とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2024越後里山三山登山ツアー:3日目弥彦山

2024-05-30 23:13:32 | 山登り
最終日は、弥彦山に登る。新潟県の広い地域から見ることができ、弥彦神社の祭神・天香山命を祀った山として、古くから人々の崇敬を集め、山全体が弥彦神社の神域となっていて、英彦山、雪彦山と共に日本三彦山と呼ばれる山でもある。

弥彦山神社の駐車場に車を止めて、歩き出す。日曜日という事もあって、駐車場は満車に近く、ギリギリ止めることが出来た。


登山道入口となる鳥居前で集合写真。この日は、新潟県のメンバー二人も新たに参加して、総勢11人のパーティーとなった。


階段状の登山道を登っていく。朝早くだが、既に下山してくる人もいて、大勢の登山者と行き会う。




岩がごつごつ出ている場所もあるが、道幅は結構広く、整備され登りやすい登山道だ。


開けた場所から、下界を眺める。水が張られた水田がキラキラと光っている。右側少し上の方に赤い鳥居が見える。弥彦神社の大鳥居で高さ30.16メートル、柱間20メートル、笠木の長さ38.5メートル両部鳥居としては日本一の大きさだという。


御神水の冷たい湧き水を飲む。


さらに登ると、開けた場所から日本海と佐渡島が見える。


山頂までもう一息。


最後の石段を登り切れば山頂である。


彌彦神社の御神廟前に到着する。


もう一度、越後平野を見下ろす。田植えが終わり、田んぼには水が張られまさに「水田の水鏡」だ。朝日が照らす黄金の水鏡は一見の価値があるという。


山頂に鎮座しているのが、彌彦神社の奥宮「御神廟」だ。本殿の御祭神・天香山命とその妃神の熟穂屋姫命が一緒に祀られ、縁結びのご利益があることで有名な場所だという。


奥宮の裏側に回り、弥彦山と刻まれた岩の前で、山頂記念写真を撮る。


弥彦山九合目にある弥彦山頂公園には、展望レストランや高さ100mの回転昇降展望塔「パノラマタワー」があり、越後平野、日本海や佐渡を一望できる。


展望レストランの屋上からも越後平野、日本海や佐渡を一望できる。


弥彦山は、北に位置する多宝山 (634m) との双耳峰である。多宝山は新潟市の最高峰だ。


ロープウェー駅近くにも、山頂写真撮影スポットがあり、もう一度山頂記念写真を撮る。こちらの方がたくさんで撮るにはいい。ところで、弥彦山の標高は、東京スカイツリーと同じ634mだったのだ。


下山は、元来た道を下る。4合目か5合目辺りで休憩。この辺りでは、手の平に餌を乗せていると野鳥が食べに来るという事で、何人か挑戦していたが、残念ながら野鳥は来てくれなかった。


登山口入口には、誰かが飾っているのか、トトロのバス停のミニチュアが置いてあった。


最後に、弥彦神社に参拝していく。越後一宮として古くから信仰を集めてきた弥彦神社。「おやひこさま」として人々に親しまれ、初詣には毎年20万人以上の参拝者が訪れ、創建から2400年以上の歴史を有するとされる神社で、日本最古の万葉集にも詠われているそうだ。


一の鳥居前で、最後の記念写真。


この後、日本海を眺めながら入浴できる寺泊きんぱちの湯で入浴と昼食を済ませ、帰路についた。いろいろ個性的な新潟の低山歩きを楽しめた三日間だった。

参考1.弥彦山の高低図&コースタイム


参考2.弥彦山のコースマップ

2024越後里山三山登山ツアー:2日目袴腰山

2024-05-28 19:18:02 | 山登り
2日目は、新潟県三条市にあり、粟ヶ岳の手前にある袴腰山に向かう。頂上は、屋根形平頂の広い山頂で、あたかも袴の腰の部分のような山容で、山頂からは粟ヶ岳と守門岳が近くに見える。そして、毎年5月中旬から下旬にかけてヒメサユリ祭りで沢山の人が訪れるという事で、今回はヒメサユリ鑑賞が一番の目的だ。

