とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2023徳島マラソンツアー:大歩危観光編

2023-03-24 18:43:56 | 観光
マラソンの翌日、大歩危まで電車で移動する。大歩危まで乗って行ったのは、アンパンマン列車だった。


大歩危駅は、JR土讃線の徳島県内最後の駅。大歩危駅から隣の土佐岩原駅に行く間に高知・徳島県境を超える。こじんまりとした駅舎で、常駐の駅員はいないが、駅舎からすぐの場所に売店や食堂があり、鉄道線路や駅舎は深い山の渓谷の底にあるので、秘境感が感じられる。


改札口前では、妖怪児啼爺(こなきじじい)が我々を出迎えてくれる。


あらかじめ頼んでおいた観光タクシーが駅まで迎えに来てくれていたので、そのまま、大歩危峡に向かう。ちょうど鯉のぼりのイベントが始まっており、色とりどりの鯉のぼりが渓谷にかけられ、たくさんの鯉のぼりが吉野川上空を泳ぐ姿は圧巻だ。


大歩危峡では、観光船に乗って吉野川をゆっくり下り、途中でUターンして戻ってくるルートとなっており、所要時間30分で峡谷の絶景を体感する。


小さな滝から水が流れ落ちている。


獅子が大きな口を開けているような岩が見える。


反対側から別の観光船が戻ってくる。


大歩危峡は、川の両岸が切り立った断崖となっており、迫力ある奇岩と渓谷美を楽しむことができる。


30分ほどの遊覧を終え、乗り場に戻ってくると、風が出てきたのか鯉のぼりが気持ちよく空を泳いでいた。


大歩危峡から次に向かったのが、祖谷渓だ。深く切り込んだV字型の渓谷が約10kmにわたって続く「祖谷渓」。眼下にはエメラルドグリーン色の祖谷川が流れ、渓谷を上から覗き込むと、目がくらむような高さに驚かされる。祖谷川が大きく蛇行し「ひ」の字となっているように眺望できるのが「ひの字渓谷」。




渓谷に沿うように通る祖谷街道を車で走っていると突如現れる小便小僧。かつて地元の子供達が岩の先端で度胸試しをしたという逸話をもとに作られた小便小僧の像で、断崖に突き出た岩の上に立っている。


小便小僧の像から谷底までは約200mもあり、確かに身震いしてしまう高さだ。とてもあの岩の先まで行く勇気もなく、現在は人が立ち入ることが出来ないよう柵で囲われている。


次に向かったのが、今回一番行ってみたかった“かずら橋”だ。
平家の落人が追っ手の進入を防ぐために作ったとされる吊り橋で国の重要有形民俗文化財に指定されている。祖谷(いや)のかずら橋は、岩国(山口県)の錦帯橋(きんたいきょう)、甲斐(山梨県)の猿橋と並んで、日本三奇橋の一つにも数えられている。


橋の入り口に料金所があり、お金を払ってから渡り始める。


野生のシラクチカズラで編まれていて、歩くとギシギシと音をたてて揺れ、敷綱でつながれた横木と横木のすき間からは川面がのぞき、渡るだけでスリル満点だ。


次々と観光客が橋を渡ってくる。人が多くなるほど揺れるので、みんな慎重になる。


我々が渡り終えて、しばらくすると、かずら橋が人の群れで一杯になっていた。海外からの団体観光客が一気に来たので大混雑だ。


かずら橋の出口付近にある蕎麦屋でそばを注文してから、蕎麦が茹で上がる待ち時間の間に、直ぐ近くにある琵琶の滝を見に行く。


昔、平家の落人が京の都をしのび、この滝で琵琶を奏で、つれづれを慰めあっていたことから名付けられたと言い伝えられている。


徳島県の大歩危は110以上の妖怪伝説が残る妖怪郷だ。観光の最後は、道の駅「妖怪屋敷」に寄っていく。ここは、ゲゲゲの鬼太郎に登場する児啼爺(コナキジジイ)の故郷とも言われているエリアだ。


妖怪にまつわる祠や神社、遺跡が数多く遺され、妖怪祭りなどで妖怪達と共存共栄してきたことから、2008年に水木しげるさんが会長を務める世界妖怪協会から後世に遺す怪遺産として認定を受けているそうだ。


児啼爺の横から中に入る。1階が妖怪屋敷で、2階が石の博物館になっている。


屋敷内には、山道や里に現れたちょっと恐くてどこか面白い妖怪たちが待っている。


妖怪屋敷から大歩危駅に戻ってきたが、大歩危駅前にも妖怪シネマ博物館があり、ちょっと面白そうで見ていきたかったが、帰りの電車の時間が迫っていたので、おとなしく帰る事にした。


