とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

小さく折りたためてスマホも収納できるウォーターボトル

2013-05-31 20:53:09 | グッズ


またまた、ちょっと気になるグッズを見つけた。アメリカ製の輸入品である。
名前は「bubi」といい、折りたたみができる水筒である。これまでにも、折りたためる水筒はあったが、この「bubi」は、水を入れる以外にも、スマートフォンやデジカメなどを水濡れから守る防水バッグとしても使えるという。

素材は、ハイグレードシリコンなので、冷凍と解凍を繰り返しても劣化しにくく、水を入れたまま凍らせて氷枕としても使用できるそうだ。また伸縮性があるため、飲み口部分を外すと、本体よりやや大きめのものも収納でき、スマホやデジカメが入るという訳だ。

値段は、450mlサイズが2480円、650mlサイズが2980円となっている。カラーは450mlが4種類、650mlは7種類ある。今後カラーバリエーションはさらに増える予定だとか。ただ、現在予約が殺到し欠品状態が続いているそうだ。購入は、専門サイト「R.more store」 http://rmore.jp/ で受付中だが、チェックしてみたらやはり全品売り切れであった。メールで予約受付をしていたので、とりあえず予約しておいた。(因みにアマゾンや楽天でもすでに取り扱っている)

「健康寿命を延ばす食事力」宗像伸子さん

2013-05-30 23:08:03 | 社会人大学
第2回目の社会人大学の講師は、宗像 伸子(むなかた のぶこ)さんである。東京都出身の管理栄養士で、食生活アドバイザー、(有)ヘルスプランニング・ムナカタ取締役社長などの肩書を持ち、健康を保つ食事の大切さをメディア、講演会、書物などを通して訴える活動を行っている。また、予防医学の普及のために、病院・クリニック・銀行のコンサルタント、大学講師をはじめ、栄養バランスを考える料理教室を開催するなど多方面で活動を行っている方だ。

管理栄養士ということで、健康寿命を延ばすための食事のとり方のお話がメインだった。まず第一は、減塩に心がけなさいという。ラーメンの汁は、全部飲まない。漬物や佃煮は少量に。ソース・醤油をかけすぎない。味噌汁は一日一杯に。加工食品はひかえる。といった項目がいろいろ挙げられた。この中に挙げられた内容は、結構思い当たることが多い。昔から、知ってはいることだが、なかなかそれを守れそうにはない。どうも、濃い味付けから薄味に慣れるのは難しい話だ。

そして、第二は減量することだという。栄養バランスの取れた食事を行う。一日三食決められた時間に食事を行う。早食いを避ける。外食や買い食いを控える。運送と食事を組み合わせる。趣味の時間を持つ。といったことで減量に励んだほうがいいという話だ。この話は、十分納得できるし、問題ない事柄ばかりだった。

つまり、“ただ食品や料理を口にする”“栄養を体内に収める”という一面でとらえるのではなく、食事のもつ意味、文化性、調理技術についてきちんと考え、食事の楽しさを再確認することが必要だという。そして、その実践によって、病気にならない体を維持するとともに、病気になっても、それに打ち勝つだけの対応力を身につけなさいという。すなわち、それが健康寿命を延ばす「食事力」だというお話であった。

講演では、いい食事や悪い食事の例がスライドショーで紹介されたが、夕食抜きで講演を聞いている身にとっては、どれも美味しそうに見えてしまう。見ているうちに、ますますお腹がすいてきてしまい、早々に家に帰り夕食にありついた。講演を聞いたら、今すぐに実践してくださいと言われたが、夕食もしっかり塩分の多い食事になってしまっていた。

島根への旅「3日目・出雲大社」

2013-05-29 21:44:26 | 観光
3日目は、ウルトラマラソンが終わり帰るだけだが、やはり出雲大社には参拝していきたい。帰りの電車の時間が許す限り、ぎりぎりまで見て回ることにした。

