とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2012年の山を振り返る

2012-12-31 08:00:14 | 山登り
今日も昨年と同様、最後に1年間の山登りの状況をまとめてみた。今年の前半そこそこの山登りに行けたが、後半はランの割合が多かったり、雨で中止したりであまり山に行けなかったのが残念だった。来年は、東北の山にも少し足を延ばしてみたい。

1.1月 城山342m~葛城山452m~発端丈山408m(静岡県伊豆)
 正月休みに夫婦で登る。城山山頂は、我々だけで山頂を独り占めだった。天気が良く富士山や駿河湾の景色が良く見えた。
2.1月 丹沢縦走 鍋割山1272m~塔ノ岳1491m~丹沢山1567m~蛭ヶ岳1673m(神奈川県) 
 数年前、大雪で蛭ヶ岳手前で引き返したことがあり、今回はそのリベンジだった。霧氷や相模湾の景色、富士山の雄大な眺めを堪能し、無事リベンジを果たす。冬の丹沢は最高だ。
3.3月 毛無山1500m~十二ヶ岳1683m(山梨県)
 3月とはいえ、毛無山から十二ヶ岳まではかなりの雪だった。急斜面に張り付いた雪は凍りつき、滑落の恐れが何か所もあり、一同決死の山行となった。一緒に上った犬たちも震える有様で、安全の為、鬼ヶ岳は断念しエスケープルートで下山する。
4.4月 岩岳山1369m(静岡県)
 天然記念物のアカヤシオの花を見るため、大勢で登る。予想通り、見事なアカヤシオの群落を観賞しながらの山行となった。山頂での食事も豪華で楽しめた。
5.5月 奥三河縦走 岩古谷山799m~平山明神山970m~大鈴山1011m~鹿島山912m(愛知県)
 奥三河の超弩級コースというガイドブックの解説通り、凄い登山道だった。幸い経験者がいたのでルートを外すことなく無事全山を縦走できた。低山とはいえ侮ってはならない山だった。
6.6月 大日ヶ岳1709m(岐阜県)
 登山口に着くころ雨が止むと信じ、大雨のなか登山口まで向かう。予想通り雨は上がり登山を開始する。山名の由来は、泰澄上人が大日如来を山頂に祀り開山したことによる。山頂には大日如来がしっかり祀られていた。
7.7月 巻機山1967m(新潟県)
 巻機山は、美女が機織をしていたという伝説に由来し、機織の神として山麓の人々の信仰を集めている山である。百名山の一つであり、山頂付近は素晴らしかった。特にニッコウキスゲやワタスゲの群落、池塘や雪渓も見ごたえがあった。
8.8月 富士山3776m(静岡県・山梨県)
 富士山頂往復マラニックのコースの一部として登る。富士山頂はこれで4回目となった。
9.8月 燧ケ岳2356m(福島県)
 尾瀬が好きで、何度も登った山であるが、今回は福島県側から初めて登る。登り始めが雨で景色がいまいちだったが、後半晴れてきて尾瀬らしい池塘やお花畑を堪能できた。
10.8月 会津駒ケ岳2132m~中門岳2060m(福島県)
 桧枝岐村に泊まり、村内の登山口から登る。山頂周辺は女性的な緩やかな斜面となり、お花畑と景色を堪能する。会津駒ヶ岳から足を延ばし中門岳まで行く。中門岳の周辺も大きな池塘があり、絵葉書のような景色が楽しめる。帰り道、燧ケ岳がよく見えた。
11.8月 籠ノ登山縦走 水ノ塔山2202m、東籠ノ登山2227m、西籠ノ登山2212m(長野県)
 籠ノ登山とは、水ノ塔山、東籠ノ登山、西籠ノ登山の総称だ。秋に近くなりヤナギランやマツムシソウがきれいだった。山頂からの展望が素晴らしく池の平湿原を回って登山口に戻る。
12.10月 高妻山2353m(長野県)
 2度目の山であるが、kazukawaさんの百名山全山登頂記念登山として同行する。長い登山コースだが、全山燃えるような紅葉に息をのんだ。天気も素晴らしく、信越の山々の展望も素晴らしかった。

2012年のランを振り返る

2012-12-30 00:05:14 | マラソン
今年は昨年以上のエントリー数になった。何といっても100キロ以上のマラソンに7回も出てしまったことが大きい。まあ、ほとんど制限時間ぎりぎりだったのでダメージが少なく無駄な体力を使うことなく走ることができたのに尽きるかもしれない。しかし、大会以外の時は、ほとんど走っておらず、大会が練習のようになってきてしまっている。

