とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

神戸マラソン、落選!!

2011-06-30 21:54:38 | 呟き
今日は、神戸マラソンの抽選結果発表の日だった。
午後から順次メールにて当落の知らせがあることになっていたので気にしていた。
ところがいつまでたってもメールが入ってこない。
迷惑メールに入ってしまったのだろうかと思って迷惑メールBOXのチェックをしたが
入っている様子はなかった。

ネットで検索すると、大勢の人がブログで当選の知らせを綴っていた。
落選でもメールが来るはずなので気になって公式HPのマイページでチェックしてみた。
マイページに、しっかり結果が載っていた。「落選」と!!

残念である。東京、大阪に続いての三連敗だった。
どうも今年は籤運が悪いようだ。
気分を切り替えて、「ふじのくに新東名マラソン」のエントリーに賭けてみよう。

GPSウォッチ「ARES GPS」を使ってみた

2011-06-29 23:50:43 | グッズ




しばらく前にJog NoteからGPSウォッチ「ARES GPS(AR-1080)」を紹介するメールが来ていた。GPSウォッチには前から興味があって欲しかったのだが、結構値段が高いのでもう少し待てば安くて高性能の物が出るだろうと我慢していた。今回紹介があった「ARES GPS」はトランステクノロジー株式会社が開発したもので、タレントでサブスリーランナーでもある猫ひろしが開発段階から加わっていたという製品である。市民ランナーの視点から提案されたさまざまな機能や工夫が盛り込まれているということが気に入った。

また、今回案内のあった期間に購入すると特別価格で21800円というのが一番の決め手になった。同レベルの米GARMIN社の「ForAthlete」は24000円から30000円前後で売られている。どちらも一長一短があって迷うところであったが、最後は価格で決めてしまった。そして、先週中頃届いていたのだが、夢街道では使わず今日始めて使ってみた。この手のGPSウォッチはGPS使用可能時間が8時間しかないので、それ以上の距離では中途半端になってしまう。普段の練習時に正確な距離を把握するために使うことにした。

「ARES GPS」のいいところは、3気圧防水でマラソン中に突然の雨やスコールなどにも安心して使えるところ。電池切れでGPS機能が使えなくなっても、時計&タイム計測が約2週間利用できるところ。ボタン式で誤操作が少ないといったところだ。また、惜しいところは「ForAthlete」に比べやや重いところだ。ただ、腕への巻き心地に違和感はなく、思ったほどは気にならなかった。

そして、実際のGPSの精度だがかなり正確だったといっていい。いつもの練習コースを早速走ってみた。1/25000の地図で正確に測った片道5キロのコースがある。GPSのデータでは、5.02キロと表示されていた。20mの差といったら無視できる。ほぼピッタリだったといってもいい数字である。家に帰ると10キロちょうどとなり、いつも走っていたコースの距離が合っていたことがわかり安心した。

使っていて特に気に入ったのは、設定した走行距離に到達するたびに自動的にラップタイムを測る「オートラップ」という機能を搭載している点だ。ランニングでは一定の距離を何分何秒で走ったかを目安にペースを考えるので、オートラップ機能はとても重宝する。オートラップを刻む距離は0.5km 、1.0km、2.0km、3.0km、5.0kmの5段階から選択可能で、設定した距離になると「ピッピッピッ」という電子音とともにラップタイムが表示されて、画面がライトアップされる。この機能は、夜の練習が多いという猫ひろしの提案によって搭載されたそうだ。またボタン式で誤操作が少なく、直感的に操作できるのもいい。「ForAthlete」のほうはタッチセンサーになっているようだが操作性に難があるらしい。

これからは、知らない道をどんどん走っても「ARES GPS」で距離を確認できるので楽しめそうだ。

「日本人の美意識」熊倉功夫さん

2011-06-28 21:53:54 | 社会人大学
先週の社会人大学のお話である。
今回は、現静岡文化芸術大学学長で文学博士の熊倉功夫さんだ。

熊倉さんのプロフィールは下記のとおりだ。
・1965年 東京教育大学文学部卒業。
・1982年 筑波大学教授。
・2004年 国立民族学博物館名誉教授
・2004年 林原美術館館長
・2010年 静岡文化芸術大学学長。
おもに茶の湯についての研究・評論活動で知られる。

