真っ暗の闇の世界から、朝日が上がり人間の活動を許された時間帯になった。森の中は静かだが時折鳥のさえずりが聞こえる。今日も一日いい天気になりそうだった。
ガイドさんは、既に起きていて朝食の支度を始めていてくれた。妻と娘はやることがないので小屋のトイレ掃除を朝一番にやっていた。山のトイレは汚くて入るのも躊躇うことが多いのだが、二人がきれいにしてくれたおかげで気分よく入ることができた。そして、朝食は昨日炊いたご飯を雑炊にしてくれた。葉っぱや梅干を添えて彩りも考えてくれたようだ。
朝食をとって、いよいよ下山である。朝日に当ったコケが美しい。コケも何十年、何百年もかけて成長しているのである。ふわふわとした絨毯みたいで座り込んでみたくなりそうだが、一度踏んでしまうと再生にはとんでもない月日がかかってしまうので決して踏み込んではならない。
コケや森を見ながら1時間ほどでもう一つの山小屋「高塚小屋」に到着した。
こちらは、「新高塚小屋」より小さくブロックを積み重ねこじんまりしている。縄文杉を見に来た人がここで泊まることが多いようである。
さらに一時間ほど下ると、やっとお目当ての「縄文杉」に出合った。樹齢7000年以上といわれるこの杉は、昭和40年代に発見されるまでは、伝説でしか知られていなかった杉である。樹高25.3m、周囲16.4mで日本最大の杉であるという。太古の昔から現代まで生き延びているという巨大な杉の生命力に感動した。本当に大きい。1枚の写真には全然納まらない。数枚に分けなければその全容を捉えることはできないくらいである。以前は、縄文杉に触れることもできたそうだが、増え続ける登山客が根を痛めてしまうため平成8年に展望デッキが設置され、遠巻きにしか見ることができない。ピーク時には、この展望デッキには数珠繋ぎの登山客で溢れ、写真撮影は順番待ちになるそうだが、この日は展望デッキを貸切状態だった。
山から下りてきたほうが早い時間なので、下から上がってくる人たちはまだ来ていないのだ。デッキに寝転んで縄文杉を仰ぎ見たりして、悠久の時の流れを感じていた。
充分縄文杉を堪能した頃、下から団体さんたちが上がってきたので、下山を開始した。下山途中にも数多くの屋久杉が見られ、飽きることはなかった。屋久島の森の特徴は木の根が地中にもぐらないで地表を蛇のように這っている。たくさんある木の根が、他の木の根とからみつき、どの木の根なのか分からないほど複雑に結びついている。不思議な光景である。
何故かというと、屋久島は岩盤で出来ている島であるために土が少ない。木は地中に根をはれずに、横へ横へと伸びて地表に出てくるのである。また、驚かされるのは1本の木だけで成長しているのではなく、木についたコケから別の種類の木が生えているのである。だからたんなる杉の巨木というわけでなく、多数の木の集合体といってもいい。1本の杉が小さな森を作り、それが何百、何千とあり巨大な森を作っているのである。まさに人間の歴史では計り知れない時を経て作られた自然である。
風景に圧倒されながら歩いていたが、長い道中で、娘の登山靴のソールが剥がれてしまっていた。ふだんあまり使っていないと、たまにソールが剥がれることがある。ガイドさんの持っていた救急用具が役に立ち、テーピングと紐で簡易修理をした無事下山を続けることができた。
しばらくすると、もう一つ屋久島では有名な「ウィルソン株」に着いた。
大正3年にアメリカの植物学者ウィルソン博士が屋久杉の調査に来た時にちなんでつけられた切り株の名前だそうだ。江戸時代に伐採されたこの杉の切り株は畳10畳ほどの空間があり、美しい泉が湧いている。中に入り、空を見上げると不思議なことにハート型の空が見える場所があるのだ。この場所は、誰か教えてくれなければ気付くことはない。まさに絶好の位置で空を見上げるときれいなハート型の空になった。
じつにおもしろい。「ウィルソン株」ではたくさんの登山者が上がってきており賑やかだった。ハートが見える場所を知った人たちが歓声を上げる様子がまた面白かった。株の前で記念写真を撮って更に下山した。
下山道では、昨日間近で見た翁岳がはるか遠くに見えた。あんな遠くからここまで来たかと思うと感慨深かった。
