とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2019南房総みちくさウルトラマラソンツアー:1日目

2019-03-31 07:35:42 | 観光
沖縄一周ツアーで大分ブログを引っ張ってしまったが、沖縄から帰って2日間おいて、22~24日の3日間、千葉県の南房総まで出かけた。最近一番気に入っている“走援隊”の主催する南房総ウルトラマラソンに参加するためだ。

参加するメンバーは車で行くのが7人、現地集合が1人、2日目に応援に来てくれるメンバーが1人と総勢9名のツアーになった。走援隊の主催するウルトラは、南伊豆と三浦半島の二つには出ていたが、南房総は今回初めてだ。これらの大会は、どれもエイドが激ウマであること、海岸線沿いのコースがあって景観が素晴らしいこと、人数が600人程度と参加人数が抑えられていて、ランナーに目が行き届き、ふわっとした緩さが楽しいことなど、とにかく楽しい大会であることは間違いない。

私にとっても千葉県の房総半島に行くのは初めてなので、大いに期待していた。まずは、2台の車で、東名高速、首都高速、アクアラインを通って房総半島に向かう。首都高速の途中までは順調だったが、アクアラインに近づくにつれて道路が込みだし、最終的には渋滞に嵌ってしまった。原因は、アクアラインのトンネル内でトラックが故障して1車線規制になっていた為だ。おかげで1時間半くらい予定より遅れてしまった。海ほたるPAに着いたのは午後2時近くになっていた。

東京湾の海底トンネルをくぐって海面に出たところにあるPAが海ほたるだ。初めて来ることができたが、日本の技術の粋を集めて作った巨大な構造物から見る東京湾は絶景である。対岸に見えるのが房総半島の千葉県木更津市だ。




海ほたるは、船のようなデザインになっており、両脇は船のデッキを歩いているようなイメージだ。


木更津からは順調に車を走らせ、2日目のマラソンのゴールとなる南房総市の野島崎灯台近くの民宿に向かう。民宿に車を駐車させてもらうと、スタート地点となる勝浦に行くために、近くのバス停まで歩いていく。バスはすぐに乗ることができたが、3停留所くらいで終点の安房白浜駅(バスターミナル)だ。安房白浜駅からさらに別のバスでJR内房線の千倉駅まで行かなければならない。ところが、乗り継ぎのバスが来るまで1時間半以上も待ち時間があった。タクシーを呼ぼうとか、車を取りに行って車で行こうとか、いろいろ相談してみたが、結局次のバスが来るまで待つしかないとの結論となり、近くのスーパーで夕食を買い込んでバスターミナルで待つことにした。

最終のバスに乗り込んで、千倉駅に向かう頃には、日も沈み暗くなってきていた。


千倉駅からやっとJRに乗って勝浦駅まで行くのにも1時間ほどかかる。勝浦駅から1日目の宿となる勝浦ホテル三日月に着くと19時半になってしまった。ホテルの入り口にはイルミネーションが点灯して噴水が上がり、おしゃれなホテルだ。


マラソンの受付もホテル内で行われるとの事だったが、すでに前日受付の時間は終了しており、翌朝の当日受付をすることにして、部屋に荷物を置いて温泉に入ってゆっくりくつろぐことにした。スタート地点にたどり着くまで、長い1日となってしまった。


「2019南房総みちくさウルトラマラソンツアー:2日目マラソン前半」に続く。

2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:7日目最終日

2019-03-30 12:57:18 | 観光
最終日に泊まった宿は、民宿糸満ガリガリーおおしろさん。居間には、レトロな昭和の看板が飾られていて、レコードも青春時代を思い起こす懐かしいジャケットばかり。物静かなご主人と優しい物腰の奥さん二人で経営している沖縄料理が美味しい家族的な宿だった。


驚くことに、昭和の時代の懐かしいジュークボックスもまだまだ健在で、しっかり動いている。ちょうどこの日は、私の誕生日という事もあり、みんなでお祝いをしてくれたのだが、誕生日の特典という事で、最初に私の選曲で、カーペンターズの「イエスタデイ・ワンスモア」をかけさせてもらった。ジュークボックスから流れるカーペンターズの柔らかな歌声に感無量となった。その後も、みんなの好きな昭和の邦楽、洋楽などいろいろ聞くことができ、思い出に残る宿となった。