1.1月 湖西連峰トレイルラン 22.4キロ
 今回は、80数名の参加となり過去最大の人数になった。全参加者のうち、48名が初参加ということで若いランナーが増えた。宴会も大いに盛り上がった。
2.2月 森町ロードレース ハーフ
 「森の石松」で有名な森町なので、石松風の股旅姿で走る。山草人さん、ひろさんも同じ仮装でスタートは3人一緒だった。おかげで応援がいつもに増して多かった。   。
3.2月 清水いいとこマラニック 35キロ
 清水といえば「清水次郎長」一家である。「森の石松」が清水にも参加して股旅5人衆で走る。茶娘も加わって、日本平山頂では大人気だった。
4.2月 浜松シティマラソン ハーフ
 今年は市制100周年の記念大会ということで、10マイルからハーフに格上げとなり、コースも一部変更で市役所前をスタートする。参加者も増え、賑やかな大会になった。
5.3月 小豆島・寒霞渓100キロウルトラ遠足 100キロ
 よっぴーさん、うっちゃんと共に小豆島へ遠征である。アップダウンの激しいコースと聞いていたが、日没前にゴールできて意外と調子よく走ることができた。
6.3月 遠州三山エンジョイマラニック 26キロ
 遠州三山として有名な袋井市の由緒ある寺院、可睡斎(かすいさい)、油山寺(ゆさんじ)、法多山(はったさん)を巡る「遠州三山エンジョイマラニック」に参加する。春のお彼岸時に三山を楽しく走ってきた。
7.3月 穂の国豊橋ハーフマラソン ハーフ
 豊橋のラン友が数多く出る大会なので、今年もみんなに会いたくて参加する。例年桜並木の下を走るのが楽しみだったが、今年は桜が開花してなかったのが残念だった。
8.3月 遠州山辺の道マラニック 30キロ
 私が企画したコースで2回目の開催となった。当初、十数名くらい集まりそうだったが、当日大荒れになるという天気予報となり、私を入れて6名という寂しいスタートとなった。それでも途中から2名雨にもかかわらず参加してくれて嬉しかった。
9.4月 お花見天竜マラニック 42キロ
 これも私の企画したマラニックで第9回となる。先週は、大雨だったが、この日は朝から快晴と絶好のランニング日和となった。熊の桜はまだだったが、その他の場所は満開とお花見がしっかりできた。
10.4月 天女の羽衣伝説マラソン 70キロ
 この大会は周囲7キロ弱の余呉湖を10周回り、トータル70キロを走る大会である。去年に続き2回目の参加。翌日は長浜の曳舟祭りなどを観光して楽しんだ。
11.4月 チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 100キロ
 先月の小豆島に続いて2ヶ月連続の100キロマラソンだ。参加者が3600名にもなったということで、会場に向かうシャトルバス乗車に時間がかかり大いに焦った。
12.5月 小笠原ネイチャーマラニック 母島 15キロ
 小笠原諸島が世界遺産に認定されたということで、ヒロボーさんの呼びかけで15名が27時間の長い船旅を経て小笠原諸島に向かった。3日めにまず母島を走る。母島の小富士から見た景色は、絵葉書で見た写真そのままだった。
13.5月 小笠原ネイチャーマラニック 父島 34キロ
 母島を走った翌日は、小笠原諸島最大の父島をほぼ一周する。アップダウンがきついコースだったが、朝からいい天気となりボニンブルーの青い海が素晴らしかった。まさしく世界遺産として永遠に保存したい風景に感動だった。
14.5月 星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン 100キロ
 3か月連続の100キロマラソンで初参加の大会だった。「野辺山を制するものはウルトラを制す」と言われているだけあってきつかったが、制限時間ぎりぎりでゴールする。
15.5月 佐久間水窪スーパーマラニック 60キロ
 しんしんさん呼びかけ大会。1週間前100キロを走った後なので、果たしてまともに走れるか心配だったが、意外と後遺症もなく、なんとか無事に走ることが出来た。
16.6月 夢街道 102キロ
 台風の影響で青崩峠が通行止になり、兵越峠を経由するコースに変更になったため90キロのはずが102キロになった。結局4か月連続の100キロになってしまったが、かっちゃん、ともちゃんと励ましあいながら無事完走する。
