも明治のころの神社合祀の結果なのかもしれないが、これが敵も味方も神様になってしまえば同様にお祀りするのだという日本人のいいところなのだろう。


名草戸部の物語というのは神話の世界の話に過ぎないのかもしれないが、どこかで史実に結びついているのかもしれない。例えば、縄文人が弥生人に駆逐された古い古い物語をなぞらえているのかもしれない。自然を征服し、農耕をもって生産性を上げた民族が土地の恵みだけを頼りに命を繋いできた人々を滅ぼして新しい秩序を強いた。そんな人々もどこかで自然に根差した生き方にあこがれをもっていたから名草の神を祀り続けたのだと思いたい。

そして、この、弥生人と縄文人の勢力争いについて考えさせられる出会いがあった。
仕事のうえでのお客とのトラブルでもう自分では解決できそうもなさそうなので法律に詳しいひとの意見を聞きたいと思い、つてを頼ってお二人の弁護士の先生にお話をおうかがいする機会を得た。
おひとりの先生は、「君の職業を否定するわけではないが。」と前置きをしながら、「なんでみんな無駄なものを買いためるんだろうね。私は母に言うんですよ。物を貯めるのではなく、心に貯めなきゃ。」とおっしゃった。先生のお母さんもウチのお得意さんらしく、なにかれなくたくさんの物を買ってくれているそうで、そんな感想をお持ちのようだ。
もうひとりの先生は、生家がぶらくり丁の商売人で、そもそも商品とは適正な価格で売買されているはずなのにお客はいつも偉そうだ。例えば、パンツ一つにしても自分で縫って作るとなると大変な労力だ。商売というのはそんな不便を解消するためのもので、お客もありがとうという気持ちがなければいけないはずが、いつも偉そうにしているお客に我慢ができるわけがなく、弁護士の道を選んだそうだ。(それだけの動機で司法試験を一発で合格することができるのも並みの人ではないのだが・・・)
そう思うと、自分の仕事はなんと因果なものかと思ってしまう。しかし、それはそれで、生物というもの、遠い過去から強い遺伝子を残すためにオスは自分の強さを誇示してきた。クジャクはきれいな羽根を大きく開き、魚の多くもオスはきらびやかな姿をしている。メスはメスでオスを引き付けるためにフェロモンを出さなければならない。現代ではそれが高価な宝石や時計、かっこいいファッションなのだと思う。(本能を具体化するための仕事であるとも言えるのだろうか。だから本能むき出しの人々ばかりが集まってくるのだろうか・・・)それに人類が蓄積してきた高度な芸術性や高度な工芸技術を後世に残してゆく担い手であるのかもしれない。しかし、そんなことは別にこの業界がなくても個別に伝承できるし、生きる意味の本質を知っている人々には物で自分を飾る必要はないと言われてしまえばたじたじとなってしまう。

「生きているうちは、ひとは世の中の役にたってしまう。」
暮れに新聞に載っていた言葉だ。その心は、犯罪者でも警察が動けばガソリンを使うし、張り込みのときにパンを食べる。捕まったあとは出前のかつ丼を食べ、収監されれば職業訓練で人々に貢献する。つまり、金銭物資の流通が生まれる。ということだそうだ。
今年も幾冊かの宗教に関する本を読んだが、すべてに共通することのひとつの言葉は「世の中の役に立たなければならいのだ。」ということだった。修行をしている姿を見せること、人々のために祈ること、死後の世界を思い描くこと、すべては人の心に安らぎを与えるため。ドラッカーもマネジメントの義務は社会貢献だと説いていた。
先の先生の言葉では自分の業界というのは果たして社会貢献になっているのかと思ってしまっていたのだが、この言葉を借りるとお金持ちから(むりやり?)消費を引き出してキャッシュを回すということで貢献しているのか・・・。
考えたらそれもなんだかむなしいものだ。

