とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2018東海道ラン:藤枝~掛川

2018-04-28 21:09:40 | マラソン
うり坊会の企画に乗っかって3回目の参加となるが、二か月ぶりに東海道ランの続きだ。年末の興津~藤枝の続きとなり、今回は約30キロのランの予定だという。8:46。まずは、JR藤枝駅まで移動してから駅前からスタートだ。


藤枝駅から800m程進むと旧東海道に入る。正式にはそこからがスタートとなるが、GPSウォッチの計測は藤枝駅から始めた。20分ほど走ると、六地蔵のところまで来た。


旧東海道の松並木の道を走る。


島田市内に入る。大きな鐘があるお寺の境内に入ってみる。お寺の名前は大善寺と言い、この鐘は大井川の川越の始まりと終わりの合図として鳴らされたという。


大井川の近くに行くと川越遺跡がある。江戸時代、旅人が大井川を渡るためには、人足に肩車をしてもらうか、輦台(れんだい)というみこしのような乗り物に乗り、担いでもらっていた。その「川越し」の料金所(川会所)や、人足の待合所(番宿)などの風景を再現したのが川越遺跡だ。川越人足と記念撮影する。




川越遺跡の茶屋では、ラムネと餅で休憩タイム。


御姫様をみこしに担いで大井川を渡る川越風景の顔ハメ看板。


実際に川越しはできないので、すぐ先にある大井川橋を渡り、対岸に着く。


金谷の町中に入ると、川一面に鯉のぼりが張り巡らされている。もうすぐ5月なんだなあ。


11:57。いよいよ金谷坂の石畳だ。ちょうどお昼にもなるので、石畳茶屋でランチ休憩する。


茶屋というからランチは、和風料理かと思いきや、洋風のホットドッグとサラダ、スープ、ドリンクのセットだった。


茶屋前から富士山が見えるというので、写真を撮ってみるが、残念ながら白飛びでよくわからない。肉眼ではしっかり見えていたのだが…。


石畳を進んでいく。見た目は白い石が敷き詰められて、いい道に見えるが、実際歩くと歩きにくいことこの上ない。


金谷というとお茶の名産地だ。至る所に製茶工場があり、近くの製茶工場を見学してお茶をよばれる。


お湯を適温にするため何度も茶碗に入れ替えてから、茶葉を急須に入れ3分ほどたってから茶碗にそそぐと、こんなにもいい色のお茶になった。


まだまだ石畳は続く。


めちゃ長くてきつい勾配の坂を上っていく。


やっと平らになったところで久延寺の夜泣き石を見ていく。猫ちゃんも挨拶していく


久延寺隣の「扇屋」では、夜泣き石の伝説にちなんで生まれた「子育て飴」が、現在も昔ながらの製法でつくられている。ただ、みんなは子育て飴よりビールが待ち遠しかった。


小夜の中山からは、粟ヶ岳の「茶」文字が良く見える。


茶畑の間を進んでいく。


日坂宿では、地元の子供たちと一緒に記念撮影。


14:25。日坂を過ぎると事任(ことのまま)八幡宮だ。事任八幡宮は「願いが『言のまま』に叶う」神社として古くから信仰されてきたという歴史がある。これは、入り口にある大楠。樹齢300年以上で樹高は31m、目通り幹囲6mという見事な大木だ。


石段を上がり、参詣していく。


本殿の奥に聳える大スギ。樹高35m、目通り幹囲6.5m、樹齢は300年以上とか。これも立派な大木だ。


事任八幡宮近くのカフェで、メロンソフトをほおばる。


15:50。ゴールとなる掛川城に到着する。


掛川城の大手門前のおでん屋でゴール後の打ち上げ。


おでん屋でゆっくりしてから掛川駅まで向かい、帰路についた。約30キロの今回の東海道ランも食べたり飲んだりと楽しいウォーク&ランだった。

参考:今回のコースマップ

2018水都大阪100キロウルトラマラニック

2018-04-26 20:59:18 | マラソン
初めて参加した「水都大阪100キロウルトラマラニック」は、今年が第10回の記念大会になるそうだ。今までは500人規模の大会だったが、今回は1000人がエントリーしており、関西では人気の大会のようだ。


