とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

梅雨明けはまだか!

2009-07-31 23:06:38 | 呟き
今日は、四国地方で梅雨明けしたとみられると気象庁の発表があった。関東甲信地方でも梅雨明けしたとされているのに、東海地方の梅雨明けは未だに発表がない。この先一週間の週間天気予報も、曇りと雨マークしかない。一体どうしたことだろう。

名古屋地方気象台によると、太平洋高気圧の勢力が弱いためで、この状況は8月も続く見込みだそうである。関東甲信地方で梅雨明けした一方で、東海地方は「梅雨明け」がないままとなる可能性もあるという。通常は発達した太平洋高気圧が日本列島を覆い梅雨明けするのだが、北にある強いオホーツク海高気圧と、日本海上空に居座る寒気にはさまれたような状態になって梅雨前線が日本列島上空に停滞し南から暖かく湿った空気が流れ込み各地に大雨をもたらしているのである。また、南米・ペルー沖の海面水温が平年より高くなる「エルニーニョ現象」も影響しているという。

近年まれに見る長い梅雨で、日照不足で農作物の生育にも遅れが出ているようであり、海水浴場は閑散として、夏物衣料やエアコン、ビールの売れ行きも減少するなど市民生活にも影響を及ぼしているようである。海や山に行っても夏のぎらぎらした太陽が見えず、何か寂しい。あと10日もすれば盆休みに入ろうかとしているのに、太陽が見えない夏ではつまらない。早くいつもの夏が来ないかと天気予報を何度も眺めている。



グリムス2本目植樹へ

2009-07-30 21:13:43 | エコ
1本目に続いて2本目も、ほぼ2ヵ月半ほどで大人の樹に成長しました。毎日ブログ更新した甲斐がありました。明日からは、また3本目の挑戦になります。しょっぱなに動物を呼ぶキーワードは「酸性雨」です。

さて、グリムスでは地球検定なる問題が時々出されております。下の問題の答えがわかるでしょうか。

【問題】
国連が提唱する、人間が人間らしい生活を営むのに最低限必要な生活用水は、
1人1日あたり何L?
[1] 10L
[2] 50L
[3] 100L

少し考えて見ましょう。





答えが決まったら、下の答えと解説を読んで下さい。

【答えと解説】

[2] 50L
国連が提唱している最低限必要な生活用水は、1人1日あたり50L。
それだけあれば、飲み水、料理用の水、洗濯に使う水、手や顔を洗う水
などがまかなえるといいます。日本人が使用している量は1日におよそ320L。
50L以下の生活用水で暮らす国は、世界に55カ国もあります。

何と日本人の使っている水の量が320Lとは、桁違いに多い量ですね。いかに日本人が水を贅沢に使っているかが判ります。大切な水を大事に使いたいものです。


宇宙工学の進歩と宇宙に秘められた謎

2009-07-29 22:19:43 | サイエンス
若田光一さんが国際宇宙ステーションで日本の実験施設「きぼう」を完成させ今月の31日にスペースシャトルで帰還する予定となっている。この国際宇宙ステーションに日本が投じた費用は総額1兆円近くもかかっているという。途方もないお金が日本の宇宙開発に投じられているわけである。

新聞のコラムでこんな話を見つけたのだが、未曾有の不況で人々が職を失って苦しんでいるときに、国民の血税を1兆円も宇宙開発に注ぎ込むことは正しいのだろうかという内容であった。結論として筆者の言いたいことはロケットを打ち上げたり、月探査をしたりと、宇宙開発を積極的に進めることはいいことだという内容であった。理由として、宇宙開発は先端技術の宝庫であり、宇宙開発からのスピンオフ技術には驚くべきバラエティーがあるという。

宇宙工学では、気密性や安全性など、地上と比べて非常に高い水準の技術が求められる。それができないと宇宙飛行士の命が危ないからだ。目的は、科学技術の前進というよりは、月に着陸したり、火星に探査機を送り込むことだったりするが、それにより培われた科学技術は、カーナビや携帯電話、フリーズドライ、医療技術といった場面で、われわれの生活を便利で快適なものにしてくれる。そして、発明・発見した人が特許を取り、それにより莫大(ばくだい)な利益を手にする。長い目で見た場合には、その国の科学技術と経済の発展を促すものになるというのである。

