とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2018京都一周トレイル:化野念仏寺~白雲橋

2018-11-26 18:51:44 | マラソン
化野念仏寺は、弘仁2年(811年)、空海が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされている。境内には約8000体という夥しい数の石仏・石塔が並んでおり、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものだという。まるで、この世ではないような不思議な光景だ。


毎年8月23・24日には、西院の河原に祀られている無縁仏の石塔・石仏の前にろうそくをともす千灯供養が行われる。この日はお地蔵さまの縁日である地蔵盆の日で、ろうそくのあかりに照らされた石仏や石塔は幻想的だという。同行していたMさんは、愛宕山に登りたいとのことで、ここで別れる。


京都で一番高い山・愛宕山の麓にある「平野屋」まで来た。ここは、四百年の歴史を持つ由緒正しいお茶屋さんで、春は山菜、夏は鮎、秋は松茸、冬はぼたん鍋と、季節ごとに色とりどりの京都らしいお料理が楽しめる店だという。


平野屋の前で結婚式の前撮りをしているカップルを見ながら先に進むが、地図を見るとどうも道が違う。よく確認すると、平野屋の手前の鳥居を左に行かなければいけなかったようだ。急いで元に戻る。


12:46。六丁峠を越える。気温は10℃だ。


金鈴峡と呼ばれる渓谷に入っていく。しばらくするとコンクリートの橋があり、増水時には水面下に沈んでしまう潜没橋だ。


対岸に、アニメに出てきそうな扮装の人たちを見つけた。コスプレマニアの撮影会みたいだ。


渓谷の中をさらに進む。今までとはまるで雰囲気が違うワイルドな道だ。


滝もある。


清滝橋が見えてきた。


渓谷と紅葉がいい雰囲気だ。


金鈴橋を過ぎると京都一周トレイルの北山西部コースに入る。植林された幹が、まるで鉛筆が並んでいるようにそろっている。


人工滝の流れが、まるで絹布を垂らしたように美しい。


高雄では、料理店や茶屋が川の上や、屋外で川のよく見える位置に座敷を作り、料理を提供する川床がたくさんある。


槇尾山西明寺の指月橋までやってきた。西明寺は、高雄山の神護寺、栂尾山の高山寺とともに三尾の名刹のひとつだ。指月橋の周辺では紅葉のグラデーションも見られ、境内も紅葉の名所で知られている。


近くで買ったモミジのてんぷらを食べる。


紅葉の時期としては、やや盛りを過ぎていたようだが、クリスマスツリーのような大木が目についた。


苔むした灯篭。


14:14。西明寺山門で記念撮影。


今回の最終目的地、白雲橋は西明寺から歩いて数分だ。思ったより時間が早く、バスの時間にも余裕があったので、高山寺にも寄っていくことにした。高山寺は、鎌倉時代に明恵上人が創建したお寺で、世界文化遺産にも登録されている。また、高山寺は日本茶発祥の地ともいわれ日本最古の茶園があることでも知られている。


ただ、日本最古とはいえ見ためは普通の茶園と変わりはない。


残念なことに本堂のある境内は、台風21号の影響で甚大な被害にあって今なお復旧困難な状況であり中には入れないという。仕方ないので、茶園だけ見て引き返し、京都駅行のバスに乗ることにした。京都一周トレイルの被害状況も白雲橋より先は通行止めになっているとの事で今回はこれでゴールとなった。


臨時バスがすぐやってきたのでバスに乗ったが、途中で仁和寺の前を通るので、仁和寺に寄っていくことにした。仁和寺は、京都マラソンのコースに入っており、この大きな山門は見覚えがある。


広い境内を進んでいく。


重要文化財の「五重塔」。高さ36m余り、寛永年間当時の建築技術を集めて造られとされるこの塔は、各層の屋根の大きさがほぼ同じという江戸時代の建築らしい特徴を示し、近世(江戸時代)に建てられた五重塔の代表作といわれている。