朝5時過ぎに大阪城内のスタート地点に向かう。


我々は、1時間早いアーリースタートの組に入り、5:30のスタート時間を待つ。


スタート前の開会式。


5:30。これからスタートである。コース先導のランナーの後を付いて走る。競争ではないので、先導ランナーを抜かさないよう、みんな行儀よく走っている。


梅林を抜け、外堀の方に向かう。


一旦、スタート地点前を通り抜け、大阪城を見ながら走る。


大阪城を出ると、大川に入る。高層ビルの裏側から明るくなってきた。


歩道橋は、歩行者もいるかもしれないという事でみんな歩いて渡る。


高層ビルの間から、眩しい朝日が顔を出してきた。


12キロくらいで、淀川の河川敷に下りていく。


最初の食べ物エイドが見えてきた。


この毛馬エイドは、淀川を2往復するので、計4回立ち寄ることになるようだ。


まずバナナやパンで食料を補給する。


暑くなりそうなので水分もしっかり補給していく。


あとはずっとこんな感じの河川敷の道を2往復するのだ。




33キロの折り返しを過ぎてからのミニオンエイドで一休みだ。ミニオンとバブリーお姉さんに扮したスタッフと一緒に記念撮影。


52キロエイドで、たこ焼きを腹いっぱい食べる。さすが大阪らしいエイドだ。


そして、バナナをメインにしたフルーツミックスジュースがやたらに美味しい。


2回目の折り返しに向かう途中で、仲間のランナーに次々と出会う。みんな折り返ししてきたところで、2往復目に向かって頑張っていた。私は、仲間の中では一番最後だ。やっと半分が終わったところだったが、気温が高くなってきたことと、毎週の長距離ランが尾を引いてペースが全く上がらない。2回目の折り返しでもう止めようかという気になっていた。

56キロの折り返しエイドでしばらく休み、どうしようかと悩んだが、みんな頑張っているようなのでもう少し走って見ようと60キロのエイドまで走る。しかし、ますます走るのがキツクなった。このまま行っても関門に間に合わない可能性もあり、膝痛で走れなくなったKちゃんと共に結局60キロでリタイアをする。今年初めての100キロだったが、こんなにも早くリタイアするとは思わなかった。

早い時間にホテルに帰ることが出来たので、思ったよりダメージは大きくならずに済んだ。ここ最近、100キロは完走できない事が多い。もうそろそろ100キロを卒業しようかなという気になってきた。

大阪城&なんばグランド花月

2018-04-25 22:06:06 | 観光
先週末、水都大阪100キロウルトラマラニックに参加するため、ラン友たちと大阪に出かけた。大会の受付会場が大阪城なので、大阪城を観光してから受付に行くことにした。

大会受付が15時からという事で、まずは大阪城の天守閣を見に行くことにした。土曜日という事もあって観光客で一杯だ。しかも外国人も多い。外国人の観光客に集合写真を撮ってもらう。


大阪城を見上げる広場前には、タイムカプセルが埋められている。昭和45年(1970)の大阪万国博覧会を記念して翌年3月に埋設されたものだという。世界各国の文化の所産2,098点を格納した内径1mの同じカプセルを2個埋設し、上の1個は毎世紀初頭、下の1個は5千年後の6,970年に開かれる予定になっているというが、果たして5000年後、誰が開封してくれるのだろうか?


大阪城内の豊国神社には太閤・豊臣秀吉の銅像がある。


一通り大阪城内を回ってから、ウルトラマラニックの大会受付を行い、みんなで記念撮影する。


一旦ホテルに戻ってから、難波にある「なんばグランド花月」に出かける。せっかく大阪に行くのだから大阪らしいところという事で吉本新喜劇の舞台を生で見ることにしたのだ。


「なんばグランド花月」は、若手から師匠までの漫才や落語が楽しめる笑いの殿堂だ。


チケットは、事前にネットで購入することが出来るのだが、夕食時間に被る夜の部しか空いてなかったので、弁当付きのチケットにした。劇場内で飲食ができるというのが嬉しい。弁当のパッケージと中身とも吉本らしい。




開演前の劇場風景。開演まで少し時間があったので弁当を先に食べる。徐々にお客が増え、いつの間にか満席になっていた。


開演後は、撮影禁止なので写真はないが、漫才、落語、新喜劇が次々と始まり約2時間半の公演があっという間に終わっていた。テレビではそれほど笑えることはなかったが、生で見ると違う。とにかく大いに笑い楽しんだ。特にベテランの漫才は、面白かった。笑い過ぎて涙が出てしまうくらいだ。公演が始まる前に弁当を食べておいてよかった。公演中は、弁当を食べるどこではなかっただろう。

なんばグランド花月を出てホテルに戻ると午後10時近くになっていた。さて、翌日は100キロウルトラマラニックだ。走れるだろうか?