この日の講演は「日本人の美意識」というタイトルで、「花鳥風月」について詳しく話された。花鳥風月(かちょうふうげつ)とは、美しい自然の風景や、それを重んじる風流を意味する四字熟語である。一文字ずつに分けてみると、花は植物、鳥は動物、風は自然、月は宇宙を意味している。つまり人間以外の自然界すべてを指しており、これがいつしか転じて、自然を愛しむとか、風流を好むという意味で使われるようになったというわけだ。ただ、このような言葉を使ったり、意味を理解できるようになるのは歳をとったという証だろう。

以下、各文字ごとの薀蓄を列記してみた。まだあったかもしれないが、いちおう覚えていることを挙げてある。とにかく、いろいろなことを知っている先生であった。

「花」
・なんといっても花はサクラ。お花見といえばサクラを見ることで、これは日本人の大切な行事だという。震災で自粛するなんて話があったが、自粛するなんてことはお花見の意味がわかってない人がいう事なのである。サクラの「サ」は神の名を表し、「クラ」は坐という字に通じ、おいでになるという意味を表す。つまり、サクラは神の木を表すのである。神をもてなすために酒を出し、飲み食いをするというのは、正しい行事なのだ。そして、花見をすることは、その年の様子を占うことでもある。ただ花を観賞して宴会をするのではないのである。
・サクラの散り際の美しさを称えるのは、再びよみがえるという事に通じる。だから、通常家の庭には植えず、学校や墓地に植えることが多いのだという。
・松は、サクラに対して常に変わらない物を表す。正月に門松を飾るのは、門松が依代(よりしろ)になるからである。依代とは、神に来てもらうための目印である。
・神とは姿が見えないものだが、形を現したものが翁である。翁は年寄りの姿をしている。年をとっているほど知恵があり尊敬すべき人、すなわち神である。これは、年寄りを大事にしなければならないという事に通じる。

「鳥」
・今ではカラスといえば嫌われることが多いが、本来カラス(ヤタガラス)は神の使いとされていた。
・ハトは、八幡様のおつかい。
・かつては、ニワトリは食べてはいけない鳥だった。庭で飼い、時を告げる鳥として親しまれていた。しかし、安土桃山時代にポルトガル人の影響により食べられるようになってしまったという。

「風」
・日本ほど美しい国はない。四季折々に風景が変わる。
・松風とは茶の湯の用語のひとつで、釜の湯のたぎる音。このように、茶の湯は日本人の感性を育てていった。
・雪が美しい日本の風景。

「月」
・月とは、大宇宙を象徴する言葉である。日本人は、太陽よりも影に隠れた月に共感を持つようになった。
・月=影(偶数)、日=陽(奇数) これらを組み合わせることによって昔は未来を占った。
・陽が重なる日 1/1、3/3、5/5、7/7・・・は季節の変わり目の日であり 厄払いの日でもあった。けっしておめでたい日ではなかった。
・線香の香りは、悪魔祓いの意味があり悪霊を追い払うために焚かれる。

夢街道90キロマラニック(後半)

2011-06-27 21:10:34 | マラソン
9:54。草木トンネルの手前を右に入ると、青崩峠の入口になる。こちらが国道152号線であるが、とても国道とは思えない道である。青崩峠までの4キロの道のりをヘロヘロになりながら上りだす。とても走ってなど進めない道だ。ハアハア息絶え絶えながら歩いていると、後ろから足音が聞こえてきた。誰かと思えばヤッチャバさんだった。世界を走る超ベテランウルトラランナーのヤッチャバさんだけに歩くのも早いものだ。しばらく一緒に歩くが、湧き水があるという場所まで付いていくのが精一杯だった。

