とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2024航空のお仕事・歴史探訪ウォーキング

2024-06-03 22:15:45 | ウォーキング
最近は、ウォーキングの大会にも時々出ているのだが、先日は富士山静岡空港まで歩くコースだというので参加してみることにした。富士山静岡空港は、まだ一度も行ったことがなかったので、いつか行く機会もあるだろうから下見のつもりで参加した。

まずは、JRで金谷駅まで行く。金谷駅がスタート地点だ。


金谷駅前で、コースマップをもらい歩き始める。


線路脇の細い道を進む。


コース上には、矢印の看板があり、わかりやすい。


歩き出して数分で、旧東海道石畳金谷坂に隣接している「石畳茶屋縁-en-」に立ち寄る。かまどで炊いたご飯や地場の食材を使った食事が楽しめる和食カフェだが、ここでのんびりするには早すぎる。


中を通り抜け、外観を見ながら、どんなカフェなのか下見とする。


東海道制定の頃、ぬかるむ山道に幕府は敷き石を並べることを命じた。金谷宿から牧之原にいたる坂道に山石を並べ、通行人の便に供したといわれている。平成3年、金谷町は町民ひとり一石運動を展開し、430mの石畳の道が復元された。


石畳は、今回のコースではないのだが、せっかくなので少し石畳を歩いてみる。


コースに戻り、坂を上っていくと牧ノ原台地の茶園の中に入っていく。


牧ノ原台地は、大井川下流の平野と菊川との間に広がる標高100から200mの台地。水に恵まれないため開墾されたのは明治以降だが、茶の栽培に成功してからは台地の90%が茶園となり現在では静岡の茶の生産量の40%を占める日本一の大茶園だ。


牧之原公園に着く。園内には茶祖・栄西禅師の像が立ち、茶どころのシンボルとなっている。


牧之原公園は、眺望スポットとして広く知られ、晴れた日は眼下の大井川の流れの真上にそびえる雄大な富士山を中心に、東方に駿河湾越しの伊豆半島、北方には南アルプスの山並み、と大パノラマが展開する。また、夜景名所としても知られ、公園からの夜景は「日本夜景遺産」に登録されている。


牧之原公園の先には、ふじのくに茶の都ミュージアムがある。お茶の産業、歴史、文化、機能性を紹介する博物館があり、レストランで抹茶パフェをいただいていく。


ふじのくに茶の都ミュージアムを出る。


次に向かったのは、牧之原農業用水の阪本調整水槽だ。台地の宿命とも言うべき水利に恵まれず、かんがい用水はもちろん飲み水にも事欠く牧ノ原台地に、安定した水を供給するために作られた巨大な水槽を見学する。


水槽の上に登って、水槽を眺めてみる。


調整水槽前の広場には、「疎水潤大地」と記された静岡県知事の記念碑がある。


その後、空港へと向かう広い道沿いを歩く。この辺りは全く来たことがなく、初めて歩く広い道にビックリ。空港が出来たおかげで整備されたのだろう。


FDA(フジドリームエアライン)の社屋の敷地に入っていく。


FDAの敷地内に併設されているのは、静岡理工科大学の静岡航空資料館だ。静岡県や世界の航空に関する歴史を展示し、さらに航空機に関係する機材や模型を一か所に集めた資料館で、入場は無料。


航空機マニアには涎が出てきそうな、数多くの飛行機やジェットエンジン、田宮の航空機模型、小型機や戦闘機のシミュレータ等が展示されている。




静岡航空資料館を出て、いったん坂を下ってから、急坂を上り返す。


緑濃い山の中に入っていくと、立派なお寺が見えてきた。石雲院という室町時代の1455年に勝間田氏によって創建された曹洞宗の由緒あるお寺だ。


立派な山門。


石雲院を出ると、ほどなく富士山静岡空港に到着する。東側に450mほど行った場所にある石雲院展望デッキから空港を離発着する飛行機を見ることが出来る。ただ、さすがローカル空港だけあって、駐機しているのはFDAの1機だけで、寂しい。


空港前のゴール地点でチェックアウトしてウォーキングは終了。歩行時間3時間半ほどで歩行距離12.9キロのウォーキングとなった。その後、空港内のレストランで昼食を済ませ、金谷駅までの臨時バスで帰路についた。この日は、富士山静岡空港開港15周年ということでいろんなイベントが行われて空港内は賑やかではあったが、飛行機を利用する人は少なく、羽田やセントレアと比べるとまだまだ物足らない空港だと感じた。

参考1.ウォーキングの高低図&コースタイム


参考2.ウォーキングのコースマップ

2024白馬雪遊び:カンジキハイキング

2024-01-22 22:53:52 | ウォーキング
毎年、1月は白馬に行ってスノーシューやスキーをやって楽しんでいるのだが、今年はスノーシューではなくカンジキを履いてハイキングをすることになった。カンジキはまだ履いたことがなく、うまく歩けるのだろうかと心配だった。話を聞くと、カンジキは湿った雪が多くかたい雪面の場合は歩きやすく、スノーシューはふかふかの新雪の雪面には適しているという事だった。

