1月1日。新たな年の始まりである。その瞬間はベッドでの夢の中だった。
その代わり起きたのは3時半。もちろん、外は真っ暗である。雨はまだ降っているがさほど強くはなさそうだ。これから初詣に出かけるとして身支度をする。テレビをつけると、六角精児さん出演の「呑み鉄」の旅番組をやっている。舞台は指宿枕崎線。こういう番組を見たかった(笑) ただ全部というわけにもいかないので、一度ホテルを出る。
まず向かったのは昼間も訪ねた高岡大仏。除夜の鐘は撞いていたのだろうが、この時間は無人である。別に大仏もライトアップするわけでもなく、暗がりで見ると逆に怖い感じすらする。ただ大仏の下の回廊は開いており、ここでは般若心経を唱えて気持ちを新たにする。
向かったのは高岡城跡にある射水神社。年越しの時間はおそらく大勢の人が参拝に訪れただろうが、午前4時では人もまばらである。食べ物の出店の人たちも寒そうにじっとしている。
射水神社は、伝承によれば元々は二上山を神として崇めていたのが起こりで、奈良時代に行基の手で麓に別当寺が建てられた。養老寺という名前で、この場所だと一時越中の国司を務めた大伴家持も手を合わせたことだろう。その後は越中の中でも格式ある寺・神社として栄えた。途中、兵火のために焼失したが、江戸時代には加賀藩の祈願所として復興した。
現在の地には明治の神仏分離、廃仏毀釈の流れの中で移ったそうである。射水神社と呼ばれるようになったのもその頃で、四国八十八所めぐりでも似たような歴史を持つ札所もあったが、高岡にもそうした面があるようだ。今となっては近くに高岡大仏もあるし、これらをセットでお参りすればよいと思う。
この時間なので拝殿もパラパラと参拝客が来る程度で、東日本大震災、熊本地震からの復興を祈願する護摩木に名前を記したところで、初詣としてはあっさり終わった。この未明の時間に早起きしてお参りというのも、空いていて穴場の時間帯なのかもしれない。日付が替わる時は混むだろうし、夜が明けて昼間となるとそれはそれで混むだろうし・・・。
ホテルに戻ることにして歩く。アーケードでは前夜から飲んでいたか、若者のグループが奇声を挙げていたが、まあ、このくらいなら正月の光景としてかわいいものである。
そして駅に向かっている時だった。「オニイサン・・・」耳元に女性の声がした。思わずゾッとして振り向くと、東南アジアのどこかの国らしい女性の顔。「マッサージ・・・」というので慌てて手を横に振って立ち去る。急のことで鳥肌が立った。高岡にもそうした商売の方がおるんや。「飲む打つ買う」ではなく「飲む飲む飲む」の私にはびっくり。
ホテルに戻ったのは5時。ここで2度寝はなく、もうこのまま朝食の時間まで起きている。富山テレビ(フジテレビ系)では、普段ならBS朝日で放送する「鉄道絶景の旅」をやっている。しかも舞台は富山から金沢ということで、高岡の町並みや氷見線も取り上げられていた。これはわざわざ富山テレビがこの番組を買って流しているのだろう。間のCMも地元色満載で旅行者には新鮮だった。先ほどの呑み鉄の旅(これは国営放送の番組だが)といい、私にとっては大晦日夜の番組より満足だった。
さて朝食は6時半から。開店直後から結構な人数がレストランに来る。ルートインホテルはベースはビジネスホテルなので、朝食も通常のもの。正月メニューのあるなしは問わない。
さて、高岡での年越しは良しとして、元日はどこに行くのかを書いていなかった。目指すのは山側に入った五箇山、白川郷という、越中から飛騨にかけての世界遺産の町並みである。今回、これらを回ることもあって高岡に泊まったとも言える。高岡からだと加越能バスの「世界遺産バス」が出ていて、金沢や高山と比べると地味だが、交通の地の利がある。