17.6月 湖北連峰下見トレイルラン 18キロ
 「湖西・湖北連峰縦走トレイルラン」の下見をしようというヒロボーさんの呼びかけに応じて湖北連峰下見トレイルランに行ってきた。今回は、あまり走った事のない湖北連峰だけを対象に走る。
18.7月 石巻登山マラソン 15キロ
 7月の暑い時期に、石巻山の麓から354mの山頂近くまでを駆け上がり、山の中の林道を往復してもう一度麓まで下り、さらにもう一度山頂近くのゴールに駆け上がるという結構ハードな大会である。スタート時小雨で走りやすく、ゴール後のビールがうまかった。
19.7月 浜名湖サマーラン 34キロ
 今回も真夏のくそ暑い時期に50名近くのランナーが集まった。暑いのは苦手で、走れるかどうか心配だった。後半予想通り暑さでかなりへばったが、後続のランナーの走りに励まされ無事完走した。
20.7月 夜叉が池伝説マラニック大会 145キロ
 二日間で145キロを走るこの大会にも初参加する。一日目は45キロだったが雨で涼しく快調に走った。二日目も意外と涼しかったが、夜叉が池までの上りはきつかった。後半、ランナーが急死という事故があり大会が打ち切りとなってしまう。結局トータル93キロで終ってしまった。
21.8月 富士山頂往復マラニック 110キロ
 3回目の挑戦も、5合目まで下ったところでリタイアする(65キロくらいか?)。下山途中で転んで胸を打撲したので気持ちが萎えてしまった。富士山頂往復のゴールは、まだまだ遠い。
22.9月 東京スカイツリーいいとこエンジョイマラニック 28キロ
 夜行バスで東京に向かい、新しいシンボルタワーのスカイツリーと、東京の知らない名所を探訪しながらの楽しいマラニックだった。帰りは新幹線で帰る。
23.9月 東尋坊愛の100キロマラニック 103キロ
 小豆島ウルトラに参加したとき貰ったチラシを見て参加。大会当日は、かなりの高温となり多くのランナーがリタイアしたなか、なんとか完走する。ただ、最後の10キロが予想外に長かった。実際は13キロくらいあったらしい。
24.9月 チャレンジマラニックin遠山郷 55キロ
 こちらも毎年参加している大会。エイドによるのが一番楽しい大会である。このマラニックの心得、1.ランナー同士、地元民との交流を楽しむべし、2.遠山の自然を満喫すべし、3.出されたものは必ず食べるべしを守って走る。
25.10月 小笠原ネイチャーマラニック同走会 23キロ
 小笠原ネイチャーマラニックに参加したランナーが集まっての同走会。参加者の一人のIさんの別荘に宿泊し、翌日乳岩峡、鳳来湖を回るコースと百の滝を回るコースを走る。
26.10月 島田大井川マラソン フル
 秋のフルマラソンシーズンに向けて参加する。今年も雨の中、寒い一日だった。
27.11月 小笠山トレイルラン 26キロ
 この大会も何度か参加しているが、今回は初めて六枚屏風というすごい岩壁に寄り道する。宴会終了後、つま恋のイルミネーション見物もできて楽しめた。
28.11月 大井川紅葉マラニック 60キロ
 久しぶりに、このマラニックに参加する。行きは大井川鉄道のSLに乗車し、観光気分だ。翌日、SLを何度も見ながら川根温泉まで走る。寸又峡の紅葉が素晴らしかった。
29.11月 ジュビロ磐田メモリアルマラソン ハーフ
 昨年は、エントリーしなかったが、コースも雰囲気も変わったということで参加する。園児の応援がいたるところであり、かわいい応援に励まされた。
30.11月 大阪マラソン フル
 国内では、東京マラソンに次ぐ規模の大会だ。大阪らしく応援は賑やかで最後まで楽しめた。大阪まで行ったついでなのでUSJにも泊まって遊んできた。 
31.12月 袋井クラウンメロンマラソン フル
 二週連続のフルマラソンになった。西風が強く、西に向かう時は足が止まりそうだった。後ろのほうだったので食べ物がなく、腹ペコで走りつづけた。せめて厄除け団子くらいは食べたかった。
32.12月 浜名湖半周忘年ラン 34キロ
 サマーランと同じコースだが、夏と打って変わり午前中は雨と寒いスタートだった。後半から雨も上がり、走りやすい天気となった。
33.12月 姫街道マラニック 45キロ
 あだち。さんの呼びかけで急遽参加する。夕方用事ができたので、33キロほど走ったところで引き返す。最後までみんなと一緒に走れなかったのが心残りだった。

