とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2019白馬雪遊びツアー:エイブル白馬五竜を滑る

2019-02-27 18:58:00 | スキー
常宿のペンションの玄関前で集合写真を撮り、2方向に分かれ解散する。


スキーをやらないチームは、栂池高原に最近オープンしたウィンターアクティビティのテーマパーク「白馬つがいけSNOW WOW!」に遊びに行ったらしい。こちらも楽しそうだが、我々のチームはやはりスキー三昧がメインだ。この日は、エイブル白馬五竜で滑ることにした。

この日の天気も最高で、最初からゴンドラとリフトで最上部まで足を延ばす。リフトから滑り出すと、まさに北アルプスの絶好の展望台だ。雪を被った後立山連峰の山並みに圧倒される。真正面には、五竜岳の武田菱がくっきりと見える。菱形が4つ並んだ形は、武田家の紋章と同じであることから武田菱と呼ばれているのだ。


武田菱の五竜岳をバックに記念撮影する。




ここ数年前から白馬のゲレンデは、外国人だらけだが、今シーズンは特に中国人が多くなっていると聞いていたが、山頂ゲレンデでも中国語が飛び交っており、中国人のカップルが、雪山をバックに写真を取り合っていた。


少し北側に目を転ずれば、白馬三山(白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳)も、こんなに大きく見える。


山頂ゲレンデは、雪質が良くなだらかな斜面で初心者でも滑りやすい。


エイブル白馬五竜のゲレンデを半日目いっぱい楽しんで滑り、帰路についた。大分気温が上がり、行きも帰りも道路の雪は全くなく車の運転は楽だったが、3月になったら雪がだいぶ減ってしまうのじゃないかと心配になった。

2019白馬雪遊びツアー:栂池高原雪の祭典

2019-02-26 19:08:20 | 観光
スノーシューは午前中で終わりなので、午後は岩岳スノーフィールドでスキーを楽しむ。15時半くらいまで滑り、温泉に入ってからペンションに戻り夕食だ。この日は、昨年と同様、栂池高原スキー場で「雪の祭典」というイベントがあるので、19時過ぎ、元気のあるメンバーで栂池高原に向かう。

駐車場に車を止め、会場に歩いて向かうと、道路の脇に積み上げた雪の中に明かりが灯されていた。幻想的な風景で、雪国に来たという雰囲気がよく伝わってくる。




「雪の祭典」会場に入ると、既に大勢の人たちが集まり、実行委員会の挨拶が始まっていた。


鏡開きが行われ、振舞い酒や甘酒が配られた。その後、ご当地アイドル「パラレルドリーム」の登場だ。半袖の薄着の衣装で登場している子もいて、見ている方が寒々としてしまうが、一生懸命歌と踊りで盛り上げてくれた。




そして、舞台でのイベントが終わると、今度はゲレンデが舞台となる。まずは、地元ちびっ子たちのペンライト滑走だ。小学生くらいの子供たちがペンライトを持って可愛く滑ってくる。




地元の子供たちは、さすがに滑るのが上手だ。観客から大いに喝采を受けていた。


いよいよ、この日のメインイベントとなる、たいまつ滑走がスタートする。


松川響岳太鼓が鳴り響く中、大勢のスキーヤーやボーダーが一斉に滑るたいまつ滑走は壮観である。


次は、スキー学校のデモンストレーターによるデモンストレーション。華麗な滑りに圧倒される。


サイレンを鳴らしながら雪ぞりを引っ張ってきたのは、パトロール隊だ。一緒に滑っているのは、アイスでおなじみのガリガリ君とガリ子さんだ。


雪ぞりの中からなんだか煙がモコモコ湧き出している。


煙はドライアイスだったようで、ガリガリ君がガリガリ君アイスを観客に向けて投げこんできた。


我々のメンバーも、アイスをいくつもゲットする。歳をとっても、こういうものをもらうだけで嬉しいものだ。ただ、さすがにスキー場でアイスを食べるというのも寒すぎるので、近くにいた子供たちにすべてあげることにした。


次にゲレンデ上部からやってきたのは、朝早くから、ゲレンデを気持ちよく滑られるようにしてくれている圧雪車によるピステンパレードだ。連なって降りてくる姿は迫力満点!間近で動く圧雪車を見ることが出来るのは、この日だけの限定プログラムである。