因みに、宇宙工学の進歩にともなって改良されたり、開発されたものの一覧を挙げてみる。

空気清浄機、自動インスリンポンプ、骨解析の技術、車のブレーキ・ライニング改良版、白内障手術用の器具、複合材のゴルフクラブ、省エネエアコン、耐火素材、フリーズドライの技術、高密度電池、家庭用防犯システム、小型電子回路、携帯電話、衛星ナビシステム(GPS)、スタッドレスタイヤ、歯磨きのチューブなどがあるそうだ。

この内容については、「宇宙に秘められた謎」(スティーブン&ルーシー・ホーキング著、岩崎書店)という本に詳しく載っているそうである。この本は、英国の理論物理学者スティーヴン・ホーキング博士と娘のルーシー・ホーキングさんが書いた子供向けの科学小説であるが、大人が読んでも充分楽しめそうな内容である。1巻『宇宙への秘密の鍵』が、太陽系やブラックホールなど、星や宇宙の仕組みを理解する基礎知識編とすれば、2巻『宇宙に秘められた謎』は、現在までに人類が知りえた宇宙の様子と研究に迫る探求編となっている。2巻は最近発売されたばかりのようだが、結構売れているようだ。子供たちに、こんな本を読ませたらきっと宇宙や科学への関心が高まるのではないかと思った。


八ヶ岳核心部を縦走「2日目」

2009-07-28 22:18:37 | 山登り
赤岳頂上小屋は、2900m近い山の上なのに部屋の中はきれいで、食堂も広く快適な山小屋だ。

自分たちの部屋は布団1枚分が一人の割り当てで寝ることができ、寝返りも遠慮なくできた。また、部屋の密閉度がよく窓は二重窓のため外の音も静かだ。ただ、部屋は人の熱気で毛布も要らないくらい暑かった。

朝食を済ませ、6時に小屋を出た。雨は降っていないが風がまだあり、防寒用に雨具を着て下山を開始した。赤岳は岩稜の山だ。下山もクサリやハシゴが随所にあり、慎重に下りなければならない。

この日も、天気は今一つといった感じだ。ガスが立ち込め視界は相変わらず悪い。頼りとするのは案内標識だが、文字がかすれ見えにくい標識も多く、コースを間違えて進んでしまった。お花畑に見とれていたのも失敗だった。

しかし、次の標識でおかしいと気付き元に戻った。再確認して正しいコースに戻ることができた。山ではガスがかかると迷いやすい。こんな時は、何度も地図で確認しておかしいと思ったら元に戻るに限る。

赤岳を下山して稜線沿いに中岳を登り返す。中岳を下った所のコルに荷物を置いて、阿弥陀岳に上る。阿弥陀岳も岩場が多く、岩登りが好きな人には面白い岩山である。岩の間にもタカネグンナイフウロなどの可憐な高山植物が一杯咲いていた。

30分ほどで阿弥陀岳山頂(2805m)についた。

空身でなければきつい登りだった。山頂で記念写真を撮り、荷物を置いた中岳のコルに戻った。ここからは、どんどん下っていく。高度をぐんぐん下げていくと行者小屋に着いた。

ここでは、多くの登山者が集まっていた。これから赤岳に行く人や下りてきた人たちなど様々である。

我々も、ここでガスでお湯を沸かし、弁当やコーヒーで昼食とした。あとは、2時間ほど歩けば登山口に戻れる。南沢をぐんぐん下っていくうちに、天気がよくなってきた。光が当った樹林帯の中を歩くのも気持ちいい。

途中には大きなバイケイソウも咲いていた。

沢で休憩したり写真をとったりして歩いていき、やがて最初に出発した美濃戸の登山口に着いた。登山口で湧き出ていた沢の水は特に美味しかった。今回も無事に下山ができた。赤岳山頂で安全登山を祈願したのが良かったかもしれない。

八ヶ岳核心部を縦走「1日目」

2009-07-27 23:18:17 | 山登り
先週の塩見岳に引き続き、25~26日と百名山の一つの八ヶ岳に行ってきた。八ヶ岳といえば幾つもの峰々があり、何度も行ったことのある山域である。今回は、9年ほど前にも行ったことがあり、八ヶ岳でも最も核心部である硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳などを全て回る縦走コースとした。