今日から冬休み

2012-12-29 22:10:07 | 呟き
今日から冬休みに入った。今回はちょっと長い休みになる。
長いといっても、年末から正月にかけてはあっという間に一日が駆け抜けていきそうだ。

今朝は雨が上がり、温かい陽が差していた。
ちょうど姉夫婦が畑に花を植えに来たので、ちょっと畑に立ち寄ってくる。
今のところ、まだ雑草は伸びてきていないが、チューリップの芽が少し出てきていた。
しかし、その隙間に嫌なハタケニラが少し生えてきそうな気配があった。
早いうちに摘んでしまわないと、また大繁殖してしまう。
妻が気に病んでいた。

その後、家に戻り残っていた年賀状を書くことにした。
年賀状を書きながら、先日WOWOWで放送されたプリンセス・プリンセスのラストコンサートのビデオを見ていた。
大好きだったプリプリは解散して16年たったが、今もパワフルな歌声を聞かせてくれた。
最後のダイアモンドではメンバー全員目をウルウルさせていたが、私も目頭が熱くなった。
ビデオを見終わると、年賀状も書き終わり半日が過ぎた。

午後は、自分の机の周りの不要品整理を行い、ほんの一部だが掃除を始めた。
再び天気が崩れるという天気予報なので、一雨来る前に10キロほどランニングに出かけると夕方になってしまう。
明日は、一日雨らしいので家の掃除をしっかりやるしかないだろう。

31日から3日くらいまでは、息子や娘が帰ってくるので、賑やかな正月になりそう。
孫にも久しぶりに会えるのが楽しみだ。

ノートPCをメインPCに完全移行

2012-12-28 22:11:10 | パソコン
昨日まで、Windows7のデスクトップPCとwindows8のノートPCを並行して使っていたが、デスクトップPCの起動時間が長すぎるのがついに我慢できなくなった。だいぶ前から電源がやたらに切れるようになって、いつ壊れてもおかしくない状態だったので、生きているうちにノートに引き継ぐ必要に迫られていた。いつまでも、並行して使うわけにもいかず、ついに決断して完全移行することにしたのだ。

幸い、ノートPCにはUSBの差込口が4か所、液晶ディスプレイ接続用端子、LAN接続端子もついており今までの外部接続機器をそのまま接続しなおして使うことができる。特に今まで使っていた21インチ液晶ディスプレイは、ノートより大きい画面なのでそのまま使うことができ、見やすさは変わらない。また、有線LANでネット接続することで通信速度も高速のままだ。

USBの外部接続機器は外付けHDD2台とプリンター、マウス等があり、これらも全てそのままノートPCに接続できた。また、SDカードリーダーを内蔵しているのでデジカメのデータも読み込みができる。DVD、CDの読み込み・書き込みも可能だ。これでデスクトップ並の機能を完全に満たした。

今後、通常時はデスクトップPCとして使い、旅行時などはケーブルをさっと外してノートPCとして使い分けることができる。これで何年かは安心して快適なPCライフをおくれそうだ。

Windows8を使ってみて

2012-12-27 22:49:52 | パソコン


Windows8を使ってみて、いろいろとWindows7と違うことが多くて最初は大いに戸惑った。電源を入れてからの起動は、素晴らしく早くて感激ものだが、最初に現れる画面は、風景の画面が出てくるだけで、ボタンらしきものはなく次にどうしたらいいのかの説明もない。果てどうしたらいいのかと悩んでいると先に進まない。適当にキータッチするとサインインの画面が出てきて、ああいつものパスワードを入れる画面が出たと一安心する。

パスワードを入れて承認されると、あの青い背景にタイルがずらずらと並んだ画面に切り替わる。タイルと呼ばれる四角くて大きいアイコンが一杯あり、どこを押していいのかと悩んでしまう。ただ、自分にとって必要でもないタイルが並んでいるので、先ず最初にどのタイルを使いやすい位置に持っていくかとか、不要なタイルを削除するといった画面編集が必要となる。そこで、Windows7から引っ越したソフトも含めて、タイルを使いやすい位置に配置しなおした。ここまでは、それほど難しくない。

だが、なにか今までと比べると使いにくい。タイルの中にデスクトップという名前があり、それをクリックすると、Windows7でお馴染みの画面となった。こちらの方が、ワードやエクセル、メール、画像編集等をやるには使い勝手がいい。タブレットやスマホのようにタッチ操作で使えるのも便利だが、もっといろんな事をやるなら、今までどおりのパソコンンの使い方ができないと物足らない。CD-RやDVDにデータを焼くとか、文字をたくさん打つにはキーボードが欲しいといった理由から、タブレット並みの機能だけでは従来からのパソコンユーザーは納得しない。つまり、Windows8は『既存のパソコンの使い勝手と、タブレットの見やすさを両立させる』という新しいコンセプトで作られたというのである。とはいえ、タブレットとしての機能のほうが上位になっているらしく、デスクトップは2番手の扱いになっているのであった。

まあ、デスクトップ画面にしてしまえば、今までとほとんど変わりなく使えるので助かった。ただ、一つ問題点があった。それは、お馴染みのスタートボタンがないのである(スタートボタンを追加できるアプリはあるらしい)。コントロールボタンもなければ、シャットダウンの操作画面も出てこない。いろいろ調べてみた結果、全アプリを表示させて出てきたコントロールボタンを右クリックしてタスクバーのピン止めとした。これで、デスクトップのタスクバーにアイコンが出てくるので、クリックすればいつでもパソコンのコントロールが出来るようになった。

さて、シャットダウンの方法だが、これもどうやっていいのか最初は判らなかった。スタートボタンがないのだから判らないのは当たり前だ。これもいろいろ調べた結果、幾つかの方法があることが判った。

