とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2010年の山を振り返る

2010-12-31 00:10:21 | 山登り
今日は大晦日だ。最後に1年間の山登りの状況をまとめて見た。今年もいい山に行けたと思う。来年も、どこにいけるか楽しみである。

1.1月 浜石岳 707m(静岡県静岡市)
 駿河湾と富士山の展望が抜群の山。正月に家族で登った。この日は絶好の天気だった。
2.1月 金時山 1212m(神奈川県)
 金太郎伝説発祥の山である。山頂からの富士山の眺めは絶景だ。
3.3月 三方分山 1422m(山梨県精進湖畔)
 気持ちよい雪山歩きとなった。パノラマ台からの富士樹海と富士山は一見の価値。
4.3月 寧比曽岳:ねびそだけ1120m・筈ケ岳:はずがたけ985m(愛知県豊田市)
 かよちゃんの山友達の誘いに便乗。愛知県内の東海自然歩道を歩く。
5.3月 毛無山 1946m(静岡県富士宮市)
 登山口では晴れていたが、上るに従い気温が下がり山頂付近は霧氷で氷点下の気温だった。幻想的な景色ではあったが、寒くて早々に下山する。
6.4月 尉ヶ峰 433m(静岡県浜松市)
 細江の姫様道中見学の前に時間があったので、足慣らしに上った。
7.4月 十枚山 1719m(静岡県静岡市) 
 前日マラニックを走った後、4人の女性と共に上る。山頂からは富士山が見えた。
8.5月 神石山 324mほか湖西連峰(静岡県湖西市)
 妻の姉妹夫婦たちを連れて湖西連峰を縦走する。
9.5月 飛騨位山 1529m(岐阜県)
 知られざるパワーススポットの山。巨石群を探訪しながらの登山は面白かった。
10.6月 武尊山 2158m(群馬県)
 日本百名山の一つで「ほたかさん」と読む。朝から雨で、引き返したくもなったが山開きの日なので、意を決してカッパを着て登山。雨の中の登山も面白かった。
11.7月 燕岳 2763m・大天井岳 2922m(長野県)
 南アルプス光岳に登る予定だったが、通行止めで予定変更。北アルプスの山は賑やかだ。二日間とも快晴で夏山の良さを満喫した。
12.7月 大山 1729m(鳥取県)
 山陰の百名山。人気の山で大勢の登山者と共に登山。見る角度によっては富士山の形に似ており伯耆富士とも呼ばれる。翌日は境港によって水木しげるロードを歩く。
13.8月 千枚岳2880m・丸山3032m・東岳(悪沢岳)3141m・荒川前岳3068m・荒川中岳3083m・小赤石岳3081m(南アルプス)
  かっちゃんの誘いで南アルプスのメインルートを歩く。念願の悪沢岳に登り百名山を一つ増やす。赤石岳は去年登ったので、小赤石岳からそのまま下山。
14.8月 大日岳2501m・奥大日岳2611m・中大日岳2500m(富山県)
 立山室堂から大日三山を縦走する。大日小屋のランプの下でのギター演奏はロマンチックだった。下山後は称名の滝を見る。
15.9月 浅間隠山 1757m(群馬県)
 群馬県側から見ると、浅間山を隠してしまうのでこの名前がついた。山頂からは浅間山がどっしり見える。下山後の浅間大滝など見ごたえのある滝も見た。
16.9月 御池山 1905m(長野県)
 遠山郷マラニックの翌日に登山。御池クレーターの縁沿いにある山だ。ハイキング気分で軽装で登山する。
17.10月 蝶ヶ岳 2677m・常念岳 2857m(長野県)
 山友達のリクエストで計画。以前上った三つ股からの逆コースで上る。蝶ヶ岳山頂からの槍ヶ岳、穂高連峰の景色は筆舌に尽くしがたい。
18.10月 日光白根山 2578m(群馬県・栃木県)
 皇海山の予定で行ったのだが、道路工事で通行止めとなり急遽予定変更して上る。こちらも日本百名山の一つで、山頂からは中禅寺湖と男体山がよく見えた。
19.11月 麻布山 1685m・前黒法師山 1782m(静岡県浜松市)
 天竜スーパー林道の山住神社の奥にある野鳥の森から上る。思ったより暖かい日で秋山を堪能した。水窪までの道の紅葉が見事だった。
20.11月 大文字山 466m(京都府)
 大文字送り火で有名な山である。大の文字の火床で休憩する。京都市内の展望は抜群。下山後は哲学の道を歩き、京都の素晴らしい紅葉を堪能した。