大歩危から特急列車で、瀬戸内海を渡り岡山駅に向かう。岡山からは新幹線で帰路についた。大歩危峡、祖谷峡には初めて行くことが出来たが、まさに四国の秘境にふさわしい場所でとても面白かった。

2023徳島マラソンツアー:マラソン編

2023-03-23 21:37:23 | マラソン
先週末は、徳島に遠征。徳島マラソン参加と、徳島観光を楽しんできた。マラソンは、徳島県庁前からスタートだ。定員7500人とのことだったが、実際の参加者は6000人ちょっとと、思ったより集まらなかったようだ。


スタート地点では、ゲストの野口みずきさん、大迫傑さん、金哲彦さん、神野大地さんが手を振っていてくれた。


徳島市内の中心部を走り抜ける。


まずは、吉野川に架かる吉野川大橋を渡る。


橋を渡ると、吉野川の左岸沿いの道を進む。エイドでは、早速阿波踊りでの応援だ。


恐竜の応援もある。


堤防沿いには菜の花が咲き乱れ、春らしい天気を後押ししてくれる。


西条大橋を渡り吉野川右岸沿いの道に入る。ここでも阿波踊りの応援がある。


30キロを過ぎたあたりから眉山が前方に見えてきた。眉山は、徳島のシンボル的な山だ。


眉山を目の前にしてフィニッシュ。金さんがゴール前でお迎えだ。


フィニッシュ会場から徳島市内中心部に戻るには、バスもあるのだが、クルーズ船でも送ってくれるというのでクルーズ船に乗り込む。徳島って、マジで島なのだ。徳島駅周辺の中心街が川に囲まれた島になっていて船で一周できるという。


クルーズ船は、いくつもの橋の下を通り抜ける。水面と橋の下までの高さが結構低く、頭がぶつかりそうになる。


みんな慌てて身をかがめる。


まるでテーマパークのアトラクションに乗っているかのようだ。


橋を抜けると一安心。


終点の待ち合わせ広場前に到着する。


待ち合わせ広場では、阿波踊りの有名連が待機していてくれ、本格的な阿波踊りのショーを見せてくれた。


阿波踊りは、男踊りと女踊りの2種類があるが、最近は女性でも男踊りをやりたがる人が多いそうで、見応えがあった。


子供の阿波踊りも可愛い。


最後は、ランナーも阿波踊りに参加して徳島マラソンを楽しんだ。




参考1.徳島マラソンのコースマップ


参考2.徳島マラソンの高低図


「2023徳島マラソンツアー:大歩危観光編」に続く。

2023箱根丸岳

2023-03-06 22:41:22 | 山登り
1月の三国山に続いて、再び箱根の外輪山の山を歩く。今回は、御殿場からバスで乙女峠まで行き、バス停から金時山への登山道を登る。バス停から国道を少し歩き、脇に入ると登山口だ。


しばらくは、急傾斜の登山道を登る。


気温は低く肌寒いのだが、厚着をしていたせいか、額からは汗がしたたり落ちる。


30分ほどで乙女峠に着く。天気が良ければ富士山の絶好の展望台になるのだが、残念ながら雲に覆われて良く見えない。


乙女峠からは、金時山方面には向かわず、丸岳方面に向かう。


しばらく進むと、笹の向こうに大涌谷、芦ノ湖が見えてきた。大涌谷からは相変わらず噴煙が上がっている。


乙女峠から30分ほどで箱根丸岳1156mに到着する。山頂には、大きな電波塔が建っていて、遠くからでも良く見える。


丸岳からは、眼下に大きなゴルフ場が見え、芦ノ湖も一際近く見えるようになってきた。


しばらく山頂からの景色を堪能する。


芦ノ湖を見ながら尾根を進む。


登山道の両側は、笹原で覆われている。


笹原で囲まれた、広い広場でランチ休憩だ。風が遮られて、休憩には絶好の場所だ。


箱根スカイラインが見えてきた。


富士見ヶ丘公園まで来た。西側方向が開けていて、ここも富士山の絶好の展望スポットだ。だが、上半分は雲に覆われ、裾野の積雪の斜面がかろうじて見えるだけだ。


徐々に高度を下げ、芦ノ湖方面に下っていく。


このコースは、山頂から続く視界の開けた尾根歩きが醍醐味だ。曇っていても、登ってきて良かったと思える絶景が楽しめる。


湖尻峠まであと僅かだ。


湖尻峠は、箱根スカイラインと芦ノ湖スカイラインの分岐点だ。


湖尻峠は、前回三国山から下りてきた時にも来ている。


前回同様、湖尻峠から桃源台まで下山。桃源台からは、ロープウェイで大涌谷まで行ってみようかと思っていたが、ロープウェイは改修工事で運休中との事。しかも、ちょうど雨が降り出してきたので諦めがつき、そのままバスで帰ることにした。