登山口は、原村の美濃戸から入ることにした。美濃戸口からは舗装がなくなり、すれ違いのも厳しいくらいの凸凹道であるが、車で行くことができる。真夜中に急な坂道をゆっくり進んでいくと、前方でスリップしている車があり立ち往生していた。パワーがなく、タイヤが減っていたのか上に上がることができないようで、バックして道を空けてもらった。夜中であり、果たして自分の車も前に進めるか心配になったが、なんなく前に進めることができた。立ち往生した車は、前に進むのはあきらめて戻ったようであった。

美濃戸には数軒の山小屋があり、そこの駐車場に車を泊めて車中泊とした。数時間ほど眠り目覚めると、山小屋の人が朝から見回りに来ていて、早速駐車料金を請求された。駐車料金を払い身支度を整えると登山の開始だ。朝6時過ぎに小屋を出発して、北沢回りで硫黄岳を目指すことにした。歩き出すと最初に見つけたのはキバナノヤマオダマキだ。黄色で特徴ある形の可愛い花である。

沢沿いの木道などを進み

2時間ほどで赤岳鉱泉についた。赤岳鉱泉はお風呂がある山小屋だが、ここには泊まらず休憩のみで先に進んだ。


ここから、キツイ登りとなる。1時間ほど登っていくうちに雨がポツポツ降り始め雨具を着ることになった。天気予報でも曇りとなっていたので雨も仕方ないと思っていた。2時間ほどで赤岩ノ頭(2656m)に着く。このあたりは、シャクナゲが多く一面に咲いていた。

ただ、ガスが立ち込め視界は10m程度しかない。しかも、硫黄岳に向かうにしたがって、風が強くなってきた。15分ほどで硫黄岳(2760m)に着くが強風で吹き飛ばされそうな状況だった。視界も利かず、標識がなければ迷いそうな山頂である。

標識が指す方向を頼りにコースを進んだ。風はますます強くなり、体を屈まなければ前に進めない。吹き付ける風と雨粒で顔が痛いくらいだ。先日、大雪山系で起こった遭難事故が頭に浮かんできた。こんな状況が続けば遭難してもおかしくないかもしれないと不安になったが、しばらく先に硫黄岳山荘という山小屋があるのが判っていたので、まずは山小屋まで行くことにした。

強風の中、山小屋にたどり着き今後の天気予報やコースの状況をきいた。幸い、これから天気は少し回復傾向にあるということと、風が強い場所はもう少し先くらいまでだろうという話を聞いて、予定通り先に進むことにした。硫黄岳周辺はコマクサの群生があって有名な場所だ。強風の中でもコマクサだけは何枚も写真をとっておいた。


しばらく進むと、風は弱まってきた。時折強い風が吹くものの、前に進めないほどではない。クサリ場やハシゴが断続する岩峰をすすみ横岳(2829m)に着いた。

ここで、休憩をしている内にみるみる空が明るくなってきた。

あれほどガスがかかっていた空から太陽が顔を出し、青空が見えるようになった。ガスの合間には、下方の山小屋や

大同心、小同心の岩峰も見えた。

山小屋のお兄ちゃんが教えてくれた通りの天気になって感激だ。しばらく山頂からの雲の流れや景色を堪能する。また、チョウノスケソウという珍しい高山植物も見つけラッキーであった。

ミヤマシオガマも岩の間から咲いていたりして花の写真も光が射すといい感じになる。


さらに1時間30分ほどで赤岳天望荘に着いた。

目指す赤岳山頂にはガスがかかり、まだ先である。最後の腹ごしらえをして、山頂を目指した。

朝から歩き出して8時間以上もたっており、かなり疲れてきたが頑張って40分ほどで今日の最終目的地の赤岳頂上小屋に着いた。まさしく頂上にある小屋で、2899mの山小屋だ。よくぞこんな場所に建てたと感心してしまうほどの場所である。本当の山頂は小屋から歩いて5分くらいの場所だが、荷物を置いてから山頂に行った。

山頂からの景色は、あいにくガスがかかり360°の展望とはいかなかったが、時折ガスが晴れると周辺の山並みが見え隠れしていた。


小屋の寝床は充分なスペースがあり、狭い思いをせずに確保できた。たくさん歩いたお陰でビールを飲み、夕食を済ませたらアッという間に眠りについていた。翌日の天気を気にしつつもぐっすり眠っていた。続きは2日目へ。