2010年のランについて振り返る

2010-12-30 08:58:51 | マラソン
2009年のランと比べると倍近い数となった。今年は膝の調子も悪くなく順調に走れた気がする。ただ、4月末の念願だった「さくら道」をやめざるを得ないことになって心残りが残った。昨年、今年と250キロ超の大会に出ていないので、今後は100キロマラソンを目標にしていくつもりだ。今は膝痛の心配はないが、無理すると再発が怖いので加減しながらの走りが今後も続くことだろう。

1.1月 湖西連峰トレイルラン 22.4キロ
   第2回の大会。去年は道を間違えたが、今回はしっかり走れた。
2.1月 清水いいとこマラニック(リハーサル) 35キロ
   2月の本番前に、リハーサルランを実施。富士山がずっと見守っていてくれた。
3.2月 森町ハーフマラソン ハーフ
   一番参加回数が多く好きな大会。走りやすいフラットなコースが続く。
4.2月 清水いいとこマラニック 35キロ
   これが本番。駿府夢広場の温泉が閉鎖となってしまい、急遽草薙の湯をゴールとするコースに変更となった。
5.2月 多国籍軍マラニック 22キロ
   しんしんさんのお誘いで、外人さんを交えて浜松駅→中田島→八扇の湯まで走る。その後浜松市内でカラオケパーティとなる。
6.2月 浜松シティマラソン 10マイル
   地元大会。今年も知り合いが一杯集まった。
7.3月 藤枝マラソン ハーフ
   スタートから藤枝の山を駆け上がり、折り返して元に戻るコース。山登りの練習になる。
8.3月 平日限定尉ヶ峰林道お花見マラニック 35キロ
   Dさんの誘いで平日休暇を取って参加する。雨の天気をものともせず奥山高原までの往復コースを走った。
9.3月 穂の国豊橋ハーフマラソン ハーフ
   豊橋の大会に始めて参加。市電と併走できるコースなど、珍しかった。
10.4月 走らまいか「さくら道マラニック」 55キロ
   静岡県の荘川桜をめぐるマラニック。釣耕苑の荘川桜は今年もまだだった。
11.4月 お花見天竜マラニック 47キロ
   熊平の桜の巨木は今年もすばらしかった。途中で東海自然歩道に入り白倉峡経由で戻ったので距離が延びてしまった。
12.4月 長野マラソン フル
   家族で参加。妻と娘は茶娘、私は間寛平もどきで走る。
13.4月 チャレンジ富士五湖 72キロ
   最後の坂もtomoさんの併走で調子よく走ることが出来た。
14.6月 千葉山トレイルマラニック 18キロ
   山の中を走るので、30キロくらいは走った感じがする。10本杉を巡るコースが面白い。
15.6月 隠岐の島ウルトラマラソン 100キロ
   応援が最高にいいという評判を聞きつけ初参加。素晴らしい応援に感激したが、コースもめちゃめちゃ厳しいアップダウンの連続であった。
16.7月 新浜松市誕生5周年記念ウルトラマラニック 31キロ
   全コース走ると160キロだが、後半の舘山寺から参加。厳しい暑さにグロッキー気味だった。
17.9月 ガンダムマラニック 23キロ
   静岡ホビーフェアのガンダム像を見るために、静岡市内を巡るコースに参加。この日も暑かった。
18.9月 遠山郷マラニック 55キロ
   エイドの豪華さでは、もっとも凄いという評判の大会に参加。エイドは確かに凄いし、標高差のあるコースはハードだった。
19.9月 天竜ウルトラマラニック 50キロ
   妻と娘が途中まで参加。この日もまだまだ暑かった。
20.10月 えちごくびき野マラソン 100キロ
   2年ごとにある大好きな大会。今回で5回目の完走となった。
21.10月 島田大井川マラソン フル
   昨年走れなかったので、今年初参加。エイドが後半にあるのみで前半はガス欠気味で走るのがきつかった。
22.10月 掛川市縦断マラニック 53キロ
    掛川市の北のはずれから南の太平洋岸までを縦断する。走った距離×10円を掛川駅舎保存の募金に寄付する。 
23.11月 小笠山トレイルラン 26.4キロ
   このコースもきついトレイルだが、後半調子よく走ることができた。
24.12月 奈良マラソン フル
   第1回の大会。歴史の街奈良を堪能して走る。応援が暖かくいい大会だった。
25.12月 浜名湖半周忘年ラン 34キロ
   ランの仲間たちとの走り納め。今年は人数もふえて盛り上がった。
26.12月 姫街道マラニック 41キロ
   Dさんの誘いで、姫街道60キロのうちの2/3ほどを走る。これがほんとの最後の忘年ランだった。