最後は、一番のお待ちかね冬の花火打ち上げの始まりだ。スポンサー提供の花火や、メモリアル花火が打ち上げられる。メモリアル花火では、男性から女性へのプロポーズの言葉と共に打ち上げられた花火もあった。




松川響岳太鼓と花火の協演やスターマイン・10号玉花火等の打ち上げもあり、冬の花火大会は大いに盛り上がった。




1時間半ほど夜のゲレンデにいると、さすがに寒くなった。イベント会場を出て、早々にペンションに戻る。ペンションでは、カードゲームで遊び、雪のシーズンの白馬を楽しんだ。


「2019白馬雪遊びツアー:エイブル白馬五竜を滑る」に続く。

2019白馬雪遊びツアー:スノーシューツアー

2019-02-25 20:00:18 | 山登り
今年も、白馬でスノーシューを履いて雪山をトレッキングしてきた。今回は、岩岳スノーフィールドの「ねずこの森」を歩くことになった。10人のメンバーのうち7人が参加する事になり、岩岳のゴンドラに乗って山頂に集合する。


我々メンバーと他の参加者3人も集まり、10人の参加者でスノーシュートレッキングの開始だ。ガイドの人と共に「ねずこの森」に向かう。


ねずこの森スノーシューコース入り口の看板を見てコースの中に入っていく。


ブナやネズコが立ち並ぶ森は、霧に包まれ幻想的な雰囲気だ。


ブナの木の前で、ガイドさんの説明を聞く。ブナは水を吸い上げるので、雪解けの頃は幹の中を水が流れる音が聞こえるとか、幹に触るとひんやりして冷たいという話を聞く。


シラカバの幹には「への字」の黒い線が刻まれている。これはかつて枝が出ていた箇所を示している。シラカバは紙状にはがれる白い樹皮をもっているが、枝が出た所では樹皮にひずみができ黒い皺になる。枝が枯れ落ちた後もこの「への字」は消えることがないので、おなじみの白い樹皮に黒の紋様が現れるのだ。白樺かどうかは、この「への字」があるかどうかで判断できるというわけだ。


「ねずこの森」の霧が晴れてきて、空が明るくなってきた。


雪面に動物の足跡が、付いていた。ウサギとキツネの足跡だという。とくにウサギは足跡の間隔が大きいので、走るスピードがかなり速かったのだろうというガイドさんの説明だった。ちょっとしたことで何でも分かってしまうので、さすがだなあと思った。


こちらは、カモシカの足跡。雪山を歩くといろんな動物が動き回っているのがよくわかる。


晴れてきて、踏み跡のない雪面を歩くのが気持ちよくなってきた。


東屋のあるところで、休憩だ。この辺りで積雪2mくらいだろうか。


みんなで集合写真。


こちらは、中国人のグループ。中国の会社の社員旅行らしい。旗のイラストは、筋斗雲に乗って日本に飛んできたというイメージだ。


クロベ(黒檜)の前で、ガイドさんの説明を聞く。クロベは、別名ネズコと呼ばれ、この森の名前になった。冬でも葉が落ちることなく、緑の葉が茂っている。樹皮は赤褐色で艶があり、葉は鱗状葉。花は藍色で5月頃に咲く。耐腐朽性が高く、建築・器具材に利用される。黒部という地名も、クロベの木があることからきているそうだ。


クロベ(ネズコ)の幹の上に立つKさん。この雪の積もり方は、例年と比べると少ないらしい。


ブナの木の枝に付いているモヤモヤとした塊は、ヤドリギだ。


急斜面は、尻セードで滑り降りる。雪が固く締まっているせいでうまく滑れない。


スノーシューの後は、ハクバマウンテンハーバーの雄大な展望テラスで絶景を楽しむ。残念ながら、白馬三山は、雲の中だった。


「2019白馬雪遊びツアー:栂池高原雪の祭典」に続く。

2019熊本城マラソンツアー: 4日目島原&太宰府天満宮観光

2019-02-24 19:09:35 | 観光
朝8時過ぎ、雲仙温泉から山を下り、島原市内へと向かう。最初に寄ったのが道の駅「みずなし本陣」だ。ここは、雲仙普賢岳噴火による土石流災害の爪跡を保存した『土石流被災家屋保存公園』に隣接した道の駅である。入り口にある航空写真を見ると、土石流が流れた様子がよくわかる。


写真を見てから土石流被災家屋保存公園の中に入っていく。


この公園は土石流災害で被害に遭った家屋を後世に伝える為、保存・公開している施設で、当時、被害に遭った被災家屋11棟を当時の状況のまま保存(1棟は移築)しているそうだ。