朝一番で、高城城址駐車場に向かう。百台以上は止められそうな大きな駐車場だが、驚くほどガラガラだ。実は、今年のヒメサユリは例年の1割くらいしか開花せず、しかも開花時期が早くて、この日はもうほとんど終わりになっていたらしい。


駐車場を出て、ヒメサユリの小径の入り口に向かう。


ヒメサユリの小径はロープが張られ、植生が守られている。


例年の1割程度で、もう終わりだという事で、大群落を見ることはできなかったが、ところどころにまだ残っているヒメサユリを見ることが出来た。


ヒメサユリは、宮城・山形・福島3県の東北南部と新潟県の一部にしか見られない貴重な日本固有種のユリの花だ。薄紅色の可憐な花だが、野生種は環境省のレッドリストでは準絶滅危惧に指定されている。


わずかに残っているヒメサユリを見つけ、写真を撮る。


登山道のところどころで見つけることが出来、宝探しをしているみたいで、案外楽しい。


ヒメサユリの小径が終わり、袴腰山山頂へと進む。


牛窪の城(砦)跡。高城の支城群の一つで、狼煙による連絡用に使われていた場所だが、周囲は崖になっており、足元は要注意だ。


牛窪の城(砦)跡からさらに進むと、高城城跡に到着する。戦国時代、下田長尾氏が在地豪族として、下田郷の東半分を支配していた。その時もっとも重要な要塞となっていたのが高城で、標高373メートル、東西500メートルにのびる険しい尾根を削ったり掘ったりして造った曲輪・空堀・土塁など、山城の遺構としてはっきり残っているという。


広い場所は、高城の本丸があった場所だ。


ベンチの先からは、雪が残る守門岳がうっすら見えた。


高城城跡から、さらに進むと、袴腰山の山頂が遥か先に見えるが、思っていたより険しい登坂が続く。


心臓破りの坂を越えれば、山頂かと思っていたら、最後にとどめの坂があって、意外と手ごわい山だ。


険しい山道の脇には、キレイなヤマツツジが咲いていて、気持ちが癒される。


やっと袴腰山山頂526mに到着する。


当初はピストンで帰る予定でいたが、八木ヶ鼻経由の周回コースがあることが分かり、周回コースに変更するが、こちらの下りもなかなかのものだ。


見上げると、袴腰山の山頂がもうあんな先に見える。


三角山400mを通過。


三角山の下りもなかなか急だ。


途中の分岐で、八木ヶ鼻と呼ばれる展望ポイントに向かう。


八木ヶ鼻は、高さ200 m超の崖がそびえる三条市の名勝地だ。まさにその最先端から下を眺めると、水が張られた水田が美しい。




展望を楽しんだ後、分岐まで戻り、八木神社に下山する。


神社の境内の手水舎には、八木ヶ鼻湧水が引かれている。


八木神社はかつて八木鼻山頂に祀られ、八木・守門大名神と称していた。現在の本殿は万治元年(1657)に、拝殿は明和5年(1768)再建されている。


八木神社からは、舗装道路を歩き、駐車場に戻った。

参考1.袴腰山の高低図&コースタイム


参考2.袴腰山のコースマップ


「2024越後里山三山登山ツアー:2日目観光」に続く。

2024越後里山三山登山ツアー:1日目米山

2024-05-27 19:04:28 | 山登り
3年ほど前に新潟中越地域の浅草岳、守門岳、粟ヶ岳に登って以来の久しぶりの新潟遠征となった。今回は、地元在住のMさんのおすすめの低山歩きがメインだ。

初日の朝早く、始発の新幹線で長岡まで向かう。長岡でレンタカーを借りて、米山の登山口となる水野林道登山口に向かう。米山の登山口はいろいろあるのだが、到着時間がお昼ごろになってしまうので、最短ルートで登ることが出来る水野林道登山口にした。10台くらいは止められる駐車場だが、時間も遅いし、天気もあまりよくないので、1台しか止まっていなかった。


