とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2020三峰山(みうねさん)

2020-01-27 22:26:58 | 山登り
このところ毎冬は、霧氷の美しい山を探して登りに行っているのだが、今回は、冬になると手軽に霧氷が楽しめる山の一つである三峰山に行ってきた。奈良県と三重県の県境に位置する1235mの山で、近くにはすすきで有名な倶留尊山(くろそやま)や霧氷で人気の高見山がある。

直前の天気予報では、現地の天気は雪予報だったが、登山口についてみると雪どころか、雨模様の天気で当てが外れていた。駐車場も、霧氷見物の登山者で満車になるのではという不安もあったが、ガラガラで苦も無く止められた。それでも、ここまで来たからには登らないわけにはいかない。雨具を着て登山口を出発する。


山の上の方を見ると白っぽいが、雪雲ではなく雨雲みたいだ。


しばらく進むと分岐があり、不動滝へのコースに向かう。不動滝は、高さ約21メートルの滝で、樹齢を重ねた杉の木の間から見える滝は見事だ。冬期には、氷結すると聞いていたが、気温が高いこともあって全く氷結していなかった。


橋を渡って、滝の上部に向かう。


滝の真横まで行くことが出来、上から滝つぼに流れ落ちる様を見ることが出来る。


不動滝から50分ほどで、避難小屋に到着する。


避難小屋の中を覗くと、登山者で一杯だったので、そのまま先に進むことにした。


やっと登山道に雪が見えてきた。全く雪がないのでは、何を見に来たのか分からなくなってしまう。


しかし、雪道とはいえ、気温が高いうえに雨が降ったせいか、道がぬかるんでいる。


ぬかるんだ登山道は滑りやすく、慎重に足を進める。




11:25。三百名山・三峰山山頂1235mに到着する。残念ながら霧氷は全くない。


山頂を示す標柱の上には、可愛い雪だるま。


霧氷はないのに、やはりこの時期はそれなりに登ってくる登山者が多い。いつの間にか、他の登山者で山頂がにぎやかになってきた。


近くの木の幹の上にも、誰かが作った雪だるまが。


山頂から避難小屋まで戻り、しばらく昼食休憩する。そして、下山は登尾ルートに向かう。登尾ルートの入り口には、かなり樹齢がありそうな立派な樹があった。


下山していく途中、木々の間から雲海が浮かんでいた。


つづら折りの道をグングン下っていく。


視界が開けた場所から、雲海を臨む。雲の切れ間からは、御杖(みつえ)村が見える。


登尾ルートの途中にも避難小屋とトイレがあった。


橋を渡ると、不動滝コースとの分岐だ。


登山口から少し上ったところにある、みつえ青少年旅行村まで行くと「三峰山霧氷まつり」が開催されていた。


霧氷は見られなかったが、会場で温かい“ぜんざい”の振る舞いがあり、美味しくいただく。また、「姫石の湯」の割引券もいただく。


みつえ青少年旅行村から7キロ先にある「姫石の湯」で温まってから帰路に着いた。


今年の天気は、やはり異常である。1月とは言え、3月上旬くらいの気温で全国的に雪が少ない。冬の風物詩が、だんだん減っていくことが悲しい気分になった。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図とコースタイム

2020天浜路ヘルシーウォーク:天竜区二俣周辺

2020-01-22 22:47:04 | ウォーキング
スキーから帰った翌日の日曜日は、特に予定がなかったのだが、妻がウォーキングに出かけるというので一緒についていくことにした。遠州鉄道に乗って西鹿島駅で降りると、妻の友達とも合流しウォーキングをスタートする。9:15。まずは、天竜川に向かって歩き出す。


天竜川に架かる鹿島橋を渡る。青空が広がりこの日もいい天気だ。


天竜川に架かる鉄橋は、天竜浜名湖鉄道の線路だ。


鹿島橋を渡り切り、右側の細い道に入ると、筏問屋「田代家」がある。田代家は、徳川家康の遠州経略に協力した功績で、天竜川の筏川下げと諸役免除の特権を与えられたことを機に天竜川の筏問屋経営を始めた。重厚な佇まいの屋敷には天竜川舟運の資料などが展示されており、主屋と土蔵の2棟は国の登録有形文化財だ。