拓郎、「つま恋」も中止

2009-07-26 08:00:29 | コンサート
6月からコンサートツアー中だったが、慢性気管支炎が悪化して7月8日の大阪市での公演を中止し療養中だった吉田拓郎。体調がよくなって「つま恋」と東京の最後のコンサートには出れそうだと一時は期待していたのだが、23日「つま恋」に移動する途中で体調不良を訴え、急遽東京に戻ったとのことだ。診断の結果、ツアー継続は困難と判断し、残りの全公演の中止が決まったそうだ。

名古屋から始まったコンサートでは、久しぶりのステージなので最後まで持つか心配だったが、不安を吹き飛ばす熱唱で全22曲を歌い上げ、とてもいいステージだったという。会場を埋め尽くした5000人の大声援も鳴りやむことがなかったそうだ。ファンの熱気もすごかったし、それに応えようと拓郎も必要以上に頑張り過ぎたのかもしれない。

今回のコンサートの中止はやむをえないことだろう。一ファンとしては、しっかり直ってから元気な姿をみせてくれればいい。アルバムの1曲目は「ガンバラナイけどいいでしょう」という曲だが、まさに頑張らなくてもいいから、もう一度ステージに立つ拓郎を見たい気持ちで一杯だ。

伝道師となった真珠湾攻撃隊長

2009-07-25 22:36:55 | 社会人大学
社会人大学5回目は、元・NHKディレクターでジャーナリストの中田整一氏の講演であった。「2.26事件」や「太平洋戦争」などの現代史を中心にしたドキュメンタリー番組を担当した人であり、今回は、中田氏が近年編集した「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」の話であった。

中田氏は、真珠湾攻撃総隊長だった淵田美津雄が生前したためていた自叙伝を発掘して、真珠湾攻撃66年目にしてその真相を本にして初公開したのである。この淵田美津雄という人の話はラジオの深夜番組でも紹介され、大きな反響を呼んだということだ。

さて、今まで歴史の舞台には表立って登場しなかった淵田美津雄という人はどんな人であったのだろうか。簡単に紹介してみよう。

○真珠湾攻撃隊、360機を率いてハワイ上空からトラトラトラを打電した男
○ミッドウェー海戦時、艦上で病に倒れ沈没する空母から九死に一生を得た男
○海戦史上名高いレイテ湾突入作戦を、連合艦隊参謀として構想した男
○航空参謀として原爆投下の前日まで広島に滞在し、7日に爆心地に入った男
○敗戦に抵抗した厚木基地を解放し、そこにマッカーサーを出迎えた男
○降伏調印式を戦艦「ミズーリ」号で、屈辱のうえに目撃した男

その後、淵田美津雄海軍大佐は終戦6年後、突然、キリスト教に回心し、平和の伝道者として憎しみの連鎖を断つよう、アメリカ中を回り人々に訴えたのだ。「戦争と平和」、「奇襲攻撃とキリスト教伝道」と、人生を二度生きた男として、その生き様は興味深い。

海軍でも名文家の誉れが高かった淵田美津雄海軍大佐の文章は、臨場感あふれ読み応えもあり、歴史的資料の価値も高いそうである。中田氏の講演では、淵田美津雄海軍大佐の自叙伝の発掘から、本として刊行するまでの話だった。戦後日本の歴史の中でも、このような人物がいたとは初耳であり感動する話だ。機会があったら「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」を読んでみたいと思った。

塩見岳3日目

2009-07-24 07:00:00 | 山登り
眠れずに真夜中に時計を見たら0時過ぎだった。まだ、夜明けまでは時間がある。天気が気になりトイレにも行きたくなったので、ヘッドランプをつけて小屋の外に出てみた。真っ暗な闇の中で空を見上げると、空全体に溢れんばかりの星星が輝き、空の真ん中には大きな天の川が横たわっていた。久々にみた星空だ。これで天気は大丈夫だと確信を持った。トイレを済ませ静かに寝床に戻った。

3時を過ぎた頃、早立ちの人たちがごそごそと動き始めた。私もしばらくしてから身支度を整え小屋の外に出てみた。まだ、星がキラキラ光っている。眠っている仲間の人たちにも声をかけ起しにいった。間違いなくご来光が見えそうな晴れ上がった空であった。4時を過ぎた頃から空は明るくなり、山の向こうが赤くなってきた。その上には三日月が輝いている。たくさんの登山者たちが小屋の前にある高台に集まってきた。ご来光の瞬間をカメラに捉えようと待ち構えた。

