とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2017高畑山・倉岳山

2017-11-27 22:53:18 | 山登り
山梨県大月市の秀麗富嶽十二景と呼ばれる山々を登りだして八景まで登り終わった。これらは富士山を望む優れた景観がある場所として、 山梨県大月市が1992年に定めた12の山域である。昨日は、九景目に当たる高畑山・倉岳山を無事登り終えることが出来た。二つの山は、秀麗富嶽十二景の9番山頂にもなる。

早朝、家を出発して大月駅前まで行く。今回の山は、駅から駅を繋ぐルートだが、車で行く場合、駐車場がある駅は少ない。したがって、この辺りでは最も大きい大月駅前近くの有料駐車場に車を止める。車を置いて大月駅まで向かう。


大月駅から二つ先の鳥沢駅までの乗車券を買ってホームに向かう。ホームの目の前には、秀麗富嶽十二景の8番山頂となる岩殿山が見えている。岩殿山は、既に登ったことがある山だが、 平成29年8月7日の集中豪雨により山腹崩壊などが多数発生したため現在全コースが入山禁止となっているそうだ。


9:40。鳥沢駅を出発する。まずは、古い宿場の家並みのある甲州街道を東に歩く。しばらく歩くと民家の角に高畑山・倉岳山の道標があり、そこを曲がる。


その後も、しばらくは住宅地の細い路地を幾つも通り過ぎていく。このような路地は、分かりにくいものだが、ありがたい事に大月市の道標が曲がり角ごとに建てられているので、ほとんど迷うことなく進むことが出来た。10:14。柵がある登山口までやってきた。


10:22。小篠貯水池のほとりまで来ると車道も終わりだ。


峠道文化の森入り口からは、しばらく石がゴロゴロした歩きにくい道だ。


小篠沢の鉄橋を渡り、分岐を左側に進むと高畑山への登山道だ。


10:48。石仏前を通過する。


12:00。高畑山山頂にあっけなく到着する。左端には、雪を被った富士山が見えている。少し霞がかかって白っぽく見えるが、秀麗な富士をさっそく見ることが出来た。


高畑山は標高982mで、看板にも秀麗富嶽十二景の9番山頂であることが記されている。


12時を過ぎ、高畑山で昼食にしても良かったのだが、風が強く山頂もそれほど広くないので、倉岳山で昼食にすることにして先に進む。穴路峠までの下りは、紅葉がところどころでまだ見られ、目を楽しませてくれる。




見通しのいい場所からは、眼下に中央本線の鉄橋や中央高速道路が良く見える。また、大菩薩嶺に続く山並みも見えている。


12:42。掘割状の穴路峠に着く。


穴路峠からは、急な坂を登り返す。




13:07。倉岳山山頂990mに到着する。


倉岳山も、高畑山と同じ秀麗富嶽十二景の9番山頂である。ちょうど小学生と父兄の団体登山者が大勢いたが、しばらくすると下山していった。


登山者が少なくなって山頂が広くなったので、我々も昼食を始める事にした。寒い時期になってきたので、久々の鍋料理だ。


野菜や肉の出汁がいっぱい出たところで、締めは卵とじのうどんだ。


1時間以上も倉岳山山頂でのんびりしてから立野峠に向けて下山していく。落ち葉がたくさん積もった下山道は急で滑りやすい。


14:44。立野峠に到着する。立野峠からは、梁川駅方向に下山する。


峠からは、北側の暗いヒノキ林を抜けていく。14:59。水場に到着する。


水場からは、月屋根沢沿いの道を何度か岸を変えて下って行く。


15:46。倉岳山登山口に到着する。登山口には、入山者のカウンターが置かれていたので、一人一人カウンターを押して入山チェックをしていく。




その後は、舗装道路となり梁川駅に向かう。


16:01。梁川駅に到着する。日帰り登山としては、ちょうどいい時間となっていた。


梁川駅から大月駅まで電車で戻り、有料駐車場に置いてあった車で帰路についた。今回は、久々に土日とも好天に恵まれ、気持ちよい山行ができて良かった。これで、秀麗富嶽十二景も残り三景となった。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図

2017恵那山

2017-11-20 18:58:17 | 山登り
昨日の日曜日は、日本百名山の一つである恵那山に登ってきた。百名山を目指している山友の希望でどうしてもやっつけておきたい山という事で行くことになった。ただ、直前の天気予報では、恵那山山頂の天気は、晴のち雪、-7℃/-10℃(最高気温/最低気温)、風向:北西/風速:17m/s(9時の予報)という事で、恐ろしく寒い強風に見舞われそうな数字だったので、内心ビビりながら現地に向かった。

前日の夜、中央道の神坂PAで仮眠をする。車の中も寒くなる事が予想されたので、シュラフの上にも毛布を被せ、ありったけの服を着て寝込んだ。おかげで震えることはなかったが、寒いことに間違いはなかった。

午前7時過ぎ、神坂PAから園原ICを出て、広河原ルートの登山者用駐車場に向かう。こんな寒い日は、ほとんど登山者はいないだろうと思っていたが、既に数台の車が止まっていた。やはり百名山となると人気があるのだろう。