田代家の庭には、遠州最古の紀州みかんの木が植わっている。来場者には、この遠州最古のみかんを味わうことが出来る。実の色は温州みかんと比べるとやや薄く、種がたくさんあって多少酸っぱい。


田代家から二俣の中心部を抜け、二俣小学校を過ぎると清瀧寺がある。清瀧寺には、徳川家康の長男で、織田信長に謀反の疑いをかけられ二俣城で切腹したという岡崎三郎信康の墓がある。岡崎三郎信康は、本来なら徳川家康公の嫡男として二代将軍になっていたかもしれない戦国時代の悲運の武将だ。清龍寺は、まさしく信康を供養するために家康により建立された寺であり、清瀧寺の名を与えたのも家康自身である。




信康ゆかりの清龍寺には、本田技研の創始者である本田宗一郎が、少年時代弁当を早く食べたいために正午を知らせる鐘を30分前に、ここで突いたという。




清瀧寺の本堂へ向う坂の途中には池があり、その池に一筋の水が滝のように落ちている。この水は、裏山から湧き出た水で、未だに枯れたことがないという。


清瀧寺の隣には、本田宗一郎ものづくり伝承館がある。国の登録有形文化財(建造物)に登録されている旧二俣町役場を改装した建物で、昭和初期の面影が残っている。1階には本田宗一郎の軌跡をたどる年譜や写真・映像、関係者の談話、遺品、初期のバイクなどが展示されている。2階は関連図書が閲覧できるほか、ものづくりの楽しさを伝えるワークショップや、特別展などのイベントスペースになっており、本田宗一郎の「人となり」や「ものづくりの精神」に触れることができる施設である。初めて入館したが、無料で見学出来るのがありがたく、今回のウォーキングでは一番面白かった施設だ。


バイク好きにはたまらないようなイラストが、売店で販売されている。


本田スーパーカブ。耐久性と経済性に優れ、発売開始後50年以上を経ても多くの原設計を引き継ぎ、改良を続けながら継続生産販売されている。本田技研工業の調べでは、スーパーカブの累計生産台数は2017年10月時点で1億台に達し、輸送用機器の1シリーズとしては世界最多の生産台数および販売台数を記録しているという。まさに本田の最高傑作だ。


初期の名車もずらりと展示されている。


2階には、精密イラストレーションの第一人者柴田制作所柴田賢二氏のイラスト原画が展示されている。


陸軍中野学校二俣分校校趾碑。陸軍中野学校二俣分校とは、ゲリラ戦要員の短期育成を目的とした大日本帝国陸軍の教育機関。帝国陸軍の解散とともに廃止された。諜報や防諜、宣伝など秘密戦に関する教育から、ゲリラ戦術の教育に変化していった中野学校とは異なり、当初からゲリラ戦術、破壊工作の訓練を目的に設置された施設だったという。しかし、二俣にこのような学校があったとは思いもよらなかった。


浜松市天竜区山東にある光明山光明寺は、奈良時代(養老元年・717年)に行基により開創された遠州地方の名刹だ。毎年1月の第3日曜日に大黒天像の大祭「初甲子祭」が開かれる。この日はちょうど「初甲子祭」の日に当たり、多くの参拝者で賑わっていた。




周囲約10mの一本杉の木で彫られた日本最大級の黄金に輝く大黒様(高さ約4m)。この日、光明山の大黒様にお参りをした後に、新しいお財布をおろすと特にご利益がいただけると言われているそうだ。


光明寺の前には、光明山古墳(墳長83m)がある。浜松市内最大の前方後円墳だ。ただ、残念なことに雑草が生い茂り、一見するとただの小山にしか見えないような状態になっている。


ウォーキングも後半になってきたころ、ケーキ屋さんがあったので、ランチのデザート用にショートケーキを買っていく。


“天竜山の市”の広場で、ランチとデザートでしばらく休憩する。その後、曹洞宗の古刹で、可睡斎(袋井市)の末寺に当たる栄林寺に立ち寄る。


東谷山栄林寺の毘沙門天を祀る毘沙門堂。


12:50。天浜路ヘルシーウォークのゴールとなる天竜二俣駅に到着する。ここで、ウォーキングを完歩したというスタンプがもらえる。約7キロのお手軽ウォーキングだった。


