とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2020小笠山トレッキング

2020-04-20 21:56:26 | 山登り
小笠山を知りつくしているKさんからのお誘いで、小笠山をゆっくり歩いたり走ったりして小笠山の自然を堪能してきた。過去にも何度かトレランで走っている小笠山だが、今までは景色や自然を楽しむ余裕はなくただ通り過ぎた感が多かったが、今回はKさんがガイドしてくれたので新しい発見が数多くあった。

まずは、エコパスタジアムの駐車場に集合する。参加者は全部で5人。昨今の情勢では、このくらいが限度だろう。互いの距離を取りながらエコパスタジアムの外周を回り、山の中に入っていく。

スタートして1時間ほどで、三ツ峰216mに到着する。展望は全くない山頂だが、三角点に足タッチ。




小笠山の登山道は、痩せ尾根が延々と続く。片側は、切り立った断崖でひとたび足を滑らせたら命の保証はない。低山とはいえ、侮れない山だ。


前半は、Kさんの説明を聞きながらゆっくり歩いていく。


木々の隙間から掛川市内の街並みの先に、雪を被った富士山が良く見えた。


さらに10分ほど進むと展望広場に出る。


展望広場からは、南アルプスの光岳、聖岳、赤石岳も見える。


掛川市内の先には、先日登った粟ヶ岳も見える。


谷と谷の間には、スリル満点の橋が架かり、谷底を眺めることが出来る。


痩せ尾根を何度もアップダウンを繰り返し、六枚屏風を目指す。


六枚屏風の看板のところから、急勾配の登山道を、ロープを頼りに降りていくと、大きな岩と岩の割れ目が見えてきた。六枚屏風とは、砂利含みの山が雨水などによって浸食されたチムニー(柱状に走る岩壁でかつ、身体を入れられるほどの割れ目のこと)状の沢のことだ。


六枚屏風の間には、人ひとりがやっと通れるくらいの道ができており、まるで異世界だ。適当なところまで行って引き返すつもりだったが、通り抜けもできるという話だったので、ひんやりして水が流れている岩の裂け目をぬって奥を目指す。


光が射しているところもあり、洞窟というわけではない。ただ、30センチくらいしかない部分もあり、本当に通り抜けできるのか不安になったが、ボルダリングの要領で、狭い隙間から体を持ち上げ、何とか通り抜ける。


後続のメンバーが抜け出てきたところが出口だ。


出口を出たところで、目の前に犬がいてビックリ。なんと犬を連れた家族連れが反対方向から降りてきて六枚屏風を通り抜けるらしい。まさかこんなところで人に合うとは思わなかった。犬は、六枚屏風を見て怖気づいたのかしばらく我々の後を追って引き返そうとしていたが、飼い主に呼ばれてビクビクしながら中に入っていった。


さて、我々は沢沿いの道なき道を進んで行く。本当に行けるのだろうか心配になってきたが、所々に赤テープが吊るされていたので、誰かが道案内の印をつけてくれたと分かり、赤テープを頼りに進む。


最後は、急斜面をよじ登っていく。




ここまでくれば、ちゃんとした登山道に合流する。先に着いたGさんは、余裕だ。


登山道に出て、数分で小笠山山頂264mに到着する。ワイルドな六枚屏風を通り抜けしたら、こんなにもあっけなく小笠山山頂に着くとは思わなかった。


小笠山から少し歩くと小笠山砦に出る。小笠山砦は、徳川家康が高天神城を包囲するために築いた「付け城」の1つだ。


日当たりがいい小笠山神社で1時間以上のんびり昼食休憩をして、法多山を目指す。途中の登山道では、小笠山で8本ほどしか咲いていないというヒカゲツツジを見つける。淡黄緑色の花なので、新緑の中では、目を凝らしていないと見逃してしまいそうな花だ。