10:28。みさくぼの名水「足神の水」にたどり着く。周囲はちょっとした広場になっており車を何台も止めるスペースがある。岩の間から冷たい湧き水がこんこんと湧き出ている。まさに命の水といってもいい。洗面器のような大きな容器がいくつも置かれており、水をすくいやすい。容器に湧き水を目一杯すくって頭からかぶると快感である。火照った顔や手足に水をかけごくごくと湧き水を飲んだ。こんなおいしい水は飲んだことがないと思えるほどの極上の湧き水だった。ペットボトルにも目一杯汲んでリュックにしまった。日によっては大勢の人が遠くからこの湧き水を汲みに来るそうだ。




沸き水の直ぐ上には「足神神社」がある。足の病にご利益があると言われ、多くの足型が奉納されているそうだ。


「足神神社」のさらに上には、「瑟平(しっぺい)太郎」の墓がある。しっぺい太郎とは、民話に出てくる犬の名前である。遠州で怪物とわたり合い退治したが、深手を負い飼われていた信州の寺に帰る途中、ここで息絶えたといわれている。青崩峠に行く間には、面白い民話の世界が広がっているようだ。


しっぺい太郎の墓から、5分ほど進むと「辰之戸集落跡」がある。辰とは星座で北を示し、戸は渡ることをいう。この地名は、北に渡る場所として辰之戸と呼ばれたのではないかと看板に書いてある。


更に5分ほど進むと「木地屋の墓」がある。木地屋というのは山の木を切ってロクロで椀、杓子、しゃもじ、壷、盆、曲げ物、あるいはそばやうどん粉を練る木鉢をつくる人のことで、この辺りでそういう人たちが生活していたのだろうと言われている。


さらに進むと、大勢の人たちが作業をしていた。何をしているかと聞くとボランティアで森林伐採をしているとの事だった。森林伐採も林業に従事する人が少なくなり、ボランティアに頼るしかないようだ。木が伐採され、広くなった場所に紫色の花が咲き乱れていた。名前をボランティアの人に聞いたのだが、すっかり忘れてしまった。ホタルブクロの一種ではないかと思うが調べても良くわからない。元からあった花ではなく、外来種で誰かが持ち込んだのが、木を伐採したことで日当たりが良くなって急に増えたのではないかと言っていた。




10:53。青崩峠への登山道に到着する。静岡県側の国道152号線はここまでだ。登山届提出用の箱も用意されている。


苔むした石畳の道を進む。


11:05。茶屋を営んでいて盗賊に遭ったという建次屋敷跡を過ぎる。


11:10。やっと青崩峠に到着する。入口から1時間10分ほどかかった勘定だ。青崩峠は標高1,082mの峠であり、国道152号の点線国道区間で未通区域となっている。峠付近の地質構造は、中央構造線による破砕帯となっており、山腹に広がるむき出しになった青い岩盤から峠の名が付けられたという。いつの間にか、後続の人たちも追いつき記念写真を撮る。


青崩峠で80キロである。残りは10キロ。ひたすら下るだけだ。ただ、峠を下るとすぐに通行止めとなっている。知らなければ悩むところであったが、人だけなら通行可能という情報を聞いていたので、柵を乗り越えて先に進んだ。日が当らなくコケが生えてヌルヌルした道が続く。気を抜くと滑ってしまいそうな道だ。枯葉の上やあまり濡れていない道を選んで慎重に下って行った。

土砂崩れの場所では、靴が泥だらけになっていた。泥を落とそうと湧き水に靴を浸していると何と小さいヒルを発見する。一緒にいたよっぴーさんの靴のヒルを取除き、自分の靴のヒルも取除く。いつの間にか、湿った下り道でとりつかれていた様だ。一通り足をチェックしてみたが被害はなさそうだったので一安心して先を急いだ。

下りも長かったが、兵越峠からの道と合流すると残り4キロほどだ。今までは木陰の道で、それなりに涼しかったが、ここからは日ざしが強くなり暑さとの戦いとなっていた。「かぐらの湯」まで1キロの看板が見えるとホッとする。最後の一頑張りで、ゴールの遠山郷「かぐらの湯」に到着する。時間は、12:46。関門の15時までは、充分余裕のある時間だった。




