とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

田中陽希さん講演会in浜松

2016-04-30 22:05:52 | いろいろ
今日は、グレートトラバース2でお馴染みの田中陽希さんの講演会だった。1昨年、日本百名山人力一筆書き踏破を成し遂げ、昨年は日本二百名山人力一筆書き踏破を成し遂げたプロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんが、今までの山旅を350人の聴衆を前にして裏話満載の興味深い話を語ってくれた。早いうちに、講演会があることの情報を知り、ラン友、山友に情報を流したところ、会場に着いたら、見慣れたメンバーが大勢来ていてビックリだった。みんな、こんな偉大な挑戦者の話は、またとない機会とばかりに参加してくれたのだと思う。

講演会場の前のテーブルには、陽希さんが山旅の途中で使ったグッズがずらりと並べられていた。テレビでよく写っていたあのオレンジ色のヘルメットもあった。持ってみると、ものすごく軽いのに丈夫そうな硬さがあり、かなり優れもののヘルメットだった。やはり、プロは、軽くて丈夫というのに、相当こだわっているというのがよくわかった。


その他、シュラフ、手袋、地図、ストック、非常食、帽子等山好きには気になるグッズが、溢れんばかりに並べられていた。地図には、陽希さんが記入したコースタイムやメモが几帳面に書かれていた。計画は緻密で慎重に練っていたというのがよくわかる。誰もが簡単に成し得ないことをやるという事だから、多くの人からの期待がかかっている。それ故に、決して失敗はできないという重圧もあったはずである。それだけに事前の準備を万全にしていた事は、見習わなければいけない。


そして、足元にはおびただしい数の登山靴が置かれていた。8000キロを踏破するということは、一体どれほどの靴を消費したのだろうか?


グッズ類をひととおり見終わる頃、講演会が始まった。陽希さんが後ろの入口から入ってくると、周りのファンから握手を求められてしまい1列で終わることなく他の席も回りだし、熱心にファンサービスを行っていたのが印象的だった。人気に奢ることなくファンを大切にしている人柄がよく滲み出ていた。

さて、講演会の内容といえば、二百名山を踏破した時のいろんな裏話があった。今回のグレートトバラース2では、全行程222日で8000キロを歩いたという。1日平均40~50キロを歩いた計算になる。しかも、その40~50キロというのも平地だけではなく山の中の距離が入っている。山の中を10キロ歩くだけでもとんでもない距離に思えるから、その凄さは、前人未到の距離と言わざるを得ない。

北海道では、ヒグマの恐怖に怯えながら大声を上げて林道を歩いたり、獣臭を間近に感じたり、ヒグマの糞を見つけたりと、北海道の奥深さを感じたという。幸い、ヒグマに遭遇することはなかったというが、撮影スタッフは、ヒグマを見ていたというから決して出会わないということはないのだ。北海道の山に行くときは、ヒグマとの接近遭遇を十分考慮しておく必要性を改めて感じた。

さて、陽希さんの山旅は、基本的には一人旅というスタイルだ。撮影スタッフが常時付いているのかと思っていたが、長い林道歩きやロードの場合は、スタッフは先に車で移動し、次に登る山の映像を先に撮っていたという。撮影スタッフは黒子に徹し直接の触れ合いは、あえてしなかったというから一人旅のスタイルは徹底していたらしい。孤独を感じる時もかなりあったというが、見た事のない大自然を満喫したり、綺麗な高山植物に癒されたり、里に下りて人の痕跡を見つけたときは嬉しさを感じたという。この辺りは、私も一人で山旅に出かけたときは、まさしく意を得たりという思いがある。陽希さんほどの人でも、自分と同じような思いで山に登っていたのだとわかると何だか嬉しい。

またテレビでも見て知っていたが、旅の間にいろんな場所で、楽しく食事をしていた話もあった。カツ丼が好きで、百名山の時に立ち寄ったお店に二百名山の時も再び寄って食べていったら、その店でヨーキさんの食べたカツ丼を注文する客が激増していたとか。また、マグロ丼を注文したら、山盛りいっぱいのマグロにさすがの陽希さんも、追加サービス分がでたらはげんなりして食べられなかったとか。そして、意外にもスイカアレルギーだとかでたくさん食べると、口の中が痒くなるそうだ。何とも可哀想な…。

テレビやネットなどで大々的に報道され、タレント並みに有名になっていくことで、大勢の人から見られる視線や声に戸惑う話は、特に頷ける話だった。最初は、応援してくれる人たちがいることで力を得ていたが、疲れている時でも多くの人たちの声に応えなければいけないと無理していた時の映像もよく知っている。一日に何十人、何百人の人と接していたら、本来のスケジュールに影響が及ぼすことは必至だ。荷物になる差し入れ、サイン、記念撮影の要請も断りたくなる気持ちもよくわかる。それでも、長い旅の間に、そんな応援者との距離感を克服し、人との出会いを大切にしていこうという気持ちを大事にしていこうというふうに思う様になっていったというのが、凄い。あの若さで、そこまでの意識改革ができたというのが、なかなか我々には真似できないことである。普通の人では体験できない事をわずか数年でやり遂げてしまったからこそ達観できる境地なのだろう。