山から下り、集落を抜けて法多山の境内に入る。


法多山にきたからには、やはり厄除け団子が有名だ。お土産を買ってその場でも一口分食べていく。


法多山を出て2キロほど進めば、エコパスタジアムの駐車場だ。そのまま解散で、どこにも寄らず帰路に着いた。何といっても、今回のハイライトは、六枚屏風の通り抜けにつきる。低山ながら、神秘的なチムニーを擁する小笠山の魅力を再発見することが出来て良かった。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図&コースタイム

2020粟ヶ岳

2020-04-12 21:10:45 | 山登り
先日、女房と二人で掛川の粟ヶ岳に登ってきた。近頃は、他人との接触も避けなければならないという事で、マイカーで移動、途中の登山者との接触も避けるなどして静かな山旅を楽しみ、ストレス発散をしてきた。

粟ヶ岳の登山口は、一般的には東山からの往復コースで登る登山者が多いのだが、車でも行けるし、大昔家族連れで登って以来、ちょっと物足らない山だと思い込んでいたので、今回は、全く違うコースで行ってみることにした。いろいろ、調べてみると、最近整備されたばかりの倉真温泉からのルートが面白そうだと思い、そちらから登ることにした。

倉真温泉自体も行ったことがなく、ナビを頼りに倉真温泉近くにあるこんにゃく亭を目指す。こんにゃく亭近くに登山者用の駐車場があり、駐車料金200円(無人)を払って、長源寺に向かう。倉真温泉は1599年に長源寺の梅庵和尚が発見したという事らしく、歴史のあるお寺のようだ。


駐車場にあったコースマップを見ると、長源寺経由のルートは現在通行止めになっているらしく、迂回ルートとなる宝殿神社ルートで行くことにした。幸いルートを示す看板があちらこちらに立っていて地元の人たちがしっかり整備してくれているようだ。鳥居から先が宝殿神社への参道となる。


鳥居から3分ほどで宝殿神社に到着する。神社で登山の安全を祈願してから左後方にそれて登山道に向かう。


登山道は、雨で道がえぐれて木の根も張り出してしまっているのか、なかなかワイルドで歩き甲斐がある。


登山道には、竹林の中を抜けたりと、変化があって面白い。こちらは、けやきとぶなの夫婦木。仲良くけやきとぶなが合体している。


谷側が切れ落ちて、ロープに捕まっていかないと、危ない場所もあり、そこそこスリルもある。


見晴らしの丘からは、新東名高速道路が見える。


10:44。榎辻に到着する。大きな榎が目印となる分岐路だ。粟ヶ岳、松葉、青田の3方向に分かれるが、まずは粟ヶ岳方面に向かう。


榎辻からは、しばらく車道となる。11:20。粟ヶ岳ハイキングコースの入り口に到着する。


下方を振り返ると、東山からの登山道が見える。広大な茶畑の中を登ってくる登山者の姿もちらほら見える。


11:46。磐座(いわくら)と呼ばれる巨石群の場所に到着する。古代社殿がなかった時代の祭祀跡だ。


磐座の近くにある地獄穴。岩の割れ目が地獄に通じていると言われている。


11:54。阿波々神社は、736年に創建され、祭神として阿波比売命(あわわひめのみこと)が祀られている。また、素戔嗚命(すさのおのみこと)と櫛稲田姫(くしなだひめ)を祀った八重垣神社も併設されている。


運がいいことに、阿波々神社の周りは、シャクナゲの花が満開だった。まさか粟ヶ岳山頂がシャクナゲの群生地だとは思いもよらなかった。




阿波々神社から東側に出ると、2019年5月30日にオープンした山頂休憩所「粟ヶ岳世界農業遺産茶草場テラス(愛称 かっぽしテラス)」が見えた。2階建てのテラスで食事処も併殺されている。


かっぽしテラスからは、伝統的農法である「茶草場農法」が培ってきた広大な茶園が織りなす美しい風景をはじめ、静岡空港、大井川、駿河湾が一望できる。そして、テラスの前には、初めて中国から茶を日本にもたらした茶祖として知られている栄西禅師像と、今年の干支である「ねずみ」を模した茶草の巨大オブジェが立っている。高さ5メートル、幅2.5メートルで、ネズミが湯飲みで茶を飲む姿を表現している。


