とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

高野山への道「3日目」

2015-05-22 12:51:40 | お遍路
今回宿泊した宿坊は、高野山宿坊教会近くの高室院だ。30人くらいの団体と、10名くらいの個人客が宿泊していた。早朝6時からのお勤めに参加し、住職のお話が終わったのは7時15分前くらいだった。7時ちょっと前から朝食となり、食べ終わると早々に旅立ちの支度をして、高室院を後にする。


7:24。奥の院の入り口に到着する。まだ、参拝者は少なく鬱蒼とした木々の間を進んでいく。


参道を進んでいくと、司馬遼太郎の碑があった。司馬遼太郎は、空海の思想と生涯を描いた小説「空海の風景」など高野山ゆかりの著作があり、碑文には、高野山について「日本国のさまざまな都鄙(とひ)のなかで、唯一ともいえる異域ではないか」と刻まれている。


さて、この参道には様々な戦国武将たちの墓が立ち並んでいる。たくさんあって、全てを確認したわけではないが、名のある武将の墓があちらこちらに見られた。まず、こちらは薩摩島津家の墓所だ。


武田信玄と子である武田勝頼の墓所。


これは、弘法大師の腰掛け石。


木々の隙間から太陽の光が、石塔を照らす。


加賀前田家供養塔。


豊臣家墓所。豊臣秀吉とその母、弟秀長など豊臣一族の墓がある。


織田信長の墓所。他の武将と比べ、シンプルな墓所だ。


7:50。御廟橋まで来る。ここからは、弘法大師御廟の霊域に入るとされ、この橋を渡るとき弘法大師が迎えてくださり、帰りは見送ってくださると言われているそうだ。脱帽して、服装を正し一礼して橋を渡る。この先は、写真撮影が一切禁止となっているので、写真がない。




奥の院の弘法大師御廟に巡拝して、やっと最後の最後の御礼参りが終わった。納経所で、最後に残った高野山奥の院のページに、墨書と御朱印を貰い、二か月半がかりで御朱印帖が全て埋まった。これで、やっと一つの目的が終わったと、大きな達成感に包まれた。奥の院の納経所は、早い時間だったから良かったものの、昼間であれば1時間も待たされることもあるそうだ。朝早く行って全てが順調に済んだのである。


8:20。奥の院を出ると、気持ちがいい天気となり、朝の空気が心地よかった。


9:00。奥の院前から、バスで高野山ケーブルの高野山駅まで移動する。


バスを下りると、すぐにケーブルカーが上がってきたので乗車する。


この高野山ケーブルは、最急勾配562.8‰(29°22')、最緩勾配でも273.9‰(15°19')という日本有数の傾斜を持つという。海抜539mの極楽橋から867mの高野山まで高低差は約330m。830mの距離で、これだけの高低差があるのだから、その傾斜は相当キツイ。


9:14。ケーブルの終点極楽橋駅に到着する。駅に降り立って、周りを見てビックリ。降り立ったお客のうち日本人は、私を入れて3人しかいない。あとはみんな外国人ばかりだった。如何に高野山は、外国人観光客が多いかと実感させられた。


30分ほど電車に揺られ、九度山駅で降り、車を止めた道の駅へと向かう。その途中、真田庵があったので立ち寄ってみた。善名称院、真田庵とも呼ばれ、真田昌幸、幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺だ。




真田地主大権現。このお寺で、怒った姿の昌幸の霊がたびたび見られるようになったので、大安上人が昌幸の霊をこの地の大権現の神様にして祀ったという。その後、穏やかな顔になった昌幸が現れ、祀ってもらったお礼にこの地を守ると約束し、真田地主大権現となった。


帰り道のガードレールには、“平成28年度大河ドラマ「真田丸」制作決定”の幟が張られていた。来年は、この九度山も観光客で賑わうことは間違いない。


10:30。道の駅に無事戻り、早々に帰宅する。出だしは雨だったが、帰りは好天に恵まれ気持ちよくお遍路を打ち終えることが出来た。

高野山への道「2日目」後半

2015-05-22 06:50:54 | お遍路
13:29。大門から、いよいよ壇上伽藍へと向かう。壇場とは曼荼羅の道場の意味で、小高い場所に位置することから「壇上伽藍」と呼ばれる。高野山の中核となる場所だ。そして、この中門は、昨年172年ぶりに再建されたばかりだという。