宿を出る前に、宿のご夫妻と一緒に記念写真を撮ってお別れする。因みに、ガリガリーとは、沖縄の方言でチップスのことだという。商売を始めたきっかけが、紅芋のガリガリー(チップス)をおやつとして販売したのが名前の由来らしい。


前日の観光スポット巡りで回る時間のなかった喜屋武岬(きゃんみさき)に立ち寄る。ほぼ沖縄本島最南端といわれる岬だ。駐車場からはレーダーや灯台が見える。


ただ、本当の最南端は喜屋武岬ではなく、海に向かって左側に突き出た岩がある荒崎という場所が最南端という事になる。喜屋武岬より400mほど南に出ている。


喜屋武岬は、沖縄戦が終結に近づいた頃那覇方面から南部に戦線が移り、人々もそれに連れてサトウキビ畑が広がるこの南部地域に追い詰められた。周辺の海は米艦隊が襲来して砲撃を開始、人々は最後にはこの崖から飛び降りる事しか出来なかったと言う、とても悲しい歴史を秘めた場所でもあるという。広場には、そのことを忘れないようにと平和の塔が建てられている。


沖縄一周観光ツアーの最後の締めは、「沖縄戦終焉の地」である平和祈念公園だ。沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館の建物の横から平和の礎に向かう。


「平和の礎」には、国籍や軍人、民間人を問わず、沖縄戦における全戦没者24万人余の氏名が刻まれている。


「平和の礎」内にある広場の中央には、沖縄戦最初の米軍の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し「平和の火」が灯されるという。


「平和の丘」。平和への強い意志、揺るぎない誓いの精神を表した黒御影石で、奥に進むと天井から「平和の光」が差し込む造りになっている。




沖縄には、このような戦争の悲惨さを伝える施設が数多くあり、沖縄線における被害者の数がいかに酷かったというのが実感させられた。平和な時代に生きていることに改めて感謝したいと思った。

那覇市内に戻ると、おなじみの国際通りを散策してお土産などを買いそろえてから那覇空港に向かう。


空港に着いたところで各地に散らばるメンバーと解散する。最初は、1週間もの長旅と思っていたが、終わってみればあっという間の1週間だった。海岸線の沖縄の観光スポットは、ほぼ回り切った気がする。内陸部の山や森を回り切ってはいないが、いっぱしの沖縄通になったような気がする。いろいろ、後で笑い話になるようなアクシデントはあったが、10人のメンバーたちとも、仲良く過ごせ、走ったり観光したりと、楽しい旅だった。呼びかけ人のHさんはじめ、同行した皆さんにもありがとうと感謝したい。

2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:6日目観光後半

2019-03-29 22:45:11 | 観光
後半も観光スポット巡りが続く。豊見城市の小高い丘にあるのは、旧海軍司令部壕である。昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われている。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵が収容されていたそうだ。丘の上には、亡くなった兵士たちの慰霊塔が立っている。


旧海軍司令部壕は、戦後しばらく放置されていたが、数回に渡る遺骨収集の後・昭和45年3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元された。壕の中に入る前に、資料館があり、司令官の電報や兵士たちの遺書、司令部壕内での生活の様子などじっくり読んでいく。


壕入口の階段を降りていくと、通路が縦横に張りめぐらされた壕内へと続く。壕の中は撮影禁止となっているので写真は載せられないが、薄暗い通路が無数に張り巡らされ、迷路のようになっている。幕僚室は、幕僚が手榴弾で自決した時の破片のあとが当時のままくっきりと残っている。下士官兵員室は、立錐の余地もない程兵士たちが入り、立ったままで睡眠や休息を取ったという。司令官室の壁面には、『大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり』という大田司令官の愛唱歌が鮮やかに残されている。一通り見終わって壕の中を出たが、このような地下の中で、無残に命を散らしていった人たちが何千人もいたかと思うとやるせない気持ちになった。

次に向かったのは、この旅の中でも最も神秘的でミラクルな場所「ガンガラーの谷」だ。今まで聞いたことのなかった観光スポットだが、今後沖縄に行く人には絶対行ってほしい素晴らしい場所だった。ガンガラーの谷に入るには、必ず予約していかなければならない。ガイド付きのツアーでなければ入れないという事で、ぎりぎり最後の時間の予約が取れた。