胃カメラの検査を受ける

2010-12-29 21:26:10 | 呟き
年末の押し迫った今日、胃カメラの検査を受けた。去年も受けたが、年1回は受診したほうがいいとのことでこの日になってしまった。

8時半から、クリニックに出向き受付を済ませると、すぐに診察服に着替えベッドに横たわった。血圧測定やら、点滴を受けながら検査の時間を待った。やはり緊張していたせいか、最初の血圧測定の値がやけに高かった。看護師にも血圧が高いですねと言われ、深呼吸を何回かして数分後に再度血圧を測ってもらう。2回目で、いつもの血圧に戻っていた。そのせいか、順番が後回しになり先に検査している人の様子が耳に入ってきた。

最初の人は、検査がうまく行かないのか、呻くような声が何度か聞こえた。麻酔をかけてカメラを挿入していくので、声を上げることなんてないはずなのだが、苦しそうな声を聞いて不安になった。自分もあんな声がでるようだと、かなり苦しい事だろうからいやだなーと思っていた。

そして、喉への麻酔薬を噴霧された後、しばらくして自分の番になった。検査室にベッドが運ばれ、先生が入ってきた。先生の眠くなる薬を注射しますという声を聞いた後、どうなったかは記憶にない。看護師さんに起こされて目を開けると、既に検査は終わっていた。小一時間くらい眠っていたのだろう。ここの検査は、いつも眠っている間に終わっているので苦しい記憶もまったくない。麻酔もうまく効いていたようだ。

ベッドから起きるときは、すこしフラツキ気味であったが、何とか自分で歩き休憩室に入った。休憩室でお茶とお菓子をつまみながらしばらく休み検査結果が出るまで待った。名前を呼ばれ診察室に入り、先生から検査結果を聞く。多少、炎症が見られるとの事と、粘膜の一部を念のため検査にまわしたとの事だった。先ず問題はないでしょうと言われたが、炎症を抑える薬はしばらく飲むようにいわれてしまった。

そして、来月は大腸の検査がある。その時、胃粘膜の検査結果も出るとの事で、また診察に行くことになっている。どうなるか判らないが、胃腸は大事にしなければならないものだ。

2010姫街道マラニック 後半

2010-12-28 19:39:30 | マラソン
前半からの続きである。引佐峠からのきつい下りは終わり、緩やかに石畳を下っていく。


ミカン園が広がる開けた場所に入ってきた。ミカン園越に眺めるランナーの姿が絵になる。


街道沿いには枝からもがれたミカンがいたるところに転がっているのを見かけるようになっていた。三ケ日と言えば全国でも有数のミカン産地である。枝についてるのをもぎ取るのはまずいが、地面に落ちてるのはいいだろうとみんなミカンを拾いだした。出荷できないようなクズミカンだろうが、皮をむいてみれば柔らかく甘いミカンばかりだ。いつしか、リュックの中がミカンだらけの人もちらほら。中には両手で握り締めながら走ってる人も。しばらく進むとミカン農家の人が立ってるのが見えた。落ちてたミカンだが、へんな誤解されると困るのでみんな慌ててポケットにしまう。幸い、先頭グループが我々のことを話してくれていたらしく、農家のご夫婦の方が、もぎたてのミカンを快く「姫街道走ってきて、喉が乾いたでしょう」と分けてくださった。