中門から入っていくと正面に見えるのが、金堂だ。一気に増えた観光客の波に乗って、中に入っていく。


この日は午後2時から、比叡山延暦寺の大法会があるというので、そのまま金堂の中で待つ。ちょうど、秘仏である本尊の薬師如来像が特別開帳されていた。残念ながら、写真は厳禁だ。


大法会が、なかなか終わりそうもないので、そおっと中から抜け出し先を急ぐ。金堂の隣にあるのが根本大塔だ。さすがに、高野山のシンボルとも言っていい立派な塔だ。数日前まで、根本大塔を使って3Dプロジェクションマッピングが行われていたそうで、それを見ることが出来なくて残念だった。


14:55。根本大塔のすぐ近くに1町石があった。この先が、金剛峯寺だ。


15:00。総本山金剛峯寺に到着する。


主殿に参拝し、御朱印と墨書を貰う。


そのまま、内部を拝観することにした。ほとんど撮影禁止の場所ばかりだったが、華道高野山と高野杉だけは、撮影を許された。




蟠龍庭(ばんりゅうてい)。2,340平方メートルの石庭は、国内では最大だという。この石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されているそうだ。




15:35。金剛峯寺を出て、この日に泊まる宿坊に寄る。荷物を置いて、奥の院まで行こうと思ったが、今からだと往復2時間半くらいかかると言われ、夕食の時間に間に合わなくなりそうなので、奥の院に行くのはやめる。

16:15。そのまま、宿坊にいるのはもったいないので、別方向にある女人堂まで歩いていく。その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口と呼ばれていた。明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれていたようだ。この女人堂は唯一現存する建物だという。




女人禁制が説かれるまで、女性はこの先には入っていけなかったのだ。


16:25。女人堂からの帰り道にある徳川家零台にも寄る。1643年(寛永20年)に徳川3代将軍・家光によって建てられた霊舎で、向かって右側が初代将軍・家康、左側が二代将軍・秀忠が祀られている。こちらが家康の霊舎。




こちらが秀忠の霊舎だ。決して大きい建物ではないが、細かな彩色や彫刻が施され、金の飾り金具が使われるなど豪華な造りになっている。




16:50。宿坊に戻り、明日の奥の院行きの計画を練る。
この日の歩行距離:約26キロ。

高野山への道「3日目」に続く。

高野山への道「2日目」前半

2015-05-21 12:12:03 | お遍路
19日は、夜中からずっと雨が降り、朝になっても酷い降り方だった。雨が小降りになったら出発しようかと迷っていたが、6:40意を決して、道の駅を出発する。


高野山町石道コースのガイドマップでは、九度山駅からのスタートだったので、九度山駅まで向かう。6:55。九度山駅から改めてスタートする。


7:26。町石道の起点となる慈尊院に到着する。道の駅は、九度山駅と慈尊院の間にあり、わざわざ九度山駅まで行かなくても良かったのだが、けじめをつけるためには仕方がない。一番雨の降り方が酷かった時間帯だ。




高野山町石道(こうやさんちょういしみち)は、慈尊院から高野山へ通じる高野山の表参道であり、弘法大師が高野山を開山して以来の信仰の道である。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部でもある。この道には、高野山への道標として、1町(約109メートル)ごとに「町石」と呼ばれる高さ約3メートル強の五輪卒塔婆形の石柱が建てられ、高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22キロメートルの道中に180基の町石が置かれている。

7:32。180町石、町石の始まりを通過する。丹生官省符神社への階段の途中にある。


7:36。177町石を通過。町石はところどころなくなっている物もあるが、次々に現れてくる。


ポールに遍路道のシールが張られているのを見かける。四国で何度も見たシールを見つけて懐かしかった。ここも間違いなく遍路道だ。


「クマ出没注意!」の張り紙がところどころにあった。この辺りもクマが出るのかと、ドキドキしながら進む。雨の日だから、前後に歩いている人は全くいないようで、少し心細かった。