今年の元旦、九州の佐田岬に夕日を見ながらゴールしたあと、もう歩かなくていい。車に乗って何時間もかけて歩いてきた道を短時間で移動できるという喜びに包まれたという。やっぱり彼も、人の子だったのだとちょっぴり安心した。そして、その後当分休みたいと思ったそうだが、旅の事を書物にまとめていくうちに、まだまだ歩き足りないといいう気持ちが湧いてきているそうだ。日本の自然は美しい。季節が違えば、同じ場所でも違う風景が見られる。山だけではなく、川や湖、海もある。この次も、三百名山になるのか、はたまた別の企画を考えているのか、詳しいことは語らなかったが、何かをやろうとしていることは間違いないようだ。これからも、田中陽希さんが何をやるのか楽しみになってきた。何をやるにしろ、我々に夢と希望を与え、日本の自然の美しさを伝えようとしてくれる彼の活動には目が離せない。


講演会は1時間ほどで終了し、数人からの質疑応答の後、参加者を交えての集合写真の撮影があった。3回に分け、陽希さんを中央にしてみんなで記念写真を撮る。

(公式FBより)

その後、出口では一人ひとりと握手をしてくれるなど、ファンサービスもまめにこなすタフガイであり、人懐こく気さくな人柄がよくわかった。トータルで2時間ほどの講演会であったが、全く飽きることがなく、あっという間に終わってしまった。もっともっといろんな話を聞きたかったと心から思った。

講演会の後、仲間たちと昼食をした後別れたが、帰りに乗った電車を見てビックリした。地元のローカル線「遠州鉄道」は通称“赤電”と呼ばれているが、そのとき乗った車両は、全体が青くまさに“青電”だった。最近、この“青電”が1日に数回走っているらしい。初めて見たが、今日はなんだかいい日になったようだ。



『沈まぬ太陽』山崎豊子/著

2016-04-28 19:00:39 | 読書
沈まぬ太陽 文庫 全5巻 完結セット (新潮文庫)
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山崎豊子といえば、『白い巨塔』『華麗なる一族』『大地の子』『沈まぬ太陽』等、実在する事件や社会問題、権力の暗部などを扱った作品が多く、代表作のほとんどが映画化やドラマ化されている大ベストセラー作家だ。作品の名前を聞けば、ほとんどの人が聞いたことがあるはずで、作品を読んでいる人も多いだろう。

今まで、このような大ベストセラー作品は、あえて読んでこなかった私だが、『沈まぬ太陽』が、来月からWOWOWで開局25周年記念として全20話で放送されることになったと知って驚いた。この作品は、日本企業の労使問題や日航機墜落事故を一つのモデルとして描かれたもので、作品発表当時は日本航空の反発が大きく、2009年に映画化されたものの完成させるまでは、大変な苦労があったらしい。ましてや、テレビドラマ化なんてスポンサーのシガラミがある民放では、まず映像化不可能だとさえ言われていたという。それが、全20話という長さで、完全ドラマ化されるというのは凄い。こういった社会派ドラマを積極的に制作しているWOWOWのドラマは、良質な作品が多いのも事実だ。

まだ、ドラマの放送は先だが、やはり原作を改めて読んでみたいと思い、第1部の「アフリカ編」から読み始めている。なぜ最初が、アフリカというと、主人公の恩地元が、アフリカに左遷され象狩りをしているところから始まるからだ。国民航空ナイロビ営業所に勤務する恩地は、なぜアフリカにいるようになったかが、回想形式で描かれる。恩地は、国民航空の労働組合委員長として友人の副委員長の行天四郎とともに、死亡事故が起きるほど劣悪な労働環境の改善を目指し経営陣と激しく対立する。その結果、組合委員長に任期を終えたあと、「現在の流刑」にも等しい左遷人事に晒されカラチ、テヘラン、そしてナイロビへと海外の僻地に足掛け8年に亘る海外赴任が続いている。その間、母親と死別、家族と別れる等、不遇なサラリーマン生活が続くが、友人の行天四郎は、価値観の違いから恩地と袂を分ち出世街道を進んでいく。信念を曲げずに生きていくことが、いかに大変なことかという事を思い知らされる内容だ。

第2部「御巣鷹山篇」では、国民航空機が起こした「国航ジャンボ機墜落事故」の遺族対応係として家族を事故によって失った人々へ誠実に対応する恩地の姿と遺族の悲しみが描かれ、第3部「会長室篇」では、国民航空の再生措置として関西の紡績会社会長、国見正之が会長に据えられる。国見会長は誠実に仕事をこなしてきた恩地を会長室の部長に抜擢する。恩地は会社の上層部と戦い、社内の腐敗体質の様子が描かれていくという。

全て読み終わったわけではないが、サラリーマンにとっては、非情でやりきれない内容が続くようだ。決してハッピーエンドでは終わるような話ではないだろうが、現代の私たちに「働くこと」「生きること」の意義を問いかけるものになるに違いない。WOWOWでは、恩地元を上川隆也、行天四郎を渡部篤郎が演じ、その他豪華キャストが出演する。一通り原作を読み終えた上で、ドラマを楽しんでみたいと思っている。

