まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第23番「勝尾寺」~西国三十三ヶ所巡り・28(旧参道歩き)

2015年07月20日 | 西国三十三所
金曜日から土曜日にかけての台風で関西の交通機関にもいろいろな影響があった。東海道線では夜中まで何時間も快速列車の中で缶詰になったり、あるいは帰宅できずに駅や列車内で夜を明かしたりという人も多かった。のみならず、18日に至っては大阪環状線をはじめ関西のJR線の多くが半日以上運転を見合わせるなど、多くの利用者に影響があった。並走する私鉄がほぼ平常運転(南海本線は人身事故で運転見合わせがあったが)なのに対してJRだけ何で運休やねんという声は結構あったが・・・。

話を西国三十三所巡りに触れると、前回天橋立の成相寺に行ったのだが、当初のプランではこの週末の期間を利用して、隣の舞鶴の松尾寺とセットで1泊2日で訪れることにしていた。結局それを分割して6月に成相寺だけ日帰りで訪れたのだが、もし宿泊プランにすると台風の影響、JRの運休に引っかかっていたかもしれなかった。

で、そこでサイコロで決まった次の行き先は箕面・宝塚ということで、勝尾寺と中山寺という、大阪近郊の2ヶ所。勝尾寺は大阪駅のコンコースにも看板が出ているし、中山寺は「大本山中山寺」というラジオCMを耳にすることがある。その意味では一般にも知られた寺ではないかと思う。必勝祈願と安産祈願という、それぞれの「得意分野」でも知られている。

このうち中山寺は行ったことがあるが、勝尾寺は初めてである。この連休中に1回は巡礼を行っておきたいし、必勝祈願ということであれば、後半戦のオリックス・バファローズの巻き返しを祈願するか。ということで、JRのダイヤ乱れから1日開けた19日に2ヶ所訪れることに。

公共交通機関で行くとすれば、中山寺は阪急中山観音からすぐ、勝尾寺は千里中央からバスで30分ほどであるが、このバスの便というのが限られていて、平日だと3本、土日祝で6本という少なさ。まあ、この巡礼の中では、バスは1日2便しかないという超ローカル線もあれば、最寄りのバス停から徒歩1時間とサクッと案内されるところもあるので、1日6本はまだ便利なほうか・・・。

ただ、勝尾寺と中山寺の間には、箕面大滝がある。どうせなら箕面観光ということでここにも行きたい。であれば、勝尾寺~箕面大滝~箕面駅は歩くことにするか。距離にして7キロほど。歩数稼ぎにはいいかもしれない。どちらから行くかということだが、バスの便が限られている勝尾寺を先に押さえてから、列車が頻発する箕面~中山観音と回る方がよい。

ということで、勝尾寺から箕面へのウォーキングについてネットでいろいろ見ていたのだが、その中で「勝尾寺表参道」というのが出てきた。勝尾寺は山の上にあってクルマやバスで行くことになるが、昔の徒歩巡礼の道順だと前の札所の総持寺から西国街道に沿い、途中から山登りの参道に向かうという。その表参道も4キロほどのハイキングコースになっているようで、ならばここも行ってみるか。バスだと千里中央を9時に出て9時半頃に着くが、もう少し早く家を出て早めに着くようにしよう。

・・・ということで、千里中央からバスに乗り、国道171号線にある新家バス停で降りる。台風一過とはいかずどんよりした雲が広がる。一応傘は持ってきているが、降ってほしくないところ。

勝尾寺口の交差点から南へ数十メートルで旧西国街道に出る。そこには鳥居。「寺に鳥居」というと違和感を覚える人も多いだろうが、これも神仏習合の名残である。最初の鳥居は鎌倉時代に建てられたそうで、以後何回か修理や建て直しが行われたそうだ。

鳥居の脇に石碑がある。ここから勝尾寺まで36丁(およそ4キロ)ある。ここから1丁(およそ109m)ごとに石碑が並んでおり、今でも一部が残されている。ここにあるのは三十六町石で、ここからカウントダウンで進んでいく。4キロということはおよそ1時間で着くくらいかな。まずは住宅地を抜ける。なだらかな上り坂である。

途中、帝釈寺という寺に出る。聖徳太子が創建したとされ、後には清和天皇が勝尾寺に行幸した際に帝釈寺にも入り、勝尾寺を「内院」として、帝釈寺を「外院」と称した。ここ粟生外院という町名の由来である。帝釈寺の脇には三十町の石碑がある。ちょうど6分の1を経過したことになる。

しばらく過ぎると道幅が狭くなり、やがて田んぼの中に出た。するとここで雨が降ってきた。目の前は山、この中を傘を差して進むことになる。一瞬、引き返そうかと思ったがそのまま行くことに。二十六とも二十七とも読める石碑があり、4分の1まで来ている。

田んぼの中の細道を行くといつしか完全な山道になる。周りにフェンスが巡られている。「捕獲檻に注意!」とある。イノシシ、ニホンジカを有害獣として捕獲しているそうだ。箕面と言えばニホンザルのイメージが強く、あちらは人間の餌やりを条例で禁止するなどの対策も浸透して今では人里ではほとんど姿を見せることはなくなったそうだが、イノシシやシカによる被害というのはいろいろあるのだろう。

前方にはこのようなゲートがある。これもイノシシやシカの対策ということで、いちいち扉を手で開けてかんぬきをかける必要がある。私の腰くらいの高さだが、シカならこのくらいは飛び越すのではないかと思う。

ここから本格的な山道。台風の大雨で土もぬかるんでいるし、今も雨が降ってムシムシした嫌な感じだ。これならバスで来ればよかった・・・と思うが、もう山の中まで入ったからには進むしかない。そんな中、前方からポツポツとやってくる人とすれ違う。地元の人らしき格好で、勝尾寺まで日常的に散歩しているのだろうか。「雨の中大変やねえ」と声をかけられる。散歩というよりは山登りだが・・・。

さてここまで目についていた石碑も見られなくなり、極端に狭い道も抜けながら上るうち、展望の開けるところに出た。丸太で作ったベンチがあり、休むことができる。ちょうど前に住宅街が見える。天気が良ければ万博公園とか、さらにその先の大阪市街、果ては生駒山の辺りまで見えるそうだ。雨で煙っているのが残念だ。

この休憩ポイントのところで道が二手に分かれている。左手が「古参道」、右手が「旧参道」である。どちらからでも勝尾寺には行けそうだが、距離は書いていない。また「古」と「旧」と、同じような意味の字が使われているが、どう違うのか。もっと言えば、どちらがまだ楽に上れるのか。これは直感だが、「古」のほうが当初参道として開かれたところで、「旧」は今の車道に比べて古いという意味で、「古」よりは新しいのかなと。で、「旧参道」を行くことにした。

ただこの「旧」も、山道であることには変わりなく、上り道が延々と続く。でも上りでよかった。これが下りだと間違いなくぬかるみで滑りそうなポイントもあった。

新家のバス停から出て1時間ほど経ったところで、道の両側に縁石が並ぶようになった。「古」のほうを通ってもここで合流するようだ。久しぶりに見た石碑には四町とあった。何やかんやあったが9割方来たところである。道もがぜん歩きやすくなった。

ここからは下りに転じ、前方からはスピーカーで読経の声も聞こえるようになった。最後は石段を下りて勝尾寺の門前に出た。赤い山門の前に勅使門というのがあるが、ここは常時閉められている。横の売店の建物の手前が拝観券売り場であるが、ここまで歩いて息も上がっているし、シャツもボトボトである。少し休んでから中に入る・・・・。
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