今回丸岳を歩いたコースと前回三国山を歩いたコースが繋がり、箱根外輪山一周コースの約1/3を歩いたことになった。箱根外輪山を一周するコースは、通称「箱根ガイリーン」と呼ばれ、トレランでは有名なコースらしい。機会を見つけて、「箱根ガイリーン」を一周するのもいいなと思った。

参考1.今回の高低図&コースタイム


参考2.今回のコースマップ

2023旧秋葉街道ウォーク

2023-03-03 22:38:04 | ウォーキング
先週の日曜日は、遠州山辺の道の会主催のウォーキング大会に参加してきた。遠州山辺の道は何度か走ったことはあったが、今回は山辺の道ではなく、旧秋葉街道の一部を歩くとの事だった。既に何回かやっているらしかったが、今回は遠州芝本駅から遠州西鹿島駅までの旧秋葉街道を歩くという。

集合は、遠州芝本駅だ。参加者は5~60名くらい。スタッフも大勢いて3グループに分かれて芝本駅をスタートする。


しばらく進むと、浜名用水と線路が交差する場所に着く。スタッフの解説によると、この辺りが旧芝本駅のあったという場所らしい。かつては、柴本村という地域名であったことから命名された駅名なのだが、柴の字を間違え芝本となって現在に至っているという。


そこからさらに歩くと慈眼寺というお寺がある。お寺の境内には、柴本小学校跡という標柱があり、かつては柴本と呼ばれていたことがうかがえる。


慈眼寺の観音堂には、袖ケ浦三十三観音霊場の三十番札所が祀られている。
袖ケ浦三十三観音霊場とは、
「今から約二百年の昔、中瀬村の清水源八氏が西国三十三ヶ所霊場を巡拝した時に、その地の砂を持ち帰り、この近隣で一日の内に巡拝出来る所に、観音像を安置すれば、誰でも気軽に参拝出来ると発案し、辛苦の末、多くの人達の賛同や寄付を得て、文政五年(1822)各地のお寺などに三十三観音を祀りました。これを誰が名付けたのか“袖ヶ浦三十三観音”と呼ばれています。」との事。


線路を挟んで西側には豊川稲荷が祀られている。遠州鉄道が敷設された際、お寺の敷地が分断されたという。


さらに進んで行くと、坂があり少し下ると用水が流れている。坂の部分は、河岸段丘だという説明があった。大昔、この辺りは天竜川の河原で、段丘が出来ていたのだという。何だか、ブラタモリでも良く聞いた話だ。


そして、浜名用水の流れている辺りは、かつて天竜川が流れ、渡し船で対岸に渡っていたという。


浜名用水沿いを進む。浜名用水は、新原のJAとぴあ緑花木センターあたりで馬込川に変わる。


於呂取水場手前で藪をかき分け、段丘を登り返す。


遠州岩水寺駅近くの小さな公園には、ごうりんさまが祀られている。昔、この辺りの人たちが松林を開墾していた時にたくさんの塚(墳墓)が掘り出された。その際、5つの五輪塔が出たので、その場に祀ることになったという。お堂の中には五輪塔が祀られている。ごうりんさまとは、五輪塔からきているようだ。


遠州岩水寺駅前を通る。


住宅地の細い道沿いには、旧秋葉街道(旧二俣街道)の案内板が多数、吊り下げられている。


新東名高速道路と遠州鉄道が交差する道を進む。


於呂浄水場の角には、御馬ヶ池の由来が書かれた石碑が建っている。遠江国に侵入した武田勢を迎え撃とうとした徳川家康がこの池の水を自身の馬に掛けるなどして休ませたと伝わっているため、池の名前に「御」の字が付いたといわれている。


その先には、於呂神社がある。


於呂神社の手前にあるのは、直径23.8m、高さ3.9mの円墳。浜北北麓古墳中では、最も古い形式の古墳になるそうだ。


於呂神社の入り口に着いた。於呂神社の名前の上には、式内郷社という名称が付いている。式内郷社というのは、延喜式内社であることを意味していて、平安時代(10世紀)にすでに官社として認定されていた神社であり、とても由緒ある格式高い神社だけに与えられる称号だという。