ありがたい施しに励まされ、丁重にお礼をして農家のご夫婦と別れ、先に進んだ。


三ケ日インター付近で昼食をと思っていたが、先頭グループがどんどん先に行ってしまい、落ち着いて食事をとる場所がなくなってしまった。このまま本坂峠に行ってしまうと食べる所がなくなってしまうので、コンビニを探し脇道に逸れた。休むと体が急激に冷えるので、カップラーメンなどの暖かいもので昼食代わりにした。コンビニ前でよく高校生が体育座りをしていたりすると眉をひそめるような大人たちが、こんな時は堂々と体育座りしているのは笑える。


コンビニを出たのは13時過ぎだった。再び姫街道に戻りこのコースでは最大の難所?といってもいい本坂峠を目指す。本坂峠までは300m以上の標高差がある。しばらくは緩い坂道であり、まだまだ元気に進める。40分ほどで、本坂一里塚碑に着く。江戸からは72里目となる。そしてその隣には、7体の馬頭観音像が安置されている。


362号線沿いを進むと斜めに右に曲がる道があり、弘法大師像が祀られている場所に出る。本坂峠を無事通過できるようにと明治時代に作られたものらしい。



しばらく進むと、右手に細い上り道が現れ、いよいよ本坂峠への道となる。林の中の道を上り続けていくと左側に巨大な岩が現れた。高さ4m、幅10mの鏡岩である。昔はこの岩が光っていて、女性たちはこれを鏡として身づくろいしたという。それが今は苔むして、まったく光っていた様子もない。


その後も、原生林の森の中をどんどん上っていく。20分ほど進んだ頃、前方に一人用のテントが見えた。道のど真ん中でテントなんて何だろうとワイワイ話しながら通り過ぎようとすると、テントの中から声がした。どうやら登山者らしく、翌日も遠くまで歩くようで峠のちょっと下なら誰もこないと思ってテントを張っていたらしい。それが、12人もワイワイと上がってきたのできっと相手もビックリしただろう。テントからすぐ上が、本坂峠である。時間は14時37分。スタートして30キロ程であった。本坂峠は県境でもあり、この先から愛知県に入っていくことになる。12人揃っていたのはここまでで、豊橋から来たAさんとIさんが早めに帰るという事で先に下山し別ルートで帰っていった。


これから先は、下るのみだ。先頭グループは跳ぶように駈けていく。


途中には、手書きの看板がいくつもあり目印になる。「弘法水」「嵩山七曲り」「腰掛岩」「座禅岩」などがあった。


また、「姫街道」の石碑は味わいのある字体だ。


石畳がコンクリートで固められており非常に走りづらい。


「姫街道 西嵩山宿 東本坂峠」の石碑を過ぎれば本坂峠の下りが終わる。あとは、嵩山の宿場通りを抜け、面白みのない一般道を豊川稲荷まで進むだけだ。


15:26和田辻の交差点に着く。距離にして35キロ地点である。ここで、思案のしどころとなった。豊川稲荷経由で「コロナの湯」まで行くとなると残り10キロもある。寒くもなってきたし、このまま進めば日が暮れてしまいそうという事もあって、みんな暖かいお風呂が恋しくなってしまったようだ。全員、豊川稲荷はやめて「コロナの湯」へ直行しようという案に賛成する。その場の状況で、コース変更もありがマラニックのいいところだ。


豊川が見えてきた。橋を渡って左折すればお風呂が近いと聞いて俄然元気が出る。


豊川の水面に夕日が当ってキラキラと光っている。


風当たりのいい堤防沿いを頑張って走り、「コロナの湯」手前の交差点に着いた。もうお風呂は目と鼻の先だ。ここで、最年長で最も元気があるN田さん、I川と別れる。二人は地元なので更に走っていけば自宅に着いてしまう。


夕日に向かって走るI川さん。なかなか絵になるシーンだ。


さて、残った8人で「湯」の文字に惹かれて、やっと着いたお風呂の入口前でゴール写真だ。だが、この時点ではこの場所が「コロナの湯」でないことを誰も気付いていなかった。靴を脱いで、受付で送迎バスの事を聞いた時点で雲行きが妖しくなっていた。豊橋駅に行く送迎バスはやっていないというのだ。送迎バスがあるからこの風呂にしたのに帰る手段がなくなってしまう。よくよく話を聞いてみたらここは、「豊川の湯」で「コロナの湯」はすぐ隣だったのだ。こんな大きな入浴施設が二つも隣り合わせにあるなんて、なんて紛らわしい。いそいで、入浴をキャンセルして隣へ向かった。