ハイキングの前日は、白馬も湿った雪となり、カンジキには適した条件になっていたようだ。まずは、ガイドさんが持ってきてくれたカンジキを見せてもらう。


カンジキは、紐をうまく使って靴に縛り付ける。まずは、紐の通し方から教えてもらう。


次に靴をカンジキの上にのせて、紐を靴に回し、しっかりと固定する。


なんとか、カンジキを履くことが出来て、準備万端。いよいよ、カンジキハイキングが始まる。


ガイドさんを先頭にして、雪原の中を歩き始める。


しばらく歩くと、急斜面を登り始める。


なかなかの急斜面だが、スノーシューに比べて足の取り回しが楽で、思ったより歩きやすい。


斜面を登りきると、尾根道を進む。


枯れ木の上の方を見るとヤドリギがいくつも見える。


雪原を見ると、時々野生動物の足跡が見える。キツネとかタヌキ、ウサギ、イノシシ等、ガイドさんが見分けて教えてくれる。


車道の上に架かった橋まで来た。急な上り坂で、雪がびっしり積もっている。


中央まで来たところで一休み。


今度は反対側に向かって下りていく。斜面を滑って降りようとしている人もいる。


橋を渡り切り、一安心。


橋の向こうには、茅葺屋根の家が見える。いかにも雪国らしい風景だ。


再び森の中に入っていくと、大きな「人」の文字が見えてきた。倒木に雪が積もり、まるで人という漢字に見えている。


尾根道の坂を上り返す。


開けた場所から見えたのは、栂池高原スキー場のゲレンデだ。


栂池高原スキー場の“鐘が鳴る丘ゲレンデ”が良く見える。


最後にぐっと下って道路側に下山。ちょうど、雪ではなく雨が降り始めてきたので、終わったのもいいタイミングだった。3時間ほどのカンジキハイキングだったが、楽しく歩くことが出来た。


その後、ペンションに戻り簡単にランチを済ませると空き時間が出来たので、ゲームでもしようかという事で、四文字熟語のカルタを楽しむ。


夕方、近くの温泉で温まってから、ペンションの隣にあるイタリアンの店で夕食。


夕食後は、再びペンションに戻り、人生ゲーム(白馬バージョン)を楽しむ。初めてやるという人もいて面白かったようだ。


翌日は、スキーをやる予定だったが、朝から本降りの雨となり、スキーをやる気にもなれず、早々に帰ることにした。

毎回、白馬では馴染みのペンション「ホームズイン」さんに泊まっていたのだが、4月で閉館することにしたという。今回が残念ながら最後の宿泊になってしまった。オーナーさんと最後の記念写真を撮りお別れをして白馬を後にした。

2023礼文島トレイル:礼文林道コース&桃岩展望台コース

2023-06-15 18:35:57 | ウォーキング
岬めぐりコースの翌日は、島の南側のコースを歩く。民宿前からバスに乗り、香深井で下車する。礼文林道コースへの入り口となり、何人か既に前を歩いていた。


舗装道路が終わり、いよいよ未舗装の林道歩きが始まる。


標高が上がってくるに従い、ガスが濃くなってきた。


林道の脇には、ラン科の優美な高山植物「ハクサンチドリ」がたくさん群生している。花をよく見ると飛翔するチドリの姿が連想される。


レブンウスユキソウ群生地に到着する。


斜面を見ると、白いネムロシオガマや紫のミヤマオダマキがたくさん見えるのだが、レブンウスユキソウはよくわからない。まだ時期的に早かったようだ。


これから花が咲きそうなレブンウスユキソウを見つけた。細かな毛をまとった葉に水滴が付き、これから白い葉に変わっていきそうだ。この毛で白く見える葉を薄く積もった雪にたとえ、ウスユキソウの名前が付いている。