国宝の「金堂」。本尊の阿弥陀三尊像が祀られていたことから、一般的な寺院では本堂にあたるが仁和寺では金堂と呼ばれているそうだ。


金堂では、秋の特別拝観ということで、京都御所より移築されてからの372年間、非公開を貫いてきた金堂裏堂の五大明王壁画を第51世門跡晋山記念として初公開していた。不動明王など色鮮やかな壁画に興味をそそられ、早速見ていくことにした。


金堂の本尊の後ろ側にある木製の壁(高さ約2.2メートル、幅約15メートル)に、不動明王を中心にして五大明王が横に並んでいる。手に剣と縄を持つ不動明王は唇をかみしめてにらみつけるような表情で、体には群青色、火炎には朱色が使われ、巻き毛の細部まで描き込まれている。通常、一般の人は入れない場所だというだけに本物を見ることができて良かった。撮影はできないので、購入したはがきセットのパッケージで紹介する。


その後は、私鉄、地下鉄を乗り継ぎ京都駅まで行って新幹線で帰った。初めての京都一周トレイルは、京都の歴史と文化を学びながら、紅葉と渓谷美などを堪能し贅沢な旅ランとなった。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図

2018京都一周トレイル:上桂~二尊院

2018-11-25 21:27:00 | マラソン
京都には、京都市街を取り囲む山々を中心にぐるっと回る全長約80キロのトレイルコースと、京北エリアに全長約45キロのトレイルコースがある。これらのコースは、単に山と山を結ぶというだけではなく、歴史や文化も一緒に楽しめる京都ならではの贅沢なトレイルだ。大阪ダイヤモンドトレールを走って以来、関西では有名な京都トレイルもいつか全部走ってみたいと思っていた。80キロのトレイルコースには、西山・北山西部・北山東部・東山に分かれており、今回は最初の一歩として西山から攻めていくことにした。

今回も、ラン友、山友に声をかけたところ全部で6名のメンバーが集まった。当初は1泊2日で鞍馬温泉まで行くことにしていたのだが、9月の台風21号の影響でかなり広範囲で倒木や土砂崩れの被害などが発生しているとの情報を受けて、急遽日帰りで通行止めになっていない区間まで行くことにした。

スタートは、阪急嵐山線の上桂駅だ。9時までに集合ということで各自駅まで集まってもらう。大阪のMさんが来たところで、全員集合。9時少し前に上桂駅をスタートする。


まずは、住宅地の中を歩いていく。


最初のお寺は地蔵院だ。周囲を竹林で囲まれていることから竹の寺で知られている。地蔵院の中には入らず、門前で竹林が広がっている様子だけを見ていく。


今回、まず行こうと思っていたのは鈴虫寺だ。境内では、秋だけでなく四季を通じて鈴虫の音色を聞くことのできるという。それゆえ「鈴虫寺」の名で親しまれているが、正式な名称は「妙徳山 華厳寺」である。ところで、石柱の横に並んでいる観光客の列はかなり長い列だ。入るまで40分~1時間もかかるということで、泣く泣く入るのをあきらめ写真だけ撮って先に進む。人気のお寺だけに、休日は長蛇の列になるようだ。


鈴虫寺のすぐ隣にあるのは、通称苔寺で知られる西芳寺だ。ここも一度は入ってみたかった寺院だが、拝観は事前予約制で、往復はがきで1週間前までに予約をしないといけないということで、調べてみた時にはすでに遅かった。閉ざされた山門だけ見て先に進む。同行していたYちゃんは、膝が痛いということで歩いて回れるコースで行くことになり別行動となった。


川のほとりには、赤く色づいたモミジが見えてきた。


竹林の中にぽつんと置かれたテディベアの人形。傘をさしているのは何の意味だろうか?


