とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

明日から、お遍路第2ステージへ

2015-03-31 21:35:02 | 呟き
四国から帰ってきて三日が経った。撮り貯めたビデオを見たり、図書館で借りた本を読んだり、
畑仕事等雑用があったりして、あっという間に過ぎた気がする。
今日は、会社に顔を出し退職の事務手続き等を済ませ、本当に最後の挨拶をする。
女子社員に花束をもらい、これで最後だなあと思うと感慨深いものがあった。

さて、明日からお遍路第2ステージとなる。
今回は、8日間でいったん戻り、4月中旬から第3ステージとして再度四国に向かい、4月下旬で結願の予定だ。
今週は、ずっと天気が悪いようだが、雨の中でも花遍路を楽しみたいものだ。

久しぶりに畑へ

2015-03-30 21:42:41 | 
一ヵ月ぶりに畑を見に行った。とりあえず植えるものはないが、草が生えないよう一通り耕耘機で全面耕す。これでしばらく、ほおっておいて大丈夫だろう。


2月末に植えたジャガイモの芽がやっと少し出ていた。これから一気に芽吹いてくる事を期待したい。


またボタンの木も葉がふさふさと茂り、蕾も大きくなってきていた。




ほかにもいろんな花が咲き始めており、春らしくなっていた。





2015四国八十八ヶ所巡り:番外編5-内子町観光

2015-03-29 10:48:05 | お遍路
内子町には歌舞伎劇場があると、くーかいさんが教えてくれたので、まずは行ってみようと思っていた。運がいい事に泊まる宿のすぐ近くだ。受付終了時間が16時半だったので、宿のチェックインをする前に先に見ていく事にした。

劇場へと続く路地沿いにも幟旗が何本も掲げられ、歌舞伎劇場があることを猛烈にアピールしていた。狭い路地を曲がると歴史的価値がありそうな「内子座」がドーンと建っていた。この建物は、明治末から大正にかけて内子の町が木蝋や生糸などの生産で栄えていた頃、地元の人々の娯楽の場として発案され、大正天皇の即位を祝して地元有志の出資により創建されたという。




受付を済ませ、中の廊下に入ると歴代の歌舞伎役者の写真が飾られていた。


そして、劇場内に入ると昔ながらの枡席に区切られている。うしろから前に向かっては傾斜になっていて、二階席もあり、花道もしっかり付いている。できれば、歌舞伎をやっている時に入ってみたかった。




奈落の入り口。舞台裏まで見せてもらえるのだ。




奈落とは、舞台の下や歌舞伎の花道の床下の空間のことで、廻り舞台や迫り出しの装置があるほか、通路にもなっている場所の事だ。


そして、翌日は内子町でもかなり山奥にある見どころ見学だ。こちらは、神戸のイノさんの情報で行ってみる事にした。内子の町から麓川をさかのぼったところにある、棚田の田園風景が広がるエリアである。地元の人々が作った石畳清流園では、水車を回して精米をしているそうだ。




ただ残念なことに、水量が少ないのか水車は回っていなかった。




次に向かったのが、弓削神社だ。入り口には、太鼓橋と呼ばれる屋根付橋があり、橋を渡って神社に入っていく。鬱蒼と樹木が茂り神秘的な雰囲気がする。






弓削神社の創建は応永3年(1396年)と伝えられているそうだ。氏子の人々は「日参り信仰」を続け、1日も欠かすことなく旗を掲げ、五穀豊穣と家内安全を祈願しているという。




屋根付橋の前には、太子堂もあった。


弓削神社から少し下ったところに、「東のしだれ桜」がある。まだ早いかとは思っていたが、案の定早かった。樹齢350年ともいう立派なヒガンザクラだが、このところ寒かったせいか、見頃になるには10日くらい先のようだ。それでも、朝から地元の人たちが総出で桜祭りの準備をしていたのが面白かった。






最後に寄ったのが、弓削神社と同じく屋根付の「田丸橋」だ。生活道路としてはもちろん、農作物の保管場所や井戸端会議の場所としても利用されていたというが、屋根付きの橋というのは他では見たことがない。