2016奥熊野いだ天ウルトラマラソン

2016-04-27 22:06:52 | マラソン
24日の午前3時50分、ホテル浦島にジャンボタクシーが迎えに来てくれた。ホテル浦島に泊まったランナーをスタート地点まで送ってくれるサービスだ。玄関前まで来てくれるので非常にありがたい。

タクシーは、我々を熊野那智大社前まで送ってくれた。駐車場で手荷物を大会のトラックに預け、那智の滝まで歩いて移動する。真っ暗な参道を降りていくと、目の前にライトアップされた那智の滝が見えてきた。那智の滝は、日本一の水量と落差を誇る和歌山の世界遺産だ。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。その大きさと美しさは一見の価値がある。集まっているランナーたちも、その豪快な滝の流れに息を飲んでいた。


やはり、滝をバックに記念写真を撮る。


大会事務局から送られてきた護摩木に、各自祈願したい事を書いてきていたので、護摩壇の中に投げ入れる。何を祈願したかというと、もちろん完走である。


那智の滝は、単なる滝ではなく、飛瀧神社のご神体として崇められる対象となっていて、この先には入ることができない。


茶娘の二人も合流し、もう一度スタート前の記念写真だ。


午前5時、滝を背にして100キロの長い旅が始まった。これから約7キロ上り坂が続く。


20分もすると明るくなり、白い霧のかかる山道をぐんぐん登っていく。


5:30。那智山見晴台に到着する。天気が良ければ、熊野灘などが展望できるらしいが、辺りは真っ白で全く景色は見えない。


頂上を越え下り道に差し掛かる頃、雲が切れ山並みがよく見えるようになってきた。


山の中を、何度も上り下りしているうちに青空も出てきた。美しい棚田の間を通り抜けていく。




何回目の坂か忘れてしまったが、長島スパーランドや富士急ハイランドのジェットコースターに例えられた坂道を登る。あまりにもきつい傾斜に脹脛が悲鳴を上げそうだ。


その後も、厳しいコースが続き、写真を撮る気力もなくなっていた。とにかく前に前にと進むことだけ考えてゴールを目指した。84キロあたりからの最後の7キロの上りが特に応えた。1キロ1キロが長くて遠い。やっと頂上を越えたときは、本当にホッとする。しかし、その後の下りも早くは走れない。それでも、ゆっくりでもとにかく走ることに専念して前に進んだ。ゴールの補陀洛山寺が見えた時は、本当に嬉しかった。応援の人たちの声援も暖かく、久々に100キロのゴールに目頭がジーンと熱くなっていた。平安衣装に扮した女性の持つテープを切って13時間47分でゴールする。


この1年、関門に引っかかることばかりで100キロを完走したことがなかったので、久しぶりに制限時間内で完走できたことは、本当に嬉しい。今年になって、いろいろトレーニングを積み重ねてきた成果があがったものだと思いたい。


しかし、今回のコースは噂にたがわずきついコースだった。大会の翌日、翌々日とも筋肉痛で、動き回るのもやっとな状況でいた。三日目を過ぎ、何とか普通の状態に戻ってきたところだ。

参考1.今回のコースマップ(SUUNTOで記録:バッテリー切れのため96キロ辺りまで)


参考2.今回の高低図(SUUNTOで記録:バッテリー切れのため96キロ辺りまで)

三重県 鬼ヶ城&花の窟神社

2016-04-26 22:52:42 | 観光
23~25日まで、奥熊野いだ天ウルトラマラソンに参加するため出かけていたので、ブログはしばらくお休みしていた。マラソンは和歌山県で行われたのだが、初日は通り道にある三重県の観光地に寄り道していく。

昔は、和歌山県というと高速が繋がっていなくて車で行くには不便な地域というイメージがあったが、今は、紀勢自動車道、熊野・尾鷲自動車道ができ、完全に繋がっていないものの道は広くて走りやすく、車で行くのも楽になった。熊野・尾鷲自動車道の熊野大泊ICを出るとすぐに鬼ヶ城(おにがじょう)という景勝地がある。

鬼ヶ城は、2004年7月7日「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産に登録され、熊野灘の荒波に削られた大小の海蝕洞が約1.2km続く凝灰岩の大岸壁である。鬼ヶ城センターに車を止め、鬼ヶ城の遊歩道入口に入っていく。


遊歩道に入るとすぐに「マブリカ」という説明看板が有り、トトロみたいな彫刻の説明だと思ったが、よく見ると先に見える小さい島“魔見ヶ島”の事だった。一体このトトロは何だったのだろう。


この先がいよいよ鬼ヶ城だ。


岩の先が割れ、まるで大きな魚が口を開けているかのように見える。今にも、魚に喰らわれそうだ。


急激な地盤の隆起のあとが見られる海岸線の遊歩道を進む。


岩穴を通り抜ける。


中に入ると、天井部分には蜂の巣状の風蝕跡が見られ床面は板のように平らかな棚となっている。ここは千畳敷と呼ばれ鬼ヶ城のいちばんの見所である。


下の方には、数段に分かれた岩盤が見える。大昔の大地震ごとに隆起したものだという。


千畳敷は、こんな大岩を持ち上げる男がいた。


千畳敷の先は、猿戻りと言われる場所だ。猿も怖がって戻ってしまうような場所で付いた名前らしい。できれば、その先も行ってみたかったが、平成27年7月17日に通過した台風11号の被害により千畳敷以降の遊歩道は通行止めとなっている。


