イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「縄文人に相談だ」読了

2018年11月16日 | 2018読書
望月昭秀 「縄文人に相談だ」読了

縄文ZINE」という縄文時代萌えの人たちが読むフリーペーパーがあるそうだが、その編集者が縄文人になりきって(というか、縄文人なのだ・・・?)現代人の悩みに答えるというものだ。
まったくサブカル的な内容で、縄文時代を科学的に解説しているとかそんなものではない。きっと縄文人ならこんな回答をするんだろうなということを脱力気味に書いている。

縄文時代の考え方というのは、「すべては神の元に帰ってゆく。」ということが基本になっていて、その神のいる場所というのが集落の背後に広がる森だったのだ。アイヌの世界にも、殺したヒグマの命を神の世界に送り返す「イオマンテ」という儀式があるけれどもこれも同じ考えからおこなわれていた。森は生きてゆくための糧を恵んでくれるところであり、神秘の場所でもあったのだ。
貝塚というところはゴミ捨て場であると同時に、すべてのものを神の元に帰らせる場でもあった。
そして、「縄文ユートピア説」というものがあるそうだ。縄文時代というのは実に1万年も続いた時代で、その間、人々の間には大きな争いごと(戦争のようなもの)はほとんどなかったと言われている。発掘される人骨に戦いで傷がついたものが見つからないということが根拠になっているそうで、加えて、発掘される縄文式土器の豊かな芸術性はやはり平和な環境がなければ生まれなかったのではないかということが根拠になっている。

1万年も同じ体制が保たれたということはそれだけ安定した社会であったとも言える。
こういう、平和を愛する縄文人が現代人のモヤモヤ、ドロドロした悩みにスパッと答えを出す。最後の決め台詞が、「貝塚へ送っちゃいましょう~!。」なのである。

アドラーが言うように、人間の悩みは100%人間関係であるというとおり、この本に出てくる悩みも食べ過ぎる、飲みすぎなどという生理的な悩み以外は何らかの人間関係が起因している。
それに対する縄文人の回答は、そんなことで悩む必要はないんではないでしょうか。だから貝塚に捨ててしまいましょう。というようなものになっている。

縄文人の平均寿命はわずか14.6歳だという研究があるそうで、これは乳幼児の死亡率が途方もなく高かったということに起因するが、この平均寿命を行き抜けたとしても男女ともその後は15、6年しか生きることができなかったらしい。
ユートピアとはいえ、とにかく命をつなぐことに必死な社会では人間関係に悩んでいる暇はなかったのではなかったか。それを悩みが少なくて幸せであったと評価することができるかどうかというのは疑問であるけれども、その後、弥生時代に入り、稲作と同時に土地所有がはじまり階層、貧富、財産、資源の奪い合いなどという、多分、現代でもでも人々の悩みのタネになっていそうなことが生まれてきた。
人は長い寿命を手に入れたけれどもそれと引き換えにもっと大切なものを失った。それはきっと間違いがないのだと思う。

縄文人の著者は、弥生時代のことを快く思っていないようで、ところどころで「弥生死ね。」「稲作死ね。」とか言ってディするわけだけれども、それをなんとなく理解できてしまうというのは、僕はひょっとして縄文人だからなのだろうか・・・

そして気になるのは縄文人は魚を釣っていたか。
これは以前に読んだ「釣針」という本の内容であるが、これは間違いなく釣りをしていたそうだ。“縄文”というくらいだからハリス代わりの紐もあっただろうし、釣り針は獣の骨を加工していたそうだ。
主な獲物はチヌやスズキだったそうだそれも小型が多かったとか。やはり紐の強度に問題があったのだろうか。それともわざわざ磯に乗らなくても手軽に足元で釣れるからそれでよかったのだろうか。考えてみると、今の釣り人のように目を血走らせてガツガツする必要もなかったのかもしれない。
そう考えるとやっぱり僕は縄文人だ・・。
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