この公園周辺は約2.8~3mほど土砂物で埋没したが、土砂物の流れてくるスピードが緩やかだった為、倒壊はせずそのまま土砂物に埋もれてしまっている。それにしても驚くべき土砂の量だ。


建物の中にも被災家屋が保存されており、自然がひとたび牙をむくと人間の力ではどうしようもないことがよくわかる。これらの家屋の住民は、事前に避難勧告が出ていたので、幸い全員無事だったという。


次に寄ったのは、島原城だ。ちょうど雨が酷くなってきたので、急いで城内の見学をすることにした。


島原城は江戸時代に松倉重政によって築かれた城である。天草四郎を総大将とするいわゆる「島原の乱」では一揆軍の攻撃を受けたが、現在は城跡公園として整備されている。1964年(昭和39年)に復元された天守は見事な層塔型天守で、最上階の廻縁からは有明海や雲仙岳を眺めることができる。


島原を出ると、そのまま福岡空港へ向かう予定だったが、時間に余裕があった事と、同行したKさん達のたっての希望で、福岡の太宰府天満宮まで足を延ばすことになった。車を近くの駐車場に止め、参道を歩いていく。


太宰府天満宮の入り口だ。


天満宮の入り口には、「使いの牛」がたたずんでいる。「使いの牛」とは、「神使(=神様の使者)の牛」という意味で、ご祭神菅原道真公のお使いと言われている。古くから、傷や病気の箇所をさすると回復するとの言い伝えがあるということで、牛の体をさする人が絶えない。


境内の梅がちょうど見ごろになっている。


これから本殿にお詣りだ。


天神さま(菅原道真公)をお祀りする全国約12,000社の総本宮だけに、大勢の人で賑わっている。


見事なしだれ梅。


太宰府天満宮の本殿の前には、紅梅と白梅が植えられている。このうち、向かって右側にある白梅が、「飛梅(とびうめ)」と名付けられた梅で、樹齢は1000年を超えるとされている。


菅原道真が左大臣藤原時平の讒言(ざんげん)によって大宰府に左遷されるとき、邸内の梅の木に「こち吹かば匂(にお)い起こせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだので、その梅の木が天満宮に飛んだという伝説がある。


ついでに大宰府政庁跡まで足を延ばす。


ここは、平城京、平安京に次ぐ、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)の跡である。7世紀後半、大和朝廷は那の津の官家(みやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して、九州を治め、我が国の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)とした。その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものであり、南北22条、東西24坊の都市計画があったという学説がある。万葉集には"遠の朝廷(みかど)"と詠まれ、その規模をしのばせる立派な礎石が残り、そこを中心に門や回廊、周辺の役所跡等が整備されて、現在は公園となっている。




その後は、そのまま福岡空港まで直行し、4日間の旅が無事終わった。4日間盛りだくさんのスケジュールだったが、無事こなすことができ大満足の旅だった。

2019熊本城マラソンツアー: 3日目雲仙温泉観光

2019-02-23 18:27:27 | 観光
雲仙岳を下山してから雲仙温泉に向かう。宿のチェックインまでには時間があるので、少し観光していく。最初に寄ったのが、雲仙ビードロ美術館だ。ここは、外国から長崎、そして日本へと広まっていった“ビードロ”の工芸品を展示する全国的にも珍しい美術館である。


ビードロとは、もともとポルトガル語で、ガラスを意味する。ちなみにギヤマンはダイアモンドを意味する言葉だったのだが、 転じて、ビードロは吹きガラス、ギヤマンはダイアモンドで加工するカットグラスなどの工芸品のことになったそうだ。


美術館内は撮影禁止なので、これ以上の写真はない。一通り見終わってから、雲仙温泉にある温泉神社に向かう。最初は、ふつうに「おんせんじんじゃ」と読んでいたのだが、本当は「うんぜんじんじゃ」と読みのだそうだ。ちなみに雲仙温泉は「うんぜんおんせん」と読んでいいらしい。


温泉神社という名の神社は島原半島の各地に点在し、雲仙岳周辺には4か所温泉神社が創建されていたことから「温泉四面神」「温泉四面大明神」とされ、地元では「おしめんさん」と呼ばれる神社。そんな温泉神社の総本山が、雲仙温泉の中心にあるこの温泉神社なのだ。