受付は、大きな鍾乳洞の洞窟の中にあるケイブカフェだ。草木が生い茂る森の中にぱっくり口を開けた大きな鍾乳洞のスケールに圧倒される。


洞窟内は、鍾乳石から滴り落ちる水滴に濡れないようパラソル付きのテーブルがいくつも並んでいる。


洞窟内から外を眺めた様子。この中では、パーティやコンサートなどのイベントもできるという。音響効果は抜群だろう。


ガイドさんの説明によると、ガンガラーの谷は数十万年前までは鍾乳洞だった場所が崩れてできた、豊かな自然が残る亜熱帯の森。約1万8000年前に生きていた「港川人」の居住区としての可能性も高く、今も発掘調査が行われ、「自然」や「命」に思いを巡らせながら体感することがコンセプトだという。


ガイドさんの案内の元、谷の中に入っていく。広さは約14500坪、歩行距離は約1㎞。足を踏み入れると、広大な太古の世界が広がっている。


木の下にぶら下がっているのは、夜行性の蝙蝠だ。


ジャイアントバンブー。1年で30mも育つ世界最大レベルの竹である。


子宝に恵まれるという「イキガ洞」の中に入る。イキガ洞の中は真っ暗で、ザーッという川の音が聞こえてくる。入り口で、3人ごとにガスランプを手渡される。洞窟内に照明はなく、真っ暗なのでガスランプの明かりだけが頼りだ。何だか冒険に向かうみたいでワクワクする。




イキガ洞のシンボルだという巨大な鍾乳石。イキガというのは、沖縄の方言で男性という意味らしい。このシンボルに触れると、子宝に恵まれると言うことで女性たちは年齢問わず鍾乳石を触りだしていた。


イキガ洞を出て、再び森の中を進む。トンネルの上には道路が通っていて、意外と人の生活圏の中にある秘境なのだ。


ガンガラーの谷で一番人気のスポットが、この大主(ウフシュ)ガジュマルだ。この沖縄で一番大きなガジュマルの前でみんな記念写真を撮りまくる。


この辺りも崩れ落ちた洞窟の跡で、断崖にはガジュマルが根を一杯おろしている。


木橋を渡り、ツリーテラスに向かう。


手作りのツリーテラスからは、森の周辺を眺めることができる。


ガンガラーの谷ツアーの最後は、武芸洞だ。現在も発掘調査を行なっているという洞窟である。


この洞窟は、広々とした平らな場所があり屈まずに立ったまま移動ができる。中にあるベンチに腰かけてガイドさんの説明を聞く。


武芸洞では古代人の人骨が発見されている。この並んだ石は石棺で、貝を加工したビーズのブレスレットを身につけた40代くらいの男性が埋葬されていたそうだ。


武芸洞は大きな入り口が2つあり、結構明るい。これなら古代人も住みやすかったことだろう。ガイドさんから古代人の生活や進化の過程などの説明を聞き、大変面白かった。


ガンガラーの谷のツアーが終わると、沖縄ワールドの敷地内に繋がっているので、沖縄ワールドの中を少し見てから車に戻る。

この日最後の観光スポットは、琉球王国最高の聖地である斎場御嶽(せーふぁうたき)だ。午後5時となり、閉館時間30分前に到着する。雨も降りだし、傘を差しながら足早に巡る。


ここが、斎場御嶽の入り口だ。銘板には、このように記されている。
「御嶽」とは、奄美諸島から宮古・八重山にいたる南西諸島に広く分布している聖地の総称です。斎場御嶽は、琉球王朝時代に政府が整備した国家的な宗教組織との関連が深い、格式の高い祭祀場でありました。せーふぁ(霊威の高い聖なる場所)の名前が示すように、巨岩や聖樹に囲まれた空間には、首里城内にある部屋名と同じ名前の拝所があり、当時の王府と斎場御嶽の関わりの深さをみることができます。琉球最高神女である聞得大君の、就任儀式「お新下り」の御名付けがこの地で行われたということは、王権を信仰面・精神面から支えていた証でもありましょう。現在でも、聖地巡拝の習慣を残す東御廻り(あがいうまーい)の聖地として、参拝客は後を絶ちません。


石畳の坂道を上がっていく。結構距離があり、雨も降っているので石畳が滑りやすく慎重に進む。


大庫理(うふぐーい)。首里城正殿の二階は大庫理と呼ばれ、祭祀的な機能を持つ格式の高い場所である。聞得大君のお新下りの儀式での「お名付け(霊威づけ)」儀礼が、首里城と同じ名前を持つこの場所でとり行われた。前面にある磚(せん)敷きの広間では、神女たちが聞得大君を祝福し琉球王国の繁栄を祈った。


