椎名誠 「ぼくがいま、死について思うこと」読了
病院の待合で読むような本ではないのは確かだが、前回読んだ、「遺言未満、」の前に書かれていた本だ。
著者が自分の死というものを意識し始めたのは、孫を持つようになり、奥さんから、「あなたも健康で生きていくことに責任を持つ歳になった。」と言われ、人間ドックに行くようになったことからだったらしい。そこで、医師から「あなたは自分の死について真剣に考えたことはこれまで一度もないでしょう」と言われた。
その時の年齢は67歳、僕ならひととおりすべて終わったらあとは死ぬのも自由だと考えると思うが、社会的に大きな責任を負っている人というのはそうもいかないらしい。
「遺言未満、」と同じく、自分の周りの親しい人たちの死に際して考えたこと、著者が世界中で見てきた葬儀の方法やその国々が持つ死に対する観念というようなものが書かれている。
そのスタンスは死とどう向き合うのかというような宗教的、スピリチュアル的なものではなく、様々な葬儀の形式を通して人は死をどう見てきたか、見ているのか、そんなことを客観的に書いている。おそらくそこから著者自身の生死観というものが固まってきたのだろうと思う。
最初には日本の葬式事情について書かれている。日本の葬式というのは、葬儀を自宅でやる家が少なくなり、今ではほぼ100%に近いくらいに葬祭場で行われる。僕も常々思っていたのだが、あの変な演出に誰も違和感を感じないものなのだろうか。大体、葬儀が始まると物悲しい音楽とともに凝ったナレーションが流れてくる。どんな内容かは思い出すことができないのだが、大体はまったく故人とは関係のない、ひとは生まれてから幾星霜、人生を全うして高いところに昇っていくみたいなそんな内容だったと思うが、あれにいったい何の意味があるのだろうかというところから違和感が始まる。大体は当日の進行役が読んでいるが、この人は故人のことをどれほど知っていてそれを読んでいるのかとしらけてくるのだ。式次第は進み、これは僕だけの経験かもしれないが、今年は母方の叔母と叔父が立て続けに亡くなり、ふた月を明けずに葬式があった。当然菩提寺は同じなので同じ坊さんがやってくる。(坊主ではなくて普通に髪の毛を生やしていたが・・)読経が終わり、なんだか講釈をやってくれるのだが、そのフレーズがまったく同じだったのである。多分、どこの坊さんでも、いつも同じフレーズを年中話しているに違いない。この坊さんも檀家の家系も知っているだろうし、もしわからなくても、マスク越しとはいえ、あれ、この前と同じ顔ぶれだから今日の講釈はパターンBでいこうとかは思わないのだろうかと思うのである。まあ、パターンBを持っていればという前提だが・・。
これほど形式だけになってしまった葬儀に何の意味があるのかと思うし、そもそも、会社勤めをしていると、同僚や上司の身内が亡くなったというので葬式に出かけたこともあるけれども、名前も顔も知らない人の遺影の前で焼香をするというのにも故人には失礼だがものすごい違和感を感じた。あなたは誰ですかと・・。これが、親しい友人の身内だと、ああ、この人が彼を作ってきたのかとそれなりの感慨を持って遺影を拝むこともできるのであるが・・。
僕の父親が死んだのは20年ほど前で、そろそろ、内輪だけでやるので会葬、香典は辞退という形式がちらほら現れた頃だったので、僕もそれでいいやと思っていたら、葬儀屋に勤めている義兄は派手にやらねばと、来てもらえ、香典ももらえと勝手に段取りを進めていた。僕が仕事で家に戻るの遅くて段取りをつける場にいなかったというのもあるけれども、受付をやってくれていた上司や同僚たちには申しわけないが、なんでこの人たちはこんなところで手伝いをしてくれているのだろうか、僕のとうちゃんのこと、誰も知らないのに。とそんなことを思いながらその場に立っていた。
こういう形式というのは、本来、地元で生業をして、地元で生きているという世界だから成り立つものを、現代の資本主義社会に無理やりはめ込んでしまったことの矛盾でしかないと思うのである。
この本を読んでいる限り、他国では古くからの宗教観に則った形で葬儀が営まれている。人は死ねばどこへ行くのか。それがわかることで現世をどう生きるか、そんなことがおぼろげながらわかることができて、しかもそれが共通概念となることでとりあえずは集団としての結束を保つことができるということなのであろうが、日本はそういうことを捨ててしまったというのがこの葬儀屋事情なのであろうと思う。
