とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021第4回熊野古道ジャーニーマラニック:大辺路編その1-3日目(見老津~田並)

2021-03-25 19:18:23 | 熊野古道
夜明けまで雨が降っていたが、ホテルを出る頃、雨が上がっていた。念のため、雨具を着て周参見駅まで向かう。


5分ほどで周参見駅に到着する。


10分ほどJRに乗って見老津駅で降りる。昨日もここまで来たので2回目だ。


国道を少し進み、大辺路の看板を見ながら坂を上がって行くと小学校に出る。地図を見ると、小学校の校庭を通るとあり、校庭の中を通っていく。数年前にすでに廃校になっていたようだ。


コースから少し外れるが、入り口に「童謡の園」という案内があったので、どんなところかと寄り道していく。すさみ町の海岸沿いにあり、昭和62年10月にできた日本で初めての童謡を集大成した公園だそうだ。


紀州ゆかりの「まりと殿様」「鳩ポッポ」「お花が笑った」をはじめ心に残る10曲の童謡を集めているという。ボタンを押すと「まりと殿様」が聞こえてくる。


こちらは、「鳩ポッポ」。


「お花が笑った」。園内は無料なので、全部回ることもできるのだが、雨が今にも降りそうなので、3ヶ所ほどで切り上げ先に進む。


道の駅「すさみ」に着くと、雨が降り出してきた。やはり、天気予報通りだ。雨宿りを兼ねて、隣接する『エビとカニの水族館』に入館料を払って見学していく。ここは、エビやカニなどの甲殻類専門の小さな水族館だ。




手作り感に溢れ、アットホームな雰囲気の漂うこの水族館は、”日本一貧乏な水族館”を自称する崖っぷちに立たされた水族館だというが、珍しいカニやエビが見られて面白かった。


雨は止まないので、道の駅の中で雨具を着て、大辺路を再び進む。里野の浜前まで来た。


ここからは、砂浜の中を進む。




砂浜から、磯の岩礁を回り込んでいく。




今までの大辺路とは、まったく趣が変わり、ちょっとしたアドベンチャーだ。


12時を回り、お腹が空いてきたが、雨が降っているので休む場所がない。ちょうど和深駅が近かったので駅で昼食にしようと思って立ち寄ってみたが、小さな駅で全員が座れるような場所もない。小さな駅舎で、立ち休憩しながら昼食にする。


反対側のホームに一風変わったモニュメントがあり、何だろうと近寄ってみると、平野功二監督が紀南を舞台にした自主製作映画「たまご」のロケ地が和深駅だったらしく、それを記念した“たまご”のモニュメントらしい。


雨は小降りとなり、新田平見道の入り口に入った。


田子駅を過ぎると、富山平見道の入り口に入った。


富山平見道に入り、最初は順調に進んだのだが、後半になって道が不明瞭となった。雨で道が泥濘、どこに進んでいいかわからない。ゴールとなる田並駅の電車の時間にもあまり余裕がない。藪漕ぎをして進めば国道に出られる可能性もあったが、安全を考え、元来た道を戻り、国道に出る。あとは、国道をひたすら進む。


14:35。新宮方面行電車の発車時間10数分前に田並駅に無事到着する。


紀伊勝浦駅でのワイドビュー南紀の乗車時間まで待ち時間があったので、駅前の日帰り温泉に入って濡れた服を着替え、無事帰路についた。今回は、予定通りできなかった部分もあったが、臨機応変にスケジュール変更ができて、最後はぴったり帰りの電車に乗ることが出来たので、結果オーライで悔いは残らなかった。体力的にもキツイ行程だったが、全員落伍することもなく、付いてきてもらえたのもありがたかった。

参考1.3日目のコースマップ


参考2.3日目の高低図&コースタイム

2021第4回熊野古道ジャーニーマラニック:大辺路編その1-2日目(長井坂)

2021-03-24 18:40:05 | 熊野古道
周参見駅についてから、今後の予定を考えていたが、翌日の雨を考えると、この日のうちに難所を片付けておきたいという事で、次の長井坂をこの日の内に終わらせることにした。ただ、問題は帰りの電車の本数が少ないのだ。2時間~2時間半くらいに1本しかない。どうしようかと考えていると、見老津方面へ行く電車がすぐに来ることが分かったので、急いで飛び乗り、見老津から周参見に逆行して戻ることにした(宿を周参見で予約してあるので戻るしかないのだ)。