社殿の脇には、寄り添うように立つ大きな柿の木がある。樹齢は200年を超えるとされる立派なこの柿の木は温泉神社のパワースポット「夫婦柿」だ。寄り添うように立つ姿から「夫婦柿」は恋愛成就・子孫繁栄にご利益があるとされている。


温泉神社から雲仙地獄への遊歩道がつながっている。雲仙の古湯と新湯の間の白い土(温泉余土)におおわれた一帯が雲仙地獄地帯だ。


地獄とは仏教の教えで前世の悪業の苦報を受ける所という意味で、至る所から高温の温泉と噴気が激しく噴出し、強い硫黄臭が漂う中、湯けむりをもうもうと立たせるさまは、恐ろしげな地獄の景色そのものと言える。


地獄とはいえ、観光客としては物見遊山の気分で遊歩道を散策していく。


高いところから地獄の全体像が浮かび上がってくる。


雲仙地獄は、1627年~1631年まで、島原城主・松倉重政がキリシタンを改宗させるために拷問や処刑を行った地でもあり、硫黄の匂いと湯けむりに包まれながら、キリシタン殉教碑が立っている。


昭和29年に映画「君の名は」のロケが雲仙で行われ、佐田啓二、岸恵子が雲仙を訪れた。。 この真知子岩は、ヒロイン真知子を演じる岸恵子が手を付いた岩である。番組の冒頭で使われた 「忘却とは忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という有名な言葉が刻まれている。


やはり定番の温泉卵が食べたくなって、雲仙名物地獄蒸し温泉卵をいただく。


いたるところから出ている湯けむりで、辺りは真っ白だ。


雀地獄。このあたり一帯では、地下から噴き出したガスが水中ではじけて、ピチピチと小さな音をたてている。 丁度スズメがたくさん集まって鳴き騒いでいるような感じがするので、このような名前になったという。


清七(せいしち)地獄。江戸幕府は、キリストの絵を人々に踏ませる「踏み絵」をさせて信者を見つけ出し、この雲仙で処刑した。キリシタンで長崎に住む清七という男が捕えられ、処刑されたが、そのころにこの地獄が噴出したといわれ、 この名がつけられた。


雲仙地獄から少し歩いた先には、レトロで昔懐かしい駄菓子やおもちゃを集めた「駄菓子屋博物館」がある。1階が駄菓子やおもちゃを販売する店舗で、2階になつかしいおもちゃを集めた博物館がある。


1階の店舗では、昔懐かしい駄菓子やおもちゃが所狭しと並んでいる。 ブリキのおもちゃやメンコ、昔のアイドルの写真など、今ではなかなかお目に掛かれない商品が販売されている。懐かしくて楽しくて、店内の隅から隅まで見ていると時間が経つのを忘れてしまいそうになる。




その後、この日の宿となる雲仙温泉有明ホテルにチェックインする。最初は、「ありあけホテル」と思っていたのだが、正しくは「ゆうめいホテル」と読むらしい。この辺りでは、老舗のホテルとの事で、多くの著名人も宿泊したことがあるそうだ。最終日という事で、温泉に入ってゆっくり過ごすことにした。

「2019熊本城マラソンツアー:4日目島原&太宰府天満宮観光」に続く。

2019熊本城マラソンツアー: 3日目雲仙岳登山

2019-02-22 07:43:20 | 山登り
3日目の朝6時半、熊本市内を出て熊本港に向かう。熊本港からはフェリー・オーシャンアロー号に乗って島原港に向かう。


九州は、静岡と比べると日の出がかなり遅い。7時半過ぎになってやっと太陽が上がってきた。


島原港から車を走らせ、雲仙岳(雲仙岳は、長崎県の島原半島中央部にそびえる火山群の総称)方面に向かう。1時間弱で仁田峠に到着する。すでに標高1000m以上あり、気温もかなり低い。ただ、風がほとんどないのがありがたい。


仁田峠からは、数分で雲仙ロープウェイ乗り場に歩いて行ける。


ロープウェイ乗り場のテラスは、平成新山の絶好の展望地だ。平成新山は、雲仙岳の最高峰で、平成2年(1990)から平成8年(1996)にかけて起こった大規模な噴火により形成された。それまで最高峰だった普賢岳を抜いて、雲仙岳の最高峰1483mとなったが、現在も火山活動が続いており登山は禁止されている。


