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梅原猛 中上健次 「君は弥生人か縄文人か」読了
タイトルを見るとなんとなく血液型で人の性格を占っているような本ではないかと思ってしまうのだが、対談がこの二人ならそんな単純なことではなくて、濃厚な日本人論だ。
西から勢力を強めてきた弥生人が縄文人を西へ追いやり、わずかに残った縄文の文化、地方に根強く残っている縄文の文化を紐解きながら対話が進んでゆく。
縄文の文化はアニミズムの文化だ。神が自然のいたるところに存在し、畏れ敬いながら生きてゆく。かたや弥生の文明は合理的に自然を利用しつくす。いまの世の中を見てみると弥生の文明が優勢のようだ。
著者達は日本人としては弥生と縄文の適度な混同が日本人独特の文化をかもし出すのだ、どちらかが強くてもダメだと結論付けている。
会話は熊野、アイヌ、日本文学とどんどん飛躍しながら進んでゆく。残念ながら僕みたいな凡人には理解の壁を超えている。
ただ、僕は熊野に行くとなんともいえない安らぎというのかワクワク感というのかを覚えるのは、僕はどちらかというと縄文人なのかとものすごく単純なことしか考えが残らないのが悲しいところだ。
タイトルを見るとなんとなく血液型で人の性格を占っているような本ではないかと思ってしまうのだが、対談がこの二人ならそんな単純なことではなくて、濃厚な日本人論だ。
西から勢力を強めてきた弥生人が縄文人を西へ追いやり、わずかに残った縄文の文化、地方に根強く残っている縄文の文化を紐解きながら対話が進んでゆく。
縄文の文化はアニミズムの文化だ。神が自然のいたるところに存在し、畏れ敬いながら生きてゆく。かたや弥生の文明は合理的に自然を利用しつくす。いまの世の中を見てみると弥生の文明が優勢のようだ。
著者達は日本人としては弥生と縄文の適度な混同が日本人独特の文化をかもし出すのだ、どちらかが強くてもダメだと結論付けている。
会話は熊野、アイヌ、日本文学とどんどん飛躍しながら進んでゆく。残念ながら僕みたいな凡人には理解の壁を超えている。
ただ、僕は熊野に行くとなんともいえない安らぎというのかワクワク感というのかを覚えるのは、僕はどちらかというと縄文人なのかとものすごく単純なことしか考えが残らないのが悲しいところだ。
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