車止めゲート横で登山届に記入する。ゲート脇のトイレは、冬季閉鎖という事でカギがかかっていて使用できない。


今回のメンバーは、私を入れて5人。私は20年以上前に登って以来2度目だが、あとのメンバーは初めてとなる。あらかじめ寒いという事は言ってあったので、ダウンやスキーウェアなどを纏い完全装備の雪山仕様で8時過ぎに出発する。


しばらくは林道歩きである。天気予報通り、朝から快晴となっており幸先よい出足だ。山の上部は、真っ白くなっており、前日かなり雪が積もっていたようだ。


8:25。林道脇から沢に下って行く。ここからが登山口だ。


沢に架かる丸木橋を渡る。


登り始めは、まだ晩秋の気配だ。谷間なので風もほとんどなく日差しが当たって気持ちよい。


15分も歩くと、厚着なので暑くて仕方がない。みんな上着を脱ぎだした。


空も雲一つない青空で気持ちがいいくらいだ。


しかし、3合目あたりから景色が一転してくる。登山道には、凍った雪の塊がゴロゴロしているようになってきた。


9:45。もう完全に雪道だ。天気は良くても、やはり雪の世界だから寒い。少し前に脱いだ上着ももう一度着こんで寒さに備える。ありがたい事に、予想されたほど風は強くなく、肩透かしを食らった気分だ。




雪を纏ったヒノキは、まるでクリスマスツリーのようだ。


山の天気は、やはり変わりやすい。いつの間にか西の空から雲がどんどん湧きだしてきていた。山頂に着くころには、景色はもう見えなくなっているだろうという予感がしてきた。


東の空は、まだまだ好天で南アルプスの山並みが一望できる。これが見られただけでもラッキーだ。


その後は、あっという間に真っ白い雲に包まれ、写真を撮る気にもなれずにひたすら山頂を目指す。コース上には、10等分された標柱があり、6/10、7/10、8/10という数字を見るたびに山頂に近づいているという励みになった。

11:30。恵那山山頂2191mに到着する。もう辺り一面銀世界である。山頂は、樹林帯で覆われているので晴れていても展望は望めないから、とにかく山頂にたどり着けただけで大満足だ。


山頂にある展望台。この上に登っても、まったく展望はない。これを建てた時は、景色も見えたのだろうか?


山頂から、少し下ってさらに進んだところに避難小屋とトイレがあるという事なので、そこまで行ってみる。こじんまりした小屋だが、まだ新しそうだ。


近くには、立派なトイレもあり、こちらは冬季でも使用できる。


避難小屋に入って、簡単な昼食とする。外では寒くて休憩することもできないので、避難小屋があるだけでありがたい。登るときは、アイゼンもつけずに登ることが出来たが、下りでは滑りそうなので、小屋でアイゼンを装着し下山することにした。


下りも元来た道を戻るだけだ。小屋で休憩していたら体が冷えてしまい、歩きだしはブルブル震えるほどだったが、10分も歩けば暖かくなってきた。外気温は、-3~-4℃と予報よりは高い気温だが、氷点下であることは間違いない。


いつの間にか里の方も、雪雲に覆われ真っ白だ。




葉が落ちて雪を纏った木々は、もう冬の装いである。


斜面の笹原も雪に覆われている。


午後から雪が降るとの予想通り、下山するに従い雪がちらほらと舞い落ちてくるようになっていた。ほとんど休憩することもなく、ひたすら下山すると沢が出てきた。


14:35。登山口入口に着くと、カメラにもハッキリ写るほどの大きい雪の塊が降ってきていた。


その後、林道を歩くこと20分。14:55。駐車場に到着すると、地面も真っ白となっていた。


もう体が冷え切っていたので、荷物整理もそこそこにして、昼神温泉「湯ったり~な昼神」まで向かう。熱いお湯につかると体も温まった。

前日までは、厳しい寒さと強風の天気予報だったので、中止しようかと思ったくらいだったが、恵那山は樹林帯が多く、風を遮る場所が多いという事もわかっていたので、思い切って決断して良かった。一日で晴れから曇り、そして雪を経験できたのもいい経験になった。初めて恵那山に登った山友たちも記憶に残る山行になったようだ。

参考:今回のコースマップ(広河原登山ルート)

2017南伊豆みちくさウルトラマラソン

2017-11-13 22:41:40 | マラソン
先週末は、第4回南伊豆みちくさウルトラマラソンに参加してきた。第1回から連続して参加している楽しい大会だ。今回も、100キロではなくエイドを全部楽しむため75キロにエントリーだ。参加者は、東京、大阪、長野をはじめ、静岡、愛知のメンバーで16人が集まった。

当日の天気予報は、午前中雨とのことで、全員雨具を着て、スタート会場に集合する。


午前5時、100キロと75キロの選手が、青野川ふるさと公園を同時にスタートする。


最初の6.7キロの大浜エイドでは、こんにゃくみそ田楽、レモンの砂糖漬け。にゅう麺、黒はんぺんフライなどが出た。最初から、個性的なメニューだ。


6時近く、海岸線沿いのコースに入ると、風雨が強まり、前に進むのも困難な状況になってきた。


盥岬(たらい岬)の遊歩道は、国立公園内なので歩かなければならない。森の中は、風の影響は少なかったが、磯に出ると、風に乗って砂や飛沫が顔にぶつかってくる。


海も強風で飛沫が上がっている。


砂利の海岸を歩ききると、盥岬遊歩道が終わりだ。




東の空が明るくなってきた。そろそろ雨が止み晴れ間が出てきそうだ。


6:40。弓ヶ浜まで来た。弓の形をした、美しい砂浜だ。


15キロの漁協さんの美味しいお魚エイドだ。干物(あじ、むろあじ)、魚の竜田揚げ、梅干しなどが出た。ビールがあれば、居座りたくなるエイドだ。




19キロのアロエセンターエイドでは、アロエヨーグルト、アロエゴーフレット、アロエ茶、磯のりうどんが出た。アロエヨーグルトは、美味しくてお代わりしてしまった。磯のりうどんものど越しが良く食べやすかった。