ゴール地点には、遠山郷観光協会の事務所「アンバマイ館」があり、マラニックの感想を書いて事務局の方に渡した。観光協会会長さんの強力なサポートや温泉入浴券サービスもあり大変ありがたかった。早速、温泉に浸かりサッパリすると一気に眠気が襲ってきた。大広間で小一時間ぐっすり眠った後、かぐらの湯前で参加者全員で記念写真を撮る。


数名は遠山郷に宿泊したが、私を含めた残りのメンバーは、観光協会会長さんの車で最寄のJR飯田線の平岡駅まで送ってもらう。最後まで遠山郷観光協会のお世話になり厳しいけど楽しいマラニックになった。これだけお世話になった遠山郷には、みんなまた行きたくなったことだろう。

夢街道90キロマラニック(前半)

2011-06-26 22:44:52 | マラソン
24日(金)の夜から25日(土)まで、しんしんさんの呼びかけによる「夢街道90キロ」のマラニックに参加してきた。このマラニックは、浜松市の山間部北遠(ほくえん)をこよなく愛す「しんしん」さんの呼びかけで始まった。平成の大合併で、浜松市は太平洋から長野県境までの広域な面積を持つ自治体となった。そして、浜松市最北端の水窪町と背中合わせの長野県南信濃村の遠山郷まで、北遠地域を通って駈け抜こうという趣旨で始まったものだ。車では越えることのできない青崩峠から秘湯と秘境の里・遠山郷にたどり着いた時、どんなロマンを感じるか楽しみであった。

20時半、浜松駅南口に集まったのは20名ほどのマラニック愛好者ばかりだ。お馴染みの顔ばかりで、和気わいわいの雰囲気である。当初は、エイド、サポートなしの自己完結型のマラニックのつもりでいたが、急遽「遠山郷」観光協会のKさんが車でサポートしてくれることになり、内心ホッとする。それでも何でもかんでも頼るつもりはなく着替えだけ預かってもらうことにした。背中の荷物が少し軽くなって助かった。

浜松駅南口でワイワイやっているうちに、スタート時間の21時を過ぎていた。急いでスタート前の集合写真を撮る。スタートは5分遅れの21:05である。


浜松駅の中を集団で走り出す。知らない人たちが見たら、きっと異様な集団に思われただろう。




北口に抜け、浜松駅前の繁華街を抜けザザシティの角から国道152号バイパスをまっすぐ北上する。浜松市役所、浜松城公園前を通りどんどん進む。夜だからヘッドランプで前方を照らし、背中にはチカチカライトを点滅させながら進む。浜北区くらいまでは、車の通行量もあり街灯もそれなりに点いているのでそれほど寂しくない。だが、旧152号に入ってからは、車も少なくなりランナーもバラけて一人旅になってしまった。私は、ナイトランには慣れているので、それほど寂しいという事はなかった。むしろ、自分のペースで走れる一人旅のほうが楽だ。

23:50 19キロ地点の西鹿島の鹿島橋に到着する。前後には誰も見えない。真っ暗な中で橋の写真を撮る。


23キロあたりで最後のコンビニに到着する。この先にはまったくコンビニがないので、まず腹ごしらえをすることにした。あっためたドリアとビールをかき込んで少し休憩する。コンビニでは一人のランナーが休んでいたが、しばらくして行ってしまったのでまた一人旅が続く。船明ダムを抜け、天竜川東岸を更に北上する。トンネルを二つ越え、道の駅「花桃の里」に着くとKさんがエイドを開いていてくれた。そして、とっくに先に行ってしまっていたと思っていた「うっちゃん」がいたのでビックリした。その後は、「うっちゃん」やNさんと前後しながら、真っ暗な道を走り続けた。

2:25 秋葉ダムの灯りが見えてきた。秋葉ダムの上にある広場が最初のチェックポイントである。灯りに引き寄せられるように先を急いだ。


秋葉ダムのチェックポイントの表を見ると2名しか記入がなかった。私が3番目なのだが、どう見てもそれほど早い気がしない。書き忘れて行ってしまった人がいたのか、何だか府に落ちなかった。後で聞いたら、先行組の中で道を間違えた人が数名いたようで、いつの間にか追い越していたようだ。「うっちゃん」やNさんと少し離れてしまっていたので、ベンチに腰掛け、おにぎりとスポーツドリンクを飲みながら休憩する。