我々のメンバーは、2台の車で7人だ。夕方くらいから雨になるとの予報なので、急いで歩き出す。


登山口には、やはりここにもクマ出没注意の看板があり、気にしながらも進んでいく。


やくしの杜の看板がある。整備された登山道の周りは、ブナ林だ。


新緑が美しい、ブナ林が広がっている。ただ、霧が立ち込めてきている。


下牧ベースからの登山口との分岐地点が近づいてきた。


標高805m地点。山頂まであと1キロの分岐地点には、泰澄大師の伝承が記されている。伝承によると和銅5年(712)、泰澄大師により開かれたのが始まりと伝えられる。名称の「米山」は大師の弟子である沙弥が、悪徳な商船が運ぼうとしていた米俵を五輪山(現在の米山)に投げ飛ばした伝説が由来となっているという。


分岐点では、下牧ベースから登って米山まで行き、山頂から戻ってきて我々を待っていてくれた新潟のMさんやNさん、Kさんもいて、賑やかになった。集合写真を撮ったあと、3人とは別れ、残り7人のメンバーで米山山頂に進む。


登山道には、イワカガミがたくさん咲いている。


白いガスの中に、建物がうっすら見えてきた。避難小屋だ。


避難小屋の上に、米山の山頂993mを示す標柱が立っている。小屋にいた人に集合写真を撮ってもらう。


新潟県の上越地方と中越地方の境に位置する米山の山頂には、日本三大薬師の一つ米山薬師堂が建っている。扉を開け、お堂の中に入る。


薬師堂の前には、薬師如来の豆知識が記されている。


米山は一等三角点の秀麗な山で、山頂からは360度の展望が楽しめるというが、この日の展望は0。避難小屋に寄ってみる。


広い避難小屋は、床がピカピカで、地元の人たちがしっかり管理されているようだ。


ポツポツと雨粒が落ちてきたので、早々に元来た道を下る。豪雪に耐え、上に伸びているブナの木が見事だ。




2時間10分ほどで登山口に無事下山。幸い雨は大したことなかった。


帰り道、米山薬師の別当寺である密蔵院に寄る。急な石段を上ると広い境内が現れる。


密蔵院護摩堂は江戸時代後期の御堂建築で、入母屋、銅板葺、平入、桁行4間、正面1間向拝付、組物や彫刻などに見所がある。


特に護摩堂背面に施された中国英雄物語を表した彫刻は上越地方随一といわれ、雄揮、典雅を極め巧みな技法は上越地区随一の美を誇り、市の文化財として指定を受けているという。




長い石段を下ると駐車場だ。


その後、車を走らせ、見附市内の宿に泊まる。

参考1.米山の高低図&コースタイム


参考2.米山のコースマップ


「2024越後里山三山登山ツアー:2日目袴腰山」に続く。

2024戸隠山:後半

2024-05-15 21:40:11 | 山登り
後続のメンバーも胸突岩を登ってきて、全員が「蟻の塔渡り」の入り口に揃った。


私がまず先頭を行き、その後をそろりそろりと後続のメンバーが続く。


ときおり風が強く吹くときがあり、さすがにまっすぐ立つのは怖いので、みんな中腰か這いつくばっている。


一気に前に行くのも疲れるので、途中で中休み。


1人だけ立っているメンバーがいて、なかなかの強者だ。


それでも全員無事に、蟻の塔渡りと剣の刃渡りを通り抜け、八方睨に到着する。八方睨からの展望は素晴らしい。雪をかぶった北アルプスがしっかり見える。


そして、正面には、百名山の高妻山の鋭い峰がそそり立っている。


八方睨から数分で戸隠山山頂1904mに到着する。


みんな着いたところで、もう一度集合写真。


山頂でランチ休憩をしていたら、二人のトレイルランナーがやってきた。男性は、飯野航さんといい、世界でも名だたるトレイルランナーだ、世界中の自然を走りたい!という事で、毎日の通勤ランで往復40km、月に1000km走るという。女性は、枝元香菜子さんといい、トレイルランナーとして国内外のレースに参戦している若手のアスリートだ。前日の善光寺ラウンドトレイルで優勝していたという。


