とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

湖西連峰で山火事!

2021-02-24 22:10:34 | マラソン
先日の天皇誕生日に、ラン友のYさんからのお誘いで、久しぶりに湖西連峰に走りに行った。梅田の登山口に集合して、6人で湖西連峰のトレランをスタートする。

しばらく進んで行くと、山の向こうがやけに白っぽく見える。なんだか煙みたいだ。


消防車のサイレンがけたたましく鳴り響き、麓からは火事の発生を伝える放送が聞こえてきていた。下山してくる人たちからも、山火事が起きているようだと聞かされる。とりあえず、神石山まで行って麓の方を眺めてみるが、どこで火事が発生しているかはよくわからない。




雨宿り岩に到着する。


雨宿り岩の上に登って、火事現場を探してみる。


どうも神石山の下の方から煙が上がっているようだ。


とりあえず、雨宿り岩の上で記念撮影。


さらに先に進むと、ハート💛ロックが出てきた。


見晴らしがいいパラダイス岩に寄り道していくと、火事現場がさらに良く見えた。


美貞山400mの三角点にも立ち寄る。


廃寺跡に到着。


今回の最終目的地、”富士見岩”に到着する。


富士見岩で昼食休憩をしてから、下山して行く。


おちばの里親水公園まで下りてくると、駐車場にパトカーが停まっていた。これから湖西連峰登山する人に山火事があって登山しないように、警察官が注意を呼び掛けていたようだ。我々は、ちょうど下山してきたので特に注意されることはなかった。

おちばの里親水公園の入り口にある一本杉。


ここからは、ひたすら舗装道路を走り、スタート地点に戻っていく。帰り道では、満開の河津桜を見ていく。


15時過ぎ、スタート地点の梅田登山口にゴールする。走行時間5時間ちょっと。走行距離は19.2キロのトレランだった。富士見岩までのアップダウンの山道が結構ハードで、久しぶりに走りごたえのあるトレランになった。ただ、山火事がその後どうなったかはわからず、被害の程度が心配だ。

参考.今回のコースマップ

















2021東大山さくらまつり

2021-02-20 16:58:18 | マラソン
今年も、浜松市内にある河津桜を見に行くことにした。本場の河津町では、今年のさくらまつりが中止になったので、浜松も中止だろうと思ったが、さくら見物はできるだろうといつも行っている和地小前の公園に車を止め、桜並木のある場所まで走っていく。

花川の堤防沿いを走り桜並木のある場所まで行くと、東大山さくらまつりの幟旗が立っていた。今年も予定通り開催されたようだ。


桜の開花具合は、このところ寒かったのか、まだ8分咲きくらいだ。でも十分見ごたえがある。


売店も例年通り出ていたので、帰りに寄ることにして、花川運動公園まで進む。花川運動公園の奥まった場所にも河津桜が数十本植えられており、こちらの方が、ほぼ満開に近い。






花川運動公園のテニスコートの先まで行ってから折り返し、さくらまつりの会場まで戻ってきた。川の対岸には、たくさんの菜の花が植えられており、一面黄色で覆われている。菜の花通りと命名されているので、中に入っていく。


この時期は、菜の花と河津桜のコラボレーションがやはりいいものだ。




写真をいろいろ撮り終えてから売店に寄っていく。今年は、コロナ対策をしっかりやっていて、売店前には、透明なシールドが設置されている。


帰りも行きと同じ場所を走っていくが、行きの時よりは、心なしかさくらの蕾が開いているようだ。やはり気温が上がって開花が進んでいたのかもしれない。




人出も行きの時よりは、大分増えてきていた。みんなお花見の時期だと知っていて、休日になると出かけてきているようだ。


桜並木を抜けて花川沿いを走り、駐車場に戻った。走行距離約9キロほどのランで気持ち良い汗をかくことが出来た。







2021第2回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その3&中辺路編その1-2日目後半

2021-02-17 18:40:45 | 熊野古道
高野坂の入り口に到着する。ここは、熊野速玉大社から熊野那智大社へ巡拝する人たちが通った中辺路ルートの一部だ。苔むした石畳、木々の間から見える大海原。この地がかつて鯨漁で栄えた名残の鯨山見跡など、短い行程に見どころが凝縮されている。


