とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2018年の山を振り返る

2018-12-31 08:27:21 | 山登り
 今年は、南アルプスの光岳で最後の百名山を完踏できたことが一番うれしい。また、山梨の秀麗富嶽十二景も全て踏破することもできた。他には、二度目以上の百名山として宮之浦岳、天城山、荒島岳、聖岳、槍ヶ岳、谷川岳、笠ヶ岳、浅間山にも行くことができ、名山は何度行ってもいいことを再認識させられた。花の百名山にも選定されている神津島の天上山、三重の藤原岳、佐渡の金北山は花の時期に行くと、めったに見られないような景観を楽しめる。そして、夏山と言ったらやはり北アルプス。ゴールデンルートの表銀座を初めて縦走したことが記憶に残る。八海山では、岩場の鎖を持っての上り下りがスリル満載で面白かった。

1.1月 伊豆諸島神津島:天上山572m(東京都)
 伊豆諸島の神津島と式根島のトレッキングに出かけ、神津島では花の百名山の一つに数えられる天上山に登る。季節柄花はなかったが、山頂近くにある表砂漠と裏砂漠のまるで地球ではないような風景に驚かされた。
2.1月 高見山1248m(奈良県)
 霧氷の名所という事で、冬ならではの景色を見るために登る。期待通り素晴らしい霧氷に感動する。関西のマッターホルンと言われるだけあって真冬でも凄い登山者の数だった。
3.2月 小谷村スノーシュートレッキング(長野県)
 雪遊びツアーと称して小谷村の山をスノーシューで楽しむ。現地のガイドさんの案内の元、雪原に残る動物の足跡を見たりして雪山を歩く。
4.3月 藤原岳1140m(三重県)
 花の百名山として知られる藤原岳の人気の花は、雪解けを待って咲きだす黄色いフクジュソウだ。期待通り、山頂近くで咲きだしたフクジュソウの群落は素晴らしかった。
5.3月 湖西連峰:神石山324m(静岡県)
 春の低山ハイキングという事で、地元の女性たちと登る。サクラやスミレ、カタクリなど春を告げる花がたくさん咲いていた。
6.5月 秀麗富嶽十二景:奈良倉山1349m、鶴寝山1368m、大マテイ山1409m(山梨県)
 富士山の景色が素晴らしい山として大月市が選定している山々だ。奈良倉山からの富士山はやはり素晴らしく、秀麗富嶽十二景の5番山頂にあたり、私にとっては11景目となった。
7.5月 大佐渡山脈縦走:尻立山940m、マトネ937m、金北山1172m(新潟県)
 佐渡の山は、雪解けが始まった4月末から5月中旬あたりは花が咲き乱れ凄いという事を聞いていたので、大いに期待して出かける。そして、期待通り、シラネアオイとカタクリの大群落は今まで見たことのないほど咲き乱れていた。本州ではこれほどの群落を見ることはまずできない。
8.5月 屋久島:栗生岳1867m、宮之浦岳1936m(鹿児島県)
 誰もが憧れる屋久島を観光と登山の両側面から、目いっぱい楽しむ。日本最南端の百名山である宮之浦岳を1泊2日で縦走。1日目は50年に1回くらいだろうという満開のヤクシマシャクナゲを眺め、2日目は縄文杉経由で下山し屋久島名物の大雨の洗礼も受ける。最終日は、白谷雲水峡を目いっぱいトレッキングして帰る
9.6月 天城山:万三郎岳1405m(静岡県)
 トレランで八丁池を経由して天城山の最高峰万三郎岳まで登る。残念ながらアマギシャクナゲは終わっていた。
10.6月 荒島岳1532m(福井)
 百名山を目指している仲間のリクエストで2度目の登山となる。歩行時間は、往復6時間くらいだが、上り下りとも険しいコースなので、下山後は結構疲れた。
11.7月 南アルプス:易老岳2354m、光岳2591m、茶臼岳2604m、上河内岳2803m、南岳2702m、聖岳3013m、奥聖岳2978m(静岡県)
 日本百名山の100座目の山は光岳だ。今まで何度か計画したが、悪天候や通行止めで延び延びになっていたがやっと念願かなって登頂することができた。南アルプスでもかなりきつい縦走コースだが、大勢の山友が同行してくれ百名山完踏を祝ってくれた。天気にはずっと恵まれ、南アルプスの名立たる山々をいくつも制覇できた。
12.7月 北アルプス表銀座:燕岳2763m、大天井岳2922m、槍ヶ岳3180m(長野県)
 それぞれの山は、個別では何度も登っていたが、燕岳から大天井岳、槍ヶ岳を繋ぐ表銀座縦走コースはまだ一度も歩いたことがなかった。今回初めて歩くことができ、槍ヶ岳をずっと見ながら進む北アルプスのゴールデンルートを満喫できた。
13.8月 谷川岳:オキの耳1977m、トマの耳1963m(群馬府)
 上級者向けの西黒尾根から谷川岳の二峰を制覇。帰りは天神平まで下りロープウェイでらくちん下山。翌日は利根川でラフティングを初体験する。
14.8月 笠ヶ岳2898m(岐阜県)
 新穂高温泉から笠新道往復コースで笠ヶ岳に登る。1日目で10時間ほど歩き一気に笠ヶ岳まで行ったのでかなり疲れた。雲が多く、笠ヶ岳の端正な姿がよく見えなかったのは残念だった。
15.8月 有明山2268m(長野県)
 修験の山だという有明山に初めて登る。噂通り険しい登山道にビックリ。途中で出会った登山者はわずか数人。反対側にある燕岳とは雲泥の違いで静かな山だった。
16.9月 八海山:入道岳1776m(新潟県)
 険しい岩峰で知られる山なので、雨の予報で安全に登れるか心配だったが、1日目はのんびりと山小屋まで行って宿泊し、翌日朝早くからヘルメット着用で最高峰の入道岳に向かう。天気は急速に回復し、好天の元、八ッ峰コースに向かう。鎖場をいくつも乗り越え八つの峰をすべて制覇し、憧れの八海山を完全踏破できた。
17.9月 秋田駒ケ岳:男女岳1637m(秋田県)
 秋田の角館祭りを見物したついでに秋田の山を登ろうと企画した。残念ながらずっと雨模様の天気だったが、なんとか秋田駒ケ岳の男女岳には登ることができた。天気が良いときにもう一度登ってみたい山だ。
18.10月 浅間山:前掛山2524m(群馬県)
 紅葉の時期に再び浅間山に登ってみた。今回は、規制が緩和され前掛山まで登ることができ生きている火山の息吹をまじかで感じることができた。トーミの頭から眺めたカラマツ林の黄葉はまるで海外の山に来たような感覚にさせられた。
19.12月 秀麗富嶽十二景:大蔵高丸1781m、ハマイバ丸1752m、大谷ヶ丸1643m、コンドウ丸1392m(山梨県)
 大蔵高丸とハマイバ丸は秀麗富嶽十二景の3番山頂にあたり、私にとっては最後の12景目となった。富士山を眺められる山としては、いずれも素晴らしかった。
20.12月 朝鮮岩320m、丸子富士450m、満観峰470m、高草山501m(静岡県)
 ランのカテゴリーにも入れたのだが、登山でもある。年の瀬の最後に、ラン友たちとトレイルランとして丸子・焼津アルプスの山々を縦走した。

