まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

信楽町歩き

2017年04月26日 | 旅行記E・関西
8時29分、信楽に到着。貴生川には10時54分発の列車で折り返すとして、それまで町歩きとする。

信楽といえばタヌキの置物のイメージで、早速お出迎えである。窓口の横にもいるし、駅前には高さ3メートルはあろうかという大型のタヌキがいる。こちらは公衆電話である。

2時間以上時間があるわけだが、特に目的を定めずぶらつくことにする。まずは駅からまっすぐ伸びる道を歩くが、信楽焼のギャラリーがあり、大小さまざまなサイズのタヌキが並ぶ。これだけ並べて買い手がどのくらいつくのかなと、勝手ながら心配してしまう。

もっともよく見ればタヌキだけでなく、カエルもいれば七福神もいる。とは言えこれらは客寄せであるようなもので、実際は壷やら茶碗、植木鉢といった実用的なものも中では売られているようだ。店によっては焼き物の体験をさせてくれるところもあるようだ。ちょうど訪れた日の次の週末にあたる29日からは駅前陶器市が行われる。

通りの突き当りにあるのが新宮神社。715年、奈良時代の初めの創建とされている由緒ある神社である。一昨年は1300年の大祭が行われたそうだ。まずはここで旅の安全と、この後で観戦するBCリーグ・滋賀ユナイテッドの勝利をお祈りする(残念ながら試合には敗けてしまったのだが・・・)。

新宮神社の横に、「窯元路散策」の道標がある。先ほどは信楽焼を売る店がいろいろあったが、その窯元が集まっているエリアである。工房を見学するとなると大ごとかなと思うが、歩くだけでも見どころはあるそうだ。これをぐるりと回ってみることにする。「ろくろ坂」「ひいろ壷坂」「窯場坂」とあるが、坂といってもそれほどきつくない坂のようだ。これを特にあてもなくぶらつく。あちこちに窯元や工房も見られる。

坂を上ったところにこのような登り窯を見つける。現在は使われておらず見学用となっているが、風情ある。信楽焼が栄えたのもこうした地形を活かした登り窯によるものである。登り窯は他には丹波の立杭焼、栃木の笠間焼などが有名なそうだ。ただ信楽でも現在はほとんどが工場のような形で制作されており、こうした登り窯は昔からの遺構として残されている。

その中で見つけたのがこちら。丸又窯という名で、近代産業化遺産にも指定されている。こういうものが残っているというのは正直知らなかった。タヌキの置物だけでイメージしてはいけないということだ。

窯元路散策を一通り終えて、新宮神社に戻る。この神社の門前にあるのが信楽伝統産業会館である。信楽観光の拠点とでもいうところである。こちらでは信楽焼の歴史について、展示室をぐるりと回ればわかるようになっている。鎌倉時代に始まったとされており日本六古窯の一つである信楽焼は、茶道具としても重宝されるとともに、将軍家への献上茶壺にも用いられた。童謡の「お茶壺道中」にも唄われる茶壺は信楽焼とされている。その後は実用的なものにもいろいろと制作され、大正時代からは汽車土瓶が造られたり、果ては太平洋戦争中は金属の代用として地雷や手榴弾にまで使われた。戦後は陶器としてだけではなくタイルとしても活用され、大阪万博の太陽の塔の裏側の「黒い太陽」にも使われた。

こうした芸術的、実用的な面がある一方で、やはりタヌキである。ただこれは太平洋戦争後にさかんに造られるようになったものの、その起源ははっきりしないそうである。当初から職人の遊び心で造られたのかもしれないし。

信楽焼に関するスポットは足を伸ばせばまだまだあちこちにあるが、駅前を歩くだけでも十分に楽しめる。列車の時間には少しあるが、駅でのんびり待とうということで戻って来る。駅舎の一角が信楽焼の土産物店になっているので入る。これまでタヌキの置物や、本格的な焼き物というのを目にしてきたが、そう簡単に買って帰ろうかというものではない。そこがこの駅内のスポットは、タヌキの置物も手のひらサイズで数百円からあるし、女性や若い人向けにアレンジされたものも結構ある。せっかくなのでタヌキの置物を買う。そして、信楽高原鉄道グッズとして買ったのが汽車土瓶。昔の鉄道では駅弁と一緒にこうした土瓶に入ったお茶が売られていたそうだ。

今回は通りを歩いただけだが、それでも十分楽しめた。町中にはさまざまなギャラリーや工房もあるので、お好きな方はより深く楽しむことができるのではないかと思う。わざわざ時間を作って訪ねた甲斐があった。せっかくなので信楽高原鉄道で行くこともお薦めである。

滋賀県というところもまだまだ訪ねたことがないスポットが多く、野球とも絡めて楽しみたいところである・・・・。
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