秋葉ダムからは、東岸の道路を走る。車はほとんど通らず、家や街灯もなく真っ暗な道だ。時折、ホタルが乱舞していたり、カエルの泣き声がしたりと自然に囲まれたコースだが、一人では心細くなる道かもしれない。途中の吊橋で天竜川を横断して、西岸に戻る。2時間ほど走っているうちに、空が白み始めてきた。次のチェックポイントの手前の目印になる赤い橋が見えたときはホッとした。大輪橋である。時間は4:29、距離にして51キロ地点だ。もう既に全コースの半分以上を走っている勘定だ。


橋を渡った所のトイレ前でしばらく休憩する。冷たいコーラが喉に染み渡る。通りすがりのトラックのお兄さんに訳を話すと「頑張れ」と応援される。チェックポイントは更に2キロ先だが、Iさんがエイドをしてくれていると聞いていたので、一がんばりして先を急いだ。2番目のチェックポイントは西渡の信号機前だ。5:08 53キロのCP2に到着する。空は明るくなったが、うす曇で日射しがないので厳しい暑さは感じられない。このままの天気で行って欲しいと願った。Iさんのエイドで、ビールとお汁粉を頂き、左折して国道152号から外れる。


そのまま進むと佐久間町に行ってしまうのだが、今回は、塩の道を走る。塩の道とは、人間が生きていくのに必要な塩をはじめとする海産物などを、内陸に運ぶのに使われた道のことをいう。西渡のバス停横から、秋葉道・塩の道が始まる。「そば団子で山姥退治」の看板が目印だ。


集落を抜け更に先に進むと、急な坂や、狭く踏面の小さな階段が続く「八丁坂」に入っていく。この八丁坂を通ることで、昔の人たちの交易の労苦と生活の匂いを垣間見ることができた。私たちは、大した荷物を背負っていないのに坂を上るだけで息が切れていたが、塩の道を歩いたかつての人々は、きっと大荷物を背負っていたのだろう。


八丁坂を上り終えると峠らしきところに出た。頭上にあるホースに「夢街道90km」の垂れ幕が下げられていた。しんしんさんがこんな場所にも吊るしてくれたのだろう。


八丁坂は、ずっと歩きだったがここから下りなのでやっと走ることが出来る。その後は、「間庄」「立原」「横吹」という村々を抜けていく。水窪川の橋の袂に着いた所で本来なら左折するのだが、崖崩れのため「通行止め」となっている。時間は、6:38。


水窪川の橋の袂を右折する。少し大回りとなるが国道152号線の「相月トンネル」入口に出る。ここからは国道なので道に迷う心配はない。しばらくは、水窪の中心街なので店や住宅も多い。水窪の道の駅でも、しばらく休憩しておにぎりを食べる。途中まで一緒だった「うっちゃん」はいつの間にか、先に行ってしまった。もう追いつけない。

水窪の街中を抜けると、あとはひたすら上り坂を進む。最後のチェックポイント「雑貨屋・はくりや」までは、かなりある。もうほとんど走る気力がないので歩き続ける。やっとのことで「はくりや」に到着したのは9:13だった。距離は74キロである。残り16キロではあるが、単なる16キロではない。ここから標高差500mほどを上がらなければならない。今回の一番の難所「青崩峠」を越えるからだ。「はくりや」では冷たいトマトとキュウリを頂く。塩をつけたトマトとキュウリは一番のご馳走である。


そして、更に上ること約2キロ。草木トンネル手前で青崩峠の分岐にでる。看板では距離が4キロで時間にすると10分となっているが、これは車の場合だ。人間の足では、相当かかるはずである。この先も歩きが続くことになる。