母はよく、あの場所は息が詰まりそうだった。だから早くあそこを出たかったのだというようなことを言っていたが、日本の集落というのはどこに行ってもプライベートがなくて気持ちが落ち着かないというようなことを聞く。そういうことが土地に根差した生き方を拒絶する要因になっているのだが、そういうところは他国とどう違うのかをもう少しこの本のなかで掘りおこしてほしいとも思った。
おカネの面でもそうで、日本は世界に比べると断トツに葬儀費用が高いらしい。父親の葬式にいくら使ったかというのは記憶が残っていないが、祭壇は何十万だし、テープレコーダーみたいな坊さんにもけっこう包む。絶対ぼったくっていると思うのは精進落としの弁当だ。スーパーの弁当の5倍以上の値段をつけているのではないかと思える。そして全然美味くない。
それもこれもしきたりをおカネに換えてしまった結果なのである。
そう思うと日本という国はなんと愚かな国だろうと思ってしまうのだ。
墓も建てたけれども、あれもどうなんだろう。たしかに父親はきちんとしておいてあげたいが、そんな信仰心でお墓もなにもないだろう。戒名をもらえるほど徳を積んだこともないしこれからもそんなことをすることはない。子供に手を合わせてもらおうとも思わない。
著者の家系はかなりややこしくて異母兄弟がいたり自身も奥さんの婿養子という形を取っているらしい。「それぞれの新しい家系が続いていくのだ」というような書き方をしているけれども、僕に置き換えると、続いても続かなくても何の益もない家系だから続こうが途絶えようが別になんとも思わない。ちょっと変わった名前の人たちがいなくなるだけだ。
こういったことを思うのは僕だけではないのであろうというのがこの国の愚かさを生み出しているのに違いない。
そして、著者はどんな死に方がいいか、そして、どんな葬り方をしてほしいかということを最後の章で考える。
まずは親しい友人たちにアンケートを取ってみる。日本でも屈指の作家の友人たちなので当然ながらひとつのことを成し遂げた人たちばかりなのであるからひとそれぞれの回答ではあるがさすがに達観した答えばかりだ。がんで死にたいという医師は、疼痛コントロールが可能(意識低下は少ない)なのであちこち不義理をしたところに仁義を切ってから死ねる。だとか、日本一のカヌーイストは激しい流れのなかで岩に押し付けられて身動きが取れない状態で死にたいとのこと。(これを“ハリツケ”というそうだ。)弁護士は最後まで人の役に立つ死に方をしたいそうだ。
葬儀はそれぞれ、「残った人が勝手にやってくれ、でも廉価でいい。」そうだ。
そういった答えを見ながら著者は、アウトドアの仲間と海べりで最後の極冷えビールを飲みつつぼんやり死にたいという。その後は法律上は無理だろうけれども、そのまま浜辺に埋めてもらえればそれでいいという。
そして、「遺言未満、」では、その後は八丈島で散骨してほしいとなってゆく。
僕はどうだろう、何も成し遂げず、「私は忙しいけれどもあなたに電話をしてあげた。」などと言われるくらいだからサラリーマンとしてはすでに死んでいるくらいなので上記のような素晴らしい人たちのようにかっこいい死に方を望むべくもないけれども、思うのは、菊新丸さんに聞いたご老人のような死に方だ。釣り船の出港を待ちながら周りが気つけば死んでいたというのはことさらかっこいいと思う。
僕は釣り船には乗らないので、自分の船でエンジンをかけて暖機運転をしている間に逝っちゃったというのがいいな。渡船屋の船頭が、あいつエンジンかけたまま全然動かんと様子を見に来たら死んでいた。なんていうのはどうだろう。
そのころには僕の葬式を出してくれる人がいるかいないかわからないのでいっそのこと献体でもして最後は切り刻んで魚のえさにでもしてくれと思うのだが、最近は身寄りの少ない人が多いからそんな希望も多くて間に合ってますと断られれるらしいからなんとも世知辛い。
これも法律違反になるのだろうが、高野山の奥の院を歩いていると、たくさんのお墓が建っていて、うっそうとした木々が生えている。こんなところにお墓を建てる財力もないし、お墓自体にもそれほど興味はない。でも、自分の骨のひとかけらくらいはこの木の下に埋もれていてもいいのじゃないかといつも思う。
父の納骨は奥の院でおこなったが、しかし、あれは納骨堂がいっぱいになった時点でどこかへ持っていかれるのだろうから、行き先がわからないくらいならお大師様のひざ元でひっそり粉になってしまいたいと願うのは不遜だろうか・・。
まあ、本格的にそういうことを考えなければならない時期はもう少し後だろうからたまにはこんな本を読みながらじっくり考えてみようと思うのだ。
