さて下津井電鉄の廃線跡歩きを楽しんだ後は、海べりに下津井の集落まで歩く。下津井はタコがよく揚がる港。時期がよければタコを港に干す風景が見られたのだろうが、この日は無数のタコ壷が岸壁に上げられた状態。うーん、やはり下調べも何もせず不意に訪れたところで、観光パンフレットにあるような景色には出会えないということである。
下津井駅跡から15分ほど歩いて、昔ながらの蔵造りの家々が並ぶ一角にやってくる。その中に「むかし下津井廻船問屋」という建物がある。
ここ下津井は本州と四国が最も近い距離のところにあり、かつては「西国の喉首」と呼ばれたそうである。だから瀬戸大橋のルートにもなったのだろうが、北海道と西日本、そして関西を結んだ北前船の寄港地として大いに賑わったところである。北海道から運ばれたニシンは備前、備中の田畑の源となり、そこで産出されたコメを初めとした多くの産品が日本海側、あるいは北海道に運ばれたという。この廻船問屋もかつてはニシン蔵があったそうである。
また、下津井は四国に近いということで、金毘羅さんへの中継点ともなったところである。金毘羅節というのかな「追手風に帆かけてシュラシュシュシュ・・・」というのがあるが、その歌の背景にはここ下津井の海も関係しているともいう。地味ではあるがなかなか味のある風情の港町。
単なる輸送手段ということではなく、各地の交易に大きな役割を担い、その商売には現在の商社やフォワダーに通じるところがあるということで、北前船の歴史というのには結構興味を持っている。特に日本海側には魅力的な港町も多く、そのいくつかを訪れたことがあるが、こちら瀬戸内側も風待ち港としての賑わい、豊かな経済圏を抱えた港の風情を感じるスポットがある。その意味で鞆の浦は素晴らしい印象があるが、こちら下津井も決して負けてはいない。
さて昼食ということになるが、あまり観光ズレしていないせいかなかなか食事処というのがない。やはり鷲羽山の上に行くか児島の町に戻るしかないのかな。そんな中、漁協の向かいで「タコめし、タコ天」の看板の店。もともとは表側でパックに詰めたそれらを立ち寄り販売しているような店なのだろうが、そうとは知らずに店内に入る。店番のおばさま二人はちょっとびっくりしたような表情であるが、それでもタコめしにタコ天を出してくれ、お茶も入れてくれた。うーん、そういうタイプの店なら買うだけ買って岸壁に腰掛けて食べるというのでもよかったのだが・・・。それでも下津井のタコは噛めば噛むほど味が出るし、タコ天も歯ごたえがものすごい。
さて腹ができたのはいいが、ここから児島に戻るのにどうするか。コミュニティバスの便もあるが、これがもう1時間近く待たなければならない。タクシーを呼ぶのももったいない。
・・・ということで、残された選択肢はバスまで待つか、児島まで歩くか。幸い、瀬戸大橋の橋脚が目の前にある。ということは、先ほど通った鷲羽山駅跡まで上がれば、後は通った道を引き返せばいいわけだ。それなら、バスを待つより歩いたほうがいいかな。
ということで、勾配につけられた階段を上って駅跡にたどり着き、そこから再び歩く。ただ復路は結構短く感じるもので、かつ、児島競艇場の脇からは海べりの県道に出る脇道もあり、結局線路跡をそのまま通るよりショートカットすることができ、下津井でのバスの発車時刻を迎えるころには児島観光港の土産物センターで海産物を買い求めているということに。
ここから再びドライブとなる。目指す広島はまだまだ距離があるなあ・・・・。(続く)