とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

ワールドカップ 日本代表健闘しましたね

2010-06-30 21:46:04 | スポーツ
昨日は、W杯決勝トーナメント1回戦、日本対パラグアイ戦を最後まで見てしまった。やはり、今日はいささか眠い。テレビの平均視聴率は関東地区57.3%(名古屋地区52.4%)で今回のW杯中継では最高だったそうだ。そういえば、午前1時過ぎても隣近所で灯りが点いている家が多かった気がする。日本人の半分以上がテレビにかじりついて応援していたのだろうと思うと如何に注目の一戦だったというのがわかる。

前半、後半の90分では決着がつかず、延長戦に入りハラハラドキドキの時間が続いた。それでも点が入らずPK戦となってしまう。PK戦で決着がついてしまうというのは辛いものだ。パラグアイの全キッカーがPKを成功させたのに対し、日本は3人目のキッカー・駒野が外してしまい、結局は惜しくもベスト16敗退となってしまった。

強敵であるパラグアイを相手に、よくぞ0対0で120分を戦い抜いた日本代表は良くやったといえる。守るばかりでなく、どんどん攻めていく姿勢は気持ちが良かった。惜しいシュートもいくつかあった。ただ、勝利の女神がわずかばかり日本からパラグアイに移ってしまっただけなのだ。

ここ数日間サッカーを通して盛り上げてくれた日本代表チームの活躍は、負けたとはいえ大健闘だった。今まで、楽しい夢を見させてくれてありがとうと感謝したい。お疲れ様でした。


宮部みゆき「ブレイブストーリー」

2010-06-29 22:32:01 | 読書
このところ、図書館で借りたい本が思い当たらなくなり、何を借りようか悩んでいたので、馴染みのある作家ということで宮部みゆきの本を検索してみた。たくさんあって、どれも面白そうだったが、少し毛色が変わったジャンルの小説があったので、借りてみることにした。社会派物、超能力者の話、推理物、時代物とさまざまなジャンルの小説を書いている人だが、ファンタジー&ロールプレイングゲームのようなジャンルのこの「ブレイブストーリー」という小説は、きわめて異色の作品である。

ファンタジー物も好きなのだが、宮部みゆきが書くとどんなものになるか興味があって、早速予約をした。図書館から連絡が入り、受け取りに出かけた。受け取ってみてビックリだ。上下2巻だが、各巻とも600ページ以上もある超長編小説だった。あまりの厚さに、2週間で読破できるか心配になった。借りてすぐに読めず、結局1週間以上たってから読み始めた。上下で1300ページ近い本を読むとなると腰をすえて読まねばならないが、いろいろ予定があってなかなか捗らなかった。しかし、読み始めたらさらさらと読み進み、10日間ほどで読破した。返却期日が少し過ぎてしまったので急いで返却しなければならない。

さて内容は、上巻の前半が現実社会での話だ。両親の離婚に心を乱される小学生の亘が主人公である。この辺りは、宮部みゆきらしいドロドロとした話が続く。ファンタジー小説らしからぬ展開に最初は違和感があった。父親のあまりに身勝手な理由で、少年と母親が捨てられる話がかなり長い。この辺りが、のちのファンタジー路線に移行するための大きな布石のようだ。そして、あるきっかけから、亘は異次元の「幻界」という世界に飛び込んでいくのだ。

上巻の後半から第2部となり、「幻界」でのワタルの長いストーリーが始まる。この辺りは、ドラクエみたいなロールプレイングゲーム的に話が進んでいく。一つ一つ困難を解決するたびに、宝石を獲得し、持っているアイテム(剣)のパワーがアップしていくという展開である。そして、途中でいろんな仲間と出会い、チームとして強大な敵に向かっていく。そのたびに主人行は悩みながらも成長していき、最後は一人だけで強大な悪に立ち向かい悪を倒す。そして、女神に自分の願いを叶えてもらい現実世界に戻っていく。