逆行なら時間を有効に活用できるので、名案だった。周参見から見老津は一駅ながら結構距離が長い。10分ほどの乗車で見老津駅に到着する。駅を出ると海岸沿いの国道を少し走る。


ほどなく長井坂の入り口に到着する。熊野古道大辺路の長井坂は、「長い坂」が続くことからつけられた名称で、大辺路街道の中でも特に古道の面影が色濃く残されている。


樹木に覆われたトンネルの中に入ると長井坂の始まりだ。


ウバメガシに囲まれた林は、踏み固められた歩きやすい道で、雰囲気がいかにも古道らしい。


尾根からは枯木灘が眺望でき、なかなかの絶景だ。


1時間15分ほどで、長井坂西登り口に到着する。


和深川王子神社に到着。寛永2年(1625)の創建と伝えられる神社だ。御神体には、室町期以前と思われる文化財的価値が高い懸仏3体が完全な形で保存されているそうだ。


西浜バス停付近から再び国道に合流する。


枯木灘の岩礁がゴロゴロと剥き出しになっている様子がよく見える。


国道の脇から坂を上がり、フェンス沿いの道を進む。


いよいよ最後の難所である馬転坂だ。馬も転げ落ちるという急な坂という事なのだろうか。ところが、しばらく進んで行くと、なんだか熊野古道の案内板がなくなり、やたらとピンクリボンが目立ってきた。コースの目印としてのリボンだろうから、YAMAPの地図とグングンと外れていくが、他に案内もないので信用していくしかない。


展望がいい高台に出ると、目の前には驚くべき光景が広がっていた。太陽光発電のソーラーパネルが山一面に広がっていたのだ。その広さは半端ではない。山がこれほどまでに切り開かれソーラーパネルで埋め尽くされているとは思いもよらなかった。本来なら、ソーラーパネルが敷き詰められた辺りを熊野古道が通っていたに違いない。熊野古道が、太陽光発電所で分断されてしまっていたのだ。ピンクリボンの道は、迂回路であったらしい。


馬転坂を何とか通過して、生コン工場の横を出ると、国道に合流し周参見の宿に向かう。

17:35。周参見の宿に無事到着する。ちょうど雨がポツポツと降り始め、ギリギリセーフで良かった。これで、翌日の予定が楽になり、完走の目途がついた。しかし、1日の総距離が33キロ以上となり、さすがに疲れた。


参考1.2日目長井坂のコースマップ


参考2.2日目長井坂の高低図&コースタイム


「2021第4回熊野古道ジャーニーマラニック:大辺路編その1-3日目(見老津~田並)」に続く。

2021第4回熊野古道ジャーニーマラニック:大辺路編その1-2日目(富田坂・仏坂)

2021-03-23 22:22:39 | 熊野古道
朝のパンダヴィレッジの風景。いろんなパンダドームがあって面白い。この日は、満室だったらしい。


給水タンクにもパンダの絵が描かれていて、敷地内はパンダづくしだ。


パンダヴィレッジから、タクシーで前日のゴール地点に向かう。ここからは、富田坂と呼ばれる坂を上る。江戸中期の画家長沢盧雪(ろせつ)ゆかりの禅寺草堂寺横から、安居(あご)辻松峠まで、約5kmの上り坂が続く大辺路の難所の一つだ。


10分ほどで草堂寺に到着する。


草堂寺は、白浜町にある臨斎宗東福寺派の禅寺で、境内が世界遺産となっている。江戸中期の円山応挙門下の画家、長沢廬雪(ながさわ ろせつ)が障壁画を描いているそうだ。


草堂寺のすぐ横から古道へ入っていく。つづら折れの急な道は、七曲がりと呼ばれている。


展望のいい場所からは、南紀しらはま空港が見えた。


古道のおもむきが残る道を進む。


富田坂茶屋跡に到着。


安居辻松峠を過ぎ、林道の合流地点に到着する。


小さな滝がいくつも見える。


古道沿いには、桜が咲きだしている。


三ヶ川バス停を過ぎると、コバルトブルーに輝く日置川に出た。


日置川沿いに進む。


安居の集落に入ると、「大黒柱のある家」という札が下がっている家が何軒もあって目立つ。これは、村おこしの一つで「古道歩きの人に何か感じてもらいたくて、古民家が並んでいることを知ってもらう」という理由らしい。