2018長浜曳山祭

2018-04-20 19:16:08 | 観光
天女の羽衣伝説マラソンの翌日は、毎年どこかに観光して帰っているのだが、もういろんなところに行きつくしているので、今回は6年ぶりに長浜曳山祭を見物して帰ることにした。長浜曳山祭とは、滋賀県長浜市で毎年4月に開催される祭で、京都の祇園祭、高山市の高山祭と並んで日本三大山車祭の一つに数えられている。2016年には、ユネスコ無形文化遺産にも指定された山・鉾・屋台行事の一つである。

6年前に見物した時に見た子供狂言が素晴らしかったので、もう一度見たくなりみんなを誘って長浜に向かった。まだ、雨が少し降っており人出が少ないのではと思っていた。案の定、9時過ぎに長浜に着いたが、駅前周辺の駐車場はガラガラだった。目的の子供狂言は、1回目が10時~、2回目が12時~という事なので、まず長浜市曳山博物館で、長浜曳山祭の歴史や見所などを勉強していく。

長浜市曳山博物館に展示されている本物の曳山。長浜には13基の曳山が伝わっており、露台に太刀を飾る飾り山形式の曳山である長刀山1基と舞台を備えた12基のうち4基の計5基が毎年祭に出場する。展示されている曳山は、今回出場しないものだ。


顔はめを楽しむ仲間たち。


博物館を出て、通りをブラブラしているうちに一気に人が増えてきていた。仲間ともバラバラとなってしまい、何処にいるかもわからないので曳山のスタート地点である長浜八幡宮まで行ってみる。ちょうど1回目の子供狂言の後半部分をやっていたので、見物していく。




最後の場面で、曳山の先端に立って子供役者が何やら見栄を切っているのがカッコよかった。




狂言が終わり、曳山が移動を始めた。まだ、雨がパラパラ降っているので周りにはビニールシートが掛けられている。


曳山が重いので向きを変えるのも大変なようだ。


通りに曳山が無事入った。これから街の中を曳きまわし、次の場所で2回目の子供狂言が行われる予定だ。


2回目は、長浜曳山博物館前で行われるという事なので、開始予定時間の30分前くらいからいい場所を確保するために曳山が来るのを待っていた。12時を少し回ったころ、長浜八幡宮で見た曳山がやってきた。4基ある曳山の1番山で、猩々丸という曳山だ。


まず最初に演じられるのは、一番山で演じられる「三番叟」だ。三番叟とは、能の演目「翁」から派生したものである。「翁」は番付の最初に演じられため、子供狂言でもそれに倣い、幕開けに演じられているものだ。






さて、これから演じられるのは「ー谷嫰軍記 熊谷陣屋の場」という演目だ。
「あらすじ」~パンフレットより~
 源平合戦の折、一谷の熊谷陣屋に、源義経の家来熊谷次郎直実の妻相模と敵方の平敦盛の母藤の方が、それぞれ初陣である、熊谷の息子小次郎と敦盛の安否が気がかりで訪ねてくる。そこへ沈痛な面持ちの熊谷が帰ってくるが、思いがけない妻相模と藤の方の姿に驚く。実は、熊谷は藤の方の息子敦盛を討ち果たしていた。熊谷は、戦場の様子を丁寧に物語り、藤の方は涙にくれる。
 陣屋には、敦盛の首を実検するため主君義経が待っていた。首は敦盛ではなく熊谷の息子小次郎のものであったが、義経は敦盛だと断言した。実は、敦盛の本当の父親は後白河法皇であり、敦盛の命を助けよと義経は熊谷に命じていた。主命にこたえるため、熊谷は同じ年頃の息子小次郎の首を身代わりにしたのだった。相模は出立前の小次郎の笑顔を思い出し涙にくれ、事態を知った藤の方も呆然となる。
 また、この陣屋に、平家にかかわりある石屋の弥陀六がいたが、弥陀六はその昔、幼い義経の命を助けた平宗清という平家の侍だった。宗清の顔を覚えていた義経は恩に報いるように、藤の方と敦盛を弥陀六に託す。
 子を失い、生きる意味を失った熊谷は、戦乱の世の無情を感じ、息子小次郎が生まれてからの十六年の月日が夢のようだと呟きながら、出陣の太鼓鳴り響く戦場を離れ、出家し行脚の旅に出る。

熊谷次郎直実の妻相模。


熊谷次郎直実。


熊谷次郎直実は、戦場の様子を丁寧に物語り、藤の方は涙にくれる。






陣屋には、敦盛の首を実検するため主君義経が待っていた。




義経は恩に報いるように、藤の方と敦盛を石屋の弥陀六に託す。


最後に登場人物が出揃い、演目終了だ。




40分ほどの演目だったが、本当に素晴らしい。演じているのは、8歳~11歳の少年たちだ。特に熊谷次郎直実役の少年は声も張りがあり、とても子供とは思えない立派な芝居だった。6年前に見た時も、子供たちの名演技に感動したが、今回もとても良かった。日本の伝統文化を子供たちが一生懸命守っているという事が素晴らしい。早めに来ることが出来、間近で見られた事はラッキーだった。