鳥居をくぐって境内に進む。


本殿にお参りする。御祭神は「天津日高日子穂穂手見命(あまつひほほでみのみこと)」、神武天皇の祖父だ。天照大御神の孫「瓊々杵尊(ににぎのみこと)」が父、「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」が母ということで、これだけでも格式が高いことが分かる。しめ縄の上には菊の紋章が掲げられている。浜北の於呂にこんな格式の高い神社があるなんて思いもよらなかった。


社務所も、この日のウォーキングの為にわざわざ開けられていた。おやつを食べてしばらく休憩する。


於呂神社の隣にある西光院には、袖ケ浦三十三観音霊場の二十九番札所があった。


再び遠州鉄道の線路沿いを歩くと、通常の線路の横に別の線路が敷かれた広い場所があった。何をする場所だろうと思っていたら、スタッフの説明によると遠州鉄道の新型車両の搬入を行う場所だという。トレーラーで運ばれてきた車両をこの場所で降ろし、クレーンで釣り上げて線路に乗せるのだという。電車には何度も乗っているが、こんな場所があったとは知らなかった。


車両搬入半出場からゴールの遠州西鹿島駅はすぐだ。


3時間ほどのウォーキングだったが、身近な場所でもいろいろ興味深い場所が結構あるものだと面白かった。

参考1.コースの高低図&コースタイム


参考2.コースマップ

2023五島つばきマラソンツアー:5日目

2023-03-01 18:35:18 | 観光
日の出前の薄明るくなった頃、朝食前のひと運動という事で、ホテルの近くにある奈良尾神社のアコウの木を見に行く。奈良尾神社の境内にあるこの木は、地上約7メートルのところから下は二大根幹にわかれ、それぞれの目通りの周囲は約6メートル及び7メートルであり、国指定天然記念物になっている。


アコウの木からは多数の気根が垂れ下がり、参道を覆うトンネルとなっている。このトンネルをくぐれば「長寿が保障」となり、ありがたいパワースポットだ。樹齢は650年といわれ、戦国時代よりも遡る南北朝時代となり、長い時間にわたって奈良尾神社に鎮座し続ける巨木だ。


アコウの木からパワーを貰い、ホテルに戻る途中、ふるさと観音公園に立ち寄る。五島灘に面する奈良尾港を見下ろす高台に整備された、心字池を中心とした純日本庭園風の公園。黄金色に輝く観音像が、辺りを明るく照らしていた。


高台から海を眺めると、東の空が明るくなってきた。


7:05。水平線にかかっていた雲の上から日の出だ。


公園のすぐ隣が、宿泊したマルゲリータ奈良尾だ。朝食時に、ホテルの人から聞いた話では、「五島の椿プロジェクト」のサポーターに就任された吉永小百合さんが、CM撮影時に一週間ほど貸し切りで滞在されたらしい。


ホテルをチェックアウトした際、支配人から玄関前で集合写真を撮ってもらう。


この日の最初の観光スポットは、頭ヶ島天主堂だ。上五島地区では唯一、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録された石造りの天主堂。ここだけは事前に見学を予約しておかないと入ることが出来ない。


頭ヶ島天主堂から少し下った海辺にキリシタン墓地がある。日本の墓地にある石碑と同じ形状のお墓だが、石の上には十字架が添えられている。弾圧の中で強く生き延びた信者たちの歴史が窺い知れる。


観光マップには、「龍馬ゆかりの地」という場所があり、五島にも坂本龍馬が来たのだろうかと気になって足を延ばす。


説明書きを読んでみると、坂本龍馬が長崎のグラバーより購入した洋型木造帆船「ワイル・ウエフ号」は、鹿児島へ向かう途中で大暴風雨にあい、ここ上五島の潮合崎沖で遭難してしまった。乗組員4人を除いた12人全員が海へと散った。知らせを聞いた龍馬が駆けつけ、殉難者の名前を刻んだ慰霊碑の建立を依頼したといわれ、その碑は江ノ浜の共同墓地で地元住民により今も大切に祀られているそうだ。


遭難の地を望んで合掌する「祈りの龍馬像」が建っている。


坂本龍馬像というと高知の景勝地「桂浜」の像が思い出されるが、合掌している像は珍しい。


旧鯛ノ浦教会。隣に新しい教会があり、現在は資料や図書の展示がされている。戦後に増築されたれんが造りの鐘塔は、1946年原爆により被爆した長崎の浦上天主堂の煉瓦が使われているそうだ。


敷地には、マリア像を祀ったルルドがある。


半日ほどで観光を終え、レンタカーを返し、奈良尾港に向かう。奈良尾港からはフェリーで2時間半かけて長崎港に戻り、長崎空港から帰路についた。長かったようであっという間に過ぎた五島の旅だった。