今日は、グレートトラバース2でお馴染みの田中陽希さんの講演会だった。1昨年、日本百名山人力一筆書き踏破を成し遂げ、昨年は日本二百名山人力一筆書き踏破を成し遂げたプロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんが、今までの山旅を350人の聴衆を前にして裏話満載の興味深い話を語ってくれた。早いうちに、講演会があることの情報を知り、ラン友、山友に情報を流したところ、会場に着いたら、見慣れたメンバーが大勢来ていてビックリだった。みんな、こんな偉大な挑戦者の話は、またとない機会とばかりに参加してくれたのだと思う。
講演会場の前のテーブルには、陽希さんが山旅の途中で使ったグッズがずらりと並べられていた。テレビでよく写っていたあのオレンジ色のヘルメットもあった。持ってみると、ものすごく軽いのに丈夫そうな硬さがあり、かなり優れもののヘルメットだった。やはり、プロは、軽くて丈夫というのに、相当こだわっているというのがよくわかった。
その他、シュラフ、手袋、地図、ストック、非常食、帽子等山好きには気になるグッズが、溢れんばかりに並べられていた。地図には、陽希さんが記入したコースタイムやメモが几帳面に書かれていた。計画は緻密で慎重に練っていたというのがよくわかる。誰もが簡単に成し得ないことをやるという事だから、多くの人からの期待がかかっている。それ故に、決して失敗はできないという重圧もあったはずである。それだけに事前の準備を万全にしていた事は、見習わなければいけない。
そして、足元にはおびただしい数の登山靴が置かれていた。8000キロを踏破するということは、一体どれほどの靴を消費したのだろうか?
グッズ類をひととおり見終わる頃、講演会が始まった。陽希さんが後ろの入口から入ってくると、周りのファンから握手を求められてしまい1列で終わることなく他の席も回りだし、熱心にファンサービスを行っていたのが印象的だった。人気に奢ることなくファンを大切にしている人柄がよく滲み出ていた。
さて、講演会の内容といえば、二百名山を踏破した時のいろんな裏話があった。今回のグレートトバラース2では、全行程222日で8000キロを歩いたという。1日平均40~50キロを歩いた計算になる。しかも、その40~50キロというのも平地だけではなく山の中の距離が入っている。山の中を10キロ歩くだけでもとんでもない距離に思えるから、その凄さは、前人未到の距離と言わざるを得ない。
北海道では、ヒグマの恐怖に怯えながら大声を上げて林道を歩いたり、獣臭を間近に感じたり、ヒグマの糞を見つけたりと、北海道の奥深さを感じたという。幸い、ヒグマに遭遇することはなかったというが、撮影スタッフは、ヒグマを見ていたというから決して出会わないということはないのだ。北海道の山に行くときは、ヒグマとの接近遭遇を十分考慮しておく必要性を改めて感じた。
さて、陽希さんの山旅は、基本的には一人旅というスタイルだ。撮影スタッフが常時付いているのかと思っていたが、長い林道歩きやロードの場合は、スタッフは先に車で移動し、次に登る山の映像を先に撮っていたという。撮影スタッフは黒子に徹し直接の触れ合いは、あえてしなかったというから一人旅のスタイルは徹底していたらしい。孤独を感じる時もかなりあったというが、見た事のない大自然を満喫したり、綺麗な高山植物に癒されたり、里に下りて人の痕跡を見つけたときは嬉しさを感じたという。この辺りは、私も一人で山旅に出かけたときは、まさしく意を得たりという思いがある。陽希さんほどの人でも、自分と同じような思いで山に登っていたのだとわかると何だか嬉しい。
またテレビでも見て知っていたが、旅の間にいろんな場所で、楽しく食事をしていた話もあった。カツ丼が好きで、百名山の時に立ち寄ったお店に二百名山の時も再び寄って食べていったら、その店でヨーキさんの食べたカツ丼を注文する客が激増していたとか。また、マグロ丼を注文したら、山盛りいっぱいのマグロにさすがの陽希さんも、追加サービス分がでたらはげんなりして食べられなかったとか。そして、意外にもスイカアレルギーだとかでたくさん食べると、口の中が痒くなるそうだ。何とも可哀想な…。