8:01。「朝日夕日100選」に選ばれているという展望台に到着する。雲に覆われて遠くの展望は効かない。


9:04。六本杉峠に到着する。


9:23。古峠に到着する。ここは、上古沢駅へ向かう道との分岐である。


9:34。天野の里が一望できるという展望台だ。とはいえ、全く展望は効かず、真っ白である。


「二つ鳥居」。丹生明神と高野明神の鳥居で、弘法大師が建てられたと言われている。


9:48。ゴルフ場の横を通過する。ゴルフボールに注意という看板も見かけるが、こんな日は誰もゴルフをやっていなかった。




10:27。笠木峠を通過する。


雨は大分止んできていたが、道がぬかるんでいて歩きにくい。


10:36。80町石を通過する。


11:41。「袈裟掛石」を通過する。弘法大師が袈裟を掛けたという石で、ここから高野山の清浄結界となるそうだ。


「押上石」。弘法大師が母を助けるため、手で石を押し上げたという。岩には今も大師の手形が残っているといわれている。


ギンリョウソウの群落を見つける。いかにもギンリョウソウが生えそうな場所である。


12:17。40町石を過ぎて、展望台に到着する。やっと雨が上がり、晴れ間が見えてきていた。このあたりで、初めて人と出会う。車道も近いので、車を止めて歩いてきたようだ。




12:26。33町石を通過する。


12:36。「鏡石」。表面が鏡のように平らで、この石に向かって真言を唱えると心願成就するといわれているそうだ。ただ、どれが鏡石かわからなかった。あとで調べたら看板のすぐ上にあった石のようだ。


13:10。大門に到着する。国道と町石道が合流するところであり、ここからは観光客がひしめき合っていた。それにしても、デカイ!。


高野山への道「2日目」後半に続く。

般若心経を学ぶ 第3回

2015-05-15 06:50:19 | お遍路
さんぜしょぶつ  えはんにゃはらみつたこ  とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
三世諸仏      依般若波羅蜜多故      得阿耨多羅三藐三菩提
訳:過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”は知恵を完成することによって、この上なき悟りを得るのである。
(阿耨多羅はこれ以上ない、三藐は正しい、三菩提は悟りを表す)

こち  はんにゃはらみった  ぜだいじんしゅ
故知   般若波羅蜜多     是大神呪
訳:したがって次のように知るがよい。知恵の完成こそが、偉大な真言であり、
(“呪”とは、呪いというのではなく、真言という意味で、仏のまことの言葉を指す)

ぜだいみょうしゅ  ぜむじょうしゅ  ぜむとうどうしゅ
是大明呪       是無上呪      是無等等呪
訳:悟りのための真言であり、この上なき真言であり、比較するものがない真言なのである。
(是大神呪から是無等等呪までの四つの真言は、次にあげる真言を褒め称えているのである)

のうじょいっさいく  しんじつふこ
能除一切苦      真実不虚
訳:これこそが、あらゆる苦しみを除き、真実そのものであって虚妄ではないのである、と。

こせつはんにゃはらみつたしゅ  そくせつしゅわつ
故説般若波羅蜜多呪        即説呪曰
訳:そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。すなわち次のような真言である。

ぎゃていぎゃてい  はらぎゃてい  はらそうぎゃてい  ぼうじ  そわか
羯帝羯帝       波羅羯帝     波羅僧羯帝     菩提   僧莎訶
訳:あえて訳すと、“往き往きて、彼岸に往き、完全に彼岸に到達した者こそ、悟りそのものである。めでたし。”と考えられる。
(この部分は、秘蔵真言分といって、尊重され、わざと訳さないで原語のまま読むことになっているそうだ。したがって音として覚えたほうがいいだろう)

はんにゃしんぎょう
般若心経  
訳:知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。

これで、終わりである。文献によっては、違う解釈のものもあると思うが、何となくわかったような気分にはなった。これから、お遍路に行きたい方は、事前に意味を知ってから行くと、唱えやすいのではないだろうか。

般若心経を学ぶ 第2回

2015-05-14 07:08:59 | お遍路
しゃりし  ぜしょほうくうそう
舎利子   是諸法空想
訳:舎利子よ、この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、という性質があるから、


ふしょうふめつ  ふくふじょう  ふぞうふげん
不生不滅     不垢不浄    不増不減
訳:もともと、生じたということもなく、滅したというともなく、よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、増えることもなく、減ることもないのである。

ぜこくうちゅうむしき  むじゅそうぎょうしき
是故空中無色      無受想行識
訳:したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、感覚も念想も意志も知識もないし、

むげんにびぜつしんに  むしきしょうこうみそくほう
無限耳鼻舌身意      無色声香味触法
訳:眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する対象もないし、