この橋は、ドラマ『坂の上の雲』で、正岡子規の妹・律が幼馴染の真之を追いかけて駆けていく場面が撮影されたという。残念ながらそのシーを見てはいないが、どちらかというと映画「マディソン郡の橋」の日本版のような気がした。




さて、これ以上いろいろ見て回るとタクシーメーターの上がり具合も気になってくるので、そこそこにして内子駅に戻った。くーかいさん、神戸のイノさんのおかげで、面白いものを見ることができて良かった。今後とも、いい情報の提供をお願いします。ありがとうございました。

2015四国八十八ヶ所巡り:内子町~自宅(第1ステージ終了)

2015-03-28 19:18:56 | お遍路
宿泊した「松乃屋旅館」には、38年前だが「男はつらいよ 19作」の山田洋次監督、渥美清、真野響子、嵐寛寿郎等が宿泊したらしい。大洲でロケが行われたが、宿泊は内子だったようだ。


7時45分。「松乃屋旅館」を出発する。


旅館を出て、しばらく行くと川沿いに桜が見えた。しだれ桜並木だ。まだ、7~8分咲くらいだが、このくらいなら午後にはもっと見頃になっていたかもしれない。




その後、内子駅まで歩いていったが、まだ午前8時で時間がありすぎる。やはり神戸のイノさんが教えてくれた屋根付きの橋などを見に行きたくなり、ちょうど駅前で止まっていたタクシーで行ってみる事にした(詳細は、番外編5で)。

1時間ほどのドライブの後、内子駅に戻り、松山行きの特急「宇和海」に乗る。


松山で、特急「しおかぜ」に乗り換え、岡山まで向かう。


お昼は、松山駅で買った「マドンナ弁当」だ。




丸亀駅付近からは、おむすびのような形の飯野山(通称:讃岐富士)が見えた。ちょっと登山意欲を掻き立てられる山だ。


そして、瀬戸海峡大橋を渡り、いよいよ本州に入っていく。これで、四国とはお別れだと思うと名残惜しい気分だ。




夕方、無事自宅に帰る。家に帰って、靴底を見たらこんなにも減っていた。良くも頑張ってくれたものである。ついでにザックの重さを測ってみたら10キロ近くあった。次回は、もう少し軽くしなくては…。


今日の歩行距離:0.6キロ(通算727.6キロ)
今後の予定:第2ステージ 4月1日より。

2015四国八十八ヶ所巡り:番外編4-城下町大洲街並みぶらり散歩

2015-03-27 20:23:44 | お遍路
大洲の観光案内所で大洲街並みマップを貰い、お遍路の途中だがちょっと散策していく。

これは、臥龍山荘。ミシュランで一つ星を獲得した山荘庭園だという。中までは行かず、遠くから眺めただけ。


まちの駅「あさもや」から少し歩くと、おはなはん通りがある。


おはなはんは、昭和41年に放送されたNHK朝ドラだ。かなり古いドラマだが、記憶があるドラマだ。


主役の樫山文枝と高橋幸治の写真が飾られていた。




これは、何の変哲もない郵便ポストだが、ドラマ「東京ラブストーリー」でリカが別れの手紙を出したポストだという。誰か、そのシーンを知っているのだろうか?


思ひ出倉庫。古い土蔵を改装して造られた、昭和がテーマのスポット。


ポコペン横丁。「大洲まぼろし商店街2丁目」という昭和30年代の町並みが再現されている。交番、床屋、薬局、雑貨屋などが並んでいる。ホーロー看板が、どれも懐かしい。






赤煉瓦館。明治時代の銀行だった建物だ。




別館では、懐かしい映画ポスターが展示されている。入り口では、オードリー・ヘップバーンが迎えてくれた。


懐かしい映画ポスター満載で嬉しくなってしまう。




ビビアン・リーもいた。


チャップリンのポスターも貴重だ。


二階には、「花子とアン」のポスターも…。


二階は、「赤毛のアン」をテーマにした展示館だ。






赤煉瓦館の煉瓦には、子供の手型が付いているとか。


これが、どうやら手のあとらしい。


次に向かったのが、お殿様公園にある大洲藩主加藤家住居だ。


何故ここに行ったかというと、実はここで「男はつらいよ 第19話」のロケが行われたと地図に書いてあったからだ。寅さんをはじめ、キャストの人たちの写真が飾られていて得した気分だった。もう一度DVDを見てみることにしよう。




