とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2022第1回信越トレイル:セクション3

2022-06-30 10:40:55 | 信越トレイル
セクション3は、前日のゴールだった涌井からスタートする。


30分ちょっとで富倉峠に到着する。富倉峠は、北信濃と越後を結ぶ交通交易の重要なルートであった富倉道(現飯山市から妙高市に通じる)の旧峠。川中島の戦いでは、上杉謙信が越後から兵を率いて信濃に進軍する際、主要路の一つとして利用されたという。


富倉峠からしばらく行くと、上杉軍が陣を張った場所といわれる大将陣跡がある。


この日の最初の池は、「ソブの池」。


秋になると、紅葉で色付いた木々が水面に映り、美しいらしい。


池の周りを散策した後、信越トレイルのコースに入っていく。


黒岩山からは、東側の展望が開け、飯山市内や高社山、志賀高原などの山並みが展望できる。


人の声がするなと思い、道を下っていくと、地図にはない小さな池があり、学生とガイドの人が自然観察会を行っていた。我々も、仲間に入れてもらいガイドの説明を聞く。


木の枝に小さな袋状の塊がくっついていて、モリアオガエルの卵塊だという。


ミズバショウが群生しているが、花は終わっているので緑だらけだ。


桂池の手前にある水場。太郎清水と呼ばれる水場だが、水量は少なくちょろちょろ出ているだけだった。それでも触ると冷たく、飲んでも美味しかった。


水場からは舗装道路となり、桂池に向かう。


黒岩山のほとりに佇む神秘的な桂池。秋は紅葉が美しいそうだ。


桂池テントサイトの片隅でランチ休憩する。


ランチ休憩後、桂池から仏ヶ峰登山口に向かって再スタートする。


中古池の畔を通過する。


信越トレイルを歩き始めて、初めての渡渉。


ハルジオンに蝶々が止まっている。


沢に下ったので、再び登り返す。


仏ヶ峰登山口に到着する。セクション3のゴール地点だ。だが、ここは車が来られる場所ではないので、スキー場のゲレンデを突っ切り下っていく。


目の前に見えるのは戸狩温泉スキー場のリフトだ。


シーズン外なのでリフトは止まっていて、さらにゲレンデを下っていく。


星降るキャンプ場(とん平ゲレンデ)には、舗装道路が繋がっていて車が来られるが、民宿まで歩いて行けない距離ではなく、時間も早く、お迎えを頼むのも申し訳なくて、さらに舗装道路を歩き民宿まで着いてしまった。第1回信越トレイルは、これで終わりだ。来月、第2回を予定しており、セクション4~セクション6を歩くつもりだ。今回6月とは言え、予想外に暑い日が続き、7月は暑さ対策が必要になりそうだ。

参考1.信越トレイル・セクション3の高低図&コースタイム


参考2.信越トレイル・セクション3のコースマップ

2022第1回信越トレイル:セクション2

2022-06-29 09:24:57 | 信越トレイル
前日、セクション1のゴールだった赤池からセクション2のスタートだ。この日もいい天気で朝から暑くなりそうだ。


駐車場から少し歩くと、セクション②-1の標柱がある。


ブナの森は、木漏れ日が差し込み歩きやすい道だ。




30分ほどで沼の原湿原に到着する。


湿原を一周すると1時間ほどかかるが、時期的に咲いている花はほとんどないので信越トレイルのコースに従って進み、湿原の入り口にあるトイレ前に出た。


トイレ前で一休みして、コースに入っていく。雪の重みで曲がったようなブナの枝が所々に見える。


森を抜けると、急に明るい場所に出た。希望湖(のぞみこ)という池だ。希望湖という名前は何か現代的な感じがしたが、やはり以前は「沼の池」という地元での通称しかなかったらしいが、昭和56年(1981)には、沼の池から希望湖(のぞみこ)と改名し現在に至っているそうだ。


現在は、ボートやフィッシング、周遊トレッキング等で観光に使用されており、管理小屋も建っている。また、希望湖は信州を愛した日本画家・東山魁夷が絵のモデルにしたことでも知られていて、緑の美しさと湖のみすみずしさを表現した「静映」と名付けられたその作品は、長野県県民文化会館の中ホールの緞帳としても見ることができるそうだ。