むげんかいないしむいしきかい  むむみょう
無限界乃至無意識界        無無明
訳:それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる分野もないのである。さらに、悟りに対する無知もない。
(人間は、生まれた時から持っている心は無明である。無明とは、すなわち明るくない、闇であり、無知、愚かであるということ)

やくむむみょうじん  ないしむろうし  やくむろうしじん
亦無無明尽       乃至無老死    亦無老死尽
訳:無知がなくなることもない、ということからはじまって、ついには老と死もなく、老と死がなくなることもないことになる。

むくしゅうめつどう  むちやくむとく  いむしょとくこ
無苦集滅道      無知亦無得    以無所得故
訳:苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もない。知ることもなければ、得ることもない。

ぼだいさった  えはんにゃはらみった
菩提薩垂    依般若波羅蜜多
訳:菩薩は、彼岸に至る知恵を実践している。
(菩薩とは、菩提薩垂を省略したもので、仏になるための努力をしている者という意味だ)

こしんむけいげ  むけいげこむうくふ
故心無圭礙     無圭礙故無有恐怖
訳:かくて心には何のさまたげもなく、さまたげがないから恐れがなく、

おんりいっさいてんどうむそう  くきょうねはん
遠離一切転倒夢想         究境涅槃
訳:あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、永遠にしずかな境地に安住しているのである。
(転倒とは、ものごとを正しくみないで逆さに見る事。夢想も幻を見る事。遠離で、そういった事から一切遠ざかりなさいと言っている)

般若心経を学ぶ 第3回に続く

般若心経を学ぶ 第1回

2015-05-13 07:42:24 | お遍路
お遍路に行っていたときは、訳も分からず唱えていた般若心経だが、満願になったところで改めて意味を勉強してみたので、その結果をこれから3回にわたって、私なりに解釈した内容で紹介したい。

般若心経とは、仏様(お釈迦様)が説いた教えである。ただ、仏様は書物には残しておらず、弟子たちには言葉でのみつたえている。その後、弟子たちが書物に残したものを、中国の玄奘三蔵が漢字に訳し、我々が良く知るお経となった。内容は、仏様の教えを観音菩薩が仏様に代わって、仏様の弟子である舎利子に説くというスタイルになっている。

参考文献:寂聴 般若心経/瀬戸内寂聴、般若心経に学ぶ/花山勝友、現代語訳 般若心経/玄侑宗久 等

ぶっせつ・まかはんにゃはらみつたしんぎょう
仏説・摩訶般若波羅蜜多心経 
訳:仏様が説いた「彼岸に渡るための偉大な知恵の一番大切なお経」
(彼岸とは、悩みも苦しみもない涅槃の世界)

かんじざいぼさつ  ぎょうじんはんにゃはらみったじ
観自在菩薩      行深般若波羅蜜多時
訳:観音菩薩が、彼岸に渡る偉大な知恵を身につける修行をしていた時に、

しょうけんごうんかいくう  どいっさいくやく
照見五蘊皆空         度一切苦厄
訳:人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本質的なものではないと見極めて、すべての苦しみから救われたのである。
(五つの要素とは、色、受、想、行、識。色とは、肉体とか物質の事で形があるもの。受とは、見たり聞いたり嗅いだり味わったり痛いと感じる事。想は、知覚の事で寒い時に暖房で暖かくなって気持ちいいと感じる事等。行は、意思の作用の事で、相手が自分を好いてくれると嬉しくなり、嫌われると腹が立って憎むという念。識は、認識することで、色、受、想、行が揃って初めて認識できる。)

しゃりし  しきふいくう  くうふいしき
舎利子   色不異空   空不異色
訳:舎利子よ、形あるものは実体がないことと同じことであり、実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものである

しきそくぜくう  くうそくぜしき
色即是空     空即是色  
訳:したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。
(色即是空は、色不異空と同じ意味で、違う言葉に代えて言っているだけだ。空即是色も同様である。すべての物事は、ないと思えばないし、あると思えばあるのである。心が認めたかどうかでどうにでもなるという意味と解釈する。)

じゅそうぎょうしき  やくぶにょぜ
受想行識        亦復如是
訳:残りの心の四つの働きの場合も、まったく同じことなのである。
(以後、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色の“色”の代わりに、受、想、行、識が入った言葉になるところなのだが、同じ言葉を並べたくないので、亦復如是で逃げているという事だ)