礼文林道の後半になると、植生が変わってきた。島には大きな木がないと思っていたが、この辺りはダケカンバが生えている。


礼文林道が終わり、続いて桃岩展望コースに入る。標高が上がると、再び濃いガスの中に入る。


桃岩展望台に到着するも、周囲は真っ白で桃岩がどこにあるかわからない。


桃岩から元地灯台方面に下る。泥濘んでいる個所が多く滑りやすい。


レブンキンバイソウの群落が出てきた。


ほぼ一面に黄色いレブンキンバイソウが咲き誇っている。


ガスが少し晴れた時、海岸に猫岩がかすかに見えた。岩の上に猫が寝そべっているように見える岩だ。


今まで全く見えなかった海が見えただけでも嬉しい。


元地灯台に到着する。晴れていれば、灯台越しに利尻山なども見える絶景スポットなのだが、全く何も見えないので、ベンチで休憩するのみだ。


灯台から知床口方面に下っていく。前方には、利尻島の島影がわずかに見える。


知床口の手前から寄り道して、北のカナリアパークに立ち寄る。ここは、映画「北のカナリアたち」のロケ地となった場所だ。


映画では、「麗端小学校岬分校」の名前で登場した建物だ。映画のセットが今もそのまま残っている。


主演の吉永小百合さんの映像を見ながら、教室内を見学できる。


北のカナリアパークの喫茶店で休憩したり、教室を見学したりしてゆっくりしてから知床口の民宿に着いた。

参考1.礼文林道コース&桃岩展望台コースの高低図&コースタイム


参考2.礼文林道コース&桃岩展望台コースのコースマップ


「2023礼文島トレイル:花と景色」に続く。

2023礼文島トレイル:岬めぐりコース&久種湖畔コース

2023-06-14 22:08:46 | ウォーキング
10年ぶりに礼文島に行くことになった。前回行ったときは、天気が悪く、ガスの中をずっと歩いた記憶があったので、今回は明るい太陽の下で花を見て歩きたいと思っていた。羽田空港から稚内空港、稚内港からフェリーに乗って香深港に着くと17時近くとなり、行くだけで1日かかってしまう。活動は2日目からとなるが、日本の最北の有人島であり、やはり気温が低く、いつもより1枚余分に衣類が必要だった。

活動初日は、民宿前からバスに乗って礼文島最北端のスコトン岬に向かう。朝から小雨となり、雨具を着てバスから降りる。


スコトン岬は礼文島の最北端という看板が立っている。


看板の下を下りていくと、民宿があった。まさに日本最北端の民宿になるだろう。


ここが人の立ち入ることが出来る、スコトン岬の最北端だ。


スコトン岬から礼文島トレイルの岬コースをスタートする。しばらくは舗装道路を歩く。山の上の方は、分厚い雲がかかっている。


1時間ほど歩くと、トド島展望台に着く。スコトン岬の前に見えた細長い島がここからも見える。日本最北端の無人島だ。


前方にゴロタ岬に向かう山道が見えてきた。


ゴロタ岬に向かう前に、西側の斜面にエゾカンゾウの群落が見えたので、少し寄り道していく。


エゾカンゾウは本州ではニッコウキスゲと呼ばれているメジャーな花だ。一つの花は一日しか咲かず、朝に咲いたものは夕方にはしぼんでしまうが、次々と開花するので、結果として長い期間花を楽しむことができる。


エゾカンゾウを鑑賞して、ゴロタ岬への登山口に戻る。ここから、本格的な登山道となる。


雨はいつの間にか止み、笹原の中を進む。所々にいろんな花が出てきた。


マイズルソウの群落が出てきた。葉の形が、鶴が羽を広げて舞を踊っているように見えるのでその名が付いたといわれる。


登山口から30分ほどでゴロタ岬に到着する。この辺りは結構風が強い。


ゴロタ岬から浜の方に下っていく。


浜沿いの斜面にもエゾカンゾウの群生が見られる。


なかなか見事なエゾカンゾウの群生だ。


オオハナウドとエゾカンゾウ。


アヤメの群落が突然現れる。


鉄府の集落を過ぎると、再び登山道に入る。登山道脇には、ミヤマオダマキが群生している。オダマキという名は、つむいだ麻糸を巻いた苧環(オダマキ)に花の形が似ていることに由来するそうだ。


岬コースの最後の岬となる澄海岬に到着する。ぐるりと弧を描いた美しい入り江の先端の岬は礼文島で最も人気の観光スポットだ。


海の底が透けて見えるほど透明度の高い海は太陽の光で微妙に色が変わり、夏には「レブンブルー」と呼ばれる翡翠色の海を見ることができるといわれている。残念ながらこの日は太陽の光がほとんどなく、「レブンブルー」を見ることはできなかったが、人気の観光スポットだというのは大いにうなずける。


澄海岬入り口に売店があり、焼ウニやエビ汁が美味しかった。

澄海岬からは、再び舗装道路を歩き浜中方面に向かう。その途中にあるのが、レブンアツモリソウの群生地だ。5月下旬~6月中旬にしか咲かない時季限定の「レブンアツモリソウ」は、礼文島観光の一番の目玉の花である。


レブンアツモリソウは、ラン科の女王とも讃えられる礼文固有種で、絶滅が危ぶまれ、特定国内少野生動植物種にも指定されている。群生地一帯は北海道の文化財(天然記念物)に指定され、貴重な“レブンアツモリソウ”を自然の状態で間近に見ることができる。ただ、今年は開花が早く、きれいな状態の花はわずかになっていた。