南伊豆では、目玉と言える石廊崎と奥石廊崎は、強風のため通行止めとなり手前で引き返すことになった。特に石廊崎は、海に飛び出しているので、強風で手摺から選手が転落する可能性もあり、やむを得ない判断だったと言える。しかし、石廊崎の入り口から石廊崎の先端までは、特に急坂だったので、通行止めと聞き、内心ホッとしたのは間違いない。

9:08。32キロのいのししエイドに到着する。ここは、猪汁が目玉だ。


34キロ辺りで、同行した仲間数人と合流する。雨も上がり、晴れ間も出てきた。




36キロのエイドは、オーガニック野菜スープ、玄米がゆ等だ。




長い上り坂をやっと登り切って着いた長者ヶ原エイドでは、食べ物は、おでん、おにぎり、お汁粉等。飲み物は、山桃ジュース、甘夏ジュース、梅ジュース等珍しい飲み物が多い。また、ドラゴンフルーツも食べ放題だ。


波勝崎のエイドでは、とろろ飯や自家製漬物、暖かいお茶などが出た。特にとろろ飯が美味しい。


波勝崎の駐車場から山を見上げる。午前中の雨が嘘のような晴天となっている。


波勝崎からは、例年だと海岸の集落まで下って行くのだが、今回は、途中の道路で土砂崩れがあったらしく通行止めとなってしまった。結局、波勝崎まで下ってきた道を、再び3.5キロほど戻ることになってしまったのだ。これが特にきつかった。石廊崎と奥石廊崎の通行止め分で短くなった分が、これでチャラとなりむしろトータルでは距離が延びてしまったかもしれない。

展望台から、海岸沿いの集落を眺めてみる。素晴らしい景色だが、上からしか見る事ができなかった。


その後は、前半の強風で体力がなくなってしまったのか、だいぶペースが落ちてしまっていた。上り坂は歩くしか進めない。それでも、残り7キロくらいからは、できるだけ歩かないようにして走り、17時前には無事ゴールする。宿に帰り、温泉に入るとやっと人心地が付いた気分になった。4回参加した中では、今回が最も疲れた気がする。それでも、エイドは一通り楽しむことが出来たので満足だ。

翌朝、全メンバーとも元気な顔で宿を後にする。パワーのある仲間たちばかりなので、何も心配することはない。帰り道でも、干物屋やアロエセンターに寄って試食の干物を大いに食し、お土産もたくさん買いこんで帰路についた。終わってみれば、楽しいウルトラマラソンツアーだった。


因みに、今回の完走証明書。文面が相変わらず面白い。まさしく、いやらしく残酷でエグイコースだった。完走出来て、本当に良かった。

2017千国街道塩の道トレイル:大網峠越えコース後半

2017-11-10 07:38:47 | マラソン
屋敷跡の広場で、落ち葉の上に腰を下ろして休憩する。


広場の片隅に、蔦がロープのように垂れ下がっていた。ターザンごっこをすると言って捕まったものの、すぐに滑り落ちてしまう。なかなかターザンのようには成れないものだ。




15分ほど休憩して、先に進む。V字型の谷間の先には、ブナ林が広がっている。こんな光景見たことないと思うほど、見事なブナ林だ。パソコンの壁紙にでも使ってみたくなる。




この辺りからは、もう目を奪われるばかりの紅葉景色だ。






11:40。大網峠に到着する。標高840mで今コースの最高点である。


集合写真を撮ると、あとは気持ちが良い下山コースとなる。


下山の途中では、山頂に白い雪を被った雨飾山が良く見えていた。




しばらくすると、木々の間から池が見えてきた。


池の名前は、角間池である。この池には、日本の分布の南限にあたるアマゴイルリトンボや高山性のルリイトトンボが生息しているという。峠を越えて下ってきたところにある神秘的な池だ。




下り道から見る山の斜面の黄葉も素晴らしい。


角間池からさらに10分ほど下ると、一気に目の前が開け、雪を被った山並みと大きな池が目の前に飛び込んできた。コバルトブルーの池の名前は白池だ。この日一番の絶景ポイントである。こんな素敵な景色が見られるなんて思いもよらなかった。みんな景色に見とれて、しばらくその場を動くことが出来なかった。


白池の湖畔を塩の道が通っているが、元禄時代に信越の国境をめぐって越後根知村と信州小谷村との争いがあったという。争った背景には、白池の水利権があったとも言われ、塩がこの千国街道塩の道から信州へ入れたのは、ここの水との代償ともいう説もあるそうだ。その争いの余波であろうか、越後側は「しろいけ」、信州側は「しらいけ」と呼ぶようだ。