般若心経を学ぶ 第2回に続く

2015四国八十八ヶ所巡り:大坂峠~1番霊山寺~自宅へ

2015-04-25 23:07:21 | お遍路
6:56。民宿「潮風」を出発する。


瀬戸内海が見えてきた。昨日は、一日内陸部を歩いていたので、何だか久しぶりに海を見たような気がした。


7:33。讃岐和三盆の老舗、三谷製糖の前を通過する。和三盆(わさんぼん)とは、この辺りで伝統的に生産されている砂糖の一種である。淡い黄色をしており、細やかな粒子と口溶けの良さが特徴。三盆の名は、「盆の上で砂糖を“三度研ぐ”という日本で工夫された独自の精糖工程から来たもので、高級砂糖を意味するそうだ。




讃岐相生駅の先から、遍路道に入っていく。大坂峠へと向かうこの道は、道幅が広く歩きやすい。その昔、国道や県道が整備される前は、峠越えの道として馬や牛が車を引いて通れるよう改修されたのだという。当時は多くの人が往来した道だったようだ。しかし、今は道の広さだけが残っているだけで、行きかう人はまったくない。


木々の間から、海が良く見えた。


県境の手前には、お地蔵さんがあった。


8:27。県境(香川と徳島)に到着する。


県境からしばらく行った所で分岐があり、どちらに行っていいいか分からず、とりあえず大坂峠展望台まで登ってみる。展望台からの景色は、素晴らしかった。




ひとまず休憩して、スマホや地図などで現在地を確認する。結論として、先にあった分岐に戻り、板野町方面への道に下る。しばらくすると、車道に出たので、次は車道を歩けばいいと勘違いして、鳴門市の標識がある方向に下ってしまう。


しかし、気になってもう一度地図をよく見てみると、更に遍路道を下り、次の車道に出たら、そちらに入るようになっていたので、元に引き返す。ここで、少し時間をロスしてしまった。


そして、次の分岐にでたら、「四国の道」と示された方向に何の迷いもなく進んでしまった。ところが、ここでも間違えてしまっていたのだ。次の分岐では「四国の道」には行かないほうが良かったのだ。自分の計画としては、「卯辰越」というルートで行きたかったのだが、結果的には、3番札所金泉寺に向かうルートに下りてしまっていた。「卯辰越」は山越できついが距離が短く直接1番札所霊山寺まで行ける。ところが、3番札所金泉寺経由では、距離が長くなってしまう。しかし、今更戻るのもつらいので、距離が長いルートで進むことにした。ただ、距離が長くても平坦な道なので、ときおり走りを入れながら1番を目指した。帰りの電車やバスの時間に間に合うか気になっていたからだ。

3番札所辺りから、順打ちで歩いてくるお遍路さんに数多く出会う。これからお遍路を始める人たちが初々しく見えた。

11:39。初めて、お遍路の為に立ち寄ったお遍路用品の店が見えた時は嬉しかった。


11:40。すぐ隣が1番札所霊山寺だ。


12:00。最後の巡拝を終え、霊山寺の山門を出る。ここで、やっと四国八十八ヶ所巡礼の旅が終わったという実感が込み上げてきた。通算歩行距離約1200キロを、大きなトラブルもなく無事歩き通せたという満足感が込み上げてきた。


ついでに、隣のお遍路用品の店にも寄っていく。ここで、用品を全部揃えてもらったので、お礼の気持ちもあって立ち寄ったのだ。グッズを買い求めたあと、自分の杖が、どれだけ減ったのか気になって新品と比較させてもらう。比較してみると3センチくらいしか減ってなかった。人によっては、8センチとか10センチ減ったとか聞いていたので、意外と短かったようだ。上り下りがきつい時だけ杖を使っていたので、全体的にはあまり使っていなかったのかもしれない。




因みに、結願とか満願という言葉があるが、その違いは何だろうと調べてみたら、結願は、88番大窪寺を最終として打つことをいい、満願は、1番霊山寺へ、「お礼参り」して打つことをいうそうだ。

満願後、霊山寺でもらった御朱印と墨書がこちらだ。墨書には「願行成圓」と書かれでいる。意味は,「あなたが前世より願っていた仏の修行が円満に成就した。」ということだという。そして、菩提樹の実でつくったという念珠もいただいた。