椿の花がたくさん咲いている。道に落ちた赤い花びらもきれいだ。


苔むした石畳の階段が始まる。熊野古道らしい道になってきた。


入り口にあった杖を持って石畳を上がっていく。


結構急坂なので、杖があると楽ちんだ。


木々の間から熊野灘と王子ヶ浜の海岸線がよく見える。


御手洗の念仏碑。三体の石碑が建っている。三体とも江戸時代の中頃に建てられたもので、いずれも三重や大阪、滋賀出身の人の念仏記念に建てられた石碑だという。


高野坂の途中で脇道にそれて、海側に伸びる細い道を100mほど歩いたところに五輪塔がある。


石組みの壇を築いた五輪塔で、寛文5年(1665)に建てられたものだ。


金光稲荷神社の大きな森。江戸時代、この森を「おな神の森」と呼んだという。


高野坂の終盤。石畳を下っていく。


その後、国道沿いの道を走り、紀伊佐野駅前を過ぎると佐野王子跡がある。


小狗子峠の入り口に気付かず、国道のトンネルを通ってしまい、大狗子峠の入り口まで来た。


小狗子峠を越えることができなくて残念だったが、大狗子峠だけは越えることができ、熊野古道の雰囲気を味わう。


神武天皇お腰掛けの石。背もたれがあり、調度椅子のようだ。神武天皇の気分になって腰掛ける。コースマップに記載された場所ではなく、少し離れた国道沿いの高台となった場所にあり、探すのに一苦労した。


世界遺産にも登録されている補陀洛山寺に到着する。南方に補陀洛浄土を目指し渡海する上人達の出発点だ。補陀洛渡海とは、平安時代から江戸時代にかけて、小さな船に閉じこもり30日分の脂と食糧をたずさえて、生きながらにして南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指すというものだ。


補陀洛山寺から少し歩けば、今回のゴールとなる那智駅だ。


那智駅は、大辺路ルートの終点でもある。平安衣装の女性たちの大きなポスター前でゴールの記念撮影をする。


那智駅前で昼食を済ませ、JRで新宮駅まで向かう。新宮駅前からは、行きと同じく名古屋直行の高速バスで帰った。新宮からは便利な高速バスだ。


参考1.2日目のコースマップ


参考2.2日目の高低図&コースタイム

2021第2回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その3&中辺路編その1-2日目前半

2021-02-16 18:29:24 | 熊野古道
2日目の朝、朝食前に付近を散歩しようという事になり、6時にホテルを出る。ホテルを出ると、すぐ前には新宮城跡があるが、まだ暗くて石段を登っていくのが危ないので、そのままスルーして蓬莱山の麓にある阿須賀神社に向かう。

阿須賀神社の歴史は古く、社伝によれば紀元前423年の孝昭天皇の代に創建されたという。秦の始皇帝の命を受け渡来した徐福にもゆかりが深く、徐福一行が上陸したのが阿須賀神社の建立地と伝えられている。平成28年(2016年)には、世界遺産に追加登録された。


幟が立ち並ぶ参道を進む。街灯がついているので、歩きやすい。


暗闇の中に浮かぶ社殿。日の出前の社殿は、神聖で厳かな感じだ。


さらに、街中を歩いていく。


6:40過ぎ。熊野灘から日の出だ。


ホテルに戻り、朝食を済ませてから、2日目のマラニックのスタートだ。朝の散歩のとき、寄らなかった新宮城跡に、まず立ち寄る。新宮城は、熊野川河口の南岸の小高い丹鶴山に築かれた。元々は源為義の娘である丹鶴姫の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれた。元和5年(1619年)にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野氏が入城。その後10代にわたり長い統治が続き、現在の新宮市は城下町として栄えたという。


本丸の北側からは熊野川と熊野大橋の眺望が開けている。


与謝野寛の歌碑。与謝野寛(鉄幹)は新宮を2度訪れ、「高く立ち 秋の熊野の海を見て 誰そ涙すや 城の夕べに」という歌を詠んだ。


与謝野寛の歌碑の先には、前日登った神倉神社が小さく見える。


新宮城跡を出ると、本格的に走り出す。


この日は、いい天気になりそうだ。


明るくなった阿須賀神社に、再び立ち寄る。


狭い住宅街を抜けて、進んで行くと王子ヶ浜に面した古道沿いにあるのが、王子神社だ。この王子神社が、かつての浜王子。祭神は稲飯命と三毛入野命である。古来から海の神を祀る海浜の宮であったと思われるが、熊野信仰の発展とともに、熊野神の御子神を祀る王子社として知られるようになったそうだ。


浜王子から、王子ヶ浜沿いの歩道に進むが、折角なので浜に出て、波打ち際をしばらく進むことにした。


時折、大きな波しぶきが上がってくる。


途中から、遊歩道に入ると走りやすくなった。


この日のメインコースとなる高野坂の入り口に着いた。


「2021第2回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その3&中辺路編その1-2日目後半」に続く。

2021第2回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その3&中辺路編その1-1日目

2021-02-15 18:15:43 | 熊野古道
昨年、第1回目の熊野古道ジャーニーマラニックに行って以来、しばらく行ける状況ではなかったが、先週末久しぶりに第2回目の熊野古道に行ってきた。第2回目は、伊勢路編その2を飛ばして、伊勢路編その3&中辺路編その1のコースになる。