白池の奥に聳える山並みは、左から駒ヶ岳、鬼ヶ面山(おにがつらやま)、鋸岳の海谷三山である。見る位置を変えれば、右端には雨飾山も見える。雪山と紅葉と池が見事にマッチしてこの日のベストショットといってもいい。海谷三山の事は、今回初めて知ったのだが、登山意欲も大いに掻き立てられた。


景色を堪能してから、ゴール目指してもう一頑張りだ。


鋸山のすぐ隣に見えてきた円錐状の雪山は、妙高山・火打山の西側にある焼山である。現在も活動している活火山だ。


日向茶屋跡。


黄色く染まった森の中をさらに進む。




12:45。大網峠越えコースのゴールとなる塩の道資料館に到着する。ガイドマップでは、所要時間5時間10分と書いてあったが、トレランでは3時間45分で着いてしまった。当初の予定では、ここからさらに5キロほど走って、車を止めたフォッサマグナパークまで行く予定であったが、途中で別れたかわいさんが車で迎えに来てくれていたので、ランはここで終わりとした。


入場料400円を払って、塩の道資料館の中を見学していく。当時の歩荷の様子をしめした人形だ。男は40キロ、女は20キロの塩を背負ったという。置いてあった40キロの塩の袋を持ち上げようとしてみたが、まったく袋を持ち上げることは出来なかった。改めて、こんな重い荷物を背負って、難所の塩の道を歩いた人々の苦労がしのばれた。


歩荷が使った背負子。


藁で作られた草履や、靴、かんじき等。


資料館を一通り見学すると、管理人のおばあちゃんが囲炉裏端でお菓子とお茶をふるまってくれ、しばらくいろんな話をしていく。この日は、我々が唯一のお客であったらしく、話し相手ができたと喜んでいた。

13:15。資料館を出る。まだ走って行く元気はあったが、昼食や温泉に寄ってこの日のうちに帰路につく事を考えると、あまり時間もない。そのまま車で移動し、残りの車も回収に向かった。


道の駅小谷に着いて昼食を頼むと14時半近くになっていた。


その後、道の駅内にある深山の湯に入ってから、白馬村、東京、愛知、静岡と各方面に向かうメンバーごとに分かれ解散となった。今年の2月、小谷村でスノーシュー登山をしたのがきっかけで、塩の道をトレランで走ることを思いついたのだが、思った以上に素晴らしいコースで大成功だったと言っていい。早くも、もう一つのコースである東回りの千国古道を、走って見たいという声が上がってきている。

2017千国街道塩の道トレイル:大網峠越えコース前半

2017-11-09 00:12:04 | マラソン
2日目の朝は、快晴だった。ただ、白馬では明け方まで雪が降ったらしく車のフロントガラスには僅かに雪が積もっていた。この日は、ペンションの朝食を食べ、前日よりはゆっくりである。玄関前で集合写真を撮り、7:30に出発する。


大網峠越えコースは、昨日の天神道越えコースの続きである。まずは、平岩駅近くのいで湯の広場まで行ってから運転手以外を降ろし、2台の車で根知のフォッサマグナパーク駐車場まで向かう。フォッサマグナパーク駐車場に1台を駐車してから、もう1台でいで湯の広場に戻る。

全員揃ったところで、大網峠越えコースの出発点に向かった。車の移動で結構時間がかかってしまい、スタートは9時頃になってしまった。大網峠越えコースは、難易度が健脚向けとなっている。平岩から根知までの約10キロで、今回では最もキツイコースだ。


天気は、昨日と打って変わり、太陽の光が溢れんばかりとなっている。山の紅葉も、光が当たるだけでキラキラと輝いているかのようだ。


落ち葉を踏みしめ、山道を進む。


大網の集落に入る。看板を見ると、ギフチョウ、ヒメギフチョウが小谷村の天然記念物に指定になったという。本来日本ではギフチョウ・ヒメギフチョウは棲み分けをしており、この二種の分布境界線はルードルフィアラインと呼ばれている。小谷村北部はこの分布境界線上に位置しており、ギフチョウ・ヒメギフチョウの両種が同時に生息している日本でも稀少な地域らしい。看板の日付を見ると、平成27年11月2日となっており、我々が来る数日前の日付で、まさに建てられたばかりであったようだ。


集落を抜けると、いよいよ大網峠への登山道だ。


東の方向には、うっすらと白い雪を被った雨飾山が見える。昨日の雨が、山の上では雪だったのだろう。


石仏群。


大網の六地蔵。




その後、前日の雨で沢のようになった登山道を進む。石がごろごろしていて足を出す位置を間違えれば靴が濡れてしまう。いつの間にか、靴はびしょ濡れになっていた。




大きな沢の流れも、いつもに増して水量が多いようだ。


横川の吊り橋が見えてきた。


吊り橋をソロリソロリと渡る。


吊り橋を過ぎると、本格的な急坂となっていく。途中には、何度か激流の沢を渡る。




さらに急坂が続く。こんなところを牛や歩荷が通ったなんて信じられない。


大きな滝の前で記念写真。


滝の少し上がった平らな場所が、牛の水飲み場だったらしい。ということは、牛が確かにこの道を歩いていたという事だ。


滝の手前で、同行したかわいさんが歩きとおせる自信がないという事で引き返すことになった。


残りのメンバーで更に森の奥深く入って行く。


相変わらず、登山道の脇には、沢のように水が流れ落ちている。


菊の花地蔵という可愛らしい小さなお地蔵様が大木の根元に座っている。


ブナ・ナラ・トチの原生林の中に入ってくる。まさに、絶景である。




1年のうちでもこれほどの紅葉の時を見られるのは、僅かだろう。みんな、素晴らしい場所に来られて良かったと大いに感激していた。




最後の渡渉だ。


11:10。屋敷跡に到着する。広くて平らな場所なので、休憩するにはちょうどいい。ここで、休憩をすることにした。それにしても、かつてはこんな場所にも屋敷があったというのは驚きだ。