10分後、「コロナの湯」のあるビル前で再度ゴール写真だ。


巨大な複合レジャー施設の2階にある「コロナの湯」入口。


やっと、暖かい風呂に入り体が暖まる。入浴後のビールは最高に美味しい。みんないい顔をしており、気持ちよい汗を流したことだろう。


最後は8人だけになってしまったが、楽しいマラニックであった。歴史のある道を走るというのは、なかなか面白いものだ。道中いろんな所で見かけた案内板を読んでいくとその時代背景を偲ぶことが出来るし興味も湧く。このブログを書く上でもいろいろ調べて勉強になった。企画したDさん、ありがとう。そして同行した皆さんも一緒に走っていただきありがとう。お疲れさまでした。



2010姫街道マラニック 前半

2010-12-27 22:11:38 | マラソン
26日に走ってきた「姫街道マラニック」の様子である。走友であるDさんの呼びかけで、集まったのは8人の女性と4人の男性の12人だった。最初は女性だけに呼びかけていたようだが、回り回って私のほうにも耳に入り急遽参加させてもらうことになった。当日にならないと、誰が来るかわからないという話であったが、集まったのは顔見知りの人たちばかりであった。

さて「姫街道」とは、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇街道である。東海道新居関所の厳しい取締まりを嫌った女性が多く利用したためこの名があり約60キロほどある。今回は、その全てではなく、浜松市有玉の自動車学校前駅から豊川稲荷を経て近くの温泉「コロナの湯」までの約45キロのコースを走ることになった。当初Dさんの話では、30~35キロくらいだと聞いていたが、自分でもコースを確認のため調べてみたら、45キロくらいになったので、取り急ぎDさんに連絡した。再度確認してもらったら「そのくらいあるかも」との返事だった。しかし、10キロくらい増えても動じることはなく「まあっ、いいか」ということで決行である。

遠州鉄道「自動車学校駅」に集合し、まずは全員で集合写真の撮影である。


予定の8時半より遅れ、8時45分に駅をスタートする。前日からの寒波で朝から底冷えする天気であった。まずは、遠州鉄道の踏切を渡り西へ進む。


152号線を横断して、馬込川に架かる五枚橋を渡り、住宅街の細い路地の坂道を上がる。


坂道を上りきった右手で、県道に合流する手前に「最古の道標」と書かれた石碑がある。「右 きが かなさし 左 庄内道」と刻まれいて姫街道では最古の道標である。


県道に再び合流してさらに西へと走る。257号バイパス(満州街道)の広い交差点を車に気をつけながら渡る。


257号の元追分の交差点に到着する。時間は9時15分。走り出してから30分ほどである。前方には、松並木が見える。


松並木の道が、姫街道である。松の手前には遠州姫街道の行灯が置かれている。横の建物の壁には、姫街道を通った姫たちの様子が描かれているが、あまりも美しすぎる姫様である。しばらくは、松並木沿いの道を進むことになる。


松並木の県道261号線をさらに進み、権七、大山、大谷橋を過ぎるとY字路となり左手のガードレールで遮断された細い道に入る。ここから261号線と分かれる。しばらく進むと六地蔵が祀られた場所にでる。この裏側に竹藪があり、昔、処刑場だったと言う。処刑された人の霊を慰めるために建てられたそうだ。


交差点から、700mのところで道が別れ右手へすすむ。しばらく行くと、大きなタンクが見えてくる。大きなタンクの側面には、姫様の絵が描かれている。このまま右に行ってしまいそうになるが、左側に入りタンクの近くまで行く。


タンクの脇に、本当にここでいいのかと迷うような細い道があった。これが、まさしく姫街道である。


落ち葉の道を下る。この辺りの下り坂を長坂というらしい。


車がほとんど通らないような細い道を抜け、県道261号に再び合流する。すぐ先は、都田川に架かる落合橋となる。当時の姫街道には、橋がなく渡し舟で都田川を渡ったらしい。今回は、止むを得ず落合橋をそのまま渡り、気賀の街中に入る。宿場通りを進み細江神社に向かった。