そして、最後に大洲城を見に行く。


大洲城は、2004年に市民の寄付等により復元されたそうだ。4層4階の天守閣が素晴らしい。




大洲城のサクラの開花も、まだだった。満開になれば、賑わいそうな場所だ。


ひとしきり、大洲の町並み散歩を終え、遍路道に戻った。

2015四国八十八ヶ所巡り:西予市宇和町~内子町

2015-03-27 19:05:24 | お遍路
7時30分。「宇和パークホテル」を出発する。いよいよ今日が第1ステージ最後の遍路となる。


しばらくは、車の往来が多い国道56号線沿いに進む。


9時03分。国道の鳥坂トンネルと遍路道の分岐に来る。トンネル経由だと25分。遍路道経由だと60分とあるが、騒音が大きく排ガスも多いトンネル歩きより、迷わず遠回りの遍路道を選択する。


鳥坂番所跡から、山道に入っていく。




車が通らない山の遍路道のほうがずっといい。


9時34分。鳥坂峠を越える。


しばらく進むと、日天社に着く。お日様、お月様を神様として祀っている神社だ。ご神体は、円形の石で梵字が刻まれている。




9時55分。トンネル出口に到着する。やはり1時間近くかかった。


そして、しばらく進むと大洲町に入る。


11時40分。大洲まちの駅「あさもや」に到着する。レストランがあったので、ここで日替わりランチを頼む。その後、ランチとは別に、お接待としてコーヒーとフルーツをご馳走になる。こういった所でも、お接待の文化が根付いているのが嬉しい。


さて、この大洲の町は、城下町の町として街並みをぶらりと散策できる。いろいろ見所がありそうなので、ここでも寄り道をして街並み散歩をしていくことにした(詳細は、番外編4で)。

13時10分。大洲街並み散歩を終え先へと進む。大洲城ともサヨナラだ。


14時04分。番外札所「十夜ヶ橋」に到着する。


この先にある橋は、弘法大師が行脚のおり、日が暮れてしまい、泊まるところもなく空腹のまま小川に架けた土橋の下で野宿をした場所だという。その折、一夜限りとはいえ夜明けまでの時間が十夜の長さに感じられ「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠ったことから十夜ヶ橋と名がついたといわれている。この事から、橋を渡る場合は、杖を突いてはいけないと言われている所以である。




15時31分。内子町に入る。


15時42分、再び里山の遍路道に入る。


里山から市街地に入ると宿はもうすぐだったが、宿のすぐ近くに「内子座」という歌舞伎小屋があった。宿が近くとはいえ16時半までで見学終了となっていたので、先に中を見学していく(これも詳細は番外編5で)。

16時半。やっと「松乃屋旅館」に到着する。第1ステージ最後の宿となり、高級そうな和風旅館で、最後の宿としてはふさわしいかもしれない。夕食も食べきれないくらいいろんな料理が出て大満足。今日は、しっかりくつろぐぞ!

今日の歩行距離:30.6キロ(通算727.0キロ)
明日の予定:第1ステージ終了 自宅へ。

2015四国八十八ヶ所巡り:番外編3-愛媛県歴史文化博物館

2015-03-26 19:11:58 | お遍路
愛媛県立宇和高等学校の横から長い坂道を上っていったところに「愛媛県歴史文化博物館」がある。小高い丘の上にあり、愛媛県の歴史や文化をひとまとめにした大きな博物館であった。一つの県で、県の歴史や文化をこれだけ大きな建物で展示しているのも珍しい。他の県では、このような施設はあまりないような気がする。


まず最初に見たのが、和紙彫塑による「弘法大師空海」の世界という展示だ。和紙彫塑家・内海清美氏が「四国遍路文化」の根底である空海の半生を人形群で表現したものだという。