病院の待合で読むような本ではないのは確かだが、前回読んだ、「遺言未満、」の前に書かれていた本だ。
著者が自分の死というものを意識し始めたのは、孫を持つようになり、奥さんから、「あなたも健康で生きていくことに責任を持つ歳になった。」と言われ、人間ドックに行くようになったことからだったらしい。そこで、医師から「あなたは自分の死について真剣に考えたことはこれまで一度もないでしょう」と言われた。
その時の年齢は67歳、僕ならひととおりすべて終わったらあとは死ぬのも自由だと考えると思うが、社会的に大きな責任を負っている人というのはそうもいかないらしい。
「遺言未満、」と同じく、自分の周りの親しい人たちの死に際して考えたこと、著者が世界中で見てきた葬儀の方法やその国々が持つ死に対する観念というようなものが書かれている。
そのスタンスは死とどう向き合うのかというような宗教的、スピリチュアル的なものではなく、様々な葬儀の形式を通して人は死をどう見てきたか、見ているのか、そんなことを客観的に書いている。おそらくそこから著者自身の生死観というものが固まってきたのだろうと思う。
最初には日本の葬式事情について書かれている。日本の葬式というのは、葬儀を自宅でやる家が少なくなり、今ではほぼ100%に近いくらいに葬祭場で行われる。僕も常々思っていたのだが、あの変な演出に誰も違和感を感じないものなのだろうか。大体、葬儀が始まると物悲しい音楽とともに凝ったナレーションが流れてくる。どんな内容かは思い出すことができないのだが、大体はまったく故人とは関係のない、ひとは生まれてから幾星霜、人生を全うして高いところに昇っていくみたいなそんな内容だったと思うが、あれにいったい何の意味があるのだろうかというところから違和感が始まる。大体は当日の進行役が読んでいるが、この人は故人のことをどれほど知っていてそれを読んでいるのかとしらけてくるのだ。式次第は進み、これは僕だけの経験かもしれないが、今年は母方の叔母と叔父が立て続けに亡くなり、ふた月を明けずに葬式があった。当然菩提寺は同じなので同じ坊さんがやってくる。(坊主ではなくて普通に髪の毛を生やしていたが・・)読経が終わり、なんだか講釈をやってくれるのだが、そのフレーズがまったく同じだったのである。多分、どこの坊さんでも、いつも同じフレーズを年中話しているに違いない。この坊さんも檀家の家系も知っているだろうし、もしわからなくても、マスク越しとはいえ、あれ、この前と同じ顔ぶれだから今日の講釈はパターンBでいこうとかは思わないのだろうかと思うのである。まあ、パターンBを持っていればという前提だが・・。
これほど形式だけになってしまった葬儀に何の意味があるのかと思うし、そもそも、会社勤めをしていると、同僚や上司の身内が亡くなったというので葬式に出かけたこともあるけれども、名前も顔も知らない人の遺影の前で焼香をするというのにも故人には失礼だがものすごい違和感を感じた。あなたは誰ですかと・・。これが、親しい友人の身内だと、ああ、この人が彼を作ってきたのかとそれなりの感慨を持って遺影を拝むこともできるのであるが・・。
僕の父親が死んだのは20年ほど前で、そろそろ、内輪だけでやるので会葬、香典は辞退という形式がちらほら現れた頃だったので、僕もそれでいいやと思っていたら、葬儀屋に勤めている義兄は派手にやらねばと、来てもらえ、香典ももらえと勝手に段取りを進めていた。僕が仕事で家に戻るの遅くて段取りをつける場にいなかったというのもあるけれども、受付をやってくれていた上司や同僚たちには申しわけないが、なんでこの人たちはこんなところで手伝いをしてくれているのだろうか、僕のとうちゃんのこと、誰も知らないのに。とそんなことを思いながらその場に立っていた。
こういう形式というのは、本来、地元で生業をして、地元で生きているという世界だから成り立つものを、現代の資本主義社会に無理やりはめ込んでしまったことの矛盾でしかないと思うのである。
この本を読んでいる限り、他国では古くからの宗教観に則った形で葬儀が営まれている。人は死ねばどこへ行くのか。それがわかることで現世をどう生きるか、そんなことがおぼろげながらわかることができて、しかもそれが共通概念となることでとりあえずは集団としての結束を保つことができるということなのであろうが、日本はそういうことを捨ててしまったというのがこの葬儀屋事情なのであろうと思う。