細江神社で、マラニックの安全を祈願する。


本来の姫街道は、細江神社から中村本陣跡、正明寺と進み気賀関所に寄るのだが、この日はDさんのやりのこした「犬くぐり道」を行くことにした。「犬くぐり道」とは、気賀関所の取り締まりのため、付近の住人の通行に不便をきたしたため、領主が作った裏道である。道の途中にむしろ1枚をたらし、立って歩く人間は通れないが犬がくぐるのはさしつかえないという、法の抜け道だったのである。細江神社の奥にある姫街道歴史民族資料館の先にある細い道を探し当て、そこを進むことにした。


ところどころに「犬くぐり道」の看板が出ている。


墓地の中も抜けていく。


「犬くぐり道」を抜けると、本来の姫街道に戻る。呉石田園公園でトイレ休憩をする。公園前には、「呉石學校の跡」碑と二ノ宮尊徳像がある。


その後も、舗装された広い道が続く。姫街道の案内標識がいたるところに立てられているので迷うことはない。一面のみかん畑を上り詰めた所の右手に尉ケ峰ハイキングコースの入口があり、「姫街道 清水みのる 尋ねようもない幾年月の中で姫街道は今も静かに息づいている。」と書かれた石碑があった。清水みのるは昭和初期~中期に活躍した浜松出身の作詞家である。


そして左手を見ると、浜名湖の素晴らしい景色が見えた。この街道でも随一の景観のよい場所で小引佐と呼ばれている。


小引佐から5分ほどで、薬師如来像が安置されている薬師堂に到着する。その隣には、秋葉山常夜灯が立っている。


農道を進み、姫街道の標識がある石畳の道を上る。


上から見るとこんな場所だ。


薄暗い林の中の石畳の道を進むと、屋根のある休憩所に出た。その隣には、八畳ほどの平らな岩があり「姫岩」と呼ばれている。昔、姫様の行列がここで休み「お姫様、お駕寵からお降りくだされ」と駕龍からお姫様がお降りになると「まあ、よい景色」と言って、しばらく景色を眺めながら石畳の道を歩いたといわれる場所である。この上に座ると良いことが起こるとも言われており、マラニックのお姫様たちもこの岩の上で良いことが起きることを願ったみたいだ。


階段を上りきったところが引佐峠である。


引佐峠で少し休憩したのち、石畳の道を下っていく。この下り坂は「象鳴き坂」と呼ばれ、1729年ベトナムより献上された象が、京から江戸に行く途中、あまりの急坂に悲鳴をあげたと言われる場所である。短い区間だが、象が悲鳴をあげたのも納得できるほどの急坂だった。


更に先へ進むと、「石投げ岩」を通る。昔の旅人が、この岩に石を投げて旅の無事を祈った場所だ。我々も石を投げてマラニックの無事を祈った。


時間は12時を少し回ったところである。距離にして20キロくらいだ。まだ全行程の半分も来ていない。続きは後半へ。



全日本フィギュアスケート結果

2010-12-26 23:08:25 | スポーツ
今日は、姫街道マラニックで約41キロ走ってきた。寒い一日、女性8人に対して男性4人と熱い女性陣の走りの中に混じり楽しく走ってきた。マラニックの様子は明日以降にアップすることにする。

さて家に帰ってきて、一番気になっていたのは、全日本フィギュアスケートの結果だった。ちょうど浅田真央の演技が終わり、現在首位にたったというテロップが出ていた。その後、数人の選手が終わり、安藤美姫の演技となった。昨年までは、ジャンプをすると転倒がよくあって、彼女の場合は心配でしょうがなかったが、今シーズンはかなり安定したすべりを見せていた。

そして今日のジャンプは、高さとスピードがあり着地も美しかった。しかも流れるように次々とジャンプをこなしていった。見ていて何の心配もない滑りで、明らかに去年とは違うというのがわかった。浅田真央も前日のSP同様素晴らしい滑りだったが、安藤のほうがそれを上回る最高の滑りだったといえる。演技が終了した直後のガッツポーズは、自分でも改心の演技ができたという自信に溢れた表情だった。まさにミキティの大逆襲といったところだ。浅田真央のファンとしては、悔しいところだが安藤のあまりの出来のよさに脱帽である。