トレイルランナーの世界では超有名人という事で、飯野さんと一緒に記念写真を撮る。その後、二人はあっという間に先に行ってしまった。


戸隠山山頂から先は、怖い岩場はあまりないが、登山道の片側は垂直に切り立った断崖絶壁が続く。


下を見下ろすと、戸隠神社への参道や飯縄山、スキー場が良く見える。


その後もいくつかのアップダウンを繰り返すと、一不動避難小屋に着く。小屋からは、戸隠牧場に向けての下りとなる。


不覚にも、雪渓で滑ったときに力が入ってしまい、足が攣ってしまった。冷たい雪の上でしばらく立てなかった。


やっと立てるようになり、下っていくと、氷清水の湧き水で一息つくことが出来た。


その後も沢沿いの道を下り、岩盤をトラバースする。


岩が濡れているので、滑りやすい。


トラバースの後は、垂直に下る。


大きな岩がゴロゴロしている沢沿いの道を進む。


一枚岩の端で鎖を頼りに下っていく。すぐ横には、水がザーザーと流れている。




やっと戸隠牧場の入り口に着いた。ここまでくれば、足元もしっかりしていて、安全な道だ。


一面ニリンソウのお花畑だ。




牧場内のカフェ前まで来て、戸隠山を仰ぎ見る。あんなとこ良く歩いてきたなあと、みんな安堵のため息が出ていた。


無事下山のご褒美という事で、カフェでソフトクリームやケーキをいただく。


車に戻り、近くの戸隠神告げ温泉で戸隠そばをいただき、温泉に入って帰路についた。


15年前に登った時は、スリルがあって楽しかったという記憶しかなかったが、今回は、恐怖感も倍増で体も悲鳴を上げていたのがよく分かった。歳を取ったら、山は体力を過信せず、慎重に歩かなければと思った。

参考1.戸隠山の高低図&コースタイム


参考2.戸隠山のコースマップ

2024戸隠山:前半

2024-05-14 22:43:40 | 山登り
15年ぶりに戸隠山に登ることになった。戸隠山といえば、ギザギザとした山容が特徴の北信五岳の一つで上級者向けの山として有名だ。登山コースはバラエティに富んでおり、鎖場や岩壁のトラバース、さらに高さのあるナイフリッジなど、緊張感のあるコースばかりで命知らずの仲間たち8人で登ることになった。とはいえ、初めて登った時は、スリルはあったものの楽しく登った思い出しかなく、割と安易に考えていた。

前日の夜、高妻山登山者用無料駐車場に車を止め、車中泊して早朝に集まった仲間たちと共にさかさ川遊歩道からスタートする。


遊歩道の周りには、水芭蕉が咲き乱れ、尾瀬みたいな感じだ。




戸隠神社参道入口に到着する。


鳥居を通り抜ける。


杉並木の道を進む。


赤い隋神門を抜ける。


隋神門から見た参道は、一際神秘的な杉並木の参道だ。


隋神門の先は、神の宿る道。何かパワーを感じる。


戸隠神社「奥社」の参道は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いている。この祠は、JR東日本のCMで吉永小百合さんが入ったとされるが、現在は立ち入り禁止になっている。