2018年のランを振り返る

2018-12-30 07:07:56 | マラソン
 今年の走るイベントを書き連ねてみると、思ったよりたくさん出かけていたようだ。毎年、春と秋には100キロをエントリーしており、それを完走するのが一番の目標だったが、今年は結局一度も完走できなかった。一番長いのが南伊豆の78キロで、もう14時間では100キロは無理かなあと思い知らされた。まだ行ったことにない地域をマラニックしたり、景色のいい山のトレランの方が楽しくなってきた。もう昔みたいな速いペースでは走れない。

1.1月 神津島朝ラン 10キロ
 伊豆諸島の式根島と神津島をトレッキングで周遊した際、メンバーの一部で神津島の一部を朝ランする。
2.2月 浜北ラン 10キロ 
 2月になったらランの練習を本格的に始めようと思い、浜北森林公園などの周りを走る。
3.2月 東海道ラン:弁天島~国府 37キロ
 前年から参加した東海道53次の続き。興津あたりから参加し、今後は京都に向かって走ることになる。
4.2月 清水いいとこマラニック 31キロ
 清水のいいとこを回るマラニック。今回は、三保から初めて渡し船に乗って清水港までワープする。
5.2月 花川お花見ラン 10キロ
 今年も花川沿いの河津さくらの開花状況が気になってお花見ランに出かける。残念ながら河津さくらはまだまだだった。
6.2月 ダイラボウ~満観峰トレイル&ラン 23.7キロ
静岡市内の低山巡りもおもしろそうだと思い、静岡のラン友を誘い、ダイラボウや満観峰をトレランで回る。どちらも富士山の展望が素晴らしい。
7.3月 静岡マラソン フル
 4月のウルトラの練習にと思い参加する。天気はまあまあだったが富士山は見えなかった。タイムも今一つで練習疲れだったかもしれない。
8.3月 神戸ええとこマラニック 24.3キロ
 何度か参加している神戸マラニックだが、今回は裏コースができたというので、そちらに回る。明石大橋まで走ったが、神戸は結構広いなあと思った。
9.3月 鎌倉マラニック 20.1キロ
 鎌倉は何度行ってもいいところだ。知り合いに呼びかけ、鎌倉のいいところをマラニックで回る。距離は短いが、有名な寺院や神社はほとんど回ったので結構時間はかかった。
10.3月 ご近所お花見ラン 20キロ
 春になって桜や花桃が咲きだした。ご近所のお花見スポットを走って巡った。
11.3月 オレンジロード枝垂れ花桃お花見ラン 20キロ
 この時期になると練習に行くオレンジロードだが、枝垂れ花桃が今回も満開になって素晴らしかった。
12.4月 パリマラソン:ブレックファーストラン 5キロ
 久しぶりの海外マラソンに参加。本番の前日、国際親善ランということでルーブル美術館からセーヌ川沿いを走りエッフェル塔に楽しく走ってゴールする。
13.4月 パリマラソン フル
凱旋門からスタートする。パリの有名どこをぐるっと回るコースだ。この時期にしてはかなり暑く、ゴール後脱水症状になり、その後パリの病院に2泊するハメになった。ツアー最終日には退院できたのでみんなと無事帰国できた。
14.4月 天女の羽衣伝説マラソン 71キロ
 琵琶湖の北側にある余呉湖を10周する大会で8回連続の出場だ。1周7キロほどの余呉湖は、さくらと菜の花が咲きだす時期でお花見ランにはうってつけの場所だが、今回も残念ながら桜の開花が遅れていてお花見には今一つだった。
15.4月 水都大阪100キロウルトラマラニック 60キロ
 毎年、春と秋の1回ずつ100キロの大会に参加している。今回は、水都大阪にエントリーしていたが、平坦すぎる単調なコースと暑さで、60キロでリタイア。翌日はUSJで遊ぶ。
16.4月 東海道ラン:藤枝~掛川 30キロ
 藤枝から金谷、日坂を越えて掛川城まで走る。この辺りは、石畳が各所に残っており旧道の名残がたくさんある。
17.6月 天城縦走路トレイル&ラン 24.1キロ
 天城峠手前から八丁池を経て天城山の最高峰:万三郎岳までトレランで往復する。天城のシャクナゲを期待していたが、もう時期が遅かった。
18.6月 シラス丼マラニック 28キロ
  福田港でシラス丼を食べに行くため、磐田駅から走っていく。しかし、福田港で食べたのはシラス丼ではなく天丼だった。
19.6月 東海道ラン:国府~新安城 34.6キロ
 東海道も愛知県に入る。岡崎では、曲がり角がたくさんありすぎてよくわからない二十七曲がりと朝ドラの舞台にもなった八丁味噌工場が記憶に残る。
20.6月 夢街道90キロ 70キロ
 毎年参加している夢街道だが、浜松駅から天竜までは幹線道路となり、車の往来が激しいので走る気になれず、20キロほど電車でワープしてから遠山郷まで走る。
21.7月 石巻山マラソン 15キロ
 真夏の暑い日に石巻山の登山マラソンは結構きつい。気持ちいい汗をかいて美味しいビールを飲めてよかった。
22.7月 東海道ラン:新安城~熱田 38.1キロ
 6月の続き。途中で道を間違え10キロ近くも距離が増えてしまった。この日のゴールは熱田で七里の渡しまでだ。昔は桑名までは船で移動だったが、今は埋め立てられているので桑名まで船で行くことはできない。
23.7月 浜名湖半周サマーラン 30キロ
 7月になってからずっと暑い日が続き、浜名湖半周もうだるような暑さとなる。熱中症で倒れてもおかしくないくらいの状況となり、鷲津から弁天島まで電車でワープする。
24.8月 東海道ラン:桑名~南四日市 22キロ
 7月の続きで、初めての1泊2日の旅ラン。七里の渡しの桑名側から南四日市まで走り、宿のある関まではタクシーで移動する。
25.8月 東海道ラン:関~南四日市 29.4キロ
 順当なら南四日市からスタートするのだが、宿からだいぶ戻らなければいけないので、宿から逆方向に走り、前日のゴール地点に繋げる。
26.9月 遠山郷マラニック 54キロ
 前年は、腰が痛くて40キロほどでワープしてのゴールだったが、今回は全コースを走り完走する。しかし、その後膝が痛くなり、10月まではほとんど走れなかった。
27.10月 東海道ラン:金谷~袋井(補習編) 25.2キロ
 東海道ランの仲間の一人が都合で走れなかったコースを一緒に走りませんかという事で、すでに走っているコースをもう一度走る。まだ、膝の調子が良くなかったので、その後悪化する。
28.10月 壱岐ウルトランマラソン DNS
100キロにエントリーしていたが、膝が痛くてDNSとした。レンタカーを借りて、走っている仲間を応援しながらコースを車で回った。
29.11月 南伊豆みちくさウルトラマラソン 78キロ
 今回も19名の仲間が集まり、民宿を2日間貸切ったマラソンツアーとなった。まだ、膝の調子が思わしくなく完走は無理かなと思っていたが、制限時間が100キロと同じ14時間だったので何とかゴールできてホッとする。天気が最高によく、78キロは大会始まって以来の高い完走率だったらしい。
30.11月 塩の道トレイル:豊科~松本城 25.2キロ
 安曇野でなくした財布が見つかったという安曇野警察署からの連絡で、長野県安曇野まで取りに行かねばならなくなった。ただ、行くだけではもったいないので、塩の道を経由して安曇野警察に寄っていくことにした。財布にはお金もしっかり残っており気分を良くして、同行者には昼飯をごちそうする。信州の塩の道は景色も良くて、いずれ全部走ってみたくなった。
31.11月 京都一周トレイル:上桂~白雲橋 18.9キロ
 京都一周トレイルも全部走ってみたいコースだ。今回は第一弾として嵐山の西山コースから白雲橋まで走る。なかでも常寂光時の紅葉が素晴らしく、秋の京都の人気がうなづけた。白雲橋から先は、台風の被害で当分通行止めだ。
32.12月 袋井メロンマラソン フル
 家からは、一番近い場所で行われるフルの大会なので何度も参加しているお馴染みの大会だ。特に打ち合わせてもいなかったが、多くのラン友と出会うことができた。
33.12月 東海道ラン:草津~京都 31.3キロ
 東海道ランの最終章だ。8人で京都三条大橋に無事ゴールする。この日は、市内に宿泊し参加者で打ち上げをする。
34.12月 京都一周トレイル:伏見・深草ルート 15.1キロ
 11月の京都一周トレイルの第2弾。今度は東の伏見桃山から伏見稲荷までを走る。京都でも一番人気の伏見稲荷の千本鳥居は、外国人の数が凄かった。
35.12月 浜石岳忘年トレイル&ラン 22.2キロ
 5回目にして初めて雨の日となり浜石岳をやめて、旧東海道を駿河健康ランドから蒲原あたりまで往復する。その後は、ラン友たちと忘年会を開催。
36.12月 丸子・焼津アルプストレイル&ラン 13.3キロ
 浜石岳の翌日、有志で丸子と焼津の山々をトレランする。朝鮮岩、丸子富士、満観峰、高草山と縦走し、焼津エキチカ温泉にゴール。2018年の走り収めとなった。