日置川の安居の渡し場までもう少しだ。


安居の渡しは、大辺路で唯一、川を舟で渡る場所だ。


事前に予約してあったのだが、我々が早すぎたのか、船頭さんがまだ来ていなかったので、安居の渡し場の看板前で記念写真を撮る。


しばらくすると、二人の船頭さんが現れ、川舟に乗り込む。安居の渡しは、昭和29年に廃止されたというが、平成17年に地元の人々の手によって「大辺路安居の渡し保存会」が結成され、昔ながらの渡し舟が復活したそうだ。


日置川の清流を渡る。


対岸には、あっけなく到着するが、一番深いところで水深8mもあるというから、とても川に入って渡ることはできない。渡しが復活してくれたおかげで、大辺路を繋ぐことが出来るのだから本当にありがたい。


無事、対岸の仏坂入り口に到着する。


参考1.2日目富田坂のコースマップ


参考2.2日目富田坂の高低図&コースタイム


船頭さんが帰っていくのを見送る。


直ぐに仏坂の入り口となり、急坂を一気に上がる。


仏坂の茶屋跡を過ぎれば、緩やかな下り道だ。山を見上げると、一面ヤマザクラだ。


周参見王子神社に到着する。


14時過ぎ、周参見駅に到着する。当初の予定では、ここが2日目のゴールだったが、時間が早すぎた事と、翌日大雨が予想され、この先にある難所の長井坂を雨が降る前にやっつけてしまおうという事になり、さらに先に進むことにした。

参考3.2日目仏坂のコースマップ


参考4.2日目仏坂の高低図&コースタイム


「2021第4回熊野古道ジャーニーマラニック:大辺路編その1-2日目(長井坂)」に続く。

2021第4回熊野古道ジャーニーマラニック:大辺路編その1-1日目(紀伊田辺~紀伊富田)

2021-03-22 22:01:57 | 熊野古道
先週に続いて、再び熊野古道だ。前回、伊勢路を終了したので、今回から大辺路が始まる。

新大阪から、初めて特急くろしおに乗り、紀伊田辺駅で下車する。和歌山県の海岸部は一度も行ったことがなく、初めての場所がこれからずっと続くことになる。紀伊田辺市は、“武蔵坊弁慶”ゆかりの地として、“弁慶産湯乃井戸”や“弁慶松”などの多くの史跡や伝承が残されている。駅前の大きな弁慶像の前で集合写真をとってスタートする。


駅から数分で闘鶏神社入り口に到着する。


鳥居の下には、熊野参詣道(大辺路)の大きな石碑がある。


闘鶏神社に参拝していく。


闘鶏神社の名前の由来は、源平合戦の時、武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増(たんぞう)が、社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したことからといわれている。神社の境内には、その謂れをモチーフにした像が立っている。


舗装道路をしばらく進むと、大潟神社に着く。社伝によると、欽明天皇10(520)年の頃の創建とあるが詳細はわからず、最も古い「田辺村々・瀬戸・神社書上」(慶安2年)に記されていることから、慶安2(1649)年以前の創立であることは確かだという。明治維新の神仏分離の動きの中で、明治元年9月、大潟宮(大潟神社)と改称されたそうだ。




沿道では、既に桜が満開となっていた。


ところどころ古道の面影が残る道を進む。


要所要所に「大辺路」の案内看板が立っているのでわかりやすい。


JRの線路をまたぐ跨線橋が見えてきた。


櫟原(いちはら)神社に立ち寄る。旧諏訪神社、梅田神社、厳島神社、岩崎神社の4社を合祀して櫟原神社になったという。




山王橋(さんのうばし)が見えてきた。


山王橋は潜水橋(沈下橋)のひとつだ。かつては木製の橋で流失していた橋を、高知県の四万十川に架かっていた沈下橋を参考にコンクリートの潜水橋にしたという。


厳島神社の前を通過。


保呂の虫喰岩。この岩壁は田辺層群上部層の厚い砂岩と礫岩の地層からなり、礫岩の部分に「虫喰い」風化がよく見られる。


岩壁には多数の凹みが蜂の巣状に密集している。この蜂の巣状の風化はタフォニと呼ばれ、地層中の塩類の溶解と析出によってできたと言われている。


平間神社前を通過。


魚藍観音。大きな魚に乗った観音像だ。富田川に棲息し人々の生活の糧となった魚類の供養とその子孫の繁栄を願って建立されたものだという。


日(にち)神社まで来た。日神社は、仁安2年(1167)吉田少将範秀が伊勢神宮の分霊を奉斎したのにはじまるといわれるそうだ。ここまでで、1日目の大辺路は終了だ。


富田橋を渡り、紀伊富田駅からJRで白浜駅に向かう。白浜駅から1.5キロほど歩くと、この日の宿となるパンダヴィレッジに到着する。


和歌山のアドベンチャーワールドといえば、パンダで有名だが、この「パンダヴィレッジ」というホテルでは、25頭の個性的なパンダドームがお出迎えしてくれる。この日は、パンダドームに宿泊だ。