しかし、ここで終わりではやや歩き足りない。そこから、さらに歩いて飛龍大橋を渡り、西鹿島駅まで歩く。


西鹿島駅まで歩くと10キロほど歩いたことになる。この辺りは何度も来たことがあるのだが、いろんな施設や名所をゆっくり見た事がなく、名前は知っていても、初めての場所が多く新鮮な気持ちで見て回ることが出来て良かった。

参考.今回のコースマップ

2020白馬スキーツアー

2020-01-20 21:51:47 | スキー
今年の初滑りも、例年通り白馬に向かう。白馬といってもいくつもスキー場があるが、今回はスキーを始めて間もないメンバーもいるので、初心者向けのゲレンデが多い栂池高原スキー場に行くことにした。通常だと、初心者向けの“鐘の鳴る丘ゲレンデ”がお勧めのゲレンデなのだが、今年は何せ雪が少ない。“鐘の鳴る丘ゲレンデ”は、所々ブッシュが出ていてアイスバーンで雪質も悪く、動いているリフトは2本のみ。それなら上部のゲレンデに行った方がいいと、ゴンドラで終点まで向かう。ゴンドラ駅を降りると、標高がある分、雪質もまずまずだ。


白馬としては気温は高く、風もないので、ゆったり滑るにはちょうどいい。視界もクリアで、進行方向は、雲海に向かって滑っていくようなイメージだ。


Gさんは、気持ちよさそうに滑っていく。


まずは、ロング林間コースだ。


Yさんも楽しそう。


コースからは、鹿島槍ヶ岳、五竜岳が良く見える。


何度かゴンドラに乗って滑った後、ゴンドラ中間駅のレストランでランチ。この日は、ハンバーガーショップで一息ついた後、外のテラスで雪景色を楽しむ。


テラスからは、白馬鑓ヶ岳、杓子岳が良く見えていた。


この日は暖かく、テラスに出ていてもそれほど寒くない。それにしても、白馬エリアは、外国人が多い。周りを見渡しても八割方外国人だ。奥に見えるネットが張られた施設は、「白馬つがいけSNOW WOW!」だ。スキー・スノボをしなくても一日楽しめるウィンターアドベンチャーパークとして昨シーズンからオープンしている。


一日滑り、最後は“鐘の鳴る丘ゲレンデ”の“とんがり帽子の塔”で鐘を突いて最後とした。


この日の夜は、ペンションオーナーのSさんと共にエコーランドの居酒屋“稗“で新年会。


居酒屋“稗“は、スキーシーズンは外国人に超人気の居酒屋らしい。日本料理なのにお店の客の8割方は外国人ばかりで、とても日本の飲み屋とは思えない。


居酒屋からは、酔いを醒ましながらエコーランドの中心部を歩いて帰る。ライトアップされたレストランやペンションがきれいだ。




翌朝、ペンションの玄関で記念写真を撮り、白馬47に向かう。


白馬47は、八方尾根スキー場とエイブル五竜スキー場の間にあるスキー場だ。名前の由来は「4シーズン、7デイズ」。一年を通して楽しめるパークにしようという意味が込められている。


白馬47は、長い林間コースが売りのスキー場だ。適度の傾斜があり、少しスキーが楽しくなってきた頃の人には、お勧めのスキー場だ。ゴンドラとリフトを使ってしょっぱなから最上部まで行く。ゲレンデからは、五竜岳の雪形「武田菱」がしっかり見える。「武田菱」とは、菱形四つを菱形に組み合わせた、戦国武将・武田氏の家紋のことだ。


半日ほど白馬47のゲレンデを滑り回るとお昼になった。ランチは、ルイスというピザ屋に寄ることにした。


ペンションのSさんお勧めのピザ屋さんだ。4人でシェアして美味しくいただいた。


今回のスキーツアーは、ここで終わりとして帰路に着く。帰り道の安曇野インター手前で、今年は白鳥が来ているのかどうか気になって白鳥湖に寄っていく。昨年は、近くで工事を行っていたので、白鳥は少なかったのだが、今年は工事も終わり、例年通り二百羽ほどの白鳥が戻ってきていた。しかもその周りには、その10倍近い鴨が泳いでいた。



2020指宿菜の花マラソンツアー:3日目鹿児島市内&桜島観光

2020-01-16 19:16:28 | 観光
3日目は、朝早く宿を出発して、一路鹿児島市内に向かう。鹿児島市内で、まず最初に寄ったのは城山公園だ。城山は市街地の中心部に位置する標高108mの小高い山で、遊歩道での散策も楽しめ、市民の憩いの場ともなっている。


