とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

知多半島周辺を日帰り旅行する

2011-09-30 21:15:56 | 観光
今年も、会社の人たちで愛知県の知多半島周辺を日帰り旅行した。今回は、幹事の好みなのか健康的な製品を作る工場見学ツアーでもあった。

まずは、腸を健康にしてくれる乳酸菌飲料の「ヤクルト」で有名な愛知ヤクルト工場を見学する。玄関には、大きなヤクルト400の容器が迎えてくれる。


入口ホール内には、世界各国で売られているヤクルトのいろんなパッケージが展示されている。


またヤクルト以外のその他の飲み物のパッケージも展示されている。あのタフマンのパッケージも見える。


工場見学前に、案内嬢から1本ヤクルトを貰って飲み干す。DVDを見た後、いよいよ工場内にはいりヤクルトが包装されるまでの工程を見学する。ヤクルトの容器を作る工程、容器に液を充填する工程、製品を包装する工程をガラス越しに見ることができる。1本のヤクルトが包装されるまでの時間は4分ほどだという。もの凄い速さでヤクルトが出来ていくのを見てるのは面白い。この工場では、ヤクルトそのものの原液は作っていない。別の工場で作った原液を毎日タンクローリーで運んできて、地下水で薄めて容器に充填するという作業を行なっているそうだ。

その後、半田市の「蔵のまち」に立ち寄る。蔵のまち飲食店で昼食をとり、周辺を散策する。この辺りは、昔から酒・酢・焼酎などの醸造業とその製品を運ぶ海運業で多くの人が集まり賑わいを見せていた場所で、昔ながらの蔵がいくつも建ち並んでいる。


「蔵のまち」散策コースにある観光案内所でもある小栗家住宅。


国盛酒の文化館。無料で見学できるが50分ほどかかるらしく、時間がないので前を見て帰る。


最後に、「酢の里」博物館を見学する。ここは、酢などの調味料で有名なミツカンが運営する博物館である。昔ながらの製法で酢を醸造していく様子を見学させてくれる。博物館で、ミツカンのロゴマークの由来が説明されていた。1887年(明治20年)、三本線に丸をつけたロゴが商標登録された。ロゴの三本線≡は、創業者の中埜家の家紋が由来であるが、酢の命でもある「味」「利き」「香り」の意味も持っており、下の丸○は「天下一円」を意味しているとのことだ。


博物館の前は運河となっており、ミツカンの工場が見える。本社もすぐ近くにある。この景観は、なかなか絵になるようで、むかし黒澤明監督もこの辺りで姿三四郎という映画を撮ったそうだ。


博物館では、酢ジュースを貰ったりして酢の良さをいろいろ教えられた。酢には、体に役立ついろんな力が秘められているそうだ。一通りあげてみるとこれだけある。
1.内臓脂肪の減少
2.血圧低下
3.血中脂質の低下
4.血糖値上昇を穏やかにする
5.カルシウム吸収の促進
6.疲労回復
とまあ、こんなにも体にいいとは知らなかった。ただ、毎日継続的にとることが大事だそうだが、あの酸っぱさを毎日我慢できるかどうかだ。何か飲みやすいものに混ぜれば長続きするかもしれない。

そんな感じで、珍しい場所を組み合わせた観光旅行だったが、会社の仲間達とリフレッシュできた一日となった。

ニュートリノは光より速い?