2018朝鮮岩~丸子富士~満観峰~高草山トレイル&ラン

2018-12-25 18:44:29 | マラソン
浜石岳忘年トレイル&ランの翌日、前泊した駿河健康ランドから安部川駅まで向かう。この日は、参加したメンバーのうちの数名が付き合ってくれることになり、丸子と焼津の山々をトレランで縦走することになった。

9:22。安倍川駅をスタートして、朝鮮岩の登り口方面に向かう。この日は、曇りくらいで雨は大丈夫かと思っていたが、最初から小雨模様だ。


住宅地を抜け丸子川沿いをしばらく走る。


登山口に入ると、いきなりの急登だ。


竹林の中を進む。


樹林帯を抜けると展望が開け、静岡市内が一望できる場所まで来た。もう着いたかと思ったが、朝鮮岩まではもうひと頑張りだという。


10:10。朝鮮岩320mに到着する。ガスってはいるが、用宗漁港が良く見える。晴れていれば、富士山、伊豆半島、駿河湾などが一望できる絶景ポイントだという。しかも、夜なら静岡市内や焼津市内の夜景が素晴らしいとの事で、夜景マニアには有名な場所だという。ただ、夜登るにはちょっと一苦労の場所である。


朝鮮岩の標識を入れて記念撮影。なんで朝鮮岩と呼ばれているのか気になって調べたら、元々は晁西岩(ちょうせいいわ)と呼ばれていたのが、ちょうせい→ちょうせんとナマって、朝鮮岩になったということらしい。朝鮮とは全く関係なかったようだ。


朝鮮岩からさらに急登を登っていくと尾根道と巻道の分岐があり、尾根道をたどれば丸子富士だ。迷わず丸子富士めざし尾根道を進む。10:56。丸子富士450mに到着する。山頂からの展望はなく、丸子富士という標識もない。あるのは、「金光山蔵王権現」と刻まれた石碑のみだ。富士という名前が付いていることに期待して登ったのだが、巻道を経由して満観峰に行ってしまう人も多く、静かな山頂だった。


11:19。満観峰470mに到着する。山頂は、弁当を食べたり休憩できたりする見晴らしの良い広場が整備されていて、やはりこの辺りの山では最高の絶景ポイントだ。浜石岳から眺めた富士山の景色も素晴らしいが、満観峰からの富士山も天気さえよければ優劣つけがたい景色だったろうと思うとこの日の天気は残念だった。


しかし、雨上がりで山々に雲海がかかっているのも悪くはない。お腹もすいてきたので、広場のベンチに腰かけて20分ほど昼食休憩する。


満観峰から鞍掛峠に下る途中には、まだまだ素晴らしい紅葉が残っていた。


11:58。鞍掛峠の分岐から高草山へ登り返す。


12:29。高草山501mに到着する。山頂には高草山大権現が祀られている。高草山という名は、薪(たきぎ)としての芝の採れる山というところからきているという。


高草山からの眺めも素晴らしい。多くの登山者が訪れる山頂だというのもうなづける。


フェンスが後ろにあって情緒がないが、一応高草山の標識前で記念撮影。この標識は502.9mと記載されているが、2014年に501mに公式に改訂されている。


高草山からは、焼津市内を見下ろしながら下っていく。


車道に出るとイルミネーションの準備が施された場所に出た。これは、高草山の山腹と東益津小学校グランドにクリスマスイブの夜にだけ出現する「一夜限りのクリスマスイルミネーション」の仕掛けらしい。この日は23日だったので、翌日の夜はこのイルミネーションが点灯されたはずだ。どんなイルミネーションだったのか気になる。


前方に小山のように盛り上がった茶畑が見えてきた。


山の形に沿って美しく刈り取られた茶畑は芸術的だ。この辺りは古墳が多いというから、これも古墳だったのだろうか?