すべて和紙で作られた人形の精密さに感心する。






普通、こういう展示は写真撮影が禁止となっているのだが、これだけはOKとなっていたので何枚も撮らせてもらった。




その後は、部屋ごとにテーマが決まっていて、愛媛の原始・古代の展示だ。因みに写真は、撮影OKのものだけだ。これは古代の住居模型。


中世。武家社会下の伊予。当時の船や山城の模型。




近世。幕藩体制下の伊予。城下町や宇和島城、大洲城の模型。






愛媛のくらし。民家のくらしの様子などの展示。




近・現代。愛媛県の誕生と歩み。市内を走っていた電車だ。


懐かしい駄菓子屋の様子も再現されている。




くすりや。


おもちゃ屋。


昭和30年代頃の一般家庭の再現。三丁目の夕日の世界だ。




祭りと芸能では、大きな牛鬼が展示されている。


そして、だんじり。


四国お遍路に関する展示もあり、このお遍路さんは、近代の姿だ。


ほんの少し、時間つぶしになればいいという気持ちで入ったが、なかなか立派な博物館で思ったより時間がかかった。お遍路さんのコーナーは、もっとじっくり見たかったが、あまりのんびりすると後が大変なので、このあたりで帰ることにした。

2015四国八十八ヶ所巡り:41番~43番

2015-03-26 17:35:33 | お遍路
6時50分。民宿「みま」を出発する。大きなお屋敷のような民宿だった。


今朝も冷え込んでいて、田畑には霜が降り肌寒い朝だった。田園の中をまっすぐ歩いて行く。




7時20分。41番札所龍光寺に到着する。


龍光寺は小高い丘の上にあり、集落を見渡すことが出来る。朝の空気が冷たくて気持ちいい。


龍光寺の巡拝が終わり、42番札所への遍路道に進む。お墓の間から龍光寺が見える。


8時15分。42番札所仏木寺に到着する。龍光寺から2.6キロ程で近い場所だった。


43番札所までは10.6キロあり、そこそこ歩く。松山自動車道の横から山道に入り、歯長峠、歯長隧道を越えていく。最高点で標高450mあり結構歩きがいがあった。歯長峠を下りてきた所にあるのが歯長地蔵だ。その横には、「おへんろさんのお墓」があり、昔険しい歯長峠越えで力尽きて行き倒れたお遍路さんのお墓だという。


10時56分。道の駅「どんぶり館」に到着する。今日は、ここでランチだ。


12時15分。43番札所明石寺の奥の院である「白王権現」まで来た。本尊より先に奥の院に来てしまったようだ。


12時17分。大きな石の鳥居が見えてきた。


黄色い花の咲く坂道を上がって行く。


12時24分。43番札所明石寺に到着する。


今日の宿泊地は、明石寺から3.3キロしかない。このまま行ってしまうと13時半前には着いてしまう。とはいえそこに泊まらないと、次の宿まで15キロ以上もあり、とても歩けないので今回は近くの宿にしたのだ。ただ、時間が早いので何とか時間をつぶさねばならない。ちょうど明石寺から下りてきたところに「愛媛県歴史文化博物館」があり、そこを見学していくことにした(詳細は、番外編3で)。