だが、太陽はなかなか上がってこない。そのうち朝食の用意ができたと小屋番に呼び出され、食事にむかった。ご飯と味噌汁をお代わりしたが、結構早く食べ終えて、再びご来光を見に戻った。幸いにもまだ太陽は山の下だった。

しばらく待つうちに、ふと見上げると一気に山の向こうが輝きだした。ご来光の瞬間である。雲の色がオレンジ色からピンク、赤とめまぐるしく変化していく。やっぱり高い山から見る日の出は神々しい。



太陽に向かって、今後の山旅の無事を祈って手を合わせた。

さて、これからは元来た道を戻り下山だ。雨具を干した塩見小屋の向こうには、昨日登った塩見岳西峰と天狗岩が見える。

ザックを整理して三伏峠に向かって歩き出した。振り返るとピラミダルな塩見岳が大きくよく見えた。

また、遠くには北アルプスの槍ヶ岳、乗鞍山、中央アルプスがくっきり見えた。東側に目を転ずれば、甲斐駒が岳、千丈岳がでっかく見える。

そして、北岳、間の岳、農鳥岳等の白峰三山も手にとる様に見えた。この日は快適な稜線歩きとなった。三伏山を越えると樹林帯の中に初日に泊まった三伏峠小屋が見えた。

また、空を見上げると、あばら骨のような面白い雲が見えた。

そして、東側には、初日に登りたかった烏帽子岳のなだらかな稜線が見えた。

三伏峠にはあと僅かである。

三伏峠から烏帽子岳に向かう途中にお花畑があるというので、すこし寄り道することにした。分岐から分かれ数分でお花畑に着いた。水場が近くにあり、お腹もすいてきたのでお花畑の前で昼食にすることにした。昼食はNさんがパックご飯、カレー、スパゲッティ、コンソメスープ、野菜とたくさん材料を持ってきてくれたおかげで、水場から汲んできた南アルプスの天然水を使ったカレーライスやスパゲティ、スープをご馳走になった。また、小屋に近くKちゃんがビールを買ってきてくれたので、青空とお花畑の前で気持ちよい昼食をとることができた。お花畑は鹿害を防ぐためフェンスで囲まれていたが、黄色い花が咲き乱れていた。


お花畑に向こうには、塩見岳がどっしり構えていたのも嬉しかった。


三伏峠からは急な下りとなる。塩川までは10の区間に区切られ、10から1まで番号が振られている。登るのはきつかったが、下りはぐんぐん下りて1時間ほどで5/10まで着いた。少し休憩をして4/10を過ぎた頃、岩に血溜まりがあってびっくり。かなり多量の血溜まりである。しかもまだ生々しく、乾いていなかった。誰か滑落して怪我をしたのではないかと気になり回りをきょろきょろしながら下山していった。沢に下りたところで、先行した登山者に会ったが、その人たちも血溜まりを見て気になっていたらしい。だが怪我をした人は見かけていないということで、ますます心配になったが、とりあえず前に進んだ。南アルプスらしい苔むした樹林帯や沢を渡り塩川小屋に着いた。



塩川小屋でトイレを借りた時に、小屋番から怪我人の話があって血溜まりの真相が明らかになった。単独行の若い男性が下山中に足を踏み外して転倒し、岩場で頭と手を打ち大怪我をしたとの事だった。しかし、その男性は、骨を折ったにもかかわらず自分で手当てをして小屋まで一人でたどり着いたらしい。知らせを受けた小屋番がドクターヘリを呼び、ヘリ発着場まで車で送り届けてきたばかりとの事だった。命に別状はないようだったので少し安心したが、よくも一人で下山できたものだと驚いた。山での事故は、下山時が最も多いと聞いている。つかれて足腰の踏ん張りが利かなくなってくるので最後の最後まで気を抜いてはいけないとつくづく思った。幸い我々のパーティは全員怪我もなく無事下山できた。