宿泊した旅館から出雲大社までは、ほんの数分だ。荷物を置いて、身軽になって出かけた。みんな鳥居前では記念写真を撮りたくなるものだ。


鳥居から本殿へ続く参道は、石畳で一直線の緩やかな下り坂だ。


拝殿入り口前には、平成の大遷宮の看板が立てられている。遷宮とは、御神体や御神座を本来あったところから移し、社殿を修造し、再び御神体にお還りいただくということだ。出雲大社では、60年ぶりに遷宮が行われ、今年の平成25年5月10日に、大国主大神が修造の終わった御本殿にお還りになる「本殿遷座祭」が執り行われたばかりである。まさにタイムリーな時に出雲大社に参拝できたわけだ。因みに、遷宮をする目的は下記のような目的があるという。
(1)木造建築の建物を維持していくため
(2)社殿の建築など様々な技術を継承していくため
(3)神社は清浄であることが必要で、そのために遷宮を行う(神の力がリフレッシュされる)


拝殿のしめ縄。出雲大社といえば、大きなしめ縄が有名で、これを見て喜んでいたのだが、出雲大社の日本一のしめ縄は、これではなく西側にある神楽殿のしめ縄だったらしい。神楽殿のしめ縄は長さ13m、周囲9m、重さ5tもあるという。すぐ近くにありながら、神楽殿まで行かなかったのが今となっては心残りだ。


拝殿からは本殿(本殿のある敷地内には入れない)がよく見えないので、ぐるっと回ってみる。これは、東側から見た本殿だ。


北東側から。


本殿の裏となる北側から。


本殿の西側にある拝礼所。大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いているので、本殿の正面で拝礼したのち、この西側の拝礼所でも拝礼するのが本来だという。


本殿の東西にある十九社(じゅうくしゃ)。八百萬神(やおよろずのかみ)が祀られ、神在祭の際には神々の宿舎となるという場所だ。旧暦十月は、一般的に「神無月(かんなづき)」と呼ばれるが、神々が集まるこの地域だけは「神在月(かみありづき)」と呼ばれている。十月には、全国各地の神様が、出雲の十九社に集まってくるという訳だ。


木の幹に留められた御神籤の凄いこと。


鳥居手前右手にある『ムスビの御神像』。大国主神が、『幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)』(左の玉)のお蔭を頂いて神性を養われ『ムスビの大神』になられたという意味を象徴している像である。


さて、出雲大社では、平成の大遷宮に因んで奉祝行事が連日行われている。この日は、10時から石見神楽保存会久城社中の石見神楽が始まった。帰りの電車に乗るまで30分くらいは余裕があったので、二演目中の最初の演目だけ見て帰ることにした。石見神楽は、島根県西部(石見地方)と広島県北西部(安芸地方北部)において伝統芸能として受け継がれている神楽で、日本神話などを題材とした演目が多いそうだ。

演目は「国譲(くにゆずり)」(「鹿島」ともいう)といい、葦原中国(あしはらのなかつくに)平定を基にした神楽である。経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづち)は出雲国を治める大国主命と国譲りの交渉を行い、大国主命とその第一子事代主命(ことしろぬし)は承諾する。しかし第二子の建御名方命(たけみなかたのかみ)は不服を唱え、経津主神に力比べを挑むが降参して国を譲るという内容である。




大国主命とその第一子事代主命は承諾したようだ。




しかし第二子の建御名方命は不服を唱え、経津主神に力比べを挑んでいる。




結局、建御名方命も降参してしまい、国譲りを承諾したのだ。この格闘が、相撲の起源とも言われているそうだ。


この「国譲」のあとが、「八岐大蛇」という演目だった。実はこれが見たかったのだが、時間がなくて泣く泣く帰路に着いた。「八岐大蛇」は「石見神楽の華」と称されるほどの花形演目で、多くの神楽上演において最終演目として披露されるそうだ。大蛇の目が発光ダイオードで光ったり、スイッチ操作で煙や火を吐く演出や、スモークをたいて雲を演出するなどかなり見ごたえのある神楽らしい。見られなかったのが悔しくて、ユーチューブで検索した動画を掲載しておく。