テラスから、茶園や桜を見ながら休憩している登山者たち。我々も、このテラスでしばらく昼食休憩をした。


阿波々神社裏手にある遠州七不思議の一つ「無間の井戸」。その昔、山頂には突くと長者になれるという無間(むげん)の鐘があった。山頂には人が押し寄せ、ケガをしたり死ぬ人も出てしまい、住職は鐘を井戸に投げ込んでしまったという。その井戸が無間の井戸だ。


無間の井戸からすぐ先にあるのが、本当の粟ヶ岳山頂532mだ。かっぽしテラスの前にも山頂標識があるので、本当の山頂まで来る人は少ない。


粟ヶ岳山頂からは、松葉不動滝方面に向かう。このルートに向かう人はほとんどいない。たまたま一人だけ、そちらに下山して行ったので後を追って下山する。しかし、この下山道はとんでもない道だった。ものすごい急勾配でロープに捕まって下りないと危険極まりない。


途中からは、岩や根が網の目のように張り出し、歩きにくいことこの上ない。しかも延々と続いている。


急勾配の下山道は40分以上もかかり、やっと沢沿いに出た。


やっと普通の登山道に出て、しばらく進むと“不動滝の天井覗き”という案内があったので、そこまで行ってみる。危なっかしい場所だが、滝が流れ落ちる場所を間近で見ることが出来るのだ。


一旦登山道に戻り、さらに進むと滝への近道があったので、そこから滝壺まで歩く。落差20mもある倉真川の源流をなす松葉不動滝だ。思いもよらず、なかなかの名瀑だった。


松葉不動滝から元の登山道に戻り、倉真温泉へと進む。途中には、松葉城址の案内があったので、寄り道していく。


10分ほどで松葉城址に到着する。松葉城は室町時代中期、河合氏によって築かれたとされる。明応五年(1495)、当時の城主・河合成信は今川派に属していたが、今川氏に敵対していた軍勢に攻められ松葉城は落城。成信は自害したとされる。


その後は、車道をグングン進み、15:04、倉真温泉の駐車場に到着する。


あまり面白みがない山とバカにしていた粟ヶ岳だったが、今回のコースは変化に富んで面白かった。しかも途中で会った登山者もごく僅かで、静かに山を楽しむにはかなりお勧めだと言えるだろう。

参考1.粟ヶ岳のコースマップ


参考2.粟ヶ岳の高低図とコースタイム

2020お花見天竜マラニック

2020-04-06 09:12:16 | マラソン
2年ぶりに“お花見天竜マラニック”をやることになった。この時期、大々的にやることはできないが、いろんなマラソン大会が中止されてしまい、長い距離を走る機会がなくなってしまったので、久々に長距離をお花見しながら走ることにした。

船明ダム公園に集まったのは、全部で4人。青空が広がり、桜も満開となって絶好のランニング日和の日となった。


8:40。ダム公園をスタートする。


阿多古川沿いの道を走って行く。沿道の桜や花桃がきれいだ。


途中、竹藪の中で何か作業をしている人を見かける。


何をしているのか覗きに行くと、タケノコを掘っていたようだ。春らしい、ひと風景だ。


さらに進むと、沿道の脇に“大なまず神社”の社がある。何百年も昔から、阿多古川には大きなナマズが住んでいたが、村が洪水に襲われたとき、突如二匹の大ナマズが現れ洪水を飲み込み、村は一瞬にして元の静けさを取り戻したという伝説に基づき、この地に祀られているものだ。


