イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている」読了

2020年01月16日 | 2020読書
ジェイムス スーズマン/著  佐々木 知子/訳 「「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている」読了


今の仕事というのは、勝手に客にランクをつけ、僕からするとまったく買っても価値のないとしか思えないものを売りつけるような仕事である。旅行に連れて行ってやるから宝石を買えというのはどこかがおかしいのではないだろうかとずっと思っているのだ。
無意味に高額なものであってもそれを持つことによって満足が得られればそれでよいのかもしれない。万札を財布から出すことが楽しみならそれもいい。しかし、数十万円のカバンや数百万円の腕時計であってもモノを入れられる空間が極端に大きいわけでなし、自分が持っている時間が数百倍に増えるわけではない。
まったく羨ましくないと言えば嘘になるけれども、1万円のしゃぶしゃぶのお肉よりも自分で釣ってきた魚を自分でさばいて食べる方が喜びは大きいのではないかと思っている。
まあ、身なりがきれいで高価そうなものを身に着けている人を見ると、きっとこの人はお金で悩むことなんてないんだろうな。などと思ったりするのはやはりそういう人が内心では羨ましいと思っているにちがいないのではあるけれども・・・。

国の豊かさはGDPで計られるが、このGDPというのはお金が動かないと大きくならない。ただ、どんな形でもお金が動くと大きくなる。例えば災害が起こって復興のためにお金を使っても、テロが起こって治安活動が発動されても大きくなるそうだ。僕が釣り鉤を買うとGDPが増えるが真鯛を釣ってもGDPは増えない。
お金だけが幸せの尺度ではないなどと言うのは貧乏人の歯ぎしりでしかないとは思うのだけれども、そうともいえないと思う。しかし、そう思っていても幸福感を感じられないのはどうしてだろうか・・。この本はそういうものに対しての答えをブッシュマンの生き方が文明社会にどう影響されてきたかということを観察することから回答を求めようとしている。

ケインズの有効需要の法則は雇用量も物の価値も需要曲線と供給曲線のバランスのとれたところで最大の価値を得られると言ったけれども、人間はそれ以上に価値を得ようした。人間は懸命に働いてさらに富を蓄えようとするのが本能なのである。そのことが、現代が幸福な世の中ではないということの原因であると定義づけることからこの本は始まる。
ブッシュマンは、週の労働時間が15時間でそこから得られる冨で満足できる生き方をしていた。いつでも手に入るもので満足するという考えは、叶うはずのない願望に支配されている現代人とは対極である。すなわち、物質的富に無関心で自然環境に調和して暮らし、平和主義で単純、根本的に自由なのである。だからブッシュマンは幸福なのである。と、最初の20ページほどでなんだか結論がでてしまった。残り360ページはどんな展開になるのだろうか・・。

ブッシュマンというとニカウさんがコカ・コーラのビンを持って旅に出るという映画を思い出すが、この言葉が差別用語であるというので映画のタイトルも「コイサンマン」になった。しかしこの本でブッシュマンという言葉を使っているのは、ブッシュマンという言葉には彼らが暮らす環境に特別なつながりを持った「最初の人」という意味があり、国際会議の文献でも彼らを呼ぶ言葉として最も多く使用されているからだ。ちなみにブッシュマンは、ブッシュ=未開の土地に暮らす人という意味で、コイサンマンとは、“コイ”=人、“サン”=狩猟採集という意味で、狩猟採集生活をする人という意味らしい。どこが差別用語だったのだろうかと今更ながらに思う。
サン人と呼ばれる人たちはいくつかの部族に分かれ、カラハリ砂漠周辺に住んでいる。著者はその中でも、ジュホアンという部族を中心にして調査を進めてきた。その部族たちの総称が「ブッシュマン」ということになる。

残りの360ページほどは、20数年に渡って調査のために著者がブッシュマンと一緒に生活をしたなかで得られた彼らの人生観や価値観そしてそれらがどのようにして形作られたかそして変化してきたかということをまとめている。
ブッシュマンたちはカラハリ砂漠が主な生活区域だが、北部からやってきた農耕牧畜の文化からは砂漠や熱帯雨林が障壁となって取り入れることができなかった。しかし、1900年代からのヨーロッパ諸国の植民地政策からは逃れることができなかった。
アフリカが植民地化され、南アフリカがアパルトヘイト政策をおこなった後、彼らは住居場所を追われ、植民地政府が用意した保護地区で暮らすか牧場での労働に従事するか、そういった道を選ばなければならなかった。少しの現金を得て酒やたばこ、マッチなどの文明のかけらを手にすることがあったけれどもそれになじむことができなかった。虐げられた生活を送りながらも彼らは牧場主や役人がワインやブランデーをたらふく飲み、必要以上に肉を食べてぶくぶく太っていることを笑っていた。