これから世界遺産にどうやって行くか。それはまた次の記事にて・・・・。
その代わり起きたのは3時半。もちろん、外は真っ暗である。雨はまだ降っているがさほど強くはなさそうだ。これから初詣に出かけるとして身支度をする。テレビをつけると、六角精児さん出演の「呑み鉄」の旅番組をやっている。舞台は指宿枕崎線。こういう番組を見たかった(笑) ただ全部というわけにもいかないので、一度ホテルを出る。
まず向かったのは昼間も訪ねた高岡大仏。除夜の鐘は撞いていたのだろうが、この時間は無人である。別に大仏もライトアップするわけでもなく、暗がりで見ると逆に怖い感じすらする。ただ大仏の下の回廊は開いており、ここでは般若心経を唱えて気持ちを新たにする。
向かったのは高岡城跡にある射水神社。年越しの時間はおそらく大勢の人が参拝に訪れただろうが、午前4時では人もまばらである。食べ物の出店の人たちも寒そうにじっとしている。
射水神社は、伝承によれば元々は二上山を神として崇めていたのが起こりで、奈良時代に行基の手で麓に別当寺が建てられた。養老寺という名前で、この場所だと一時越中の国司を務めた大伴家持も手を合わせたことだろう。その後は越中の中でも格式ある寺・神社として栄えた。途中、兵火のために焼失したが、江戸時代には加賀藩の祈願所として復興した。
現在の地には明治の神仏分離、廃仏毀釈の流れの中で移ったそうである。射水神社と呼ばれるようになったのもその頃で、四国八十八所めぐりでも似たような歴史を持つ札所もあったが、高岡にもそうした面があるようだ。今となっては近くに高岡大仏もあるし、これらをセットでお参りすればよいと思う。
この時間なので拝殿もパラパラと参拝客が来る程度で、東日本大震災、熊本地震からの復興を祈願する護摩木に名前を記したところで、初詣としてはあっさり終わった。この未明の時間に早起きしてお参りというのも、空いていて穴場の時間帯なのかもしれない。日付が替わる時は混むだろうし、夜が明けて昼間となるとそれはそれで混むだろうし・・・。
ホテルに戻ることにして歩く。アーケードでは前夜から飲んでいたか、若者のグループが奇声を挙げていたが、まあ、このくらいなら正月の光景としてかわいいものである。
そして駅に向かっている時だった。「オニイサン・・・」耳元に女性の声がした。思わずゾッとして振り向くと、東南アジアのどこかの国らしい女性の顔。「マッサージ・・・」というので慌てて手を横に振って立ち去る。急のことで鳥肌が立った。高岡にもそうした商売の方がおるんや。「飲む打つ買う」ではなく「飲む飲む飲む」の私にはびっくり。
ホテルに戻ったのは5時。ここで2度寝はなく、もうこのまま朝食の時間まで起きている。富山テレビ(フジテレビ系)では、普段ならBS朝日で放送する「鉄道絶景の旅」をやっている。しかも舞台は富山から金沢ということで、高岡の町並みや氷見線も取り上げられていた。これはわざわざ富山テレビがこの番組を買って流しているのだろう。間のCMも地元色満載で旅行者には新鮮だった。先ほどの呑み鉄の旅(これは国営放送の番組だが)といい、私にとっては大晦日夜の番組より満足だった。
さて朝食は6時半から。開店直後から結構な人数がレストランに来る。ルートインホテルはベースはビジネスホテルなので、朝食も通常のもの。正月メニューのあるなしは問わない。
さて、高岡での年越しは良しとして、元日はどこに行くのかを書いていなかった。目指すのは山側に入った五箇山、白川郷という、越中から飛騨にかけての世界遺産の町並みである。今回、これらを回ることもあって高岡に泊まったとも言える。高岡からだと加越能バスの「世界遺産バス」が出ていて、金沢や高山と比べると地味だが、交通の地の利がある。
これから世界遺産にどうやって行くか。それはまた次の記事にて・・・・。