とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

屋久島ツアー3日目(5/25)

2009-05-31 16:34:20 | 山登り
真っ暗の闇の世界から、朝日が上がり人間の活動を許された時間帯になった。森の中は静かだが時折鳥のさえずりが聞こえる。今日も一日いい天気になりそうだった。

ガイドさんは、既に起きていて朝食の支度を始めていてくれた。妻と娘はやることがないので小屋のトイレ掃除を朝一番にやっていた。山のトイレは汚くて入るのも躊躇うことが多いのだが、二人がきれいにしてくれたおかげで気分よく入ることができた。そして、朝食は昨日炊いたご飯を雑炊にしてくれた。葉っぱや梅干を添えて彩りも考えてくれたようだ。


朝食をとって、いよいよ下山である。朝日に当ったコケが美しい。コケも何十年、何百年もかけて成長しているのである。ふわふわとした絨毯みたいで座り込んでみたくなりそうだが、一度踏んでしまうと再生にはとんでもない月日がかかってしまうので決して踏み込んではならない。

コケや森を見ながら1時間ほどでもう一つの山小屋「高塚小屋」に到着した。

こちらは、「新高塚小屋」より小さくブロックを積み重ねこじんまりしている。縄文杉を見に来た人がここで泊まることが多いようである。

さらに一時間ほど下ると、やっとお目当ての「縄文杉」に出合った。樹齢7000年以上といわれるこの杉は、昭和40年代に発見されるまでは、伝説でしか知られていなかった杉である。樹高25.3m、周囲16.4mで日本最大の杉であるという。太古の昔から現代まで生き延びているという巨大な杉の生命力に感動した。本当に大きい。1枚の写真には全然納まらない。数枚に分けなければその全容を捉えることはできないくらいである。以前は、縄文杉に触れることもできたそうだが、増え続ける登山客が根を痛めてしまうため平成8年に展望デッキが設置され、遠巻きにしか見ることができない。ピーク時には、この展望デッキには数珠繋ぎの登山客で溢れ、写真撮影は順番待ちになるそうだが、この日は展望デッキを貸切状態だった。

山から下りてきたほうが早い時間なので、下から上がってくる人たちはまだ来ていないのだ。デッキに寝転んで縄文杉を仰ぎ見たりして、悠久の時の流れを感じていた。


充分縄文杉を堪能した頃、下から団体さんたちが上がってきたので、下山を開始した。下山途中にも数多くの屋久杉が見られ、飽きることはなかった。屋久島の森の特徴は木の根が地中にもぐらないで地表を蛇のように這っている。たくさんある木の根が、他の木の根とからみつき、どの木の根なのか分からないほど複雑に結びついている。不思議な光景である。

何故かというと、屋久島は岩盤で出来ている島であるために土が少ない。木は地中に根をはれずに、横へ横へと伸びて地表に出てくるのである。また、驚かされるのは1本の木だけで成長しているのではなく、木についたコケから別の種類の木が生えているのである。だからたんなる杉の巨木というわけでなく、多数の木の集合体といってもいい。1本の杉が小さな森を作り、それが何百、何千とあり巨大な森を作っているのである。まさに人間の歴史では計り知れない時を経て作られた自然である。

風景に圧倒されながら歩いていたが、長い道中で、娘の登山靴のソールが剥がれてしまっていた。ふだんあまり使っていないと、たまにソールが剥がれることがある。ガイドさんの持っていた救急用具が役に立ち、テーピングと紐で簡易修理をした無事下山を続けることができた。

しばらくすると、もう一つ屋久島では有名な「ウィルソン株」に着いた。

大正3年にアメリカの植物学者ウィルソン博士が屋久杉の調査に来た時にちなんでつけられた切り株の名前だそうだ。江戸時代に伐採されたこの杉の切り株は畳10畳ほどの空間があり、美しい泉が湧いている。中に入り、空を見上げると不思議なことにハート型の空が見える場所があるのだ。この場所は、誰か教えてくれなければ気付くことはない。まさに絶好の位置で空を見上げるときれいなハート型の空になった。


じつにおもしろい。「ウィルソン株」ではたくさんの登山者が上がってきており賑やかだった。ハートが見える場所を知った人たちが歓声を上げる様子がまた面白かった。株の前で記念写真を撮って更に下山した。


下山道では、昨日間近で見た翁岳がはるか遠くに見えた。あんな遠くからここまで来たかと思うと感慨深かった。

山道が終わるとトロッコ道に着いた。トロッコは昔伐採が行われていた時代の名残であるが、現在でもときどき運行することがあるようである。トロッコ道を歩き出すと、映画の「スタンド・バイ・ミー」の少年たちが線路道を歩いていくシーンが目の前に浮かび主題歌が頭に響いた。ちょっと絵になる風景だと気に入ってしまった。