展望テラスからは島原の街並みや有明海が良く見える。


ロープウェイには乗らずに、まずは普賢岳を目指して歩き始める。


登山道の脇には、ところどころに雪が見られる。


霜柱が、こんなにも成長している。


妙見岳の斜面は、白くなっており雪や氷に覆われているようだ。


登山道にも、雪と氷が混じってきた。


紅葉茶屋まで来るとさすがに凍った道になってきたので、アイゼンを装着する。


西の風穴。この穴からは冷たい風がひゅ~っと流れてくる。かつては、氷や蚕の卵の貯蔵に使われていたという。


岩肌から真横に生えている木は、ヤマグルマという植物だ。


青空が広がり、ますますいい天気になってきた。


北の風穴。ここでは柱状節理を穴の中に見ることができる。


鳩穴分かれから、険しい登りとなる。上を見上げると、尖った岩が見えてきた。鷹の横向きの顔に似ていることから鷹岩と呼ばれている岩のようだ。


立岩の峰展望所からは、平成新山がすぐ真横に見える。ところどころから、水蒸気が上がっているのも見える。


11:10。普賢岳1359mに到着する。普賢岳から見る平成新山は圧倒的な迫力だ。


普賢岳を下りると、紅葉茶屋に再び戻り、改めて国見岳への登山道に入る。国見岳は、岩場が多くかなり険しい登山道となる。途中まではアイゼンを装着していたが、岩場では刃が危ないので外して登っていく。


12:36。国見岳1347mに到着する。ここからも平成新山の全体が良く見える。


国見岳からの下山は、同じ道を戻る。岩場に打ち付けられた鎖を持って慎重に下っていく。


13:06。妙見神社のある妙見岳1333mまでの登山道は、緩やかな登山道となりハイキング気分で行くことができた。


10分ほどで雲仙ロープウェイ山頂駅に着いた。


展望台からは、車を止めた仁田峠の駐車場が見える。


帰りは、ロープウェイに乗って下山。あっという間に山麓駅に到着し、仁田峠まで無事戻ってくることができた。


雲仙岳は、最高峰の平成新山をはじめ、三岳(三峰)とも呼ばれる普賢岳・国見岳・妙見岳、五峰(五岳)とも呼ばれる野岳・九千部岳・矢岳・高岩山・絹笠山を含め、東の眉山から西の猿葉山まで、総計20以上の山々から構成されているという。今回は、たくさんある雲仙岳の峰の主要な三峰をすべて制覇できて大満足だった。

参考1.雲仙岳のコースマップ


参考2.雲仙岳の高低図


「2019熊本城マラソンツアー:3日目雲仙温泉観光」に続く。

2019熊本城マラソンツアー:2日目熊本城マラソン

2019-02-21 20:51:17 | マラソン
マラソン当日。ホテルから歩いてスタート地点に向かう。荷物を預け、スタート地点からやや離れたDブロックでスタートを待つ。この間の道路は、市電もすべてストップしている。


スタートの号砲がとどろき、列が少しずつ前に移動していく。熊本信用金庫の壁面は、巨大なクマモンの顔になっている。さすが熊本らしい。


市電の線路を挟んでメインストリートの反対側は、応援の人垣で一杯だ。


号砲から7分ほどでスタート地点に近づいてきた。


応援アンバサダーの石川さゆりもクマモンと一緒に応援していてくれる。


止まっている市電の横を通って、これから42.195キロのスタートだ。


沿道では、大きな応援旗を振っている人たちも…。


登り坂に掛かると、前の方もぎっしりランナーで埋め尽くされている。


最初の折り返し地点。


何とバットマンが太鼓をたたいていた。


九州新幹線の高架下を進む。


川尻エリアは伝統工芸の刃物や、酒蔵など、昔から栄えていた町並みがいい感じだ。


18キロあたりで、地震で崩壊した家屋を見かける。未だにこのような建物があちこちに残っていて地震のすさまじさを思い知らされた。


天明エリアの田んぼでは、たくさんの案山子がランナーを応援していてくれる。


25キロから30キロまでは、熊本港線の広い道路の折り返しだ。鯉のぼりと幟旗が竹竿に止められ風になびいている。




26.7キロ地点のエイドは、マラソンの父「金栗四三」のゆかりの地という事で、玉名女子高等学校の生徒が作ったラズベリージュースとシナモンロールが「ペトレ家のおもてなし」として提供された。「ペトレ家のおもてなし」というのは、金栗四三が1912年ストックホルム五輪大会に日本人として初めて参加したが、猛暑と疲労のため途中でコースを外れて完走を果たせず、その時、金栗を介抱したのがストックホルムのペトレ家だったことから、同じようにランナーをおもてなししたいという趣旨のようだ。


