イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「同志少女よ、敵を撃て」読了

2022年04月11日 | 2022読書
逢坂冬馬 「同志少女よ、敵を撃て」読了

なかなかタイムリーな本を読んでいる。アガサクリスティー大賞という賞を受賞したというのは宣伝に書かれていたが、読んでいる最中に「2022年本屋大賞」を受賞したというニュースが流れていた。この賞は今ではおそらく芥川賞や直木賞よりも影響力があるのではないだろうか。僕が貸し出し予約をしたときは17人待ちだったが、すでに36人待ちにまで膨れ上がっている。
また、舞台が、時代は違えどもロシア(旧ソ連)であるというのもタイムリーな話だ。

物語はというと、少女のスナイパーが活躍するという、アニメの原作になりそうなストーリーである。しかしその合間には戦争というものの悲惨、非情、不条理、狂気、そういったものが随所に盛り込まれている。現実ではロシアがウクライナに侵攻し、この物語とまったく同じことがおこなわれているのだということを考えると恐怖と悲しさを感じるのである。

舞台は第二次世界大戦の最中、独ソ戦の3年間である。この戦争ではロシア側の兵士は2000万人、ドイツ側は900万人の兵士が戦死したそうである。
主人公は狩猟が得意なセラフィマ18歳の少女だ。少女が住むイワノフスカヤ村というのどかな村に突然ドイツ兵がやってきたことから物語が始まる。ドイツ兵たちは村民をパルチザンと決めつけ蹂躙する。それを狩りから帰る途中に目撃した主人公親子は離れたところから様子をうかがうが、村人を助けようと銃を構えた母親はドイツの狙撃兵に狙い撃ちにされる。
ドイツ兵たちの前に引き出された少女は凌辱の危機に陥るけれども赤軍の登場によって救われる。しかし、すでに村民全員が殺された中、悲嘆で精神が錯乱している少女に向かい、この赤軍の上級曹長という女性は、「戦いたいか、死にたいか。」どちらかを選べ。と選択を迫る。戦いたければ自分について来いというのである。
自分が住んだ家もろとも母親の死体までも焼き尽くしてしまった隊長に対しての恨みと母親を狙撃したスナイパーへの復讐を胸にその隊長についてゆく。
この隊長は狙撃訓練学校の教官であり、家族を失った女性ばかりを集めて訓練を繰り返していた。こういった部分はフィクションなのだろうけれども、第二次大戦でソ連だけは女性が兵士として従軍したそうだ。その中には狙撃兵もいたのかもしれない。
この教官がどうして家族を失った女性ばかりを狙撃兵として育てたのかということは後になってあきらかになってゆくのであるが、そのイリーナという名前の教官は厳しく、かつ冷酷に生徒たちを指導し一流の狙撃兵に育て上げる。そして、「戦いたいか、死にたいか。」という言葉と、「お前たちは、今どこにいる?」というふたつの言葉がこの物語の進行に大きくかかわってくることになる。「お前たちは・・」という言葉は、本来の意味では狙撃兵として標的の位置と角度を正確に把握するための訓練の一部としてランダムに決められたその場所に自分が立ちに行くというゲームの中から生まれた言葉であるが、それが後々になって別の意味を帯びてくるのである。
そして、主人公の少女はこの訓練校でこれから運命を共にしてゆく女性たちと知り合う。自分が貴族の出身であることを恥じているシャルロッタ、カザフスタン出身の猟師であったアヤ、自分の子供や夫を殺されたヤーナ、NKVD(内務人民委員部)という裏の顔を持つウクライナ出身のオリガ、この5人に看護師のターニャが加わり第三九独立小隊(後に第三九独立親衛小隊)としてそれぞれにそれぞれの戦う意義を胸に秘めてスターリングラード、ケーニヒスベルクと転戦してゆく。そして、教官であるイリーナも自らの戦う意義を胸に従軍するのである。

その戦いはまさに劇画タッチだ。文学と言えるかどうかはわからないがやはりこういう文章は読んでいて面白い。射撃の腕が抜きんでてトップであったアヤは早々と戦死してしまうが、その他のメンバーはイリーナの指導の下どんどん腕を上げ、冷静かつ冷徹なソ連軍内でも一目置かれる狙撃集団となってゆく。
最後の戦いの舞台、ケーニヒスベルクではセラフィマの理智と射撃のテクニックが思う存分発揮されいくつかの危機を乗り越え宿敵である母の仇、イエーガーを撃ち取ることができるのであるが、物語はそれでは終わらない。そして、仲間の死と戦場の悲惨さを体験する中、セラフィマの中の戦う意義だけは少しずつ変化を見せてゆく。自分の母を殺したスナイパーへの復讐は変わらないけれどもそれに加えて、戦争で弄ばれる女性を守らなければならないという気持ちが芽生えてゆく。それが、後になって、「お前たちは、今どこにいる?」という言葉と重なってゆく。この辺りはこれから先この小説を読む人のために詳しくは書かないでおこうと思うが、ドイツ軍だけではなく、ソ連軍内でも戦時下での女性の虐げられ方というのは悲惨なものであったようである。