奥社へと続く、最後の急坂を上る。


戸隠神社奥社で登山の安全を祈願する。


奥社のすぐ下には、八重桜が今頃になって咲いていた。


いよいよ、登山道に入る。初めからにして、いきなりの急登だ。


そして、鎖場がすぐに現れる。


結構高度感がある鎖場が続く。




その後も、いくつも鎖場が出てくる。


岩壁に沿った登山道に出ると、修験者が修行をしたような五十間長屋に出た。


その先には、刳り抜かれたような穴がいくつも並ぶ百間長屋に続く。


百閒長屋の先には、最初の雪渓が見えてきた。


もう雪はないものかと思っていたが、この辺りの山には、まだまだ雪が残っているのだ。


ふみ跡がしっかりついているので、特にアイゼンは必要ない。


その後も、鎖場がさらに続く。今までよりもさらに長く、高度差が大きい鎖場だ。




もう終わりかと思うと、まだまだ先にも鎖が続いている。


上から下を見ると、待っている仲間たちが小さく見える。


とにかく前へ前へと進むしかない。


息が絶え絶えになりながらも登り切った先は、蟻の塔渡りの入り口だった。


戸隠山の最も危険なスポット「蟻の塔渡り」をこれから攻略するのだ。


「2024戸隠山:後半」に続く。

2024神奈川・大山

2024-05-02 19:27:16 | 山登り
登山が初めてという人を連れて、神奈川の大山に登ってきた。1年半ほど前に登ったばかりだが、違うメンバーで行くのもいい。

ただ、天気予報が今ひとつで心配だったが、9時過ぎくらいから雨が上がるという事で、現地に向かった。しかし、現地に着くと霧雨状態が続いていた。雨合羽を着て、大山の登山口であるこま参道に向かう。


今回は、登山経験が少ないメンバーが多いので、最初からケーブルに乗り阿夫利神社下社まで一気に登ってしまう。


阿夫利神社下社で登山の安全を祈願して登山口に入る。登山口に入るといきなりの石段の急登だ。


大山登山道は1丁目から山頂の28丁目まで石柱が立っている。8丁目あたりに樹齢約600年の杉の大木があり、根本はひとつで2本の大木が寄り添うように伸びていることから夫婦杉と言われている。


登山道は、初心者には結構きつい上りが続いているが、ところどころに見どころがあり疲れを癒してくれる。14丁目には、ぼたん岩と呼ばれる球体の岩が見られる。


ぼたんの花に見えるというが、あまりよくわからないが、確かに球体らしき膨らみはわかる。


15丁目にある天狗の鼻突き岩。岩にこぶしが入るくらいの丸い穴が開いていて、これは天狗の鼻を突いてできた穴と言われている。


28丁目を過ぎると、やっと大山山頂1252mだ。


とりあえず、みんなで山頂記念写真。結局、雨はやまず、霧雨が続き、山頂からの景色も真っ白だ。


阿夫利神社本社そばに立つ「雨降木」と呼ばれるブナ。この木に常に露が滴っていたことから、「雨降山(阿夫利山)」と云われるようになったと伝えられている。


阿夫利神社本社周辺で昼食休憩をして、元来た道を下山する。


阿夫利神社下社まで戻ると、やっと雲が晴れてきて、湘南方面の海岸線や江の島が見えていた。


みんなきつい下りでばてた様で、帰りも阿夫利神社下社からケーブルに乗って下山となった。天気は今一つだったが、白い幻想的な登山道の中を歩いたことも、珍しい体験となったようでそれなりに楽しんでくれたようだ。

参考1.神奈川・大山の高低図とコースタイム


参考2.神奈川・大山のコースマップ

2024第5回箱根ガイリーン

2024-04-29 08:22:21 | 山登り
昨年末、アクシデントで予定したコースを歩けなかった箱根ガイリーンの続きをやっと終えることが出来た。箱根山の外輪山をぐるっと回る全長50キロのコースだ。

まずは、御殿場駅からバスで金時山登山口バス停まで行く。ちょうどゴールデンウィークの初日という事もあって、バスが渋滞にはまり30分ほど遅れてきたが何と乗れて、金時山登山口バス停に到着する。反対側から来た仲間とも合流し、11人のメンバーでスタートである。