「2017千国街道塩の道トレイル:大網峠越えコース後半」に続く

2017千国街道塩の道トレイル:天神道越えコース

2017-11-08 07:15:42 | マラソン
小谷村では、日本最古とされる小型肉食恐竜の足跡化石が発見されている。道の駅小谷には、翼竜とたたかう恐竜親子のステンレス製モニュメントが飾られた恐竜公園がある。


恐竜の足跡を模したモニュメント。


11:40。道の駅内で、持ち寄った食料で簡単な昼食としたあと、天神道越えコースに向けて出発する。天神道越えコースは、難易度中級で道の駅小谷から平岩駅までの約9キロのコースだ。


唐沢の石仏。


塩の道から少し上がったところにある三峰様。カヤで作った三体の素朴なお社には、火除けの神様が祀られている。


この辺りもいい具合に色付いている。


砂山の石仏。この辺りから、雨の降り方が酷くなってきていた。


湯原温泉「猫鼻の湯」。かつて小谷村の猫鼻地区に猫鼻温泉という大きな露天風呂が名物の温泉があったが、1995年7月の水害で甚大な被害を受け、再建されることなく消滅した。
2011年5月湯原地区に場所を移し、湯原温泉として営業が再開されたという。雨が酷く、温泉に入って行きたいくらいだったが、着替えも何もないので、そのまま通り過ぎる。


猫鼻石仏群前を通過。


この山道を登り切れば、国道に出られる。


国道148号に出ると、ちょうど新潟県と長野県の境界だ。看板を越えると、新潟県の糸魚川市になる。


葛葉峠から平岩駅に向かう道は、舗装道路となりぐんぐん下って行く。途中には、巨大な白い物体が見えていた。近くまで回ってきてみると、巨大な大仏であった。調べてみると、白馬大仏と呼ばれている仏像であった。長野県ではなく、新潟県にあるのに白馬と名が付くのは可笑しい。かつて、この辺りは温泉街であったらしいが、1995年の水害により主要道路が迂回してしまった為、今では廃墟となってしまっている。もちろん大仏内に入ることもできない。


当初の計画では、平岩駅15:50発の大糸線に乗る予定であったが、思ったより早いペースで来ていた。頑張って走れば13:46発の大糸線に乗れそうだったので、必死に走る。冷たい雨で体も冷えてきていたので、とにかく早く帰りたかった。

13:40。無事、平岩駅に到着する。ガイドマップでは、所要時間が3時間と書いてあったが、トレランでは2時間で着いてしまった。


数分後、電車が到着する。1輌だけの可愛い電車だが、やっと人心地がついた。全員、無事完走できたことも良かった。


ただし電車は、南小谷で乗り換えとなり、白馬大池行きの電車は、そこで1時間以上も待ち時間があり、体がぐんぐん冷えていた。低体温症になりかかっていた人もいて、とても1時間も駅で待っておられないので、タクシー2台に分乗して白馬大池駅まで向かった。その後、駐車してあった車に乗り換え、白馬の温泉に寄っていくとやっと体が温まった。

早いペースで走れたものの、冬の到来を思わせる後半の冷たい雨に冷や汗ものだったが、計画通り千国街道塩の道の3コースをすべて1日で完走できてよかった。翌日は、残りの最も難所だと言われる大網峠越えコースを走る予定だ。この日は、ペンションに戻って早めに就寝する。

「2017千国街道塩の道トレイル:大網峠越えコース前半」に続く

2017千国街道塩の道トレイル:石坂越えコース

2017-11-07 18:51:10 | マラソン
石坂越えコースは、難易度が中級となっており、小谷村郷土館から道の駅小谷までの12キロのコースだ。姫川の西岸を通り、対岸の向こうには日本百名山の雨飾山を眺めながら進むことができる。だが、あいにくの天気なので雨飾山の姿は、良く見えない。

8:30。小谷村郷土館から、少しだけ国道148号を走る。歩道にある僧侶の石像は、弘法大師なのだろうか。


すぐに、塩の道に入る。


広場の片隅にあるのが虫尾阿弥陀堂である。ここは、母乳の出ない婦人たちの信仰を集めたお堂だという。お堂の前で、おやつ休憩をする。


休憩をしてすぐに雨が酷くなってきた。お堂の軒先で、しばらく雨宿りをしているうちに雨が上がり、東の空が明るくなってきた。


ほんの僅かだが、陽が射してきた。まさに太陽の恵みとはこの事だろう。一瞬にして辺りの風景が変わったような気がした。


虫尾の庚申塔前を通過する。


国道沿いにローソンがあるようだったので、途中からコースを外れ、トイレ休憩の為ローソンに立ち寄る。

かつては、塩の道を歩く歩荷たちの宿があったという通りを進む。


車坂からフスベと呼ばれる急坂の難所に向かう。


紅葉がきれいな場所が続く。


中部電力の送水管。


城壁を思わせるような砂防ダム。


黄色から赤に色付いたモミジをバックに記念写真。


池原の集落で、地元の人と出会う。この辺りは、冬になると3m近くも雪が積もり、生活できなくなるため、冬場は里の方に下りて生活しているという。厳しい環境で生活しているのが良く分かった。


