とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

みかん切りボランティアに参加

2013-12-14 21:53:04 | ボランティア
静岡県ボランティア協会から東日本大震災で未だに仮設住宅で生活している人たちに、静岡のみかんを届けようとの呼びかけがあり、みかん切りのボランティアに参加してきた。みかん切りは、若いころアルバイトで小遣い稼ぎに行って以来だ。知り合いにも声をかけたところ、M子さんとH子さんが来てくれることになり、3人で三ヶ日IC前の集合場所に向かった。

集合場所につくと、大勢の参加者が集まっていた。今日は、かなり寒くなるという予報だったので、みんな防寒対策はしっかりしてきていたようだ。その後、みかんを提供してくれる方のみかん山まで移動する。みかんは、日当たりがいい場所に植えられているので、思ったより寒くなく、主催者から作業の説明を受ける。


作業する場所に散らばり、さっそくみかん切りが始まる。切るのは、青島みかんという種類で、早生みかんより一回り大きく見栄えがあり扁平で平べったくなっている。早生みかんよりは、皮が厚いが手ではむきやすく貯蔵に向いているみかんだ。


みかんを切る場合は、ヘタの上1~2センチの場所で切り、もう一度ヘタのすぐ上で切る。いわゆる二度切りをしてほしいという事だった。最終的には、ヘタのすぐ上で枝が飛び出ないように切らなければならない。飛び出ている部分があると、箱に入れたときにみかんに傷がついてしまうからだ。こんな感じで切ったみかんを籠にどんどん入れていく。


切り集めたみかんは、形や色の具合を見ながら選別して箱に分けていく。みかん切りも大変だが、選別作業も次から次にみかんが持ち込まれてくるので大変だ。


選別して段ボールに入れられたみかんがトラックに積み込まれていく。これらのみかん箱が被災地の仮設住宅の人たちに送られることになるのだ。


この日は、午後も作業する予定だったのだが、ボランティア参加者が頑張りすぎたおかげか、午前中で予定したみかん山のみかんを全部切り終わってしまっていた。やはり大勢の人が参加すると仕事も早いものだ。結局、駐車場まで戻ると、お土産用のみかんを一袋貰って現地解散となった。一日ボランティアで頑張ろうと思っていたので、ちょっと肩すかしとなってしまった。そのまま帰るのもつまらないので、景色がいい場所まで行って山歩きでもしようという事になった。

移動中に立ち寄ったグリコの工場直売店。ハムやウインナが格安で売られている。お馴染みポッキーも安く売っていたので、ついつい買いこんでしまった。


奥浜名自然歩道の尉ヶ峰直下の駐車場で持ち寄った弁当を食べる。午後2時近くになっていたので、お腹が相当すいてしまっていた。結局、グリコで買ったポッキーも全部食べてしまった。


駐車場から、直登で尉ヶ峰まで登りはじめる。車でかなり上まで来ているので、頂上まではそんなに時間はかからないが、獅子落しと呼ばれる急坂は息が切れる。




ほどなく尉ヶ峰(423.9m)の頂上に到着する。頂上にはイノシシの像と東屋がある。


前を眺めると浜名湖の景色を一望できる。


尉ヶ峰からは、そのまま帰路につき我が家で解散する。みかん切りは、明日も別のみかん山で行い、二日間で集まったみかんを来週末「クリスマスサンタ隊」として岩手県釜石市と大槌町の仮設住宅の人たちに直接届けることになっているそうだ。来週は参加できないが、我々が採ったみかんを食べてもらえるのは嬉しいことだ。

大槌町吉里吉里漁港の瓦礫処理と赤浜地区

2012-06-12 21:00:48 | ボランティア
静岡ボランティア協会第3次隊の隊員として向かったのは、岩手県大槌町の吉里吉里地区にある吉里吉里漁港の瓦礫処理だった。私を含めて隊員のほとんどは、三日間とも吉里吉里漁港の担当になった。ただし、数名ほどは足湯隊として、数箇所の仮設住宅に向かい現地の人との交流を行なった。

大槌町吉里吉里地区はJR山田線と国道45号に沿う緩い傾斜地にあり、東日本大震災では最大24mの高さの津波が押し寄せ、国道45号に沿う低地では特に大きな被害が発生している。特に、吉里吉里漁港付近の砂浜のかなりの部分が消失しているという。今回は、ほとんど手付かずになっていたという漁港の瓦礫を一気に片付けて、漁師の番屋を作れるようにするという目的があったそうだ。吉里吉里地区では、300あった漁船のほとんどが流され、海に出ることができない漁師さんが大勢いるという。ワカメやホタテ、カキの養殖施設や加工場も壊滅的な被害を受けており、漁港を整備することで漁師の生活の基盤を作ることに繋がるといえる。