これで、長いようであっという間に四国八十八ヶ所巡礼の旅が終わってしまった。しばらくは、旅の整理や留守中に溜まった雑用を片付けなければならない。

お遍路のブログもいろんな人が見てくれていたようで、何度もコメントをくれた方を始め、閲覧し続けてくれた人たちにも感謝です。ありがとうございました。

今日の歩行距離:18.3キロ(通算1184.5キロ)
今後の予定:5月中旬に高野山へ


2015四国八十八ヶ所巡り:88番大窪寺~東かがわ市引田へ

2015-04-24 15:42:59 | お遍路
5:54。民宿の部屋の窓からは、眩しい太陽が上がってきていた。今日もいい天気になりそうだ。


6:37。民宿「八十窪」を出発する。


今日は、ひたすら次の宿まで歩く道のりになる。朝の空気は涼しく気持ちいいが、そのうち暑くなりそうである。


7:41。五明トンネルを通過する。


境目(徳島と香川の県境)には、大きなイチョウの木があった。


9:28。三宝寺前を通過する。


9:46。星越峠を通過する。


10:28。水主神社を通過する。水主と書いて、「みぬし」と読むが、地元では「みずし」と呼ぶ。源義経が進軍中に立ち寄って戦勝を祈り、延歴九年には天台宗の最澄が参詣し、また、弘法大師は閼伽井(あかい)水を掘り水主神社に奉献したという。


11:20。興田寺に到着する。


その後、三本松駅付近から国道11号をひたすら歩く。途中で、喫茶店のランチも食べる。

14:30。民宿「潮風」に到着する。


今日は、昨日と同じくらいの距離を歩いているのだが、札所巡りがなかったので結構早く着いてしまった。昨日はかなり疲れたので、今日は宿でのんびりだ。そして、いよいよ明日が最終日となる。歩いている途中、何人かにお接待を受け、食べきれないほど飴を貰ってしまった。

今日の歩行距離:27.2キロ(通算1166.2キロ)
明日の予定:1番札所~自宅へ


2015四国八十八ヶ所巡り:85番~88番

2015-04-23 19:18:49 | お遍路
6:40。「讃岐屋高柳館」を出発する。


ケーブル駅近くに、よもぎ餅屋があり、なんとここでも寅さんシリーズ「寅次郎の縁談」のロケが行われたらしい。


7:02。85番札所八栗寺に到着する。まだ誰もおらず、ここでも一番の巡拝となった。


この絵のように、八栗寺は五剣山と呼ばれる鋭角の山々の麓にある。


8:27。さぬき市に入る。


志度の町に入っていくと、平賀源内旧邸と遺品館があった。開館時間が10時という事で、外から見るにとどまる。




旧邸の庭には、「ああ非常の人、非常の事を好み、行いこれ非常、何ぞ非常の死なる」と記された像が建っている。


志度寺のすぐ前には、平賀源内の墓があった。


8:51。86番札所志度寺に到着する。


志度寺にも、立派な五重塔が…。


10:45。87番札所長尾寺に到着する。


長尾寺を出ようとした時、電話がかかってきた。相手は、神戸のイノさんだ。「今何処にいる?」という電話で、エェ!という驚きで後ろを振り向くと、なんと本人が歩いてきた。88番札所の大窪寺から歩いてきたという。わざわざ結願を見届けようとお迎えに来てくれたようだ。ホントに何度も何度も応援にきてくれて嬉しい人だ。

その後、イノさんと一緒に88番札所大窪寺を目指して歩く。地図を見ながら進むが、なかなか目印になる場所につかない。いい加減についていいだろうと思う頃、地図にあった来栖神社に到着する。