猿戻りから千畳敷を眺めてみる。これだけでも驚嘆すべき自然の造形美だ。


大岩に登って、その険しさを象徴するかのような自然の造形を味わう。


鬼ヶ城からしばらく南下すると、「花の窟神社」がある。花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵だと言われている。ここも「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されている場所で、日本書紀にも記されている日本最古の神社ともいわれている。


岩窟の上には、日本一長いともいわれている約170mの大綱が御神体から境内南隅の松の御神木まで渡されている。


熊野市は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に、花の窟神社を組み込んで「熊野四山」とすることを提案しているというが、果たしてどうなるのであろうか?いずれにせよ、熊野詣でに興味があるなら、花の窟神社を外すことはできない。


2箇所観光してから、この日の宿である那智勝浦の「ホテル浦島」に到着する。帰るのを忘れさせてくれるという“忘帰洞”等5種類のお風呂を楽しめる巨大ホテルだ。まずは、高低差77m、全長154m、傾斜角度が30度ある「スペースウォーカー」という本館と山上館をつなぐ長~いエスカレーターに乗って、「遙峰の湯」に入りに行く。


その後も、一番有名な洞窟風呂“忘帰洞”などにも入浴し、温泉三昧する。お腹もすいたころ夕食となり、マグロ解体ショーを見ながらバイキングを楽しんだ。




翌日は、本来の目的である「奥熊野いだ天ウルトラマラソン」への参加だ。スタート時間が早いので早々に寝床に入った。

「2016奥熊野いだ天ウルトラマラソン」に続く。

ナンバープレートの秘密

2016-04-22 21:08:16 | 
今月のJAFMateには、ナンバープレートに纏わる蘊蓄がいろいろ載っていた。今更、読んでも代わり映えしないことしか書いてないと思っていたが、意外と知らない事が数多く載っていたので、一通りまとめてみた。

まず、自動車の種別による分類番号は、今更教わるまでもなくよく知っている内容だ。仕事で交通量の調査などをやった時にも、車種分類をやっているのでこの辺りは、問題ない。一応、挙げておくと、
1.大型トラック
2.バス
3、5,7.乗用車
4,6.小型トラック
8.特殊自動車
9.大型特殊自動車
0.大型特殊自動車のうち建設機械
である。

また、プレートの色が、白は自家用の乗用車、黄は自家用の軽自動車、緑は営業用、黒は軽自動車の営業用となり、この辺りもだいたい知っていることである。

次に、ひらがなの付け方であるが、これは、よく知らなかった。自家用の場合、普通車と軽自動車で使い分けられているようだ。特に「あいうえ、かきくけこ、よ、を」については、軽自動車のみで、普通車には使わないことになっているという。したがって普通車には、このふりがなは付いていないはずだ。また、レンタカーには“わ”が付いているのは常識だったが、“れ”もあるらしい。何でも、レンタカーが多い沖縄では、“れ”が使われているとか。

ただし、ひらがなも全て使われているわけでもなく、“お”、“し”、“へ”、“ん”は使われていない。理由は、以下のとおり。
“お” “あ”と形が似ていて、視覚的に誤認される恐れがある。
“し” 縁起が悪い文字を連想させる。
“へ” 『おなら』を連想してしまうことを考慮。
“ん” 発音しづらい。

さて、ナンバープレートの数字にも欠番がある。末尾2桁が“49”と“42”である。やはり、語呂が悪いということから使われない。しかし、「希望ナンバー制」に基づいて所有者が申請したものであれば“49”も“42”もその限りではないらしい。でも、わざわざそんな番号付ける人いるのかな?

希望ナンバーのランキング上位は、一桁だと、やはり“1”、“3”、“5”、“8”が多く、4桁だと“2525”、“1122”、“8888”等が多いという。みんな考えることは似ているようだ。その他、個性的なオリジナルナンバーの例が一杯載っており、今後自分の車に希望ナンバーを付ける場合には、参考になりそうなものがいくつもあった。

2016明日香村古代遺跡巡りマラニック:後半

2016-04-21 19:29:47 | マラソン
飛鳥寺のすぐ東側には、飛鳥座神社がある。読み方は普通に“あすかざじんじゃ”だと思っていたが、フリガナを見ると“あすかにいますじんじゃ”となっていた。面白い読み方だなあと笑えてしまった。帰ってから調べてみたら、“あすかに います”ではなく“あすか にいます”と切るようだ。つまり「座」を“にいます”と読むらしい。日本語は難しいものだ。


これは「力石」。男性は左手で、女性は右手で持ち上げられると願いが叶うという。私もやってみたが、左手で上げるのは大変。でも何とか持ち上げることができた。


飛鳥座神社本殿。この時は、よく知らなかったのだが、帰ってからこの神社のことを調べたら、大変面白い神社だったことがわかった。境内には多種多様な奇石が安置されており、その中には古代の性器崇拝の名残と思われる陰陽石や、異様な姿をした人型の石像などがあったらしいのだ。また、毎年2月の第一日曜には、ここを訪れる客の層がいささか変化する。それは、この日が天下の奇祭・おんだ祭が行われる日だ。祭りは、五穀豊穣を願う御田植神事と夫婦和合の儀式が行われるという。何でも、その内容は凄いものらしい。そんな事を知っていたら、もっと神社の中をよく見ておくべきだった。