1日目は、漁港の先端部から手をつけることになった。砂利や瓦礫、ゴミを100名以上のボランティアでかき集めきれいにしていく。一仕事終え休憩をしているところだ。


先端部が終り、中央部に入っていく。いたるところに瓦礫やゴミが散乱している。


大きな杉の木が枯れている。枯れている部分は海水を被った部分である。いかに津波の高さが大きかったかがよくわかる。


ゴミがいたるところにあり、まだまだ片付かない。




瓦礫のなかで、S部さんと休憩中。


土が見えてきた。大分片付いてきたのがわかる。




道路に溜まった土砂を片付ける。






漁港全体の瓦礫やゴミを一つの山にまとめたところ。あとは重機でかき集め、別の集積場に運搬することになるのだろう。


それにしても全国の自治体では、放射能に汚染しているかもしれないといって瓦礫の受け入れを拒否している所が多い。受け入れを開始したのは、未だにごく僅かだ。そんな場所の瓦礫を、ボランティアの人々は何も気にせず無我夢中でかき集めている。実際、放射能汚染等まったく問題ないのである。一部の人の声高な意見に自治体が振り回されているような気がしてならない。この大槌町でも、あちらこちらで瓦礫が山積みとなっていた。早く瓦礫を処理して住める町に変えてあげることが出来るよう日本人全体で協力すべきだと改めて強く感じた。

さて、三日目の作業は雨だったが、頑張って片付けたおかげで半日で終了した。昼食をとってから、近くの赤浜地区の様子も見てほしいということでバスでぐるっと回る。公共施設らしき建物。輪郭は残っているが、中身はがらんどうだ。


住宅地だった場所。瓦礫は片付いていて、基礎だけのだだっぴろい場所が広がっている。このあたりに、新築される家もみあたらない。今後の復旧計画が決まっていないことと、同じ場所には家を建てたくないという事もあるかもしれない。






東京大学海洋研究所付属の国際沿岸海洋研究センターの建物。人的被害こそ無かったものの、建物は3階まで津波に洗われ、1、2階は壊滅的状態となっている。


大槌湾沖の小さな島、蓬莱(ほうらい)島には、大小二つの丘があり、島影はひょうたんの形をしていた。小さい方の丘に灯台があり、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島だ。だが、島は津波にのまれ、灯台も流され、ひょうたん形の丘も一部が崩れ落ちた。現在、町内の防災行政無線のお昼のチャイムは、「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングが使われている。


大きな瓦礫の山が、町の一角を占めている。






こちらも何もない広場が広がっている。




唯一残った建物も中身は何も残っておらず、無残な骨組みだけとなっている。


今回初めて訪れた大槌町についていろいろ調べてみると、作家・劇作家の井上ひさしの「ひょっこりひょうたん島」や「吉里吉里人」のモデルになっていたことがわかった。小説「吉里吉里人」では、東北の寒村が日本から独立をめざすという物語で、ベストセラーとなり、吉里吉里地区は「吉里吉里国」として井上作品のファンたちに親しまれてきたという。地震と大津波は町を無残な姿に変えたが、生き残った町民は吉里吉里の精神や「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングのように結束し、復興に向けて前向きに進んで欲しいと思う。

ボランティアの拠点「遠野まごころ寮」

2012-06-11 22:38:23 | ボランティア
東日本大震災の発生に伴い、静岡県のボランティア協会が全国のボランティア団体に先駆けて昨年4月岩手県遠野市に開所したボランティアの宿泊拠点が「遠野まごころ寮」である。遠野被災地支援ボランティアネットワーク“遠野まごころネット”とともに、釜石市・大槌町・陸前高田市など三陸沿岸市町でのがれき撤去や片付け、仮設住宅に暮らす人たちの生活支援活動などを行ってきている。今回、初めて東北支援のためのボランティアに参加したのだが、この「遠野まごころ寮」が、静岡県の参加者にとってありがたい施設であることが良くわかった。

静岡県ボランティア協会では、この「遠野まごころ寮」に宿泊するバスツアーを昨年度は、ほぼ毎週、今年度は毎月毎に募集して参加者を募っている。このバスツアーでは、岩手県遠野市までのバス往復の交通費が3000円、施設の宿泊費が1日500円と格安の費用で参加者を受け入れている。食事も朝、昼、夕の三食全て格安の値段で提供される。通常、新幹線などで東北に行くとなると、片道2万5千円くらいかかり、宿泊費用も含めれば何泊もするとなると10万円くらいかかってしまい簡単に行くことはできない。特に静岡市までの交通費を除けば1万円以内で納まってしまうので、ボランティアに行く者にとっては済的負担が軽減され、参加しやすくなっているといえる。