阿多古橋を渡ると右折し、熊平方面に向かう。堤防の脇に植えられている桜が朝陽に照らされキラキラしている。


ここから、山の中を延々と登っていく。


山里の風景に癒される。




15キロほど走ってきた。今回の目玉である熊平の桜迄、もうひと頑張りだ。


11:20。熊平に到着する。この先に、樹齢120年という薄墨桜が咲いているのだ。


この天竜区熊平地区にある桜は、エドヒガンという種類で、樹齢120年、幹周3.3m、樹高14mという見事な桜だ。この地域の庄屋であった家の母屋立替の時に植えられたものだという。桜の開花に合わせるかのように、ハナモモや菜の花も開花し、華やかな風景を醸し出している。


立派な倉と桜の巨木が、いい感じだ。


枝垂れ桃の前でも記念撮影。


2年前に立ち寄らせてもらった熊平の食事処は、ご主人が体調を壊してしまった為、現在は営業してないとの事だった。予定では、ここで昼食にするつもりだったが、ここから数キロ先にある道の駅まで行くことにした。この橋を渡れば、「道の駅くんま水車の里」が近い。


食事処・かあさんの店で山菜の天ぷらやソバなどを頂き、昼食休憩する。


ビールを飲んだので、しばらく走るのがキツかったが、今回の最高点となる一本杉トンネル迄の上りをひと頑張りする。


所々から見下ろす山里の風景が素晴らしい。


13:15。一本杉隧道まで来た。標高500mの地点だ。


隧道を抜け、杉木立の道をここから一気に横山まで10キロほど下っていくことになる。


何度も通って見覚えのある、ハクモクレンと紫モクレンの巨木。今年は、ハクモクレンが既に終わっていたが、紫モクレンはまだ残っていた。


横山からは、天竜川西岸沿いを走る予定だったが、みんな疲れてきていたようなので、平坦で距離が短い東岸の国道ルートを進む。


車が頻繁に行きかう国道152号を走る。


道の駅「花桃の里」で、名物の花桃ソフトクリームを食べて休憩。


「花桃の里」を出て、船明ダム湖を横断する「夢のかけ橋」を渡る。この橋は、国鉄の佐久間線用に架けられたものだったが、廃線となったため、現在では歩行者・自転車専用の絶景ポイントに生まれ変わっている。


伊砂橋を渡り、再び国道152号に戻る。すぐ先には、船明ダムが見えている。


「月まで3キロ」地点だ。静岡県では、ベストセラーになっている「月まで3キロ」という小説の原点となる場所だ。


16:00。ゴールとなる船明ダム公園まで僅かとなった。


例年なら、ゴール後桜の下でお花見宴会をしていたのだが、今回は、何もしないで解散。距離にして約40キロを走り、久々の長距離走を楽しむ事ができた。

参考.今回のコースマップ


2020春・九州二百名山&三百名山登山ツアー:4日目霧島神宮

2020-04-04 23:27:55 | 観光
11:45。高千穂河原から霧島神宮の駐車場に到着する。霧島では、一番の観光スポットのはずなのに、駐車場はガラガラだ。


駐車場から霧島神宮の境内に入る手前で、急にKさんが駆け寄ったのは、「坂本龍馬・おりょう新婚旅行祈念」の看板だ。坂本龍馬が妻おりょうとこの地を訪れ、高千穂峰の天の逆鉾を抜いたことやこの霧島神宮にも訪れたことが姉乙女宛の書簡に残され、これが「日本初の新婚旅行」とも言われている。


砂利が敷き詰められた広場の先には、朱色の鳥居が立っている。


階段から降りてきた巫女さんたちは、この時世らしくみんなマスクをしている。


閑寂な老杉の濃い緑に包まれた参道・境内を抜けると、格調高い朱塗りの社殿の荘厳かつ豪華絢爛な姿があらわれます。建国神話の主人公である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祀った霧島神宮は、創建が6世紀と古い歴史を誇る神社だ。最初は高千穂峰と火常峰(御鉢)の間にある背門丘に建てられたといわれているが、霧島山の噴火による消失と再建を繰り返し、500年以上前に現在の場所に移された。現在の社殿は島津氏第21代当主(第4代薩摩藩主)島津吉貴が、1715年に建立・寄進したものだという。


