イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「宇宙・0・無限大」読了

2023年10月27日 | 2023読書
谷口義明 「宇宙・0・無限大」読了

ものすごく読みやすい本だ。多分、凡人にはこんなことはわからないだろうということを前提にして書いているのだろう。かといって読者をバカにしているようなこともない。
そして、内容はもっとも素朴で根源的なものであるということが読みやすさと興味をそそるのだろう。
宇宙には『0(ぜロ)と無限大は存在するのか?』という疑問を解説している。
べつに、宇宙にこのふたつがあろうがなかろうが僕たちにはまったく何の関係も利害もないのだろうが、安易に使っているこのふたつの言葉の重さあらためて思い知らされる内容だ。
結論から書くと、この宇宙には0も無限大も存在しない。その根拠がいくつか述べられている。

まず、「0」が存在しない根拠からだ。
宇宙を動かしている力は四つある。重力、電磁気力、強い力、弱い力である。これらの力はすべて遠隔力である。接触力ではない。手のひらで壁を押したとき、手と壁の間の距離は0ではない。電磁気力で押しあっているのでその間隔は0になることはないのである。

絶対零度というものがある。摂氏マイナス273.15℃で、原子のエネルギーがゼロになり、普通は振動している原子がその運動を止めてしまうと言われる温度である。しかし、ミクロの世界では、位置、速度、エネルギー、時間などの物理量は常に揺らいでいる。観測した時点でなければそれぞれの値を確定できないという、不確定性原理というやつである。これがあるために原子などの粒子は静止することができないのである。これをゼロ点振動という。したがって、絶対零度も理論的には想像できても、この宇宙には実在しえないのである。

宇宙は、“無”の状態。すなわち、ゼロの状態からビッグバンによって誕生したと考えられるが、絶対零度の場合と同じ考え方で、“無”の状態というのは、すべての物理量が揺らいでいる状態であり、ある微小な幅を持っているとしか考えることができない。つまり、この宇宙の誕生の瞬間がいつであったかということは確定できないことになる。
この、宇宙の誕生と四つの力には密接な関係がある。この四つの力は、宇宙が生まれた瞬間にはひとつにまとまっていたものがほんの少し、1秒にも満たない時間の中で分かれていったという。10の-44乗秒後には重力と電磁気力、10の-36乗秒後には電磁気力と強い力、10の-11乗秒後には電磁気力と弱い力が分かれて、核子(電子や陽子)は10の-4条秒後に生まれたと考えられている。そのきっかけになったというのがその間におこった相転移というのである。
この四つの力を統一しようとするのが「大統一理論」である。
う~ん、わからない・・。

また、ゼロに似た言葉に、“瞬間”というものがあるが、これはどうだろう。瞬間を定義すると、「時間間隔がゼロになること」になるのだと思うが、ゼノンというひとが考えたパラドックス、「飛ぶ矢を、ある瞬間で見れば止まっている。止まっている矢を集めても、矢は飛ばない。」ということが証明できないことから、瞬間というものも存在はしないと考えることができる。ちなみに、ゼノンというひとは、「アキレスと亀」のパラドックスを提示したひとでもある。

次に「無限」は存在するかということであるが、無限の例として、宇宙の広さが考えられるが、これは“果てが見えるか見えないか”という意味で考えると無限ではない。宇宙は138億年前に誕生して以来膨張を続けているが、この膨張速度を考えると半径470億光年の広さまで広がっているという。相当大きいが無限の広さではないし、そもそも、われわれへ光の届く範囲は半径138億光年分しかないのでそこから先に宇宙が広がっていてもそれを見ることはできないのである。

無限の時間はどうか。素粒子の大統一理論が正しければ、陽子の寿命は10の34乗年だという。この時間が過ぎると、宇宙誕生の1の-4乗秒後に生まれた核子は崩壊して消えてしまうのである。だから、時間は無限に続くことはないと言える。
無限大というのは厄介なもので、どんなに物理量が小さな物でも、無限大を掛ければ無限大になってしまう。これを、「発散の困難」というそうだ。しかし、現実の世界ではその物理量が無限大になっているようには見えない。と、いうことで、現実と計算が矛盾してしまうことになる。
そんな中、無限大から無限大を引くという計算を考えてみると、この計算は破綻してしまう。(ゼロにはならなないらしい。)それを解消するために、このふたつの無限大を無限大とみなさないという考え方が出てきた。これを「繰り込み理論」といい、朝永振一郎がノーベル賞をもらった研究成果だそうだ。まったくわからない・・。
先に出てきた、「アキレスと亀」のパラドックスも無限大がないという証拠になっている。アキレスが亀に追いつけないというのは、時間を無限に分割できるという前提があるのだが、実際にはアキレスは簡単に亀を追い越してしまう。だからここでも無限大というものは無いという証拠になるのである。
ゼノンというひとはゼロと無限大のことばかり考えていたらしい。

最後に、「0」の不思議な計算を書いておく。
ゼロでの割り算をしてはいけないというのは小学生の時に習ったと思うのだが、それにはこんな理由がある。
5を0で割る計算をして、Aという値を得たとする。これは、
5÷0=A
で表される。そして、両辺に0を掛けてみる。
5÷0×0=A×0
と次のようになる。
5=0
5が0に等しいとなってしまうので有限な数を0で割ってはいけないというのである。
この本に説明はなかったが、有限な数を0で割ってはいけないが、有限じゃない数は0で割ってもいいのだろうか・・。
ということで、0を0で割る計算をしてみて、答えがBとなったとする。これを数式に表すと、
0÷0=B
となる。両辺に0を掛けてみる。
0÷0×0=B×0
0=0
となり、一見正しい計算に見えるが、Bはどんな数字でもよいとなってしまう。
これを数学では、「不定」というらしい。なんでもいいというのはダメらしい。
「何が食べたい?」「なんでもいい・・。」という会話は確かに不快だ。

ゼロの掛け算は何でもゼロになるというのは簡単に理解ができる。
しかし、ゼロの階乗は1になる。(0!=1)
なぜかはわからないが、高校時代に確かにこう習ったとうろ覚えの記憶がよみがえった。

きっと、どちらも人間が考えた概念だからこんなことがおこるのだろう。
どちらにしても数学がわからなくてもゼロと無限大は面白い。

著者は同じ新書版でもう1冊本を書いているそうだ。これもぜひ読んでみたいと思った。

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