テレビやネットなどで大々的に報道され、タレント並みに有名になっていくことで、大勢の人から見られる視線や声に戸惑う話は、特に頷ける話だった。最初は、応援してくれる人たちがいることで力を得ていたが、疲れている時でも多くの人たちの声に応えなければいけないと無理していた時の映像もよく知っている。一日に何十人、何百人の人と接していたら、本来のスケジュールに影響が及ぼすことは必至だ。荷物になる差し入れ、サイン、記念撮影の要請も断りたくなる気持ちもよくわかる。それでも、長い旅の間に、そんな応援者との距離感を克服し、人との出会いを大切にしていこうという気持ちを大事にしていこうというふうに思う様になっていったというのが、凄い。あの若さで、そこまでの意識改革ができたというのが、なかなか我々には真似できないことである。普通の人では体験できない事をわずか数年でやり遂げてしまったからこそ達観できる境地なのだろう。
今年の元旦、九州の佐田岬に夕日を見ながらゴールしたあと、もう歩かなくていい。車に乗って何時間もかけて歩いてきた道を短時間で移動できるという喜びに包まれたという。やっぱり彼も、人の子だったのだとちょっぴり安心した。そして、その後当分休みたいと思ったそうだが、旅の事を書物にまとめていくうちに、まだまだ歩き足りないといいう気持ちが湧いてきているそうだ。日本の自然は美しい。季節が違えば、同じ場所でも違う風景が見られる。山だけではなく、川や湖、海もある。この次も、三百名山になるのか、はたまた別の企画を考えているのか、詳しいことは語らなかったが、何かをやろうとしていることは間違いないようだ。これからも、田中陽希さんが何をやるのか楽しみになってきた。何をやるにしろ、我々に夢と希望を与え、日本の自然の美しさを伝えようとしてくれる彼の活動には目が離せない。
講演会は1時間ほどで終了し、数人からの質疑応答の後、参加者を交えての集合写真の撮影があった。3回に分け、陽希さんを中央にしてみんなで記念写真を撮る。
(公式FBより)
その後、出口では一人ひとりと握手をしてくれるなど、ファンサービスもまめにこなすタフガイであり、人懐こく気さくな人柄がよくわかった。トータルで2時間ほどの講演会であったが、全く飽きることがなく、あっという間に終わってしまった。もっともっといろんな話を聞きたかったと心から思った。
講演会の後、仲間たちと昼食をした後別れたが、帰りに乗った電車を見てビックリした。地元のローカル線「遠州鉄道」は通称“赤電”と呼ばれているが、そのとき乗った車両は、全体が青くまさに“青電”だった。最近、この“青電”が1日に数回走っているらしい。初めて見たが、今日はなんだかいい日になったようだ。
講演会場の前のテーブルには、陽希さんが山旅の途中で使ったグッズがずらりと並べられていた。テレビでよく写っていたあのオレンジ色のヘルメットもあった。持ってみると、ものすごく軽いのに丈夫そうな硬さがあり、かなり優れもののヘルメットだった。やはり、プロは、軽くて丈夫というのに、相当こだわっているというのがよくわかった。
その他、シュラフ、手袋、地図、ストック、非常食、帽子等山好きには気になるグッズが、溢れんばかりに並べられていた。地図には、陽希さんが記入したコースタイムやメモが几帳面に書かれていた。計画は緻密で慎重に練っていたというのがよくわかる。誰もが簡単に成し得ないことをやるという事だから、多くの人からの期待がかかっている。それ故に、決して失敗はできないという重圧もあったはずである。それだけに事前の準備を万全にしていた事は、見習わなければいけない。
そして、足元にはおびただしい数の登山靴が置かれていた。8000キロを踏破するということは、一体どれほどの靴を消費したのだろうか?