2011-09-29 23:13:22 | サイエンス
しばらく前のニュースで、素粒子ニュートリノの速度が高速より速いことが実験で見出せたという話があった。アインシュタインの相対性理論に沿えば、物質は真空では光より速く移動することができないとされており、これが事実なら物理学の常識といわれている相対性理論を覆すことになる。

実験では、スイスの欧州合同原子核研究機構(European Centre for Nuclear Research、CERN)から730キロ先にあるイタリアのグランサッソ国立研究所(Gran Sasso Laboratory)へ、数十億のニュートリノ粒子を発射した。その時の、光の到達時間は2.3ミリ秒だったが、ニュートリノの到達はそれよりも60ナノ秒ほど早かった(誤差は10ナノ秒以下)。ニュートリノの速度は毎秒30万6キロで、光速より毎秒6キロ速いという結果だったそうだ。

それにしても、光の到達時間が2.3ミリ秒というのは想像もつかないほど短い時間だが、ニュートリノが60ナノ秒速いというのも、なんだか実感が湧かないほど短い時間だ。人間の感覚では、まったく感知できない世界だが、精密な測定でこんな短い時間の測定もできるようになったと思うとすごいものだ。

ただ、この発見は物理学の世界では簡単に受け入れられそうにないし、測定誤差がまったくないとは言い切れない。この研究を行なったチームは、結果を公表することで、世界中の物理学者らに精査してもらおうという意図があるそうだ。最終的に、この結果が世界中で確認できれば、物理学の常識を根本的に覆す画期的な発見になるという。

そして、光より速い物質があることが判れば、夢物語とされていたタイムマシンも夢ではなくなるかもしれないという。SFの世界だけの話だったタイムマシンが可能になるかもしれないというだけで、ワクワクするニュースであった。

2011白馬岳登山 蓮華温泉野天風呂めぐり

2011-09-28 22:06:32 | 観光
かつて蓮華温泉には、「蓮華七湯」と称して一つの内湯と六つの野天風呂があったそうだが、現在では「新黄金の湯」と「蒸湯」という野天風呂はなく跡が残っているだけだ。したがって現在は、内湯である「総湯」と4ヶ所の野天風呂の5ヶ所が全てである。温泉好きで時間があれば全部入っていきたいところだが、そこまで時間的余裕はないし、全部入って行くのも面倒くさいので、一番いい場所にある野天風呂だけ入っていくことにした。


蓮華温泉の野天風呂には、更衣室の類は一切なく混浴である。したがって、若い女性には入り辛い。さすがに、娘も野天風呂は遠慮して男女別々の内湯(総湯)に行った。内湯はロッジ内にあり、秘湯とは思えないほど近代的な風呂のようだった。そして、私とINAさん二人で野天風呂を回ることにした。

野天風呂めぐりの最初にあるのが、「黄金の湯」である。ロッジから一番近い風呂だ。林間に位置し展望はあまりないが、湯量は豊富で黄色っぽい湯の色をしているのでこの名がついているそうだ。ただ、通り道のすぐ横であるので、女性にはなかなか入りにくい湯である。




その先に進むと「新黄金の湯跡」の標識がある。なんで、「新」とつく湯のほうがなくなってしまったのか不思議である。


更に上がって行くと、水蒸気が湧き上がって硫黄の臭いがする場所が見えてきた。如何にも秘湯という雰囲気で一杯である。近くには「蒸湯跡」の標識もあったらしいが、それは見ずに先に進んだ。


人の声がすると思って見上げてみるとそこは「仙気の湯」だった。蓮華温泉を代表する露天風呂で、高台に位置し展望が良く、湯船も露天風呂の中では一番広い。元は「疝気の湯」と称し、下腹部が痛む病気に効くという意味でつけられた名前らしい。この風呂には大勢の人が入れ替わり立ち代り入ってきた。




「仙気の湯」のすぐ上には「薬師湯」がある。一番高台にある露天風呂で、下山道から見えたのはこの湯だった。少々小ぶりの石組の湯船だが、ここからの展望も素晴らしい。我々は、ここの風呂に入ることにした。湯は、ほどよい温度でじっくり浸かっているにはちょうどいい。ただ、それなりに人が上がってくるので何時までも浸かっているわけにはいかない。夏の夜、星空を仰ぎながら入るのもいいし、紅葉を見ながら入るのもいい。雪の時期は、かまくらとなって雪見風呂にもなるようだ。いろんな季節のシュチエーションを考えて入ると楽しめそうな野天風呂である。「薬師湯」は行き止まりの場所にあるため、女性だけで行くなら入りやすいそうだ。