ボート乗り場の前には、大きな看板が立っている。「沼の池」にまつわる伝説だ。


沼の池に関わる伝説
昔、柳原の南條部落に「こく衛門」という男がおり、この男乱暴者ではあったがなかなかえらい男でもありました。川中島の戦いの後、上杉謙信は武田信玄の軍勢に追われ安田の渡しまで逃げてきたが、その時、こく衛門が渡しの綱を切って信玄の追っ手を足止めし、謙信を越後に逃がしました。謙信は命の恩人である「こく衛門」を呼び、「望みの物はなんでも与えるから好きな物を言え」といったところ、こく衛門は柳原地域が水に不便をしているのを思い、「他になにも望みはありませんが、沼の池をいただきたい」と言いました。謙信は、こく衛門の望みを聞き入れ沼の池を彼に与えました。当時沼の池は、越後領であったが、水は信州側に流れ落ちるようにしたのです。


天狗のうちわみたいなヤツデの葉に木漏れ日が当たっている。


毛無山1022mに到着する。山頂からは大展望が望まれるとガイドマップに書いてあったが、周りは樹木で覆われ全く展望がない。


山頂から東側に出ると、展望が開けた場所があり、野沢温泉、飯山、木島平、志賀高原などが展望できた。景色がいい場所なので、ここでランチ休憩する。


再び信越トレイルのコースに戻り、森の中を進む。


3つ目の池は涌井新池だ。


希望湖同様に近世初期から集落の共同用水として利用されてきた溜池で、今でも地域の暮らしに欠かせない大切な水源として利用されているそうだ。


涌井新池を過ぎると農道となる。しばらく歩くと、道の左側に水場があった。地図には案内看板はないとあったが、水場の降り口にしっかり水の表示があった。


水量も豊富で、冷たくて美味しい水をたっぷり飲むことが出来た。


あとは、農道から見える田園風景をのんびり見ながら歩く。


農道の脇でクワの実がたくさん成っているのを見つける。


農道から舗装道路に出て、しばらく歩くとセクション2の終点である涌井だ。


涌井でお迎えのマイクロバスを待ち、宿に向かうが、あまりにも時間が早く着いてしまったので、途中で道の駅に寄ってもらい、お土産などを買う時間にあてた。

参考1.信越トレイル・セクション2の高低図&コースタイム


参考2.信越トレイル・セクション2のコースマップ


「2022第1回信越トレイル:セクション3」に続く。

2022第1回信越トレイル:セクション1

2022-06-28 08:34:45 | 信越トレイル
日本のロングトレイルをいろいろ歩いてみたいと思い、今年のメインに選んだのが長野県と新潟県の県境の尾根を歩く信越トレイルだ。長野と新潟県境の里山を巡る全長110キロ。西の斑尾山から東の天水山まで、ブナの森が美しく、豊な自然と歴史・文化を感じる国内でも稀な本格的ロングトレイルである。かつて信濃と越後を結ぶ交通の要所として16もの峠道が存在し、越後からは塩や海産物が、信濃からは内山和紙や菜種油が運ばれ、また戦国時代には上杉謙信が川中島の合戦の際に何万もの兵を連れて峠越えをしたとも言われている。

信越トレイルは、10のセクションに分かれ、1セクションごと歩くと1日の距離としては無理がないという事で、毎日1セクションずつ歩く予定で計画を立てた。第1回目は、セクション1~セクション3迄を歩く3泊4日の旅だ。