この小説が本屋大賞に選ばれた理由というのは、こういった劇画タッチの展開に加えてソ連が内に抱える民族主義的な矛盾や行き過ぎた社会主義の亀裂のようなものを織り込んでいるからなのかもしれない。そしてそれは今のウクライナ侵攻につながっているのではないかということがたくさんの支持を集めたのだと思ったりもする。
狙撃兵たちそれぞれの戦う意義・・・。
アヤはカザフスタン出身である。もともと遊牧民として暮らしていた民族であるが、ソ連の社会主義政策により定住を強制されることになる。そういった境遇から自由を得るためには軍人として出世をするしかないという思いで狙撃兵としての訓練を受ける。
シャルロッタは貴族の出身である。ロシア革命によって多くの貴族は迫害を受け国外に逃れるかその身分を隠して国内に留まるしかなかった。シャルロッタも自らはどうしてプロレタリアートではなかったのかというコンプレックスを持ち、その気持ちがソビエト連邦のために貢献したいという目的になる。
一番年上のヤーナは自分の子供たちが戦争によって死んでしまったことにより純粋に子供たちを戦争から救いたいという考えを持っている。そして後にドイツ軍の少年兵を助けるため自らが大きな負傷を追うことになる。
オリガは軍内の反革命分子の取り締まりという役割を果たしながら、ウクライナという地域がソ連からひどい扱いをうけてきたということを常に心に中に持っているようである。
ウクライナという地域は、古くから周辺各国が争奪戦を繰り広げた地域で様々な国の支配下に置かれてきた。一時期はキエフ大公国という国家も成立したが間もなく滅びる。
「コサック」という人々はそんな時代、この地域で自治組織として暮らしてきた人々のことを指し、ソ連に支配された後、コサック兵たちはソ連軍の先兵として扱われ、徐々に自治権も奪われてゆき、多くの政治家や知識人たちも弾圧されることになる。物語ではオリガもウクライナのコサックの名誉を取り戻すために戦うのだと表面上は仲間に打ち明ける。
プーチンも、ウクライナはロシアに隷属して当たり前で、NATOに加盟してそれを背景に対等の位置につこうなどとはおこがましいと思ってこんな戦争を仕掛けたのであればそれはあまりにも馬鹿馬鹿しいことではないかと思うのである。

物語は終局に向かい、歴史と同じくナチスが倒れソ連の勝利が近づく。かつてイリーナと同じ戦場で戦った英雄、リュミドラ・パヴリチェンコは、戦争が終わった後、狙撃兵としての生き方しか知らない自分はどう生きればいいのかというセラフィマの問いに、「愛する人を持つか生きがいを持て。」と答える。それは一体どういう意味なのか、当初は戸惑うセラフィマなのだが、イリーナの本心を知り、村民全員が死んでしまった村に戻り、イリーナと共にこの村を再興する中でその意味を知ることになるというのがこの物語の結末だ。

本屋大賞の受賞が決まったというニュースが流れたのと同じころ、「カムカムエブリバディ」も終盤を迎えていた。この物語も戦争に翻弄されてきた三世代の女性の物語であるが、コゴミ採りの帰り道、ラジオからはこのドラマにも出演していた浜村淳が、「戦争というのは人の運命を弄ぶのだ。」と語る言葉が流れていた。
もう、この言葉に尽きるのではないかと思った。ある英雄は内乱下のクーデター派との戦いにおいて、「まもなく戦いが始まる。ろくでもない戦いだが、それだけに勝たなくては意味がない。勝つための算段はしてあるから無理をせず気楽にやってくれ。かかっているのはたかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べれば大した価値のあるものじゃない。それでは、皆そろそろ始めるとしようか。」と言って戦いの火ぶたを切る。
国家の存亡に比べれば個人の自由と権利のほうがはるかに大切なのだということだが、他人からのあれこれで自分の生き方を邪魔されたくないと常に思っている僕はそういったことをよけいに強く感じるのである。

テレビやネットではどこどこの都市では市民が何人殺されたとか簡単にアナウンスされてはいるが、当然だがその人たちにも人生があったはずだ。戦争がなければそれは今も続いていたはずであり本当のところ、それは誰も止める権利はない。
5月9日というのはロシアでは独ソ戦の戦勝記念日だそうだ。その日までに勝利宣言をしたいというのがプーチンの思惑だそうだが、よく考えれば、この日というのは、ドイツに侵略された自分たちの国を多大な犠牲を払いながら必死で守り抜いた結果迎えた日であるのなら、今度は立場が逆で侵略者となった自らがその日を祝おうとするのはあまりにも矛盾しているのではないかと思うのである。
ウクライナの人々は過去の歴史から、自国を守らなければならないという意識と気概が他国(特に日本人などよりも)強いという部分もあるのだろうが、その気持ちに答えてロシア軍は早く撤兵してくれないものかと願うばかりなのである。

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