「薬師湯」「仙気の湯」の下の分岐から別の道を下ると「三国一の湯」がある。日本・中国・天竺の3カ国で一番という意味でついた名前らしいが、一人しか入れない小さな湯船で、これも道沿いにあるのでわざわざ入るのは勇気がいる。景色もいま一つだ。


「三国一の湯」で野天風呂巡りは終わる。その後、内湯から出てきた娘と合流し蓮華温泉を後にした。マイカーなので、バスや電車を乗り継ぐ必要もなく気楽に帰ることができる。当初は、バス、電車を乗り継ぎ猿倉に戻るつもりだったので帰宅は深夜になると予想していた。しかし、回送サービスのおかげでマイカーで直接帰ることができ、帰宅時間は3時間ほど早くなった。お金はかかるが、マイカー登山の利点を充分活用できた山旅であった。

2011白馬岳登山 2日目

2011-09-27 22:21:18 | 山登り
2日目の朝はかなり冷えた。山は秋から冬に移ろうとしている。洗面所の水は凍って出てこない。仕方なくペットボトルに残った水で顔や手を洗う。そして、朝食は5時からだが食堂はすでにたくさんの登山者が行列を成していた。行列に付いてしばらくすると受付が始まり、初回の朝食に間に合った。朝食を済ますと、急いでカメラを持って外に飛び出す。もちろんご来光を仰ぐためだ。小屋から斜面を少し登れば展望のいい場所がある。日の出時刻数分前にいいポイントに到着すると、大勢の人たちが集まってきていた。杓子岳や鑓ガ岳もくっきり見えてこの日も快晴である。


数分後、ご来光が始まった。雲海の間からきれいに光が射してきた。久々の見事なご来光である。


人々の顔や体、地表が全て赤く染まってきた。


剱、立山連峰も赤く染まってきた。


ご来光を仰いだあと部屋に戻り、出発の支度をする。再び、白馬岳山頂に向かうことになる。少し、日が高くなって眩しいくらいの天気になってきた。雲海を目の前にした人の姿が、なかなか絵になる。


こちらは、黒部市の町並みと黒部川、富山湾の景色だ。


日陰には、見事な霜柱が出来ている。


緩やかな尾根歩きが続く。


数日前に降った雪が残っている。


さらに、緩やかだがアップダウンの続く尾根道が続く。






歩き出して1時間弱で、三国境に到着する。三国境の地名は、信濃、越中、越後の三国の境だったことに由来するが、現在でも長野、富山、新潟の県境でもある。分岐を左に行くと、雪倉岳から朝日岳へのコースとなる。


三国境から30分ほどで、小蓮華山2769mに到着する。山頂には、大きな鉄鉾が立っている。


小蓮華山からしばらく進むと、はるか先に白馬大池の湖面が見えてきた。


最後のピーク、船越ノ頭にむけて進む。


船越ノ頭から後ろを振り返る。この景色は、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」のエンディングで使われているそうだ。ただ、ドラマでは雲がたなびき、雪がかなり残っている映像らしい。この写真では、坂の上に雲がまったくないので、天気が良すぎるようだ。


雷鳥坂を下っていくと、白馬大池が大きくなってきた。


白馬大池山荘のある白馬大池に到着する。広々とした山荘前の草原は、昼寝でもしたくなるような別天地である。


山荘前で小休止をして、蓮華温泉への分岐に入っていく。歩き出しは、まるで海に繋がっているような道だ。


歩き出しの緩やかな道は直ぐ終り、岩だらけのごつごつした歩きにくい道がずっと続く。


分岐から1時間ほどで「天狗の庭」に到着する。まさに天狗でなければ、造園できないような自然の庭園が広がっている。


「天狗の庭」からも、歩きにくい道がずっと続く。いいかげん嫌になってきた頃、「蓮華の森」に到着する。ここまで来れば、蓮華温泉まであと僅かだ。


蓮華温泉の建物が見えた頃、山肌の白くなったあたりに大勢の人影が見えた。どうも野天風呂に入りにきた人らしい。あとで、その風呂に入るのを楽しみにしてゴールに向かった。