道標に従って進むと石坂越えだ。


幾つもの沢を渡る。


街道の脇には、懐かしい表情の石仏や重い荷を背負って倒れた馬や牛の供養のための馬頭観音や大日如来の碑が見られる。


このコースの最高点には、幸田文の文学碑が立っている。幸田文は、作家の幸田露伴の娘で、日本各地の未曾有の崩壊に深く関心を抱き、昭和52年に稗田山を訪ね、後に雑誌婦人の友に「崩れ」という作品を連載したという。当地では、その功績を記念して文学碑を建立したという事だ。




稗田山崩れの慰霊碑。幸田文の作品の原点となった稗田山が崩壊した災害で亡くなった人を慰霊するために建立されたものだ。静岡県で起きた大谷崩れ、富山県で起きた鳶山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされている。


しばらくは舗装道路を下って行く。


浦川橋を渡る。


浦川の河川敷では、何年も災害復旧工事が続いているようだ。稗田山崩れが原因で何度も大きな土石流災害が起こっているらしい。この辺りの塩の道は、土石流で分断されているため、舗装道路を迂回しているのだ。


標高530mの松ヶ嶺に到着する。


明治44年8月8日に発生した稗田山崩れは、1億5000万㎥に及ぶ崩壊土砂岩塊が大土石流となって浦川の谷を一気に流下し、浦川右岸の石坂集落の4戸17人を消し飛ばし、姫川との合流点を塞ぐ様にそびえるこの松ヶ峰に激突したという。土石流はそこで、一部が勢いのままに比高100mを超える尾根を乗り越え県道を埋め立て、残余は谷沿いに姫川になだれ込み、長瀬集落の1戸5人と富山の材木運搬人1人を飲み込んだ大災害だった。


沢に沿ってワサビが栽培されている場所もある。


浦川に沿う河原の途中には、“中浦の大岩”がある。


11:20。石坂越えコースの終点である道の駅小谷に到着する。ガイドマップでは、所要時間が4時間30分と書いてあったが、トレランでは2時間50分で着いてしまった。

「2017千国街道塩の道トレイル:天神道越えコース」に続く

2017千国街道塩の道トレイル:千国越えコース

2017-11-06 21:11:20 | マラソン
4~5日にかけて長野県小谷村の千国街道塩の道をトレランで全コース走破してきた。まずは、前日泊まった白馬村のペンションから栂池高原の駐車場まで3台の車で移動する。メンバーは全部で8名だが、ワンウェイである事と公共交通機関の利用が不便なので、どうしても車は複数台必要だ。

ここで、「塩の道」について説明しておこう。「塩の道」とは、塩や海産物を内陸に運び、逆に内陸からは山の幸や、木材・鉱物などを運んだ道で、日本各地に存在している。この千国街道もその一つで、江戸時代、松本藩では、塩の流入を糸魚川からの塩のみ許可したため、日本海から松本までを結ぶ「千国街道」は重要な流通路として利用された。当時は、日本海からは塩をはじめ海産物、信州からは麻やタバコなどが運ばれ、牛馬を連れた牛方や、ボッカと呼ばれる荷運び人たちが盛んに行き交ったという。越後の糸魚川から信州の松本城下まで約120kmあるが、今回は当時の名残がより多く残っている小谷村の約38キロを走破する計画だ。

運転手以外の5人を栂池高原のバス停前で降ろし、3人の運転手は、それぞれの車を運転して白馬大池駅まで向かう。2台の車を白馬大池駅に駐車してから、1台の車に3人乗って栂池高原まで戻る。7:00。全員揃ったところで、栂池高原をスタートする。


栂池高原スキー場のメインストリートを走る。


5分ほどで、塩の道“千国越えコース”の入り口につく。“千国越えコース”は、松沢口から小谷村郷土館までの約7キロのコースで、難易度はファミリー向けとなっている。ずっと下り坂なので、気持ちよく走れるコースだ。


松沢口から走り出す。前方には、スキージャンプの練習場らしき建物が見える。


前山百体観音前に到着する。江戸時代、伊那高遠の石工の作といわれ、西国三十三カ所、坂東三十三カ所、秩父三十四カ所の礼所を合わせ百として観音礼所巡りができるように彫られたものという。ただ、現在百体はなく88体しか残っていないようだ。


観音様を見て行く。


街道沿いの木々は、既に黄色く色付いている。


千国街道に唯一残る塩蔵。塩を保管するため、金属が腐食しないよう釘を使っていない。半地下式の建物で、幕末頃建立されたと推定される。


牛方宿。かつて物資を運んだ牛方と牛が一緒に寝泊まりした宿。現在は、小谷村栂池高原の沓掛に位置するこの牛方宿のみが現存し、昔の塩の道を物語る証となっている。


弘法清水水飲み場。水飲み場には1個の石舟があり、1個は人用で高く、他の1個は低く据えられ、牛馬用だったと伝えられる。


雨に濡れると石の色が赤く変わるという錦岩。


錦岩を過ぎてさらに先に進む。


ところどころに庚申信仰の象徴である庚申塔が立っている。庚申塔は、60年に一度の庚申の年に建立される石仏である。庚申信仰とは、十干十二支(じっかんとじゅうにし)による60日に一度巡ってくる庚申の日に、夜を寝ずに身を慎んで過ごす庶民の信仰のこと。道教によると、人の体の中には、「三巳(さんし)」という虫がいて、庚申の日になると、天に昇り、天帝 にその人の罪過を告げ、それにより寿命が縮まってしまう。これを防ぐために一晩中起きていれば三巳が体から出られず、命も縮まらないと説いている。