別荘地内を進む。


金時山登山口に到着する。


急登を登りきると、矢倉沢峠に到着し、未踏破の箱根ガイリーンの続きが始まる。


笹原の気持ち良い道を進む。後ろを振り返ると金時山が見える。今回は、金時山にはいかず東回りだ。


ところどころ倒木があったりして、頭に注意。


火打石山988mを通過。


12時も回り、お腹が空いてきたので、明神ヶ岳手前の展望がいい場所でランチ休憩する。


休憩スポットの下の方を見ると、不安定な位置で止まっている岩が見えた。落ちそうで落ちない岩。名前でも付けば、このコースの見どころになると思う。


13時過ぎ、明神ヶ岳山頂1169mに到着。大涌谷が良く見える。


明神ヶ岳から下っていくと、前方に相模湾が見えてきた。山から海が見えるというのは、なかなかいい。


下りが続く。下った後は、また登りがあり次の明星ヶ岳を目指す。


防火帯になっている広い尾根道に入ると、明星ヶ岳山頂は近い。


明星ヶ岳山頂924mに到着。前回はここからスタートだった。


少し戻って、宮城野方面への分岐から下山する。下山途中からは、強羅の街並みや大涌谷など箱根の観光スポットが一望できる。


そしてこの辺りは、箱根大文字焼の火床となる斜面がある。


長い下り坂を降りていくと、宮城野の登山口だ。前回は、ここから登り明星ヶ岳を経由して箱根湯本まで歩いた。


しばらく林道を歩き、宮城野バス停に着くと、ちょうどバスが来て箱根湯本まで行くことが出来た。バスは超満員で、ずっと立ちっぱなしで山歩きしているより疲れた。


箱根湯本では、かっぱ天国という温泉に入ってから小田原に向かい、帰路についた。今回で、箱根ガイリーン全コースを完歩。またロングトレイルのコースを一つ制覇できた。

参考1.明神ヶ岳、明星ヶ岳の高低図&コースタイム


参考2.明神ヶ岳、明星ヶ岳のコースマップ

2024大札山

2024-04-22 21:34:41 | 山登り
久しぶりに県内の近場の山にしようという事で、川根方面から浜松市天竜区にある大札山に登ってきた。

大井川沿いに北上し、林道南赤石線に入り、三ツ星天文台の駐車場に車を止めてスタートする。


林道南赤石線をしばらく歩くと、車両通行止のゲートが出てくる。もう何年も前から通行止めが続いていてこの先へはマイカーでの通行が出来なくなっている。


30分ほどで南尾根登山口に到着する。


登り始めると、すぐに急登が始まる。




根が縦横無尽に張り出していて、結構歩きにくい。


尾根道だけあって、平らな部分は全くなく、ひたすら登り続ける。


やっと見晴らしがよく、ベンチのある休憩ポイントに着いた。


大井川が蛇行している様が良く見える。


しばしベンチで休憩する。


休憩ポイントからしばらく進むと、今回のお目当てのアカヤシオの花が見えてきた。


大札山では、4月中旬から下旬にかけてアカヤシオが咲き始め、多くの登山者で賑わう。予想通り、優しいピンクの花が満開となっていて、読みがズバリ当たった気分だ。




最後の急登を登りきると、大札山山頂1373.6mだ。


山頂から少し先の広場でランチ休憩とする。目の前には、アカヤシオと南アルプス前衛の山々が見える。




展望を楽しんだ後、元来た道を下山していく。登っている時は気付かなかったが、アセビの花もたくさん咲いていた。


そして、再びアカヤシオを見ながら下山。




登りはきつかったが、下りの方がもっと怖い。ゆっくりゆっくり下っていく。


迷路のような樹林帯の中で、ひょこっと顔出し。


南尾根登山口まであと僅かだが、気を抜けない登山道。


林道になれば、安心して歩ける。最後に上り坂を進めば駐車場だ。


無事駐車場に到着。スタート時には満車だった駐車場も、半分近くになっていた。


休憩を入れて往復5時間ほどで帰ってくることが出来た。その後、川根温泉で汗を流し、明るいうちに帰路につき、日帰り登山としてちょうどいい山だった。

参考1.大札山の高低図&コースタイム


参考2.大札山のコースマップ

2024京都トレイル西山コース&愛宕山登山

2024-04-19 18:38:13 | 山登り
京都市内から嵯峨嵐山駅に下車すると、観光客で賑わう嵐山の渡月橋に向かう。まだ8時過ぎなので人出は少ないが、見かけるのはほとんど外人ばかりだ。この辺りは何度も来ている場所だが、初めての人もいるので、とりあえずのスタート地点とする。