参考1.1日目のコースマップ


参考2.1日目の高低図&コースタイム


「2021第4回熊野古道ジャーニーマラニック:大辺路編その1-2日目(富田坂・仏坂)」に続く。

2021第3回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その2-3日目

2021-03-17 21:07:50 | 熊野古道
この日の宿も素泊まりのため、前日買っておいた朝食を部屋の中で食べて、午前6時に宿を出る。オープンしてまだ1年くらいの海外資本のホテルだ。


ホテル前の立派な歩道橋を渡っていく。


熊野灘に面したロケーションのいい場所だ。調度日の出の時間に近く、水平線が赤みを帯びてきていた。


歩道橋を降りると阿田和駅が目の前にあり、始発の電車に乗って、前日のゴールとした二木島駅で下車する。


二木島駅から住宅地の細い路地を通り、熊野古道の表示に従って階段を上っていく。


階段を上りきった場所からは、二木島駅と二木島湾が見える。この日もいい天気になりそうだ。


杉と桧の山林を縫うように、ほぼ全区間に端正な石畳道が通じており、適度なアップダウンで快調に進む。


この日最初の峠は、二木島峠だ。


二つ目の峠は、逢神坂峠だ。逢神とは伊勢の神と熊野の神が出会う場所という意味だが、かつては狼が出没したことによるとの説もある。


1時間20分ほどで、二つの峠越えを終え、新鹿の集落に下りる。当初の予定では、前日ここまで来るつもりであったが、とても1日では歩いてこられなかった道というのが、よくわかった。


新鹿海水浴場。ここも美しい浜だ。


国道をしばらく進み、トンネルの手前の石段を登る。


波田須の道。波田須は、二千年以上の昔に不老不死の仙薬を求めて中国からやってきた徐福が上陸した里と伝えられている。海と山の間に棚田や民家が点在する。徐福が求めた不老不死の薬だといわれる天台烏薬の木は、波田須神社や徐福の宮周辺に植えられているそうだ。


波田須の石畳は、伊勢路では最も古い鎌倉時代の道である。一つ一つが重厚で大きく、江戸時代の石畳とはっきり区別がつく。


徐福の宮を過ぎると、波田須の集落と絶景が広がっている。


ルートから少し外れた場所にある波田須の文字岩。西丹後守屋敷跡の前の巨石に、仇討ちに来た夫婦を返り討ちにしてしまったことを自ら戒め、「勤愼忍」と刻んだものだ。


この日、3つめの峠となる大吹峠に到着する。


大泊から、この日4つめにして最後の峠となる松本峠の登り口に入る。熊野市の大泊と木本を結ぶ松本峠は、名勝・鬼ヶ城の山手に位置している。苔むした風情のある石畳は、最も古道らしい雰囲気を残しているといわれ、ガイドブックの表紙などにも松本峠の写真が使われている。


松本峠では、およそ135cmの大きなお地蔵さまが出迎えてくれる。足元を見ると、お地蔵さまには似つかわしくない弾丸の痕が残っている。江戸時代のはじめ、薄暗い峠を越えてきた鉄砲の名人が妖怪と勘違いして発砲してしまった跡だと言われている。


松本峠を下っていく途中では、ゆるやかな曲線を描きながらはるか遠くまで延々と続く七里御浜の風景が一望できる。熊野古道随一の眺望とも言われている場所だ。


あとは、平坦な道が続く浜街道を一直線に進む。


獅子岩。巨大な獅子が海に向かって咆哮するような姿をした高さ25mの奇岩。国の名勝・天然記念物だ。そばを流れる井戸川の上流に鎮座する大馬神社の狛犬として、隣の神仙洞と共に位置付けられている。


花の窟(はなのいわや)神社に到着する。ここは、720年(奈良時代)に記された日本最初の歴史書である『日本書紀』の神代第一で「国産みの舞台」として登場している。この地は熊野三山信仰に先立つ古代からの聖地「窟の熊野」として重要な意味を持っており、まさに日本人のルーツといえる場所だという。