展望台からは桜島をはじめ錦江湾や鹿児島市街地を一望できる。


そして、山並みの上からちょこっと頭を出している円錐状の山は開聞岳だ。城山公園から開聞岳が見えるのはめったになく、いい日にくることが出来て良かった。


城山は西南戦争の最後の激戦地となったため、西郷洞窟や西郷終焉の地など、西南戦争にまつわる史跡が多く存在している。城山公園を下り、直ぐ近くにある西郷洞窟に立ち寄る。ここにも、“せごどん”の像が建っている。


洞窟内には、西南戦争始末記として資料が展示されている。


かごしま県民交流センターの駐車場に車を置き、周辺を歩いて回る。県民交流センターの敷地内にある建物は、かつて鹿児島県庁舎本館として建てられた建物の、正面玄関と階段部分だ。大正期におけるネオ・ルネサンス様式の典型で、玄関の柱は威厳のある正面をつくり上げている。現在は県政記念館として保存され、平成20年(2008年)、国の登録有形文化財となった。


ここは、鹿児島城のお堀周辺。別名「鶴丸城」と呼ばれている。別名の由来は、屋形の形状が、鶴が羽を広げたようであったことから。現在、御楼門(ごろうもん)の復元工事が行われていて御楼門には入ることが出来ない。今年の3月には完成予定だという。


御楼門より数百m先にあるのが、鹿児島では最も有名な西郷隆盛銅像だ。わが国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちしている。道路を挟んで反対側に絶好の撮影スポットがあり。西郷さんが飼っていた犬と友に撮影ができる。ちょうど観光ボランティアの人が出てきて、しっかり写真を撮ってくれた。


西郷隆盛銅像 身長5.257メートル 5.7頭身。西郷隆盛銅像は、鹿児島市出身の彫刻家安藤照により、1937年(昭和12年)に建てられたが、太平洋戦争の空襲で亡くなったため正確な寸法がわからなかったそうだ。西郷隆盛生誕180年、没後130年、西郷銅像建立70年の節目の年にあたる平成19年の4月、県立鹿児島工業高等学校の女子生徒4名が、西郷銅像の実測に挑戦し、綿密な計算作業を経て、実測結果が算出されたという。


西郷隆盛銅像からさらに数百m先にあるのが、照国神社である。主祭神は、照国大明神(島津斉彬公)だ。


照国神社で一番印象的なのが「斉鶴」という翼を広げた大きな鳥の形の木だ。鳥居と主に、斉鶴がひときわ目立つ。


敷地内には、照国文庫資料館があり、無料で観覧ができる。中は、島津斉彬や島津氏にかんする資料が展示されている。


その後、鶴丸城内に入り天璋院(篤姫)像を見てから、車に戻る。


鹿児島港からはフェリーに乗って桜島に向かう。鹿児島市内・桜島間は24時間運航のフェリーで簡単に行きかうことが出来る。乗船時間は15分ほど。あっという間に桜島が大きくなってきた。


桜島に着くと、有名な桜島大根がお土産売り場に展示されていた。試しに持ってみると、ずっしりと重い。


一つ1500円前後で売られているが、買って帰ると荷物になるのでやめておいた。


桜島港近くにあるのは、月讀神社だ。和銅年間(708〜715年)には創設されたと伝わる由緒ある神社だ。


月讀神社は、「桜島」の名前の由来とされる「コノハナサクヤヒメ」もあわせて祀られている。 大正噴火で溶岩の下に埋没したが昭和15年現在の位置に移設された。パワースポットとしても人気の高い場所である。


月讀神社の展望台より桜島を臨む。


赤水展望広場にあるのは、桜島溶岩を使ったモニュメント「叫びの肖像」だ。2004年8月21日、桜島で長渕剛のオールナイトコンサートが開催されたのを記念して、制作されたという。


長渕剛の真似をして、叫びのポーズを取って記念写真を撮る。


まさに桜島に向かって叫んでいるかのようだ。


最後は、山道をグングン上った先にある湯之平展望所に寄っていく。標高373mのこの展望所は、4合目に位置し、桜島において一般の人が入ることの出来る最高地点だ。二百名山の桜島に足を踏んだという事にしていい場所だ。


