まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第12回九州西国霊場めぐり~有田焼の歴史と気鋭に触れる

2022年10月05日 | 九州西国霊場

九州西国霊場めぐりは九州北部を豊前~豊後~肥後~筑後~肥前~筑前というルートで回るのだが、その肥前編も終盤である。佐世保から佐世保線の特急に乗り、松浦鉄道の接続駅である有田で下車。

ホーム横にはJR貨物のオフレールステーションがある。JR貨物といっても有田には貨物列車は走っておらず、代替のトラック便が佐賀の鍋島との間を結んでいる。

有田といえば有田焼で有名だが、それに関する主な観光スポットは1駅先の上有田駅周辺や、クルマで行く距離のところに点在している。もっとも、私の旅で陶磁器が登場することはほとんどなく、今回も有田で途中下車して・・というのは想定していなかった。ここまで予定より早い時間帯で動いており、この日(9月24日)は宿泊地の伊万里に夕方に着けば十分なので、たまたま有田で時間が空いた形である。

そんな中、駅からほど近くに佐賀県立九州陶磁文化館というのがあるというので行ってみる。駅から徒歩10分くらいのところ。途中、橋の欄干に有田焼の作品が置かれているのも見る。

ちょうど企画展「未来へつなぐ陶芸 伝統工芸のチカラ」というのが行われており、順路的に先にそちらからの見学となる。日本の伝統陶芸を牽引して来た日本工芸会陶芸部会の活動が2022年に50周年を迎えるのを記念して、これまでの活動を振り返りつつ、これからの伝統陶芸の歩みを考える機会という。

展覧会では陶芸において人間国宝に認定された方の作品や、新進気鋭の作家の作品までが並ぶ。皿や鉢、花瓶や花器などさまざまである。

有田といえば、酒井田柿右衛門という江戸時代から続く陶芸の名家が連想される。現在の柿右衛門は15代だが、先代の作品もこの展覧会にて紹介されている(たぶん、この画像の作品もそうだと思うのだが・・)。

結局、誰が人間国宝で誰が新進帰依の作家かの区別はともかく、鑑賞して直感的にいいなと思った作品をいくつか掲載する(作品はいずれも撮影可だった)。ただ、こう並べてみると私の鑑賞眼というか、何をもって良しとしているのかが自分でもよくわからないのだが・・。

この後、常設展示にて有田焼の歴史について見学する。豊臣秀吉による朝鮮出兵にともない、朝鮮半島から多くの陶芸家が日本に渡って来た。そこでもたらされた技術と、有田近辺には磁器の制作に適した石が存在したことにより陶芸が広まった。佐賀藩も産業として保護したことでさらに技術が発展し、柿右衛門様式や鍋島様式といった名品が生まれるようになった。将軍家や大名家への献上、贈答だけでなく、オランダ商人の手によって海外にも輸出されるようになった。

そうして中国やヨーロッパに輸出され、その後日本に里帰りした作品の数々が並ぶ。蒲原庫レクションというもので、有田町出身の蒲原権という人が戦後に収集し、町に寄贈したものである。派手な色彩の作品も多く、まばゆいばかりである。

ただ、何も有田焼は輸出ばかりされたわけではなく、江戸をはじめとした国内にも広まり、当時の人々の生活を豊かに、鮮やかに彩る役目も果たしている。これは現在にも受け継がれている。

また地下のコーナーには、柴田夫妻コレクションというのがある。こちらは食品会社や貿易会社を経営していた柴田明彦・祐子夫妻により江戸時代を中心とした有田焼の収集が行われ、やはり当館に寄贈されたものである。有田の磁器を網羅的、体系的に収集しており、学術的にも貴重なものだという。見る人が見れば、有田焼のどの時代に分類されるもので、年代ごとに現れる特徴や違いというのがわかるものだろう。

私はあまりの数の多さに圧倒されてさらりと流す程度でしかなかったが、興味のある方なら1日いても足りないのではないかというくらいの両コレクションだった。本来なら、有田焼の窯元などをめぐるのが旅の楽しみなのだろうが、この文化館で歴史体系的に見学するのも理解が深まることだろう。

駅に戻る。構内にある土産物コーナーを見て、「そういえばここだったな」と気づいたものがある。それが「有田焼カレー」。有田テラスというところが製造している駅弁で、佐賀県米や28種類のスパイスを使用した焼カレーだが、有田焼の器を使っているのもポイントである。冷凍を通販で購入することもできるが、やはり現地に来ると常温というのか、カレーなのでレンジで温める必要はあるがこうして売られている。これはぜひ購入しよう。本来ならその日のうちに食べる必要があったが、機会を逃して翌日夜、帰宅後にいただいた。カレーは辛さ控えめだが普通に美味しくいただき、器はさまざまな用途に使えそうだ(裏底に「有田テラス」の銘も入っている)。

さて、ここからは松浦鉄道に乗る。券売機で伊万里までの乗車券を購入したが、車内ではICカード(nimocaに加盟している)で精算できる。車内でICカード利用可能というのは、運賃の取りっぱぐれを防ぐ意味でも有効だろう。

松浦鉄道は佐賀、長崎両県にまたがる第三セクター線だが、元は国鉄~JRの松浦線である。その松浦線も有田~伊万里、伊万里~佐世保は別の私鉄がルーツで、有田~伊万里間は有田焼を港のある伊万里まで輸送することを目的として建設された路線だという。

今は地元の人たちの足としてのんびりと走り、終点の伊万里に到着。松浦鉄道の佐世保方面とは運転継投が全く分かれており、またかつて接続していたJR筑肥線とは道路整備のために完全に分離された。伊万里といえば伊万里焼もあるように同じく陶磁器の町で、行程上とはいえまさかこの町に泊まることになるとは思わなかった・・・。

コメント