川の横を走り、橋を渡ると40キロ地点だ。


「笑顔でゴール」の応援がとてもうれしい。


残り1キロ地点で登り坂に。最後にこの登りはキツイ。


石垣は、まだ崩れたままで地震の爪痕が、痛ましい。


そして、もう1回キツイ登り。これを登り切ればゴールは間近だ。


加藤神社の看板のさきにやっと熊本城の天守閣が見えた。


フィニッシュゲートへ。


熊本城をバックに記念撮影。ゴール地点は二の丸となり、天守閣とはかなり離れている。熊本城のほとんどの区域は未だに立ち入り禁止となっていて、天守閣の全体が見られるのはまだまだ先のようだ。


みんな無事ゴールしたと連絡があり、荷物を受け取ってホテルまで歩いて帰ることにしたが、あちこちに通行規制がかかりまっすぐ進むことができず、かなり大回りしながらホテルに帰ることになってしまった。

ホテルに帰って風呂に入り、さっぱりしたところで、近くの居酒屋で完走の打ち上げ会を行う。前日の3333段の石段往復が足に来ていたようで、やはり疲れはそれなりにあり、ホテルに戻るとあっという間に寝てしまった。

参考1.マラソンのコースマップ


参考2.マラソンの高低図


「2019熊本城マラソンツアー:3日目雲仙岳登山」に続く。

2019熊本城マラソンツアー:1日目日本一石段

2019-02-20 21:51:07 | 観光
16日から19日にかけて熊本城マラソン参加と島原の雲仙岳を登る旅に出かけてきた。メンバーは健脚で体力自慢のラン友が集まり5人でのツアーとなった。まずは、熊本空港に集合する。熊本空港の到着ロビーには、NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公、金栗四三の大きなポスターが貼られている。熊本は金栗四三のふるさとだということで大々的にPRしているようである。


熊本空港に到着したのは10時過ぎで、まだ十分時間があるので、何か熊本の面白そうな場所に行ってみようと考え、日本一の石段だという釈迦院御坂遊歩道に行くことにした。何が日本一かというと、石段の段数が3333段もあることである。1時間ほど車を走らせ下益城郡美里町に到着した。石段の登り口には、日本一石段登り新人力士募集の案内看板があり、力士番付も併記されていたが、驚くべきことに横綱の人は7000回以上も登っていることが分かった。驚くべき超人がいるものである。


石段の最初の登り口に着いた。すでに最上段まで行って降りてきた人もおり、どんな感じだったか聞いてみる。やはり、3333段は半端な数じゃなく、相当きついらしい。500段くらいであきらめて戻ってきた親子もいた。登り口の標高は240m。ここから標高差600mほどを石段で登りきるわけだ。


富士山型の案内石板には、トイレの位置や休憩所の位置などが示され、挑戦する上での事前の参考になる。


「日本一の石段」と書かれた大きな石柱の下から、いよいよスタートだ。


石段の1段の高さは15センチくらいでちょうど上りやすい高さだ。幅も広く歩きやすい。


ところどころに、その場所の段数が表示されている。だんだん増えていく段数を確認しながらいけるので励みになる。また、石段はいろんな国や地域から取り寄せられた石で作られているそうだ。


後半に差し掛かったころ、石段の上に休憩所が設けられている場所があった。ただ、休憩所に上がるにも階段を何段か登らなければいけないので、これ以上余分な段数は登りたくなくなってきていたので休憩所はパスだ。


登りだして約1時間。ついに3333段の最上段に到着する。きつかったぁ。全員、ほぼ同じくらいに無事到着だ。


しかし、これで終わりではない。ここから参道を1.1キロ歩いて金海山大恩教寺釈迦院に向かう。この御坂遊歩道は、第五十代桓武天皇の病気平癒の功績により、奘善大師が延暦十八年(西暦七九九年)に開山した金海山大恩教寺釈迦院の表参道である。この由緒ある道「御坂」は、御坂遊歩道整備事業により石段で復元したもので、昭和63年3月に3333段の石段が完成し、山形県の羽黒山の2446段を抜いて日本一の段数となったという。


釈迦院は、大行寺山(釈迦岳)の頂上近くに所在し、かつては坊数75坊、末寺49院が建ち並び、西の高野山とも称された一大霊場だったという。信仰すれば、長わずらいすることがないとの事で「ぽっくり寺」とも呼ばれているそうだ。