帰り道で見かけた恐竜のフィギュア。長浜にはマニアにはたまらない海洋堂フィギュアミュージアムもある。今回は寄らなかったが、結構楽しめるミュージアムだ。

2018天女の羽衣伝説マラソン

2018-04-19 19:01:45 | マラソン
今年も滋賀県の余呉湖で行われる天女の羽衣伝説マラソンに参加してきた。パリから帰って二日後の13日、夜立ちで余呉湖近くにあるウッディパルのコテージに宿泊する。6人棟2棟、12人棟1棟を私の名前で予約してあり、やめるわけにはいかない。

朝7時。ウッディパルをスタートして余呉湖に向かう。余呉湖のゴールエイドに到着すると、いよいよ周回コースの始まりだ。周囲約7キロの余呉湖を10周する大会で、今年で8回目の参加だ。3回行けばいいかなと思っていたのだが、いつの間にかこんな回数にもなっていたのだ。

5周までは飽きることもなく順調に周回していた。しかし、6~8周あたりになると同じコースを走るだけに飽きて苦痛になってくる。それを乗り越え、9周を回りきると残り1周だ。最後の周回は赤いタスキを掛けるので、周りの人も最後とわかり、声援が違う。9周目からは、カメラを持って景色を楽しみながら走る。

ゴールエイドから最後の周回の始まりである。


余呉川の沿岸は、例年だとサクラと菜の花が満開で素晴らしい景色が広がっているのだが、今年は、いかんせん暖かすぎて既に桜は散ってしまっている。菜の花も終わりかけている。


前の方にも赤たすきのランナーが見える。


天女の衣掛柳。日本最古の羽衣伝説が伝わる柳だが、昨年10月の台風21号による強風の影響で倒れてしまい、無残な事に上部は切り倒されてしまっている。幸い、新芽が出ており枯れてしまったわけではないようだ。


枝垂れ桜は、まだまだ見頃である。


西岸から東岸方向を見る。沿岸のサクラはまだ残っているのが見える。


西岸のサクラもまだ十分楽しめる。


中間点の給水エイド。ここでは必ず水分補給をするようにしていた。


濃いピンクと淡いピンクの花びらのサクラの中に緑の葉が混じり、例年と違う風景だ。




10周が終わり無事ゴールだ。71キロを9時間4分ほどで回ることが出来た。ゴール地点の記録証発行係の女性二人と男性一人は、なんと1月の伊豆諸島トレッキングツアーで一緒だった人たちだ。1周回るごとに彼女たちが声援を送ってくれたのがとても嬉しかった。


大会終了後は、恒例の懇親会だ。鍋を囲んで表彰式や久しぶりのラン友たちとの会話を楽しむ。


懇親会の後は、場所を変えて抽選会だ。毎回、空くじなしの抽選会だけに何が当たるか楽しみの一時である。私は、今年もお酒の七本槍が当たったが、Gさんの当たったお米と交換する。


余呉湖の大会は、毎回いいものがもらえるので毎年の恒例行事になってしまい、何時の間にか8回も来てしまっていた。10回目で100周すると、記念の賞がもらえるとあって、ここまできたら100周を目指すしかないようだ。しかし、あと2年先まで元気で走れるだろうか?

2018パリマラソンツアー:5~6日目

2018-04-18 18:35:34 | いろいろ
マラソンゴール後、ホテルに戻る。バスルームに入って汗を流したあと、風呂から出ようとすると、腹部が痙攣して床に倒れ込み、しばらく立ち上がることが出来なかった。痛みが治まると立ち上がる事が出来たが、あまりにも長い時間バスルームから出ないので妻が心配して声をかけてきた。尿意はあるが、相変わらず排尿もできない。これはまずいという事で、妻がツアーディレクターに連絡して近くの病院を探し、とりあえず診察してもらおうという事になった。

言葉が通じるかどうか心配なので、妻と海外旅行経験豊富な娘が一緒に付いてタクシーで病院に向かう。長い時間待たされて、血液検査と診察を受ける。その間ずっと、ベッドに寝たまま点滴である。2時間ほどすると、尿が出るようになり一安心する。これなら、夜遅くには帰れるのではと思っていたが、医師の答えは、2ナイト入院しなさいだった。診断結果は、脱水症による腎臓機能の低下ということでとてもすぐ帰らせてもらえる状態ではなかったようだ。

ショックだった。もうこれでツアーには参加できなくなり、帰りの便に乗れるかどうかさえ危ぶまれた。しかも、言葉の通じないフランスの病院で二晩も入院するなんて心細くてしょうがない。幸い、娘が付き添いで泊まってくれると言ったのでありがたかった。妻も待合室で待っていたが、みんな残ることはないので、妻と婿さん二人でツアーを続けるように言ってホテルに戻ってもらう。