夢街道90キロマラニック(後半)に続く。

夢街道90キロ完走

2011-06-25 21:55:55 | マラソン
午後8時前に、無事我が家に帰宅。
昨夜9時に浜松駅をスタートして今日午後1時前に長野県遠山郷に無事ゴールです。
ゴール後。かぐらの湯に入ってサッパリして飯田線、東海道経由で帰宅しました。
0泊2日のウルトラマラニックでしたが、やはり徹夜はきつい。
今日は眠いので、詳細は明日以降にアップします。

夢街道90キロ走ってきます

2011-06-24 19:30:42 | マラソン
今夜、夜9時に浜松駅をスタートして長野県の遠山郷までの90キロを走ります。
明日の午後3時までにゴールできればいいのですが、
久しぶりの夜間ランとフル以上の距離なので、あまり自信はありません。
暑さも苦手なのでどうなるか行って見なければわからないですが
なんとか頑張っていきたいと思ってます。

今日は、キャンドルナイトとか

2011-06-23 22:53:54 | エコ


今日は、社会人大学があって帰りが遅くなった。
講師の先生の話も面白くブログネタとしては多いにあるのだが
いかんせん、寝不足気味で今日はじっくり書く気力がない。

他に書くことも思い当たらなかったが、久々にグリムスの画像を見たら
何故かキャンドルが一杯灯っている。
誕生日でもないし、何を意味しているのか良く判らなかった。

それでも、ちょっと調べたらやはり理由があることが判った。
夏至と冬至の日に夜8時から10時の2時間、
みんなでいっせいにでんきを消しましょうという運動があるそうだ。
「100万人のキャンドルナイト」と呼ばれており、著名人が呼びかけているようだ。

何年も前からやっているようだが、正直言ってあまりよく知らなかった。
もちろん、我が家では知らないから「100万人のキャンドルナイト」には参加してない。
我が家では、これからキャンドルナイトの時間にすることにしよう。
いつもよりちょっと早く寝る事にする。

今日は暑かった!!

2011-06-22 21:12:32 | 呟き
今日は、夏至だったことを知った。
1年で最も昼間の時間が長いという夏至の今日22日は、今年一番の暑さでもあった。
梅雨に入り、ジトジトジメジメの鬱陶しい天気が続いていたと思ったら
一転して梅雨の晴れ間が広がり暑い一日となっていたのだ。

ニュースによれば、午後2時すぎには、群馬県館林市で36度3分、前橋市で36度ちょうどまで気温が上がったほか、
午後2時までに、静岡市と埼玉県熊谷市で35度3分となり、いずれもことし初めて猛暑日となったそうだ。
実は午後1時少し前、静岡市内を歩いていたのだが市内の電光掲示板が33度を示していた。
これは暑いはずだと納得していたのだが、あれから更に気温が上昇していたわけである。

今年は、節電節電と騒がれており社内のエアコン設定温度も上げられている。
我慢しなければいけないと思うが、急に暑くなると体がついていけない。
なんとか暑さに耐える体を作らねばいけないと思い至った。

「告白」原作読んで映画も見た

2011-06-21 23:53:28 | 映画


湊かなえの『告白』という本が、2009年に本屋大賞を受賞し、2010年6月には監督中島哲也、主演松たか子により映画が公開された。翌年2011年2月には第34回日本アカデミー賞を授賞している。テレビCMもガンガン流され気になった映画ではあったが、なかなか見に行く機会がなく1年経っていた。しかし、先日WOWOWで放送されたのでとりあえず予約録画しておいてまず原作を読んでみた。そして、原作を読み終わってから改めて映画のほうも見てみた。

原作は、6章にわたる構成となっている。各章とも、書く登場人物の視点から書かれている。

第一章は「聖職者」。中学の教師森口悠子は、終業式の日に1年B組の生徒たちに間もなく自分が教師を辞めることを告げる。森口は、数カ月前学校のプールで自分の一人娘が死んだのは、自分のクラスの生徒二人に殺されたと衝撃的な発言をする。森口は、犯人がわかっており少年「A」と「B」を告発する。彼らの名前こそ言わないが、話の内容からクラスの誰もが犯人を知ってしまう。森口は警察に言うつもりはないが、彼らには既に恐ろしい復讐を仕掛けたと宣告して去っていく。この第一章が湊かなえのデビュー作だが、まさに衝撃的な出だしである。女性作家でこんな話を良く考えたものだと驚いた。とにかく読み出したら気になって途中で読み終わることができなかった。