茶畑の脇から、沢沿いのコースに入る。焼津駅まで行くには最短のコースだ。またもや竹林の中を下っていく。この辺りも台風の被害なのか、倒れている竹が数多く見られた。


13:19。林叟院に到着する。開創は室町時代後期の1471年というから、かなり由緒のあるお寺だ。


焼津の平野部まで下りると、あとはひたすら焼津駅目指して走る。13:58。焼津駅が見えてきた。


14:02。焼津駅の中を通り抜け、南口まで出るとゴールの“エキチカ温泉・くろしお”だ。


1時間ほどで風呂から出ると、駅前の居酒屋で打ち上げをして解散する。今年のラン友たちとのイベントもこれで最後だ。ほどよく走って歌って飲んで食べて楽しい二日間だった。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図(走行距離13.3キロ)

2018浜石岳忘年トレイル&ラン

2018-12-24 19:10:31 | マラソン
クリスマス前の最後の週末は、毎年浜石岳忘年トレイル&ランを開催している。今回で5回目となったが、5回目にして初めて一日雨模様の天気になってしまった。ラン友たちと一緒に浜石岳から雪を被った富士山の姿を見たかったのだが、結構酷く降る予想もあり、浜石岳まで山道を進むのは危険と判断し、今回初めてコース変更して旧東海道を蒲原あたりまで走って帰るコースにした。当初、30名近くメンバーが集まっていたのだが、直近になって、故障のため走れない等の理由でキャンセルという人が続出して、当日になって集まったのは20名程度となってしまった。完全に雨というのにも関わらず集まってくれた人たちには感謝に堪えない。

外は雨なので、駿河健康ランドの地下にあるフィットネスクラブのスタジオを借りて、スタート前の集合写真を撮る。


スタジオレッスンを受けているようなイメージで体を動かす人も…。


玄関を出ると外はすでに大降りの雨。カッパを着たり傘を差しながらスタートする。


墓地の間の階段を登り、薩埵峠に向かう。


いつもの薩埵峠のビューポイントで記念撮影。全く富士山は見えない。


由比宿に入ると急階段のお寺があり、階段を上ってお寺の本堂に向かう。この宝積寺は、福井県にある曹洞宗大本山・永平寺の直系の寺院になるらしい。高台にあるので、晴れていれば、駿河湾や富士山の景色が素晴らしいはずだ。


東海道名主の館「小池邸」。小池邸は由比地区で長年名主をつとめた小池家の母屋だ。明治期に建てられたもので、建物の外観は低い軒の瓦葺き、正面の潜り戸付きの大戸、格子等、当時の寺尾地域の民家の面影、建物の外回りの石垣は100年前の美しさをそのままに残している。町内を散策される人々の休憩場所として開放されているので、中に入ってみる。


さざれ石が奥の座卓の上に置かれている。


奥の庭にも立ち寄る。水琴窟の音色が涼やかだった。


東海道由比宿おもしろ宿場館前。以前は、弥次さん喜多さんを模したひょうきんな顔をした人形が入り口にあったが、今は弥次さんか喜多さん(区別がつかない)のどちらか一人しかいない。二人揃って展示してほしいものだ。


東海道広重美術館の前のお堀には、たくさんのカメが飼育されている。右側にあるのは、由井正雪の生家と伝えられている染物屋だ。


東海道の宿場町「由比宿」の本陣跡地に開館した東海道広重美術館。江戸時代の浮世絵師・歌川広重(1797-1858)の名を冠した日本で最初の美術館で、収蔵品は、広重の代表的な東海道シリーズ『東海道五拾三次之内』、『東海道五十三次』、『東海道五十三次之内』など、風景版画の名品だ。


朝が早く、小腹がすいてきたので、中の休憩所でお菓子などをみんなで摘まむ。


11時。蒲原宿に入る。


志田家住宅主屋。志田家は蒲原宿内で米・塩・油等を扱っていたが、江戸後期には醤油の醸造も手がけるようになり、昭和初期まで「やまろく醤油」の商品名で製造・販売していた日本における初期の工場だ。主屋内は店の間・中の間・居間・と続き、「通り土間1列型」の典型的な町屋形式になっている。ここも無料で公開されているので、見学していく。


さらに先に進むと、レトロモダンな洋風町家 「旧五十嵐歯科医院」(旧五十嵐邸)だ。大正3年に、当時の当主故五十嵐準氏が歯科医院を開業するにあたり、町家を洋風に改築。その後昭和15年ごろまでに、西側・東側部分をそれぞれ増築し、現在の形になった。平成12年には、旧来の町家の特徴を残しながら外観が洋風というユニークな造形が評価され、国の有形登録文化財となっている。


面白そうな建物なので、ここも中に入って見学していく。


敷地中央にある機械は、水を二階に送り出すためのポンプだ。歯の治療室は二階にあり、大量の水が必要になるために作られたそうだ。当時としては、かなり先進的な設備だったのだろう


二階の日当りのいい一室が、歯の治療室として使われていた。隣には技工室が備えられている。当時は、前の方には家もなく、海が見える場所で景色を見ながら歯を治療するというのが売りだったのかもしれない。


和風の待合室〈光顕の間〉の富士山と松林の欄間。NHKのロングラン番組「美の壺」で 、この欄間が紹介されたそうだ。


スタートして2時間半くらいとなり、この辺りで引き返すことにした。健脚のメンバー数人は、さらに富士川あたりまで走って行ったようだ。

残ったメンバーで引き返す途中で、珍しいものを食べさせてあげたいというNさんの案内で、ある魚屋さんによる。ここでちょっと摘まんでみたのは“イルカのスマシ”だ。蒲原や由比周辺でよく食べられている郷土食で、イルカの背びれや尾びれをスライスして茹でて2日間、水に浸して塩漬けにした物。凄い弾力があってグニュグニュしているので、別名「蒲原ゴム」とも呼ばれているという。塩味が付いているので、何も付けずそのまま食べられ、酒の肴にもってこいだ。