初日は、家からの移動だけで、戸狩温泉の民宿メイプルハイムさんに宿泊する。翌朝8時にメイプルハイムのマイクロバスで斑尾山の登山口まで送ってもらう。


30分ほどで斑尾高原スキー場のレストハウス「チロル」前の登山口に到着する。


スキー場のゲレンデの中を登っていく。


スキーシーズン外なので、ゲレンデの中は草が生い茂っている。


ゲレンデを外れ、登山道に入る。


後を振り返ると、スキー場のゲレンデがあんなにも小さくなっていた。


ブナ林の中を進む。


1時間ちょっとで斑尾山1381mに到着する。斑尾山は、長野県飯山市・信濃町との境にある信越五岳のひとつであり、日本三百名山でもある。


斑尾山からの展望はなく、西に少し下ったところにある大明神岳1360mに向かう。


大明神岳からは眼下に野尻湖。そして先には信越五岳の妙高山、黒姫山、戸隠山、飯縄山や北アルプスの大パノラマが広がる。


大明神岳から再び斑尾山山頂に戻る。信越トレイルの起点は、斑尾山山頂なのだ。改めて信越トレイルをここからスタートする。


妙高山を眺めながらトレイルを進む。


タングラムスキー場最上部のリフト終点に着く。


万坂峠にでる。長野県と新潟県の県境だ。


袴湿原の木道を進む。


水芭蕉は終わっていて、ちょうど花がない時期みたいだ。


12時半過ぎに、袴岳1135mに到着する。


袴岳からは、妙高山が一際大きく見える。


歩きやすい林道を進む。


14時少し前に、セクション1の終点である赤池に到着する。予定より大分早く着いてしまったようだ。


赤池には、宿のマイクロバスのお迎えがあり、バスに乗って宿に戻った。この日は、雨も覚悟していたのだが、まったく雨に降られることもなく暑い一日だった。信越トレイルの起点となる斑尾山に行くまでが、急な上りだったが、信越トレイルのコース自体は、適度なアップダウンだけで歩きやすい道だった。

参考1.信越トレイル・セクション1の高低図&コースタイム


参考2.信越トレイル・セクション1のコースマップ


「2022第1回信越トレイル:セクション2」に続く。

2022山上ヶ岳

2022-06-19 15:20:04 | 山登り
奈良県の天川村にある山上ヶ岳は、修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたわが国修験道発祥の地で、修験道の道場としての有名だ。山頂には、わが国最高所の国重要文化財であり、世界遺産でもある「大峰山寺」や宿坊があり、戸開け期間中(5月3日〜9月23日)は、毎年修行に訪れる多くの山伏や登山者で賑わうという。今回は、その山上ヶ岳に登りたくて男3人で出かけてきた。

前日の夜、登山口がある大橋茶屋の駐車場に車を止める。きれいなトイレもあり、広い駐車場だが、車はほとんど止まっていなかった。


大橋茶屋の駐車場からは、山上ヶ岳と思われる山のシルエットが見える。駐車場は、1日1000円の駐車料金がかかる。管理人もいないので、茶店の前にある料金箱に車のナンバーを書いた封筒にお金を入れて出発する。


茶店の先には清浄大橋(大峯大橋)があり、橋を渡ると立派な門があり、修験道の山らしい宗教的な石塔や石像が現れる。


そして、日本ではここだけの厳しい規制が現れる。女人結界門だ。宗教上の理由から、山上ヶ岳一帯は、今なお女人禁制なのである。山上ヶ岳に登るためのいくつかのルートのすべてにおいて女人結界門が設置され女人の入山を拒んでいるのだ。


登山道は、修験道の山という割には、整備され歩きやすい道がずっと続いている。女性や子供でも気軽にハイキング気分で歩けそうな道がずっと続いている。朝早くだったので、静寂な道は厳かな雰囲気を大いにたぎらせていた。


40分ほどで、一本松茶屋に到着する。山上ヶ岳に行くまでには、三つの茶屋があり、登山者の休憩場所が整備されている。


さらに30分ほど進み、そろそろ水が飲みたいという時にたどり着くと、冷たい湧き水が湧き出している。「お助水」と言われる水場だ。


二番目の茶屋は、洞辻茶屋だ。一本松茶屋は無人だったが、洞辻茶屋は数人のスタッフがいて開店の準備をしていた。


中に入ろうかと思っていると、後ろから行者姿の人がスタスタと先を越して行った。中にお経をあげる場所があり、法螺貝を高らかに鳴り響かせていた。


その先の登山道もなだらかで歩きやすい道が続いている。


三番目の茶屋の陀羅尼助茶屋に到着する。この茶屋の名前だが、読み方は、「だらにすけ」と読む。陀羅尼助とは、今から1300年前、役の行者が腹痛で苦しむ人々を助けるため、山中の黄柏(オウバク)の木の皮をはいで、煎じ薬にして人々に飲ませ、疫病から救ったという薬だと伝えられている。大峰修行の山伏たちは、長く厳しい修行中の持薬として今でも愛用しているそうだ。陀羅尼助茶屋を出る頃、雨が降り出しカッパを着る。