トロッコ道はかなり長く、お昼になった。道を外れ沢に下りた。木立の向こうにはエメラルドグリーンの水を湛えた清らかな沢が流れていた。ここで昼食である。

ガイドさんの出す最後の食事はパンであった。コンロの上で少し焼いたパンからは香ばしい匂いが漂っていた。大きな荷物の中には、こんなおいしいパンも入っていたのかと改めて感激。他のパンにはハムやキュウリ、マヨネーズをはさんで食べた。たまたま、別のガイドが客を連れて近くで昼食を始めたが、こっちのほうがずっと素敵なメニューである。食後はコーヒーを淹れ、マイナスイオン溢れる環境でのリッチなランチであった。


沢から上がり再びトロッコ道に戻った。トロッコ道は長く、小杉谷という場所では昔の小学校・中学校跡があった。昭和40年代頃までは数百人の集落として栄え、商店や郵便局、理髪店等もあったそうであるが、今は廃墟跡となり時代の流れを感じさせてくれた。

トロッコ道は思ったより長く飽きてしまいそうだったが、岩の間に生えたモウセンゴケを見たり、スリルある鉄橋を渡ったりしてやっと下山口の荒川登山口についた。



荒川登山口からはタクシーで淀川登山口に戻った。こちらにガイドさんの車が置いてあるのだ。淀川登山口に戻り、民宿まで送ってもらうことになる。ガイドさんとはこれでお別れであるが、ひょんな事からオーストラリアの先住民アボリジニの話が出て、彼の趣味であるディジュリドゥという楽器を演奏してくれることになった。ディジュリドゥとは、5~6万年前からオーストラリア大陸で生活していたといわれる先住民アボリジニが今から1000年以上も前から使い始めたと言われる楽器で世界最古の管楽器ともいわれている。伝統的には儀式や祭事の時に伴奏の楽器として使われるそうである。車にいつも載せてあってよく演奏会をするらしく、我々の前で演奏してくれた。長い筒のような楽器であるが、低い音で不思議な音色だった。

二日間一緒だったガイドさんともついにお別れだ。帰り道に見た屋久島の深い森も見納めかと思い何度も振り返って頭に焼き付けた。

目の前には青い海が広がっていた。




屋久島日記は今日もお休みです

2009-05-30 23:35:19 | 山登り
今日は早朝から、山梨県の三ツ峠山に出かけてまして、先ほど帰宅したところ。
朝は晴れていたものの、山頂で記念写真を撮り終わってから雨に降られ、あとは合羽を着たままで下山でした。晴男の威力もついに消え去りました。雨に降られたけど久々に多人数での登山となり楽しい一日でした。

こちらもブログに載せたいところですが、なにせ整理するのは今日中は無理なのでこれも後日の宿題です。

旅日記はお休みです

2009-05-29 22:27:27 | 呟き
今日は、帰宅が遅くなり明日は朝早く出かける予定なので、残念ながら屋久島日記の更新はできそうもありません。三日目の写真も記事もいろいろ載せたいのですが時間が足りません。明後日にはアップできるかなー。

今日、明日と新たなブログネタを仕入れてきます。

屋久島ツアー2日目(5/24)

2009-05-28 22:20:29 | 山登り
さて、この日から宮之浦岳縦走一泊キャンプを行う。朝5時に山岳ガイドのKさんが宿まで迎えに来た。初対面だが、誠実そうな感じで気兼ねなくいけそうな気がした。まずはKさんの車で淀川登山口まで向かう。途中までは二車線の広い道でかなり整備されている。屋久杉ランドを過ぎ高度をぐんぐん上げて登山口に向かった。途中でもいくつかの屋久杉(樹齢1000年以上の杉)に遭遇した。樹齢3000年という「紀元杉」や「川上杉」などは車でも見に行ける屋久杉である。最初から、巨大な杉に圧倒された。

1時間半ほどかかり、登山口の淀川についた。

駐車場では団体さんが準備体操に余念がなかった。駐車場は満杯でかなりの登山者が入っているようであった。我々も朝食の弁当を食べてから荷物を背負い、いよいよ登山の開始である。我々の荷物は、寝袋、マット、着替え、行動食、雨具、水等でせいぜい5,6キロの荷物だがKさんは20キロ近い大荷物をしょってガイドしてくれるのだ。荷物の中には、小屋に入れなかったときの為のテントや、4人分の食料、ガス、鍋等が入っているようだった。こんな頼もしいガイドがいなければ宮之浦岳縦走一泊キャンプなど、到底できないだろう。