簡単にまとめると、上記のストーリーとなる。とにかく長いストーリーだが、それぞれのエピソードが厚みを持った話となっており、登場人物の心理描写や状況が飽きることなく描かれ、読み出したらどんどん引き込まれてしまう。当然最後は、主人公が勝って女神に願いを叶えて貰う訳だが、ご都合主義的な願いではない。長い旅をしたことへの感謝の気持ちを表す願いで終わるあたりが「宮部みゆき」らしい結末だった。人間に対する鋭い洞察が込められているところが、この作家の魅力である。

今年初めての百名山は上州武尊山

2010-06-28 21:27:17 | 山登り
一昨日の午後浜松を出て、昨日の午後11時ごろ上州武尊山(ほたかさん)の登山口駐車場に到着した。関越道の水上ICから武尊神社の駐車場までは20キロ弱で、道路は舗装されており走りやすい道だった。そして、昨日無事に上州武尊山を登頂して帰ってきた。

上州武尊山は、日本百名山の一つで標高2158mある。日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折に登ったという伝説に由来する山名であるが、武尊をほたかと読ませるのは何故だろう。百名山は、遠いところばかりとなってきたが、昨年谷川岳に登ったこともあり、土地勘ができたので、谷川岳の隣にある上州武尊山を登ることにしたのだ。

梅雨時で、天気が心配であったが、直前の天気予報では水上の天気は曇りで降水確率40~50%となっていた。なんとか雨は降らずに行けそうだろうとの判断で同行者に連絡して決行を決意した。だが、先に進むにしたがってどんどん天気予報が変わってきた。水上のコンビニに着いたころ天気予報を確認したら、午前中の2~3時間くらい曇りだが、あとは全て雨に変わっていた。これはまずいなと思ったが、とりあえず登山口の駐車場で朝を待つことにした。駐車場は舗装されており、きれいなトイレも完備している。


ザーザー降りの雨のなか車中で一晩過ごす。4時起きのつもりが寝過ごして4時50分になっていた。雨は相変わらず降り続いていた。こんな日は誰もこないかと思っていたが、他にも数台の車が来ていた。我々も当初は大いに迷った。こんな雨の日に登っても景色は見えないし楽しくないから温泉でも寄って観光して帰ろうかとも思った。でも、はるばる群馬までやってきて帰るのは、もったいないという気も起こり、小雨になった時点で一気に登山モードに変わった。

雨具を着て、既に先行した登山者がいたので、それを追いかけるように我々も出発した。予定より1時間遅れだが午前6時過ぎに出発する。まずは、駐車場の先にある武尊神社に参拝して登山の安全を祈願する。


この日は、丁度武尊山の山開きの日であったようだ。神社の周りにはテントが準備され行事が行なわれるような雰囲気であったが、朝早いためか誰もいなく、山開きの行事を見ることなく先を急いだ。


神社の先は車止めが置かれ、車は進入できない。しばらくは林道歩きが続き2キロほどで剣ヶ峰山との分岐に出る。


当初は、剣ヶ峰山周りでの周回コースも考えていたが、天気が悪いことと歩行時間が長くなることから、そのまま直進して武尊山を目指すことにした。雨の中、新緑が眩しい林の中を進む。


沢をいくつか渡り尾根道に飛び出る。木陰の向こうに何か人工物らしきものが見えた。尾根を下ったところにある手小屋沢避難小屋の屋根であった。小屋には寄らず、その先を急ぐ。傾斜が次第にきつくなってきた頃、大きな岩場が現れてきた。滑りやすそうな岩にハシゴやクサリ、ロープが掛けられた難所が4箇所ほど続いた。





急峻な岩場の上には、シャクナゲの花がいくつか咲き出していた。まだ、これからのようで大きな蕾のままのシャクナゲもあったが、もうしばらくすればシャクナゲの花で満開になりそうな稜線である。


ハイマツの茂る最後の急坂を一気に登りきると、武尊山の山頂に到着した。2158mの山頂から本来なら360°の大展望が見えるはずだが、この日は完全にホワイトアウトでまったく見えない。昼食休憩するのもままならず、山頂写真だけ撮って早々に下山体制に入った。