たくさんの幟が立ち並ぶ参道を進んでいく。


ここが、「花の窟」。花の窟神社の御神体で、高さ70mに及ぶ岩壁だ。日本書紀によれば、多くの神々を生んだイザナミは、最後に火の神カグツチを生み落とし、陰部を焼かれて死んでしまい、そのイザナミを葬った場所がこの花の窟だとされている。


道の駅「花の巌」で昼食を済ませ、再び七里御浜沿いに進む。


伊勢路最後のコースを、美しい浜を見ながらゴールを目指す。


14:20。朝、出発したホテルに無事到着する。これで、その1、その2、その3を併せて計3回で熊野古道伊勢路をすべて完踏することができた。3日目は、前日辞めたコースが加わり距離が長くなったが、後半の平坦な道が幸いして遅れることもなく予定より余裕のある時間にゴールできたのはラッキーだった。


阿田和駅前の観光案内所で十分休憩した後、阿田和駅から熊野市駅で下車する。熊野市駅からは「ワイドビュー南紀8号」に乗るつもりだったが、待ち時間があまりにもありすぎるので、途中下車して、近くの銭湯で汗を流してから帰路についた。

参考1.3日目のコースマップ


参考2.3日目の高低図&コースタイム

2021第3回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その2-2日目

2021-03-16 19:07:11 | 熊野古道
2日目は、今回最もハードな行程となる。峠越がいくつもあり、予定通りのコースを走破できるかも未知数だ。ホテルの朝食はないので、朝7時にホテルを出る。


昨夜は大雨で、部屋にも雨の音がずっと聞こえていたが、夜明けとともに雨は止み、素晴らしい雨上がりの朝となっていた。


尾鷲駅前のコンビニまで行って朝食を買い、店の前で朝食を済ます。朝食を済ますと、尾鷲市内の熊野古道に入っていく。住宅地内の古道は細い道が多く、迷路のような道を進んで行く。


民家の裏の路地を進む道もある。


矢ノ川に架かる矢ノ川橋を渡る。


橋を渡り切ったところで後方を振り返ると、前日越えてきた馬越峠方面が見える。矢ノ川橋周辺は、かつて巨大な石油コンビナート施設があったようだが、今は大きな石油タンクもなく更地となっていた。


八鬼山峠入り口を示す道標。八鬼山峠(頂上)まで4340m、140分とあり、思いのほか時間がかかりそうだ。


本格的な登山道となる八鬼山峠登山口。


早速、石畳の登山道が始まる。天気は良かったものの、雨上がりの登山道は、大雨のせいで湧き水が大量に湧き出し、石畳の上を流れていた。


入口にあった杖が役立ち、石畳の上を慎重に滑らないよう歩いていく。


八鬼山峠は、西国第一の難所といわれ、かつては山賊や狼が出没して巡礼者を苦しめたという。そんな八鬼山越えの中でも最も勾配がきつい難所で、延々と石畳の急坂が続くのが、七曲がりだ。七曲がりを登りきると平坦な道に出る。


小さな沢も、いつもに増して水量が多いようだ。


熊野古道の峠道には、あちこちに大きな岩が見られるが、八鬼山越えでひときわ目立つ大岩は、蓮華石と烏帽子岩。背の高い岩が烏帽子岩で、手前の横幅の広い岩が蓮華岩だ。


苔むした大岩が周りにゴロゴロしている石畳の道をさらに登っていく。


荒神堂に到着する。ここには、西暦702年に創基された八鬼山日輪寺があったそうだが、今は、寺院は残っておらず、荒神堂に仏像が納められているという。


荒神堂の前には、荒神茶屋跡も残っている。


10:20。八鬼山山頂647mに到着する。登り口から案内板通り約2時間かかっていた。


八鬼山山頂は眺望がないが、さくらの森広場では海側を広く見渡せる。この高さからの眺望は伊勢路随一で、ここまで頑張ってきたご褒美のような眺めだ。


さくらの森広場から1時間ほどで江戸道を下り、西国第一の難所といわれる八鬼山峠越が終わった。尚、下山の途中には江戸道と明治道の分岐を表す道標があるが、明治道の方は現在整備されておらず危険だという。世界遺産に登録されているのは江戸道という事で、必ず江戸道の方を通った方が良い。