千国番所跡に到着する。


現在は、千国街道の要所に建てられた番所跡を復元した史料館だ。


小谷小学校前を通り抜ける。


源長寺の下を通る。


落ち葉でフカフカになった道は歩きやすい。


黒川沢を渡る。


天上の苗場みたいな雰囲気だ。


段々畑の間を走る。


小高い場所からは、紅葉に染まった山の斜面が見渡せる。雲が垂れ込め、小雨模様の天気が残念だ。


水場で一休み。ところどころに冷たい水が湧きだしているのがありがたい。


鐘馗様。良く見ると、鐘馗様(しょうき=中国の民間伝承に伝わる道教系の神で魔除けの霊験があるとされる)の像が浮かんでくる。


小土山石仏群。庚申塔のほか線彫りの鍾馗も配されている。


千国越えコースもあと僅かだ。


水車の横を通り抜ける。


二十三夜塔。二十三夜とは、旧暦23日の夜、すなわち二十三夜に講員が宿に集まって飲食をともにしながら月の出を待つことをいう。庚申信仰が男性の集まりに対して、月待ち供養は女性の集まりとされている。


幅が広く、石畳になっている三夜坂を通り抜けると千国越えコースの終点が近い。


塩の道の案内標識は至る所にあって分かりやすく、アスファルトにも、白ペンキで文字と矢印が書かれているのがありがたい。


8:30。千国越えコースの終点である小谷村郷土館に到着する。ガイドマップでは、所要時間が3時間10分と書いてあったが、トレランでは1時間半で着いてしまった。

「2017千国街道塩の道トレイル:石坂越えコース」に続く。

2017金沢マラソンツアー:3日目金沢市内観光

2017-11-02 07:12:41 | 観光
マラソン完走後の翌日、せっかく金沢まで来たので半日くらいは観光していく事にした。有名な兼六園は行ったことがあるので、それ以外の場所でいいところがないかと調べたところ、妙立寺というお寺が特にお勧めだということだったので、まずそこに行ってみる事にした。妙立寺は別名:忍者寺といわれているそうで、何だか面白そうな寺なので興味が沸いた。寺のHPを見ると、拝観するには事前に予約をしなければならないという事だった。朝8時過ぎに電話をしてみると、朝一からの拝観は、既に予約が一杯だという事で、10時半からの予約が取れた。

8時半過ぎにホテルを出て、妙立寺近くのにし茶屋街の駐車場に車を止める。にし茶屋街は、金沢三大茶屋街のひとつに数えられており、伝統的な出格子の茶屋様式の家並みが続いている。まだ、9時になったばかりで店も開店してないので、妙立寺周辺の寺町寺院群と呼ばれる地域を回って行くことにした。


寺町は町の名前が表すようにお寺が多く集まった町で、残したい日本の音風景100選にも選ばれている。寺町寺院群は江戸時代に一向一揆の対策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められたそうだ。寺町を散策すると、本当に寺院が多い。70近くもあるというが、とてもすべてを見て回ることはできないので、妙立寺周辺の寺院を幾つか見て回る。

願念寺。松尾芭蕉の弟子、小杉一笑の菩提寺として知られ、一笑塚が残る。




西方寺。前田利家の六女である菊姫の菩提寺として知られ、藩政時代より金沢城下町に伝わるすべての霊場に指定されている。


金剛寺。本堂には「観世音菩薩像」が安置されている。


三光寺。大久保利通を暗殺した藩士の活動拠点であったそうだ。


本長寺。中庭に、松尾芭蕉の「春もやや けしき調ふ 月と梅」の句碑がたっている。


寺の境内には、落ち葉の絨毯が敷き詰められている。


寺カフェ。寺院の喫茶点だが、あいにくこの日は閉店中だった。


妙立寺拝観の時間が近くなってきたので、境内に入っていく。既に境内には大勢の観光客が待っていた。30分ごとに50人くらいが説明を聞きながら拝観できるようだ。


グループごとに名前が呼ばれ、拝観料を払って本堂に入る。本堂で拝観に当たっての注意事項や寺の歴史などの説明などを聞く。注意事項として寺院内の撮影は禁止なので、驚きの仕掛けなどを掲載できないのは残念だ。いろんな仕掛けを見せてくれるのだが、ガイドから離れて勝手に違うところに行ったり戸を開けたりしてはいけないという。勝手に戸を開けて中に入ってしまうと、元に戻れないかもしれないというのだ。一応、文章だけだが、その驚きの仕掛けの一部を紹介する。