寄満(ゆんいち)。寄満とは首里城内にある建物の名前で、国王のために食事を作る厨房を指す。そこには、国内外からの海幸・山幸が集まり、それが、「豊穣の寄り満つる所」と理解されていった。同じ名前を持つ斎場御嶽のこの場所には、第二次世界大戦前まで、その年の吉兆を占う馬の形をした石(うまぐゎーいし)が置かれていたという。


雨もひどくなり、早々に車に戻り、このツアー最後の宿に向かった。

「2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:7日目最終日」に続く。

2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:6日目観光前半

2019-03-28 19:02:03 | 観光
前日泊った宿は、ペンション「美瑠」だったが、ホテル並みの客室とファミレス「Joyfull」が併設されていて、ゆったり休むことができた。




この日は一日観光の予定だ。まず最初に立ち寄ったのは、残波岬である。沖縄本島最西端の残波岬は、東シナ海に面した岬で、晴れた日には慶良間諸島まで眺望できる絶景の観光地である。公園内に入ってまず目についたのが、大きな石像だ。


この石像は、1373年琉球王朝時代に察度王(さっとおう)の御名代として、中国への初の進貢使となった読谷村出身の泰期(たいき)という人物である。読谷村の豪族だった泰期は、中国の文物を琉球に正式ルートで導入した先駆者で中国への渡航はなんと5回。船に乗ることは命がけだった時代の話だから、泰期の勇気や使命感は並大抵のものではない。そのビジネス能力とグローバルな感覚を讃え「商売の神様」として、故郷の地にこのモニュメントが建てられという事だ。


これは1990年に沖縄本島を襲った台風21号の暴風によって動かされてしまった岩だ。岩の重さは、なんと50~94トンだという。恐るべし台風の力である。


残波岬灯台は沖縄で一番高い灯台で、その高さは約31メートルある。以前は、中に入って上まで登ることができたそうだが、現在は立ち入り禁止となっていて入ることができない。


残波岬の周囲は自然のままの海岸線で、高さ約30メートルの断崖が約2キロも続いている。また、この地は昭和20年4月1日、米軍はこの岬を目印に激しい砲撃を加え上陸を開始、あの悲惨な沖縄戦が始まった地でもある。


「残波岬いこいの広場」の中で、ひときわ目を引くのがこの巨大シーサー。高さ8.75メートル、長さ7.8メートルもある日本一の特大獅子です。遠くを見据える大獅子との記念撮影が残波岬観光の定番になっているそうだ。


残波岬から次に向かったのは座喜味城跡だ。ここも「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されている。


座喜味城の築城は15世紀前半で、座喜味の北東4kmに位置する山田城の城主・護佐丸(ごさまる)が北山監守の時、山田城を取り壊してその石材を運ばせてつくらせたと伝えられている。城は主郭と二の郭からなり、外周365m、総面積7,385㎡で、沖縄の城としては中規模のものだ。


座喜味城の城門に向かう。近くに植わっているのは琉球松だ。


沖縄最古といわれるアーチ型の石造門と美しく堅牢な切石積みの城壁。


城壁の一番高いところに登ると、360度読谷村のほぼ全域を眺めることができる。


次に向かったのは、道の駅「かでな」。嘉手納空軍基地と隣り合わせにある道の駅「かでなで」の最上階に登ると、基地と共にある沖縄の日常を垣間見ることができる。嘉手納空軍基地の総面積は嘉手納町の82%を占め、3,700mの滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。滑走路においては成田国際空港や関西国際空港と遜色なく、日本最大級の飛行場の一つということだ。