おまけ:出雲大社の参拝の仕方。「二礼四拍手一礼」の方式で行う
 1.まず手水舎で身を浄める。右手で柄杓を持ち左手を洗い、そして逆も同じように行い、最後に右手に持ちかえて、左手の手のひらに水を溜め口に含んで軽くすすぐ。その後、柄杓を持ち上げ、中の水を柄にたらし柄を洗い清める。
 2.賽銭を入れ90度の礼を2回。その後、4回手をたたく。手を合わせ、願い事を伝える。最後に再び90度の礼を1回して終了。

島根への旅「2日目・2013えびすだいこくマラソン」

2013-05-28 22:10:01 | マラソン
2日目は、100キロマラソンの当日である。午前5時前だが、すでに辺りは明るくなっていた。旅館のすぐ隣がスタートの美保神社なので、焦ることもなく旅館を出た。周囲には大勢のランナーが集まっており、荷物を預けてスタートライン付近に向かった。美保神社の前には、えびす様も出ていて一緒に記念写真を撮る。


その後、だいこく様としまねっこも出てきて、全員で集合写真を撮る。だいこく様は、出雲大社の祭神である大国主神(おおくにぬしのかみ)の事である。また、しまねっこは、島根県観光協会のマスコットキャラクターである。黄色のネコをモチーフにし、頭上の屋根は神社の屋根をイメージしている。島根のキャラクターが勢ぞろいして、スタート地点は大いに賑わっていた。




カウントダウンの後、一斉にスタートする。


スタートしてすぐに男女岩(めおといわ)が現れる。日本全国には、めおと岩と呼ばれる二対の岩が数多くあるが、自然の造形として最高の完成度を誇るのが美保関のこの男女岩ではないかと言われているようだ。良縁や子宝にご利益がありそうである。




海岸線の反対側には、鳥取県の境港の工業地帯が見えていた。


平坦な道は6キロくらいまでで、その後上り坂が始まる。これから、いくつものアップダウンが続くコースとなる。


島根半島を横断して、日本海側の小さな港町に下る。


その後もアップダウンを繰り返しながら、日本海の海を眺めて走る。


七類港のフェリーターミナルが見えてきた。この港からも隠岐の島へ行く大きなフェリーが出ている。


そして、10キロ地点を通過する。このあたりまでは順調だ。


さらに、海岸線沿いの道が続く。この日は、波が穏やかで海の色が美しい。砂浜もきれいで、海水浴シーズンは賑わいそうな場所もある。






岩場から眺めた海の色があまりにも青く、思わず立ち止まって写真を撮る。まさに、藍より青くとはこれほどの色のことを言うのだろう。




20キロ地点を通過する。


23キロのエイドに到着する。このエイドが、一番食べ物があったようだ。天気が良すぎて、気温が上昇していたので、スイカがたくさん出てありがたかった。おにぎりは握りたてで温かかく1個だけ頂く。しかし、この時もっとおにぎりを食べておけばよかったと後で後悔した。その後のエイドでは、あまり腹の足しになるような食事がなく、飲み物ばかり飲んでガス欠に陥っていた。


さらに海岸線沿いの道が続く。


山を下っていくと、はるか先に大きな建物が見えてきた。大きさからみて、原子力発電所ではないかと思っていた。


その一時間後に、大きな建物の前を通過した。建物は、中国電力の島根原子力発電所だった。この原子力発電所の周囲は、かなりの距離にわたって鉄条網が張り巡らされていて、広大な範囲が原子力発電所の敷地になっていたようだ。美しい海岸線を独り占めにして人を寄せ付けない原子力発電所は、この地には似合わない。島根原子力発電所は、日本で唯一県庁所在地に立地する原子力発電所であるそうだ。