母はよく、あの場所は息が詰まりそうだった。だから早くあそこを出たかったのだというようなことを言っていたが、日本の集落というのはどこに行ってもプライベートがなくて気持ちが落ち着かないというようなことを聞く。そういうことが土地に根差した生き方を拒絶する要因になっているのだが、そういうところは他国とどう違うのかをもう少しこの本のなかで掘りおこしてほしいとも思った。
おカネの面でもそうで、日本は世界に比べると断トツに葬儀費用が高いらしい。父親の葬式にいくら使ったかというのは記憶が残っていないが、祭壇は何十万だし、テープレコーダーみたいな坊さんにもけっこう包む。絶対ぼったくっていると思うのは精進落としの弁当だ。スーパーの弁当の5倍以上の値段をつけているのではないかと思える。そして全然美味くない。
それもこれもしきたりをおカネに換えてしまった結果なのである。
そう思うと日本という国はなんと愚かな国だろうと思ってしまうのだ。
墓も建てたけれども、あれもどうなんだろう。たしかに父親はきちんとしておいてあげたいが、そんな信仰心でお墓もなにもないだろう。戒名をもらえるほど徳を積んだこともないしこれからもそんなことをすることはない。子供に手を合わせてもらおうとも思わない。
著者の家系はかなりややこしくて異母兄弟がいたり自身も奥さんの婿養子という形を取っているらしい。「それぞれの新しい家系が続いていくのだ」というような書き方をしているけれども、僕に置き換えると、続いても続かなくても何の益もない家系だから続こうが途絶えようが別になんとも思わない。ちょっと変わった名前の人たちがいなくなるだけだ。
こういったことを思うのは僕だけではないのであろうというのがこの国の愚かさを生み出しているのに違いない。
そして、著者はどんな死に方がいいか、そして、どんな葬り方をしてほしいかということを最後の章で考える。
まずは親しい友人たちにアンケートを取ってみる。日本でも屈指の作家の友人たちなので当然ながらひとつのことを成し遂げた人たちばかりなのであるからひとそれぞれの回答ではあるがさすがに達観した答えばかりだ。がんで死にたいという医師は、疼痛コントロールが可能(意識低下は少ない)なのであちこち不義理をしたところに仁義を切ってから死ねる。だとか、日本一のカヌーイストは激しい流れのなかで岩に押し付けられて身動きが取れない状態で死にたいとのこと。(これを“ハリツケ”というそうだ。)弁護士は最後まで人の役に立つ死に方をしたいそうだ。
葬儀はそれぞれ、「残った人が勝手にやってくれ、でも廉価でいい。」そうだ。
そういった答えを見ながら著者は、アウトドアの仲間と海べりで最後の極冷えビールを飲みつつぼんやり死にたいという。その後は法律上は無理だろうけれども、そのまま浜辺に埋めてもらえればそれでいいという。
そして、「遺言未満、」では、その後は八丈島で散骨してほしいとなってゆく。
僕はどうだろう、何も成し遂げず、「私は忙しいけれどもあなたに電話をしてあげた。」などと言われるくらいだからサラリーマンとしてはすでに死んでいるくらいなので上記のような素晴らしい人たちのようにかっこいい死に方を望むべくもないけれども、思うのは、菊新丸さんに聞いたご老人のような死に方だ。釣り船の出港を待ちながら周りが気つけば死んでいたというのはことさらかっこいいと思う。
僕は釣り船には乗らないので、自分の船でエンジンをかけて暖機運転をしている間に逝っちゃったというのがいいな。渡船屋の船頭が、あいつエンジンかけたまま全然動かんと様子を見に来たら死んでいた。なんていうのはどうだろう。
そのころには僕の葬式を出してくれる人がいるかいないかわからないのでいっそのこと献体でもして最後は切り刻んで魚のえさにでもしてくれと思うのだが、最近は身寄りの少ない人が多いからそんな希望も多くて間に合ってますと断られれるらしいからなんとも世知辛い。
これも法律違反になるのだろうが、高野山の奥の院を歩いていると、たくさんのお墓が建っていて、うっそうとした木々が生えている。こんなところにお墓を建てる財力もないし、お墓自体にもそれほど興味はない。でも、自分の骨のひとかけらくらいはこの木の下に埋もれていてもいいのじゃないかといつも思う。
父の納骨は奥の院でおこなったが、しかし、あれは納骨堂がいっぱいになった時点でどこかへ持っていかれるのだろうから、行き先がわからないくらいならお大師様のひざ元でひっそり粉になってしまいたいと願うのは不遜だろうか・・。
まあ、本格的にそういうことを考えなければならない時期はもう少し後だろうからたまにはこんな本を読みながらじっくり考えてみようと思うのだ。
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