カメラをズームしてみると、巨大な軍用機が何機も駐機しているのが見える。


展望台に来た時には、戦闘機の離陸はなかったが、しばらくすると一気に何機も離陸が始まった。ものすごい轟音が響く。




屋上展望場から下の3階に下りると、学習展示室があり、基地と共に歩む嘉手納町の歴史や日常風景を改めて感じ入った。

北谷町(ちゃたんちょう)に入ると、アラハビーチに立ち寄る。


北谷町といえば、外国人居住者が多く、まるで海外リゾートのような雰囲気のおしゃれな街だ。アラハビーチは、全長約600mの白い砂浜が続く人口のビーチである。


白い砂浜とエメラルドグリーンの海は、まさにザ・沖縄をイメージさせる。白い砂浜に絵を描いている子供も絵になるなあ。


「2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:6日目観光後半」に続く。


2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:5日目美ら海水族館等観光

2019-03-27 19:26:52 | 観光
5日目の朝一でマラニックを終了し、あとは観光地巡りだ。寄りたいところばかりで忙しいが、まずは、今帰仁村の今帰仁城跡(なきじんぐすくあと)に寄っていく。今帰仁城は、琉球が中山に統一される前の「三山鼎立時代」には山北(北山)王の居城とし、また中山が三山を統一後には琉球王府から派遣された監守という役人の居城だった。外郭を含めると7つの郭からなり、その面積は首里城とほぼ同規模で、城を囲む石垣は地形を巧みに利用し曲線を描き、城壁のディテールは美しく、沖縄屈指の名城だという。ここも、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としての世界遺産リストの一つだ。観光ガイドの人に城の模型を見ながらその歴史を聞く。


緩やかなカーブを描く城壁が美しい。


平郎門。今帰仁城の正門で、昭和37年に修復され、現在の形になっている。門は狭く、やや窪んだ位置に造られているため、攻めにくい構造になっている。両側に2つずつ開いている狭間は、門番が外を見張るための、のぞき窓である。


「テンチジアマチジ御嶽」。今帰仁城跡にはいくつかの聖地があるが、そのなかで最も神聖な場所だ。かつて、そこには霊石があったといわれている。霊石は北山の守護神でもあったが、北山王の最期、自害する際に霊石に向かって「お前だけ生き残ることは許さぬ」と、十文字に切り裂いてしまった。割れてしまった霊石は誰かに持ち去られてしまったといわれ、現存していないそうだ。




主郭(本丸)から、志慶真門郭(しげまじょうかく)方向を眺める。その先には美しい海が広がっている。


それにしても今帰仁を“なきじん”と読むのはどうも違和感がある。色々調べてみたが、今帰仁を“なきじん”と読むようになった由来は未だにはっきりしないようだ。

次に向かったのは、沖縄に行ったら誰もが一番行きたいという“美ら海水族館”だ。階段を下りていくと広大な海洋公園となっており、美しいビーチの先には、特徴的な形の山がある島が見える。


この島は伊江島といい、島の中央東側に位置する『城山(伊江島タッチュー)』は、沖縄八景のひとつと言われる172mほどの山だ。沖縄の富士山と言っても過言でないほど、沖縄での知名度は高いそうだ。タッチューとは沖縄の言葉で、とがっているものという意味で、今回そこ迄はいけないものの、かなり興味がわいた。


さて、水族館の中に入ると、珍しい海中生物をいくらでも見ることができる。これは、水色の背中の大きなニシキエビ。


クラゲがフワフワと泳いでいる。


巣穴から体をニョロリと伸ばして、水中をゆらゆらと漂う姿がユニークな生き物、チンアナゴ。


美ら水族館のメインスポットである巨大な水槽の中には三匹の大きなジンベエザメが泳ぐ姿や、マグロやマンタなど迫力ある泳ぎを楽しむことができる。




時を忘れてしまうくらい、いつまで見ていても飽きない水槽だ。




世界最大のエイ、ジャイアントマンタも悠々と泳いでいる。


美ら海水族館のもう一つの人気スポットは、無料で観覧できる「オキちゃん劇場」のイルカショーだ。開始時間に合わせて行くと、既に大勢の観客で一杯となっていたが、なんとか場所を確保して観覧する。沖縄民謡の音楽に合わせてイルカがヒューヒューと鳴いている。


定番のジャンプシーンは迫力がある。






イルカショーが終わり、しばらくするとイルカの餌やり体験の整理券を配るという放送が入り、さっそく整理券をもらって餌やり体験もしてきた。


バケツに入った小さな小魚をイルカの口めがけて落とすだけなのだが、やっぱり近くで見ると大きい口が怖くて、あまり手を近づけることはできない。


美ら海水族館を出て次に向かったのは、名護市にあるオリオンビールだ。本土では、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリーの4社がシェアを分け合っているが、沖縄県内シェアは5割を超すという県民ビールの会社だ。工場見学ができるオリオンハッピーパークには、引きも切らさず観光客が入っていく。