12:22。大伴夫人の墓前を通過。藤原鎌足の母の墓とされる円墳である。


大伴夫人の墓の近くには、藤原鎌足公の産湯の井戸がある。


12:45。万葉文化館に到着し、その横にあるレストランで昼食とする。ずっと調子が悪かったヒロボーさんも春限定のスーパードライを飲むと元気が出てきたようだ。


13:20。万葉文化館から少し歩くと、亀形石造物がある。これも謎の石造物の一つである。亀の形をした窪みに、水が溜まる仕組みになっている。亀形石槽のすぐ南側には小判形の水槽、さらに南側にこれら石造物に水を供給していたと思われる湧水施設があり、政治を占う施設とか、身を浄める場所とかさまざまな説が唱えられている。


ちょうど、近くにボランティアのガイドがいて、そのあたりの話を細かく説明してくれた。


13:34。竹やぶの中を進んでいくと出てくるのが酒船石だ。宇宙人のメッセージを思わせるような模様が特徴で、数ある謎の遺跡の中でも最も興味が沸く謎の遺跡である。お酒を搾るのに使ったとか、薬を使うのに使ったとか色々な説があるという。


13:43。岡寺に到着する。本尊は天平時代作で女性の厄除け観音として信仰を集めている如意輪観音坐像で、わが国最大の塑像と言われている。また、西国三十三カ所観音霊場の第7番札所でもあるのだ。どうりで立派な山門である。


立派なお寺だけに、仁王門前で記念写真。


境内にはいると美しい庭園と白壁の建物が、まるで大正ロマネスクの雰囲気を彷彿させられた。


本殿から奥の院にかけての山の斜面は、シャクナゲ園となっている。ちょうど開花時期に当たり、シャクナゲの花が一面に咲き乱れていた。




山の上からは、本殿や境内がよく見える。


境内の一番高い場所にあるのが三重塔。鎌倉様式の色鮮やかな塔だ。


14:38。明日香村では、最も有名なスポットである石舞台古墳に到着する。6世紀頃、巨石30個を積み上げて造られた石室古墳で、その規模は日本最大級である。盛土が失われて、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼ばれている。この巨大古墳が誰の墓なのかは不明であるが、付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓ではないかと言われている。


2週間くらい前なら、この辺りも満開の桜で囲まれていたかもしれない。


石室の中に入ってみると、その大きさに圧倒される。高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6mで、石の総重量は推定2,300tもあるというのだから、これだけの物を古代人がどうやって作ったかというのも興味が沸く。


15:10。飛鳥川にかかる玉藻橋を渡る。


玉藻橋のすぐそばにあるのがマラ石だ。解説板によると“明日香村にある謎の石造物の一つ。男性器を模したもので本来は真っ直ぐに立っていたともいわれている。地元では、飛鳥川をはさんだ対岸の丘陵を「フグリ山」と呼び「マラ石」と一対のものと考える説もある。子孫繁栄や農耕信仰に関係した遺物と考えることもできよう。”と書かれている。




さらに南に向かって進むと、美しい稲渕の棚田が広がっているのが見えた。秋には黄金色に輝く稲穂と彼岸花のコントラストが楽しめるという。


この辺りを走っていると、日本の里山風景っていいなと改めて思い起こさせられる。


この稲渕の棚田の先にいくと、飛鳥川に大きな綱がかけられていた。しかも、真ん中には、妙な飾りが見える。


一体何だろうと近くにいた地元の人に聞いてみると、その綱は、「男綱」といい、男性のシンボルを模したものだという。石舞台など明日香中心部からの悪疫を防ぐのが稲渕の男綱の意味で結界を表しているそうだ。また、さらに2キロ先の栢森集落には「女綱」がかけられ、稲渕からの悪疫を防ぐ意味があるそうだ。


15:30。「男綱」から少し先にある「飛石」まで行って戻る。どこにでもあるような飛石ではなく、古代から飛鳥川に石を渡して橋として使ったもので、万葉歌にも数多く詠まれたものだという。


稲渕の棚田を見ながら山を一つ越える。


16:00。田んぼの中を進み、見えてきたのが文武天皇陵だ。


そして、すぐ近くにあるのが有名な高松塚古墳だ。


16:20。閉館時間ぎりぎりで、高松塚壁画館に入る。ここには、高松塚古墳より発見された石槨内部の模型と、永久保存が図られている高松塚古墳の出土品(模造)や壁画の模写が展示され、国宝に指定されている側壁の男女人物像、四神、日月や天井部の星宿図が、鮮やかに再現されている。


16:40。飛鳥駅に無事ゴール。走行距離は18.5キロとマラニックとしてはかなり短い距離だが、見どころ満載でとても時間が足りなかった。有名なポイントは、ほぼ網羅したつもりだが、まだまだ寄りきれなかった場所も多い。まさに、明日香村は、古代歴史ロマンの宝庫である。古代史に興味がある人には、是非ともお勧めしたい場所だ。