浜中に行く途中にあった神崎小学校。現在は廃校になっているようだが、二宮金次郎の像が小学校らしい。


さらに歩いて、久種湖畔キャンプ場の中に入る。


久種湖は礼文島北部の船泊地区にある、島唯一の湖である。アイヌ語の「山越えする沼」に由来し、日本最北の湖だ。


久種湖の奥に見える建物は、日本最北となる自衛隊の礼文分屯地だ。


久種湖も一周できるコースとなっているのだが、民宿に帰るバスの時間に間に合わなくなってしまうので、周辺を少し歩いただけで引き返し、近くの喫茶店に入って休憩する。


バスは、手を挙げればどこでも止まってくれるという事で、喫茶店前で止まってもらい、無事民宿に帰ることが出来た。

参考1.岬めぐりコース&久種湖畔コースの高低図&コースタイム


参考2.岬めぐりコース&久種湖畔コースのコースマップ


「2023礼文島トレイル:礼文林道コース&桃岩展望台コース」に続く。

2023旧秋葉街道ウォーク

2023-03-03 22:38:04 | ウォーキング
先週の日曜日は、遠州山辺の道の会主催のウォーキング大会に参加してきた。遠州山辺の道は何度か走ったことはあったが、今回は山辺の道ではなく、旧秋葉街道の一部を歩くとの事だった。既に何回かやっているらしかったが、今回は遠州芝本駅から遠州西鹿島駅までの旧秋葉街道を歩くという。

集合は、遠州芝本駅だ。参加者は5~60名くらい。スタッフも大勢いて3グループに分かれて芝本駅をスタートする。


しばらく進むと、浜名用水と線路が交差する場所に着く。スタッフの解説によると、この辺りが旧芝本駅のあったという場所らしい。かつては、柴本村という地域名であったことから命名された駅名なのだが、柴の字を間違え芝本となって現在に至っているという。


そこからさらに歩くと慈眼寺というお寺がある。お寺の境内には、柴本小学校跡という標柱があり、かつては柴本と呼ばれていたことがうかがえる。


慈眼寺の観音堂には、袖ケ浦三十三観音霊場の三十番札所が祀られている。
袖ケ浦三十三観音霊場とは、
「今から約二百年の昔、中瀬村の清水源八氏が西国三十三ヶ所霊場を巡拝した時に、その地の砂を持ち帰り、この近隣で一日の内に巡拝出来る所に、観音像を安置すれば、誰でも気軽に参拝出来ると発案し、辛苦の末、多くの人達の賛同や寄付を得て、文政五年(1822)各地のお寺などに三十三観音を祀りました。これを誰が名付けたのか“袖ヶ浦三十三観音”と呼ばれています。」との事。


線路を挟んで西側には豊川稲荷が祀られている。遠州鉄道が敷設された際、お寺の敷地が分断されたという。


さらに進んで行くと、坂があり少し下ると用水が流れている。坂の部分は、河岸段丘だという説明があった。大昔、この辺りは天竜川の河原で、段丘が出来ていたのだという。何だか、ブラタモリでも良く聞いた話だ。


そして、浜名用水の流れている辺りは、かつて天竜川が流れ、渡し船で対岸に渡っていたという。


浜名用水沿いを進む。浜名用水は、新原のJAとぴあ緑花木センターあたりで馬込川に変わる。


於呂取水場手前で藪をかき分け、段丘を登り返す。


遠州岩水寺駅近くの小さな公園には、ごうりんさまが祀られている。昔、この辺りの人たちが松林を開墾していた時にたくさんの塚(墳墓)が掘り出された。その際、5つの五輪塔が出たので、その場に祀ることになったという。お堂の中には五輪塔が祀られている。ごうりんさまとは、五輪塔からきているようだ。


遠州岩水寺駅前を通る。


住宅地の細い道沿いには、旧秋葉街道(旧二俣街道)の案内板が多数、吊り下げられている。


新東名高速道路と遠州鉄道が交差する道を進む。


於呂浄水場の角には、御馬ヶ池の由来が書かれた石碑が建っている。遠江国に侵入した武田勢を迎え撃とうとした徳川家康がこの池の水を自身の馬に掛けるなどして休ませたと伝わっているため、池の名前に「御」の字が付いたといわれている。


その先には、於呂神社がある。


於呂神社の手前にあるのは、直径23.8m、高さ3.9mの円墳。浜北北麓古墳中では、最も古い形式の古墳になるそうだ。


於呂神社の入り口に着いた。於呂神社の名前の上には、式内郷社という名称が付いている。式内郷社というのは、延喜式内社であることを意味していて、平安時代(10世紀)にすでに官社として認定されていた神社であり、とても由緒ある格式高い神社だけに与えられる称号だという。