1時間以上博物館で見学をした後、宿に向けて先に進むと愛媛県立宇和高等学校があった。


この高校の男子が、昨年の全国高等学校駅伝競走大会で愛媛県代表として、都大路を走ったようだ。


15時半。「宇和パークホテル」に到着する。チェックインには、ちょうどいい時間だった。

今日の歩行距離:20.2キロ(通算696.4キロ)
明日の予定:西予市宇和町~内子町まで。

2015四国八十八ヶ所巡り:番外編2-遍路道の道しるべ

2015-03-25 20:07:45 | お遍路
遍路道を歩くには、当然地図がないと歩けない。ほぼ100%のお遍路さんが持っているのは、へんろみち保存協力会編「四国遍路ひとり歩き同行二人」という本である。遍路道に特化した地図で、歩き専用、車用、歩き&車のルートがわかりやすく表示されている。分岐ごとに距離が示されているので、この地図で歩いた距離を大体知ることが出来る。また、コンビニや食堂、宿が記載されているので歩く上での重要な情報も満載だ。特に、札所、宿間の距離もわかるので計画を立てる上で役に立つ。もちろん宿の電話番号も記載してある。毎日、この地図とにらめっこしながら歩いているのである。ただ、地図表示が必ず北が上になっていない事や、複数の遍路道が一つのページに載っていないので遍路道の全体像がとらえにくいという欠点はある。また、コンビニや食堂のデータが古い場合もあり、実際通ってみたら何もなかったという場合もあった。それでも、お遍路さんにとってなくてはならない大事な地図本である。


さて、実際遍路道を歩くと、電柱やポール、ガードレールにいろんなお遍路シールが貼られているのを見る。








これは、外国人向けのシールだ。


案内札もいろんなものがある。




なかには、いろんな団体が貼ったシールだらけの電柱もある。


いずれも、お遍路さんにとっては、ありがたい道しるべとなり、これを頼りに歩けば迷うことはない。たくさん貼ってある区間は地図を見る必要がないときもある。ただ、シールが貼ってない区間もあり、わからなくなったら地図を見て確認することは必要だ。また、現在地を常時確認していくことも大事である。

こちらは、国が設置した道標。「四国の道」のロゴマークが、まさにぴったりの絵柄になっているのが素晴らしい。


これらの道しるべのおかげで、昔のお遍路さんに比べ、今はずっと歩きやすくなっているのである。

2015四国八十八ヶ所巡り:宇和島市津島町~宇和島市三間町へ

2015-03-25 18:59:27 | お遍路
泊まった民宿は、釣り客が多いらしく、釣り船が何隻も停泊し、いいポイントがあるようだ。


7時35分。民宿「西遊漁センター」を出発する。いつもより1時間朝食時間が遅く、スタートも遅くなってしまった。


7時58分。嵐坂トンネルを通過する。こちらは、歩行者・自転車専用トンネルだ。昨日通ったトンネルも車と別になっており、お遍路には優しい。風の通り道と名前がついているだけに、風は強い。


国道沿いの植え込みには、霜が降りていた。どうりで、朝冷えていたわけだ。


9時23分。津島大橋を渡る。




川沿いには、桜並木があったが、まだ開花している木は少ない。


1本だけは、数輪の開花が見られた。


10時13分。国道56号の松尾トンネルに到着する。このトンネルは、全長1710mあり車両通行量が多いため、排ガス充満の状態になると地図には書いてある。


そんなトンネル内は歩きたくないので、脇道にある遍路道から山越えのコースに向かう。


やはり車が通らない山道のほうがいい。


頂上には、遍路小屋があった。


山を越え、下って行くと道路工事の現場になった。


工事現場を過ぎると、今度は採石場の横を通る。ほこりが飛び交いダンプの通行量も多いので、足早に通り過ぎる。


宇和島市街地に入っていくと、馬目木大師がある。名前の由来は、弘法大師が馬目木(ウバメガシ)の枝を立てておかれたら、いつしか根づいて葉がしげるようになったことによる。


市街地を歩いて行くと、宇和島城の看板を見つける。すぐ近くだったので、宇和島城を見て行くことにした。


急な石段や坂を上がって行くと、サクラの木があり、満開間近となっていた。


さらに上に行くと天守閣があり、宇和島城に到着だ。残念ながら、天守閣前のサクラはまだまだ開花が遅れている。満開だったら、お城をバックにいい写真が撮れたのだが…。




天守閣からの宇和島市街の展望は素晴らしい。


天守閣内部も見学していく。




宇和島市街地からJR予土線沿いの道を歩く。この辺りのサクラも、やっと開花が始まったばかりだ。


16時26分。民宿「みま」に到着する。スタートが遅かった事と、宇和島城に寄ったのでいつもより遅い時間になってしまった。


今日の歩行距離:32.0キロ(通算676.2キロ)
明日の予定:43番札所まで。