本殿にて、今回の旅が無事終わるようしっかり祈願をする。


参拝を終わり、入り口近くまで戻ってくると、国歌にも出てくる「さざれ石」が目に付いた。さざれ石は、小さな石のことで、巌は大きな岩のことである。「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」と歌われているが、それは小さい石の一つ一つが寄り集まるといつかは大きな岩となるということである。国もまさにそのようなもので、改めて国歌の歌詞の意味を思い知らされる。また、それがなぜ霧島神宮にあるのかというと、薩摩が国歌君が代と、国旗の日の丸の発祥の地といわれているのが理由らしい。


そして、入り口にある白濁した池は、霧島神宮温泉という温泉地だ。白っぽい湯の花がたくさん含まれていて湯底に色をつけている。触ってみると暖かく入浴できそうな池だが、残念ながら駐車場横にあるため入浴はできない。


折角、霧島神宮温泉郷まできたので、近くの温泉に立ち寄ることにした。何軒かある温泉の中で、一番興味を惹いた「さくらさくら温泉」に寄っていくことにした。ここは、塗るだけで美肌になるという「泥湯」を体験できる温泉なのだ。露天風呂の奥の方に源泉があるのだが、温泉成分を豊富に含む「泥」(湯の花)が溜まっている。それを手ですくい上げて体に塗りたくって乾かしてから洗い流すと肌に良いらしい。


泥湯を体験してから温泉を出る頃、ちょうど激しく雨が降ってきた。急いで車に飛び乗り、一路空港に向かう。空港には、十分余裕がある時間に到着して帰路に着くことが出来た。今回の山旅は、あまり天気が良くないという事前の予報で4座制覇は無理かもしれないと思っていたが、終わってみれば全て好条件で登ることが出来、十分満足の山旅となった。

2020春・九州二百名山&三百名山登山ツアー:4日目高千穂峰

2020-04-03 20:34:02 | 山登り
宿を早めに出て、高千穂峰の登山口となる高千穂河原ビジターセンターに向かう。この辺り一帯前日から深い霧に包まれていたが、この日の朝も霧が濃く、駐車場からも山は霧に包まれ全く見えない。止まっている車も1台のみで、ガラガラの状態だ。


高千穂河原の駐車場端に一本の鳥居が立っている。現在沢山の参拝者が訪れる霧島神宮は古くは高千穂峰山頂近くにあり、火山噴火とともに頻繁に焼失したため、天暦年間には高千穂河原に神社が移された。しかし、ここに移された霧島神宮は1235年の噴火で焼失し、鳥居と参道、そして社殿の跡地が残るのみだ。この鳥居は、かつて神社がここにあったことを物語っている。


霧の中を進んで行くと、天孫降臨神籬(ひもろぎ)斎場こと霧島神宮の社殿跡に出る。


石段を登り、鳥居をくぐる。霧に包まれ、厳かな雰囲気の場所に来たと感じる。


広場の奥に、ロープが張られた場所があり、毎年11月、この古宮址と高千穂峰山頂にて「天孫降臨御神火祭(てんそんこうりんごじんかさい)」が行われ、崇敬者が願いを託した祈願札や絵馬が焚かれ国民の平安が祈念されるそうだ。我々も、この前で登山の無事を祈願して登山道に向かう。


樹林帯の中を進んで行くと、次第に霧が晴れてきた。陽も差して明るくなってきた。


いつの間にか、辺りの霧はなくなり、お鉢の縁がくっきり見えてきた。


新燃岳の頭もはっきり見えだしている。


樹林帯を完全に抜けると、急な斜面となる。赤茶けた砂礫の斜面で、新燃岳の噴火により火山礫等が堆積した状態だ。


完全に雲の上に出たようだ。霧島連山が連なっている様子がよく見えている。


雲海の上に頭を出しているのは、桜島だ。左端から噴煙がたなびいているのが見える。


さらに左側に目を移すと、三角錐の山がかすかに見える。本州最南端の百名山、開聞岳だろう。霧の中を登ってきた我々にとっては、最高のご褒美となる大展望だった。


お鉢の上に出ると、荒々しい火口が見える。


今もなお活動を続けている新燃岳からは、噴煙が上がっているのが見える、そして、その奥には、霧島連山最高峰の韓国岳も見える。今年の1月には、韓国岳山頂から高千穂峰を遠望したのが思い起こされる。