歩き出して早速、きれいなサクラツツジに出会う。

所々で淡い桜色のツツジを見ることができる。辺りには霧が立ち込め、薄暗く鬱蒼とした森の中を進んだ。もう少しで淀川小屋に着こうというあたりで急に大粒の雨が降ってきた。小屋は近いが雨具を着る間もなく、かなり濡れてしまった。「屋久島は年間350日 雨が降る」と言われるほど雨の日が多いと聞いていたがやはり雨はつきもののようだ。

小屋に着くと雨具を着こみ、雨の中を出発した。

森の中の美しい水の流れや、タコの足のように絡み合った木の枝、苔むした地面など屋久島らしい雰囲気の中を進んだ。


ほぼ30分くらい経つと次第に空が明るくなり、陽が差してきた。陽が差し始めると一気に空が晴れ渡ってきた。青空が見え始め気分が一気に高まってきた。

Kさんがトウフ岩が見えるというので、その方向を見ると山のてっぺんにトウフをきれいに切ったような岩が見えていた。

山の名前は「高盤岳」といい、トウフ岩が目印だ。「高盤岳」の周囲を回りながら進むと、日本庭園のような小花之江河(こはなのえご)という場所についた。

この辺りは日本最南端の高層湿原で屋久島固有の植物が多く見られるところである。その先の花之江河(はなのえご)では、鹿がのんびり植物を食べていた。


花之江河を過ぎると、植生がかわり低木が増えてきた。ところどころでヤクシマシャクナゲを見かけるようになってきた。まだ咲きはじめで満開とはいえなかったが赤色、ピンク、白色の花がきれいだった。最盛期には山肌一面を染める様は圧巻だという。ただ、花数は去年が当たり年で今年は裏になるので少ないかもしれないということだった。



シャクナゲを見ながら更に進むと、人の顔や脳にみえる面白い形の岩を幾つも見るようになる。屋久島の山は花崗岩でできているので、奇岩怪石が多いのである。


目の前に宮之浦岳が見えてきたところで、昼食をとった。真っ青い空の下で雄大な景色を見ながらとる昼食は最高である。ぼーっと昼寝でもしたくなるような陽気でもあった。先に出発していた団体さんが下山してきた。宮之浦岳の往復日帰り登山のようであった。

昼食を済ませ、屋久島最高峰の宮之浦岳(1936m)を目指す。日本百名山の100番目の山であり、自分にとっては54番目となる山だ。ほぼ30分ほどで山頂に到着する。山頂からはかすかに種子島がみえ、水平線が丸いことを実感できる。

宮之浦岳の周辺には永田岳、翁岳、黒味岳といった九州の山の上位7座までを占める山々が連なっていることがわかる。まさに洋上アルプスといっても過言ではない景色だ。のんびりしていたいところだったが、屋久島の気象は厳しい。山頂周辺では強風となり雲が滝のように流れていくのが判る。強風の中、慎重に下山を始めた。

宮之浦岳から平岩に向かうコース上では花をつけたシャクナゲが増えてきて見頃になっていた。


前半は少なくて物足らなかったのだが、この辺りは見事なシャクナゲの群生が見られるようになっていた。宮之浦岳往復で帰った団体さんは見ることができなかった景色である。やはり縦走コースが良かったのだ。ここら当りも、奇岩の山がありお面に見える岩を目指して進んだ。


幾つかの展望台で景色を楽しんだ後、今日の目的地「新高塚小屋」についたのは午後4時半くらいだった。

小屋の収容人数は40名ほどと聞いていたが、20名ほどしかいなく今夜は余裕で眠れるようで安心した。テントの準備はいらなかった。小屋近くには水場があり食事の準備をすることになった。今回は、ガイドさんが全て準備してくれたので、我々は手を出さず何ができるのか興味心身で料理の出来上がりを待った。

まず最初にできたのは、鯖漬けとたまねぎのマヨネーズ和えだ。これをつまみに地元の焼酎「三岳」のお湯割を飲みながら混ぜご飯が炊き上がるのを待った。米も持参でガスで炊いてくれるのである。他には鶏肉とトマトやキュウリの生野菜のサラダもある。

山でこれだけの食事ができるなんて最高である。我々の食べている目の前まで鹿が寄ってきて、物欲しそうに眺めていた。登山者から時々餌をもらっているようで当てにしているようだが、本来餌を与えてはいけないので可哀相だが無視していた。そのうちあきらめて森の中に帰って行った。