塩見岳2日目

2009-07-23 22:21:33 | 山登り
三伏峠小屋を5時半に出発する。三伏峠は、まだ真っ白い霧の中である。

この日も雨具を着用して歩き出した。

樹林帯の中をしばらく進み、本谷山に着いた。

平坦な山頂も樹林帯の中で展望は見られない。さらに立ち枯れ木がめだつ尾根道を進み沢に着いた。ここから直登でコケの多い登山道を登り、塩川新道の合流地点を過ぎると塩見小屋に到着した。

塩見小屋は、予約なしでは泊まることができない小さな小屋である。定員は30名程度だ。まずは、受付を済ませ寝る場所の確保だけはしておいた。小屋から塩見岳往復で2時間弱はかかるので、小屋に荷物を置いて山頂アタックすることにした。相変わらず天気は悪く、雨も止んでいない。風もかなりあり、先日の北海道での遭難事故があったばかりで不安もあったが、小屋が直ぐ近くにあり荷物も軽くなったので慎重にいけば大丈夫と判断して山頂に向かった。

塩見岳は二つのピークがあり、三角点が置かれた西峰が3047m、最も高い東峰は3052mある。天狗岩を越えた辺りからアルプスらしい岩稜地帯となり、三点確保で慎重に岩を幾つも乗り越えて上を目指した。

ときおり横殴りに吹く風は、雨をあられのように容赦なく顔に当ててくる。雨に打たれた顔が痛いくらいだ。横だけでなく下からも突き上げるような風にも吹かれ体を低くした姿勢でなければ前に進めない時もあったが、なんとか1時間ほどで二つの峰を制覇した。


晴れていれば、360°の大パノラマの見える場所だが、まったく見えずホワイトアウトの状態だ。記念写真だけ撮ると即座に下山を開始した。

40分ほどで小屋に戻った。小屋では、部屋の準備がまだできていないということで、なかなか部屋に入れてもらえなかった。雨風で体が冷え着替えを直ぐにしたいところだったが、しばらく待たされてやっと部屋に入ることができた。この日も午後からは、予定がなく小屋で夕食を待つだけであった。天気の回復も遅れているようであり、小さな小屋の中では、眠るか話をして時間を過ごすしかない。別のパーティの人たちと山談義をしたりして長い時間を過ごした。

塩見小屋では、初めて体験したことがある。それは携帯トイレの使用だ。ここでは、し尿の処理が大変だということで、トイレを使用する場合は全て携帯トイレを使用するようになっている。宿泊者には、男性が1セット、女性には3セット無料で配られ、それ以上欲しい場合には有料で購入する。使い方は簡単で、袋を便座の中に装着してから普通に用を足すだけである。その後、袋を紐で閉じて漏れないようにしたら、所定の容器に入れておくだけである。他の山小屋のトイレに比べると、トイレ内がきれいで臭いもないので環境にはいいことだった。溜まった携帯トイレの袋はヘリで運び出すそうである。山小屋でのトイレ事情は、どこも大変な苦労があるのだ。

さて、夕食が済み消灯の7時半が過ぎてからの夜が長かった。小さい小屋だけに寝返りを打つと隣の人に当ったりするのであまり足も動かせない。何度も時計を見たりして眠れない夜を過ごした。唯一の希望は、翌日の天気予報が晴になるという情報だった。幸い自分の気圧計も上昇傾向に転じていたので、晴を期待して夜明けを待った。

皆既日食は生では見られなかったがTVで見た

2009-07-22 19:00:54 | サイエンス
(写真は毎日新聞のHPより:東京・小笠原諸島の北硫黄島沖で見られた皆既日食のダイヤモンドリング)

残念ながら自分の住む地域では皆既日食はおろか部分日蝕すら観測することはできなかった。厚い雲に覆われ、ここ数日あまり太陽を見ていないような気がする。

それでも、東京・小笠原諸島の北硫黄島沖では皆既日食が見られ、空は暗く水平線は赤く染まったようである。テレビでしか見てないが、現地で見た人は、信じられない光景に感動したことだろう。本当に生で見たかったものである。

この次に日本で見られるのは26年後ということで、はたして元気でいられるかどうかわからない。ただ、日食って、毎年世界のどこかでは見ることができるらしい。お金がある人は世界上を回って見に行っている人もいるようだ。海外旅行を兼ねて日食見物に行くのも面白そうだ。

因みに今日限定で、日食バージョンのテンプレートにしてみました。