なだらかで歩きやすい登山道も終わりとなり、いよいよ修験道の山の趣が現れてきた。鎖が垂れ下がる約50mの険しい崖は油こぼしと呼ばれる。油をこぼしたように足が滑る難所だと言われている。


油こぼしを登り切った先は、鐘掛岩の入り口に出る。鐘掛岩は、役行者によってつり鐘が掛けられたという巨岩で、修行場の難所のひとつだ。鎖を頼りにそびえ立つ岩を登るが、足を掛ける位置と順番を間違えると登れなくなってしまうという。ここは、行場となり一般の登山者が登るには危険すぎるので、迂回路を進む。


迂回路を進むと、鐘掛岩に行ける道があったのでどんな場所か覗きに行ってみる。この岩の下が登り口になるが、ほぼ垂直の壁だ。


鐘掛岩の上には、役行者の像が祀られている。


鐘掛岩から引き返し、登山道に戻ると「お亀石」が見えてくる。石柱で囲われた中には、平らな大きな石があり、亀の形をしているらしい。昔、役行者が大峰修行時この場所で座禅され33回目の時、真の悟りを開かれた清浄な場所だという。


この先も、岩だらけの道となり、石塔が立ち並び修験道の道という雰囲気が満載だ。


そして、今回の山行で一番気になっていた場所、「西の覗」に着いた。日本三大荒行のひとつとされる大峯山中屈指の荒行場だ。命綱一本を信じて、断崖絶壁の上から上半身を乗り出し、不浄を払って生まれ変わりを願うという。


裏側に回ると、行場となる岩場だ。鎖を持って、体を少し乗り出してみるが、上半身全てを乗り出すほどの勇気はない。


反対側に見える岩壁は垂直に切り立っているが、西の覗も反対側から見れば同じように見えるに違いない。


いよいよ、山頂にある大峰山寺の入り口に着いた。


大峰山寺はガスに包まれ、神聖な雰囲気が漂う。世界遺産・わが国最高所に建つ国重要文化財の古刹であり、役行者が金剛蔵王大権現を感得して蔵王堂を建立したのが始まりと伝わる修験道の根本道場だ。


大峰山寺から少し先に山上ヶ岳の山頂1719mがある。


山頂周辺は、時期ともなればお花畑となり、山頂までの荒々しい岩場とは打って変わった楽園のような雰囲気になるに違いない。


お花畑からレンゲ辻方面に下る。レンゲ辻にも女人結界門があり、ここから先は女人禁制となる。


レンゲ辻からどんどん沢沿いに下っていく。沢沿いの道は岩がゴロゴロしていて歩きにくく、岩や濡れた木の階段が滑りやすい。


沢沿いの道が終わると舗装された林道に出る。林道に出て15分ほどで大橋茶屋の駐車場に到着する。早朝、出発した時はほとんど埋まっていなかった駐車場がほぼいっぱいになっていた。


その後、麓にある洞川(どろがわ)温泉に立ち寄り、汗を流して帰路についた。


前日の夜、大橋茶屋の駐車場に向かう際、夜中に洞川温泉街を通り抜けたのだが、縁側の提灯に明かりが灯されノスタルジックな雰囲気を醸し出し、まるで江戸時代にタイムスリップをしたかのような気分にさせられた。いつか洞川温泉に泊まり、夜に温泉街を散策してみたくなった。

参考1.山上ヶ岳の高低図&コースタイム


参考2.山上ヶ岳のコースマップ

2022奈良・釈迦ヶ岳

2022-06-06 09:56:22 | 山登り
先週末は、奈良県南部の吉野郡十津川村と下北山村の境界にある大峰山系の山である釈迦ヶ岳に登ってきた。日本二百名山に選定されており、釈迦ヶ岳山頂周辺は、ユネスコの世界遺産に登録された『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成要素としての「大峯奥駈道」のルートのひとつとなっている。

釈迦ヶ岳の登山口は、国道から車で1時間以上もかかるかなりアクセスの悪い場所だが、朝7時くらいに駐車場に着くと、かなりの車で埋まっており、わずかなスペースを見つけてぎりぎりで駐車することが出来た。駐車場にはトイレもあり、世界遺産ということもあり整備されている。登山届を出して歩き出す。


