特に関西に住む人間だと、タイトルの文字を見ると「あかしでら」「あかしじ」と読むのかもしれないが、寺の名前は「めいせきじ」である。だいぶ以前、八十八所の寺院の呼び方が12番の藤井寺(ふじいでら)を除くと「◯◯寺」は「◯◯じ」と読むと言うことを書いた。それがなぜなのかはよくわからないが、「じ」と読むなら、その上も音読みのほうがしっくり来るのかな。
宇和高校の横から坂道を上り、少し山の中の風情という感じの寺である。石段を上ったところに歩き遍路の姿があり、さらに次を目指すのだろう、山道の中に入っていった。駅から30分あまり歩いたがこの時点でタオルも汗でぐっしょり。手水の水をタオルにもかけて濡らして少しでも涼しくする。林の中、風が吹けば気持ちよいのだが。
寺の創建はかなり古く、伝説では欽明天皇の勅命で正澄上人が中国から渡来した千手観音像を安置し、伽藍を建てたのが始まりという。ゴホンといえば龍角散、伽藍といえば聖徳太子だが、四天王寺や法隆寺より前にそんな立派な伽藍ができたのか疑問視されている。まあ、あくまで伝説である。
一方で奈良時代にこの地に熊野権現を招き、修験道の道場になったという。そして後に弘法大師が再興した。・・・となると、元々修験道があり、そこに弘法大師が伝説をくっつけて、神仏習合の寺院・・・という歴史になったのだろうか。神仏習合といえば、前日訪ねた龍光寺が中央に堂々と稲荷社を構えていたのが思い出される。こちら明石寺にも本堂の脇に熊野権現らしきお社があるが、ちょっと寂れた感じである。
文字では「明石寺」と書き、「めいせきじ」と読むが、地元では「あげいしでら」、「あげいしさん」と親しまれているそうだ。これは「上げ石」から来ているそうで、昔、若い娘(千手観音の化身とも言われている)が一夜のうちに大石をかついで山上に登ろうとしたから・・・とある。「あげいし~あけいし~明石」というようだ。だとすると・・・淡路島への玄関であり、タコをはじめとして海の幸に恵まれ、駅前の居酒屋はなかなかええでという兵庫の「明石」のほうが、どういう由来なのか気になる。ここにも「上げ石」伝説があったのか、あるいは大胆な話として明石寺と関係があるのか。これはこれで、また明石に行った時にタコで一杯やりながら考えてみよう。
それはさておき、海の気配はないが山の雰囲気がよい本堂、大師堂でのお勤めである。立派な夫婦杉もある。朝の9時前、訪れる人もまばらで、まだ朝の清々しい空気が残っている。納経所で選手名鑑にサイン・・・もとい納経帳にご朱印をいただき、これで今回の予定の八十八所めぐり(39~43番)は完了。その中で歩いたのはごくわずかだが・・・。
上ってきた坂道を下り、再び宇和高校まで着く。そしてもう一度、今度は別の坂道を上る。こちらは車道、歩道とも広く取っていて、S字の道を金剛杖を突きながら上る。そして巨大な、現代的な造りの建物に出会う。愛媛歴史文化博物館である。先ほど山の中の札所で、木々を通る風を涼しく感じたこともあったが、やはり現代の空調(特に真夏のこういう時)の涼しさは格別である・・・。
宇和高校の横から坂道を上り、少し山の中の風情という感じの寺である。石段を上ったところに歩き遍路の姿があり、さらに次を目指すのだろう、山道の中に入っていった。駅から30分あまり歩いたがこの時点でタオルも汗でぐっしょり。手水の水をタオルにもかけて濡らして少しでも涼しくする。林の中、風が吹けば気持ちよいのだが。
寺の創建はかなり古く、伝説では欽明天皇の勅命で正澄上人が中国から渡来した千手観音像を安置し、伽藍を建てたのが始まりという。ゴホンといえば龍角散、伽藍といえば聖徳太子だが、四天王寺や法隆寺より前にそんな立派な伽藍ができたのか疑問視されている。まあ、あくまで伝説である。
一方で奈良時代にこの地に熊野権現を招き、修験道の道場になったという。そして後に弘法大師が再興した。・・・となると、元々修験道があり、そこに弘法大師が伝説をくっつけて、神仏習合の寺院・・・という歴史になったのだろうか。神仏習合といえば、前日訪ねた龍光寺が中央に堂々と稲荷社を構えていたのが思い出される。こちら明石寺にも本堂の脇に熊野権現らしきお社があるが、ちょっと寂れた感じである。
文字では「明石寺」と書き、「めいせきじ」と読むが、地元では「あげいしでら」、「あげいしさん」と親しまれているそうだ。これは「上げ石」から来ているそうで、昔、若い娘(千手観音の化身とも言われている)が一夜のうちに大石をかついで山上に登ろうとしたから・・・とある。「あげいし~あけいし~明石」というようだ。だとすると・・・淡路島への玄関であり、タコをはじめとして海の幸に恵まれ、駅前の居酒屋はなかなかええでという兵庫の「明石」のほうが、どういう由来なのか気になる。ここにも「上げ石」伝説があったのか、あるいは大胆な話として明石寺と関係があるのか。これはこれで、また明石に行った時にタコで一杯やりながら考えてみよう。
それはさておき、海の気配はないが山の雰囲気がよい本堂、大師堂でのお勤めである。立派な夫婦杉もある。朝の9時前、訪れる人もまばらで、まだ朝の清々しい空気が残っている。納経所で選手名鑑にサイン・・・もとい納経帳にご朱印をいただき、これで今回の予定の八十八所めぐり(39~43番)は完了。その中で歩いたのはごくわずかだが・・・。
上ってきた坂道を下り、再び宇和高校まで着く。そしてもう一度、今度は別の坂道を上る。こちらは車道、歩道とも広く取っていて、S字の道を金剛杖を突きながら上る。そして巨大な、現代的な造りの建物に出会う。愛媛歴史文化博物館である。先ほど山の中の札所で、木々を通る風を涼しく感じたこともあったが、やはり現代の空調(特に真夏のこういう時)の涼しさは格別である・・・。
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