鳥居をくぐって境内に進む。


本殿にお参りする。御祭神は「天津日高日子穂穂手見命(あまつひほほでみのみこと)」、神武天皇の祖父だ。天照大御神の孫「瓊々杵尊(ににぎのみこと)」が父、「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」が母ということで、これだけでも格式が高いことが分かる。しめ縄の上には菊の紋章が掲げられている。浜北の於呂にこんな格式の高い神社があるなんて思いもよらなかった。


社務所も、この日のウォーキングの為にわざわざ開けられていた。おやつを食べてしばらく休憩する。


於呂神社の隣にある西光院には、袖ケ浦三十三観音霊場の二十九番札所があった。


再び遠州鉄道の線路沿いを歩くと、通常の線路の横に別の線路が敷かれた広い場所があった。何をする場所だろうと思っていたら、スタッフの説明によると遠州鉄道の新型車両の搬入を行う場所だという。トレーラーで運ばれてきた車両をこの場所で降ろし、クレーンで釣り上げて線路に乗せるのだという。電車には何度も乗っているが、こんな場所があったとは知らなかった。


車両搬入半出場からゴールの遠州西鹿島駅はすぐだ。


3時間ほどのウォーキングだったが、身近な場所でもいろいろ興味深い場所が結構あるものだと面白かった。

参考1.コースの高低図&コースタイム


参考2.コースマップ

2022第40回天竜歩け歩こう大会

2022-04-11 22:20:58 | ウォーキング
昨日は、天竜区横山町スタートの第40回天竜歩け歩こう大会に参加してきた。初夏のような温かい日差しの中、天竜川沿いの山の中を歩き、ちょっとした森林浴になった。

スタート会場となる横山小学校の枝垂れ桜が見事だ。


早速、小学校の校庭の入り口で受付をする。


校庭には、早くも鯉のぼりが30旒ほども吊り下げられていた。風がないので、泳いではいない。


9時にスタート。廃校となった竜川中学校の横を通り過ぎる。


すぐ先にある宝珠院のツツジが満開だ。


50分ほどで、秋葉橋に到着する。この橋は、天竜川にかかる吊り橋で最も長い吊り橋だ。


竹林を抜け、反対側の岸に向かう。


真ん中くらいまで来ると、結構揺れているのがわかる。


下の流れは、天竜川だ。


奥の方に見える赤い橋は、雲名橋。車も通り、天竜スーパー林道に続く橋だ。


秋葉橋からしばらく歩くと、気田川の畔にある小川の里オートキャンプ場だ。


小川の里オートキャンプ場でしばらく休憩する。


オートキャンプができるキャンプ場で、数組がテントを張っていた。


売店では、バーベキュー用品などのレンタルもしているようだ。


休憩が終わり、小川の里オートキャンプ場を出て、少し来た道を戻る。気田川を望む場所には、3つの椅子が置いてあり、ここからなら川を見ながらのんびりするのも良さそうだ。


直ぐに、気田川橋を渡る。こちらも吊り橋だが、車も通行できる。大勢が通るので揺れているのがわかる。


車と共に、気田川橋を渡り切る。


早くもシャクナゲが咲いている。


民家の壁には、懐かしい昔のホーロー看板が何種類も飾ってある。


スタート時に見た宝珠院のツツジが反対岸に見えてきた。ゴールは近い。


駐車場になっている竜川中学校の校庭にゴール。


歩行距離8.8キロ。歩行時間2:25のウォーキングだった。ちょうどお昼近くになり、近くの古民家カフェでは、ダムカレーを食べて半日のウォーキングを楽しんだ。

参考1.高低図&コースタイム


参考2.コースマップ

2022奈良・山の辺の道ウォーク:2日目後半

2022-03-31 17:44:45 | ウォーキング
相撲神社から下っていく途中には、纏向遺跡がある。纏向遺跡は纒向川の扇状地に広がる東西約2キロメートル、南北約1.5キロメートルの広大な遺跡で、150次以上に及ぶ調査が継続的に行われているが、発掘済みの調査区は全休の5%に過ぎず、まだ全体を解明するにいたっていないという。3世紀の国内最大級の集落跡で邪馬台国畿内説の最有力地とされているそうだ。


大きな桜が、ひときわ青空に映えて美しい。


田んぼの中の脇道を進んでいく。周りに見える小高い丘はすべて古墳のように見える。


この古墳は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父と伝えられる第12代景行天皇の陵墓とされ、「景行天皇山辺道上陵」として宮内庁が管理している。地区の名を取って「渋谷向山(しぶたにむこうやま)古墳」とも呼ばれている。