試合終了後、世界選手権の代表選手が発表され、男子は小塚崇彦、織田信成、高橋大輔の3人、女子は安藤美姫、浅田真央、村上佳菜子の3人が選ばれた。男女とも、順当な人選である。世界選手権は、来年3月東京で開かれるそうだ。またしても世界の舞台で活躍する日本人選手の滑りが楽しめそうだ。日本の国旗がたくさん上がりそうな期待もふくらんできた。

今日も寒いけど、熱い日でもあった

2010-12-25 23:52:05 | 呟き
クリスマス当日の今日は、朝から寒かったが畑仕事をしてきた。今月の初め、耕運機を借りて半分くらいを耕してきれいになったものの、まだまだ草むしりをしなければならない場所が残っており、先週その半分が終わった。残りを年内に片付けたいと思い、今日も2時間ほど畑を耕し草むしりしてきた。普段やったことのない作業だけに、2時間もやると腰が痛くなり疲れてしまった。午後はランニングしようかと思っていたが、完全休養になってしまった。

そして、夕方からスキー友達のMさんから自分の彼女を紹介したいので忘年会をしようという誘いがあり、妻と共に居酒屋に出かけた。Mさんは私と妻の共通の友人であり、数年前×一となり寂しい人生になっていたかと思いや、いつの間にか次の彼女を見つけ、楽しい第二の人生を謳歌していたようだ。楽しそうなMさんの話を聞いていたので、どんな彼女かと楽しみに出かけた次第だ。居酒屋で仲のいい二人を見せ付けられ、大いにあてつけられて帰ってきた。いくつになっても、恋するっていいなと思った。

先ほど家に帰ってきたので、残念ながらフィギュアスケートの女子の試合を見ることができなかったが、浅田真央がSPで首位にたったようだった。これは、嬉しいニュースだ。明日のフリーが大いに楽しみになった。

さて明日は、急遽決まったマラニックに参加する予定だ。先日の浜名湖半周忘年ランで、長距離ランは最後のつもりでいたが、元気な女性ランナーたちで姫街道を走る計画があるとのことで参加させてもらうことにした。姫街道とは、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇街道である。東海道新居関所の厳しい取締まりを嫌った女性が多く利用したためこの名がある。そんな訳で、女性だけで計画していたようだが、男性も数人は参加するようだ。寒そうな一日になりそうだが姫様たちのお供で頑張って走るつもりだ。

何もないクリスマス

2010-12-24 23:50:08 | 呟き
今日は、クリスマスイブというのに何の予定もなかった。テレビやラジオではクリスマスソングが流れそれっぽい雰囲気はあったが、我が家には何もない。しかも、妻は会社の一泊忘年会に出かけ家に帰ってきても誰もいない。

仕事でも帰りが遅くなったので、寒い家に入り妻が用意しておいてくれた夕食を温め一人で食べた。テレビでは、フィギュアスケートの男子ショートプログラムを放送していた。結果は小塚崇彦が完璧の演技でトップにつけ、織田信成が3位、高橋大輔は4位と出遅れた結果だ。ベテラン勢がちょっと不振な結果だったのが意外だった。フリーで織田、高橋が挽回できるかどうかは難しそうだ。そして、明日は注目の女子が始まる。こっちは、浅田真央がどこまでいい結果を出せるかが気になるところである。

スケートを見終わって、夜のランニングに出かけた。今日はいつもに増して寒い日だ。30分走っても、手袋をした手がなかなか温まらない。北国のほうは、かなり寒波が入ってきて大雪らしいが、こっちは雪がまったく降らない。ホワイトクリスマスとなって雪道に足跡をつけながら走れたら雰囲気出るのになーと思いながら走ってきた。結局は冷たい風の中を、いつものように走っただけだった。

そうこうしている間にクリスマスイブの夜は間もなく終わりそうだ。

男性が大腸がんになる確率の計算方法

2010-12-23 22:37:47 | ニュース
国立がん研究センターで、男性が今後10年間に大腸がんになる確率の計算方法を開発したそうだ。年齢、肥満度、身体活動、飲酒、喫煙の五つの要素で簡単に計算できる。この計算法で計算してみると、例えば40~44歳の場合、肥満なし、運動はそこそこしている、飲酒・喫煙なしの人であれば発症確率は0.3%だが、同年齢で、肥満、運動しない、飲酒・喫煙ありの人では1.3%に増加する。この程度では、ああそうかという感じだが、65~69歳の場合になるとその差は相当大きい。前者の条件では1.8%だが、後者の条件になると7.4%と圧倒的に増加する。