山道が終わるとトロッコ道に着いた。トロッコは昔伐採が行われていた時代の名残であるが、現在でもときどき運行することがあるようである。トロッコ道を歩き出すと、映画の「スタンド・バイ・ミー」の少年たちが線路道を歩いていくシーンが目の前に浮かび主題歌が頭に響いた。ちょっと絵になる風景だと気に入ってしまった。
トロッコ道はかなり長く、お昼になった。道を外れ沢に下りた。木立の向こうにはエメラルドグリーンの水を湛えた清らかな沢が流れていた。ここで昼食である。
ガイドさんの出す最後の食事はパンであった。コンロの上で少し焼いたパンからは香ばしい匂いが漂っていた。大きな荷物の中には、こんなおいしいパンも入っていたのかと改めて感激。他のパンにはハムやキュウリ、マヨネーズをはさんで食べた。たまたま、別のガイドが客を連れて近くで昼食を始めたが、こっちのほうがずっと素敵なメニューである。食後はコーヒーを淹れ、マイナスイオン溢れる環境でのリッチなランチであった。
沢から上がり再びトロッコ道に戻った。トロッコ道は長く、小杉谷という場所では昔の小学校・中学校跡があった。昭和40年代頃までは数百人の集落として栄え、商店や郵便局、理髪店等もあったそうであるが、今は廃墟跡となり時代の流れを感じさせてくれた。
トロッコ道は思ったより長く飽きてしまいそうだったが、岩の間に生えたモウセンゴケを見たり、スリルある鉄橋を渡ったりしてやっと下山口の荒川登山口についた。
荒川登山口からはタクシーで淀川登山口に戻った。こちらにガイドさんの車が置いてあるのだ。淀川登山口に戻り、民宿まで送ってもらうことになる。ガイドさんとはこれでお別れであるが、ひょんな事からオーストラリアの先住民アボリジニの話が出て、彼の趣味であるディジュリドゥという楽器を演奏してくれることになった。ディジュリドゥとは、5~6万年前からオーストラリア大陸で生活していたといわれる先住民アボリジニが今から1000年以上も前から使い始めたと言われる楽器で世界最古の管楽器ともいわれている。伝統的には儀式や祭事の時に伴奏の楽器として使われるそうである。車にいつも載せてあってよく演奏会をするらしく、我々の前で演奏してくれた。長い筒のような楽器であるが、低い音で不思議な音色だった。
二日間一緒だったガイドさんともついにお別れだ。帰り道に見た屋久島の深い森も見納めかと思い何度も振り返って頭に焼き付けた。
目の前には青い海が広がっていた。
ガイドさんは、既に起きていて朝食の支度を始めていてくれた。妻と娘はやることがないので小屋のトイレ掃除を朝一番にやっていた。山のトイレは汚くて入るのも躊躇うことが多いのだが、二人がきれいにしてくれたおかげで気分よく入ることができた。そして、朝食は昨日炊いたご飯を雑炊にしてくれた。葉っぱや梅干を添えて彩りも考えてくれたようだ。
朝食をとって、いよいよ下山である。朝日に当ったコケが美しい。コケも何十年、何百年もかけて成長しているのである。ふわふわとした絨毯みたいで座り込んでみたくなりそうだが、一度踏んでしまうと再生にはとんでもない月日がかかってしまうので決して踏み込んではならない。
コケや森を見ながら1時間ほどでもう一つの山小屋「高塚小屋」に到着した。
こちらは、「新高塚小屋」より小さくブロックを積み重ねこじんまりしている。縄文杉を見に来た人がここで泊まることが多いようである。
さらに一時間ほど下ると、やっとお目当ての「縄文杉」に出合った。樹齢7000年以上といわれるこの杉は、昭和40年代に発見されるまでは、伝説でしか知られていなかった杉である。樹高25.3m、周囲16.4mで日本最大の杉であるという。太古の昔から現代まで生き延びているという巨大な杉の生命力に感動した。本当に大きい。1枚の写真には全然納まらない。数枚に分けなければその全容を捉えることはできないくらいである。以前は、縄文杉に触れることもできたそうだが、増え続ける登山客が根を痛めてしまうため平成8年に展望デッキが設置され、遠巻きにしか見ることができない。ピーク時には、この展望デッキには数珠繋ぎの登山客で溢れ、写真撮影は順番待ちになるそうだが、この日は展望デッキを貸切状態だった。
山から下りてきたほうが早い時間なので、下から上がってくる人たちはまだ来ていないのだ。デッキに寝転んで縄文杉を仰ぎ見たりして、悠久の時の流れを感じていた。