高千穂河原ビジターセンターの駐車場も小さく見える。


火口縁を左周りで進み、馬の背を歩いて高千穂峰に向かう。


みわたすかぎりの雲海をバックに歩くのは気持ちがいい。


馬の背から脊門丘(鞍部)に降りていく。かつては、ここに霧島神宮があった場所だ。




脊門丘から10分ほどで高千穂峰山頂に到着する。我々しかいないと思っていたが、先着の登山者が既にいて、この日の2番手であった。山頂からも雲海が広がり、まさに神が降りったった場所にふさわしい状況だ。


細長いポールの下には“天孫瓊瓊杵尊降臨之峯”の文字が見える。この高千穂峰は、日本神話によれば、天照大神の孫であるニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が、葦原中国の統治のために降臨(天孫降臨)した山であるとされている。神話の世界に入り込んだような、不思議な感覚になる。空を見ると、筋のように雲が広がっていて、まさに神が降臨してくるかのような雰囲気だ。改めて、歴史があって山容も素晴らしく霧島山の主峰の風格を十分に備えた山だと思った。


そして、山頂1547mには、ニニギノミコトが降臨したときに峰に突き立てたとされる「天の逆鉾」が突き刺さっている。坂本竜馬が高千穂峰に登山した際に引き抜いたという逸話も残っているもので、その後の噴火で折れてしまったため、現在山頂にあるものはレプリカということだ。




山頂からは、噴煙を上げる新燃岳、韓国岳を一望できる。これ以上ない絶景だ。


山頂からの景色を堪能し、下山しようとすると、一気に雲が沸き上がってきて、あっという間に帰路となる馬の背は霧に包まれてしまった。まるで、我々の下山を待ってくれていたかのようだ。


お鉢の頂上で、もう一度景色を見る。


あとは、火山礫の道を一気に下る。


山頂からは1時間で駐車場に着いてしまった。車もいつの間にか増えていたが、これから登る人は、景色はもう見えないだろう。天気予報も午後から雨の予報となっており、我々が登った僅かな時間帯だけ展望が開けていたみたいだ。奇跡的な登山になったことに、心から神に感謝したくなった。


この後は、今回の山旅の最後となる霧島神宮に向かう。

参考1.高千穂峰のコースマップ


参考2.高千穂峰の高低図


「2020春・九州二百名山&三百名山登山ツアー:4日目霧島神宮」に続く。

2020春・九州二百名山&三百名山登山ツアー:3日目大分マリーンパレス水族館うみたまご

2020-04-02 18:49:29 | 観光
朝、湯布院温泉からは、双耳峰の由布岳がくっきり見えた。やはり湯布院のシンボルといえる山だ。


さて、3日目は1日中雨との予報だったので、登山は中止して観光だけとする。湯布院から別府市内に入り、高崎山のお猿を見に行こうと向かったが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため休園になっていた。しばらく開園する見込みはないようだ。仕方なく併設されている“大分マリーンパレス水族館うみたまご”を見学していくことにした。