一般的な方法は、マウスカーソルを画面の右上または右下に持っていくと、チャームという画面が右からにゅっと出てくる。その中の設定を選び、下部にある「電源」というボタンを押すと「スリープ・再起動・シャットダウン」のプルダウンメニューが出てくるので「シャットダウン」を選ぶ。または、デスクトップ上で[ALT]+[F4]キーを押すとこの画面になり、ここからシャットダウンやスリープ、再起動が選択できる。また[CTRL]+[ALT]+[DELETE]キーでも同様の操作ができる。

ただ、この方法でのシャットダウンは、従来のウィンドウズのシャットダウンとは違って、次回起動時に完全にOSを読み込み直ししない。Windowsの起動を速くするための工夫であるが、もしWindowsの更新などをした場合には完全なシャットダウンにするか、再起動が必要になる。また「パソコンの調子が悪い」「パソコンに何か増設した」場合等は、完全なシャットダウンを行った方がいい。

尚、もっと簡単にPCをシャットダウンする事もできる。つまり、物理的にPCの電源ボタンを押してシャットダウンさせることもできるようだ。いままでは、物理的に電源ボタンを押すことはいけないと教えられていたので、なんか抵抗あるのだが、Windows8では安全にシャットダウンできる設定がある。[コントロールパネル]>[電源オプション]>[電源ボタンの動作の選択]で[電源ボタンを押した時の動作]で[シャットダウン]を選択すればいい。ただ、電源ボタンをシャットダウン時に多用すると、ボタンが壊れやすくなるというデメリットもあるらしい。面倒でも、マウス操作でシャットダウンしたほうがよさそうだ。

以上、Windows8の初歩的な操作方法をひとまずマスターできたところだ。

パソコンを替える

2012-12-26 23:04:42 | パソコン


今まで使ってきたデスクトップパソコンがヤバくなってきたので、データが生きているうちに代替パソコンを緊急で購入した。やはり、今から購入するならWindows8マシンにするしかない。Windows7がかなり安くなっていると聞いていたが、やはり新しいもののほうに興味がある。

本当は、デスクトップで高機能のものが欲しかったのだが、旅先にも持っていきたいのでノートパソコンにした。しかし、ノートとはいえデスクトップ並の機能は欲しい。高機能で安いものを探したが、国産品では10数万円はする。10万円以下で高機能のものとなると海外の製品しかない。結局DELLのノートパソコンに決めた。

購入の決め手は、やはりスペックが高いことである。CPUは最高位のインテルCore™ i7にする。Core™ i7プロセッサーは、Core™ i3とCore™ i5のすべての機能を備えると共に、4ウェイまたは8ウェイ2のマルチタスク処理によって、タスクをより短時間で実行し、時間を節約できという。また、メモリーは8GBにした。メモリーが大きいということはWebページをより速くロードできる、より多くのファイルを同時に開いて操作することができる、大きいファイルを素早く開ける、より多くのプログラムを同時に開ける、全体的な動作効率が高まるといったメリットがある。

そして、もちろんOSはWindows8である。ただし、デスプレイはタッチパネル仕様だと値段が高くなるのでこれだけはあきらめた。Windows8の最大の特徴は、タッチパネル操作ができ、いまはやりのスマホやタブレットマシンのように使える点だ。だが、よく考えてみると自分の場合は、ワードやエクセルを使うことが多く、タッチ操作をするような必要性があまりない。しかも、画面もそれなりに大きいと指で画面を触るのも煩わしい。やはり、パソコンの操作はマウスとキーボードのほうが使い勝手がいい。OSが新しいだけ高速処理ができることで十分である。とりあえず、今後の主流になるWindows8の使い方に慣れるだけでいいと思っている。

購入したのは、DELLのInspiron 15Rだが、ソフトは何にも入っていない。その分安いが、Office 2010だけはオプションでプリインストール版にした。あとは、今のデスクトップパソコンからソフトやらデータを丸ごと引越しさせるだけでいい。引越しソフトを使って一晩がかりでデスクトップからノートパソコンにデータやソフトを無事引越しさせた。今のところ、Windows7のソフトはほとんど使えるようだ。メールやネットの設定も、そのまま移行できたので何の問題なくメールやネットも使えるようになった。移行は、きわめて楽だった。そして、何といっても起動が目茶目茶早くなった。電源を入れて十数秒でログイン画面がでてくる。これだけで今までのパソコンとは雲泥の違いである。ただ、Windows8の操作方法は、今までと全く違っていた。最初は、まったく戸惑うことばかりで困ったが、なんとか使い方に慣れてきた。どんなことに戸惑ったかについては、また後日触れていくつもりだ。

タレントのブログには嘘がある

2012-12-25 22:49:42 | ブログ
しばらく前に、タレントが自分のブログで詐欺事件の肩入れをしていたことが発覚した。なんでも、入札のたびに手数料がかかるオークションサイトの手数料詐欺事件で、落札していない商品を落札したかのようにブログに書き込んでいたという件である。