14:23。舗装道路が終わり、やっと山道に入る。女体山山頂まで1137mとある。山の1キロはなかなかあるものだ。


女体山山頂間近で急に岩場となった。


イノさんもビックリだ。


最後の最後で、こんな岩場の道になるとは思ってもみなかった。結願までの道は最後まで厳しい。


15:03。女体山776mの山頂に到着だ。


山頂からの景色を見ながら一休みだ。


昨日登った台形の屋島、そして今朝歩いてきた八栗寺のある五剣山も見える。あんなところから良くも歩いてきたと我ながら感心する。


女体山からは、下って行くだけだ。下のほうに駐車場が見えた。大窪寺はもう近くだ。


88番札所大窪寺に到着し、本堂と太子堂にお参りする。




これでついに結願だ。


16:16。大窪寺の山門を出る。納経所がめちゃ込みで大分待たされた。最後の女体山越がかなり応えたせいか、納経所で待っている間、足がふらついていた。


88番結願所の石柱前でイノさんと別れる(イノさん、一日お疲れさまでした)。


16:20。そして、今夜の宿民宿「八十窪」に到着する。ここの夕食は、お赤飯が出てきた。結願をしたお遍路さんへのお祝いとして出してくれるようだ。嬉しい心づかいである。

さて、これでお遍路が終わったわけではない。1番まで戻って本当の終わりだ。あと二日がんばろう。

今日の歩行距離:27.0キロ(通算1139.0キロ)
明日の予定:1番札所手前11キロくらいまで


2015四国八十八ヶ所巡り:83番~84番

2015-04-22 18:13:41 | お遍路
6:28。「百百家旅館」を出発する。朝食は、前の日に用意してあったらしく、インスタントみそ汁、のり、卵、納豆等手間がかからない食べ物ばかりで、セルフサービスだった。


6:30。JR鬼無駅前を通過する。


しばらく歩くと、昔からの道標の横から遍路道に入る。この先で、お坊さんに出会い、なんとペットボトル1本をお接待だとして頂いてしまった。お坊さんからお接待とは恐縮である。


7:09。香東川まで来ると、対岸に渡る橋が壊れていて通行止めとなっていた。


仕方なく、河川敷沿いのサイクリングロードを直進する。


8:11。83番札所一宮寺に到着する。


その後、高松市内の中心部に入っていく。9:47。琴平電鉄三条駅前を通過する。ちょうど、上り下りの電車が停車したところだった。


喫茶店でランチを食べた後、屋島に向かって歩き出す。屋島は高松市の東北に位置する卓状の独立峰で、その名称は屋根のような形状に由来し、高松市のシンボルになっているそうだ。山上からは多島海が眺められる展望景観を有し、日本で最初の国立公園に指定された場所だという。


麓から、急坂を上っていくと「加持水」がある。ここは、昔,弘法大師が屋島山へ登ろうと中腹まで来られてひとやすみしたのだが、水を飲もうにも付近に水場もなかった。そこで、弘法大師が加持祈祷をされると岩の間から清水が湧き出したと言われている。


近くの石碑に文字が刻まれており、弘法大師の筆跡だと言われている。


13:01。84番札所屋島寺に到着する。


屋島寺に蓑山大明神として祀られている屋島の太三郎狸。佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と並んで日本三名狸に数えられているそうだ。スタジオジブリのアニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』に登場している有名な狸らしい。


屋島の「獅子の霊巌」から臨む景色。高松市街地を始め男木島や女木島など、瀬戸内海の抜群の眺望を満喫できる展望スポットで、小さい皿状の土器を投げて開運や厄除けを祈願する「かわらけ投げ」が、楽しめる。




屋島の山頂をぐるりと回ると、水族館があった。ちょっと寄ってもいいかなと思ったが、入場料が1200円と結構高かったので、そのまま通過する。


これは、「談古嶺」からの展望。源平の古戦場「檀ノ浦」や小豆島、五剣山などが一望できる。明治30年に村雲尼(そんうんに)が屋島を登山した際、源氏の武士や平家公達を偲んで命名したそうだ。今日は、本当にいい天気で景色も最高に良かった。それにしても、壇ノ浦がこの辺りだったとは、初めて知った。




源平合戦の時、那須与一が美女の手招く扇を矢で撃ち落としたとされる場所がこの辺りだという。「談古嶺」から望遠で撮影。


「血の池」に寄ってみる。血のように赤い池かと思ったが、源平合戦の折、義経はじめ源氏軍が血刀を洗ったところ池はまっ赤に染まったことから、そう言われたらしい。今は、ごく普通の池だ。




15:20。今夜の宿「讃岐屋高柳館」に到着する。そして、明日は一気に88番まで行ってしまう予定だが、これで終わりではない。最後に1番札所にお礼参りに戻って終わりなので、あと3日はかかる。

今日の歩行距離:25.3キロ(通算1112.0キロ)
明日の予定:88番札所まで