田園地帯を抜けていく。この辺りも、のどかな雰囲気がいい。


ちょうどお昼にもなり、天理市トレイルセンターでランチ休憩する。


大和神社御旅所。”おおやまとじんじゃおたびしょ”と呼ばれ、北西約1kmにある大和神社の境外末社。4月1日に催される大和神社例祭、「ちゃんちゃん祭り」には、長い渡御行列が本宮~御旅所間を行き来するという。それにしても、日本最古というフレーズが、この辺りには多い気がする。


「灯籠山古墳」の角を右に曲がると、本堂の屋根と鐘楼がコンクリートの塀越しに見える浄土宗・大塚山「念仏寺」だ。開基は行基だという。


念仏寺の前にある一休さんの石像。なんだか目つきが不気味だ。


大和古墳群の1つ「燈籠山古墳」。東を高くした山側に後円部を置き、全長110mの主軸を東西に取った前方後円墳だ。


古墳の周りには、墓石が林立している。


途中で見かけた見事なハクモクレン。


果樹園の間を通り抜ける。


菜の花畑の黄色と花桃のピンクが鮮やかだ。


石上神宮手前で、3月21日にオープンしたばかりという総合文化施設「なら歴史芸術文化村」に立ち寄る。奈良県が文化や芸術振興の拠点として、およそ100億円かけて整備した総合文化施設だという。4つの核となる建物からなり、「文化財修復・展示棟」には、文化財が展示されているだけでなく、仏像などの彫刻や絵画・書跡などの修理を行う工房も入っている。オープンしたばかりで、混み合うほどの観光客で賑わっていたが、思ったより地味な展示物ばかりで、私には興味がわかなかった。

なら歴史芸術文化村から、半分のメンバーが先に帰ると言うことで別れ、我々は西山古墳を見て行く。墳丘は1段目のみ前方後方形、2段目から上位が前方後円形となる特異な形状で、全長約190mもあるそうだ。


日本最大の前方後方墳ということで、横に回ってみてみると、確かに前方後円墳というのがよく分かる。


1日目に続いて、天理教教会本部の建物が見えてきた。


この日は、天理駅まで続く商店街のアーケードは通らず、別の通りを歩いて天理駅に向かう。天理駅からは近鉄で京都まで行き、新幹線に乗って帰路についた。「日本書紀」にその名が残り日本最古の古道といわれる「山の辺の道」の全コースを歩くことが出来、大いに満足できた。「記紀・万葉集」ゆかりの地名や伝説が残り、数多くの史跡にも出会え、「古代ロマンの世界」へと大いに誘われた気がする。

参考1.2日目の高低図&コースタイム


参考2.2日目のコースマップ

2022奈良・山の辺の道ウォーク:2日目前半

2022-03-30 17:53:02 | ウォーキング
2日目の朝、天理駅近くの宿を出発する。


2日目は、天理駅からJRに乗って桜井駅で下車する。


山の辺の道・南コースは、天理から桜井へ向かってもよいのだが、三輪山への入山が午前中に受付しなければいけないと言うこともあって、桜井駅から歩く事にしたのだ。


また、桜井駅からの方が案内板もしっかり整備されており、歩く人も多いようだ。


大和川の堰堤は、桜が咲き出し、ちょうどいい時期になった。


桜井市金屋付近は、日本書紀によると、海柘榴市(つばいち)というわが国最古の市が開かれた場所だという。また、影媛の非愛の伝説や恋の歌をかけ合う歌垣(うたがき:歌の交換場所)の舞台としても知られ、欽明天皇13年(552年)、百済の聖明王の使者が、この地に釈迦仏の金銅像や経典を献上したとあり、それをもって日本に仏教が伝来したとされ、「仏教伝来地」の顕彰碑も建てられている。それにしても“海柘榴”を“つば”と読むとは知らなかった。


歴史的建造物の建ち並ぶ通りを進む。


国の重要文化財の「金屋の石仏」。建屋の中に2体の石仏が安置されている。ともに凝灰岩製の石板に浮彫(レリーフ)されたもので、向かって右が釈迦如来像、左が弥勒菩薩像といわれている。


竹林の中の道を進む。


平等寺の赤い山門が見え、中に立ち寄っていく。


平等寺は、聖徳太子が世の中の平和安寧を念じ、三輪明神に祈願して、賦後十一面観音を彫んで寺を建立したといわれている。


明治の廃仏毀釈令により一時崩壊したが、昭和52年3月に復興した。関ヶ原の戦いに破れた島津義弘が、一時この寺でかくまわれていたとも伝えられている。


平等寺山門前で記念撮影。


大神(おおみわ)神社に到着する。大神神社は、日本最古の神社といわれている。ご神体は三輪山そのもので、本殿はなく、拝殿から三ツ鳥居を通して山に向かって拝みます。三輪山は国を開いた大物主大神(大国様)が御魂を留めたという霊山。「パワースポット」と称されるよりはるか昔から「神の宿る山」として崇められてきた聖地だ。ご神体の三輪山は、古くから一木一草にいたるまで斧で伐採することを許されていない。