山の神さんと刻まれた大岩。昔この辺りには、「山の神神社」があったという。村人たちは山に入る時、「山の神」に仕事の安全と山の恵みに感謝し、大岩にお祈りしてから仕事に出かけた碑文に書かれている。


苔寺谷で最初に見つけた京都一周トレイルの標柱だ。ナンバーは51。以後、この標柱を目印に進んでいく。そして、ここから本格的なトレイルコースになる。


まずは、竹林の中をグングン登っていく。


倒木がかなり多い。これも台風の被害のようだ。


松尾山への分岐にあった倒木。太い根が完全に持ち上がり横倒しになっている。すさまじい台風の力だ。


10:07。松尾山276mに到着する。


松尾山からは、桂川に架かる渡月橋が見えた。


松尾山から下山して住宅地に入るところでもかなりの倒木があり、すごい荒れ具合だった。


10:31。阪急嵐山駅に到着する。


この辺りから凄い人出になっていた。みんな渡月橋へ行くか来た人たちだ。


渡月橋は、行くのと来るのとそれぞれ一方通行となっており、まともに歩くこともままならない状態だ。




渡月橋を渡り切ったところで、反対側の入り口にいたラン友のうっちゃんを突然見つける。我々が京都に来ていることは知っていたようだが、待ち合わせをしていたわけではなく、こんな大混雑の人ごみの中で出会うなんてまさに奇跡としか言いようがない。


早速うっちゃんを加えて、渡月橋をバックに記念撮影。別行動だったYちゃんとも再び落ち合っていた。


渡月橋の近くで昼食にしようと食べるところを探すが、どこも満員で待ち時間が40分~1時間だという。結局コンビニで食料を買い込んで先に進むことにした。


嵐山公園は、紅葉真っ盛りだ。


竹林の道も観光客が一杯だ。


常寂光寺に着いたところで、初めて拝観料を払って境内に入ることにした。山門を抜けると絵画のような美しい紅葉の森が広がっていた。


緑の地面の上に広がる黄色や赤のグラデーション。これほどまでの見事な紅葉を見たことがない。これぞ秋の京都だ。階段を上り下りする人たちも上を見上げてなかなか前に進めない。


多宝塔をバックに記念撮影。


池の上に浮かんでいるモミジの落ち葉。まるで池が赤く染まっているかのようだ。


二尊院は山門だけ見て先に進む。


化野(あだしの)方面に進む。この辺りは、かつては風葬の地、近世は火葬場として知られた。 化野の名は「無常の野」の意で、人の世のはかなさの象徴としても用いられたという。そしてこの先には、化野念仏寺がある。


「2018京都一周トレイル:化野念仏寺~白雲橋」に続く。

2018塩の道トレイル:豊科~松本城

2018-11-17 22:44:29 | マラソン
豊科からは国道を外れて東方向に向かう。犀川沿いの山々は、赤や黄色に色付き紅葉真っ盛りだ。




地図にあった熊倉の渡し跡を見て行こうと思ったのだが、案内らしきものもなく何時の間にか通り過ぎてしまっていたようだ。しかし、その先にあった「旧仏法寺の石造百体観音」が素晴らしかった。寺跡を結ぶ参道の両脇に観音様が立ち並び、1ヶ所で巡礼のかわりを果たしたといわれているそうだ。


観音様の奥のイチョウの葉が黄色に色付いている。


足元は、黄色い絨毯だ。


百体観音から少し進むと、真っ赤なモミジが。


モミジ越しには、北アルプスの山並みが見える。


春日神社。碑文より「社伝によれば大同4年(809)奈良春日大社から分霊し梓川の治水開拓神として南方東木戸の地に鎮座、のち現在地に遷座。祭神は天児屋根命・経津主命・武甕槌命・瀬織津姫命」。結構由緒ある神社のようだ。


春日神社の反対側には御岳社があり、御岳大権現が祀られている。


六十六部供養塔。六十六部行者と呼ばれる諸国を遍歴する行者を供養する塔。六十六部廻国巡礼とは、法華経を書写して全国の六十六カ国の霊場に1部ずつ納経して満願結縁する巡礼行をさし、この巡礼に従事する行者を六十六部行者と呼んだそうだ。


梓川近くまで来ると13時となり、さすがにお腹がすいてきた。近くのコンビニでビールと摘みで軽く食べ、松本まで我慢して走る。


14時過ぎ。松本城を通り越して松本市内に出来た巨大ショッピングモール「イオンモール松本」まで行き、ランチ休憩する。ここまで来たのは、Sさんがどうしても食べたかったというローストビーフ丼を食べるためだ。