12時くらいに無事ゴールの蓮華温泉ロッジに到着する。


まずは一番気がかりだった車の回送を確認するため、ロッジの受付に寄った。受付で、鍵を受け取り駐車場に急ぐ。駐車場には、猿倉においてきた自分の車がしっかり駐車されていた。車があって一安心だ。これで、心おきなく温泉に入って行くことができる。

温泉の様子については、2011白馬岳登山 蓮華温泉野天風呂めぐり に続く。

2011白馬岳登山 1日目

2011-09-26 23:01:06 | 山登り
9月最後の週末も山登りだった。今回は、北アルプスの白馬岳である。白馬岳といえば、もう5回くらいは登っている大好きな山である。今回は、行ったことのない人を連れて行こうと計画したのだが、皆さん都合が悪いのか結局集まったのは、私の娘とINAさんだけだった。INAさんと行くのは、本当に久しぶりだ。そして娘も、山ガールウェアを買ったので、何処かの山に連れてってという事で珍しく一緒に行くことになった。

コースは、猿倉から白馬大雪渓を登り、白馬山荘に宿泊後、小蓮華山、白馬大池を経て蓮華温泉へと下山する。今回初めて、蓮華温泉へ下るルートを選択した。ただ、問題は蓮華温泉からどうやって猿倉に戻るかだった。当初は、蓮華温泉から、バス、JR、バスを乗り継いで猿倉に戻るつもりだった。ただ、これだと猿倉に戻るのが午後5時近くになってしまう。それから帰るとなると、自宅には深夜となってしまう。すると、INAさんからアドバイスがあって、下山地まで車を回送するサービスがあることを知った。猿倉で車を預けて、蓮華温泉まで回送してもらえれば、温泉セットなどの荷物を置いたままに出来るし、車で直ぐ帰れるので帰宅も早くなって一石二鳥である。ただ、費用はかなり高いが、割り勘にすれば交通機関を使う場合とそれほど差はない。いろいろ考えて、回送サービスを頼むことにした。手配は、電話だけで済んだ。あとは、車の鍵とお金を封筒に入れて受け渡し場所の猿倉荘の受付に渡すだけだ。しかし、相手の顔が見えないし、本当にちゃんと運んでくれるか心配だったが、相手を信用するしかない。

さて、土曜日の深夜1時過ぎに猿倉の駐車場に着いた。ここの駐車場は、以前来た時もかなり込んでいたが今回も満車状態だった。一見まったくなさそうだったが、無理やり車一台置けるスペースを見つけ、なんとか駐車した。その後来た車は、駐車スペースがなくあきらめて下に戻っていった。本当に幸運だった。写真は、朝起きた時の駐車場の様子だ。そして、天気は快晴で白馬岳がくっきり見えていた。


猿倉荘で登山届を提出する。受付で回送サービスの件を確認し、鍵を預ける。いよいよ、登山の開始だ。気持ちよい青空が広がり、気分もウキウキしてくる。広い林道を進み、沢を渡る。


歩き出して1時間ほどで、白馬尻に到着する。「おつかれさん!ようこそ大雪渓へ」の文字が懐かしい。


白馬尻小屋前で、小休止だ。夏の早い頃であれば、この辺りまで雪渓が残っていたはずだが9月末ともなると、まったく残っていない。


白馬尻から、さらに上に進む。雪渓が見えてきたが、ほとんど溶けて雪渓を歩けるところはない。


白馬尻から1時間弱ほど歩いた辺りから、雪渓歩きが始まった。ここから、アイゼンを着用する。


下はかなり溶けたとはいえ、やはり日本一の大雪渓である。見上げるとずっと上まで雪渓が続いている。落石に注意しながら慎重に上る。雪渓での落石は音がしないので要注意だ。