彼らと僕たちは何が違うのか、おそらく決定的に違うのは能動的に生きているのか受動的に生きているのかそのことだと思う。
能動的ということばは一般的には、積極的とか、停滞した現状を打破するとかいう意味で肯定的な言葉と捉えられているけれども少し斜めに構えて考え直してみると、かなりの部分はひょっとして無駄な行動かもしれない。逆に受動的というと、なんだか周りに流されて積極的ではないというイメージを抱くけれども、自然界のただ中では、自然が恵んでくれるその範囲で生きてゆく、無駄のない生き方であると考えることができる。たくさんの獲物があればお腹いっぱい食べるし、そうでなければひもじい思いをするかもしれないがそれで我慢する。カラハリ砂漠は比較的豊かな場所で、それで十分生きてゆけるという条件があったということが幸いしているのかもしれないが、それが本当の豊かさではなかったのだろうかと書かれていたのではないだろうかと思うのである。

僕の体の中にも狩猟採集生活をしていた先祖の遺伝子が残っているのかどうかはしらないが、魚を釣ったり山菜を探し回ったりするというのは楽しいことのように思っている。できることならまだまだ知らない食材を海や山から取ってきたい。できれば川からも取ってきたい。ただ、現代社会ではそれだけでは生活を維持できるだけのエネルギーと資源をまかなうことができず、会社に行けばただ遊びほうけているだけの役立たずということになってしまう。

これが今の息苦しさの原因なのはうすうすわかっていた。しかし、ブッシュマンがすぐそこまで文明が近づいてきても狩猟採集生活をやめなかったのは、きっとこれが意外と楽しいからだ。高原を歩いていて山ウドの芽を見つけるとうれしくなる。磯で貝を見つけると、これはなかなか素人では見つけられないであろうとうれしくなる。魚が釣れるとうれしくなる。そういった、「即時リターン」というものは直接的にベネフィットを得たのだという実感がわく。
しかし、ぼくがやっているそれは遊びでしかない。これが遊びではなく、生活を支える根幹であればひょっとしたらそれが豊かな生き方と言えるのかもしれないが、少なくとも都会と言われるような社会でそんな生き方はできない。
ときたま、テレビや雑誌なんかで、魅惑の田舎暮らし特集をやってて1ヶ月1万円以下で生活していますとやっているけれども、ではいっそのこと僕もそうしてみるかと思いたいところだけれどもそんな勇気もない。

こんな生きづらい世界がどうしてかたちづくられるようになったのか、著者はその根本を農業社会が現れたことだと書いている。作物を育てるためには種を撒き雑草を取り、肥料を与えそのための道具を作らねばならない時もある。とてもじゃないけれども週15時間の労働ではまかなえない。労働時間が飛躍的に増える。農業が生まれた理由というのは飢餓に対するリスクヘッジであった。しかし、増産技術が発達してくるとリスクを回避するため以上に収穫が増えそれが富になる。懸命に働いてさらに富を蓄えようとする本能がそうさせた。それを管理するために支配階級や分業社会が生まれる。社会はさまざまな問題を抱えるようになり問題を解決するたびに社会は複雑になる。そしてそれを維持するためにさらに富を必要とし、土地や資源を確保するための戦争が生まれる。それが今の世界であるというのだ。ケインズ経済学が破綻する理由の一片がここにもある。
しかし、ブッシュマンでさえ、みんなが均等に生きるために、社会を複雑にしないために、お互いに我慢を強いて精神的な抑圧をかけていたという。どこの社会でもその箍が外れてしまうと複雑な社会が生まれてくるのだとも書かれている。
結局本当に豊かな生活なんて永遠にやってくることなどなかったのだ。暑さや寒さ、飢えの心配がなくなれば複雑な社会のなかで気をもまねばならないし、そうでなかったとしても少しばかりの抑圧を受け、今となっては隣に文明が迫ってくればなんらかの形で影響を受けなければならない。著者は調査の期間中に映画の主人公であるニカウさん(本名はヅァウさんという名前だったそうだ。)とも会ったそうだが、晩年はやはりその矛盾に悩まされていたそうだ。

ケインズは、また、人間は労働によって定義されるのではなく、別の充足感のある生き方を十二分に送れる能力があると言った。狩猟採集による「原初の豊かさ」が労働以外のもの、すなわち彼らが暮らす自然環境の摂理への信頼、狩人による獲物への感情移入、即時リターン経済、過去や未来への無関心そういったものを再認識する必要があるのではないかと著者はいうけれども、現代社会で目指すのはほぼ不可能に近いのは火を見るより明らかである。しかしまた、スマホを自在に操り外の世界とつながり情報発信をする新しい世代を見ながら、彼らはきっと本当の豊かさを見つけるための道を切り開くだろうと結んでいる。

この本は幸福論なのかと思って読み始めたけれども、実は文明論なのであった。

お釈迦様は八つの苦しみがあるとおっしゃり、徳川家康は坂道を重い荷物を背負って歩いているようなものだと言っているけれども、それでもどうして人は生きていかねばならないのか。ブッシュマンの世界には確立された宗教というものないようで、あるとすれば自分たちは岩の神様の間から生まれてきたというような伝説だけを持っているようだが、神様たちは、飢餓から人間を救ってやることと引き換えに苦しみを与えることによって自分たちをもっともっと崇めさせようとでもしているのだろうか。それならあなた、本末転倒じゃないの?と訴えたくなるのである。

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