イオンモール松本を出て、最終目的地である松本城まで向かう。


15時。松本城内に入る。赤い橋とお堀の中にたたずむ松本城は、ポスターや絵ハガキで見た風景そのままだ。松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城だ。


水面に反射する逆さ天守は言葉を失うほど美しい。


拝観料を払って本丸の中に入って行く。


天守閣入り口前で、武者と一緒に記念撮影。


松本城は軍事的にとても優れたお城だという。窓が少ない代わりに、矢挟間(矢を放つための小窓)、鉄砲挟間(鉄砲を撃つための小窓)、石落とし(石垣を登ってきた兵に石などを落とす出窓のようなもの)などがたくさんあり、攻撃力はもちろん、防御力も備えた戦闘仕様の造りとなっている。国宝という事で、中の撮影は禁止となっているが、当時のままの内部を見学すると、戦国時代の武将の雰囲気を味わっているかのような気分になった。

松本城を見学してから北松本駅まで歩いていく。時間は、15:45となり、これでこの日のゴールとした。当初の予想距離は16~17キロと予想していたのだが、いろいろ脇道に入り道草していたら結局30キロ近くになっていた。


北松本駅から大糸線に乗って穂高駅まで戻り、車を回収して帰路についた。気持ちよい秋晴れとなり、見どころ一杯、景色最高、メンバー最高と楽しいトレランだった。やっぱり千国街道ルートの塩の道は、素晴らしい。この続きも近いうちにやってみたくなった。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図

2018塩の道トレイル:穂高~豊科

2018-11-16 23:15:04 | マラソン
塩の道と呼ばれる道は各地にあるが、日本海側の越後と信州を結ぶ千国街道(糸魚川 - 松本・塩尻)が塩の運搬に関する遺構が特に残されて良く知られている。江戸時代、信濃の松本藩が日本海産の塩を運ばせた主要ルートで、松本藩では太平洋産の塩を藩内に流入させるのを禁じ、領内に必要な塩はすべて日本海側から運ばせたという。昨年、塩の道の小谷村のルートを走って以来、このルートを全部繋げてみたいと思うようになっていた。

昨日は、その塩の道の「穂高~豊科~松本城」のルートを日帰りで走ってきた。平日の日帰りで行くというのももったないような話ではあるのだが、実はもう一つの理由があった。8月下旬に安曇野の有明山に登った際、現金入りの財布を無くしてしまっていた。もう見つかることはないだろうと諦めていたのだが、9月中旬過ぎになって財布が見つかったという知らせが安曇野警察署から届いていた。取りに行かなければならないのだが、簡単に取りに行けるような場所ではないので、ずっと延び延びになっていた。しかも、お金は残っていないだろうと思いこんでいたので、急いで取りに行く気もなかった。それでも、せっかく見つけてくれた人の気持ちも考えるとほおっておくわけにもいかない。そこで、塩の道を走りながら安曇野警察署(平日のみ受け付け)に寄って行く事を思いつき、急遽穂高まで行くことにしたというわけだ。

当初は、一人で行くつもりだったが、たまたま南伊豆で一緒だったGさんと白馬村のSさんに話したら、一緒に走ってくれることになった。

まずは、前日の夜Gさんと一緒に夜立ちで梓川SAまで車で向かう。翌朝まで車中泊してから穂高駅前の登山者用駐車場に向かう。午前8時。白馬村から来たSさんと待ち合わせをして穂高駅まで歩いていく。この日は、穂高駅前からスタートだ。


穂高駅前には、道祖神が祀られている。安曇野は道祖神の宝庫といわれ、村の守り神として村の中心、道の辻、三叉路等に立っている。彫刻の種類や表現の内容からみても実にバラエティに富んでいて、男女が遠慮がちに寄り添って立つもの、何気なく手を握るもの、堂々と腕を組むもの、愛をこめてぐっと抱きしめるものなど、塩の道のさまざまの場所で見つける事も一つの楽しみだ。


同じく、穂高駅前広場に立つ父と子の登高の像。アルプスにむかって岩場の上に二人は立ち、男の子は、両手を口に当てヤッホーを叫んでいる。がっしりとたくましい父は、右腕にザイルを持って遠くの山並みを見つめている。北アルプスの登山口らしい穂高駅前の像だ。