これがもとの部分。これを見ると、元の姿が浮かんできて食べちゃっていいのかなあと思ったが、郷土食としてこの辺りでは普通に食べられているそうだ。


13:15。駿河健康ランドにゴール。今回は、雨に濡れたので早めにゴールしてお風呂に入りたいというメンバーばかり。夕方から忘年会を予定していたが、早めに繰り上げて15時から開催することにした。駿河健康ランドの12階にある展望レストランを貸し切りだ。






2時間ほどで忘年会を終わると、1階のカラオケルームで二次会を開催。時間に余裕のあるメンバーが10人ほど残り2時間たっぷりカラオケを楽しんだ。






今回でこの企画は終わりにしようかという気持ちにもなっていたが、来年こそは浜石岳からの富士山をちゃんと見たいという声がみんなから上がったので、来年も継続して続けることにした。来年はすっきりと冬晴れの天気になってほしい。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図(走行距離22.2キロ)

2018京都一周トレイル:伏見・深草ルート《その2》

2018-12-20 18:43:15 | マラソン
白菊ノ滝から伏見稲荷に向かう道も台風の被害が大きい場所がある。片側の樹木が根こそぎ倒れている。


伏見稲荷の敷地内に入ると千本鳥居の途中から入ることになる。


千本鳥居は、最初から最後まで歩いてみたいので一旦下まで下っていく。鳥居には奉納した人たちの名前がずらっと書かれている。ちょうどお昼も近くなっていたので、まず腹ごしらえをする必要もあった。


一番下まで行くと参集殿という建物があり、そこのレストランで昼食を済ます。その後、改めて楼門から参拝していく。


本殿でお参りする。


伏見稲荷大社のキツネは、いろいろなものをくわえている。何があるかというと、稲穂、巻物、鍵、玉の4種類だ。稲穂は稲荷神が五穀豊穣の神さまとして崇敬されていたことによる。写真の狐は、稲穂をくわえている。また、巻物は知恵をあらわしている。玉と鍵は、陽と陰、天と地を示すものだという。興味深いことに花火が打ち上げられる時、「たまや~」とか「かぎや~」とか掛け声をかけるが、あれは伏見稲荷大社のキツネがくわえている玉と鍵に由来しているという。面白い。


さて、いよいよ千本鳥居の入り口に向かう。


さすが京都でも最も有名な観光スポットだけに観光客で大混雑。しかも、外国人だらけだ。


20分ほどで稲荷山の最高峰(標高233メートル)の一ノ峰に到着する。


一ノ峰から奥に行ったところに見晴らしの良い場所があり、京都市内を一望できる。


三ツ辻からは別のルートで下山する。京都伏見稲荷の末社である末廣大神ではカエルが狛犬の代わりに守っている。


なかなか可愛いカエルだ。


手水舎の水の出口はカエルの口だ。こんなの初めて見た。


こちらは銭洗弁財天。ザブザブ洗うと財力絶大だと。




13:09。一通り伏見稲荷を回って伏見稲荷駅にゴールする。ここで、京都一周トレイルの伏見・深草ルート約10キロ(実際は、いろいろ回り道したので15キロ)を完走。しかし、まだ時間は早い。ついでに宇治の平等院まで行こうという話になり、タクシーで移動する。

平等院の中に入ると、さっそく鳳凰堂と池が見えてきた。池の畔には置物のようにアオサギがたたずんでいた。


1052年、藤原道長の子である関白・藤原頼通が「極楽浄土」を寺院として再現したのが、現在の鳳凰堂だ。国宝で世界遺産にも登録されている人気の観光スポットである。10円玉の表にもデザインされているからなじみ深い。タクシーの運転手が言うには、曇りの日の方が、池にくっきり鳳凰堂が映るという。幸い天気は曇りで、まさにその通りになった。右から、正面、左からとそれぞれのショットを撮ってみた。






折角だから記念写真も。


最後は、宇治の抹茶をレストランでいただく。




そろそろ雨が降り出しそうな気配になってきたので、近くの宇治駅からJRに乗って帰路に着いた。二日間の東海道ランと京都一周トレイルで京都のいいとこどりが楽しめた旅だった。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図

2018京都一周トレイル:伏見・深草ルート《その1》

2018-12-19 18:33:03 | マラソン
京都一周トレイルの伏見・深草ルートの起点は、京阪電車伏見桃山駅前からだ。8時過ぎ、京都一周トレイルの道標にタッチしてからスタートする。


スタートしてすぐに大きな赤い鳥居が見えてきた。


鳥居は、御香宮神社の鳥居だった。


豊臣秀吉は、御香宮神社を伏見城の守り神としていたそうで、伏見城の石垣の残石がここにずっと保管されている。


御香宮神社は、日本第一安産守護之大神として広く崇められている神功皇后を主祭神としている。初めは「御諸神社」と称したが、平安時代に、この境内から「香」の良い水が湧き出たので、清和天皇より「御香宮」の名を賜ったのが名前の由来だ。


御香宮を出てから明治天皇陵の中を突っ切って進むのが京都トレイルの正規のルートだったが、実際行ってみると途中から通行止めとなり進むことができなかった。これも9月の台風21号の被害の影響らしい。地元の人に聞いてう回路を経由して伏見桃山城運動公園に向かう。

巨大な門の前で記念撮影。門の奥には立派な天守閣が見える。


中に入ってびっくり。こんな立派なお城が京都にもあったのかと驚いた。それにしては、観光案内でも伏見桃山城という名が大々的に出ていた記憶がなく、観光客がほとんどいないのも気になった。天守閣にも入ることもできないらしい。


帰ってから伏見桃山城のことを調べると、本物の伏見城は廃城となって今はないのだという。この天守閣はキャッスルランドという遊園地の売りとして作られた模擬天守と呼ばれる作り物だった。秀吉が建設した伏見城をモデルに作られ40年以上経ち、遊園地が閉園になる時取り壊されるはずだったのが、市民の要望により、伏見のシンボルとして残されたものだったのだ。老朽化が進んでいるため、中に入れなくなっているが、桜や紅葉の季節には天守閣とのコラボでよい風景を見せてくれるようだ。秀吉の時代からあったものではないが、広い公園内にあり市民の憩いの場所のシンボルとして残されていたのは良かったと思う。