大神神社のご神体「三輪山」は、太古の昔より神さまの鎮まる神聖な山とされ、禁足の山として入山が厳しく制限されていたが、近代になって特別に入山を許可することとなり現在に至っている。そんな特別の山なら是非登ってみたいと思い、受付のある狭井(さい)神社までやってきたのだが、残念なことに、新型コロナウイルス感染症の蔓延状況を鑑み、「当分の間」三輪山登拝の受付を中止するという事になっていた。ガッカリしつつ、神聖な山の入り口だけ見て引き返した。


狭井神社には、薬井戸の水「狭井の御神水」があり、諸病に効くとされ、持ち帰りもできる。美味しい水を一口飲んでいく。


大神神社の境内に位置する「大美和の杜展望台」に登ってみる。展望台から桜越に三輪山を望む。


山の辺の道の途中に立派な桜が有り、ここでも記念撮影。




桧原神社に到着する。桧原神社は「元伊勢」と言われている。「元伊勢」とは、現在三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮が、現在地へ遷る以前に一時的に祀られたという伝承を持つ神社を言う。


本殿はなく、三輪山を御神体とし、三ツ鳥居が玉垣内にある。皇居に祭っていた天照大神の神霊を、崇神天皇が豊鍬入姫命に託して祭ったと言われる。


纒向日代宮伝承地(穴師)。景行天皇は、第11代垂仁天皇の第二皇子で熊襲(くまそ)征討と息子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣し蝦夷(えぞ)を平定した事で知られる。ヤマト政権誕生の地だ。


穴師(あなし)の地に鎮座する「相撲神社」は相撲発祥の地だ。日本書紀によると、「相撲」がはじめて登場するのは、垂仁天皇の時代。出雲国出身の野見宿禰と大和国出身の當麻蹶速とが垂仁天皇の前で取り組みをおこなったのがはじまりと言われている。


相撲神社には、お相撲さんのオブジェも設置されている。


相撲神社から坂を下っていくと、前方には奈良盆地が一望だ。いにしえ人も見た景色だろうと思うと、万感迫るものがある。


「2022奈良・山の辺の道ウォーク:2日目後半」に続く。

2022奈良・山の辺の道ウォーク:1日目

2022-03-29 10:44:52 | ウォーキング
先週末は、日本最古の道と呼ばれる奈良の山の辺の道を歩いてきた。周囲を小高い山に囲まれた奈良盆地。古代、その東に連なる美しい青垣の山裾を縫うように、三輪山の麓から石上布留を通り、奈良へと通じる道があった。「日本書紀」にその名が残るのが「山の辺の道」だ。山の辺の道沿いには、今も「記紀・万葉集」ゆかりの地名や伝説が残り、数多くの史跡に出遭え、訪れる人を「古代ロマンの世界」へと誘ってくれる。

1日目は、北コースと呼ばれる奈良から天理までの区間だ。一般的に「山の辺の道」とされているのは、景行天皇陵・箸墓古墳・大神神社などを経由しながら天理市内~桜井市内を結ぶ南側のルートであり、天理市街地より北側、奈良市内からのルートについてはそれほど知られた存在ではない。だが、風景自体は奈良盆地を望む眺めや、盆地の東端部の農村風景・里山の風景をじっくりと味わいながら歩き、「ありのままの奈良」を楽しめるコースだ。

まずは、近鉄奈良駅に集合する。あいにく朝から雨となり、駅前でカッパを着て歩き出す。


奈良公園近くに来ると、やはり鹿の群れに出迎えられる。


奈良国立博物館のなら仏像館。


氷室神社まで来ると、もう桜が満開だ。


そのまままっすぐ進み春日大社に入ると、二の鳥居近くの「祓戸神社」のすぐそばにある春日大社伏鹿手水所(ふせしかのてみずしょ)に出る。


この手水所は、奈良を象徴する存在であり、かつ「神の使い」として大切にされてきた「鹿」をモチーフにした珍しいものだ。巻物をくわえた鹿の口の部分から水が流れ出るようになっており、ひしゃくでその水を受けた上で両手を清める。


参道を進み、春日大社に参拝していく。


春日大社を抜けると、人出も少なくなり、静かな道となってくる。


山の辺の道の案内標柱が出てきた・


田舎道に入ると、鹿よけの柵が所々に出てくる。


八坂神社まで来た。この辺りまで来る観光客はほとんどいない。


ため池の前には、万葉の句碑が建っている。


崇道天皇陵(すどうてんのうりょう)に立ち寄る。


崇道天皇は生前の名を「早良親王」と言い、光仁天皇の皇子として生まれたが、最終的に藤原種継暗殺の謗りを受け、無罪を立証するために淡路の地へ配流の途中絶食し息絶えたとされる悲劇の皇子だ。その祟りを鎮めるために死後崇道天皇と追称され、大和に改葬されたことが崇道天皇陵の由来と言われている。すなわち、早良親王は歴代天皇には数えられていないにも関わらず祟りを恐れ「天皇」と呼ばれる特異な存在となったという。