穂高駅を出るとすぐ前にあるのが穂高神社だ。穗髙見命を御祭神に仰ぐ穗髙神社は、信州の中心ともいうべき安曇野市穂高にある。そしてその奥宮は、北アルプス穂高岳のふもとの上高地に祀られており、嶺宮は、北アルプスの主峰奥穂高岳の頂上に祀られている。奥宮と嶺宮のある場所には行ったことがあったが、本宮にお詣りするのは初めてだ。


今回の旅の安全を祈り、本殿にお詣りしていく。


安曇野の銘酒樽前で乾杯の気分で記念撮影。


通りに出ると、地図を見て塩の道のルートで合っているかを確認する。


またしても、普通の民家前で道祖神を見つける。


このルートでは、北アルプスの山並みを常に見ながら進めるのが嬉しい。


しばらく進むと、塩の道のルートから外れるが、前から行ってみたかった「田淵行男記念館」に寄り道する。


田淵行男記念館では、安曇野や北アルプスを愛したナチュラリスト、田淵行男が撮影したフィルムやガラス乾板などの原板約72,000点や生前に発行した著作、撮影機材や登山用品などを展示している。また、高山チョウ研究家でもあり、その精密画は目を見張るほど美しい。ただ、館内は撮影禁止なので残念ながら精密画を撮影することはできなかった。


近くを流れる雪解け水の清流。


田淵行男記念館から少し戻ったところにあるのが、安曇野わさび田湧水群だ。北アルプスの蝶ヶ岳や常念岳からの雪解け水だという。




環境省の「名水百選」にも選出され、清らかな水が織りなす風景を感じられる公園になっている。1日70トンもの雪解け水の水がわさび田湧水群を潤している。この水のおかげで特産のわさびやニジマスが育っているのだ。


この辺りが湧水口だ。


池の底には、たくさんの藻がふわふわとそよいでいる。


Sさんの希望で、わき道にそれたついでに、さらに寄り道をしていく事になった。どこに行ったかというと、犀川白鳥湖だ。長野道の高架下を通りぬけ、下水処理場奥の犀川のほとりにある白鳥湖(ダム湖)には、10月中旬頃からコハクチョウが飛来し始め、越冬してピーク時の1月には千~二千羽程になるという信州最大のハクチョウの越冬地だ。


11月15日現在、飛来した白鳥は22羽という情報があったので期待して白鳥湖を見に行く。


ところが、近くで重機などが動き回り騒音をまき散らしているせいなのか白鳥は全く見つからず、カモだけが悠々と泳いでいた。




しかし、しばらくして1羽の白い鳥が飛んでいった。慌てて写真を撮ってみたが、白鳥だったのだろうか?多分きっとそうだろう。


これが、ピーク時の白鳥の群れだ(ポスターの写真から)。


田圃の中の道を通り、本来の塩の道ルートに向かっていく。


田園の広がる風景が、まさに安曇野というイメージにぴったり合う。


民家の庭先で見つけたモザイカルチャーぽぃっ植木。顔になっていてGさんにそっくり?


ここでも道祖神と馬頭観音像があった。こちらの道祖神様は、色付けされていて可愛い。


お昼前に安曇野警察署に到着する。さっそく、受付に寄って遺失物の受領の手続きをする。財布が自分の物だという確認をし、中身も確認する。何と、現金も亡くしたときのそのまま残っていたのだ。まるで奇跡のような出来事に感激で一杯になった。拾って届けてくれた人にも大感謝だ。これで、この日の後半の旅が、気持ちの上で大きく盛り上がっていった。


「2018塩の道トレイル:豊科~松本城」に続く。

2018南伊豆みちくさウルトラマラソンツアー

2018-11-12 21:54:24 | マラソン
9日から11日にかけて、南伊豆みちくさウルトラマラソンツアーに行ってきた。第1回から参加しており今回で5回目となる。エイドは激ウマで景色も抜群だけど、コースは心が何度も折れてしまうくらいキツイ大会だ。それでも何故か毎年参加してしまうというのは、何か不思議な魅力がある大会なのだろう。