お世話になった杖を返していく。


さらに15分ほど歩くと、三木里海水浴場に到着する。入り江の中にある美しい海水浴場だ。


ちょうど12時となり、近くにはトイレもあり、東屋でランチとする。


三木里からヨコネ道と呼ばれる山道に入る。


展望がいい場所からは、三木里海水浴場や八鬼山方面が良く見える。


三木峠を越え、次の羽後峠で一休み。


賀田駅を過ぎると、曽根次郎坂・太郎坂に入る。尾鷲市賀田から熊野市二木島へ抜ける甫母峠を越えるコースだ。「次郎・太郎」の名前の由来は、かつて「志摩の国」と「紀伊の国」の国境であったため、「自領・他領」がなまったものだという。まず、最初に登るのが次郎坂だ。途中には、鯨の形をした鯨岩がある。


甫母峠を越え、太郎坂に進む。


16:10。二木島駅に到着し、ここから電車に乗って阿田和駅まで向かい、阿田和駅前の宿に泊まる予定だ。


当初の予定では、この先の二木島峠、逢神坂峠を越え、新鹿駅まで行く予定だったが、やはり無謀な計画であった。電車の本数が少なく、1本乗り過ごすと、次の電車が来るまで2時間近くも待たなくてはならない。難所の八鬼山峠越でかなり体力的にもきつかったので、一駅手前で電車に乗って正解だった。

参考1.2日目のコースマップ


参考2.2日目の高低図&コースタイム


「2021第3回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その2-3日目」に続く。

2021第3回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その2-1日目

2021-03-15 22:18:38 | 熊野古道
熊野古道伊勢路は3回に分ける計画で、その1とその3は、既に終わっていたが、その2はいろいろな都合でのびのびとなっていた。先週末やっとすべてを走り終え、完了することが出来た。

今回は、その1の最終ゴールとした三野瀬駅からのスタートだ。


すぐにでも雨が降り出しそうな天気予報だったが、思ったより天気が良く、薄日も差していて、三野瀬駅から走り出す。


1日目の最初の峠は、始神(はじかみ)峠だ。


始神峠には、江戸道コースと明治道コースがあるが、少しきつめの江戸道を進む。


標高147mの始神峠に到着する。名前は、サンショウウオを意味する「椒」(はじかみ)が由来だという。


峠からは、紀伊の松島の島々が熊野灘に浮かぶ優美な景色が望める。


明治道との合流地点から明治道を進む。峠道の途中にあった池の周りでは、アズマヒキガエルが大量に繁殖行動を起こしていた。昨年もほぼ同じ時期に、別の場所でこのような風景を見かけた。カエルが行動を起こしているという事は、どうやら雨が降り出すのも時間の問題のようだ。


始神峠を下りきると、トイレがある。近くには東屋もあり休憩できる。


モクレンの花の咲く道を通り抜ける。


踏切前では、ちょうど紀勢本線が通り抜けた。


ピラミッドのような採石場の横を通り抜ける。


スタートして2時間、ついに雨が降り始めた。雨具を身に着け走り続ける。途中で、明治時代のモダンな西洋建築の建物が見えたので、少し立ち寄って行く。紀北町の海山地区の資料を多数展示している海山(みやま)郷土資料館だ。国の登録有形文化財に指定されているそうだ。




海山町は、「種まき権兵衛の里」でも知られる。トンネルの中や工場の壁には、権兵衛さんが描かれている。


「権兵衛が種まきゃカラスがほぜくる」の俗謡で知られる権兵衛さん。畑仕事では今ひとつでも、鉄砲の腕前は名人級だった権兵衛さんが、大蛇を退治したお話だ。


道の駅「海山」で休憩をして、この日最後の難所である馬越峠に向かう。


熊野古道伊勢路の中で随一と言われる石畳が、尾鷲ヒノキの美林の中に続いている。石畳が雨に濡れて、滑りやすくなっており、慎重に進む。


15:50。馬越峠325mに到着する。


峠にあった休憩所で暫し雨宿りだ。


峠を越えると、石畳の下り坂だ。上りよりも、下りはさらに滑りやすそうで怖い。みんな慎重に下っていく。


16:25。馬越峠の反対側の登り口に到着。1日目の難所がやっと終わりホッとする。


馬越墓地を抜けると、1日目のゴールである北川橋に到着する。


この日の宿は、北川橋から数分先にあるビジネスホテルだ。ますます雨脚が酷くなってきたが、何とかホテルにたどり着くことができて一安心だった。

参考1.1日目のコースマップ


参考2.1日目の高低図&コースタイム


「2021第3回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その2-2日目」に続く。

2021琵琶湖・沖島トレッキング

2021-03-09 17:35:45 | 山登り
三上山から下山してから、少し車を走らせ近江八幡市から琵琶湖の沖合約1.5㎞に浮かぶ沖島に向かう。琵琶湖にある島というと竹生島くらいしか知らなかったが、滋賀の知人から教えてもらって初めて知った。沖島は、周囲約6.8㎞、面積約1.53k㎡で琵琶湖最大の島だ。人口約300人で、湖沼の島に人が住む例は世界的にも少なく、日本で唯一の「淡水湖に浮かぶ有人島」であることから学術的にも注目されているそうだ。