その後は、診察室から個室にベッドごと運ばれ入院である。個室に運ばれると、とりあえずは人心地も付いた。腹部の痛みもなくなり自分で立って部屋を動き回ることもできた。後は安静にして4日目の夜が過ぎた。

尿検査の結果によっては、5日目には退院できるかと思っていたが、やはりダメとの事。1日、ベッドに寝ながらテレビの日本語放送など見ながら過ごす。やる事もないので、貴重な経験を忘れないようにと、病室の様子を写真に撮っておく。

私の寝ているベッド。電動で、高さを上下前後とも調整できる。隣が付き添い用の補助ベッド。


ベッドの横のドアを開けると、トイレ、洗面所、シャワー室がある。ちょっとしたビジネスホテル並みの部屋だ。


窓際には、机と椅子、テレビも備え付けられている。


ツアーに参加している妻から、モンサンミッシェルに無事着いたというラインが届いていた。今回のツアーで一番行きたかった場所だが、入院中ではどうしようもない。写真だけで我慢するしかない。


一晩過ぎたところで、医師の説明をちゃんと受ける。病院専属の日本語がわかるスタッフが付いてくれたので、理解はできた。やはり、もう一晩は入院しなければいけないようだが、帰りの飛行機の時間を言って、その時間に間に合うように退院させてもらえることになった。まずは、一安心である。

食事もちゃんと3食付く。夕食には、しっかりご飯が付いていた。これは、6日目の朝食だ。この朝食を食べれば退院できる。


9時過ぎ。退院手続きを済ませ、病院の玄関を出る。


ここに泊まったことを忘れないためにも、病院の全景を撮っておく。


ここは、初日に時間外外来として入った入口だ。救急車も入る場所なのだろう。


American Hospital of Paris。もう二度と来ることはないだろう。お世話になりました。


バスと高速鉄道を乗り継いで、シャルル・ド・ゴール空港に無事到着する。ここで、11時過ぎにツアーメンバーと合流する。当初は、23時頃の羽田行きの便に搭乗する予定だったが、エールフランス航空の職員ストライキにより欠航になっていたのだ。それより半日も早い成田行きの便が確保できたので、ツアーの予定も半日キャンセルしたという。ツアーメンバーは、半日観光ができなくて残念だっただろうが、病み上がりの私にとっては、早い時間に帰国できてありがたかった。

13:20。成田行きのエールフランス機に無事搭乗する。


日本へは、11日の8時過ぎの到着だった。いろいろアクシデントがあったが、マラソンはとりあえず完走でき、パリの名所も一通り観光できたので十分楽しめた旅だった。やはり日本に戻るとホッとする。食事も日本食が一番だ。

おまけ:パリマラソンの完走Tシャツ(女性用)と完走メダル

2018パリマラソンツアー:4日目パリマラソン本番

2018-04-17 22:52:37 | マラソン
いよいよパリマラソン本番当日になった。8:30。ホテルの朝食を済ませ、ツアーメンバーと共に凱旋門近くのスタート会場に向かう。凱旋門の周りは、交通規制がされ、前日とは打って変わり車1台通っていない。


9:25。スタートラインへの整列締め切り時間となり、コース内に入る。パリマラソンのエントリー人数は55000人という。これだけの人数が一斉にスタートすることは大変な事なので、10グループに分かれて時差スタートするようになっている。既にトップグループは、8時過ぎにスタートしている。我々は、ゴール予想時間4:30以上の最終グループだ。


後に見えるのは凱旋門。まさに凱旋門からスタートである。


最終グループの出走時間は9:55という事になっていたが、10時を過ぎてもなかなかスタートしない。スタート前、トイレに行きたかったのだが、あまりにも混んでいて整列締め切り時間に間に合いそうもなく、我慢してスタートラインに向かったのが、後で尾を引く要因になった。