先行した夫婦の登山者と山頂で会ったが、こんな雨の中、剣ヶ峰山経由で下山するとのことだった。剣ヶ峰山の下山道は危険な箇所が多いと聞いていたので、我々はピストンで下山する。下山する途中で、雲間の間から尾瀬方面らしき山並みが見えたが、はっきりどこかは同定できなかった。

下山途中、山開きの行事を行なった地元関係者たちが登ってきた。山伏の法螺貝が時折鳴り響いていた。関係者からは山開きの記念にと手拭を貰う。

午後1時くらいに、駐車場に戻る。雨は、相変わらずポツポツ降っており一日中雨具を手放せない状態だった。駐車場の下には「裏見ノ滝」があり、寄り道して見学する。雨の日なので水量もあり豪快に水しぶきと轟音を轟かせ滝がおちていた。



雨と汗でびしょびしょになったので、早速温泉に向かうが、近場に良さそうな温泉がないので、かなり遠くまで足を延ばした。ネットで調べた結果、群馬県内では特に人気があるという「まんてん星の湯」に行くことにした。

ダム湖畔にある日帰り温泉で、露天風呂から湖が一望できるなかなかいい温泉であった。ほぼ午後5時近くの出発になってしまったが、高速道路を使い午後11時半くらいに自宅に到着。展望はなく健脚向けのきつい山であったが、登頂できたことで満足した。

上州武尊山登りました

2010-06-27 15:38:21 | 山登り
群馬県の上州武尊山、雨の中登ってきました。登山口付近での激しい雨に一時は引き返したくなりましたが、意を決して登山。また百名山を一つ制覇。遠出した甲斐がありました。まだ、群馬県内の温泉なので今日中に帰宅できるかどうか。

ipadを使い出して2週間たった

2010-06-26 10:02:03 | パソコン
結論から言うと、購入してよかったかといえば○である。しかし、購入してもそれほど便利になったといえるほどではないのが事実である。既に、ネット環境はデスクトップパソコンでしっかり構築されており、文章やメールの作成、写真の管理、ブログの編集等はデスクトップのほうが自分としてはやりやすいし、落ち着いてできる。

また、携帯でもウエブの一部閲覧やメールのチェックもできてそれほど困らない。パソコンアドレスに届いたメールのチェックも携帯でできる。そういった意味では携帯から進化したスマートフォンにしたほうが便利性はアップして手軽で気楽に使いやすいだろう。

こんなことを書くと、ipad買って失敗だったと思われそうだが、けっしてそんなことはない。パソコンと携帯(スマートフォン)の中間に位置する機器として重要なポジションにある情報端末といえるだろう。パソコンのない環境にいる時や、くつろぎながらネット閲覧やメールチェックをしたいときなどは、きわめて扱いやすいツールである。しかも画面が大きく直感的な操作ができるから、子供や老人でも気軽に扱えることが出来そうだ。

万人向けにネットやメールを使いこなせるipadは画期的な製品といえるだろう。特に電子書籍の閲覧といった機能は○である。また、ipodの大型版としても使えるので音楽を聴きながらメールの作成やネットの閲覧もできる。写真を取り込んでおけば、どこへでも持ち出し大きな画面でみんなに見せる事もできる。便利というよりも、今までよりもっと遊び心を持って使える機器といったほうがいいかもしれない。

新しい物好きや、パソコンを使ったことがない人が足がかりとして使うにはお勧めといっていい。

日本決勝トーナメント進出 やりましたね

2010-06-25 22:24:38 | スポーツ
今日の早朝3時半から、日本対デンマークの試合があるのは知ってたが、仕事のことを考えると、とても起きてるのは無理だなと思って寝てしまった。しかし、朝になって先に起きてラジオを聴いていた妻から「勝っちゃったよ」と告げられ、ビックリと同時に生で見たかったなーと激しく後悔した。

サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会、1次リーグE組の日本はデンマークを3−1で降して2勝1敗(勝ち点6)とし、自国開催だった02年日韓大会以来、2大会ぶり2回目の決勝トーナメント進出を決めたのである。オランダ対カメルーンはオランダが勝ってE組1位となり、2位の日本は決勝トーナメント1回戦で、F組1位のパラグアイと対戦することになったのだ。本当に素晴らしい。会社でも、かなりの人間が寝不足な顔で出社してきていた。みんな気がかりだったのだろう。

生では、見られなかったので帰宅してからダイジェストや再放送を何度も見た。日本は前半17分の本田のフリーキックはまさに会心のシュートだった。絶妙な角度で相手選手の脇を抜けゴール左隅へ突き刺さっていった。前半30分の遠藤のフリーキックも右隅に絶妙に吸い込まれていった。しかも、後半42分、岡崎のダメ押しのゴールで会心の勝利となったのである。岡崎は、オランダ戦で、絶好のチャンスにゴールを外しただけに、今回のゴールで面目躍如といったところだろう。

ここまで来ると、やはり今後の日本チームの活躍を期待してしまう。今度のパラグアイ戦は、何としても生中継を見ることにしよう。頑張れ、日本!!

隠岐の島ウルトラ 3日目

2010-06-24 22:37:54 | マラソン
3日目は、隠岐の島半日観光コースに参加した。参加者の皆さん、足を引きずりながら元気に参加していた。私も、バスの乗り降りがきつかったが、リハビリのため頑張って参加する。ただ、バスの揺れが心地よく走行中は何度も睡魔に襲われた。

先ず最初に寄ったのが「佐々木家住宅」。西郷町の釜地区にある隠岐最古の木造住宅である。1836(天保7)年に建てられた母屋は、杉皮葺き、石置き屋根の切妻平屋建てという趣のある建物で、二重天井や太い大黒柱など、隠岐古来の民家の伝統を残し、国の重要文化財に指定されているそうだ。管理人のおじさんの面白い解説を聞きながら、邸内をぐるっと見学した。



次は、「白島海岸」。島後の北端にある白島崎を中心とした海岸で国の名勝及び天然記念物であり、大山隠岐国立公園に属する景勝地だ。白島海岸という名は海岸を構成する岩石が白いためについたようだが、伝説によるとたくさんある島を数えたら、百に一つ足らない九十九だったから白という文字を使ったのだという。こっちのほうが、記憶に残る名前になりそうだ。天気が今ひとつで島がはっきり見えなかったが、晴れていれば島に生い茂った松の緑、岩の白、海の青のコントラストが美しく、素晴らしい景観だっただろう。



3番目に寄ったのが、「水若酢神社」。ここの、主祭神は水若酢命(みずわかすのみこと)である。水若酢命は海中から伊後の磯島に上られ、山を越えてこの五箇村の里に入られ、国土開発、北方防備の任に就かれた神だと伝えられている。


また、水若酢神社の本殿は、「隠岐造り」と呼ばれる建築法で造られている。出雲大社、春日大社、伊勢神宮のいいところを採り入れて、独自の工夫を凝らしたものらしい。確かに、出雲大社や伊勢神宮で見たような感じの造りだった。


水若酢神社の隣には「隠岐郷土館」がある。この建物は、明治時代に郡役所庁舎として建造されたもので、現在は隠岐島民の生活遺産を収集保存して展示している施設である。明治の建物らしくレトロな雰囲気が歴史を感じさせてくれた。


また隠岐では、慶事があった時のみに隠岐島挙げて徹夜で相撲を行なうことがあるらしい。これを隠岐古典相撲といい、勝負のしこりを後に残さないように勝負は1勝1敗の引き分けで終わることになっているそうだ。立派な土俵が、水若酢神社のなかにあった。


そして、ここは50キロのスタート会場でもあった。


最後は、「玉若酢命神社」だ。御祭神は、玉若酢命(たまわかすのみこと)である。玉若酢命は、隠岐国を統治した「大酢別命」の御子と伝えられ、隠岐島開拓の神と伝承されている。


