イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「和竿大全」読了

2021年01月02日 | 2021読書
葛島一美 「和竿大全」読了

年またぎは和竿の本を読んでいた。写真がふんだんに掲載されている写真集という趣の本だ。

グラス竿が主流になる前は釣竿というのはオーダーメードが主流だったそうだ。「お店物」という既製品もあったが、特に東京では有名な竿師がいて客の注文に応じて凝りに凝った竿を作っていた。

手作りの釣り具でその究極は釣竿だろう。(リールはどう見ても工業製品でしか実現できそうにないように思う。)その中で竹竿は究極中の究極だ。
僕も手作りの釣り具にはものすごく興味があるものだから、東京によく出張していたころ釣具屋に寄ってはそんなコーナーをよく覗いていた。
多分、「東作」というお店だったのだと思うが、有楽町から銀座に向かう途中にあった釣具屋は入り口には初心者が使うようなサビキやセルウキが並んでいながら奥に入っていくと和竿の数々がケースに入れられて並んでいた。そこはもうまったく近寄りがたい雰囲気で、「買えないんなら早く出て行けオーラ」がプンプン漂っていた。さすが、「粋」を重んじる江戸の町、僕みたいなゲスな人間には用はないのだと思い知らされた。
江戸の旦那衆はこういうところで自分だけの竿をオーダーしていたのだろう。
また、渋谷にあった上州屋やSANSUIという普通の釣具屋にも必ず竹の竿を置いていた。きっとこういうところは「お店物」というようなものを扱っていたのだろう。

幸田露伴の短編の「幻談」には、死んでも自分の釣竿を放さない釣り師とその見事な出来栄えに、死体が持っていたものでも無理やり自分のものにしたくなる釣り師が登場する。それほど釣り師にとっては魅力的なのが釣竿=愛竿というものであったということだ。

江戸の和竿ではないが、橋本市の有名な職人が作ったへら竿を振らせてもらったことがあるが、そのバランスはたしかに見事なものであった。
多分、手入れなんてきちんとできないから実戦で使っても痛めてしまうばかりだし、もちろんそんなものを購入するほどの財力はないのであるが、一本でもいいから手元に置いてときおり袋から取り出して眺めていたいものだと思った。

この本はタナゴ竿からアユ竿、石鯛竿まで江戸の職人たちが作った竿がこれでもかというほど掲載されている。口巻きの装飾、象牙や黒檀などの高級素材を使った部品。もちろん見事な漆塗り。どれをとってもきっとほれぼれするような逸品だ。

しかし、せっかくの銘竿たちだが、写真が小さく、もちろん、本物を見ないことにはそのよさというものはわからないのはわかり切っているのだが、そこが残念だった。

和竿は一時の衰退から少しずつだが復活しつつあるそうだ。穂先にグラスやカーボンを使って扱いやすくしたり、ネットを使った販売も盛んになってきたらしい。
とは言っても正統派の和竿職人は激減しているという。ただ、この、「正統」というのは職人の組合に入会している人たちのことを指すらしい。今元気がある人たちはこういう組合に所属していない人たちだそうだ。商品の値段も比較的安いという。そういうことを聞くとこの世界もなんだかよくある既得権益を必死で守っている世界であるような気がする。“伝統”は大切だが“正統”は必要じゃないのではないだろうか。そういうことをやっているから衰退の一途をたどるのだと外野の身分でえらそうだがそう思ってしまう。

それでも実用性からいくと先端素材を使った竿を使った釣り具のほうがいいのにきまっているけれども、こういう文化はぜひともいつまでも残っていってもらいたいと思うのだ。


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