鹿児島空港に戻り、最後に霧島連山の景色を眺め、鹿児島を後にする。


当初はあまり天気予報が良くない3日間だったが、実際行ってみたら雨には全く降られず、2日目を除けば快晴だったと言ってもいい。やはり晴れ男だと自負してもいいのかなあ。

2020指宿菜の花マラソンツアー:2日目指宿菜の花マラソン

2020-01-15 22:27:35 | マラソン
指宿菜の花マラソンは、昨年初参加したのだが、ロケーションとエイドの素晴らしさに感激して今年も来てしまった。受付会場の体育館から歩いて、スタート地点まで向かう。沿道の菜の花が今年もきれいに咲いている。


マラソンのスタートは9時だが、自分のブロックからはスタートラインを越すまで4分ほどかかった。


スタートラインの壇上では、ゲストの瀬古監督が応援してくれている。


10キロほど走ると、コース上から一瞬だけ開聞岳が見える。


昨年は、15キロくらいまでエイドがなかったが、今年は早い時点でミカンのエイドが出ていた。


昨年と同じ場所で、風車の応援もある。


池田湖が見えてくると、再び開聞岳が姿を現す。山頂付近に少し雲がかかっているのが残念だ。


おなじみの絶景ポイント。菜の花畑と開聞岳を入れてボランティアの人たちが写真を撮ってくれる。


池田湖のエイドでは、バナナやサツマイモが出る。


知覧茶のエイド辺りから、怒涛のようなエイドラッシュが始まる。


あったかい湯豆腐。


開聞龍宮太鼓の応援。


枚聞神社前を通過する。


写真を撮った時は、わずかしか残っていなかったが、美味しいタレを浸した焼きたての餅。大人気で、出てきてもあっという間に食べられていく。美味しすぎて、3切れも4切れも食べてしまう。


あったかい茶節。茶節とは指宿市一帯を中心とした薩摩半島南部の郷土料理である。鰹節と味噌、それに好みでネギ、ショウガ、卵などをお椀の中に混ぜいれ、熱い緑茶または熱湯を注ぐだけというシンプルな料理だ。


こちらは茹でたてのブロッコリー。マヨネーズをたっぷりつけて食べると美味しい。


沿道の応援では、大好きなミスチルの歌が聞こえてきた。嬉しいね。


豚汁エイドでは、大勢のランナーが立ち止まり豚汁を味わっていた。


いろんな種類のスープが楽しめるエイド。


曇り空で少し冷えてしまったランナーには、暖かい焚火が嬉しい。


淹れたてのコーヒーエイドも去年と同じ場所で開いていた。


マンゴー温室前では、新鮮なマンゴージュースが振舞われた。


これは、カツオの腹皮。腹皮と言っても“腹の皮”のことではない。マグロで言えばトロの部分のことをこの辺りでは “腹皮”と呼んでいるそうだ。カツオの腹皮は、カツオの腹の身の部分で、一番脂がのっているところだ。


ソラマメにもマヨネーズをつけると美味しい。


鉄工所のエイドでは、おなじみ足湯まで出ている。しかし、ここで足湯に浸かると走りたくなくなりそうで、そのままスルーする。


垂直に突き出した岩肌が特徴的な「竹山」が見えてきた。古来から修験道の修行の場だったと言われている。


袋に入った白い塊は何かと思ったら、なんと「綿あめ」だった。マラソンのエイドでこんなの見た事ない。


35キロ付近から海岸沿いを走る。


受付会場のあった陸上競技場に戻ってきた。トラックを半周すればゴールだ。


フィニッシュゲートを潜り、無事ゴールする。


後半少し風が出て寒くなったが、5時間23分ほどで無事完走できた。今回も景色とエイドを充分楽しむことが出来て良かった。年々、参加者が減少しているというが、全国的には満足度上位に入ると思われる大会だといえる。来年は40回という節目の年になるので、かなり盛り上がるのではないだろうか。

「2020指宿菜の花マラソンツアー:3日目鹿児島市内&桜島観光」に続く。

2020指宿菜の花マラソンツアー:1日目韓国岳登山

2020-01-14 21:54:39 | 山登り
昨年に引き続いて指宿菜の花マラソンに参加する事になった。今年で39回目となる歴史ある大会である。さて、今回もマラソンだけではもったいないので、近くの山を登ろうと、百名山・霧島山の最高峰である韓国岳に登ることにした。朝一の便で鹿児島空港に飛び、レンタカーで大浪池登山口に向かう。11時過ぎ、大浪池登山口に着くと、そこそこの車が泊まっていた。