ところどころ、大きなクレパスが口をあけている。クレパスの近くは危険なので、大回りして安全な場所を探して上っていく。


葱平で雪渓から外れる。ここからは岩稜の登山道になる。見上げると、杓子岳の鋭く尖った岩稜が印象的である。


夏であれば、小雪渓をトラバースしたはずであるが登山道には雪渓がなく、その後も険しい岩稜の登山道をさらに上る。


目前に、村営頂上宿舎が見えてきた。白馬村の経営する山小屋で収容人員1000名ほどの大きな山小屋である。


そして、雪渓の上には今夜宿泊する予定の白馬山荘が見える。


もう少しで、白馬山荘である。この小屋は、収容人員1500名という日本最大の山小屋である。白馬岳の二軒の山小屋をあわせると収容人員2500名になる。これらは、世界でもトップクラスの山小屋である。如何に白馬岳の人気が高いことがわかる。


白馬山荘で宿泊受付を済ませ、空荷で白馬岳山頂を目指す。 山頂手前のケルンに白馬山荘創始者「松沢貞逸」 翁のレリーフがある。


午後1時30分、2933mの白馬岳山頂に到着する。


山頂からは、立山連峰、剱岳、旭岳、雲海等が見える。


槍、穂高連峰もしっかり見える。


そして、これは白馬岳東面がすっぽり切れ落ちた様子だ。後方には、杓子岳、白馬鑓ガ岳がくっきり見える。


山頂での景色を堪能したあと、白馬山荘に戻りのんびりする。白馬山荘には、宿泊棟以外にスカイプラザという山上レストランがある。ここの大きな窓から、山並みを見ながらコーヒーを飲んだり食事ができる。山上での絶景をみながら贅沢な時間を過ごすことのできる空間である。




午後5時の夕食を済ますと、日没の時間が迫ってきた。カメラを持って、山小屋前の広場に出る。小屋も人も夕日で赤く染まってきた。


雲海の先に浮き出た白山。


夕日が、日本海に沈んでいく。


黒部市の町並みと富山湾の境目が良く見える。雲が赤くなっている部分の下は、能登半島である。


素晴らしい夕焼けを堪能し、小屋に戻った。夜はさすがに冷えてきた。談話室にはストーブが焚かれ、暖を取るため大勢の登山客が集まってきた。他の登山者達と談話を楽しみ、部屋に戻る。今の時期は、満員という事はなく、部屋も余裕があり布団もたくさん余っている。寒そうなので、敷布団、掛布団とも2枚ずつにして寝る事にした。

翌日も、天気は良さそうである。二日目に続く。

白馬岳から帰る

2011-09-25 23:26:01 | 山登り


23日夜から25日まで、北アルプスの白馬岳に行ってました。
猿倉から白馬大雪渓を登り、白馬山荘に宿泊。
翌日、小蓮華山を経て白馬大池経由で蓮華温泉に下山しました。
このところ、山は晴れ続きで恵まれた登山が続いていますが
今回も二日間とも快晴で、今年の登山では最高の上天気だったといっていいでしょう。
朝から晩まで雲がほとんどかからず、一日中360°のパノラマでした。
しかも、風がほとんどなかったので適度な気温で気持ちよく歩けました。

写真は、白馬山荘から見た日の入りの様子です。
左には剱岳、雲海の先には白山、夕日は日本海に沈んでいきます。

詳細は、今後アップしていく予定です。

世界有数のパワースポット「分杭峠」に行く

2011-09-24 18:36:40 | 観光
遠山郷マラニックの翌日は、山登りに行こうかとも思っていたが、私のたっての希望で前から行きたかった分杭峠にマラニック仲間の人達と行くことにした。分杭峠は、「健康に良い『気』を発生させるゼロ磁場地域である」と言われ、マスコミにも「エネルギーが凝縮しているゼロ磁場であり、世界でも有数のパワースポットである」と取り上げられ、観光客が急増している場所である。