年齢の増加に伴い、大腸がんにかかるリスクはある程度は増加するのだが、生活習慣の違いによってその差は大きく変わってくるというわけである。私の場合は、肥満なし、運動そこそこ、飲酒は時々で喫煙無しなので年齢にあったリスクだけ考えればいい。それで計算してみると1%以下にはなっているが、さらに年をとればとるほどリスクは上がってくる。

日本人の死因の1位はがんで、部位ごとに見ると男性では1位肺がん、2位胃がん、3位肝臓がん、4位大腸がんであり、女性では1位大腸がん、2位胃がんになるそうである。女性は特に大腸がんに気をつけたほうがいいようだ。この結果から自分の場合に置き換えてみると、肺がん、肝臓がんは大丈夫そうな気がする。やはり胃がんと大腸がんあたりが気になるところだ。

そんな事情もあって、昨年は胃カメラと大腸内視鏡検査を行なったのだが、ひさしぶりに同じクリニックに行ったところ、1年経ってますから念のためやっておきましょうという事になり年末から1月にかけて胃カメラと大腸内視鏡検査をやることになってしまった。まあ、安心の為に今回も受けておくつもりである。

計算方法は、こちらから
http://www.asahi.com/science/update/1222/TKY201012220225.html

ウェザーニューズ「みんなの冬の朝事情」調査結果

2010-12-22 23:35:25 | インターネット
ウェザーニューズで「みんなの冬の朝事情」なるテーマで調査した結果が発表されていた。冬の朝は目覚めてから布団を出るまでの時間は、全国平均で13分とのことだ。やはり冬の朝となると、布団から出るのが辛い。特に暖かい布団の中にいてあと5分、あと10分と加減しながら転寝をするのが至福の時でもある。大体7時10分前くらいに目が覚めて時計をチェックして、まだいいやと寝るのがこの時期のパターンである。それでも時々寝過ごして妻に起こされるのが週に1~2回はあるだろうか。時間にすれば10~15分くらいかな。ほぼ全国平均ということかもしれない。

都道府県ごとの結果では、最も時間が遅いのは鳥取県、早いのは徳島・宮崎県だそうだ。とはいえそれほど大した差があるわけではないと思うが、鳥取県が16.6分で徳島・宮崎県は11.0分だった。調査結果の分析では、西日本ほど布団を出る時間が早い傾向にあり、寒い北日本ほど、布団から出にくくなるようだとしている。確かに寒い地方ほど、朝は辛いし布団から出たくないというのは納得である。因みに私の住む静岡県では13.9分とのことだ。

そして、布団から出るために一番必要と思うことは、「気合」という回答が56%で半数以上、続いて「部屋を暖める」が33%と続いている。「目覚まし時計」や「家族の協力」はあまり効果がないようだ。やはり、「気合」が一番だろう。早起きしてどこかに出かける予定がある時は、どんなに寒くても眠たくてもさっと起きる事が出来るから、やはり気の持ち方一つでどうにでもなるという事だ。しかし、平日で会社に行くだけの朝は気合が入らないなー。

冬の朝の悩みは、西~東日本は「部屋の寒さ」、東北は「雪かき」が一番多い。これも納得する悩みだろう。北日本に比べ、西~東日本は部屋の暖房はそれほどつよくないから、朝は冷えて当たり前だ。そして、東北が「雪かき」が一番の悩みというのは切実な問題だろう。高齢者が多くなってくると、朝一番の重労働となり苦労がしのばれる。

冬の朝の好きなことは、「澄んだ空気」が36%と最も多く、続いて「二度寝」が16%、「朝日・夕焼け」が14%になっている。布団から出るまでは「二度寝」が一番と言えるが、いざ起きてしまえば、「澄んだ空気」と「眩しい朝日」が確かに気持ちいい。特に静岡県に住む者としては「真っ白い雪を被った富士山」がくっきり見えた時は、最も気分がいい。

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http://weathernews.com/ja/nc/press/2010/101213.html