天正年間に、キリシタン大名小西行長の寺院焼き討ちにあい、寺坊は焼きつくされ、社領も没収され衰退したが、その後、加藤清正・忠広親子により再興され、その当時に立てられた山門が今も残っている。


釈迦院でお茶を呼ばれたので、本堂の近くで弁当を食べて休憩してから下山する。上りより下りの方が、やはり膝にはこたえる。


上りは1時間ほどかかったが、下りは30分ほどで降りてしまった。ムキになって下ったせいか、一番下に着いたときは体がフラフラしていた。やはり3333段の石段往復はキツかった。


日本一の石段を無事制覇したところで、熊本市内に戻り、熊本城マラソンの受付を済ます。会場の記念写真コーナーで、フィニッシュのイメージを感じながらゴール写真を撮る。


そして、翌日は今回のメイン目的の熊本城マラソンだ。石段歩きで疲れていることもあり、早めに休むことにした。

「2019熊本城マラソンツアー:2日目熊本城マラソン」に続く。

2019伊勢湾離島ツアー:菅島編

2019-02-05 07:18:11 | 山登り
朝8時。菅島の民宿・別館「まつむら」さんを出発する。


民宿から、時計回りに島をトレッキングする予定だ。


しばらくは海岸沿いの道を進んでいく。菅島の観光スポットを巡るコースは、近畿自然歩道として立派な道が整備されている。


この日も、好天気となり青い海と打ち寄せる波に洗われる岩礁が美しい。


しろんご浜に出た。大漁と海上安全を祈願する「しろんご祭」がこの浜で毎年7月上旬に開かれるという。この浜は1年を通して禁漁区だというが、しろんご祭の時だけ漁が解禁され、島中の海女がつがいのアワビの初獲りを競い合うそうだ。


しろんご浜から石段を登っていくと白髭神社がある。白髭神社は菅島の守り神で、しろんご祭で海女が最初に獲ったつがいのアワビが奉納されるそうだ。


白髭神社からさらに進むと小さな浜に降りた。岩礁の上には黒い鳥の姿が見える。これはカツオドリの仲間のウミウだ。


砂浜を歩いてみる。


浜から上がっていくとレンガ造りの白い灯台が見えてきた。菅島灯台だ。日本の灯台50選」に選ばれ、現役では最古のレンガ造りの灯台だ。明治6年に初点灯し、竣工式には西郷隆盛も参列したと伝えられている。


菅島灯台をバックに記念撮影。


ちょうどスイセンが咲き始めており、白亜の灯台と青空が見事にマッチングする。


菅島にも監的哨跡がある。


菅島の監的哨跡の屋上からの景色も素晴らしい。


菅島漁港の様子もよく見える。


近畿自然歩道も終わり、地元の人でもあまり歩かないという山道を進んでいく。菅島の最高峰大山への登山道だ。


大山の山腹には紅ツゲの群生地となっており、1月から2月にかけてツゲの葉が赤く色付いている。赤というよりは茶色に近いが、遠くから見ると赤く山が染まって見えるのだろう。


大山の山頂付近では、1983年(昭和58年)4月19日に航空自衛隊のC-1輸送機2機が連続で墜落するという菅島事故があり、乗員を慰霊する碑が建っている。


慰霊碑から少し戻ったところの分岐を進んでいくと、酷い藪漕ぎの道になってきた。歩く人が少ないのか道が荒れ放題である。




10:32。菅島大山山頂237mに到着する。


大山の山頂からの展望も全くないが、とりあえず記念写真を撮る。


下山は、藪漕ぎがない別ルートにする。


菅島の南西側は、広大な採石場となっている。あまりにも酷く山が削られているのを見ると悲しくなった。


登山道が終わり車道に出ると、大きな水道タンクの横に出た。


市営定期船乗り場前を通り、スタート地点の民宿に着いたのは11:30過ぎだった。ほぼ3時間半のトレッキングだったが、いい足慣らしになった。お腹もちょうど空いてきて、民宿で昼食をとり一休みする。

14時過ぎ、民宿を出て市営定期船乗り場がある菅島港に向かう。午前中は青空だったが、午後になると雲が多くなり雨が降りそうな気配となっていた。


菅島港から鳥羽の佐多浜までは15分ほどで到着する。車や電車で来たメンバーとはここで別れ解散する。我々は、鳥羽港の伊勢湾フェリー乗り場まで歩いて移動して、伊良湖岬行きのフェリーに乗船して帰路についた。毎年、冬の離島めぐりツアーとしていろんな島に行っているが、今回も自然豊かな伊勢湾の離島巡りができて楽しかった。