充分縄文杉を堪能した頃、下から団体さんたちが上がってきたので、下山を開始した。下山途中にも数多くの屋久杉が見られ、飽きることはなかった。屋久島の森の特徴は木の根が地中にもぐらないで地表を蛇のように這っている。たくさんある木の根が、他の木の根とからみつき、どの木の根なのか分からないほど複雑に結びついている。不思議な光景である。
何故かというと、屋久島は岩盤で出来ている島であるために土が少ない。木は地中に根をはれずに、横へ横へと伸びて地表に出てくるのである。また、驚かされるのは1本の木だけで成長しているのではなく、木についたコケから別の種類の木が生えているのである。だからたんなる杉の巨木というわけでなく、多数の木の集合体といってもいい。1本の杉が小さな森を作り、それが何百、何千とあり巨大な森を作っているのである。まさに人間の歴史では計り知れない時を経て作られた自然である。
風景に圧倒されながら歩いていたが、長い道中で、娘の登山靴のソールが剥がれてしまっていた。ふだんあまり使っていないと、たまにソールが剥がれることがある。ガイドさんの持っていた救急用具が役に立ち、テーピングと紐で簡易修理をした無事下山を続けることができた。
しばらくすると、もう一つ屋久島では有名な「ウィルソン株」に着いた。
大正3年にアメリカの植物学者ウィルソン博士が屋久杉の調査に来た時にちなんでつけられた切り株の名前だそうだ。江戸時代に伐採されたこの杉の切り株は畳10畳ほどの空間があり、美しい泉が湧いている。中に入り、空を見上げると不思議なことにハート型の空が見える場所があるのだ。この場所は、誰か教えてくれなければ気付くことはない。まさに絶好の位置で空を見上げるときれいなハート型の空になった。
じつにおもしろい。「ウィルソン株」ではたくさんの登山者が上がってきており賑やかだった。ハートが見える場所を知った人たちが歓声を上げる様子がまた面白かった。株の前で記念写真を撮って更に下山した。
下山道では、昨日間近で見た翁岳がはるか遠くに見えた。あんな遠くからここまで来たかと思うと感慨深かった。
山道が終わるとトロッコ道に着いた。トロッコは昔伐採が行われていた時代の名残であるが、現在でもときどき運行することがあるようである。トロッコ道を歩き出すと、映画の「スタンド・バイ・ミー」の少年たちが線路道を歩いていくシーンが目の前に浮かび主題歌が頭に響いた。ちょっと絵になる風景だと気に入ってしまった。
トロッコ道はかなり長く、お昼になった。道を外れ沢に下りた。木立の向こうにはエメラルドグリーンの水を湛えた清らかな沢が流れていた。ここで昼食である。
ガイドさんの出す最後の食事はパンであった。コンロの上で少し焼いたパンからは香ばしい匂いが漂っていた。大きな荷物の中には、こんなおいしいパンも入っていたのかと改めて感激。他のパンにはハムやキュウリ、マヨネーズをはさんで食べた。たまたま、別のガイドが客を連れて近くで昼食を始めたが、こっちのほうがずっと素敵なメニューである。食後はコーヒーを淹れ、マイナスイオン溢れる環境でのリッチなランチであった。
沢から上がり再びトロッコ道に戻った。トロッコ道は長く、小杉谷という場所では昔の小学校・中学校跡があった。昭和40年代頃までは数百人の集落として栄え、商店や郵便局、理髪店等もあったそうであるが、今は廃墟跡となり時代の流れを感じさせてくれた。
トロッコ道は思ったより長く飽きてしまいそうだったが、岩の間に生えたモウセンゴケを見たり、スリルある鉄橋を渡ったりしてやっと下山口の荒川登山口についた。
荒川登山口からはタクシーで淀川登山口に戻った。こちらにガイドさんの車が置いてあるのだ。淀川登山口に戻り、民宿まで送ってもらうことになる。ガイドさんとはこれでお別れであるが、ひょんな事からオーストラリアの先住民アボリジニの話が出て、彼の趣味であるディジュリドゥという楽器を演奏してくれることになった。ディジュリドゥとは、5~6万年前からオーストラリア大陸で生活していたといわれる先住民アボリジニが今から1000年以上も前から使い始めたと言われる楽器で世界最古の管楽器ともいわれている。伝統的には儀式や祭事の時に伴奏の楽器として使われるそうである。車にいつも載せてあってよく演奏会をするらしく、我々の前で演奏してくれた。長い筒のような楽器であるが、低い音で不思議な音色だった。
二日間一緒だったガイドさんともついにお別れだ。帰り道に見た屋久島の深い森も見納めかと思い何度も振り返って頭に焼き付けた。
目の前には青い海が広がっていた。