そのタレントは、友人から依頼を受け事務所を通さず、自らのブログにオークションサイトを紹介する内容の記事を掲載し、ブログには「1080円で落札した」と書き込んでいたという。しかし、落札はうそで、友人から30万円をもらって言われた事をブログに載せたというのが事実だったらしい。

こういった有名人のブログは、読者が多く1日に1万人くらいのアクセスがあるという。それだけに、有名人もやっているという事で真似したりする人は多い。しかし、このように詐欺の片棒をつかむようなことをして金儲けをしている有名人もいるのである。まったく、腹立たしいことだ。お金をもらわずに、友人から聞いた話としてブログに載せるくらいだったらまだ許せるのであるが、30万円も貰っていたとあっては間違いなく詐欺である。

以上のことだけで、タレントのブログに嘘が多いと決め付けるわけにはいかないが、有名人だけに影響力を考えてブログを更新していることだけは間違いない。私のブログでも何かがいいと書いただけで、何人かは興味を持ってくれたりする。まあ、お金を貰って書いているわけではないので、信じるか信じないかは読者の勝手ではあるが、まがりなりにも自分が本当に感じたことを書いているつもりである。

「山と渓谷」を久々に買う

2012-12-24 23:03:16 | 山登り
山と渓谷 2013年 1月号
クリエーター情報なし
山と渓谷社


今月号の「山と渓谷」は、「新しい百名山の登り方」というタイトルがついていたので、つい買ってしまった。
平成の登山ブームのきっかけとなった深田久弥の『日本百名山』は、今も多くの登山者の大きな目標となっている。
その「百名山」を多方面から研究し、山の紹介はもちろん、完登者の声や、深田百名山以外の100×百名山などを特集した内容である。

だいたい本屋では立ち読みで済ませている雑誌であるが、今年は山のほうが後半おろそかになってしまっていたので、じっくり記事を読んでみたくなった。
内容は、それほど新しいとは思えなかったが計画を立てるのが山旅の醍醐味であるなんて記事を読んでいると、まだ行ってない山をどうやって行こうかという思いが強くなってきた。
地図を見て、どこのルートから上るとどのくらい時間がかかって、どこに下りればいいのかなんて考えているだけで、楽しくなってきてしまう。
また、登山口へのアプローチ方法をいろいろ考えるのも、頭の体操になる。
今回は、別冊で「山の便利帳」がついているので、これも役立ちそうでありがたい。

インタビュー記事の中では、『日本百名山』の編集者が、作家の深田久弥のことをいろいろ語っていたが、やはり、原作本をもう一度じっくり読んでみたいと思った。
もちろん本を持っているし、読んでもいるが、もう一度読み返すことで深田久弥が言わんとしていたことが、よくわかってきそうだ。
この本を、単なるガイドブックで終わらせることなく、文学作品として読むべきだと編集者は話している。
特に印象的な言葉は、「山に行くのはいいけれど、みんなピークだけで終わってしまう。行き帰りにほかの街や山を見ていこうというのが余白であって、
それを今の登山者はなくしてしまっているんです」。なかなか手厳しい言葉だが、たしかに思い当たることは多い。
何日で百名山を完登したとか自慢するのは、『日本百名山』の世界・思想とは違うという。
深田久弥のように、山頂で山々をじっくり眺めることのできる余白(ゆとり)のある山旅を今後もしていきたいものである。

2012姫街道マラニック

2012-12-23 23:15:30 | マラソン
一昨年の今頃、あだち。さんの呼びかけで姫街道をマラニックしたのだが、今年もやるという呼びかけがあり、多分今年最後のマラニックに行ってきた。今回は、5名の女性と10名の男性の計15名が集まった。

「姫街道」とは、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇街道であり、東海道新居関所の厳しい取締まりを嫌った女性が多く利用したためこの名があり全長60キロほどある。今回は、その全てではなく、浜松市有玉の自動車学校前駅から豊川稲荷を経て近くの温泉「コロナの湯」までの約45キロのコースを走る予定だ。まずは自動車学校前駅で集合写真を撮り8時30分にスタートする。


一昨年は、前日からの寒波で底冷えする天気であったが今回はそれほど寒くはなく天気は快晴だ。まずは、遠州鉄道の踏切を渡り西へ進み152号線を横断して、馬込川に架かる五枚橋を渡り、住宅街の細い路地の坂道を上がる。坂道を上りきった右手で、県道に合流する手前に「最古の道標」と書かれた石碑がある。「右 きが かなさし 左 庄内道」と刻まれていて姫街道では最古の道標である。


県道に再び合流してさらに西へ走り、国道257号の元追分の交差点に到着する。前方には、松並木が見える。松並木の道が、姫街道である。松の手前には遠州姫街道の行灯が置かれ、横の建物の壁には、姫街道を通った姫たちの様子が描かれている。