今回は、名古屋駅から南紀方面に向かう高速バスで行く事にした。現在、6便が運行停止になっているが、我々が乗りたい時間の便だけは運行していたので、ちょうど使い勝手が良かった。面倒な乗り換えもなく、一旦乗ってしまえば、目的地まで安心して運んでくれるので楽ちんだった。12時前、予定していた阿田和駅前で下車する。


阿田和駅前にあるパーク七里御浜で休憩した後、スタートの準備をする。


12:09。阿田和からスタートする。


阿田和橋を渡る。


新宮まであと10キロほどだ。


岸沿いの林の中には、江戸時代に熊野三山参拝の途中に命を失くした六部の墓がある。


突然、道の真ん中に、大きな岩が現れた。


横手延命地蔵。文政10年(1827年)に建立。病気平癒のご利益があるとして信仰され、地蔵前に湧き出る水は、霊水と伝えられているそうだが、あいにく霊水は枯れていた。


粥森様。バイパスの広い道が、粥森様の小高い丘を迂回するように続いている。


粥森様から少し先に目を向けると、梅の花が見事に咲いていたので、近くまで見物に行く。


民家の敷地内だったが、きれいだったので、写真を撮らせてもらう。


14:15。熊野大橋を渡り、和歌山県に入る。


熊野大橋を渡りきると、すぐに熊野速玉大社だ。


参道を歩き、神殿に向かう。


熊野速玉大社は熊野三山の一つで、いざなぎの命といざなみの命を主神としている。神代の昔、近くの「神倉神社」に熊野大権現が降臨され祀られていたのを、この地に新宮を建てて祀ったと言われており、神倉神社を古宮(旧宮)、速玉大社を新宮と言う。新宮の地名もここから来たらしい。


熊野速玉大社を参拝したあと、時間が十分あるので、熊野速玉大社の飛地境内に鎮座する神倉神社に向かう。神倉神社は日本書紀の中で神武天皇が熊野に到着後に登ったという天磐盾(アメノイワタテ)として伝えられている断崖絶壁の岩上に鎮座している神社だ。


神倉神社に向かう石段は、四つん這いになって登る人もいるほど急勾配である。入り口には、こんな注意書きが書かれ、足腰が弱い人にはとても登れない石段だ。


ここから石段がスタートする。


上を見ている余裕はなく、ひたすら足下だけを見て登っていく。


神社手前の広場からは、新宮市内が一望できる。


鎌倉時代に源頼朝が寄進したと伝えられる538段の急な石段を登り詰めると姿を現すのが、社殿と御神体のゴトビキ岩である。このゴトビキ岩は熊野権現が最初に降臨したと伝わる巨大岩で熊野信仰の根本ともいうべきものである。


神倉神社を参拝したあと、再び石段を下っていくのだが、これがまた大変だ。上りよりもさらに下りの方が怖い。雨で石が濡れているので、ちょっとでも滑ったら大怪我をしそうである。


最後の鳥居が見えてきた時はホッとした。毎年2月6日夜に行われる神倉神社の例祭「お燈まつり」では、約2000人の「上り子(あがりこ)」と呼ばれる白装束の男たちが急勾配の石段を火のついた松明を持って駈け降りるという。一番早い人は、1分もかからず降りてしまうと言うから驚きだ。


ホテルに向かう途中、「浮島の森」にも寄っていく。市街地の住宅街にこつ然と現れる不思議な森だ。正式名称は「新宮藺沢(いのさわ)-浮島植物群落」と呼び、泥炭でできた面積約5,000㎡の島全体が沼の上に浮かび、寒暖両性の植物の混成群落がある。


入園料を払い、島の中の遊歩道を散策する。


この森は沼地に囲まれているのではなく、沼地の上に浮いていて、今でも常に移動しているそうだ。


どこが穴かはよくわからないが、蛇の穴(じゃのがま)と呼ばれる場所。この穴にはある恐ろしい伝説が隠されているそうだ。
「昔、おいのと言う近所でも評判の美女がこの辺りに住んでいました。おいのは父親と浮島の森に薪取りに来ていました。休憩中にお弁当を食べようとしたのですが、箸を忘れてしまったことに気づきます。島の中で枝を折ってきて箸にしようと考えたおいのは、森の中に入っていきました。しかし、いつまで経ってもおいのは戻ってきません。怪しんだ父親は森に様子を見に行きます。するとそこには大蛇がいて、おいのを今にも飲みこもうとしていました。父親が助けようとしましたが間に合わず、おいのを飲みこんだ大蛇は沼の中に姿を消しました。」


浮島の森入り口の“おいのと蛇”の像の前で記念撮影。


16時頃、この日の宿に到着して1日目のマラニック(伊勢路編その3)が終了した。

参考1.1日目のコースマップ


参考2.1日目の高低図&コースタイム


「2021第2回熊野古道ジャーニーマラニック:伊勢路編その3&中辺路編その1-2日目」に続く。