やっと50キロを通過する。この頃から、かなりへばってきていた。上り坂はほとんど走れず歩くばかりだ。


住宅地にたどり着いたところで、小さな商店を見つけ、パンを買って食べるが一時しのぎだった。55キロのエイドにはコンビニのおにぎりがそのまま出ていて、あまり食べる気がしなかったが、無理やりお腹に流し込んだ。その後、しばらくは走れたが、上り坂になったらもう長続きしない。だらだらと長い坂道が続き、どんどん時間が過ぎてしまっていた。結局、66キロのエイドの関門に引っ掛かり、そこでリタイアとなってしまった。もう少し行けるところまで行きたかったが、関門に引っかかった選手はルール上収容車に乗らなければならないということで、がっくりしながらバスに乗った。小型のバスなので、大型バスに乗り換えるため74キロの津ノ森エイドまで送ってもらう。津ノ森は宍道湖畔であり、宍道湖名物のしじみ汁をいただく。


津ノ森に大型バスが来るまで1時間近く待つというので、電車で帰ることにした。津ノ森は一畑電車の駅前であり、ランナーはゼッケンを見せるだけで無料だということなので、ちょうど来た出雲大社行きの電車に飛び乗った。




電車から宍道湖がよく見えていた。本来なら、自分の足で宍道湖畔を走りたかった。頑張って走っているランナーも見え、悔しさがこみあげてきていた。


出雲大社駅を降りると、すぐ先にゴールがあった。続々とランナーがゴールしているのが見えた。でも、自分はあのゴールの下に入っていくことができない。


まだ早い時間だったので、旅館のチェックインを先に済ませ、仲間のランナーがゴールするのを見届けようとゴール会場に戻った。結局、一緒に参加したN山さん、うっちゃん、よっぴーさんの3人は全員完走できた。さすが3人とも実力者である。普段の練習も事欠かない。それに引き換え、言い出しっぺの自分だけが、完走できなかったのはやはり悔しいが、練習不足だったのは否めない。暑さや上りに弱いことが、今回は大いに出てしまった結果だった。

島根への旅「3日目・出雲大社」に続く。

島根への旅「1日目」

2013-05-27 21:42:25 | 観光
25日土曜日から、島根の「えびすだいこくマラソン」に参加するため松江に向かった。行き方は、新幹線で岡山まで行き、岡山から特急「やくも」に乗り換える。


松江駅の改札を抜けると、武者姿の男性が我々を迎い入れてくれた。顔は真っ黒で、言葉遣いも武者になりきっていたので面白い観光PRだった。


松江駅から、マラソン受付会場行きのバスが待つ松江市役所まで歩く。距離は約2キロほどなので宍道湖畔沿いの遊歩道を歩く。湖畔沿いの道は整備されており、ジョギングする人も何人か見られた。


松江市役所からバスに揺られ1時間ほどで美保関に到着する。美保関は、島根半島の東端にあり、江戸時代には北前船交易の要所としても繁栄し、多くの廻船問屋などが存在した地域だ。マラソンの受付を済ませたのち、受付会場近くの美保神社(みほじんじゃ)に立ち寄る。美保神社の御祭神は、三穂津姫命(みほつひめのみこと)・事代主神(ことしろぬしのかみ)の二柱である。三穂津姫命は、高天原から稲穂を持って地上へお降りになり、大国主神の御后神となられ、「五穀豊穣・家内安全・子授安産・子孫繁栄・歌舞音曲」の神様として崇敬を集めている。また、事代主神は大国主神の御子神であり、「ゑびす様」の名で世に知られ、「海上安全・大漁満足・商売繁昌・福徳円満・歌舞音曲」の神様として篤く信仰されている。えびすだいこくマラソンは、まず「えびす」様がいる美保神社からスタートするわけだ。




神社の正面には、出雲大社と同様に立派なしめ縄がかけられている。


さて、この日はウルトラマラソン参加者のために、マラソン完走祈願の巫女の舞が披露された。我々マラソン参加者は、神殿内に座りお祓いを受けたのち、神妙に巫女の舞を見ていた。