予約していた時間前に無事到着し、ガイドの案内の元、ビール製造工程の説明を聞く。


大きな蒸留窯。


窓越しにビールの貯蔵タンクを眺める。


ビールのビン詰ライン。あいにく休日だったのでラインは止まっている。


工場見学終了後は、お目当ての試飲コーナーだ。出来立ての生ビールをさっそくいただく。一人2杯まではOKということで、ビール好きのメンバーはすぐに2杯目も飲み干していた。


この日最後の観光スポットは、沖縄本島北部の恩納村にある万座毛(まんざもう)だ。象に似た岩が見えるポイントが一番人気の絶景ポイントである。


万座毛は、沖縄きってのリゾートエリア。どこまでも青い海と空、広場の緑が美しい人気スポットだ。名前の由来は、「万人も座する草原」(毛とは草原のこと)琉球王朝時代、尚敬王が「万人を座するに足る」と賞賛したことだと言われている。


色々見て回っているうちに、時間は17時を回っていた。宿に着くと18時近くになってしまった。

「2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:6日目観光前半」に続く。

2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:5日目古宇利島マラニック

2019-03-26 19:20:41 | マラソン
民宿の裏手に美しい砂浜があるので、朝一のマラニックは、砂浜沿いに走っていくことにした。


浜から畑の中を抜けて車道に出ると古宇利大橋の入り口だ


古宇利大橋は、今帰仁村の古宇利島と名護市の屋我地島を結ぶ全長1,960mの橋。2005年2月8日に開通し、日本国内で通行無料の橋としては2番目に長い橋になるそうだ。


橋の両側にはエメラルドグリーンの海が広がり、まるで海の上を走っているような気分が味わえる絶景の橋である。


当初は、古宇利島を一周してからオーシャンタワーまで行く予定だったが、この後に行く観光スポットが目白押しなので、島を一周しないで、直接オーシャンタワーまで行く。


駐車場から展望台までは自動で動くカートで移動する。ゆっくりと古宇利島の景色を見ながらカートが移動していく。




上に上がるにつれて、古宇利島周辺に広がるエメラルドグリーンのきれいな海や古宇利大橋が一望できるようになってくる。




オーシャンタワーの入り口が間近になった。


中に入ると、シェルミュージアムがあり、1万点以上の世界の貝が展示されている。普段見ることのできない珍しい貝や、色鮮やかな貝などがたくさん展示されている。




エレベーターと階段を利用して最上階の展望デッキまで行く。最上階からは、古宇利島の海抜82mからの絶景を楽しむ。




展望デッキから下を覗くと、島を一周してきたメンバーの姿が見えた。上から手を振ってから、急いでタワーを下りて駐車場にいるメンバーのところまで戻った。

参考1.古宇利島マラニックのコース


参考2.古宇利島マラニックの高低図


「2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:5日目美ら海水族館等観光」に続く。

2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:4日目奥武島~屋我地島マラニック

2019-03-25 18:52:22 | マラソン
大石林山から車で次のマラニック区間まで移動する。当初の予定では24キロほどのマラニックになる予定だったが、大石林山でたっぷり観光したので、マラニックの時間的余裕がなくなり、距離を短縮することになった。

道の駅「おおぎみ」から後半のマラニックスタートだ。


午後から少し雲が多くなったが、走りやすい天気で海もエメラルドグリーンのままだ。


羽地奥武橋を渡り奥武島に入る。


西側は、羽地内海(はねじないかい)と呼ばれる海域だ。羽地内海は、沖縄本島の本部半島と屋我地島とで囲まれ「沖縄の瀬戸内海」「沖縄の松島」と呼ばれることもあるそうだ。内海のため波が穏やかで、カヌーで遊ぶには良さそうな海だ。