結局スタートしたのは、10分遅れの10:05だった。石畳のシャンゼリゼ通りを走り出す。時差スタートのおかげで、スタート時の混雑がほとんどないのはありがたい。


観覧車のあるコンコルド広場が近づいてきた。好天に恵まれ、予想よりも暑い日になりそうな気配だ。


クレオパトラの針と呼ばれるオベリスクの横を回って行く。


消防車のクレーンの上に乗った消防士たちが上から応援してくれている。


バスティーユ広場に立つ革命の記念柱が見えてきた。


街路樹とアパートが立ち並ぶパリの街並みを走り抜ける。


ポンポンを持って応援する女性達。


11:15。まず10キロ地点を通過。


ドラム演奏の応援隊。


ヴァンセンヌの森に入って行く。広さは、ニューヨークのセントラルパークの3倍もあるそうだ。広い森林公園でもともとは王家の狩猟場だったらしい。


森の中で用足しする人も結構いる。


ヴァンセンヌの森を抜け、再び住宅街に入って行く。オーストラリアの人が住んでいるのか、オーストラリアの国旗が見える。


12:29。20キロ地点を通過する。


こちらはトランペットの応援隊。


12:36。中間点通過。


チアガールたちも応援。


セーヌ川沿いに入ると観光船が進んでいくのが見える。


25キロ付近からトンネルの中に入って行く。トンネルの中に入ると、不気味な絵が10mおきくらいに展示されている。何だかお化け屋敷に入っているかのような演出だ。選手の声なのか演出なのか、時折凄い叫び声のようなものも聞こえた。何でも、このトンネルの中であのダイアナ妃が交通事故で亡くなったとか。




トンネルを抜け27キロを過ぎるとエッフェル塔が見えてきた。パリの観光シンボルでもあるエッフェル塔が見えると、多くのランナーが足を止めカメラを構える。


13:54。30キロ地点を通過。だいぶペースが落ちてきていた。


パリマラソンのタイトルスポンサーであるシュナイダー・エレクトリック社前を通過する。


15:38。ブローニュの森を抜け42キロ地点を通過。ゴールはもう少しだ。


15:40。無事ゴール。手元の時計では、5時間35分となり、制限時間の5時間40分にはギリギリ間に合った。写真を撮りながらのんびり走ってきたものの今までのワーストタイムだった。後半から、尿意があってトイレに行っても排尿ができないことが続き、トイレでのロスタイムが大きく影響していたようだ。お腹も張ってきて、最悪のコンデションでのゴールとなってしまった。


パリマラソンのエイドは、5キロごとにあり、飲み物はペットボトルの水だけだ。あとは、オレンジ、バナナ、パイナップル、カステラなどがあるくらいで、最近の日本のマラソンエイドと比べると物足らない感じだった。コーラやスポーツドリンクがないのが残念。オレンジやバナナの皮が路上にポイポイ投げ捨てられているので、エイド付近は滑らないように気を付けないといけない。

ゴール後は、完走Tシャツと完走メダルが貰える。しかし、残念なことに、ゴール時間が遅かったせいか男性用のTシャツがなくなってしまい、代わりに女性用のXLのTシャツを受け取る。EXPO会場で見たブルーの完走Tシャツがやっぱり良かった。選手専用ゾーンを抜けるとツアーの仲間たちと出会う事が出来、歩いてホテルに戻った。

参考1.パリマラソンコースマップ


参考2.パリマラソン高低図(時刻は日本時間だったので、-7時間となる)


「2018パリマラソンツアー:5~6日目」に続く。

2018パリマラソンツアー:3日目エッフェル塔&ノートルダム大聖堂

2018-04-16 21:16:16 | 観光
シャン・ド・マルス公園の中を通り、エッフェル塔に向かう。エッフェル塔は、パリの貴婦人と呼ばれ、パリでもっとも多くの観光客が訪れる建物だ。名前は、設計者のギュスターヴ・エッフェルに由来する。高さは324mあり、展望台だけではなく電波塔の役割も担っている。


入場券売り場はかなりの行列となっていた。


第2展望台まで上がるエレベーター。


エッフェル塔の下から上を見上げる。


長い順番待ちの末、エレベーターに乗ることが出来た。


第2展望台からパリ市内を眺める。視界に入るほとんどの建物の高さはピッタリそろっており、屋根は平面状に果てしなく広がっている。19世紀のパリは、中世以来の無秩序な都市空間のなか、急速な工業化にともない、職を求め住みつく人々の増加や不衛生な環境に悩まされていたという。そこで、皇帝ナポレオン三世は大規模な都市計画を打ち出し、建物の幅、色などの建物に対する細かな規制を行い、パリに秩序を与え、統一感のある街並みを実現させた結果がこのような景色になったのだ。高層ビルが立ち並ぶ東京と比べると、まったく風景が違う。




モンマルトルの丘の上に立つサクレ・クール寺院。これだけは、一際異彩な風景を醸し出している。


第2展望台から第3展望台に上がって行くエレベーター。


第3展望台からシャン・ド・マルス公園を見下ろす。


反対側のセーヌ川の向こうにあるのは、トロカロデ庭園とトロカロデ広場だ。そして、それらを包み込むような形の建物は人類博物館とシテ建築遺産博物館。


凱旋門を中心にして、道路が放射状に延びているのも良く分かる。


一通り展望を楽しんだ後、第2展望台までエレベーターで降りる。その後、第1展望台に向かうエレベーターの乗り場を探すのだが、良く分からなかったので、1665段の階段を下りることにした。