ここの境内には、「八百杉(やおすぎ)」という樹齢千年以上と伝えられる杉の巨木がある。伝説では、若狭国(福井県)から渡ってきた「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)」が植えたものとされ、八百比丘尼が、植樹より八百年後に再度訪れることを約束したので、「八百杉」の名がつけられたと伝えられている。樹齢千年以上というだけあって、枝を支える支柱の木が痛々しい。これだけの樹を保存するのは地元の労力があってこそだろう。


玉若酢命神社の鳥居の脇に、なんと水木しげるの妖怪のモニュメントがあった。隠岐の島まで延長された水木しげるロード内にある8つの妖怪の一つである「妖怪No.2 琵琶ぼくぼく」だ。隠岐の島には、水木しげるのルーツとされる「武良郷」という集落があるそうだ。水木しげるファンとしては、ぜひ他の妖怪モニュメントも見てみたかった気がした。100キロのコースを走っているとき、「武良まつりで踊る水木先生」という看板があったので気にはなっていたのだ。


半日観光が終わると、後は帰路に着くだけだ。昼食を、スタート地点前のレストランで済ませ隠岐空港に向かった。隠岐空港には、大会のスタッフが来てくれ大きな垂れ幕の前で記念写真を撮る。


帰りの飛行機は無事飛ぶのだろうかという不安もあったが、天気は問題なく無事伊丹空港に着陸。そして、無事帰宅。あっという間の三日間だったが、いい旅であった。隠岐の島ウルトラマラソン、食べ物、応援、景色と三拍子揃った本当にいい大会である。

隠岐の島ウルトラ 2日目

2010-06-23 22:55:35 | マラソン
この日は、ウルトラマラソン当日だ。宿から歩いてスタート会場に向かった。辺りはまだ薄暗いが、大勢のランナーが集まっていた。スタートラインの下では、記念写真を撮る人が何人もいた。

100キロの参加者は男女合わせて390名ほど。50キロは、別の場所からスタートする。賑やかな女性アナウンサーの掛け声のあと、スターターの号砲で午前5時にスタートした。

辺りがだいぶ明るくなってきて、あっという間に1キロ地点だ。この大会は、1キロごとに距離表示があって大変ありがたい。少しずつ距離を踏んでいくのが実感できる。

3キロ地点。まだまだ序の口の地点だ。

10キロほど走ると、食べ物があるエイドについた。「ゴールめざして走りきってね!」の垂れ幕が嬉しい。

厚い雲の間を縫って、光が海に差し込んでいる様子がきれいだった。

小さい島がいくつも見え、隠岐の島らしい風景が見えてきた。

布施地区での応援のおばちゃんたち。

中村地区でも、名物おばちゃんと名物おじちゃんの応援パフォーマンスが楽しい。



8時を過ぎたあたりから、雨が降り始める。最初は、大したことなかったが次第に大粒の雨となり雷鳴が轟く中、ビクビクしながら走る。天気予報では、午後から1ミリ程度の雨となっていたが、大ハズレで早いうちからの雨となっていた。中間点に雨具を預けていたので、この時点では、ずぶ濡れのままで走るしかない。ちょうど33キロ地点が、最高標高地点の山の中なので、天候も平地と違うのだろう。

いくつかのアップダウンを乗り越えると平らな道がしばらく続き、48.5キロのレストステーションに着いた。まずは、腹ペコで食べ物をお腹に入れないと走れないので、荷物を受け取るとすぐに食事に向かった。ここのレストステーションは、いろいろ食べる物がある。
おにぎりの種類は多く、よりどりみどりだったが赤飯を頂く。

そうめんや味噌汁もある。

でもやっぱり、ウルトラではこれが一番。女子大生チームのカレーを頂く。


お腹を満たしたあと、汗と雨でべとべとになった上着を着替えた。これで気分一新、気持ちよく走れそうな気がした。ただ、まだ雨が降るかもしれないので、防水のベストだけウエストポーチに詰め込んで出発した。