毎年ラン友に声をかけて誘っているうちにだんだん人数が増えてしまい、今回は総勢19名のツアーとなった。静岡、愛知のメンバーを中心に東京、神奈川、大阪等各地からメンバーが集まり毎年泊まっている南伊豆の民宿に前泊する。

大会当日、100キロと78キロを走るメンバーは5時スタートなので4時過ぎにはスタート会場に向かう。66キロを走るメンバーは7時スタートなので、まだ宿で休んでいる。私は、今回も100キロではなく78キロに参加だ。ここの100キロはハードすぎてエイドも楽しめないから78キロで十分だ。ただ、1ヶ月半前くらいから膝痛が酷くほとんど走れなかったので、今回は、完走もおぼつかないのではと弱気と不安でいっぱいだった。膝をサポーターでがっちり固め、とりあえずスタートラインには立つことにしたのだ。

100キロと78キロの参加者で、スタート前の記念写真を撮る。




スタートライン前で、スタートの合図を待つランナーたち。この数分後にスタートだ。


5:57。東の空が明るくなってきた。もうすぐ日の出だ。この日は、一日好天に恵まれそうだ。


波が打ち寄せる海岸沿いの道を走る。


6:20。水平線から太陽が昇ってきた。眩しくて目が開けられないくらいだ。


タライ岬遊歩道に入る。この大会では、唯一のトレイルコースだ。ウバメガシの林の中はぬかるんでいて滑りやすく、階段を下りる途中でうっかり転んでしまい、お尻が泥だらけになってしまった。


タライ岬を過ぎると、海岸沿いの岩場に出る。


岩場の先の真正面には太陽が海面を照らしている。


逢ヶ浜へ出ると、岩がゴロゴロしている。


タライ岬遊歩道が終わり、やっと走れる道に出る。しばらくすると見えてくるのが、伊豆3大美浜の一つである弓ヶ浜だ。名前の通り弓状に続く美しい海岸だ。


さらに南伊豆の美しい海岸線沿いを走る。


8:30。伊豆の最南端となる石廊崎に到着する。美しい海原が広がり、伊豆諸島も見えている。


9:00。奥石廊崎に到着。ここからの景色も絶景だ。


その後は、心が折れるくらいの激坂を幾つも乗り越えて、波勝崎へ向かう。


14:20。波勝崎のエイドにやっとたどり着いた。トロロ飯が美味しい。


伊浜方面に下って行く。


当初は、波勝崎くらいまで走れれば十分だろうと思っていたが、思ったより膝が痛くならなかったので、欲が出てきた。何とか完走だけはしたいと残り時間を気にしながら、上り坂は速足で歩き、下りはゆっくり走った。

18時。19時の関門まで1時間を残し13時間で無事ゴールする。今までで一番悪いタイムだったが、完走もできないと思っていたので、嬉しいゴールだった。


翌朝、朝食前に弓ヶ浜まで散歩する。ウルトラ走った翌日なのにみんな元気だ。


弓ヶ浜海水浴場の看板前で集合写真。


帰り道で見かけた漁師が捕った1キロ近くもあるという超巨大な伊勢エビだ。


最終日、民宿前で全員の集合写真を撮る。


帰りは、例年寄って行く干物屋でお土産を買ってから、下田の了仙寺に寄って行く。




了仙寺は、寛永12年(1635年)下田奉公今村正長によって創建された日蓮宗の寺で、国指定史跡だ。嘉年7年(1854年)日米和親条約が締結され、下田が開港となった。この了仙寺が、ペリーと日本全権の交渉場所となり日米下田条約が締結された。




了仙寺を観光して今回のツアーは解散とし、各自帰路についた。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図

2018東海道ラン:金谷~袋井(補習編)

2018-11-06 15:09:38 | マラソン
旧東海道を京都まで目指しているメンバーの一人Yちゃんは掛川から袋井までの区間をまだ走ってないという事で、補習として一緒に走る人いませんかという呼びかけがあり、一緒に走る事にした。掛川から袋井までだと距離が短いので金谷から走る事になった。私も近頃、長い距離を走っていなかったので、練習の一環としてちょうどいいお誘いだった。

