大文字山から下山すると、法然院に出てしまった。当初は、銀閣寺の下に下りるはずだったが道を間違えてしまったようだ。銀閣寺には、それほど遠くないのでまずは法然院を見学することにした。
法然院(ほうねんいん)は、浄土宗系の寺院であり、正式な寺名は、善気山法然院萬無教寺と号するが、法然院で名が通っている。茅葺で数奇屋造りの山門は、いい趣がある。門越しの紅葉がいい感じである。
法然院には、谷崎潤一郎、河上肇、九鬼周造などの著名な学者や文人の墓が数多くあるそうで有名らしい。山から下りてきたら、大勢の観光客が押し寄せていた。境内にある池には落ち葉がたくさん浮いている。これもいい被写体になる。
水溜りの中に落ち葉が沈んでいるが、落ちてきた水滴により波紋が広がり面白い写真が撮れた。
法然院を出て、銀閣寺に向かう。細い路地を、人力車のお兄さんが駈けていった。
銀閣寺に着くと、さすがに観光客の数は半端じゃない。拝観の受付が既に行列となっていた。それでも、まだ早い時間だったようで10分ほどで受付を済ますことが出来た。銀閣寺は正式には慈照寺(じしょうじ)という。臨済宗相国寺派の寺院で、銀閣と呼ばれる観音殿は、足利義政が鹿苑寺の金閣舎利殿を模して造営した楼閣建築である。
「銀閣」の屋根の上には鳳凰が置かれている。この鳳凰は「銀閣」に祀られている観音菩薩を守るという意味があるという。望遠レンズで枝越しに撮影してみた。
「銀閣」の東側に、白砂を敷きつめ表面に縞模様をつけた「銀沙灘(ぎんしゃだん)」が広がっており、その隅の銀閣寄りのところに白砂を円錐状に盛り上げ、頂部を水平にした富士山状の「向月台」がある。見事な砂の造形である。
窓越しに「銀沙灘」を眺める。
国宝の東求堂(とうぐどう)。
銀閣寺を出たところにあったシュークリーム屋で美味しいシュークリームをほうばる。
そして、銀閣寺から南禅寺に至る水辺の道を歩く。この道は、京都の哲学者、西田幾多郎やその弟子が思索にふけりながら散歩していたことから「哲学の道」と命名されている。
この時期は、紅葉を見ながら散策するにはいい小路である。大勢の観光客が歩いていた。
しばらく「哲学の道」を歩き、永観堂(えいかんどう)に寄ることにした。ここのことは、知らなかったのだが、同行者で京都に詳しい人が本尊の「見返り阿弥陀」は必見であるというので寄る事にしたのだ。永観堂は通称で、正式には禅林寺(ぜんりんじ)という。また、この寺は紅葉の名所として知られ、「秋はもみじの永観堂」といわれるほどもみじが際立って美しい寺院だった。
永観堂にも白砂の庭園があった。
池や沢沿いのもみじも見事だ。
もみじやイチョウの葉が絨毯のように敷き詰められた庭
永観堂の本尊阿弥陀如来立像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像である。永保2年(1082年)、当時50歳の永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。珍しい阿弥陀如来像を拝観できてとても良かった。
お寺めぐりも疲れるものだ。最後は、南禅寺の三門だけ見て帰る事にした。南禅寺は高校3年の冬に来て以来だ。湯豆腐を食べて帰ったのが懐かしい。三門は日本三大門の一つに数えられるというだけあって見上げるほどでかい。
三門越の紅葉を撮りたかったのだが、人が多くてなかなかいいショットが撮れない。11月最後の日曜日の午後だ。観光客もピークに達していた。
南禅寺を出て、駅へ向かう。相変わらず観光客が多い。
レンガ造りの隧道を抜けて大通りに出た。
地下鉄の蹴上駅に着く。ここから山科駅まで帰り、駐車場に戻って帰宅となった。
山科駅に着いたのは午後2時過ぎでまだ時間としては余裕があったが、帰りの高速道路の渋滞が心配だったので、早々に帰ることにしたのだ。おかげで、帰りもそれほどの渋滞に嵌ることもなくほぼ順調に帰宅する事が出来た。山をはじめ朝早く行動したほうが、何事においても効率的だ。