高崎山おさる館横から高崎山を見ると、山桜が一杯咲き始めている。


うみたまごの中に入ると、やはり水槽の中で泳いでいる魚の群れを見るのが楽しい。


大きな水槽には、珍しい魚や巨大なエイなどが泳ぎ、ずっと見ていても飽きない。


ガラス細工のような色鮮やかなエビ。


砂場から蛇のように頭を延ばしているチンアナゴ。ぼーっと眺めているだけで癒される。


ドクガエル。その見事な模様と色彩は、外敵を遠ざけるための警告色と呼ばれる護身術であるという。


タチウオ。立って泳いでいるからその名前が付いているのかと思っていたが、外観が太刀に似ていることより、「太刀魚」(タチウオ)と名づけられたという。


目が回るくらいぐるぐる泳ぎ回っている魚の群れ。


ふわふわ優雅に浮き沈みしているクラゲ。


照明の変化により、赤くなったり青くなったりしている。


色鮮やかな熱帯魚。


アシカのショー。


アシカとトドの共演。


ペリカンのショー。




セイウチの腹筋運動。


最後はお決まりのイルカのショー。




ボールを飼育員まで運んでいる様子が可愛い。


2時間ほど、うみたまご内を見学して、霧島へ向かう。霧島までは280キロほどあり、あとはロングドライブだ。夕方、霧島神宮近くの宿に着くが、辺り一面霧の中。10m先は真っ白で何も見えない。宿に近くまで来ても入り口がわからず、うろうろして何とか宿の玄関が見えたときはホッとした。

「2020春・九州二百名山&三百名山登山ツアー:4日目高千穂峰」に続く。

2020春・九州二百名山&三百名山登山ツアー:2日目湯布院観光

2020-04-01 18:03:39 | 観光
15時。2日目の宿となる湯布院温泉に到着する。山側の宿で、湯布院温泉を上から眺める位置にある。雨は降っているものの、まだ時間はあるので傘をさして、湯布院温泉街に歩いて向かう。


しばらく進むと、相撲七福神の看板があり、何だろうと立ち寄ってみる。相撲ミュージアムとの記載もあり、相撲に絡んだ施設らしい。あいにく、休館中だったらしく中には入ることが出来なかった。後で調べたら、大相撲の九重親方(元大関・千代大海)の優勝額等を展示する相撲ミュージアムが入った観光施設との事だった。




菜の花が咲き、桜もチラホラ咲き出していて、のどかな里の風景がうかがえた。


龍峩山 佛山寺。金鱗湖からほど近くにある佛山寺は、杉と竹林に囲まれた臨済宗の古刹だ。約1,000年前、日向国(宮崎県)霧島神社での神のお告げにより、由布岳の山腹にて庵を結び観音像を刻し、祀ったのが始まりと言われている。古くより由布岳の山岳信仰の場として親しまれてきたという。昔ながらの茅葺き屋根の山門がなかなかいい感じだ。


さらに下っていくと、山裾に湯けむりが上がっているのが見える。温泉の町らしい風景だ。


湯布院を代表する観光スポットである金鱗湖(きんりんこ)に到着する。湖の周りには散策路が整備されており、魚や水鳥が泳ぐ姿が眺められ、散策するにはピッタリの場所である。


秋から冬の早朝には、朝霧に包まれた幻想的な金鱗湖の姿を見ることができるという。


金鱗湖の名前の由来。由布岳の下にある池ということで、大分なまりで「岳ん下ん池(=岳の下にある池)」と呼ばれていた湖は、1884年(明治17年)に儒学者の毛利空桑(もうりくうそう)が、湖の魚の鱗(うろこ)が夕日に輝くのを見て「金鱗湖」と名付けたと伝えられているそうだ。


湯布院のメインストリートに入ると、女性観光客が喜びそうなお店が沢山立ち並んでいる。




湯布院夢美術館では、山下清原画展をやっていたので、入ってみたかったが、帰りに寄るつもりで後にしたら宿に戻るのが遅くなってしまい、寄ることが出来なかった。


休憩に寄った喫茶店の入り口からは、由布岳が大きく見えた。午前中はあの頂にいたと思うと感慨深い。


金鱗湖の湖底からは湧水と一緒に温泉がわき出している。その水が、川となって大分川の源流の一つとなっている。水温が若干高い為、色の綺麗な魚もいるようで、美しい清流だ。


湯布院温泉を歩き回り宿に戻ると2時間以上も経っていた。温泉に入り出てくるとちょうど夕食となるいい時間だった。


「2020春・九州二百名山&三百名山登山ツアー:3日目大分マリーンパレス水族館うみたまご」に続く。