まずは、東海道線で金谷駅まで向かう。集まったメンバーは6人だ。9:20。金谷駅をスタートする。天気予報では、曇り時々雨だったが、意外といい天気でビックリした。


旧東海道の入り口に入ると、いきなりの石畳の急坂だ。


石畳の中腹の六角堂には「すべらず地蔵尊」が祀られている。石畳が「すべらない山石」を用いていることにちなんで、合格祈願の名所となっているのだ。


後ろを振り返ると、急坂だったというのが良く分かる。


小夜の中山に入ると、見事な茶畑が広がっている。


ちょうど、お茶の花が一面に咲きだしており、珍しい光景だ。お茶の花はお茶農家にとってはやっかいなもので、花が咲くと茶木の養分を吸い取られ良い茶葉が収穫できないため、本来はすぐに刈り取られるものらしい。見た目は良いが、手入れが行き届いていない茶木なのだろう。


小夜の中山峠の頂上に来ると、久遠寺がある。久遠寺は掛川城主の山内一豊が境内に茶室を設けて、関ヶ原戦に向かう家康を接待した場所であり、小夜中山の夜泣石伝説の寺としても有名である。


中山峠は、箱根峠や鈴鹿峠と列んで、東海道の三大難所として知られている。街道脇には、西行法師の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」の歌碑が建てられている。


中山峠の北側には、粟ヶ岳の南斜面にある大きな「茶」の文字が見える。縦横約130mもある文字で檜を植樹して作られた。お茶で有名な掛川市のランドマークだ。


急坂を下り、1号バイパスの下をくぐりぬけると日坂宿だ。現在も、当時の屋号が掲げられ、昔の街並みの面影を感じることができる。


掛川方面に向かう途中で、ラン友のサメコーチさんと偶然出会う。


事任八幡宮に立ち寄ると、夫婦杉の大きな切り株が置かれていた。先日の台風24号の風で倒れてしまい、切り株だけになってしまったようだ。ただ、不幸中の幸いで、周りのことも考えて、そばにある二本の鳥居を避け、二本仲良く倒れたかのような状態だったという。


キレイな砂利が敷き詰めてあるあたりが、夫婦杉の立っていた場所だという。


事任八幡宮の大杉。樹高35m、推定樹齢は300年以上だという。事任八幡宮の御神木だ。


事任八幡宮の大クスノキ。樹高31m。推定樹齢300年以上。


大クスノキからパワーを貰う。


逆川右岸に立つ塩井神社への参道。塩井神社は鳥居から逆川の対岸にあるため、参道には心許ない板橋が架けられている。


12:15。掛川の七曲がりを通過する。


掛川城前に到着し、近くの食堂でランチ休憩をする。食事を終わり外に出て掛川城をバックに記念撮影。ちょうどこの辺りから雨が降りだしてきた。


十九首塚。天慶3年(940年)、藤原秀郷が平将門一門19名を討伐してその首を弔った塚と伝えられている。昔は19基あったものが時代と共に減ってゆき、将門のものと思われる大きな1基だけが残されたが、その後、将門の首塚を取り囲むようにして18基の首塚が新しく作り直された。

 
岡津~原川の松並木を走る。




善光寺。寺中に如来堂がありその阿弥陀仏は、坂上田村麻呂の守本尊とされている。東海道の中間点に位置し、仲道寺とも呼ばれている。


赤鳥居と呼ばれ親しまれている鳥居は、重要文化財で木花開耶姫命を祀る冨士浅間宮本殿までの参道の入口に立っている。


袋井市に入る。


「東海道五十三次 どまん中東小学校」袋井市立袋井東小学校の校門。袋井宿は日本橋から数えても、京都三条大橋から数えても27番目の宿場。


14:50。袋井宿に到着する。


Gさんがボランティアの一人として管理している東海道どまん中茶屋にゴール。25.2キロのランだった。


9月後半あたりから膝痛であまり走れていなかったので、今回久しぶりに長い距離を走ることが出来てホッとした。

参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図