壁に描かれた文字を隠している彼は、何を意図しているのだろうか。察しがいい人にはすぐ判るだろう。


そして、しばらくは松並木沿いの道を進むことになる。


松並木の県道261号線をさらに進み、権七、大山、大谷橋を過ぎるとY字路となり左手のガードレールで遮断された細い道に入る。ここから261号線と分かれる。しばらく進むと六地蔵が祀られた場所にでる。この裏側に竹藪があり、昔、処刑場だったと言う。処刑された人の霊を慰めるために六地蔵が建てられたそうだ。


交差点から、700mのところで道が別れ右手へすすむ。しばらく行くと、大きなタンクが見えてくる。大きなタンクの側面には、姫様の絵が描かれており、タンクの脇の細い道を下っていく。


落ち葉の道を下る。この下り坂を長坂という。その後、県道261号に合流し、落合橋を渡り気賀の街中に入る。途中に気賀関所跡の標識があり、どこにあるか気になる。この場所から600m程離れた場所にある気賀関所は、文献をもとに再建されたもので本来あったものではない。


ノブたんさんの案内で、本当の気賀関所があった場所に行ってみる。細い路地を通り抜けた場所にひっそりと当時を思わせる古い建物があった。ただ、現存しているのは本番所(ほんばんしょ:通行する旅人や荷物を取り調べた建物)の一部のみで、『気賀関屋本番所』として浜松市指定文化財となっている。


そして、細江神社の奥手にある「犬くぐり」に立ち寄る。「犬くぐり」とは、気賀関所の取り締まりのため、付近の住人の通行に不便をきたしたため、領主が作った裏道である。道の途中にむしろ1枚をたらし、立って歩く人間は通れないが犬がくぐるのはさしつかえないという、法の抜け道だ。みんなで「犬くぐり」を通り抜けていく。


『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』前の旧山瀬家のコヤ(産屋)前で記念撮影する。コヤとは出産のために建てられた小屋のことで、昔の人々は出産を血のけがれと考え、産婦は母屋(おもや)と別棟に建てた『産屋(うぶや)』で生活をしていたという。細江では明治の初め頃までこのような風習が行われていたそうだ。




本来の姫街道に戻り、さらに西進する。一面のみかん畑を上り詰めた所の右手に尉ケ峰ハイキングコースの入口があり、「姫街道 清水みのる 尋ねようもない幾年月の中で姫街道は今も静かに息づいている。」と書かれた石碑がある。清水みのるは昭和初期~中期に活躍した浜松出身の作詞家だ。


左手には、浜名湖の素晴らしい景色が見える。この街道でも随一の景観のよい場所で小引佐と呼ばれている。


薬師如来像が安置されている薬師堂や石畳を抜けると、屋根のある休憩所に出る。その隣には、八畳ほどの平らな岩があり「姫岩」と呼ばれている。昔、姫様の行列がここで休み「お姫様、お駕寵からお降りくだされ」と駕龍からお姫様がお降りになると「まあ、よい景色」と言って、しばらく景色を眺めながら石畳の道を歩いたといわれる場所である。この上に座ると良いことが起こるとも言われており、女性陣もお姫様気分で岩の上で一休みだ。それにしても一番後ろにいる人は、ニューハーフぽいのはなぜだろう。


象もあまりの急坂に悲鳴をあげたという「象鳴き坂」を下り、「石投げ岩」に到着する。昔の旅人が、この岩に石を投げて旅の無事を祈ったという場所だ。みんな石を投げてマラニックの無事を祈った。


ミカン園を抜け、三ヶ日の町中に入りスーパーに立ち寄る。スーパーで食料を買い込み店内で昼食となった。スーパーでしばらく休憩をして本坂峠を目指す。緩い坂道を上ると本坂一里塚碑に着く。江戸からは72里目となる場所だ。その隣には、7体の馬頭観音像が安置されている。


さて、ここで33キロほどになっていたが、私は夕方5時から自治会の会合に出なくてはいけなくなってしまったので、みんなとは別れることになった。残念だが、地域の事にも協力しなくてはならない。来た道を戻り、天竜浜名湖鉄道の三ヶ日駅まで1キロほど走る。駅のトイレで汗になった服を着替えるとちょうど電車が入ってきた。


天竜浜名湖鉄道の佐久米駅で少し停車時間があり、ユリカモメへの餌付けを見る。サンタに扮したおじさんがユリカモメに餌を投げている。カメラマンが大勢集まっていた。電車内とホームにも降りて私も写真を撮った。ローカル線ならではの、のんびりした風景である。




天竜浜名湖鉄道と遠州鉄道を乗り継ぐと1時間ほどで家に着く。ちょうどいい時間であった。その後、自治会の会合にも無事間に合い何とか役目を果たすことができた。他のメンバーたちは、無事コロナの湯までゴールしたのだろうか。