沖島への交通手段は船で、1日10便ほど出ている。12時15分の便に乗り遅れたので、近くの森を散策して時間を潰し、堀切港で14時15分の便を待つ。


船が桟橋に着岸した。


10分ほどで沖島港に到着する。


さっそく、沖島来島の鐘を鳴らす。


漁業会館前で、沖島産の佃煮などを売っていた、帰りに買っていくことにして、見るだけにしておく。


沖島にもトレッキングできるコースがあるようなので、地図を見ながら入り口を探す。道路の角に「ケンケン山のぼり口」とあり、ケンケン山を目指して進む。


ケンケン山の登り口は、細い路地を通り、民家の軒先を通ってお墓の前を進んでいく。最初、よくわからず周辺をウロウロしてしまったが、住民に聞いて何とか見つけることができた。お墓がつづく道をずっと進んでいくと、やっと山に上がっていく道に出て、しばらくすると、ケンケン山のお花見広場に着いた。桜の時期になれば素晴らしい景色だろうが、まだお花見には早かった。因みに、ケンケン山は見景山(けんけいやま)が訛ったと謂われているようだ。


ケンケン山で、琵琶湖と比良山地をバックに記念撮影。


ケンケン山からさらに10分ほど進むと、ホオジロ広場と呼ばれる広場に出た。


ホオジロ広場から小学校のある場所に下山できるようだが、沖島の最高点まで行きたくて、さらに先に行くと見晴らし広場に出た。


地図を見ると、見晴らし広場の先に宝来ヶ岳山頂があるようなので、さらに進む。赤テープが巻かれた場所まで行くが、何も表示はない。どうやらここが、宝来ヶ岳山頂225mのようだ。いちおう沖島の最高点まで来たということにして見晴らし広場まで引き返す。


見晴らし広場からの下山道の途中に、蓬莱山尾山220mの表示があった。


シダで覆われた道をぐんぐん下っていく。あまり人が通ってはいないような道だ。。


湖岸沿いの道まで下山すると、畑や民家が出てきた。


沖島小学校と沖島幼稚園の建物前を通る。なかなか立派な建物だ。




15:45。無事沖島港に到着する。漁業会館で佃煮を買って16時発の堀切港行きの船に乗ることができた。


トレッキングの後半は、帰りの船の時間が気になってトレランになってしまったが、琵琶湖の有人島に初めて入島し、プチ観光を楽しむことができてよかった。

参考1.沖島のコースマップ


参考2.沖島の高低図&コースタイム

2021三上山(近江富士)

2021-03-08 22:37:32 | 山登り
滋賀県に行くたびに、高速道路から見える円錐状の富士山に似た山が前からずっと気になっていた。その山は、三上山といい地元では「近江富士」と呼ばれ、親しまれている山だ。標高は432mで、それほど高いわけではなく半日もあれば行ってくることが出来るらしい。今回は、その三上山を総勢9人の山友と登ってきた。

栗東インターを降りて、登山口近くにある御上(みかみ)神社の駐車場に車を止める。御上神社は三上山の山麓、国道8号沿いの森の中にある。祭神は天御影之神(あめのみかげのかみ)で、この神が三上山に降臨したのを祀ったのが始まりと言われている。


深い老樹の木立に囲まれた境内は、長い信仰と歴史を物語るのにふさわしい威厳と風格を漂わせている。檜皮葺きの重厚な入母屋屋根を持つ楼門が堂々たる構えを見せていて、まずその姿に圧倒される。




楼門をくぐると優雅な拝殿、千木のそびえる本殿、その左右に若宮社・三宮社が並んで建っている。特に本殿は約700年前のもので、国宝に指定され、神社・仏堂・御殿の3様式が合成された御上造とよばれる建築様式だという。本殿で、登山の安全を祈り、登山口に向かう。