巫女舞のあと、観光ボランティアの人と共に、青石畳通り(あおいしだたみどおり)を見学する。青石畳通りは、美保関にある天然石を敷き詰めた通りであり、雨に濡れると石が青く光るため青石畳通りと呼ばれている。恵比寿様こと事代主命の総本社として知られる美保神社から、平安時代の仏像5体(重要文化財)を有する仏谷寺までを結ぶ500メートルほどの参道である。途中には国の登録有形文化財の旅館美保館や旧家、資料館などが並び、往時の面影が色濃く残っている歴史ある通りだ。


こちらは、我々が泊まった「福間館」という旅館の青石畳通り側の入り口だ。小説家の小泉八雲も泊まったことがあるという由緒ある旅館だった。


青石畳通りから、さらに2キロほど歩き、美保関灯台まで向く。途中の展望台からは、鳥取の日本百名山「大山」の雄大な山容がしっかり見えていた。


展望台の先には、灯台ビュッフェと美保関灯台が見えてきた。


灯台の先には、晴れていれば「隠岐の島」の島影が見えるはずだ。


こちらが、島根半島最東端の「美保関灯台」である。1898年建立で、山陰最古の灯台だ。世界の歴史的灯台100選にも登録されており、2007年には灯台として初めて国の有形文化財に指定されたという。岬の下にある鳥居は沖の御前島といい、美保神社の祭神えびすさんが釣りを楽しんだ所と云われているそうだ。


この日だけ特別に、マラソン参加者にはドリンク無料サーボスがあった。我々も、無料サービスにつられて灯台まで歩いてきたのだった。


ビュッフェのラウンジで、無料ドリンクを飲みながら展望を楽しむ。


灯台から旅館に戻るとちょうどいい時間になっていた、夕食は、カニなどの海鮮料理だ。これで、翌日のマラソンに向けての英気が養われたことだろう。




島根への旅「2日目・2013えびすだいこくマラソン」に続く。

凄い!三浦雄一郎さん80歳でエベレスト登頂

2013-05-24 18:31:51 | ニュース
昨日の朝から、冒険家の三浦雄一郎さんが、80歳にして世界最高峰のエベレストの山頂にアタックしているという報道を聞いて、どうなったのか気になっていた。その後、無事登頂に成功したというニュースが入り、まさに驚きと共にその精神力と体力に感動した。三浦さんは、70歳と75歳のときにもエベレスト登頂を果たし、今回が3度目というのも凄い。70歳で登頂することだけでも大変なことだろうが、さらに歳を重ねても挑戦し続け、成し遂げてしまうという点がなかなか真似できないことだ。

山を登るということは、人生にも通じることが大いにある。山は、いつでも自分の目の前にあり無くなることはない。一歩一歩前へ進めばいつかは頂上にたどり着けるという訳だ。私も、三浦さんのようなエベレストには登れないかもしれないが、自分の決めたエベレストには一歩一歩ずつだが前に進んでいきたいと思う。そして、60、70になっても歳だから無理だろうなんて思わないで、いつまでも挑戦し続ける心を持ち続けたいと改めて思った。

三浦さんは頂上に45分ほどとどまったあと、下山を開始し、日本時間の23日午後10時15分ごろ、標高8000メートル付近にあるキャンプに無事到着したという。その後も下山を続け、、標高5300メートルのベースキャンプに戻る予定らしい。山登りは、無事下山しなければ意味がない。どうか無事下山して、日本に戻ってきてもらいたいものである。