ハイビスカスの花が、華麗に咲いている。


屋我地大橋を渡り、屋我地島に向かう。


屋我地島を数キロ走ったところで、この日の宿だ。入り口がよくわからず、近くを探し回って何とか宿にたどり着く。宿の裏は、美しい白砂のビーチが広がっていた。




宿の隣にある沖縄そばの店が、この日の夕食会場だ。


夕食の後、宿の人と一緒の二次会となり、三線の演奏と歌声で沖縄の夜を楽しんだ。


参考1.奥武島~屋我地島マラニックコースマップ


参考2.奥武島~屋我地島マラニック高低図


「2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:5日目古宇利島マラニック」に続く。


2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:4日目大石林山観光

2019-03-24 22:08:34 | 観光
沖縄本島北部エリアは、「ヤンバル(山原)」と呼ばれる豊かな自然あふれる癒しの里である。 そのヤンバルで、昔から聖なる地として伝えられてきた安須杜(アシムイ)の山々(大石林山)は、辺戸岬から眺める険しい姿とは違って、一歩踏み入ると、そこは亜熱帯の自然と触れ合う楽園であり、奇岩や巨石、亜熱帯の森、大パノラマなど、さまざまな表情を見せてくれる。沖縄のパワースポットとして知られる大石林山は、数百万年という長い年月のあいだ雨や風などに溶食・侵食され奇石が林立する独特の風景がつくりあげられた。広大な森には2つのトレッキングコースがあり、奇岩や巨大ガジュマル、大海原を望む山頂などダイナミックな景観が楽しめるということで、マラニックの後の観光の目玉として世界最北の熱帯カルスト地形を歩くことになった。


受付でコース案内の説明を聞き、送迎バスでトレッキングコースまで向かう。コースの案内看板を頼りに森の中に入っていく。


さっそく石が林のように飛び出している地形が目立つようになってきた。


「巨人のこしかけ」と呼ばれる石。ひじ掛けが付き、巨人が座れるような形の石だ。


ガジュマルの根が岩に絡みついている。


「岩ふくろう」。フクロウの顔に見える。


腕が伸びているような岩。


岩の窪みに何か見えている。


「縁結びの岩」。二つの岩が寄り添っている。


モンスターみたいな岩。


まさに石林だ。


石林をバックに記念撮影。


「立ち神の大岩」前でも記念撮影。


「イグアナ岩」。


「ラクダ岩」。


「サイゴリラ」。サイとゴリラが合体か?


「悟空岩」。


何だったか忘れたが、馬の首のようにも見える。


「石林の壁」。石林の壁にはエネルギーが集まるといわれ、その前にある石を撫でると運気が良くなるという。




「守り猫」。根野の後ろ姿に見える。


ヤンバルクイナ展望台が見えた。


「骨盤石」。


「生まれ変わりの石」。3回くぐると新しく生まれ変わるといわれている。


辺戸岬の展望もばっちりだ。


「ピカソ岩」。


「岩の中の宇宙人」。


リュウキュウイノシシが保護されている。


この御願ガジュマルは日本最大のガジュマルとして、また精霊の宿る木としても有名だという。


精霊のパワーなのか、オーブが一杯写っている。


大自然が織りなす奇岩・巨石群の大石林山を目いっぱい回って楽しんで、次のマラニックコースに移動する。

「2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:4日目奥武島~屋我地島マラニック」に続く。

2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:4日目辺戸岬マラニック

2019-03-23 19:35:31 | マラソン
4日目の朝、民宿海山木のテラスで出発の準備をする。周りにも草木が生い茂り、まさに海と山と木に囲まれた宿だった。


入り口前でスタート前の記念撮影。


4日目も好天に恵まれた。1時間ほど走ると、前方に凄い岩山が見えてきた。後ほど観光に立ち寄る予定の大石林山だ。


宇佐浜遺跡(うざばまいせき)前まで走ってきた。この遺跡は、縄文時代末期あるいは弥生時代初期の住居跡ではないかといわれている。


立派な石碑と看板が立っていたので、どんな遺跡だろうと奥をのぞいてみたが、草で覆われて、ただの野原にしか見えなかった。


辺戸岬(へどみさき)が見えてきた。辺戸岬は沖縄本島にある最北端の岬だ。


辺戸岬先端まで向かう。


辺戸岬の後ろ側にそびえる山々には、安須森(あすむい)と呼ばれる琉球開びゃくの聖地がある。現在は、大石林山という自然のテーマパークになっているのだが、よくよく見てみると菩薩の横顔に見える。まさに聖地といっても過言はないだろう。


菩薩様の横顔をバックに記念撮影。


岬の中心に建てられている「日本祖国復帰闘争碑」は、1972年、アメリカの統治下にあった沖縄が日本に返還され、沖縄県になった時に建立されたものだ。幾度となく祖国復帰の闘争が繰り返されていたことを忘れまいと、沖縄本島最北端であるこの地に碑が建てられた。