『天地明察』/冲方丁

2012-12-22 21:27:43 | 読書
天地明察
クリエーター情報なし
角川書店(角川グループパブリッシング)



最近映画化もされた冲方丁による日本の時代小説『天地明察』を借りることができた。何だか江戸時代の天文学者の話らしいということしか知らなかったが、映画館の予告を見たら、面白そうな感じがして興味を持った。しかし、映画のほうはいつの間にか公開が終わってしまい、原作をまず読んでみようと思ったのだ。

この作家の名前自体もなんて読むか判らなかったが、調べてみたら“うぶかた とう”と読むそうだ。この作品では吉川英治文学新人賞、本屋大賞、北東文芸賞を受賞し、第143回直木賞にノミネートされている。

この小説の主人公は、江戸時代前期の囲碁棋士で天文暦学者の渋川春海である。実在の人物で、当初は幕府より禄を受け、御城碁に出仕していたという。その後、数学・暦法や天文暦学を学び21歳の時に中国の授時暦に基づいて各地の緯度を計測する。その結果からかなりの誤差が生じていることがわかり、授時暦改暦を願い出た。ところが、春海が授時暦に基づいて算出した日食予報が失敗したことから、申請は却下される。春海は失敗の原因を研究していくうちに、中国と日本には経度差があり授時暦をそのまま使えないことがわかる。そこで、自己の観測データを元にして授時暦を日本向けに改良を加えて大和暦を作成し、ついには朝廷より認められ改暦を実現させてしまったというわけである。しかし、改暦には長い年月がかかり、その実現までには大変な苦労があった。本作では、その生涯を爽やかで飄々とした文体で描かれている。

江戸時代前期の話で、激動の時代は終わり囲碁とか算術、暦法という何だか難しそうな言葉が並び、堅苦しい話かなと思って読み始めた。たしかに、漢字ばかりで難しい言葉がいくつも出てきてはいるが、それにも増して春海を始めとする登場人物が、みんな素敵な人物として描かれている。春海をはじめ、彼をとりまく人々の謙虚な姿勢と、その能力の非凡さには驚く。約500ページ近くにも及ぶ長編であるが、読みだしたら飽きることがない。春海が、いろんな苦労を乗り越え生涯をかけた改暦事業が結実するまでを読み終えた後は、爽やかな読後感に包まれた。

春海以外の登場人物も、丁寧に描かれている。まずは、春海の妻となる村瀬えんとの出会い、別れ、再会となるまでのエピソードも爽やかだ。江戸時代の男たちはこんな淡い恋をしていたのかと興味深かった。それにしても、この女性は気持ちが良いほどさっぱりしている。春海がもたもたしているうちに、別の男性と結婚してしまうのだが、後半になってえんが再び登場してきて嬉しかった。あとはめでたしめでたしである。

また、当時は算術が今からは想像できないほど民間にまで及んでいたというのも面白い。算額絵馬を奉納してゲーム感覚で数学の問題を出したり解いたりしていたという。間違っていたら誤謬、正解なら明察と出題者は絵馬に書き込んだという。天と地の理を見事解き明かせたことから天地明察という題名がついたのは予想にたがわない。そして、春海を驚嘆せしめた天才的な算術家関孝和の存在も忘れてはならない。和算の功績のほとんどが関孝和の功績だと言われているくらいの重要人物で、日本独特の方程式記号を開発した人物でもあるそうだ。

春海には、改暦に至るまでのいろんな人たちとの繋がりが大きかった。会津藩主・保科正之は彼にとって最大の支援者だった。四代将軍家綱の後見人であり、明暦の大火(1657年)の後に、泰平の世に天守閣は必要ないと、江戸城の天守閣を再建しなかったことや、年金のような制度を日本で初めて作るなど、庶民のことを考えた政治を行った名君だと言われている人物である。また、若い頃は傾奇者(かぶきもの)と言われたように、非常に行動が激烈だったが、学問が好きで、儒学の研究をしたり、書物を集めたり、歴史書を編纂したりしていたという水戸光圀の後押しも大きかった。また、囲碁のライバルともいうべき道策との囲碁対決も熱くならず爽やかに描かれている。

しかし、改暦に至るまでの道のりは簡単ではない。最終的には囲碁のように先の先を読む一手が必要だったのだ。一度や二度負けても最後の勝利を勝ち取るため、幕府や朝廷にも認めさせていく手腕が素晴らしい。暦を変えるということは、国家を揺るがす大事業であるということを改めて思い知った。天と地の理を解き明かし、正しいと思ったことを、一生をかけてやり遂げた渋川春海という人物の生涯がこの本で明らかになった。時代小説はあまり好きではなかったが、この作品は、この時代にも素晴らしき偉人がいたということを知らしめしてくれた。