エッフェル塔から一旦ホテルに戻り、シャワーを浴びて着替えてからノートルダム大聖堂に行くことにした。広場では、シャボン玉で風船を作る人がいて、子供たちが楽しんでいた。




ノートルダム大聖堂はゴシック建築を代表する建物であり、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂だ。


大聖堂の正面広場の石畳に溶け込んでいる直径70cmほどの丸い石盤。「POINT ZERO」「DES ROUTES DE FRANCE」と刻まれた文字があり、パリから各地へ向けての道のりを測る起点となっていることを表している。まさにここがパリの中心だ。


入り口には、おびただしい数の人の彫刻が刻まれている。


中に入るとまず目を惹かれるのが、ずらっと並ぶ美しいステンドグラスだ。直径13mほどで、花をモチーフにしてつくられたステンドグラスは「バラの花」と呼ばれ、まるで万華鏡のよう。


どれもこれも一つ一つデザインが違い、キリストの一生を描いているそうだ。




これは、ノートルダム大聖堂のミニチュアだ。


キリストの像の前には、ロウソクの灯が点されている。


中央部の椅子に座り、正面を眺めたところ。


ノートルダム大聖堂のパイプオルガン。この音色を是非聞いてみたかった。


ノートルダム大聖堂の壁には、悪魔や魔物のような形相で、建物の外側に向かってその口を大きく開けた石像が彫刻されている。これは、ガーゴイルと呼ばれる石像である。ガーゴイルの口から管が出ていて雨水を逃す役割をしているのだ。しかし、なぜこんな恐ろしい魔物のような姿をしているのかというと、怪物の恐ろしい形相を曝すことで悪霊等の悪しき存在を寄せ付けずに建物を守る為であると考えられているからだという。なるほどだ。




セーヌ河のサン・ルイ島にあるアイスクリーム屋「Berthillon ベルティヨン」は、季節を問わずいつでも行列ができる大人気店。


早速、行列に並んでアイスクリームを食べてみる。なかなか美味しかった。


帰り道、日本人漫画家の浦沢直樹のポスターを見かけてなんだか嬉しかった。


夕食は、近くのスーパーで買い出ししてホテルで済ます。さて、翌日はマラソン本番である。昨日よりは早めに寝ることにした。

「2018パリマラソンツアー:4日目パリマラソン本番」に続く。

2018パリマラソンツアー:3日目ブレックファーストラン

2018-04-15 22:07:49 | マラソン
ツアー三日目は、基本的に自由行動だったが、マラソンの前日は国際親善友好ラン的なイベントとして約5キロのブレックファーストランが開催されるという事で、事前に参加を申し込んでおいた。今回のツアーでは9人ほど集まっていたので、ツアーディレクターと共にスタート会場に向かった。スタート地点は、ルーブル美術館の東側にあるルーブル広場だ。

ブレックファーストランでは、主催者が用意したTシャツを着て走る。まずは、参加メンバーでスタート前の写真を撮る。


全員揃ったところで、スタート前の気合いを入れる。




スタート地点前には、各国から集まったランナーが集結していた。各国の国旗が翻っている中、日本の国旗もあちらこちらに見える。


9時。日本の国旗の下、我々もスタートする。


セーヌ川沿いの道を進む。




10分ほどで、ルーブル美術館入り口の広場に入って行く。


みんな、ルーブル美術館を入れて思い思いに記念写真を撮っている。


前日もここに来たことが懐かしい。


我々メンバーも、国旗の下で記念撮影だ。


ルーブル美術館入り口広場をぐるっと回って、再びセーヌ川に向かう。


橋を渡って南岸沿いを走る。


橋を渡り直ぐ見えてくるのが、オルセー美術館だ。ルーブル美術館で収蔵しきれない19世紀美術専門の美術館である。印象派の画家の作品が数多く、美術の教科書によく出てきそうなミレー、マネ、モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンといった画家は全てこの美術館で見ることができるらしい。後で調べて、ここに立ち寄ることが出来なかったのが非常に残念。


車道脇の歩道からセーヌ川沿いの遊歩道に下って行く。


オルセー美術館前の歩道からも多くの観光客が応援してくれる。オルセー美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。その名残が、右端に見えるPARIS-ORLEANSと記された時計台だ。