参考:今回のコースマップ


飛鳥駅ゴール後は、健康福祉センターたちばなの「太子の湯」に入ってから帰路に着く。吉野山と明日香村を駆け抜けた二日間のマラニックだったが、短い距離にも関わらず一日一日満喫できた旅になった。

2016明日香村古代遺跡巡りマラニック:前半

2016-04-20 19:45:07 | マラソン
ペンションの食事は、やはりパンとサラダ、卵、フルーツ、コーヒーが出る洋食だ。パンは、一人あたり2つだったが、食欲あるランナーばかりなので、それでは足らず当然おかわりを頂く。


おしゃれなペンションらしく、コーヒーのスプーンは、桜模様だ。


9時。ペンションの前で写真を撮ってから歩いて飛鳥駅に向かう。


9:10。飛鳥駅前からマラニックがスタートする。


9:20。すぐに吉備姫王墓に到着する。


吉備姫王墓の中には、猿石(さるいし)と呼ばれるユニークな人面石像が4体ある。猿みたいだが、実際は渡来人を象ったものであるといわれている。左から『女』『山王権現』の愛称が付いている。


さらに左には、『僧(法師)』『男』と愛称がつけられているが、誰が何の為に作ったのか全くなぞで、歴史ミステリーとなっているそうだ。


吉備姫王墓の奥には、欽明天皇陵がある。とにかく明日香村には、天皇陵がいたる所にあるのだ。


吉備姫王墓に着いた時から雨が降り出し、しばらく雨具を着て走る。


9:30。鬼の雪隠に到着する。謎の石造物に見えるが、実は古墳の石室の蓋石(雪隠)だと言われており、すぐ上にある床石(俎)と対であったらしい。伝説によると、鬼が付近を通る旅人を俎の上で料理し、雪隠(トイレ)で用を足したと言われている。


こちらが鬼の俎。近年の研究によると、天智天皇の第一皇子で持統天皇の実弟・建王(たけるのみこ)と、建王の祖母・斉明天皇がここに合葬された可能性が高いとされている。


鬼の俎から先に進むと、天武・持統天皇陵がある。大海人皇子(即位後に天武天皇)とその皇后である持統天皇の合葬墓である。


坂を下り、横を眺めてみると、いかにも小高い丘の上にあり、立派な古墳だというのがよくわかる。この頃には、雨も上がり青空となってきた。


9:50。亀石に到着する。昔むかし、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻と、ここ川原の間にけんかが起こった。長いけんかのすえ、湖の水を当麻にとられてしまい、湖に住んでいたたくさんの亀は死んでしまったという。何年か後に亀をあわれに思った村人達は、亀の形を石に刻んで供養した。今は、亀は南西を向いているが、もし西を向き大麻をにらみつけたとき、大和盆地は泥沼になるという。ちょっと怖い伝説が残っている。


10:05。田んぼの中を進んでいくと突如橘寺に着いた。この寺は、聖徳太子誕生の地であり、太子自身の創建とされる。この橘とは田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求め、海を渡りある種を持ち帰った。しかし、その時すでに天皇は亡くなり、しかたなく、その種をこの地にまくと芽が出たのが橘(みかんの原種)であったという。以来この地を橘と呼ぶようになったそうだ。


太子堂と呼ばれる本堂。中に安置されている本尊は聖徳太子35歳の像(重文)で太子の彫刻としては最も古いものである。


太子堂の横にある二面石。背中合わせの二つの顔はそれぞれに人の心の善悪を象徴しているという。


右が善の顔、左が悪の顔。それにしても飛鳥は不思議な石が多い。
 

境内の奥まで行くと、中の建物内でお茶会をやっているので是非寄っていって欲しいと寺の人から誘われる。ちょっと場違いな場所に来てしまったのではと、躊躇していたが、しきりに誘われるので、中に入ってみた。


和服の女性が点ててくれた抹茶を頂く。


他のメンバーも神妙に抹茶を頂く。


生花は、明日香橘流という流儀らしい。周りは、礼服を着た人ばかりでマラニックの格好がなんだか浮いてしまっていたが、寺の人が快く受け入れてくれたのがありがたかった。


天井には、美しい花の天井絵がはめ込まれている。


10:45。橘寺を出て、川原寺跡を通り抜ける。


菜の花が咲く小高い丘を上がっていく。


丘を通り抜けると車道に出る。


車道の向こうは、甘樫丘だ。甘樫丘は明日香村の西の端にあり北東から南西に横たわる丘陵である。二つの展望台があり、北東部にあるのが甘樫丘展望台で、中央部にあるのが川原展望台である。


甘樫丘展望台から東の方向を見下ろせば、飛鳥の集落、飛鳥坐神社の森、その背後に両手を広げたように御破裂山が立ちはだかっている。


北の方向を見れば、天香具山、円錐形の耳成山が見え、橿原市の市街地の向こうに大和盆地が広がっている。のどかな田園風景が広がり景色がいい場所だ。


11:27。甘樫丘を通り抜け、水落遺跡まで来る。ここは、古代の漏刻とされる遺跡である。漏刻とは、容器に水が流入(流出)するようにして、その水面の高さの変化で時をはかる時計のことだ。つまり水時計である。