しばらくは、晴れ間が見えていたのだが予想通り、急転直下暗雲が立ち込め、パチンコ玉のような大粒の雨がシャワーのように降り注いできた。一瞬、雨粒が止まっているような異様な景色を見たかと思った後、体を打つような雨粒は恐怖だった。こんな雨に降られたのは初めてである。だが、大粒の雨は長く続かず、やがて曇り空になった。

海岸線に出ると、手掘りだという福浦トンネルを通過する。

福浦洞門のあたりも、景観が素晴らしい場所である。

湾をぐるっと回るコースとなり、反対側の道を走るランナーが見える。

漁師の集落らしく、大漁旗がたくさん翻っている。


77キロのエイドでは、冷奴とぜんざいのサービスがあって後半のエネルギー補給として大いに助かった。また、女子大生のアイシングサービスは快感である。


80キロ付近は、しばらく平坦な道が続く。穏やかな海が広がっている。


平坦な道は長く続かず、小刻みなアップダウンが続くようになる。走り初めだったらどうってことないような緩やかな坂道が、きつい辛い道へと変わっていた。隠岐空港周辺の長い坂は、果てなく続くような気がした。もう上りは、歩くしか出来なかったが、ずっと歩いていては制限時間が気になる時間になっていた。下りは、時間を稼ぐために必死に走った。

赤い橋が見えてきた。この橋が、残り2キロ地点だ。ここまでこれば時間内完走は、間違いないと確信する。


残り1キロ地点あたりから、応援の人たちが大勢待ち構えていた。とても暖かい声援が途切れることなく続く。久々の100キロマラソンが、こんなにも感動するものなのかと改めて気持ちが高ぶってきた。何度も完走している100キロマラソンだが、応援に答える自分の声が裏返り涙が溢れそうになっていた。最後の坂を上りきると、フィニッシュラインが見えてきた。


自分の名前を呼ぶアナウンサーの声を聞きながら無事ゴール。完走メダルをかけてもらい久々の100キロの道のりを思い出しながら宿への帰路に着いた。

3日目に続く。

隠岐の島ウルトラ 1日目

2010-06-22 21:38:35 | マラソン
朝、家を出て新幹線で新大阪まで向かった。新大阪からは、空港直行バスがあり30分ほどで伊丹空港に着く。荷物を預け、手荷物検査を済ませ待合ロビーに行くと、ラン友のがんもどきさんに出合った。がんもどきさんは、かなり早くから空港に着いていたらしく余裕があった。今回のウルトラは、参加する知り合いがほとんどいなかったので、がんもどきさんと同行できて気楽だった。

待合ロビーで搭乗案内を聞いていたら、隠岐の島の天候が悪く、出発しても天候次第で伊丹に引き返すかもしれないとアナウンスがあり、やきもきしながら搭乗手続きを待った。結局出発時間は15分ほど遅れたが、とりあえず搭乗できた。飛行機は50~60人乗りくらいのプロペラ機だ。以前四万十へ行ったときはもっと小さいプロペラ機だったので、それほど不安はなかったが、悪天候だったらどうなるのだろうかと気をもんだ。

約45分ほどで隠岐の島上空に着く。飛行機の窓から外を見ると海岸線や町並みが良く見えるし天候悪化どころかしっかり晴れていた。飛行機も無事着陸して、当初の情報はまったく外れ、安堵した。こんなにも島の天気は、めまぐるしく変化するものなのだろうか。このことは、翌日の大会当日で、身をもって体験することになる。

まずは、飛行機を下りて隠岐空港に入った。



がんもどきさんは、コースの下見に行くというので別れ、私は受付会場であるレインボーアリーナに向かった。レインボーアリーナは、意外と近代的な施設でビックリした。この会場が、ゴール地点にもなるのだ。とりあえず受付を済ませ、今夜の宿となる民宿に向かった。歩いてでもいけそうな距離だったが、循環バスがきたので周りの景色をみながら行くのもいいかと思いバスに乗った。半周ほど回ったところでバスを下り民宿に向かう。