崇道天皇陵の前池の横に立つ歌碑。八嶋国(ヤシマクニ) 妻(ツマ)枕(マ)きかねて 春日(ハルヒ)の 春日(カスガ)の国に 麗(クハ)し女(メ)を 有りと聞きて・・・・・。勾大兄皇子(マガリノオオエノミコ=安閑天皇、継体天皇第1皇子)の春日皇女(カスガノヒメミコ)への求婚歌だという。


静かな山道を進むと、円照寺の山門が見えてきた。


円照寺は、山の辺の道からは少し外れており、非公開となっていたが、ちょっといい雰囲気なので庭園だけ覗いていく。


ここにも大きなため池があった。


小さい時計台の前を曲がる。


弘仁寺。山の辺の道沿いにある弘法大師ゆかりの山寺だ。


田園地帯ののどかな農道の中を歩く。


天理市内に入ってくると、天理教の施設が目立ってくる。ここは、静岡県の信者用の施設なのか?


石上神宮(いそのかみじんぐう)にお詣りしていく。ここも伊勢神宮と同様に我が国最古の神社のひとつに数えられ、「古事記」、「日本書紀」にも記載されている非常に古い歴史を持つ神社だ。かつての豪族・物部氏の総氏神であり、物部氏滅亡後は大和朝廷の武器保管庫だったと伝えられている。


境内には、色鮮やかな羽根を持つ東天紅(とうてんこう)や小国(しょうこく)などの鶏約40羽が放し飼いにされている。鶏は夜明けに鳴いて時を告げることから、昔の人々は神聖視したとされ、石上神宮でも「神の使い」として敬われているそうだ。


石上神宮の鳥居を抜けると天理教教会本部方面に向かう。


天理教の本部は広大な敷地に巨大な施設が広がっている。天理教において人間創造の聖地とされている「ぢば」を中心に、四方に礼拝場(らいはいじょう)が建てられている。天理教は、日本全国・世界に100万人以上の信者がいると言われているそうだ。雨の中でも、草むしりをしている信者が何人も見受けられた。


本部を抜けると、天理駅まで一直線に屋根のあるアーケードの商店街が1キロも続いている。天理教の法被を着た信者が至る所で見られ、一種異様な雰囲気を感じる商店街を歩き、この日の宿の旅館に着いた。

参考1.1日目の高低図&コースタイム


参考2.1日目のコースマップ


「2022奈良・山の辺の道ウォーク:2日目前半」に続く。

2021ノルディック・ウォーク in くんま:大栗安棚田コース

2021-05-31 18:59:24 | ウォーキング
ノルディック・ウォーク in くんまのイベントに参加する。今月の初旬、初めて参加したが、今回は2回目だ。受付を済ませ、道の駅・くんま水車の里の広場に集合する。


準備体操、ノルディック・ウォークの練習などした後、橋を渡り、大栗安棚田コースに向かう。


県道からすぐに、沢沿いの細い道に入る。


沢には透き通った清流が流れ、心地よい爽快感を感じさせてくれる。


森の中では、材木の切り出しが行われていた。


重機で材木を引き出しているところを通り過ぎる。


坂を上り、峠越えだ。


旧秋葉街道の名残の灯篭や石柱が残っている。


今回の目的地、大栗安棚田に到着する。天竜川の支流・阿多古川の上流の山間地にある大栗安の棚田は、本村と檜曽礼(ひのきぞれ)の2地区の棚田で構成され、計約500枚の水田があるそうだ。


ここは、本村の棚田だ。大栗安の棚田では、水稲栽培だけでなく、お茶の栽培も行われており、茶畑と棚田が織りなす、少し変わった景色を楽しむことができる。


茶栽培も行う農家も多く、5月中旬ごろから6月中旬に掛けて茶の作業が一段落した農家から田植えに移行していくそうだ。




本村の棚田の上段に向かう。


上段から棚田の全景を見下ろす。「新・浜松の自然100選」にも選ばれている風景だ。


上段から下段に向かって降りていく。


下段の方は、草を刈ってから水を引くための準備をしている。


駐車場とトイレのある栗砦館(りっさいかん)前で休憩。


大栗安の棚田のもう一つ、檜曽礼地区の棚田を見ていく。こちらは、かなり田植えが終わっている。


一通り棚田を見てから、元来た道を辿り、スタート地点に戻る。歩行時間3時間20分。距離は8キロほどで、アップダウンもかなりあった。森林浴の爽快感と適度な疲労感でノルディック・ウォークを楽しむことが出来た。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図&コースタイム