天竜寺の横を通り、竹林の小径に入る。


手入れされた竹林が道の両脇に続く、京都を代表する観光名所だ。いつの間にか、外人の観光客だらけとなっていた。


9時前に化野念仏寺に到着する。入り口で少し待って、9時の開門と同時に中に入る。


かつて風葬の地として知られていた化野で、弘法大師が野ざらしになっていた遺骸を集めて埋葬し、供養のために五智山如来寺を建立したのが始まりで、境内の「西院の河原」には、約8,000体の石仏・石塔が立ち並ぶさまは、他の寺院とは趣が大きく異なる。


有名な鮎料理の店「平野屋」「つたや」前に来ると、愛宕神社一ノ鳥居だ。京都トレイルの西山コースは、鳥居前を左折して六丁峠方面に向かう。


六丁峠までのキツイ上りを終えると、一気に下り坂となる。


坂を下りきると、清滝川と嵐山を流れる桂川が合流する地点に到着する。


清滝川沿いに設けられた遊歩道を進む。


沈下橋を渡り、反対側に向かう。


この先、素晴らしい渓谷の絶景が続く。水の流れも美しい。


細い滝も流れ、涼しげだ。


赤い橋 「渡猿橋」が見えてきた。


渡猿橋の前で集合写真。


愛宕神社二の鳥居に到着。いよいよここから愛宕山への本格的登山スタートだ。


登りだして1時間ほどで見晴らしのいい場所に出た。嵐山方面が良く見える。


落語のお題の一つである「愛宕山」には、カワラケ投げというくだりがある。たいこもちの一八をお供に連れて京へ来た旦那が、芸者衆を連れて愛宕山へ登り、かわらけ(土器)投げを始めるのだが、ここがその舞台という事になっている。現在、愛宕山ではカワラケ投げは行われていないのだが、ここに来ると、落語の「愛宕山」が頭に浮かんできてしまう。


近年まで水尾の女性が樒(しきび・仏壇やお墓にお供えする植物)を背負って水尾から愛宕神社まで登り、神前に供えてから販売したという花売り場の小屋跡が見えてきた。


さらに進むと、黒くて立派な門が出てきた。その名も黒門といい、かつて存在した白雲寺の門で、愛宕神社の門ではない。かつては神仏習合だった愛宕山の名残だという。


こちらが愛宕神社の門だ。


急な石段を登りきると、全国各地にある愛宕神社の総本宮に到着だ。


ここが愛宕山の山頂924mとなる。火伏・防火に霊験のあらたかな神社として知られ、京都の人にとっては信仰の厚い寺で「愛宕さん」の愛称で呼ばれ、年中参拝者の絶えない所である。「伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さんへは月参り」と言われ、数千回も登っている人もいるという。


若宮、奥宮にも参拝してから、石段の下の広場まで下り、ランチ休憩をする。休憩場所からは、大文字山などの東山をはじめ京都市内が一望できる。

お腹が一杯になったところで、元来た道を一気に下山。往復4時間ちょっとの登山だったが、いささかペースが速すぎた。もう少しゆっくり山を楽しんでも良かったかもしれない。


参考1.愛宕山の高低図&コースタイム


参考2.愛宕山のコースマップ

2024大和三山登山

2024-04-16 17:55:23 | 山登り
大和三山とは、橿原市に位置する天香具山(あまのかぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)の三山をいう。奈良盆地中央にぽっかりと浮かぶように並んでいて、北に耳成山、東に天香久山、西に畝傍山がある。いずれも高さ200mにも満たない小さな山だが、姿が美しく、神話や伝説が豊富である。古代の人々は畝傍山を女性、他の2つの山を男性と考え、畝傍山をめぐって耳成山と天香久山が争ったという話が伝えられている。