住宅地を抜けると、やっとトレイルらしいコースになってきた。大岩山へ向かう道沿いでは竹林の荒れ方が酷い。




竹林を抜けると見晴らしがよくなってきた。


大岩山展望台からは、伏見桃山城が良く見える。まさしく伏見のシンボルだ。


雑木林の中を進む。


大岩神社の入り口では、石の鳥居が無残にもバラバラになって崩れ落ちていた。


大岩神社は、ほぼ壊滅状態だ。


石段を下っていく。


参道沿いの社も傾いたりひしゃげたりしている。これも台風の被害だ。


これは、画家の堂本印象が寄進した鳥居だ。鳥居全体に装飾がほどこされ、まさに鳥居の形をした芸術作品とでも言うべきものだ。堂本印象の母親がこの大岩神社によく参拝していた縁から奉納されたとのこと。


再び住宅地に入っていく。名神高速道路の手前に仁明天皇深草陵という但し書きがあったが、それらしきものが良く見えなかった。陵が削られ住宅地に変わってしまったようだ。


名神高速道路の下を通り抜ける。


しばらくすると住宅地から外れ、山道に入る。京都一周トレイルのコースから少し外れるが、滝がいろいろあるようなので、少し寄り道していく。まず寄ったのが、白菊ノ滝だ。石の鳥居がいくつも立ち並んでいる。


急な階段を登って上の方まで上がってみる。白菊の滝はどこにあるのだろうかとキョロキョロ見回したがそれらしきものは見えないし、水音も聞こえない。


入り口の鳥居まで戻ってすぐ脇に入ってみると、水がちょろちょろと流れ出している場所があった。これがどうやら白菊の滝らしい。滝というと水が大量に流れ落ちているイメージがあったのだが、この辺りでは、このくらいの水量で流れ落ちているのが滝と呼ばれているようだ。この場所で、水行が行われるそうだ。


白菊の滝の近くにあった七面滝。こちらも同様の水量だ。近くに置いてあった寄せ書き用のノートには、外国人が記入したページばかりで日本語のページは全くなかった。外国人には人気のスポットかもしれない。


ここまでくれば伏見稲荷大社の裏庭みたいなものだ。最後の目的地の伏見稲荷に向かってさらに進む。

「2018京都一周トレイル:伏見・深草ルート《その2》」に続く。

2018東海道ラン:大津~京都

2018-12-18 18:09:20 | マラソン
義仲寺からさらに先に進むと関蝉丸神社下社前に出た。この辺りには、蝉丸神社と名前が付く神社が3つある。関蝉丸神社下社には、豊玉姫命が祀られている。また、平安時代中期の琵琶法師で歌人として知られた蝉丸が逢坂山に住んでいたことから、その死去後に彼も上社と下社に祀られるようになり、歌舞音曲の神としても信仰されるようになったそうだ。


京阪電車の踏切を渡って神社に向かう。


ここが、関蝉丸神社下社(旧称関清水大明神蝉丸宮)だ。


下社を出てしばらく進むと道の上の方に、歴史のありそうな構築物が見えた。坂を上がって見に行ってみると鉄道記念物「旧逢坂山ずい道東口」と書いてある。看板を読んでみると、日本人技術者だけによって初めて建設された日本初の山岳トンネルで、現存する最古の鉄道トンネルであるそうだ。鉄道マニアの中では、きっと有名なトンネルなんだろう。


左が「旧 逢坂山隧道東口」、右が明治31年に複線化工事で増設された旧東海道線上り線の隧道。どちらも入り口が塞がれており通り抜けることはできない。


次に向かったのが、関蝉丸神社上社だ。車の往来が激しい国道1号線を渡り、急階段を登っていく。


「夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ」 清少納言
「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」 蝉丸 
こんな有名な和歌が舞台の上にあったので、久しぶりに百人一首を思い出していた。


ここが、関蝉丸神社上社(旧称関大明神蝉丸宮)で、祭神は猿田彦命だ。


清少納言や蝉丸が詠んでいたあの有名な「逢坂の関」はここだったんだ。


逢坂の関を過ぎると「かねよ」という看板がやたらに目立ってきた。この辺りは、“日本一のうなぎ”として有名だという逢坂山かねよ本店の建物がずっと続いている。


どんな料理があるのか、ちょっと店のショーウインドウをのぞいてみる。美味しそうなうなぎ料理が並んでいる。ここのお店でとくに有名なのは「きんし丼」と呼ばれるもので、大きなだし巻き卵を乗せたうな丼だという。


ここが、3つあるうちの最後の蝉丸神社だ。関蝉丸神社の分社となり、関蝉丸神社の上社と下社を合わせて蝉丸神社と総称することもあるそうだ。


階段を上がって行ったところにお社がある。


大津算盤の始祖片岡庄兵衛が、この辺りで店を構えていたという。


日ノ岡峠あたりまで来るとの「亀の水不動尊」という幟が一杯立てられていた。しかし、通りからはそれらしきものが見えずどこにあるのだろうと思っていたら、細い路地を抜けて奥に進むと高さ3mほどの石組みの壁があり、その壁の中腹にある小さな洞穴の奥に不動尊像、入り口には石のカメが顔をのぞかせ口から湧水がとうとうと流れ出ていた。


16時過ぎ。京都三条大橋に到着する。ここで、直接三条大橋まで来たYちゃんと合流し9人となった。


三条大橋の西橋詰にある弥次さん喜多さんの像。


東京日本橋からの長い道のりは三条大橋で終わりだ。発起人のYさんによるとスタートからゴールまでいろんな行事の隙間をぬって企画したので1年8か月かかったそうだが、492キロを完踏したのはメンバーのうちでも数人しかいない。私も途中からなので、完踏できたメンバーは感動もひとしおだろう。


しかしこの日のランはこれで終わりではない。Hさんの提案でランナーにはぜひ立ち寄ってほしいという護王神社までさらに足を延ばすことになった。

通り道にあったのは、尊皇攘夷派浪士たちが新選組に襲撃された池田屋事件(池田屋騒動)の跡地だ。長州藩の定宿だった旅籠・池田屋は、1960年ころに取り壊されたという。現在は同名を掲げた居酒屋の店舗が建っている。


16:40。猪の像が鎮座する護王神社に到着する。ここまでで全走行距離は31.3キロとなった。


来年の干支である猪の絵馬前で最後の集合写真。猪のように猪突猛進できそうなメンバーばかりだ。


木彫りの猪親子。境内にはところかしこに猪が溢れている。


護王神社は、困難な旅を制覇し平安京造営にも貢献した和気清麻呂公を祭神とする。旅の途中に猪の加護により痛めていた足が不思議と回復したという清麻呂公にちなみ、境内には猪がいっぱいというユニークな場所だ。著名なスポーツ選手の祈願も多いという。我々も、来年もまた元気で故障なく走れるようにと祈願をしてきた。