今回のメンバーは、私を入れて6人。天気予報では、一日中曇りで翌日は雨になるとの事で、薄曇りで陽が射していなかった。


歩き出しの登山道は、しっかりで整備されていて、一般の観光客でも散策できそうな石畳の道だ。


30分ほど歩くと、薄日が差して少し明るくなってきた。


歩きだして40分。大浪池に到着する。大浪池は、霧島山にある直径630m、周囲約2kmのほぼ円形の火口湖だ。


大浪池の名称の由来は、近くの村に子供のいない夫婦がおり、山の神に祈ったところ女の子を授かり「お浪」と名付けた。美人であったため18歳になったとき結婚の申し込みをいくつも受けたが断り続けた。ある夜、彼女は山の池に飛び込み実は竜神の化身だったというもので、「お浪の池」がやがて「大浪の池」と呼ばれるようになったという。


大浪池は、西回りと東回りのコースがあり、今回は左手にある西回りコースへ向かう。


所々からブルーに輝く大浪池を望むことが出来る。そして、その先にあるお椀をかぶせたような山が霧島山最高峰の韓国岳だ。


西側を見ると、霧島高原が一望できる。いつの間にか雲が取れて青空が広がってきていた。


大浪池を半周近く回ってきたころ、韓国岳が、ぐっと近くになってきた。


火口の縁から一旦下っていく。


鞍部の分岐まで来ると、えびの高原と韓国岳の分岐だ。


東回りコースとの分岐を過ぎると、急な階段が続くようになる。


よくぞこれほどの長い階段を作ったものだと感心するほど長く続いている。


見晴らしのいい場所から後ろを振り返ると、大浪池より大分高い場所にいるのがよくわかる。


そして上を見上げると、まだまだ階段が続いている。


13:55。やっと山頂に到着する。予想外にいい天気となり、下方の大浪池がきれいに見える。大浪池を擁する火山の標高は1412m、水面の標高は1241mあり、常時水を湛える火口湖としては日本で最も高い場所にあるという。


南東側には、今も活発な火山活動を続けている新燃岳と霊峰高千穂峰もくっきり見える。まさに霧島火山群を一望だ。


韓国岳山頂1700mで山頂記念写真。


頂上から下を覗くと、直径900m、深さ300mの火口が見える。雨が続くと池ができるそうだ。


14時を過ぎており、下山を考えるとあまりゆっくりもできない。昼食休憩を少し取ってから下山を早々に開始する。


階段の段差が大きいので、下りも慎重に下りないといけない。


分岐から登り返すと、やっと大浪池が見える場所まで戻ってきた。


大浪池西回りと東回りの分岐まで戻ってきた。


東回りのコースは、西回りよりは少し時間がかかるようだ。


大浪池からは、整備された石段の道を下っていく。


16:45。無事、全員登山口に到着する。お疲れさまでした。


その後、指宿まで2時間以上かけて移動する。宿に着いてから、食事もしないで砂蒸し風呂に直行する。10分ほどの砂蒸しだったが、十分体が温まった。


21時過ぎ、宿に戻り、遅い食事をとってから翌日のマラソンの準備をして眠りに着く。長いけど充実した一日だった。

参考1.韓国岳のコースマップ


参考2.韓国岳の高低図とコースタイム


「2020指宿菜の花マラソンツアー:2日目指宿菜の花マラソン」に続く。

2020山梨・竜ヶ岳

2020-01-06 23:18:30 | 山登り
2020年最初の山は、山梨県の竜ヶ岳に登ることになった。竜ヶ岳は、朝霧高原の北西に位置し、山の上部は笹原に覆われている。龍神にまつわる伝説があり、富士山が噴火した際に、本栖湖に潜んでいた竜が流れ出た溶岩の熱さのために逃げ出し、小富士に登って竜ヶ岳と呼ばれるようになったといわれている。本栖湖からは往復3時間半くらいで登れる山で、ちょっとした足ならしにはいい山である。今回登ることにしたのは、この時期は、竜ヶ岳山頂からダイヤモンド富士を眺めることのできるというのが、一番の決め手となった。