通常の行きかたは、飯田方面に出て駒ヶ根か伊那あたりから峠に来るように案内されているが、遠山郷からは152号で真っ直ぐ進むのが一番近い。最初は、通常の行き方で大回りして行くしかないと思っていたが、一度行ったことがあるというSさんの助言で、山間部を走る酷(国)道152号をそのまま進むことにしたのだ。

しらびそ高原へ向かう道の途中から大鹿村への分岐に入る。細い道が続くが、それが国道152号線である。大鹿村に入ったところで、中央構造線博物館に立ち寄る。ヒロボーさんお勧めの場所なので、開館前だが立ち寄ってみる。


中央構造線博物館とは、日本で唯一の中央構造線の専門博物館である。関東から九州へ西南日本を縦断する大断層があり、それを中央構造線という。中央構造線を境に北側を西南日本内帯、南側を西南日本外帯と呼んで区別しているそうだ。中央構造線博物館では、それらのいろんな解説や展示があるそうだ。


この境目が実際の中央構造線になり、左右の岩の種類が違っている。右側が青っぽい石が多く左側が赤や白っぽい石が多い。


中央構造線博物館を出た後、中央構造線北川露頭にも立ち寄る。この場所は、国道ぞいの駐車場から歩いて3分の鹿塩(かしお)川の川岸にある。昭和36年(1961年)の大雨で大きく露出して、見つかったそうだ。


ここでも中央構造線がはっきり判る。右側が青っぽい地層で、左側が赤っぽいのが良く判る。


北川露頭からしばらく行くと、分杭峠に着く。ただし、この近くに車を停めるところはない。すでに大勢の観光客が集まっているのが見える。駐車場はさらに数キロ下った場所にある。シャトルバス乗り場の下にある駐車場は、かなりの車が停まっていた。


シャトルバス乗り場で往復のチケットを買う。


分杭峠に着くと、いよいよパワースポットに向かう。シャトルバスを降りた場所から下った場所にゼロ磁場水の水汲み場があるようだが、最もパワーが強いという場所は、林道の先にあるらしい。ただし、その林道は進入禁止となっているが、誰も気にせず戸を開けて中に入っていく。自己責任で入るのなら勝手にどうぞという事らしい。


しばらく歩いた先に大きな土砂崩れの場所があった。この場所が進入禁止の原因のようだ。たしかに雨の日は危ないようだ。何処かのHPにも雨の日には絶対に入らないで下さいと書いてあったのを思い出した。


ここが、最もパワーが強い場所らしい。ほとんどの観光客は、大きなポリタンクを持って水汲みに来ている。


我々も、手持ちのペットボトルなどに水を汲んでいく。


手をこするとビリビリしてくるなんてヒロボーさんが言うものだから、みんな手をこすりパワーを送り出している。まるでドラゴンボールみたいだ。


みんなパワーを得ようと、瞑想して同じ場所にずっと立っていたり、椅子に座ってじっとしている人もいる。磁石がくるくる回ったりするなんて話も聞いていたので、磁石をあっちこっちで移動して見てみるが、どうも異常な動きは見えない。このあたりをカメラで撮ると白いもやもやとしたもの(たまゆら:エネルギー体)が写ることがあるらしいが、そんなものも写らなかった。これも信じるか信じないかで結果が変わってくるのだろうか。


パワースポット地点から駐車場に戻り、本来の分杭峠前で記念写真を撮る。分杭峠は標高1424mの峠で、高遠藩が他領(南方は天領であった)との境界に杭を建て目印としたことに由来するといわれ、「従是北高遠領」の石碑がある。