ただひとつ、救いがあるとすれば、僕自身、この業界を志したのは平日に休めるという理由だけであった。平日ならゆったりと魚釣りができる。それだけだった。まるで物欲(贅沢品という意味だが。)には興味がない。まだ人らしい生き方ができる可能性があるのかもしれない。
前記のとおり、弥生人は自然を克服し生きる道を切り開く人々、縄文人は自然から与えられたものをうまく使って生き延びてゆく人々。お二人の先生はまさしく自分で自分の生きる道を切り開いた人ではあるが、人が人らしく生きるすべを知っている人でもあると感じた。
以前に読んだ、梅原猛と中上健次の対談「君は縄文人か弥生人か」の中で語られていた、二つの特性がほどほどに合わさった姿が一番いいという考えがそのまま当てはまる人々だ。
僕には初めから人生を切り開いてゆく能力はないが、縄文人らしく生きる楽しさを理解することはできそうな気がする。

そして、生家が商人という先生に興味深い話をしてもらった。
この先生、元は作家を目指しておられたそうだ。ライバルは同年代の石原慎太郎や同郷の有吉佐和子。作家になりたいがために、大学時代はトキワ荘(どうして漫画家の集まりの場所であったかはよくわからなかったが・・・)なんかにも出入りをしていたそうだ。
彼らがどんどん世間に知られるようになるのに自分は目が出ないので新聞記者になり、体を壊しそうになったので郷里に帰り、新宮高校の教師の職を得てそこで2年間仕事をしながら司法試験の勉強をしたそうだ。その時の教え子の中に中上健次がいたというのもこれまたすごい。昭和38年に教師になったと聞いて、その頃って中上が在学していたのではないですかと聞いたものだから、先生の話に拍車がかかり合計4時間半という長い時間、話を聞くことができたのだ。
この人は、道の延長線上にそんな一流の世界を見据えていたのだ。普通の人は自分のやりたいことがあったとしてもその先にそんな世界を想像できないのではないか。少なくとも僕は想像できない。例えば高校球児はどれくらいの人がプロへの道とのつながりを想像しているのだろう。
そういう想像ができない人間は絶対そこまで到達できないのだと、ハッと気が付いた。この魚は釣れないと思うと絶対に釣れないというのと同じなのだ。次元が違うが・・・。

「桐島、部活やめるってよ」という映画をたまたま見た。野球部のキャプテンはドラフトが終わるまでクラブを続けると言い、映画部の監督は自分の作品の延長線には有名作家のホラー映画があるんだと語っている。一流になりたかったら今の自分と一流の世界をつないでゆかなければならいんだというメッセージだと感じた。
そういえば、師は「パニック」を書いたとき、その題材を阿部公房が狙っていることを知って、急いで書き上げたというエピソードを思い出した。師も普通のサラリーマンでありながらすでに一流の作家をライバルとみなし、そんな世界を現在とつないでいたのだ。
かつて日曜日の朝に正義のために戦っていたカラフルな戦隊ヒーローは「勝利のイマジネーション!」と叫びながら暗黒の敵と戦っていたが、まさにイマジネーション=将来の自分の姿を思い描くことができたものだけがブレイクスルーを果たすことができる。
そして、そういうことを教えられる人が良き師匠であり良き先生であるのだろう。

50歳を超えてしまうと、すでに先は見えてしまいイマジネーションどころではない。
しかしながら、毎年同じ季節を迎え同じ時を繰り返すだけの生活もまんざらではない。僕は絶対に縄文人なのだから・・・。
今年は息子が医学部合格という金星を上げ、ある意味思い残すようなことはなくなった。彼は彼の人生を自力で歩んでゆけることだろう。
僕はいつものとおり春を迎え、タラノメを皮切りに山菜を採ってチヌを釣り、夏を迎え秋に真鯛を狙い、冬を迎えて春を待つサイクルを何回も繰り返してゆくだけだ。それで満足。それで満足だ。
そして最後、息子に引導を渡してもらえれば僕の人生もまんざらではなかったかと思えるのだ。
仕事のうえでは嫌なことが満載だったが今年もあと数時間で終わってゆく。
来年も弥生的なお客と上司と縄文的な自分自身の考えのはざまで悩むことが多くなるのだろうが、とにかく魚がそこそこ釣れてくれるように祈るばかりだ。


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