まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

清流新岩国から新幹線で広島へ

2021年04月28日 | 旅行記F・中国

錦川鉄道、「とことこトレイン」、雙津峡温泉と楽しみ、12時31分発の岩国行きに乗る。岩国方面からやって来たのは往路と同じ水色の塗装の車両。

その到着~折り返し発車を待つ間、隣の線路をピンク色の塗装の車両が行ったり来たりするのを見る。来た時に、気動車の運転体験教室の受付をやっていたが、その人たちが実際に運転台に座って構内を行き来している。

私も長いこと鉄道好きで来ているが、自分で運転台に座って車両を動かすという経験はしたことがない。こうやって広島から比較的近いところで定期的なイベントとして行われているならば、一度参加してみようかな。カリキュラムを見ると、座学が75分、実技が90分とある。もっとも、当分先の回までは満員御礼のようだが。

気動車は数人の客を乗せて錦町を出発し、今度は川に沿っての下りである。川の蛇行箇所も、来る方向が変わればまた違った景色に見える。

この日のように天候が穏やかであれば錦川の清流を楽しむことができるのだが、ふと気になったのが、これまで豪雨の被害に遭うことはなかったのかなということ。これだけ川が近く、また山の斜面も迫っているところだと気になる。このところ台風や局地的な豪雨が増えており、風光明媚なローカル線が被害に遭い、長期間不通になるケースが相次いでいる。錦川鉄道はどうなのかなと見てみると、2018年の西日本豪雨にて川西~清流新岩国間で被害があり、川西~北河内間が1ヶ月あまり不通になったという。

なぜこのようなことに触れたかということだが、鉄道紀行作家・宮脇俊三の「時刻表2万キロ」で、当時の岩日線に乗った時の件で「岩日線など雨で流されてしまえ」という一節があったのを思い出したからだ。

誤解のないように言っておくと、別に宮脇俊三がそう思ったわけではない。この一節だけ切り取るからややこしいのだが、その背景に触れるために、帰りは岩国まで行かず、清流新岩国で下車する。以下、同書からの引用を交える。

こちらの清流新岩国、往路の記事でも触れたが、現在は新幹線の新岩国との乗換駅として錦川鉄道、JR西日本とも案内している。しかし、1975年に山陽新幹線の新岩国が開業した際、すぐ横に岩日線の御庄駅があったにもかかわらず、同一の駅、あるいは乗換駅として設定されなかった。

新幹線のルートを選定するにあたり、岩国近辺に駅を設けるとして、この辺りの最短ルートを通る、あるいは用地取得が容易であるなどの理由で在来線の岩国と離れた現在の新岩国を選定したとあるが、先にあった岩日線の御庄に隣接させれば山陽線との連絡も取れるという考えも当然あったはずだ。

それでも正式な乗換駅としなかったことについて、「時刻表2万キロ」の中で「新幹線と正式に結びつけてしまったら岩日線を廃線しにくくなるからではないか。岩日線など雨で流されてしまえ、と思っているかもしれない」と綴っている。

宮脇はこの時広島、山口両県のローカル線の乗りつぶしの旅で、最後に訪ねたのが岩日線だった。スケジュールを終えてその日のうちに東京に戻らなければならないが、錦町から岩国に出てしまうと、タクシーで新岩国に行っても山陽線で広島まで行っても東京行きの最終の新幹線に間に合わない状況。そこで「唯一の方法」として見つけたのが、御庄で下車して新岩国に「たどりつく」こと。

新岩国駅に電話すればすぐわかることと知りながら「遊びごとでひとにものを訊ねるのは気が重い」として、結局は「田圃の畦道でもたどればなんとかなるだろう」と、御庄にやって来た。ホームから地上に下りる階段があり、親切な駅員が手書きしたらしい案内板をたよりに高架橋沿いに進み、無事に新岩国にたどり着いた。

「時刻表2万キロ」のなかでも、ローカル線と新幹線の対比、また裏技のような乗り継ぎというところがあって、印象に残る場面の一つである。その前、岩日線で錦町に着いた後に「(雨が降って)こんな盲腸線の終点に閉じこめられてはたまらない。私は一刻も早く帰りたくなった」という記述があり、これと合わせると、盲腸線から脱出して、御庄から新岩国への抜け道を見つけてその日のうちに東京に帰還した・・・というストーリー仕立てにもなっている。。

今回錦川鉄道に来たが、単に岩国~山陽線と往復するのもあれなので、この機会に私もこの乗り換えで広島に戻ることにする。

駅名は清流新岩国だが、ホーム上には「御庄駅」の額がかかった貨車利用の待合室がある。そして、おそらく当時と同じように地上へ下りる階段があり、当時よりはちゃんとした案内板で新岩国駅の方向が示されている。

高架橋の下をそのまま進み、途中で列車の通過音も聞きながら5分ほどで新岩国に到着。周囲には人が集まるスポットはないものの住宅が広がっていて、少なくとも「田圃の畦道」ではない。他の駅と比べれば距離は長いが、このくらいなら十分乗換駅といっていい。

構内に入るとまず目に入ったのは、宇野千代の出身地のアピール(もっとも、今の人たちに宇野千代がどれほどのアピールになるのやら)。他の案内板を見ると、ちょっと昔の書体に見える。もっとも私は新岩国で乗り降りするのが初めてで、こういう駅だったのかなと新鮮な気持ちだ。セブンイレブン兼土産物店で、山口の酒などを土産に買い求める。

ここから広島まで1駅乗るのだが、これに適した?きっぷがある。山陽新幹線の「新幹線近トク1・2・3」というもので、新幹線の1~3駅先までの区間の「こだま」「ひかり」の自由席を格安で利用できる(前日までの購入がルール)。その中で新岩国~広島間にいたっては、特急料金込みで1000円。普通運賃に特急料金をワンコイン分追加した値段よりも安い。

乗るのは13時39分発の「こだま852号」。500系車両だ。広島寄りの自由席に向かうが、7号車が半分くらい埋まっていたのに対して、8号車は1人しか乗っていない。もちろん8号車に乗るが、この差は何なのだろう。

発車後すぐに錦川を渡り、その後広島まではほとんどの区間がトンネルである。その合間に宮島の弥山の頂上が見えるとか、郊外の住宅地を走るなと思ううちに、早くも広島到着のアナウンス。新岩国~広島はわずか15分である。帰りはあっという間だった。

・・さて、これから大型連休に入る。世間では緊急事態宣言を受けて、発令地域から出ること、入ることの自粛が呼びかけられている。大阪府もその対象に入っているが、実は当初から連休時期での帰省は予定していなかった。実家に顔を出すだけなら普通の週末でも十分で、そこに野球観戦を絡めれば・・くらいに考えていた。ただその時期がずれるだけである。

そういうこともあり、このたびの連休では広島から中国地方を楽しむことにする。であれば、このブログの傾向からしてアレの続きになるのだが、無事催行できますように・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
« 幻の岩日北線「とことこトレ... | トップ | 高津川ルートで津和野へ »

コメントを投稿