分杭峠から、再びシャトルバスで駐車場に戻り解散する。その後、遠山郷に車があるメンバーだけで元来た道を戻る。

帰りは、大鹿歌舞伎で有名な大鹿村の市場神社舞台を見学していく。現在では春と秋の1年2回の定期公演が行われ、春の定期公演は5月3日に大河原の大磧神社舞台、秋の定期公演は10月第三日曜日に市場神社舞台が会場として使用されるそうだ。


こちらが、舞台隣にある市場神社だ。ちなみに、大鹿歌舞伎を題材にした『大鹿村騒動記』という映画が最近公開されたばかりだ。この映画は、原田芳雄の遺作となった。


その後、無事に遠山郷に帰り、それぞれ帰宅の途についた。今年の遠山郷マラニックも天気に恵まれ楽しい連休を過ごすことができた。

2011遠山郷マラニック マラニック(後半)

2011-09-23 00:02:32 | マラソン
「上島」エイドからスノーシェードのトンネルを抜け、コース中最も標高がある下栗1072mへの上り坂に入る。最初だけ走れたが、直ぐにきつくなって歩き出す。標高差550mを走りぬく体力はまったくない。前半は、木陰の下の山道なので意外と涼しい。


木陰の道がなくなると、日当たりがいい急な坂道になる。この辺りは暑くて厳しい道だ。


「祈る交通安全無事にカエル」のカエル様が見えてきた。もう少しで、このマラニック中、最高のおもてなしで有名な「熊谷邸」エイドだ。


「熊谷邸」エイドは、コースマップには載っていない私設エイドである。しかし、屋根のある広い展望テラスのテーブルには、有り余るほどの食べ物と飲み物が用意されている。お馴染みのランナーはこのエイドに寄るのを毎年楽しみに参加しているくらいだ。「おはぎ」「おにぎり」「イカ」「ソーメン」「バナナ」「オレンジ」「ビール」「ジュース」など目一杯頂く。一番長居をしてしまうエイドである。


テラスからは、南アルプスの3000mの山々が展望できる。この日も、聖岳や兎岳がよく見えた。


エイドを出たところで、ここの名物おじいさんと今年も記念撮影する。海軍の将校姿が様になっている。


そばの花も満開である。


コスモスも咲き乱れ、秋らしくなってきた。


道祖神も並んでいる。


根野上神社で、完走を祈願する。


最後の上り。ここからも南アルプスの眺めがいい。


ついに、最高所である第11エイド「下栗の里 はんば亭」に到着である。


ここのエイドの楽しみは、なんと言っても「観音霊水」の氷で作ったカキ氷である。昨年もカキ氷を作ってくれた小学生の女の子がいた。1年の間に成長していたようだ。冷たくて美味しいのでおかわりまでしてしまった。


「下栗の里」からは、一気に下る。集落の間の道が曲がりくねって下に続いているのがよく見える。標高500mほど下ったところにある第12エイド「三軒家」では、炭火で焼いたアマゴの塩焼きが出る。これも楽しみなエイドだ。


この塩焼きは、絶妙の味であり頭から丸ごと頂く。


その後は、川沿いの木陰の道を緩やかに下っていく。昔、森林鉄道が敷設されていた道だそうだ。第13エイド「水神様」に着いた時、突然ごつい「おネエさん」?が飛びついてきた。なかなか笑える歓迎である。一緒に「おネエさん」?と記念撮影する。


橋を渡り、「梨元ていしゃば」からしばらく走ると、熊野神社に寄るように指示された。


第14エイド「熊野神社」である。去年は前半に寄ったが、今年は後半に寄るようになったようだ。


「熊野神社」では禰宜さんが、参加者にお祓いをして一人ずつに『安全楽走祈願』の木札を掛けてくれる。後半になったので順番待ちも短く、すぐに自分たちの番になった。


御祓いを受けた後は、お神酒も頂く。神社を出て、最後の吊橋を渡る。


第15エイド「大島」が最後のエイドだが、ここからが結構長い。コース図では残り3キロでゴールとなっているが、実際は6キロくらいある。このマラニックでは、距離表示はかなりアバウトである。平坦な道でも歩きが入って嫌になってきたが、街中では応援があるので一頑張りして走る。橋を渡って曲がると「かぐらの湯」の看板が見えた。