第二章は「殉教者」。森口が去ったあと、全員2年に進級する。この章では、クラス委員長の北原美月が森口悠子へ綴った手紙の形で語る。犯人を知った生徒たちは、「少年A」こと渡辺修哉をクラス全員でいじめる。また、「少年B」こと下村直樹は不登校になって一度も学校に姿を見せない。そして、1年B組に何が起きたか一切知らない新任教師の「ウェルテル」こと寺田良輝の愚かな行動が森口に知らされる。

第三章は「慈愛者」。森口の恐ろしい復習によって、下村直樹は精神に異常をきたす。そして、自分の母親まで殺してしまう。この章は、直樹の姉が弟の起こした事件の背景を知るために、母親の日記を読むことで始まる。母親は直樹を溺愛しており、直樹が殺人を犯したことなどまったく信じていない。むしろ森口という教師をまったく信用していなかった。後任の教師寺田が無理やり直樹へ関わってこようとしたことで、精神的に追い詰めらた直樹との間で板ばさみになる。寺田の行動は、森口の計算された言動によって操られていたのである。

第四章は「求道者」。母を刺殺した直樹が、施設の中で幻覚を見る事で始まる。彼が共犯者である渡辺と出会ったこと。森口の娘を殺したこと。そして、母親を殺すまでの様子をフラッシュバックという形で追っていく。直樹は、殺される事はなかったものの結果的には森口によって人格が崩壊させられてしまっていたのだ。これは、殺されるよりも更に恐ろしい復讐であったといってもいい。

第五章は「信奉者」。主犯である渡辺修哉が自分のHPに「母親への遺書」として自分の生い立ち、愛美を殺すに至った過去の経緯や次の犯行予告などをアップロードする。彼は、両親の離婚で父親と生活していたが、優秀な物理学者である母親に対して自分の優秀さを認めてもらいたかったのだ。母親に知ってもらいたい一心で不気味な発明品をいくつも作り殺人の道具にもしてしまっていたのだ。中学生とは思えない知識で中学校を恐怖の現場に陥れようとする。だが、突然彼の携帯電話が鳴り響く。

第六章は「伝道者」。第五章から続くのだが、森口悠子から渡辺修哉の携帯電話に最後の宣告が行われる。「これが本当の復讐であり、あなたの更生の第一歩だとは思いませんか?」まさしくこれが本当の復讐だったのだ。森口は、修哉の計画を全て察知して完全に先回りしていた。修哉は自らの手で、大事な母親を死に至らしめてしまうのである。最後の第六章は、思いもよらぬ悪魔の復讐劇といってもいいだろう。ここまでやるかというくらいの展開に戦慄した。女性作家のほうが、こんな話を考えることができるのかという驚きも大きかった。

原作本は以上のようなストーリーである。そして映画のほうも、基本的にはほぼ原作どおりに作られていたといってよい。原作を読んでイメージした世界が、映像化されたことで更に印象が強まった気がする。松たか子の森口は、鬼気迫る演技だったといっていい。あの可愛げな声で、たんたんと生徒たちに語りかける様子は心底恐怖を感じる。最後のシーンで声高らかに笑う様子は、背筋が寒くなりそうだった。

その他の登場人物も、原作のイメージを損なうことない演技だったといっていい。直樹の母親役の木村佳乃は、息子を溺愛しながらも最後に息子に殺されてしまうという難しい役を難なくこなしていた。

映像化されたことで、暗い画面や音楽で原作のイメージをより深くとりこんだともいえる。最後まで作品の中に入り込んで見入ってしまった。ただ、見終わってすっきりする映画ではない。深い人間の闇を見てしまい、何ともいえない気分にもなってしまう。でも、これほど過激で人間の怖さを知らしめた映画はかってなかっただろう。そういう意味では、凄い原作であり、映画でもあった。