参考1.菅島のコースマップ


参考2.菅島の高低図


2019伊勢湾離島ツアー:神島編

2019-02-04 18:37:26 | 山登り
先週末は、1泊2日の日程で伊勢湾沿岸にある神島と菅島を巡る離島ツアーに参加してきた。伊良湖岬から伊勢湾フェリーに乗って鳥羽港まで向かい、鳥羽の佐田浜から市営定期船に乗って神島に向かう。


40分ほどの乗船で神島に到着する。今回のツアーは、Nさんの呼びかけで総勢12名のツアーとなった。


神島は、三島由紀夫の「潮騒」の舞台となった島で、潮騒の名場面となった場所が至る所にあり、その場所を巡るツアーといってもいい。熱心な人は、事前に「潮騒」をしっかり読んできていたようだ。


玄関口である港の入り口付近には、三島由紀夫と「潮騒」にまつわる案内版が何枚も置かれている。


全員揃ったところで、島の住宅街中心部を歩いていく。


古くから立っているという神島の時計台。


昔は、このあたりで島の女性たちが洗濯をしていたそうだ。新潮文庫「潮騒」P165にここで海女さんたちが洗濯をしている記述があるらしい。


石段をグングン上がっていくと八代神社がある。祭神は綿津見神、天照皇大神、須佐之男命。「潮騒」では、新治が美しい花嫁を授かるように、初江は新治の航海の無事を祈る場所として登場する。


八代神社からさらに石段を登っていく。


石段の先にあるのは神島灯台だ。日本の灯台50選にも選ばれている。「潮騒」では、新治が世話になった灯台の官舎へ魚を届けに行くシーンに登場する。新潮文庫「潮騒」P187。


ちょうどお昼になったので灯台前の広場で昼食とした。


この辺りは、「恋人の聖地」としても認定され、ロマンチックな雰囲気のある場所となっている。


灯台からは、渥美半島の伊良湖岬が目の前に見えている。


灯台からさらに山を登っていくと、神島の最高峰である灯明山171mに到着する。展望はないが、島の最高点に立ったというのが嬉しい。


島を半分くらい回ったところにあるのが「監的哨跡」だ。監的哨とは、戦時中に旧陸軍が伊良湖から撃つ大砲の試着弾を目視して確認するための施設だった。「潮騒」では、ここで海女・宮田初江と漁師・久保新治が焚火を挟んで愛を確かめ合うというクライマックスシーンに描かれている。


現在は、コンクリートの塊だけみたいな殺風景な施設だが中に入ってみる。


屋上まで上がって周りを見回すと、伊勢湾の美しい景色が広がっている。




ここからも伊良湖岬が一望できる。


屋上から1階降りたところが「潮騒」のクライマックスシーンに描かれた場所という事らしい。「潮騒」は5回も映画化されているというが、あの吉永小百合や山口百恵もこの場所で撮影に臨んだのかと思うと感慨深い。


山を下ってくるとニワの浜に出ると、巨大な白い塔がニョキニョキと飛び出しているのが見えてきた。これは、これは鳥羽市の天然記念物に指定されている神島のカルスト地形だ。


カルスト地形が眼前にそびえたち、青い海と白い岩肌が見事な景観を作り出している。




浜辺まで下りて歩いてみる。海女さんたちが漁の合間に一呼吸するための休憩所にもなっているそうだ。


神島小学校・中学校の横を通り抜ける。


畳八畳ほどもあるという八畳岩。人が岩の上に立っているのが見える。


島を3/4くらい回ると道の途中に大きな岩が出てきた。鏡岩と呼ばれ、昔、島の女性たちが岩に油を塗って鏡にしたといわれている。鏡になったのは、たぶん裏側のようだ。


神島はほぼ2時間半で一周する。15:50発の菅島行きの定期船に乗って菅島まで移動し、菅島の民宿で宿泊することになった。夕食は、島らしく海鮮料理満載だ。


次の日は、菅島をトレッキングするという事で、二次会の後はおとなしく部屋に戻って就寝する。

参考1.神島のコースマップ


参考2.神島の高低図


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2019伊勢湾離島ツアー:菅島編」に続く。