歩き出してすぐに急坂となり、木の根が剥き出しになっている岩場を登っていく。


緩やかな登山道になり、展望が開けてきた。遠くには、釈迦ヶ岳の後に向かう大日岳の尖がりピークが見える。


その後は、開けた笹原の登山道が続いていく。


この日は絶好の登山日和となり、展望を楽しみながらの山歩きとなった。


大日岳が、大分近くに見えるようになってきた。


そしてこちらが、これから登ろうとしている釈迦ヶ岳だ。さえぎる大木もなく、とても歩きやすい登山道だ。


後ろを振り返ると、今まで歩いてきた道もよく見える。


笹原の奥にシカの親子がいるのを発見。この後も、シカを何度も目撃する。


シロヤシオの花も咲いている。


登山道から少し外れた場所に湧水が出ていて、冷たい水で喉を潤す。


登山口から2時間ちょっとで釈迦ヶ岳山頂が見えてきた。有名な釈迦如来像と錫杖が見えて感動する。


この釈迦如来像は、大正13年(1924年)に「鬼マサ」の異名で知られていた岡田雅行(1886年 - 1970年、身長188 cm・体重約120 kg)という強力が、たった一人で道をつくりながら、3分割して担ぎ上げたと伝えられる。これほどの銅像を人間一人の力で持ち上げたというから驚きである。


標高1800m釈迦ヶ岳の釈迦如来像の前で記念撮影。


釈迦ヶ岳で展望を楽しんだ後、少し戻り、大峯奥駈道に進む。


ここから大日岳まで下っていく。大峯奥駈道とはいえ、この辺りの道は普通の登山道だ。


大峯奥駈道には、大峯七十五靡(なびき)と呼ばれる神仏が宿るとされた拝所・行場が遺跡として残り、祠や仏像などが点在している。釈迦ヶ岳は40番目の靡だったが、尾根の東側の岩盤にぽっかりと小さな穴が開いているのは、くぐると極楽に行けるとされる39番目の靡である「都津門(とつもん)」だ。


避難小屋と灌頂堂(かんじょうどう)が建っているのが、「深仙の宿(じんせんのしゅく)」と呼ばれる38番目の靡だ。


見通しのよい鞍部にあるこの「宿」は、役行者が深い瞑想行を行ったいわば「神の庭」であり、彼の祈願によって数多の仙人や神々が現れたと伝えられている。この不思議な形の木は、まさに神が現れてもおかしくないような雰囲気を感じさせてくれる。


「深仙の宿」のすぐ先で大日岳への入り口に出る。


岩場をよじ登っていくと、真正面には堂々とそびえる大日岳1568mが見えてきた。大峯山脈の霊的シンボルとも言えるこの山は、急斜面の鎖場が30メートルも続く命がけの行場である。自信の無い人は、西側の巻き道を登った方がいいとの事だったが、まき道もかなり危険だという事で、この場所から大日岳を仰ぎ見て引き返す。


再び「深仙の宿」に戻る。釈迦ヶ岳南壁を望むと巨大な露岩が4つ並び「四天石(してんせき)」と呼ばれている。向かって左から広目天・増長天・持国天・多聞天となるが、ここでは香正童子・役行者・聖天・財天にもなぞらえているそうだ。


「四天石」を眺めながら「深仙の宿」でランチ休憩とする。


「深仙の宿」の分岐から、釈迦ヶ岳登山道への近道となるルートに進み、登山口から歩いてきたルートに合流する。行きの時は気付かなかったが、千丈平には小さな池があった。


下山も見通しがいい笹原の中を進む。


途中から、大日岳の行場である岩場を遠望する。やはりとても怖くて登れそうにない。


みんな楽しく登れて満足げに下山して行く。


14時過ぎ、太尾登山口に無事到着する。駐車場には、まだマイクロバスをはじめかなりの車が残っており、関西では人気のある山のようだ。


その後、大塔温泉「星乃湯」で汗を流して帰路につく。

参考1.釈迦ヶ岳の高低図&コースタイム


参考2.釈迦ヶ岳のコースマップ