また、岩手県遠野市は「盛岡・花巻・北上・奥州・一関などの東北自動車道や東北新幹線沿いの内陸地域」と「宮古・山田・大槌・釜石・大船渡・陸前高田などの沿岸地域」との中間地点に位置していることから、その地理的状況を生かし、内陸と沿岸を結ぶ物や人や情報が集まって行き交うHUB(ハブ)としての役割を担っているということが、ボランティアの拠点になった理由になっているという。遠野を朝出発して沿岸地域でボランティア活動を行い、暗くなる前に遠野に帰ってきても十分に余裕があり、遠野市内のライフラインは問題ないことから、ボランティア生活をする上で不自由なことがないのが大きなメリットである。

これが、遠野浄化センターの敷地内に開設された「遠野まごころ寮」の仮設プレハブ。右側がシャワー室のある建物、左側が宿泊所と食堂がある建物で約50名ほどが収容できる。清涼飲料の自動販売機もある。


こちらは、すぐ前にある「遠野まごころネット」の事務所と宿泊所がある施設。個人で参加する場合は、こちらに宿泊できる。


夜行バスで現地に到着後、寮の前で朝礼を待つ様子。


毎日、朝礼はラジオ体操で始まる。


体操が終わると、その日のボランティアへの行き先が紹介され希望者を募る。


こちらは、寮に住み着いた猫。丸々と太り悠々と台の上に寝そべっていた。


「遠野まごころ寮」の宿泊者に配られるおにぎり。左が「小」、右が「中」、さらに「大」のサイズがあり「大」は、どんぶり1杯分より大きい。私は「中」2個をもらったが、「中」2個でお腹が一杯になる。


今回参加した平成24年第3次隊のメンバー。


私の所属したE班のメンバー。


以上のような環境で三日間のボランティアに安心して参加する事ができたのである。

さて、私は一人で参加したのだが、実際受付会場に行ってみたら、知っている人が何人もいて驚いた。数人がマラニックなどで会ったことがあるランナーで、大変心強かった。やはりランナーは、考えることが同じである。私を含めて5名がランニングシューズを持参してきており、早速2日目の早朝近くを走ろうという事になった。前日、作業を行なったばかりであるが、2日目の朝も4時半くらいから目が覚め、5時から近くの川のサイクリングロードを走り出す。


早瀬川から猿ヶ石川にかけてのサイクリングロードを走る。




ハナショウブやアヤメが咲き出していた。




ミステリーサークル?


朝の空気が、気持ちいい。


遠野といえば河童で有名だが、こんな所にも河童の絵がある。


往復1時間ほど走り、いい汗を流した。これから、朝食を済ませ作業に行くことになる。


さてどんな作業を行なったかは、明日の記事で紹介したい。

東日本大震災ボランティア三日目

2012-06-10 17:46:10 | ボランティア
いよいよ今日が最終日です。
きょうも吉里吉里漁港の瓦礫撤去の仕上げでした。
数カ所に積み上げた瓦礫を人海戦術と重機で一つにして終わりました。
これでかんぜんに終わりました。
今後は、漁師さんの仕事場となる施設を作るようです。
朝からずっと雨でしたが、全員集中して作業したので午前中で作業が終了しました。

遠野のまごころ寮に早めについたので、遠野市内を二時間程走りました。
遠野は、なかなかいいところです。

夕食後、静岡に向けて夜行バスで帰ります。
いろいろ写真も撮ったので、後日詳細をアップする予定です。

東日本大震災ボランティア二日目

2012-06-09 21:46:28 | ボランティア
今日も、吉里吉里漁港の瓦礫撤去の作業でした。
この日も百名以上の参加があり、一気に片付きました。
やはり人数の力です。
数十名だったら何日もかかりそうな量でしたが、びっくりするほどきれいになり、現場隊長も喜んでました。

ただ、昼前から雨となり雨具を着ての作業で、かなりいい汗かきました。
明日の天気も雨模様なので、活動できるか心配です。

また、今朝は五人でランニングができました。
遠野まできてランニングできて良かった。
明日、走れそうにないのも残念です。

東日本大震災ボランティア一日目

2012-06-08 21:28:49 | ボランティア
ただいま岩手県遠野に来てます。
初めての震災ボランティアの参加で、経験者の中に混じって震災の瓦礫除去の作業を手伝いました。
場所は、大槌町の吉里吉里漁港でした。
街中の瓦礫はある程度片付いているものの海岸部は、まだまだ手つかずの状態です。
それでも百名近くの人が集まり、一気に片付きました。
復興が進んでいると言われてますが、
実際は、ほんのわずかといってもいいようです。
震災後、一年以上たち、ボランティアの人数も減ってきているようですが、
まだまだやる事は、いろいろありそうです。
夕食後のミーティングの後、実際に津波の被害にあった人が
体験を話してくれましたが、その生々しさに声も出ませんでした。
明日も作業があり、消灯になるので、今日はこれまでとします。