【賽銭箱(落とし穴)】
本堂正面入り口に埋め込まれている。細工が仕掛けられ落とし穴として利用できた。

【隠し階段】
物置の戸を開いて、床板をまくると階段が現れる。巧妙に階下への通路が隠されている。

【落とし穴階段】
本堂階段郡に存在する廊下部分の床板をはずすと落とし穴となる。

【明かりとり階段】
蹴込みの所に障子を張り明かりを採り、また外敵の足影を見て槍などで攻撃することも可能

【謁見の間・主茶室】
最も格式の高い部屋で歴代藩主が専ら用いた。五畳半大名茶室が附属する。

【井戸】
深さ約25mで茶水に利用され、水面上には横穴があり金沢城へ続く抜け穴があると言われている。

その他にも、引き戸を閉める事で「自動ロック」が掛かり開かない仕組みになっている戸のある部屋、刀や槍が使えないように天井を低くしてある茶室、掛け軸の後ろに入り口がある部屋、どんでん返しになっている部屋、入ったら内側からは開かない部屋など、驚く事ばかりの仕掛けに感心する。まさに、忍者寺という別名があるのもうなずける。ただし、忍者が住んでいたわけではなく、建物の構造が忍者屋敷みたいというだけで忍者とは一切関係がない。あくまでも、歴代加賀藩主の祈願所として建立された寺院である。

拝観を終わって、外から妙立寺の望楼を見る。本堂屋根の突端部分に位置し、金沢城はもとより遠く加賀平野を遠望することが可能だという。


妙立寺の裏口。


にし茶屋街に戻り、しばらく散策する。にし茶屋街は観光客も多くなく静かで、ゆったり散策できる。こじんまりしているが、有名なお菓子屋(甘納豆、らくがん等)やカフェなどがあり、お土産を探すのもよさそうな場所だ。




お昼も回ったところで、そろそろ帰路につくことにした。太平洋岸に近づくにつれ、好天となり台風一過の秋晴れとなっていた。天気が今一つだったが、おもてなしが素晴らしい金沢マラソンに参加できたことと、驚きの忍者寺を見ることができたのが今回のツアーの一番の収穫だった。

2017金沢マラソンツアー:2日目マラソン当日後半

2017-11-01 06:47:15 | マラソン
18キロの“食べまっしステーション”のメニューは、百万石和菓子だ。


和菓子の種類も豊富で、10種類以上あっただろうか?餅や羊羹、カステラ等いろいろ取り揃えられている。ランナーが食べやすいよう小さめの大きさになっているのがありがたい。その後には、爽健美茶があるのでスッキリ喉に流し込める。






リアルな案山子の応援は笑える。本物の人間の顔写真が案山子の顔になっている。




26キロの“食べまっしステーション”のメニューは、石川県産米・野菜だ。


最初に口にしたのは、五郎島金時だが、一気に口の中に押し込んだら咽てしまった。飲み物と一緒に食べればよかった。


いなり寿司は特に美味しかった。


塩分補給には、沢庵がいい。


橋を渡って、しばらく川沿いを走る。


この大会では、折り返し点が3か所あり、最初の折り返しだ。


折り返し点の先には、驚いたことに、フラダンスの応援団が待ち構えていた。雨で濡れた地面の上で、裸足で踊っている女性たちには大感激だ。


折り返し点を過ぎると、すぐに30キロ地点となる。


そして、30キロの“食べまっしステーション”のメニューは金沢カレーだ。


コップの中に一口サイズのカレーライスとカツがのっかっている。




金沢駅西の50m道路に入っていく。片側3車線もあり、中央分離帯はかなり大きく広葉樹の並木が続いている。この辺りは、金沢の副都心とも言われる地域だ。


最後の35キロの“食べまっしステーション”は、待ちかねたスイーツスポットだ。


クッキーやドーナツ、パウンドケーキなど食欲をそそるスイーツがズラリと勢ぞろいしている。あまりにも種類が多すぎて、食べきれないくらいだ。






スイーツのあとには、コーヒーが出てくるのが心憎い。また、フルマラソンの大会では、あまり出てこないコーラが置いてあるエイドがあったのも良かった。


2番目の折り返し点を通過する。


3番目の折り返し点を通過すると、残り5キロくらいだ。


橋を渡りきると、ゴールとなる石川県西部緑地公園の陸上競技場だ。


陸上競技場のゲートを通過する。


ゴールの手前では、宗猛監督と野口みづきさんがハイタッチで待ち構えていた。


5時間17分ほどで、無事ゴールする。美味しいエイドがいろいろありすぎて思ったより時間がかかってしまったが、もう5時間を切るのは無理かもしれない。


ゴール後は、マッサージを受けに行く。その後、一緒に走った妻のゴールを待ち、合流したところでシャトルバスに乗って金沢駅まで戻り、ホテルに帰った。

金沢マラソンに初めて参加しての印象は、おもてなし向上を一番の取り組みにしている石川県らしく、まさに最高のおもてなしのマラソン大会だったと言えるのではないだろうか。エイドメニューの豊富さとランナーの口に合う手頃な大きさ、飲み物はスポーツドリンクや水だけでなく、コーラやお茶、コーヒー等、欲しいと思える地点で的確に出されていたこと、途切れる事のない応援、スタートからゴール、そして、完走証受取、手荷物受取、シャトルバスへの誘導とスムーズに運営がなされていることの手際など感心する点が多かった。今まで参加した大会の中でも、特におすすめの大会だと言えるだろう。

「2017金沢マラソンツアー:3日目金沢市内観光」に続く。