金色のペガサスを頂く柱が立つ橋は、アレクサンドル3世橋だ。この橋も、パリ万博に際し建設されたそうだ。


道が上り坂になってきたところで、ランナーの流れが滞ってきた。


坂を上り切ったころ目の前に見えてきたのは、エッフェル塔だった。みんな、エッフェル塔を見ながら写真を撮っていたので渋滞していたのだ。


折角なので、国旗を持ってエッフェル塔をバックに記念写真だ。


エッフェル塔から離れて静かな通りを走り抜ける。


9:48。ジョイフル広場にあるアシックスのゲートにゴールする。


ゴールの先にあるのは、エコール・ミリテールという旧陸軍士官学校だ。


ゴール後のご褒美として、ブレックファースト用のパンやバナナを貰う。


参考1.ブレックファーストランのコースマップ


参考2.ブレックファーストランの高低図(時刻は日本時間だったので、-7時間となる)


シャン・ド・マルス公園の中に入り、まっすぐ進むとエッフェル塔だ。ついでなのでエッフェル塔に登ることにした。

「2018パリマラソンツアー:3日目エッフェル塔&ノートルダム大聖堂」に続く。


2018パリマラソンツアー:2日目ルーブル美術館

2018-04-14 19:20:23 | 観光
マラソンEXPO会場近くの地下鉄に乗ってルーブル美術館まで移動する。パリの地下鉄は、均一料金で、構内を出るまでは何度でも乗り換えができる。


地下鉄駅からルーブル美術館の地下のフロアーに入って行く。逆ピラミッドが目の前に見えてきた。逆ピラミッドは、観光客を美術館の入口へと導く役割を果たしている。下向きのガラスのピラミッドの直下の床には、高さ1メートルほどの小さな石のピラミッドが設置されていて、「上部にある、より大きなピラミッド」を映しているかのようにデザインされているらしい。


チケットを購入して中に入って行く。躍動感あふれる彫像が何体も展示されている。


知っている美術品で、まず最初に見たのが『サモトラケのニケ』だ。ギリシャのサモトラケ島で発掘された勝利の女神ニーケーの彫像である。


館内の窓から外の広場を見ると、ルーブル美術館のランドマークともいうべきガラスのピラミッドが見えた。自分の中では、映画『ダ・ヴィンチ・コード』の1シーンとして特に印象深い構造物だ。


天上や壁に惜しげもなく張り巡らされた絵画や彫刻。




そして、一番の目玉である『モナ・リザ』のある部屋まで来た。たくさんの観光客がカメラを構えている。レプリカは何度も見ているが、これが本物だと思うと感慨深いものだ。




とにかく展示している美術品の数が半端じゃない。いくら進んでも、限りないくらいあるのでとても全部を見て回ることはできない。


建物と建物の間には、ちょっと洒落た庭もある。


ドミニク・アングルの『グランド・オダリスク』。ルーブル美術館には二大美女と呼ばれる女性がいる。一人は、『モナ・リザ』。そして、もう一人がこの『グランド・オダリスク』に描かれている女性だ。半身を大きく捻り振り返る裸身の女性。肩から腰への曲線は、なめらかさを強調するように表現され「実際よりも脊椎骨3つ分体が長い」との批判さえともなった事で有名だという。


『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』。ナポレオン1世の首席画家ジャック=ルイ・ダヴィッドにより描かれた油彩画で、1807年に完成。


『ミロのヴィーナス』。ヘレニズム期の代表的ギリシア彫刻である。ミロは発見された島の名前で、ヴィーナスとはギリシアのオリンポス12神の中の愛と美の女神アフロディテのラテン名。1820年、エーゲ海のキュクラデス諸島の一つのミロ島で、一農夫の手によって発掘された。


『ミロのヴィーナス』の奥にも数々のギリシア彫刻が展示されている。


『アテナ、通称:ヴェレトリのパラス』。この作品は女神アテナ(ローマ人はパラス又はミネルバと呼んだ)を表現し、それはその冑と、蛇により縁取られ、その中央をメデューサの頭で装飾された胴鎧のような神盾により判断できるという。


4人の女神によって支えられた入り口を抜ける。


まだまだたくさんの美術品があるのだが、とても時間が足らない。疲れてきてもいたので、館内を出てピラミッドのある広場に出る。観光客が大勢広場でくつろいでいる。


ピラミッドをバックに記念撮影。


ルーブル美術館を出ると19:30となっていた。二階建ての観光バスを見かける。


ポンヌフ橋近くを歩いて回る。


セーヌ川沿いには、古本の店が幾つも開いている。




20:00。娘が知り合いから教えてもらったという日本語メニューのあるレストランに入り、ディナーだ。


まずは、前菜のサラダである。


メイン料理はそれぞれ違うものを頼む。


デザートは、お菓子のエッフェル塔が付いている。


凱旋門からの夜景を見ながらホテルに向かう。もう22時を回っていた。




この日も夜遊びで遅くなってしまった。ゆっくり眠らなければ。

「2018パリマラソンツアー:3日目ブレックファーストラン」に続く。