食事をするとあとは寝るだけである。小屋の中は既に高いびきで寝ている登山者が何人もいた。小屋は避難小屋なので灯りはない。日没とともに辺りは漆黒の闇に閉ざされる。この日は新月でもあり月明かりもまったくない。雲が立ち込めたのか星もまったく見えず、恐ろしいほどの闇の世界となった。目を開けても閉じているのと変わらない暗さといったらわかるだろうか。これほどの闇を経験したことがなく、外に出ることも恐ろしくトイレに行くのも我慢して眠りについた。この続きはまた明日。

屋久島ツアー1日目(5/23)

2009-05-27 23:48:55 | 山登り
いよいよ旅の初日である。朝4時半に起きて、妻とともに中部国際空港行きの直行バス乗り場に向かう。待合室でバスを待つこと10分ほど。しばらくするとバスが着いた。スーツケースやらザックを荷物室に押し込んで乗り込もうとすると、見覚えのある顔が見えた。なんと伊豆に住んでいるすぐ上の姉だった。さらにバスの中には、二人の姉がいてびっくり。つまり直ぐ上の3人の姉がバスに乗っていたのだ。三人の姉が、自分と同じ日に九州の宮崎に旅行に行くという話は知っていたのだが、まさか同じバスに乗り合わせるとは思っていなかったので驚いた。姉三人が一緒に旅行に行くのは初めてのことなのだが、さらに自分も含んで身内同士で遠くに出かけることなんて、めったにないことなので嬉しかった。空港に着くと姉たちは宮崎行きの便、自分たちは鹿児島行きの便にそれぞれ分かれた。

鹿児島空港には1時間半ほどで着いた。ここで、約1時間ほど大阪伊丹空港から来る娘を待つ。娘と合流後、鹿児島港へバスで向かった。鹿児島空港から鹿児島港までは高速道路経由で約1時間かかり結構遠いのだ。鹿児島港にはブーゲンビリアの花が咲いていて南国の雰囲気が漂っていた。


鹿児島港からはトッピーという高速船に乗る。このトッピーという船は、所謂水中翼船である。船底に翼があって、水面から浮かび上がり時速80キロほどで海面を走る。通常のフェリー等は屋久島まで4時間かかるそうだが、トッピーは1時間半ほどで着いてしまう。まさに海上のジェット機である。座席は全て指定席で、航行中はシートベルトを締め船内を歩き回ってはいけないのだ。高速道路を走る車と同じ扱いである。


さて、乗り物をいろいろ乗り継いで屋久島港に着いた。まずは、宿に向かわなければならない。港からは遠いと聞いていたので、お迎えを期待して電話をしてみた。宿の女将さんが電話に出て「お泊りは26日からの予定になっていますが…」と言われて、顔面蒼白状態になった。「そんなバカな…」言葉が出てこない。自分ではしっかり日にちを伝えてあったはずだが、請け書等といった文書もなく証明できる術もない。とりあえず、今日泊めてもらえるか調整してもらいたい事を伝え電話を切った。そして、明日からの山岳ガイドをお願いしてあったエコツアー会社にも電話して予定が合っているか聞いたら、そっちは大丈夫だったので少し安心した。

しばらくして、再度宿に電話したら、知り合いの客を別の宿に移ってもらい、我々を泊めるようにしてくれたとのことで一安心した。この宿はエコツアー会社のお勧めの宿で、一日3組しか取らないこだわりの宿なのである。客室は全て独立したコテージとなり民芸調の総杉の木の落ち着いた佇まいだ。風呂も杉の立派な浴槽がある。

少し山の中に入ったところで、周りは樹で囲まれているが、鹿が庭に入り込んできて草木を食べてしまうと女将さんが嘆いていた。そのため入口は、いつも柵でかこっており、境界はすべてネットで囲っているが、たまに中に入ってきてしまうようだ。

女将さんの話をきくと、ここのご主人は、屋久島では有名な山岳ガイドで、屋久島の山岳地図を全て作った人でもあり、ヒマラヤ等、世界の山も登っているという凄い人だった。あの野口健もここのご主人に屋久島ガイドをしてもらったそうである。自分の買った屋久島地図の執筆者名が、ご主人の名前だったのであらためて感激した。