先週末、大和八木駅をスタートして、近鉄の線路沿いに耳成山に向かって歩き出す。


耳成山の登山口に到着する。登山口には、耳成山にまつわる伝説などが書かれている。


10分もかからず、耳成山山頂140mに到着する。山名は、円錐形の美しい山容からで、余分なところがない=耳がないから転じたという由来がある。


山頂から少し下ったところにあるのは、耳成山口神社。


神社の中には、大和三山の絵が掲げられている。明日香村方面から見た絵で、3つの山が、盆地の中にぽっかり浮かんでいる様子が分かる。


神社を参拝した後、参道を歩いて下山する。


耳成山からは南に下り、天香具山方面に向かう。住宅地を抜けると広大な空き地が広がり、桜並木が見えてきた。


旗が出ているところで、わらび餅や団子を買い、桜の木の下でお花見休憩する。


北の方を眺めると、最初に登った耳成山が見える。


休憩した場所は、大和三山に囲まれ、日本で初めての本格的な都であった藤原京の藤原宮跡だ。


ここには、持統天皇が即位して8年目に藤原宮に遷都した年に詠まれた歌の歌碑が建てられている。「春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山」は、実に有名な歌だ。


レンゲ畑も広がっている。


藤原宮跡から東方向に向かうと、天香具山の登山口だ。


歩き出して数分で天香具山山頂152mに到着する。山頂近くには、国常立神社(くにとこたちじんじゃ)がある。


山頂は、なだらかな丘のようになっていて、どこが山頂か分からないが、表記板が付けられている場所で集合写真を撮る。


お昼を過ぎていたので、山頂前の広場でランチ休憩する。


下山は別ルートで下る。麓には、天岩戸神社がある。


天岩戸神社の本殿はないのだが、注連縄で封印された先には4つの巨岩が横たわっている。日の神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)が隠れた天岩戸と言われる巨石がご神体だ。天岩戸は日本の各地にあり、それぞれの地域で信じられているのだろう。


天香具山からは西方向に向かい、畝傍御陵駅を通り抜け、神武天皇御陵に寄っていく。


大和地方を平定した初代天皇である神武天皇の墓。玉砂利を敷き詰められた参拝道をすすむと正面に鳥居があり、静かで荘厳な雰囲気の場所だ。


橿原神宮の境内に入り、若桜友苑を通って畝傍山の登山口に入る。


若桜友苑からのルートは岩場が多く急登だが、それほど危険な場所はなく、大和三山の中では一番登り概のある山だ。


30分もかからず畝傍山山頂199mに到着する。


下山は、緩やかなルートを選ぶ。このあたりもまだ桜が咲いていた。


畝傍山下山のあと、最後に寄ったのは、橿原神宮。御祭神に、第一代天皇の神武天皇と皇后を祀る、格式高い神社だ。畝傍山の麓に約53万㎡もの広大な神域をもち、豊かな緑に包まれた境内には清々しい空気が漂っている。大和三山登山の最後は“日本のはじまりの地”といわれる「橿原神宮」が締めくくりだ。


橿原神宮に祀られる神武天皇の一生が境内の中に描かれている。内容を読んでいくと、神武天皇は45歳の時、宮崎から瀬戸内海を抜け大阪難波に上陸。しかし生駒の豪族に行く手を阻まれ、そのまま南下し熊野に入った。そこで3本足の「八咫烏」に出会い導かれ、吉野の険しい山を越えて大和に入り、周辺の勢力を従え大和地方を平定した。これが神武東征だ。そして紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)、橿原宮にて52歳で即位し、初代天皇となった。以降70年以上にわたる治世の後、古事記では137歳、日本書紀では127歳でお隠れになられたと記されていて、長命の天皇だったことを知る。


大和三山踏破を終え、橿原神宮駅から桜井駅まで移動。その後、三輪まで歩き、この日の宿となる町家ゲストハウス三輪に泊まる。三輪神社の麓に、木の香り漂う「檜風呂」を持つ非日常的な時間が流れているゲストハウスだ。


夕食が付いていないので、宿の紹介で隣にある焼鳥屋「鳥敏」で夕食をする。酒場放浪記で有名な吉田類さんもべた褒めのお店だった。


参考1.大和三山の高低図&コースタイム


参考2.大和三山のコースマップ