太平洋と東シナ海がぶつかる沖合からの荒波が、隆起したサンゴ礁の断崖絶壁に打ち付ける様はとてもダイナミックである。


宇佐浜遺跡に立ち寄った時、ヤンバルクイナ展望台の矢印看板があったので、辺戸岬から車で移動して見ていくことにした。宇佐浜遺跡から海岸線沿いに下って行き、しばらくしたところに、ヤンバルクイナ展望台入口がある。周りはお墓が立ち並んでいるが急坂を上がっていくと、巨大なヤンバルクイナの像が出てきた。


高さ11.5mと村の鳥をモチーフにした展望台であり、くちばしから足まで実にリアルにできていて、与論島方向を見ている。やんばるの森を走った時は、本物のヤンバルクイナを見ることはできなかったが、この巨大なヤンバルクイナを見ることができたのが最高だ。


ヤンバルクイナ展望台から見た辺戸岬の絶景。約80mある崖の下の海は思わず引き込まれそうな深いブルーだ。


参考1.辺戸岬マラニックのコースマップ


参考2、辺戸岬マラニックの高低図


「2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:4日目大石林山観光」に続く。

2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:3日目辺野古&やんばるマラニック

2019-03-22 20:34:28 | マラソン
3日目のマラニックは、久志浄水場前からスタートする。この日は朝から時折雨が降り、カッパを着て走る。


5キロほど走ると辺野古の米軍基地キャンプシュワーブ前を走る事になる。


基地に対して反対側の道路際には、基地反対団体のテント小屋が立ち並んでいた。走り出してすぐに遠くから人の声のようなものがずっと聞こえるなあと思っていたが、やはり反対派住民のマイクによるアジテーションが四六時中行われていたのだ。まさに、沖縄が抱える問題のすべてがここにあるという事を肌でしっかり感じた。


辺野古の埋め立てをしている工事現場入り口の前には、機動隊員が物々しく警備にあたっており、トラックが出ていくと一斉に機動隊員が整列して壁を作っていたのが不気味で、ひときわ印象に残った。


北側にあるキャンプシュワーブの入り口前も通過する。


フェンスが途切れたところからは、海上に大きな工事船が何隻も見えた。まさに今、沖縄の住民投票でも反対多数だった辺野古の埋め立て現場を目の前で確認できた。


観光闘牛場前を通過する。


二見地区を下っていくと、道の斜面に赤い葉の植物がたくさん植わっているのが見えてきた。


葉がこれほどまでに赤い植物は見たことがない。後で調べてみるとコルディリネという植物のようだ。熱帯から亜熱帯にかけて多く分布する植物らしい。


二見地区の海岸線からは、辺野古の埋め立て海域がさらに良く見えた。


12.8キロほど走ったところで、名護市役所久志支所前にゴールする。

参考1.辺野古マラニックコースマップ


参考2.辺野古マラニック高低図


一旦車に戻って、数十キロ先のやんばるの森まで移動する。

この日2回目のマラニックは、やんばるの森を走るコースだ。まずは、新川ダム入り口からスタートする。“やんばる”とは、「山々が連なり、森が広がる地域」という意味を持ち、沖縄島北部一帯を指す言葉だ。その中でも、特にヤンバルクイナやノグチゲラなどをはじめとする固有種などが多く生息・生育し、比較的健全な状態のまとまった森が残るのは、沖縄島北部の3村(国頭村、大宜味村、東村)である。


ただ、舗装道路がずっと通っているので、コースは走りやすい。


道路から見る森は、いかにも沖縄らしい原生林がどこまでも連なっているのがよくわかる。


道路には、ヤンバルクイナの飛び出し注意喚起の標識が立っている。


普久川ダム入り口までの約15キロを走ったところで、2回目のマラニックのゴールとした。

参考3.やんばるマラニックコースマップ


参考4.やんばるマラニック高低図


普久川ダム入り口からは車に乗って宿まで移動する。この日の宿は、「海山木」といい、読み方は“みやぎ”だ。沖縄本島最北端の集落「奥」にあり、海と山に囲まれたこの「民宿海山木(みやぎ)」は、どこにあるのか簡単には見つけることができない不思議で奇想天外な宿だ。そして、オーナーも個性的で独特の魅力がある不思議な人物だった。夕食は、オーナーを交えて囲炉裏端で宴会となった。






「2019沖縄一周いいとこ観光マラニック:4日目辺戸岬マラニック」に続く。