宿に着いてから近くの居酒屋で打ち上げとなった。


東海道ラン最後の生ビールの味は最高だ。


さて、翌日は京都一周トレイルの伏見・深草ルートを走る予定だ。
「2018京都一周トレイル:伏見・深草ルート《その1》」に続く

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図

2018東海道ラン:草津~大津

2018-12-17 21:49:34 | マラソン
今回でいよいよ東海道ランの最終日となった。草津から大津を経て一気に京都の三条大橋まで行く予定だ。8時半頃には草津駅に到着していたのだが、神奈川のHさんがなかなか来ないのでしばらく待つ。Hさんがやっと到着したところで、草津駅前で写真を撮って8人でスタートする。


天気予報では晴れるということだったが、直前まで雨が降っていて気温も非常に低く寒かった。そのうち晴れてくるだろうということで、とりあえずカッパは着なかった。


草津宿は、東海道五十三次の52番目の宿場で、中山道が合流する場所だ。


草津には本陣が現存し、国の史跡に指定されている。現存する本陣としては最大級だという。本陣内は一般公開されているので、さっそく中を見学していく。「大福帳」には、浅野内匠頭、吉良上野介、土方歳三など歴史上重要な人物の名前も多く残っているそうだ。


湯殿。大名などの主客専用の風呂だ。お湯は近くの釜で沸かし、ここまで湯を運び入れたという。


上段の間。主客専用の間で本陣の中で最も格式が高い部屋だ。


楽座館では、いろいろな歴史的資料を見ることができる。


本陣を出て、しばらく進む。


草津宿街道交流館では、浮世絵摺り体験ができる。4色の色を重ねて摺っていくと素晴らしい浮世絵が出来上がった。


旅の体験コーナーでは、旅装束を身につけ江戸時代の旅を体験できる。


草津宿のマンホール蓋。


上北池公園にある野路の一里塚。白地に大きな赤い文字の一里塚は、なんだか興がそがれる。


この野路の玉川は、平安時代末から有名になった歌所で玉のような清水が湧き出たという故事から歌に詠まれた。また萩の名所として「萩の玉川」とも言われ浮世絵名所絵図などに伝えられている。


弁天池。この辺りの農業用水の溜め池として重要な池で中央には島が浮いている。石橋を渡って島へ行ってみる。


島には弁天様が祀られていた。


東海道立場跡。立場とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことから付いた名である。かつては、月輪池の畔に立場が置かれ茶屋等の店が軒を連ねていた。月輪という名は水面に映った美しい月の姿から名づけられたとの一説があり、東海道中の風光明媚な名所だったのだろうが、今は水も枯れていてそんな面影は見えない。


石材屋さんの前に「左・旧東海道」「右・瀬田唐橋」と彫られた碑がある。大きな猫の石像に目が惹かれたが、まずは左に進む。


「たにしあめ」の文字の興味を惹かれ、どんな飴か見ていく。たにしを原料にした飴なのか興味津々で店に入ってみる。


店の人にどんな飴なのか聞いてみると、たにしは原料のことではなく、そのたにしのような飴の形からだということだった。一袋買って食べてみると、味はニッキ風味の黒糖飴で、舐めるとニッキの味が強烈で辛さがすごい。大人向きの飴であることは間違いない。


瀬田唐橋に到着する。


橋の向こうには大きな琵琶湖が広がっている。


東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしか方法はなく、瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であった。そのため「唐橋を制する者は天下を制す」と言われたそうだ。


石山駅近くでちょうどお昼となり、昼食休憩することにした。すぐ目の前にあったうどん屋に入ると8人で満員となり、ほぼ貸し切り状態となった。




お腹も膨れたところで、ちょっと足を延ばして琵琶湖の畔まで行ってみる。琵琶湖の北西にある比良山系の山々は白い雪に覆われていた。




JR膳所駅の北にある義仲寺。その名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲をここに葬ったことに由来している。


この後、さらに京都に向かって進む。

「2018東海道ラン:大津~京都」に続く。

2018JRさわやかウォーキング:豊川いなり寿司フェスタin豊川稲荷

2018-12-08 22:35:21 | ウォーキング
今日は、妻とその友人でJRさわやかウォーキングに行くというので、予定がなかった私もそれに便乗していくことにした。最近、ウォーキングも毎日やっているので距離を稼ぐつもりでもあった。

最近は、歩く人も多く、このような鉄道会社が企画するウォーキングイベントはよく見かける。このイベントのいいところは、予約も参加料もいらないということだ。時間だけ合わせて急に思い立って参加することもできる。

今回のコースは、飯田線の三河一宮駅から砥鹿神社、大いちょう、ヤマサ、桜ケ丘ミュージアム、豊川稲荷を経て豊川駅までの約10キロのコースだ。豊橋駅から飯田線に乗り換えるといつも乗車人数が少ない飯田線の車両が満席になっていた。ほとんどウォーキング参加の人たちのようだ。三河一宮駅に停車すると、一気に客が下車して列車内はガラガラとなっていた。神社の社をかたどったような三河一宮駅を出るとJRの職員たちがパンフレットを配っていた。ここからウォーキングのスタートだ。


10分ほど歩くと、砥鹿神社の境内に入る。


砥鹿神社里宮本社には、大己貴命(おおなむちのみこと)がお祀りされている。大国様(だいこくさま)と慕われる御祭神は、福徳の神・国土開拓の神・縁結びの神として尊崇され、交通安全・家運隆昌・厄難消除等の御利益があるとされている。四囲を欅、楠の大樹に囲まれて、荘厳な檜造りの社殿が建つ。その信仰の歴史は千三百年を遡り、古くから朝廷の崇敬篤く、平安時代には「延喜式内社」に列せられ、三河国の国司が国内神社に巡拝奉幣する筆頭神社「一之宮」となったという。また砥鹿神社奥宮は、本宮山にある。


砥鹿神社を出て、道を下っていくと、のどかな田園地帯に入る。さわやかウォーキングにふさわしい風景だ。


さらに10分ほどで一宮地域の人たちが開催するイベント会場に着いた。会場では、焼き芋や甘酒をいただく。

 
会場の奥には、大和保育園の裏手にあたる場所にいちょうの巨木が立っていた。高さは約25mで、枝は水平方向に10m以上あり、毎年12月初旬には鮮やかな黄色に色づき、遠くから見るとまるで、打ち出のこづちに見えるという。「大和の大いちょう」と呼ばれ、一宮のシンボルになっているそうだ。残念なことに、10月の台風24号の塩害の影響で、南側の葉が茶色に変色したり、枯れてしまっている。もとに戻るにはかなりの年月がかかりそうだ。


東名豊川インターを潜り抜けると、ヤマサちくわの里があり、そこでちくわの試食などをしていく。

桜ヶ丘ミュージアムでは、古代から現代までの郷土の歴史を系統的に展示している歴史常設展や、市民の写真などを展示した市民ギャラリーを見学していく。ちょうど特別展として開催されていた「大岡越前守忠相と豊川展」では、天下の名奉行としてその名をうたわれた大岡越前が、豊川のお殿様だったということを初めて知った!