ダイヤモンド富士をまだ見た事がなく、以前から一度は見てみたかったのだ。いろいろ情報を調べると、元旦から3日くらいまでが、ジャストミートで山頂からダイヤモンド富士が見られたそうで元旦には500人もの登山者が夜明け前から登っていたそうだ。行くことにした日は5日だったので、太陽の出る場所が富士の山頂から少しずれてしまうらしい。この日だったら、竜ヶ岳山麓にある富士本栖湖リゾートの竜神池からが最適だという事で、急遽最初の目的地を変更し、富士本栖湖リゾートに向かう。

富士本栖湖リゾートは、春には芝桜の景勝地として賑わう場所だ。年末から正月の時期は、ダイヤモンド富士鑑賞会と称して、早朝の時間帯だけ入場ができる。入場料を払って駐車場に入ると、思いのほかたくさんの車が止まっていてビックリ。これは、急いでいかないと撮影のいいポイントがなくなってしまうと焦る。会場となる竜神池まで行くと、やはりいいポイントは大勢のカメラマンで抑えられていた。


池のすぐ前はもう入れないので、少し後ろの小高い場所でカメラを構え、ご来光の一瞬を待つ。


8:02。富士山の山頂から厳かに太陽が上がってきた。


山頂からと、湖面に映る二つのダブルダイヤモンド富士だ。竜ヶ岳山頂から見るのもいいが、ここのダブルダイヤモンド富士は一番いい。ちょうどいい日に来て見ることが出来て最高に良かった。


富士本栖湖リゾートから竜ヶ岳登山口までは5分くらいで移動する。本栖湖キャンプ場にある竜ヶ岳登山者用駐車場も、思ったよりたくさんの車が止まっていた。これらの車も、山頂でダイヤモンド富士を眺めるために登っていった登山者の車だろう。


本栖湖キャンプ場の中を通り、登山口に向かう。


ここからが竜ヶ岳の登山口だ。


落葉樹の森の中を進んで行く。


木々の間から、大きく富士山が見える。もう太陽がだいぶ上に上がってしまっている。


南側の斜面になるため、雪が解けて登山道が所々ぬかるんできている。


立派な霜柱がバラバラになっている。


さらに上に上がると、登山前に立ち寄った富士本栖湖リゾートの竜神池が良く見える。雪で白くなっているところは、春先には芝桜でピンクに染まっているはずだ。


富士の裾野には、広大な樹海が広がっている。


歩き出して1時間20分ほどで東屋のある展望台に着く。日の出までに山頂に着くのが無理なら、この東屋辺りでダイヤモンド富士を眺めるのもいいかもしれない。


東屋から前に見えるこんもりとした山は、山頂ではない。山頂は、まだ見えないその先にある。


本栖湖畔に下りる登山道の分岐点。


分岐点から30分ほどで竜ヶ岳山頂1485mに到着する。見晴らしのいい広場となっていて、富士山の絶好のビューポイントだ。私が登っていくときは、下山する登山者ばかりだったので、山頂にいたのはわずかな登山者しかいなかった。この時期、竜ヶ岳に登る登山者は、ダイヤモンド富士を見るために日の出前から登るのが主流らしい。


山頂の西側を眺めると、聖岳や赤石岳、荒川岳などの南アルプスの景色が素晴らしい。ドローンも飛んでいる。


富士の裾野に沿って下を見ていくと、駿河湾がキラキラ光っている。この日は、風がなくて雲もなく最高の天気だった。


山頂周辺には、雪も結構積もっている。


山頂でのんびり食事をしてから下山する頃、登山者が多くなってきた。第2の登山者のピークが始まったようだ。下山は、本栖湖畔への登山道に向かう。本栖湖に飛び込んでいくかのような登山道だ。下り始めは、北側斜面で登山道が凍っていて滑りやすかったのでアイゼンを装着する。


長いつづら折れの登山道を終えて、やっと湖畔側の登山口に到着する。


しばらくは、舗装道路を歩く。


車止めのゲートを抜けて駐車場に向かう。


本栖湖のブルーの湖面がきれいだ。


12:47。駐車場に到着する。


その後、本栖湖のリゾートホテルの日帰り温泉に入ってから朝霧高原経由で帰路に着く。途中、朝霧高原で昼寝をしている牛たちの群れがのどかだった。


参考1.竜ヶ岳のコースマップ


参考2.竜ヶ岳の高低図とコースタイム