「かぐらの湯」玄関目前である。


15時10分、無事ゴール。月桂冠の冠をかぶりゴール写真を撮る。GPSの距離表示は61キロ程になっている。55キロより多いらしいと聞いていたが、こんなにも距離があったとはビックリだ。


ゴール後は、早速温泉に飛び込む。やっぱり走った後の温泉は最高だ。ほぼ全員がゴールした頃、後夜祭が始まった。後夜祭でも、美味しい料理がいろいろ出てきた。




こちらは、5回連続出場で表彰された人たち。遠山郷の魅力に魅せられた人たちでもある。


その後も、じゃんけん大会などでいろんな景品が当たり、私は遠山郷のビューポイントから写した紅葉の写真を頂いた。なかなかいい写真である。そして、この日も遠山郷で車中泊する。翌日は、分杭峠まで足を延ばし、観光して帰る予定だ。

台風15号の被害

2011-09-22 19:16:10 | いろいろ
昨日は、浜松に台風が上陸して大変な一日だった。その日は、仕事の関係で山のほうに行かなければならなかった。午前中に一度現場に行った時は、まだ大きな被害もなく無事に会社に戻った。しかし、台風が午後2時くらいに上陸して風や雨が酷くなり、現場の様子が気がかりとなった。その後の天気の回復を見越して再度現場に向かった。

午後3時半くらいに天竜川を渡る。先日、川下りの事故があった現場に近いところだ。いつもよりかなり水かさが増していた。


現場近くの小さな川では、ものすごい激流となって水が流れていた。その先の道は、既に通行止めとなっていた。危険を感じたので、いそいで引き返すことにした。


帰りの国道には、木の葉や枝が散乱している。


道路際の川も、増水しておりあと1mくらい水かさが増せば溢れ出そうな感じだった。


一部の場所では、大きな木が倒れ電線をなぎ倒している。


電線が垂れ下がり、片側通行になっている。多分、ここが停電の原因になっていたかもしれない。


帰り道の信号がいたるところで消えていた。


細い道でも、木が倒れている。ギリギリで通行できた。


午後4時半くらいには、西の空が明るくなり台風が去っていったことがわかった。しかし、その爪あとは大きかった。自宅に帰り、家の周りを点検する。幸い我が家の被害は大したことはなかったが、畑の作物がかなり倒れていた。隣近所では、屋根瓦が落ちたりカーポートが飛んだ家があったようだ。

そして、一番困ったことは停電が長引いたことだ。夕食時も非常灯の明かりの下で、簡単な食事を済ませた。復旧の見込みが判らないので、何も出来ない。お風呂も入ることが出来ない。近くにあるショッピングセンターの風呂はどうだろうと車で様子を見に行くと、駐車場は大賑わい、看板もしっかり点灯しており停電してなかった。停電した地域の境目あたりで周辺の家々も明かりが灯っていた。我が家周辺地域一帯だけが真っ暗である。こんなことは初めてだ。

そんな訳で、映画を見てからお風呂に入って帰ろうという事で、近くのショッピングセンターにでかけた。映画を見て、お風呂に寄ったのが午後11時だったが、ものすごい人ごみだ。こんな時間で行列を作って入浴受付するなんて聞いたことがない。どうも、停電した地域の人たちが同じようなことを考えて、お風呂に来たようだ。なんとか風呂に入って家に帰ると12時近かった。帰ると電気も通じていたので安心したが、復旧した直後だったらしい。全国では、もっと甚大な被害にあっている人のことを考えれば、全然大したことないが、我が家にとっては大変な一日だった。