そんな、素晴らしいニュースもあったが、しばらく前から問題となっている橋下徹大阪市長の一連の発言は、情けないやら呆れてしまう。当初、旧日本軍の従軍慰安婦を肯定した発言や、沖縄米軍に風俗を活用するように進言したなどという報道には、耳を疑った。本当に日本を代表する政治家の発言とは思えない。世間の常識を知らない幼稚な発言ばかりである。その後も当初の発言を撤回しないばかりか、問題をすり替え、白を黒に変えてしまうような論法には辟易する。今日、行われるはずだった韓国人元従軍慰安婦との面会も、元慰安婦側の意向で中止となったという。支援団体では「言ったことを言っていないと言い、責任をメディアや市民に転嫁している」「面会を利用して名誉挽回を図ろうとしている」等と批判しているというが、まさにその通りだ。こんな政治家を選んでいけない。イメージに流されやすい日本では、意外とこういう人が当選してしまう。日本の将来を考えると怖いことである。

「清く、正しく、美しく」古城都さん

2013-05-23 23:02:05 | 社会人大学
今年度第1回目の社会人大学に行ってきた。第1回目の講師は、元宝塚歌劇団月組のトップスターだったという古城都さんだ。月組では男役で活躍し、代表的な役は、「ウェストサイド物語 」の トニーや、「嵐が丘」のヒースクリフだという。残念ながら、宝塚歌劇には一度も行ったことがなく、女性の園というイメージがあって、敷居が高いと思い込んでいたジャンルだ。

講演の前半は、宝塚創設者の「清く、正しく、美しく」の考え方を団員全員が受け継いで現在に至っているという話や歌劇団に入ってから、いろんな苦労や努力をしてトップに躍り出たという話などを聞かせてもらった。ご主人は、俳優の故本郷功次郎さんで、現在はエンターテイメントスクールを主宰し、後進の育成や芸術の振興のための活動を続けているそうだ。

後半は、古城都オンステージとなり、3曲歌が披露された。1曲目は、お馴染み「すみれの花咲く頃」だ。宝塚歌劇団を象徴する歌であり、この歌は誰でも知っている。歌を聴きながらつい口ずさんでしまった。そして、2曲目は「5月のバラ」。いろんな歌手がカバーしているようだが布施明が歌っていたのは覚えている。3曲目は、あの名曲「マイ・ウェイ」だ。古城さんは、今年で70歳になるようだが、年齢からは想像がつかないほどのパワーある歌声にびっくりした。さすが宝塚の男役で何年もトップを張っていた方だけあって、声量は抜群だった。最後は、拍手が鳴りやまなかった。いつまでも、あんなふうにエネルギッシュでいたいものである。

報告:今年初めて、事務局長にあったので社会人大学のパンフレットにあった大道芸の不思議な写真のことを聞いてみた。写真自体は本物で合成写真ではないそうだ。ただ、実際に女性が宙に浮いているのではなく、二段になった鉄の椅子に二人が腰かけているらしい。衣服にうまく隠されているので仕掛けが見えないだけなのだ。
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/f8fd1c042dac52cb44df7963a6c7c9eb

このところやたらに眠い

2013-05-22 22:46:39 | 呟き
春になって、いい気候になったのかやたらに眠くなる。テレビを見ていても、メリハリがない番組だとつい“うとうと”してしまう。昼間でも、食事をした後、ぼうっとしていると眠くなってしまう。一番の原因は、夜更かしして寝不足になっているのだとわかっているのだが、ついついいつも夜更かしだ。

総務省の「社会生活基本調査報告」によると、20歳から60歳の日本人男性の睡眠時間平均値(平日)は7時間34分、女性は7時間03分だという。年代別では、男女とも30代から急激に平均睡眠時間が短くなり、40代で最短となっているそうだ。特に40代女性の平均睡眠時間は7時間に届かず6時間50分程度である。この年代の女性は、仕事に家事に一番忙しい時期かもしれない。私の場合も、40代の女性レベルの睡眠時間しかとっていないようだ。もういつまでも若くはないので、やっぱりもっと睡眠とらなくてはいけない。昼寝を20分程度でもしておくと、脳の回復が早いという。昼間でも眠くなったらちょっとだけでも眠ることにしよう。