のどかな田園風景の中を、ぐるっと回る。


11:40。看板や標識が何もなかったが、これが蘇我入鹿首塚だ。飛鳥寺の境内を西に抜けたところに立つ五輪塔である。大化の改新のとき、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された時の権力者・蘇我入鹿の首がそこまで飛んできたとか、襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたともいわれている。


飛鳥寺の西の入口から境内に入る。飛鳥寺は、飛鳥の代表的なお寺の一つであり、596年蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺だ。


本尊の飛鳥大仏が祀られている。これも日本最古の大仏で、ありがたいことに写真撮影OKとなっている。


飛鳥寺の東の入口。こちらからは、バスや車の観光客がたくさん入ってくる。


「2016明日香村古代遺跡巡りマラニック:後半」に続く。

2016吉野山お花見マラニック:後半

2016-04-19 19:07:27 | マラソン
奥千本桜を眺め、先へと進む。手前の山肌は、伐採され木がなくなっているが、あらたに桜の苗が植樹され、10年も経てば見事な桜に育つはずだ。


苔清水の先にある広場にも、背の高い古木の桜が植わっている。太陽の日差しを受けてキラキラと花が光っているようだ。


西行法師や芭蕉のお気に入りだったという静かな森の間を行く。


さらに進んでいくと、「従是女人結界」という石標が出てくる。ここより先は、山上ヶ岳などに続く修験道の大峯奥駆道である。女性はこの先には進んではいけないことになっているのだ。


我々は、分岐から青根ケ峰を目指す。11:36。ほどなく、吉野山の最高峰青根ケ峰858mに到着する。展望のない山頂だが、大勢のハイカーで賑わっていた。


下山すると、青根ケ峰を回るように静寂の道を行く。しばらくすると、「源義経隠塔」があった。源義経が身を隠していたとされる伝説の場所で、現在は修験者の修行場として利用されているという。「吉野なる深山の奥のかくれ塔 本来空のすみかなりけり」。


12:10。金峯神社入口の修行門まで戻ってきた。ちょうど入口には売店が出ていて、お腹も減っていたことだし、ちょっと鮎の塩焼きとビールを頂いていく。


帰り道は、高城山展望台を通っていく。緑の若葉が美しい。


高城山展望台からは、近畿のマッターホルンともいわれる秀麗な山容を誇る高見山が見えた。登山意欲をそそられる山だ。


桜並木の向こう側には、『金剛山~大和葛城山~二上山』と続くダイヤモンドトレイルの山々が見渡せる。


風が吹くと、桜吹雪が舞っていく。


高城山展望台から下っていくと、シロヤマザクラがまさに満開だ。


このあたりは、今回のハイライトかも知れない。奥千本の最後の見所だった。




花矢倉の分岐から、細い山道を下っていく。観光客は少なく、静かなハイキングコースだ。


13:20。如意輪寺に到着する。




お昼をまわりお腹が大分すいてきたので、境内にある食事処で一休みだ。こちらは、Uさんが頼んだ桜もちとお茶のセット。


まずは、吉野特産桜天然酵母ビールで乾杯。


その後、焼きたてのピザを5人で分け合う。


如意輪寺の裏山には、後醍醐天皇御陵がある。後醍醐天皇の意思により、京都に対する願いを表すために、天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっており、「北面の御陵」として有名だという。


如意輪寺の山門を抜け、シャガの咲く道をどんどん下っていく。


散り始めた桜も、このあたりが見納めだ。


15時すぎ、無事駐車場に到着する。15キロほどのコースだったが、見所いっぱいで十分楽しむことができた。吉野駅で、日帰りのMさんと別れ、飛鳥駅でK子さんと別れる。飛鳥駅では、ちょうど吉野山がラッピングされた電車が通り抜けていった。


吉野千本桜の見頃としては、4月2週目~3週目の間だろう。今度は、下千本、中千本、上千本が満開の時をぜひ見てみたいものだ。

参考1:今回のコースマップ(YAMAPで記録)


参考2:今回の高低図(YAMAPで記録)


明日香村に移動後、飛鳥駅近くのペンション「飛鳥」に泊まる。駅から歩いて3分くらいの場所にあり、明日香村観光には最適の場所にある。


こちらは、ペンションの夕食風景。ピアノの自動演奏が有り、おしゃれな雰囲気の宿だった。


この日のメニューだ。前菜のサラダと、スープ
 

ステーキ、ライスとデザートのケーキ、コーヒー。
 

「2016明日香村古代遺跡巡りマラニック:前半」に続く。

2016吉野山お花見マラニック:前半

2016-04-18 22:06:37 | マラソン
吉野の千本桜といえば、全国的にも有名で、「死ぬ前に一度はみておきたい絶景」の一つである。そして、奈良県では、もう一つ明日香村の遺跡巡りも楽しい。その両方を贅沢に楽しんで見て回りたいと思い、1泊2日のマラニックを計画した。1日目の吉野山は8人、2日目の明日香村は、6人で走って回る。

金曜日の夜出発して、道の駅で仮眠する。車内に4人、テントで2人が寝ることになったが、この日の奈良の気温は、温度変化が激しい。明け方は、1~2℃位に気温が下がっていた。幸い、私は寝袋を2枚重ねで寝たので、震えることもなかった。