登山道に向かう途中、御上神社の森をバックに記念撮影。


表登山道の入り口には、イノシシ除けの柵があり、柵を開けて登山道の中に入っていく。


ほぼ直登の登山道を、グングン上がって行く。表登山道は、健脚者向けらしい。


だんだんと岩がゴロゴロ剥き出した道になってきた。


巨岩が現れた場所は、割岩という名称が付いていた。


割岩は、山頂まで200mのスポットにある。「割岩(われいわ)肥満度確認可能」という標識が立っており、スルーもできるが、肥満度確認をするため、あえて割岩の隙間を通り抜けていくことにした。


全員、割岩を通過することが出来、肥満ではないことが確認できた。


その先も、さらに巨岩だらけの登山道が続く。




低山とはいえ、なかなか登りがいがある登山道だ。


山頂手前の展望岩からは、野洲市内が一望だ。そして、琵琶湖の南部や比叡山系も望める。


ほどなく、御上神社奥宮に到着する。


三上山は、なだらかな稜線を描くその美しい姿から、「近江富士」と呼ばれている。その美しさは、紫式部や松尾芭蕉など多くの歌人によって繰り返し詠まれているほどだ。また、別名「ムカデ山」とも呼ばれており、三上山を7巻半した「大ムカデ」を武将「俵藤太」が弓矢で退治したという伝説が残っている。


奥宮の先にある三上山山頂432mで記念撮影。


下山ルートは、裏登山道で行くことにした。下りもなかなか急だ。


途中で、女山(雌山)への分岐があり、女山270mへ登り返す。


裏登山道の出口もイノシシ除けの柵がかかっている。


裏登山道の入り口だ。


御上神社の森の前には、「悠紀斎田 (ゆきさいでん)」という田が広がっている。悠紀斎田とは、皇位の継承があったときに、大嘗祭(天皇即位の儀式)の際に供される神餅、神酒の米をつくる田である。昭和3年(1928)の昭和天皇の即位の折には三上村(現・野洲町三上)の御上神社近くの斎田が採用されたという。


悠紀斎田の記念碑前から三上山を振り返る。


左が三上山、右が女山だ。


当初の予定通り、2時間ほどで下山できたので、午後の目的地である琵琶湖の沖島方面に向かった。

参考1.三上山のコースマップ


参考2.三上山の高低図&コースタイム

2021妙高スキーツアー

2021-03-01 22:21:44 | スキー
今シーズン、最後のスキーツアーに出かけた。昨年に続いて、妙高高原のスキー場だ。今回は、赤倉温泉に宿を取り、2日間スキーを楽しむことにした。週末の天気は、グッといい天気に変わり、二日間とも好天になるとの天気予報だ。夜、宿の部屋から外を覗くと、まん丸いお月様が煌々と光っていた。アメリカでは、2月に見られる満月を「スノームーン」と呼ぶそうだが、まさにスキー場で見る月にふさわしい。間違いなく翌日の天気は、最高に良さそうだ。


翌朝、朝食も早めに切り上げて、赤倉観光リゾートスキー場のゲレンデに向かう。さっそく上部に向かうゴンドラに乗ると、真正面に雪を被った妙高山が、どっしりと控えている。空には雲一つなく、風もほとんどない。こんな日は年に数回しかないだろうと思われるほどの超快晴の天気だ。


ゴンドラを降りて、最上部から一気に下部ゲレンデに滑り降りていく。中腹付近では、木々の隙間から野尻湖が見えてきた。


野尻湖を入れて記念撮影。


中腹から、さらに先には、滑っていくに気持ちよさそうな斜面が続いている。


ゲレンデの南方向に見えるのは、黒姫山だ。その奥には飯縄山も見える。東側には、斑尾山も見え、”信越五岳”の内の四岳が手に取るようによく見える。


そして、ゲレンデの中腹にある赤い屋根の大きなホテルは、赤倉観光ホテルだ。ここのスキー場のシンボル的な建物でもある。


ホテルより少し下に下って、妙高山と赤倉観光ホテルを入れて記念撮影。


チャンピオンゲレンデの最上部にあるスキー場のマップ。隣は、”元祖スキー天国”とも呼ばれる「赤倉温泉スキー場」だ。


雪質が良く、中級コースのちょうどいい斜度のゲレンデが続いているので、ゴンドラに乗って何度も滑る。




ずっとリフトが止まるまで滑っていたかったが、帰りの事も考えて、キリがいいところで帰ることにした。帰り道、いもり池から見た妙高山の姿には圧倒された。