宿の確保はできたものの、夕食だけは手配できないとの事で、女将さんが近くの料理屋に連れて行ってくれた。せっかく屋久島に来たので、地元の名物料理を食べようということでトビウオの刺身やら唐揚、焼き物等を食べてみた。味は特に普通の魚と変わらなかったが、刺身に大きな羽が付いたまま出てきたので、びっくりした。トビウオの羽ってこんない大きいのかと感心した。

腹も一杯となって、気持ちよくなって宿に戻った。そして、翌日はいよいよ憧れの宮之浦岳登山である。朝が早いので、準備をして早々に眠りについた。続きはまた明日。



旅が終わった

2009-05-26 23:43:32 | 山登り
23日から26日にかけての屋久島旅行から、無事家に戻りました。今日は、宿の車で屋久島港まで、屋久島港からは高速船で鹿児島港まで、鹿児島港から観光タクシーで鹿児島市内観光をしながら鹿児島空港へ向かい、鹿児島空港からは飛行機で中部国際空港に着きました。その後、高速バスで浜松まで戻り、あとはマイカーで自宅へといろんな乗り物にのった一日でした。

それにしても、今朝屋久島にいたのに、夜は浜松の自宅に着いているなんて交通機関の発達は凄いものだなーと改めて感じたものです。4日間で写した写真は450枚くらい。妻や娘も、それぞれカメラ持参したので全員のを合わせれば1000枚はあるかもしれない。これから整理していい写真だけを選び出すとなると時間がかかりそうですが、これも旅のまとめの楽しみです。

毎日、経過報告だけは簡単にしてましたが、明日から詳しい旅日記を載せていきます。

無事下山

2009-05-25 21:20:22 | 山登り
今日、夕方無事に宮之浦岳から下山しました。初日少し雨に降られましたが、その後晴れ上がって2日間とも最高の天気でした。山も花も縄文杉も全てよかった。写真も撮りまくりで後の整理が大変です。ブログネタもありすぎて困ってしまいそう。詳細は帰宅後、アップします。

これから宮之浦岳へ

2009-05-24 05:05:26 | 山登り
昨日は屋久島に着いて民宿に電話したら日が違うと言われ焦った。ガイドの予約はしっかり予定どおりだったので、ひとまず安心した。民宿に再度確認してなんとか部屋を空けてもらい事なきを得た。ただ夕食だけは用意ができないとのことで近くの食堂でトビウオ料理を食べた。刺身とか唐揚げなどを食べたが、なかなか美味しかった。

そしてこれからガイドと一緒に山へ向かう。シャクナゲも咲いているらしく楽しみである。天気も良さそうだ。

いよいよ屋久島に出発します。

2009-05-23 05:00:00 | 山登り
今日から26日まで、鹿児島県の屋久島に行ってきます。まず、バスで中部国際空港まで行き飛行機で鹿児島空港まで飛びます。その後、高速ジェット船で屋久島の宮之浦港に着いて、民宿に泊まります。

そして、翌日早朝からガイドさんと一緒に宮之浦岳縦走の一泊登山になります。今回は娘と妻が同行して3人の山旅です。コースは淀川登山口から花之江河、宮之浦岳を経て新高塚小屋で1泊。翌日、縄文杉、ウィルソン株を見てトロッコ道を通り荒川登山口に下山です。下山後は同じ民宿に泊まり、翌日同じ交通機関で帰宅します。

天気予報では、登山の二日間はまずまずの天気のようなので、かなり期待してます。またヤクシマシャクナゲの開花の時期にも重なり、いい写真が一杯撮れることも楽しみで行ってまいります。

若者だけを撃退する装置

2009-05-22 21:05:17 | ニュース
面白いニュースを知ったので紹介します。

東京都足立区で、深夜の公園にたむろし、トイレや公園設備を破壊する若者を追い出すために、若者だけが不快に聞こえる「モスキート(蚊)音」と呼ばれる高周波音を発する装置を区内の公園に設置したそうである。この高周波音は10代から20代前半の若者だけに「キーン」と不快な金属音に聞こえ、早くて2~3分で耐えられなくなるとされる。加齢とともに聞こえにくくなり、人体への影響もないという。

公園にたむろする若者は蚊と同じ扱いなんですね。人間を蚊と同じ扱いするなと怒られそうな話でもあるんですが、公園を管理する役所としてはやむをえない措置かもしれません。

それにしても、若者にだけ聞こえるということは、私のような若者を卒業したものには聞こえないのか?ちょっと悔しいような気がしませんか。年齢とともに聴覚も低下して高い音が聞こえなくなってくるのは老化の始まりです。この装置のある場所に行って聞こえるかどうか試してみたいものです。

詳しくはこちらから
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0905/22/news081.html