ゴールまであとわずか。稲荷公園に入る。


豊川稲荷「千本のぼり」の中を進む。のぼり1本奉納すると、1,000日分の精進の効果があるそうだ。


豊川稲荷本殿にお詣りしていく。


この日は、豊川いなり寿司フェスタなるイベントが行われており、いなり寿司の食べ比べがあった。数種類のいなり寿司を買って無料の味噌汁と一緒に食べる。


会場では、「いなりんのお誕生会」もお行われ、いなりんからお餅のプレゼントを受ける人たちの行列が続いていた。いなりんは、愛知県豊川市の観光マスコットキャラクターだ。


豊川稲荷を出る。


12:30。豊川駅に到着してウォーキングのゴールとなった。10キロほどのコースを4時間ほどで歩き、初めてのさわやかウォーキングを楽しむことができた。


参考.今回のコースマップ

2018大蔵高丸・ハマイバ丸

2018-12-03 21:48:55 | 山登り
数年前から登りだしていた秀麗富岳十二景の登頂も今回が最後だ。コースは、湯ノ沢峠から大蔵高丸、ハマイバ丸などを経て景徳院まで下る。これらの山々は、秀麗富岳十二景の3番山頂にあたる。

まずは、新東名新富士インターから朝霧高原方面に向かう。途中で寄ったコンビニから見た富士山。傘雲が二重に掛かり面白い形だ。ただし、傘雲が掛かると天気が悪くなるといわれているから、ちょっと天気を気にしながら先に進む。


午前8時。甲斐大和駅に到着し、東京方面からやってくるMちゃんとTさんを待つ。程なく到着した二人を乗せ、道の駅甲斐大和まで向かう。別の車で来たNさんとも合流し、全部で6人のメンバーが集まった。あらかじめ予約してあったタクシーもすでに待機しており、2台のタクシーに分かれて湯ノ沢峠まで向かう。湯ノ沢峠まで向かう林道は冬季閉鎖となるが、閉鎖は12月中旬頃ということでまだ大丈夫だった。9:15。湯ノ沢峠駐車場前を出発する。


数分で湯ノ沢峠に到着する。今回のコースは、右折だ。左に行けば大菩薩嶺方面に向かうことができる。ハマイバ丸への登山者カウンターを6回押して進む。


鹿よけの防護柵の入り口を開けて中に進む。


二つ目の防護柵も開けて進む。この辺りは夏から秋にかけて草花が咲き乱れ花の美しいコースとしても知られているそうだ。ただ、鹿が増えすぎて草花を食べてしまうため、花を守るため広範囲に柵が設けられているらしい。前方に見えているなだらかな山が大蔵高丸だが、雲が空全体に掛かり、展望が期待できそうもない雰囲気である。


9:50。大蔵高丸山頂1781mに到着する。山頂に到着してみれば、30分ほど前の景色がまるで嘘のように見事な眺望が広がっていた。さすが、秀麗富岳十二景にふさわしい富士山の眺望だ。


セルフタイマーで全員入った山頂記念写真を撮る。山頂付近は富士山の眺望に優れ、なだらかな高原状で展望は素晴らしく視界をさえぎるものがないというのがいい。


ススキの原の中をさらに南下していく。


10:25。ハマイバ丸1752mに到着する。漢字で書くと「破魔射場丸」である。なぜこんな名前が付いたかというと、この土地の山仕事をする人たちが、近くの滝子山の西の浜立山(破魔を立てる山)に向かって矢を射て、山神の加護を願い、身の安全、豊猟などを願ったのではないかということだ。


ハマイバ丸からも富士山の頭が見えているが、やはり雲が多くなってきてうっすらとしか見えなくなっていた。


ハマイバ丸周辺は、ミツバツツジの群生地でもありミツバツツジと富士山の撮影スポットとしても知られているそうだが、今は、枯れ木と枯草の草原が広がっている。この風景も晩秋を彩るものとしてなかなかいいものだ。


10:58。天下石前を通過する。これも一つの山とみるのだろうか。


11:13。米背負峠(コメショイトウゲ)に到着する。昔は、コメを背負って多くの人が峠越をしたのだろうか。


11:28。大谷ヶ丸1643mに到着する。


お昼近くにもなり、朝も早かったので大谷ヶ丸山頂でお昼にすることにした。お昼の準備をしていると、Nさんがまず取り出したのが、本マグロの刺身だ。数種類のマグロが流通しているが、そのなかでも一番大きい「クロマグロ」が最高級とされ、唯一「本マグロ」と呼ばれている。まさかそんな高級品が出てくるとは思わなかった。


本マグロを美味しそうに食べるKさん。


今回の山行は、山頂で鍋料理を食べようというのもテーマの一つだ。食材を厳選してくれたNさんの指示のもと、鍋にいろんな食材を煮込んでいく。


ここまで登ってくる登山者は他におらず、我々パーティで山頂を独占しての昼となった。キムチ鍋にうどんを入れると食が進む。


残った汁に、おにぎりと卵を入れて最後の締めはおじやだ。山頂での鍋パーティは食べるものがいろいろありすぎて1時間47分もの滞在になってしまっていた。


13:45。コンドウ丸1392mに到着する。これまでの山にはすべて丸という名前がついている。なぜこのような名前がついているかというと、丸は朝鮮語の山という意味で、朝鮮から甲府にやってきて帰化した人達が、この辺りに多くすんでいたことの名残だという。


落ち葉が山のように積もった登山道をサクサクと進んでいく。


14:15。景徳院への分岐に出ると右方向に下っていく。


しばらく曇っていた空から陽が射し出し、紅葉の木々を鮮やかに照らし出してきた。


15:06。景徳院が見えてきた。


景徳院の本堂。景徳院は、徳川家康が建立した武田勝頼の菩提寺。天正10(1582)年3月11日、田野地区において織田、徳川連合軍との戦いの結果、武田家終焉の地となった。 山内近くに自刃した勝頼公、夫人、信勝公の生害石や墓が並び、将平や待女合わせて50名の墓がある。


境内のモミジをバックに記念撮影。


景徳院山門前で最後の集合写真。


景徳院からは車道を歩いて道の駅甲斐大和まで向かう。15:53。道の駅甲斐大和に無事到着する。お疲れ様でした。


参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図