民宿で、しばらく休んだ後、付近を散策しながら前夜祭に参加するためレインボーアリーナに向かった。前夜祭には、選手は無料で参加できる。参加者が、宿の夕食を食べられなくなるほどの量にならないよう配慮して軽食程度の食事を用意してくれていた。

前夜際の料理メニューは以下の通りだ。
①隠岐のいわがき
②ヒオウギ貝
③隠岐そば
④あかもく
⑤どっさり漬け
⑥隠岐水産高校製造さばの缶詰
⑦地酒 隠岐の海、隠岐の島


メニューもしっかり案内に入っていた。
特にいわがきは大きく絶妙の味だった。また、カラフルなヒオウギ貝は見た目もいいしホタテのような味で美味しい。順番待ちで大人気の隠岐そばは、焼サバで食べるという特徴的なそばである。水産高校製のさば缶は、けっこう好きな味だった。

前夜祭は、そんな料理を食べながら始まった。


町長の挨拶、

5回連続出場者の表彰、島根のキャラクター「しまねっこ」の登場など、

いろいろあったが、最後は「隠岐ウルトラマラソン」参加者にお馴染みのテーマソングの生演奏が行なわれた。私は、初めて聞いたのだが、知っている人には元気が出るようだ。


因みに歌詞は、こんな内容である。
「赤い朝日に 照らされて 輝いて 走る道 曲がりくねった ヘアピンに 逆バンク つらいつらい つらい坂 隠岐の島、島~♪ あなたの元へ たどり着くまで 隠岐の島、島~♪ 長い長い 海岸 駆け抜けろ OH YEAH!」


コースを走った後で、この歌を聞くと改めてコースの様子が頭に浮かんできた。何度も聞いているうちに、いいテーマソングだなーと思えてきた。走っているときや、ゴールでこの曲をガンガン流してくれると元気が出そうな気がした。がんもどきさんは、事前に何度も曲を聞いていたらしく、このテーマソングを歌っているグループに会えて大いに感激していたようだ。

大いに盛り上がった前夜祭も1時間程度で終了し、宿に戻った。
あとは、本番のレースを待つだけである。

続きは明日へ




隠岐の島から帰る

2010-06-21 22:51:30 | マラソン
三日間の隠岐の島ウルトラマラソンツアーから、無事帰ってきました。
一昨年のえちごくびき野マラソン以来、1年8ヶ月ぶりの100キロマラソンでした。
久々の100キロということもあって、きつかったです。

4月までは、そこそこ練習してましたが5月、6月はあまり走ってなかったので
走りこみ不足があったかもしれないですね。
ただ、隠岐の島ウルトラマラソンのコースは、なかなか過酷なコースでもありました。
島の道っていうのは、どこもアップダウンが多いものなんですね~。
とにかく坂が多い。記憶に残っているのは上り坂ばかりです。
累積標高差は1200mから1300mくらいあるのではないでしょうか。

制限時間が14時間半というのも頷けます。14時間だったら、
かなりのランナーがゴールできないでしょう。
今回は、曇りのち雨で一時は雷鳴も轟く凄い天気でした。
時々晴れ間も見えたのに、しばらくすると雨が降り出し、めまぐるしく天気が変わりました。
おかげで暑いには暑かったものの、雨で体が冷やされ比較的走りやすかったかもしれません。
それでも、坂の連続がボディーブローのように利いてきて残り10キロくらいの
緩やかな坂もほとんど走れなかったのです。

ただ、沿道の声援には何度も助けられました。残り1キロとなった辺りから
大勢の人たちがコースに詰めかけ、声をかけてくれました。
久々の100キロのゴールを間近にして、感極まって涙が溢れそうになり
応援にも、まともに返事が出来なくなりそうでした。

今年で第5回というこの大会は、徐々に人数が増えているようです。
応援が素晴らしく、島民全体で盛り上げていこうという雰囲気が充分感じられました。
きついけど、とてもいい大会でした。
そして、100キロマラソンはやっぱり半端じゃないなと改めて感じました。

写真付きのレポートは、順次アップしていきます。