グッズ類をひととおり見終わる頃、講演会が始まった。陽希さんが後ろの入口から入ってくると、周りのファンから握手を求められてしまい1列で終わることなく他の席も回りだし、熱心にファンサービスを行っていたのが印象的だった。人気に奢ることなくファンを大切にしている人柄がよく滲み出ていた。
さて、講演会の内容といえば、二百名山を踏破した時のいろんな裏話があった。今回のグレートトバラース2では、全行程222日で8000キロを歩いたという。1日平均40~50キロを歩いた計算になる。しかも、その40~50キロというのも平地だけではなく山の中の距離が入っている。山の中を10キロ歩くだけでもとんでもない距離に思えるから、その凄さは、前人未到の距離と言わざるを得ない。
北海道では、ヒグマの恐怖に怯えながら大声を上げて林道を歩いたり、獣臭を間近に感じたり、ヒグマの糞を見つけたりと、北海道の奥深さを感じたという。幸い、ヒグマに遭遇することはなかったというが、撮影スタッフは、ヒグマを見ていたというから決して出会わないということはないのだ。北海道の山に行くときは、ヒグマとの接近遭遇を十分考慮しておく必要性を改めて感じた。
さて、陽希さんの山旅は、基本的には一人旅というスタイルだ。撮影スタッフが常時付いているのかと思っていたが、長い林道歩きやロードの場合は、スタッフは先に車で移動し、次に登る山の映像を先に撮っていたという。撮影スタッフは黒子に徹し直接の触れ合いは、あえてしなかったというから一人旅のスタイルは徹底していたらしい。孤独を感じる時もかなりあったというが、見た事のない大自然を満喫したり、綺麗な高山植物に癒されたり、里に下りて人の痕跡を見つけたときは嬉しさを感じたという。この辺りは、私も一人で山旅に出かけたときは、まさしく意を得たりという思いがある。陽希さんほどの人でも、自分と同じような思いで山に登っていたのだとわかると何だか嬉しい。
またテレビでも見て知っていたが、旅の間にいろんな場所で、楽しく食事をしていた話もあった。カツ丼が好きで、百名山の時に立ち寄ったお店に二百名山の時も再び寄って食べていったら、その店でヨーキさんの食べたカツ丼を注文する客が激増していたとか。また、マグロ丼を注文したら、山盛りいっぱいのマグロにさすがの陽希さんも、追加サービス分がでたらはげんなりして食べられなかったとか。そして、意外にもスイカアレルギーだとかでたくさん食べると、口の中が痒くなるそうだ。何とも可哀想な…。
テレビやネットなどで大々的に報道され、タレント並みに有名になっていくことで、大勢の人から見られる視線や声に戸惑う話は、特に頷ける話だった。最初は、応援してくれる人たちがいることで力を得ていたが、疲れている時でも多くの人たちの声に応えなければいけないと無理していた時の映像もよく知っている。一日に何十人、何百人の人と接していたら、本来のスケジュールに影響が及ぼすことは必至だ。荷物になる差し入れ、サイン、記念撮影の要請も断りたくなる気持ちもよくわかる。それでも、長い旅の間に、そんな応援者との距離感を克服し、人との出会いを大切にしていこうという気持ちを大事にしていこうというふうに思う様になっていったというのが、凄い。あの若さで、そこまでの意識改革ができたというのが、なかなか我々には真似できないことである。普通の人では体験できない事をわずか数年でやり遂げてしまったからこそ達観できる境地なのだろう。
今年の元旦、九州の佐田岬に夕日を見ながらゴールしたあと、もう歩かなくていい。車に乗って何時間もかけて歩いてきた道を短時間で移動できるという喜びに包まれたという。やっぱり彼も、人の子だったのだとちょっぴり安心した。そして、その後当分休みたいと思ったそうだが、旅の事を書物にまとめていくうちに、まだまだ歩き足りないといいう気持ちが湧いてきているそうだ。日本の自然は美しい。季節が違えば、同じ場所でも違う風景が見られる。山だけではなく、川や湖、海もある。この次も、三百名山になるのか、はたまた別の企画を考えているのか、詳しいことは語らなかったが、何かをやろうとしていることは間違いないようだ。これからも、田中陽希さんが何をやるのか楽しみになってきた。何をやるにしろ、我々に夢と希望を与え、日本の自然の美しさを伝えようとしてくれる彼の活動には目が離せない。
講演会は1時間ほどで終了し、数人からの質疑応答の後、参加者を交えての集合写真の撮影があった。3回に分け、陽希さんを中央にしてみんなで記念写真を撮る。
(公式FBより)
その後、出口では一人ひとりと握手をしてくれるなど、ファンサービスもまめにこなすタフガイであり、人懐こく気さくな人柄がよくわかった。トータルで2時間ほどの講演会であったが、全く飽きることがなく、あっという間に終わってしまった。もっともっといろんな話を聞きたかったと心から思った。
講演会の後、仲間たちと昼食をした後別れたが、帰りに乗った電車を見てビックリした。地元のローカル線「遠州鉄道」は通称“赤電”と呼ばれているが、そのとき乗った車両は、全体が青くまさに“青電”だった。最近、この“青電”が1日に数回走っているらしい。初めて見たが、今日はなんだかいい日になったようだ。