6時半ころ道の駅を出発し、近鉄吉野駅近くの駐車場に車を停める。まだ、時間が早かったせいか、管理人がおらず一番乗りだった。駐車料金1500円と書いてあったが、誰もいないのでそのまま停めて吉野駅に向かう(帰りには、しっかり駐車料金をとられた)。

近鉄吉野駅で、関西の仲間と落ち合うことになっているが、まだ早いので止まっている電車を見ていく。


午前8時、メンバーが集まり、駅前でスタート前の写真を撮って、いざ吉野山へと出発する。


駅から少し歩くと、ケーブルカーの千本口駅がある。


ケーブルカーには乗らずそのまま脇の歩道を進む。


下千本のエリアでは、もう桜は散ってしまい、緑の葉が生き生きと咲き出していた。


七曲の坂の所々には、咲いている桜もある。


赤い橋を渡り先へと進む。この頃から観光客が増えてきた。


茶店の裏山には、真っ赤なシャクナゲが咲いている。このあたりの桜は終わっているが、シャクナゲが目を楽しませてくれる。




8:26。黒門に到着する。金峯山寺の総門で、昔は公家大名といえども槍を伏せ、馬をおりて歩いたといわれている。


黒門からの急坂を登りつめると、「銅の鳥居」がある。正しくは発心門といい、行者たちはここから向こうを冥土と見たて、ひとつ門をくぐるごとに俗界を離れて修行する決心を強めていくという。


金峯山寺の 仁王門が見えてきた。国宝だというが、大修理の予定があって、現在は足場で囲まれていて、全貌がよく見えず残念。


金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王堂。金峯山寺は吉野山のシンボルであり、修験道の総本山である。蔵王堂は、東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築で、蔵王権現像(重文)3体がまつられている。この日は、蔵王堂秘仏ご本尊特別ご開帳の時期にあたり、高さ7mにもおよぶ金剛蔵王大権現を見ることができた。その圧倒的な迫力に声を失うくらいだ。


蔵王堂を見てから、三重塔の南朝妙宝殿に寄っていく。


このあたりからは、中千本になる。


桜本坊という宿坊に寄ってみる。小ぶりの可愛い仁王様がお出迎えだ。


枝垂れ桜と八重桜がいい感じで咲いていた。


上千本に入ってきたが、やはりほとんどの桜は散ってしまっている。


最盛期は、山全体が桜で埋まっているのだろうと想像しながら山を上がっていく。


10:09。吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)に到着する。葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに大和国四所水分社の一つとして古くから信仰され、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めている。


社殿は豊臣秀頼が再建したもので、本殿、拝殿、弊殿、楼門、回廊からなる桃山時代の美しい建築だ。


いよいよ奥千本のエリアに入っていく。


10:30。金峯神社の鳥居修行門に着く。


伐採された場所からは、遠くの山々がよく見える。


境内を歩いていくと、この辺りは桜が見頃である。奥千本まで来てよかった。


急坂を下っていくと、まさに吉野らしい千本桜の風景が広がっていた。


10:54。『西行庵(さいぎょうあん)』があった。こよなく花を愛した平安~鎌倉時代の歌人「西行」が庵を結び、この地で3年を過ごしたとされる場所である。


11:05。奥千本の一番いい場所で記念撮影。


まさに、奥千本は一番のお花見最盛期だった。普段はここまで訪れる人は少ないというが、この日は多くの観光客で賑わっていた。


11:10。苔清水に到着する。「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな」と西行が詠んだといい、清らかに澄んだ湧水がとくとくと流れている。


「2016吉野山お花見マラニック:後半」に続く。

2016年本屋大賞受賞作の予約が激増

2016-04-15 19:27:51 | 読書
12日に2016年本屋大賞の発表があった。
結果は、以下のとおりだ。

大賞 『羊と鋼の森』 宮下奈都(著)
2位 『君の膵臓をたべたい』住野よる(著)
3位 『世界の果てのこどもたち』中脇初枝(著)
4位 『永い言い訳』西川美和(著)
5位 『朝が来る』辻村深月(著)
6位 『王とサーカス』米澤穂信(著)
7位 『戦場のコックたち』深緑野分(著)
8位 『流』東山彰良(著)
9位 『教団X』中村文則(著)
10位 『火花』又吉直樹(著)

1月にノミネート作品が発表された時、面白そうと思った6作品をまず図書館の予約をしておいた。
予約してあるのは、『羊と鋼の森』『永い言い訳』『朝が来る』『王とサーカス』『流』『教団X』だ。
その時点でも、『朝が来る』がダントツの人気だったのは、静岡本屋大賞を受賞していたからだろう。
それ以外では、『王とサーカス』『流』『教団X』等の人気が特にあった。
やはり、既に売れ行きがダントツだった『火花』や『朝が来る』は、あえて書店員が推さなかったのは理解できる。
ただ、『羊と鋼の森』が大賞になるとは思いもよらなかった。

残念ながら、まだどれも読めていない。
しかも、『羊と鋼の森』は、大賞の発表の後、予約数が急増している。
12日の発表前と比べると3日間ほどで4倍くらいに増えているのだ。
さすがに本屋大賞のPR効果は大きいものである。
書店でも、山積み状態になっているはずだ。
どの作品も、手元に来るのは、まだまだ数ヶ月先になりそうだ。